この記事では、ゆりやんレトリィバァさんの家族構成や生い立ちについて紹介しています。
ゆりやんレトリィバァさんがどんな環境で育ち、どんな家族に囲まれていたのか、また、芸人を目指すまでの過程でどのようなエピソードがあったのか分かります。
この記事を読めば、ゆりやんレトリィバァさんのことがもっと好きになるかもしれませんよ!
目次
ゆりやんレトリィバァの家族構成!父・母・姉の4人家族
ゆりやんレトリィバァの家族構成は「父親・母親・姉・本人」の4人です。
母親:吉田晃子。テレビ番組出演時ユニークな相談をした明るい性格
長女:吉田有希。妹の2歳年上でしっかりした性格の学校教師
次女:ゆりやんレトリィバァ本人
また、ゆりやんレトリィバァさんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
祖母:はったい粉でおやつを作ってくれた(父方か母方か不明)
ゆりやんレトリィバァの生い立ちや学歴!内気な性格からお笑い芸人へ!
- 名前:ゆりやんレトリィバァ
- 本名:吉田有里
- 生年月日:1990年11月1日
- 身長:159㎝
- 体重:77kg
- 血液型:B型
- 出身地:奈良県吉野郡
- 学歴:吉野町立国栖小学校(現在は吉野北小学校)→吉野町立吉野中学校→奈良県立高田高等学校普通科(偏差値62)→関西大学文学部(偏差値55)
ゆりやんレトリィバァの幼少期から「今日でき」という習慣!?
ゆりやんレトリィバァさんは、1990年11月1日に奈良県吉野郡吉野町で生まれました。
吉野町は人口200人以下の小さな田舎町で、自然に囲まれた環境で育ちました。
今日、大阪芸人掘り出しライブありがとうございました!(^O^)♡掘り出して頂き嬉しかったですヾ(^o^)ノ♫!また是非おこしください〜〜⭐ pic.twitter.com/GAgsb31MUu
— ゆりやんレトリィバァ Yuriyan Retriever (@notinu) October 22, 2013
ゆりやんレトリィバァさんは、3歳くらいまでとても恥ずかしがり屋な子どもだったそうです。
たとえば、父親の友達が遊びに来て「かわいいね~」と声をかけられると、母親の後ろに隠れて、まるで電池が切れたように動かなくなってしまうこともあったとのことです。
そんなゆりやんレトリィバァさんが明るくなり始めたのは、道ですれ違う人に挨拶する練習を始めて、少しずつ性格が明るくなり、今では母親が恥ずかしくなるくらい元気な子になったようです。
「3歳ぐらいまで恥ずかしがり屋だったんです。遊びに来た主人の友達に“かわいいね~”と声をかけられると、私の後ろに隠れて電池が切れたように動かなくなってしまう子でした」(母親、以下同)
「道で人とすれ違ったときに挨拶をする取り組みなのですが、それをやるようになって少しずつ性格が明るくなっていきましたね。今ではこっちが恥ずかしくなるぐらい明るい子になりましたけど(笑)」
【引用元:週刊女性PRIME】
また、ゆりやんレトリィバァさんの家では、幼稚園の頃から「今日でき」という習慣がありました。
これは「今日のできごと」を話す時間で、毎晩夜9時に父親がバスで帰ってくると、母親と一緒に食卓にいるゆりやんレトリィバァさんも呼ばれて、今日どんなことがあったかを話さないといけなかったとのことです。
最初は「今日は誰と会って、何をして遊んだ」などと話していたものの、だんだんと面倒くさくなり、ただ「普通」「微妙」と答えるようになり、父親から「そんなはずはない、何を話すか考えて生きなさい!」と言われたそうです。
幼稚園の頃から「きょうでき」というのが家にあったんです。父親は毎日夜9時にバスで帰ってくるんですけど、母親と一緒に食卓にいるときに呼ばれて「きょうのできごと=きょうでき」を言わないといけなかったんです。最初は誰と会って何して遊んで・・・て話していたんですけど、だんだん面倒くさくなってきて「普通」「微妙」とか言うと、「そんなわけない、何をしゃべろうか考えて生きろ!」って言われて。
【引用元:北日本新聞webunpプラス】
そして、ゆりやんレトリィバァさんは幼い頃から非常に好奇心旺盛で、3歳からピアノを習い始め、その後も習字やそろばんなど、さまざまな習い事に挑戦していました。
ただ、ピアノは母親の友達が先生だったので、さぼり気味だったそうです。
ピアノは友達のお母さんが先生だったので、習っていましたが、さぼりまくり。結局、大人になってからネタに使いたくて練習しました。
【引用元:北日本新聞webunpプラス】
ちなみに、テレビで見るお笑い番組やアニメも大好きで、特に吉本新喜劇の影響を受けています。
ゆりやんレトリィバァは小学校時代にお笑い芸人を目指す!?
