この記事では、ひょうろくさんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介しています。
テレビではわからない、ひょうろくさんの家族のエピソードや、静かな性格のひょうろくさんがどんな家庭で育ったのかがわかります。
家族の個性や、ひょうろくさんの幼少期から現在までの歩みを知ることで、彼の新たな一面を発見できる内容になっています。
目次
ひょうろくの家族構成!父・母・兄・姉の5人家族
ひょうろくの家族構成は「父親・母親・兄・姉・本人」の5人です。
母親:白澤マリコ。明るくてよく笑う性格で家庭でも冗談を楽しむ
長男:ひょうろくとは対照的におしゃべりな性格で家族の会話を盛り上げるタイプ
長女:結婚しており義理の父親は猟師。おしゃべりで義理の家族とも仲良し
また、ひょうろくさんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
ひょうろくの生い立ちや学歴!喋らない大人しい子が芸人へ!
- 名前:ひょうろく
- 本名:白澤直樹
- 生年月日:1987年7月7日
- 身長:177㎝
- 体重:60kg
- 血液型:A型
- 出身地:鹿児島県鹿児島市
- 学歴:鹿児島市の小学校→鹿児島市立吉野中学校→国立鹿児島工業高等専門学校土木工学科(偏差値66)
ひょうろくの幼少期は大人しくあまり話すタイプではなかった!
ひょうろくさんは、1987年7月7日に鹿児島県鹿児島市で生まれて、現在37歳(2024年9月現在)です。
家族は両親と兄・姉・ひょうろくさんの5人で、家族みんながおしゃべりだそうです。
しかし、鹿児島市で幼少期を過ごしたひょうろくさんは、小さい頃からおとなしく、あまり話すタイプではなかったと言われています。
ただ、周りの人に対して優しい性格で、特に年下の子どもたちと仲良く遊んでいたそうです。
ひょうろくの小学校時代はバレーボールに夢中!?
ひょうろくさんの小学校は非公表のため、学校名はわかりませんが、鹿児島市の小学校に1994年4月入学、2000年3月卒業しました。
ひょうろくさんは、小学生時代バレーボールに夢中になっており、ポジションはセッターをしていました。
ひょうろくさんは、とても静かで目立たない存在だった一方で、運動神経は優れており、バレーボールにおいてはその実力が際立っていました。
ちなみに、ひょうろくさんは基本的に喋らない大人しい子供で、小学6年生の時、小学1年生の子と普通に遊んでいたようです。
今でも、友達の子供と一日遊んでも苦にならず、遊んであげてもいつの間にか相手のペースに引き込まれ、遊ばれている側になってしまう事があり、満足するそうです。
ひょうろく:基本喋らない大人しい子でしたね。小学6年生のときに小学1年生の子と、普通に遊んでられるような子でした。今でもそうなんですけど、友達の子どもと一日遊んだとしても全く苦じゃなくて。最初は遊んであげているという感覚で過ごしてても、最後の方は遊んでもらう側になってて、気付いたらすごく満足感を得られています。
【引用元:Relaaaax】
ひょうろくの中学校時代はイラストや書道などの多趣味!?
ひょうろくさんは、鹿児島市立吉野中学校に2000年4月に入学、2003年3月に卒業しました。
そして、中学時代もバレーボール部に所属し、セッターとして活躍しました。
ひょうろくさんのチームは鹿児島県で1位になるほどの強豪チームで、後にバレーの特待生になるほどの実力を持っていましたが、運動神経がいい一方で、走るのが遅いという面もありました。
また、中学時代はバレーボール一筋でしたが、芸術的なセンスもあり、美術と音楽が得意だったようです。
ひょうろく:バレーボールはやってたけど、走ったりするのもすごく遅かったです。リレーで女の子に抜かれたりもしてて。手先を使うのが好きだったので美術や音楽が得意でした。
【引用元:Relaaaax】
特に手先が器用で、イラストや書道に才能を発揮していました。
なお、書道に関しては後に7段の腕前を持つまで上達し、現在もその特技を活かしています。
ちなみに、ゴスペルやギターといった音楽への関心もこの頃から芽生え、多趣味な面が見られ始めた中学時代たっだようです。
ひょうろくの高校は工業高等専門学校にバレーボール推薦で入学!
ひょうろくさんは、国立鹿児島工業高等専門学校の土木工学科(偏差値66)に2003年4月入学し、2008年3月卒業しました。
この学校は県内でもトップクラスの偏差値を誇り、難しかったのですが、ひょうろくさんはバレーボールの推薦で入学しています。
ひょうろくは鹿児島出身。中学時代はバレーボール選手として活躍し、スポーツ推薦で鹿児島工業高等専門学校に進学した。ここで同級生であり、元相方の橋口ひとしと出会っている。
【引用元:東洋経済オンライン】
バレー部では全国大会に出場した経験もあり、特待生として入学したため、運動面では結果を残しましたが、ひょうろくさんは「勉強はあまり得意ではなかった」と後に語っており、バレーボールで活躍する一方で、勉強と部活の両立は大変だったようです。
また、高専での学生生活は寮生活でしたが、ひょうろくさんはこの生活を楽しんでいたそうで、当時はバレーボールだけでなく、友人と遊んだり、趣味の音楽やイラストなども取り組んでいました。
ひょうろくは大学には進学せず、建設業界の営業マンへ!
ひょうろくさんは、高専を卒業して千葉の建築会社に就職しました。
最初は設計の仕事をしていましたが、難しくて全然ついていけず、2年間「悩んでいるふり」をしていたそうです。
その後、営業に移り福岡へ転勤しますが、請求書の金額を何度も間違え、取引先に怒られることが多かったとのことですが、その取引先に良い仕事をどんどん紹介して、少しずつ関係が良くなっていったそうです。
卒業後は千葉にある建築系の会社に就職。設計部門に配属されたがまったくついていけず、2年ほど「悩んでるふりをしていた」という。3年目に営業部長から声を掛けられ福岡の営業所へと移ると、ここでも請求書の金額をたびたび間違えた。当然のごとく取引先から怒号が飛ぶものの、その後に「めちゃくちゃ仲良くなる」というのだから不思議だ。 「めちゃくちゃ険悪になるんですけど、ボクも許してもらったという負い目があるので、『この会社様をなんとしても儲けさせたい』ってことで、それからいい仕事があったらそこの会社様にめちゃめちゃ振るんですよ。そうしたら、ちょっとずつ関係修復するというか」(『KAMINOGE vol.151』<玄文社>の「大井洋一の冗談じゃない!!」より)
【引用元:東洋経済オンライン】
そして、この会社では、建築業界の営業マンとしても数年間働いたそうです。
ひょうろくは高校の友人とお笑いコンビ「ジュウジマル」を結成!
4年間建築会社勤めをした後に、ひょうろくさんは、高校時代の友人である橋口ひとしさんから「一緒にお笑いをやろう」と誘いを受け、「人生1回だし、やっちゃえ」と仕事を辞め、お笑い芸人の道へ進みました。
少しずつ仕事が楽しくなってきた頃、地元・鹿児島で仕事をしていた橋口から「一緒にお笑いをやろう」と誘われた。特段お笑い芸人にあこがれていなかったため少し悩んだが、「人生1回だし、やっちゃえ」と若さゆえの勢いで4年間勤めた会社を辞め、お笑いの世界に飛び込んだ。
【引用元:東洋経済オンライン】
そして、2012年7月11日に「ジュウジマル」というコンビを結成し、浅井企画に所属しました。
なお、ひょうろくさんは2018年に本名「白澤直樹」から「ひょうろく」に改名し、名前の由来は、ちょうどその時一緒にいた放送作家さんがお菓子の「兵六餅」を食べていたのでそれにしようと決めたとのことです。
ひょうろくさんはお笑いコンビ「ジュウジマル」を2012年に結成。20年12月に解散を発表している。18年に「白澤直樹」から「ひょうろく」に改名した。
【引用元:J-CASTニュース】
「僕は覚えやすいから二文字の芸名にしたかったんです。たとえば『るみ』とか。だけど放送作家さんにダメだと言われて。ちょうどその時、作家さんがお菓子の『ひょうろく餅』を食べていて、それにしようとなりました」
【引用元:Yahoo!ニュース】
その後、ジュウジマルとしてコンビで活動していた約8年間、ひょうろくさんはM-1グランプリなど、さまざまな舞台やイベントに出演しました。
しかし、2020年12月に橋口ひとしさんが一般女性と結婚を機に芸能界を引退することになり、コンビは解散しました。
ジュウジマル解散することとなりました☺️色んな形で関わってくださった皆様、本当に有難うございました。ジュウジマルは幸せ者でした❤️本当にお世話になりました。 pic.twitter.com/v7dbmQ2Y0k
— ひょうろく (@HYOUROX) December 7, 2020
ひょうろくはコンビ解散後ピン芸人としてフリーで活動!