ゆりやんレトリィバァさんは吉野町立国栖小学校(現在は吉野北小学校)に1997年4月入学、2003年3月に卒業しています。
この時期、ゆりやんレトリィバァさんは内気な性格もあって、人前で発表することは少し苦手だったようです。
しかし、小学2年生の時にゴールデンタイムに吉本新喜劇が放送され、藤井隆さんや山田花子さん、島田珠代さんが出演している放送を見て「面白すぎる」と感じ、「あ、私もこれ入りたい」と思い、お笑い芸人を目指す大きな転機となりました。
最初は、小学校2年生のときに吉本新喜劇を見て「あ、私もこれ入りたい」って思ったんですよ。 もっと小さい時から見てたと思うんですけど、2年生のときに藤井隆さんとか山田花子さんとか島田珠代さんがメインでされてる新喜劇が、ゴールデンタイムに放送されてて。 それ見て「面白すぎる」ってなって、そっから吉本に入りたいって思いました。
【引用元:Represent】
なお、小学生時代について、ゆりやんレトリィバァさんは「私ももともとアイドルになりたかった」と話しています。
そして、ゆりやんレトリィバァさんがアイドルをあきらめた理由は、「モーニング娘。に入りたかったけど、自分が『すきっ歯』だと気づいてあきらめた」と説明しています。
「私も、もともとアイドルになりたかった」と幼い頃の夢を告白。(中略)ちなみに、ゆりやんがアイドルをあきらめたのには理由があったそうで、「モーニング娘。に入りたかったんですけれども、分かったんです。私、人よりも『すきっ歯』やなって。あきらめちゃったんですよ」と説明し、芸人のホンコン似と称されがちな誠子も、「もっとあるよ」と冷静に突っ込んだ。
【引用元:Lmaga.jp】
ゆりやんレトリィバァの中学校時代はいじめられていた!?
ゆりやんレトリィバァさんは吉野町立吉野中学校に2003年4月入学、2006年3月に卒業しています。
ゆりやんレトリィバァさんの中学時代は、テニス部に入部し、キャプテンを務めるなど積極的に活動していましたが、中学校時代には楽しいことばかりではなく、辛い経験もありました。
ゆりやんレトリィバァさんは、中学校でテニス部のキャプテンに自ら立候補しましたが、それをきっかけに周りから悪口を言われるようになりました。
その後、状況はさらに悪化し、テニスボールをぶつけられるといった暴力まで受けるようになったことをテレビ番組で明かしています。
また、クラスで「ギャル」と呼ばれるグループに仲間入りしようとしたところ、「ゆりちゃんはちょっと違う」と言われて、仲間外れにされてしまった経験もあったそうです。
「テニス部のキャプテンに名乗り出たことをきっかけに、悪口を言われるように。次第にエスカレートしてテニスボールを当てられる暴力を受けていたことをテレビ番組で告白しています。またクラスでもギャルのグループに入ろうとしたところ、“ゆりちゃんはちょっと違う”と仲間はずれにもされたそうです」(お笑いライター)
【引用元:週刊女性PRIME】
この経験は「本当に毎日がイヤだった」と語るほどのものでしたが、その辛さを「今日でき」という父親との習慣で悩みを報告し、いじめを乗り越えたと話しています。
そんな彼女は、中学時代にいじめにあっていたと告白。 しかし、ゆりやんの家族には、今日の出来事をみんなに発表する「今日でき」という父発案の習慣があった。そこで悩みを包み隠さず報告することで、いじめを乗り越えられたと語る。
【引用元:TVerプラス】
ゆりやんレトリィバァは中学時代にアメリカに憧れる!?
ゆりやんレトリィバァさんは、中学生の時に見た映画や音楽にも深い興味を持っており、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で主演を務めたマイケル・J・フォックスに強い憧れを抱くようになりました。
特にアメリカという国や文化に対する関心は、この時期から芽生え、英語に対する興味が深まり、アメリカへの憧れを持ち続けるきっかけとなっています。
英語は、中学生のときに見た映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」がきっかけでした。主役のマイケル・J・フォックスがめちゃくちゃかっこよくて。そこからアメリカに憧れて、英語に憧れて、映画に憧れて。台詞や歌をまねするようになりました。
【引用元:北日本新聞Webunプラス】
また、勉強面ではアメリカへの憧れが影響してか、特に英語が得意で、英語スピーチコンテストにも出場しました。
ゆりやんレトリィバァは高校時代に失恋し大学進学のため猛勉強!?
ゆりやんレトリィバァさんは奈良県立高田高等学校普通科(偏差値62)に2006年4月入学、2009年3月に卒業しています。
ゆりやんレトリィバァさんは、高校では水泳部に所属し、自由形で奈良県5位に入るなど、スポーツも得意でした。
さらに、ゆりやんレトリィバァさんは恥ずかしがり屋だったそうですが、文化祭ではモーニング娘。のダンスを披露するなど、少しずつ人前で自分を表現することに慣れていきました。
恥ずかしがり屋だった私ですけど、高校生になると、文化祭で大好きなモーニング娘。のダンスをしたりして。少しずつ人前でなにかをやることに慣れていって。
【引用元:タウンワークマガジン】
そして、高校3年生の時、1学年下の野球部の男子生徒に恋をしました。
高卒後、NSC(吉本の芸人養成所)に入ろうと考えていたそうですが、夏休みにその人を見るために、「受験します」といい、学校に行って、勉強するフリをして野球部の練習を見ていたそうです。
本当は高校卒業してからNSC入りたかったんですけど、高3のときに好きな人ができて。 その人が1個下の野球部だったんですけど、その人を見るために、「受験します」って先生に言って夏休み学校に行く理由つけて。受験勉強してるふりして毎日ベンチに座ってその子の野球部の練習を見てたんですよ。
【引用元:Represent】
しかし、その男子生徒に彼女ができたことを知り、大きなショックを受けました。
この失恋をきっかけに、その男子生徒に「すごい」と言ってもらうために、進学を目指して猛勉強し、最終的に関西大学に合格することを目指したようです。
そしたら、夏休み終わって「その子に彼女できた」って聞いて。「私の最後の夏休み返せ!」ってなって。 それでどうせやったらその子に「すごいです」って言ってもらいたくて、関西大学に入りたいと思って目指したんです。
【引用元:Represent】
一方、高校では友人たちと一緒に先生のモノマネをしたり、流行りの曲に合わせて踊ったりするなど、日常的にユーモアを交えた行動が多く、周りからも「面白い」と評されるようになりました。
この時期からすでに「ゆりやん」というあだ名で呼ばれており、そのあだ名が後に芸名となったのです。
ゆりやんレトリィバァは関西大学へ進学!
ゆりやんレトリィバァさんは関西大学文学部(偏差値55)に2009年4月入学、2013年3月に卒業しています。
ゆりやんレトリィバァさんが通っていた文学部には、「映像文化専修」という専攻がありました。
そこで取っていたゼミでは、映画の評論を書くことがあり、「この作品についてもっと深く研究するぞ!」という強い気持ちというよりは、「次はこの映画について書かなきゃ」と、いつも課題に追われている感じだったそうです。
もともと映画が好きだったゆりやんレトリィバァさんですが、今から考えると、もっと真剣に取り組めばよかったかもしれないな、と思っているようです。
文学部に「映像文化専修」という専攻があって、私が取っていたゼミでは映画評論を書くこともありました。「突き詰めて研究してやる!」的な熱意というよりは「次はこの作品について書かなきゃ」みたいな、課題に追われている感じでした。でも、映画は元々好きだったし、今から思えばもっとちゃんと取り組めばよかったかも!
【引用元:Lmaga.jp】
ゆりやんレトリィバァは大学時代ダンスサークルへ入部!
大学のサークルに入るとき、ゆりやんレトリィバァさんはお笑い芸人になるつもりで、落語を学べる部活である「落語大学」に入るか迷っていました。
しかし、ダンスも好きで「SBC」というダンスサークルの見学に行ったそうです。
見学の際、ダンスサークルが楽しそうに活動している一方で、落語大学は真剣に練習しているのを見て、どちらで過ごすか考えた結果、ゆりやんレトリィバァさんは「SBC」に入ることを選びました。
元々大学入ったときは芸人になるのを決めてたので、「落語大学」っていう落語をやられてる部活に入った方がいいかなと思ったんですよ。ただダンスもずっと好きで、習ってたわけじゃないんですけど。それでダンスサークルも憧れるなと思って見学に行ったんです。 (中略)本当に素晴らしいことなんですけど、当時の私は4年間どっちになりたいか考えて、やっぱりダンスサークルに入りたいと思って。それでSBCの門を叩きました。
【引用元:Represent】
ちなみに、お笑い芸人3時のヒロイン福田麻貴さんは、ゆりやんレトリィバァさんの関西大学の先輩で、ストリートダンスサークルSBCの先輩でもあるそうです。
このあとよる7:00から!