コンビ解散後、ひょうろくさんはピン芸人として再出発し、現在はフリーで活動しています。
ピン芸人としての活動では、バイきんぐの小峠英二さんに似た風貌で注目を集めたり、TBS系「水曜日のダウンタウン」や「さらば青春の光」のYouTubeチャンネルに出演し、さらなる人気を得ています。
青ライダースの細身ハゲ芸人をニセ小峠として配置 #水曜日のダウンタウン pic.twitter.com/nchgdb4lxQ
— ゆくブラっ!📺 (@YukuBuraaaa_TV) November 2, 2022
ちなみに、ひょうろくさんは、昔と今はキャラが違うと話題になっています。
昔のひょうろく、今とは全然違う #水曜日のダウンタウン pic.twitter.com/rz5W8y6hZM
— ゆくブラっ!📺 (@YukuBuraaaa_TV) September 4, 2024
お笑い芸人ジュウシマルの時のひょうろくさんは、スーツを着てハッキリとした口調で話をしていましたが、今のピン芸人ひょうろくさんは、腰が低くおとなしい感じです。
ただ、もともとの性格はおとなしく、最初の芸人になりたての頃は、「芸人」として頑張っていたそうです。
しかし、「あ、もう無理」と本当の自分を出したことで、現在の素のひょうろくさんに落ち着いたそうです。
本人に直接問うと、当時はいわゆる「芸人」を頑張って演じていたという。しかし、徐々に「あ、もう無理と思って」と本当の自分を出していき、現在の素の自分を出すスタンスに落ち着いたと明かした。
【引用元:TVerプラス】
なので、現在のおとなしい性格が、本当のひょうろくさんです。
また、現在は足つぼマッサージのアルバイトも並行して行っており、バラエティの枠を超えて多彩な活動を展開中です。
さらに、イラストや書道、ギターといった趣味も続けており、芸人としての活動以外にも多くの才能を発揮しています。
ひょうろくの父親は人当たり良く話し上手でゴルフの腕も凄かった!
ひょうろくの父親は40年間営業職で人当たり良く話し上手!
ひょうろくさんの父親の名前は白澤ヨシエ(名前の漢字は不明)さんです。
サラリーマンとして鹿児島などで約40年間、営業職で働いていた経験があります。
営業職ということもあり、人当たりが良く、話し上手な方で、ひょうろくさんと違い、堂々としていて、たくさん話すタイプのようです。
ひょうろくの父親は長いサラリーマン生活の中で、会社で役員を務めた経験もあるそうです。
ひょうろくの父親はゴルフが上手でベストスコア「81」!
ひょうろくさんの父親は、仕事を続ける中で接待のためゴルフをしていましたが、定年を迎えた後は時間ができたことで、ゴルフをもっと楽しむようになったそうです。
実はひょうろくの父親は、ゴルフの腕前がかなり高く、ベストスコアは「81」です。
なお、ゴルフでスコア100を切るのは簡単ではないといわれています。
ひょうろくの母親はよく笑い明るく父親とも仲良し!
ひょうろくさんの母親の名前は白澤マリコ(名前の漢字は不明)さんです。
ひょうろくさんの母親はよく笑い、とても明るい性格で、家庭でも明るく、冗談を言うのも好きだそうです。
そして、夫ともとても仲が良く、二人で一緒にゴルフに行くこともよくあるとのことです。
ひょうろくの兄もおしゃべりで会話が盛り上がるタイプ!
ひょうろくさんの兄は、一般の方で名前や年齢などは分かりません。
しかし、ひょうろくさんとは性格がまったく違うようで、とてもおしゃべりとのことです。
なおひょうろくさんと同じで学生時代はバレーボールをしていたとのことです。
ひょうろくの姉もおしゃべりで社交的で義父が猟師!
ひょうろくの姉おしゃべりで社交的で義父が猟師!
ひょうろくさんの姉は、一般の方で名前や年齢などは分かりません。
ひょうろくさんの姉はすでに結婚しており、姉も社交的で、結婚相手の家族ともとても仲が良いようです。
また、ひょうろくさんの姉の義父が猟師をしていることから、そのつながりで狩った鹿肉をもらうこともあるそうで、ひょうろくさんの家族がそのお肉を楽しむこともあり、姉家族と両親も良好な関係を築いているようです。
なおひょうろくさんや兄と同じで学生時代はバレーボールをしていたとのことです。
ひょうろくの姉の顔写真をAIで想像してみた!
ひょうろくの祖父母は非公表のため詳細不明!
ひょうろくさんの祖父母については公表されていないため、全く情報はありません。
今後情報が入り次第追記していきたいと思います。
ひょうろくの家族構成まとめ!
家族構成 | 詳細 |
父親 | 白澤ヨシエ。約40年間営業職を務め、会社では役員を経験。人当たりがよく話し上手。ゴルフが趣味で、ベストスコアは「81」。現在は定年後もゴルフを楽しんでいる。 |
母親 | 白澤マリコ。明るくてよく笑う性格で、家庭でも冗談を楽しむ。夫と非常に仲が良く、二人でゴルフをすることが多い。 |
長男 | 名前や年齢は非公表。ひょうろくとは対照的に、とてもおしゃべりな性格で、家族の会話を盛り上げるタイプ。 |
長女 | 名前や年齢は非公表。すでに結婚しており、義理の父親が猟師。家族ぐるみで狩った鹿肉をもらうこともあり、姉家族とも仲が良い。姉もおしゃべりで社交的。 |
次男(本人) | ひょうろく(本名は白澤直樹)。おとなしい性格であまり話さないが、優しい性格。幼少期からバレーボールや美術、音楽など多趣味だった。ピン芸人として活動中。 |
祖父母 | 非公表のため詳細不明 |