ネプリーグ出させていただきます🥺❤️❤️同じ関西大学の先輩で同じストリートダンスサークルSBCの先輩でもある3時のヒロイン福田麻貴先輩と一緒です🥺❣️❣️
伝説のダンサーまきさん、HIPHOP界の巨匠、、ドープな女性、、メイクサムノイズ、、 https://t.co/kwlJF6mObu
— ゆりやんレトリィバァ Yuriyan Retriever (@notinu) May 11, 2020
なお、大学時代は奈良の実家から片道3時間かけて通学しており、その時間を有効活用して勉強したり、お笑いのネタを考えたりすることも多かったようです。
ゆりやんレトリィバァはNSCを首席で卒業!?
ゆりやんレトリィバァさんの大学在学中には、お笑い芸人になることを強く意識し始め、大学在学中の2012年4月に吉本総合芸能学院(NSC)に35期生として入学しました。
NSCでは多くの芸人志望者と切磋琢磨しながらスキルを磨き、翌年には「NSC大ライブ2013」で優勝し、2013年3月にNSCを首席で卒業するなど、素晴らしい成績を収めました。
吉本興業のタレント養成校・NSC35期生の卒業ライブが13日、大阪市内で開かれ、女性ピン芸人、「ゆりやんレトリィバァ」(本名・吉田有里=22)が首席卒業生となった。
【引用元:スポニチアネックス】
その後は、ライブやお笑いの大会に積極的に参加し、自身の存在感を示していきました。
現在、ゆりやんレトリィバァさんは日本国内のみならず、アメリカでも活躍の場を広げています。
2024年12月からアメリカを活動の拠点にすると決めているゆりやんレトリィバァさんは、「今年の目標は何ですか?」と聞かれると、「ハリウッドの大スターになること!」と堂々と宣言しました。
そして、12月30日にアメリカに行き、「年内の2日間で大スターになろうと思います。年内の目標なので」と大きな目標を立てて、みんなを驚かせました。
今年12月より活動拠点をアメリカに移すことを決めているゆりやんは、「今年打ち上げたい目標」を問われ、「ハリウッド大スター!!」と堂々と宣言。今年の12月30日に渡米するといい「(年内の)2日間で大スターになろうと思います。年内の目標なので」とド派手な目標を打ち立てた。
【引用元:Yahoo!ニュース】
ゆりやんレトリィバァの英語は独学!?
ゆりやんレトリィバァさんが、どうしてこんなに英語が上手なのか、気になる人も多いのでは無いでしょうか。
ゆりやんレトリィバァさんの英語は独学で学んでいますが、発音やイントネーションが自然で、まるでネイティブのように話せるのが注目されています。
もともとゆりやんレトリィバァさんの姉の影響で洋楽や洋画が好きで、上述したようにマイケル・J・フォックスに強い憧れを抱くようになり、そこから英語に興味を持ちました。
「マイケル・J・フォックスのかっこよさに心を奪われてしまったんです。『私もこの人と同じ言葉をペラペラと話してみたい!』と思い、作品を観るときは吹き替えじゃなくて、彼の生のしゃべり方がわかる字幕つきで観賞してました。
【引用元:@BAILA】
大学では、留学経験のある親友やダンスサークルの留学生と積極的に話して、英語力を磨きました。
いちばん大事な存在が、大学時代に知り合った、留学経験がある親友のかほちゃん。彼女の話し方がカッコいいんですよ。それを真似して、一緒に英語でしゃべるのが日常。東京と関西とで離れて暮らす今は、テレビ電話で会話してます。
【引用元:@BAILA】
なお、ゆりやんレトリィバァさんは「ずっとアメリカに行きたくて、最終的にはアカデミー賞を取りたい」と真剣に語っています。
そして、2019年6月にアメリカのオーディション番組「America’s Got Talent」に出演し、審査員や会場を盛りあげました。
そして、このチャンスを生かして、ゆりやんレトリィバァさんは3カ月間アメリカに留学し、より多くの経験を積んだようです。
ゆりやんは「ずっとアメリカ行きたいと思ってて。最終的にアカデミー賞を受賞したいんです」と真剣に語る。きっかけは一昨年のアメリカ留学。賞レースで優勝できず、「めっちゃピリついてた」自分を改めようとアメリカへ。絶大な人気を誇るオーディション番組に挑み、4万人の中から出場者に選ばれた。そして、これを機会に3カ月間、アメリカへ留学した。
【引用元:スポニチアネックス】
ゆりやんレトリィバァの父親は職人で元近鉄!娘を応援!
ゆりやんレトリィバァの父親は近鉄から工房へ転職!?
ゆりやんレトリィバァさんの父親は1952年2月24日生まれの72歳(2024年9月現在)で、名前は吉田昌行さんです。
元々は近畿日本鉄道で30年以上働いていましたが、2005年にその職を辞め、「エッチング幸房ソレイユ」という工房を立ち上げました。
ゆりやんレトリィバァさんの父親は、見た目は少しワイルドな印象ですが、実際にはとても優しく穏やかな性格の持ち主で、家族への思いやりにあふれた父親です。
ゆりやんレトリィバァさんの父親が鉄道会社を辞めたのは、ゆりやんレトリィバァさんが中学3年生のときでした。
辞めた理由は、仕事へのモチベーションが下がり、このままでは会社に迷惑をかけると感じたからだそうです。
そして、子どもの頃から好きだったものづくりを仕事にしようと決意し、工房を始めました。
このときは、経営の経験がまったくなかったため不安もありましたが、好きなことを仕事にできる喜びがそれを上回っていたそうです。
「次の仕事の経営計画を練って満を持しての賢い脱サラではありません。その頃、会社での仕事のモチベーションが下がり気味で、このままでは会社に迷惑をかけてしまうと思い、一念発起して子どもの頃から好きだったものづくりで事業をおこして家族を養うと決意しました。もちろん経営のことなど分かりません。不安はもちろんありましたが、好きなことを仕事にできる喜びのほうが大きかったです」
【引用元:デイリー】
ゆりやんレトリィバァの父親は娘が芸人になることを反対!?
ゆりやんレトリィバァさんの父親は、娘のゆりやんレトリィバァさんが芸人になりたいと言い出したとき、当初は反対していました。
しかし、自分も周囲の反対を押し切って好きなことを仕事にした経験があるため、最後にはゆりやんレトリィバァさんの強い意志を尊重し、応援するようになりました。
「高校生のうちは、子どもがよくする妄想くらいに考え『好きなようにしたらええやん』と言っていましたが、大学生になると言葉の端々から本気度が垣間見られ、そうは言ってられなくなりました。もちろん反対しましたが、諭して聞く娘ではありません。それに私自身、周囲の反対を押し切って好きなことをしている身なので説得力に欠けます(笑)」
【引用元:デイリー】
ゆりやんレトリィバァさんが大学4年生のときには、NSC(吉本総合芸能学院)に通うことを許可し、娘の夢を後押ししました。
ゆりやんレトリィバァさんの父親は、娘と一緒に過ごす時間をとても大切にしており、上述したように、仕事から帰宅すると毎晩家族で「今日でき」と呼ばれる、その日あったことを話す時間を設けていました。
現在、ゆりやんレトリィバァさんの父親は、ゆりやんレトリィバァさんの活動を応援しながら、自分の工房の仕事にも真摯に向き合い、娘の活躍が自分の励みになっていると感じているようです。
ゆりやんレトリィバァさんがメディアに登場して、星条旗の水着を着てパフォーマンスをする姿については、父親として少し心配する気持ちもありますが、それもプロの仕事として理解し、娘を誇りに思っています。
「(体の)露出度の多いあの(星条旗の)水着(姿)はカンベンしてほしいですが、普段あの姿で街中を歩く訳でもないし、プロの仕事としてやっている以上しゃーない(仕方ない)と思っています」と娘のプロフェッショナルを誰よりも理解している。
【引用元:デイリー】
ゆりやんレトリィバァの母親はユニークで明るい性格!?
ゆりやんレトリィバァさんの母親の名前は、吉田晃子さんで、職業や年齢などは不明です。
ゆりやんレトリィバァさんの母親は、ユニークで明るい性格の持ち主です。
ゆりやんレトリィバァさんの母親は2016年のテレビ番組「指原カイワイズ」に登場し、そのときには「アーティストを名乗る夫をどうしたらいいですか?」と、夫について、ちょっと面白い相談をしていました。
さらに、2020年2月には夫の吉田昌行さんと一緒にインタビューを受けたこともあり、その際も夫婦仲がとても良さそうで、笑顔が絶えない様子でした。
ゆりやんレトリィバァの姉は教師でしっかりした性格!
ゆりやんレトリィバァの姉は学校の教師で2歳年上!
ゆりやんレトリィバァさんには、吉田有希さんという2歳年上で36歳(2024年時点)の姉がいます。
ゆりやんレトリィバァさんの姉は学校の教師をしているそうですが、小学校なのか中学なのか高校なのかや、どの教科を担当しているかは、はっきりしていません。
ゆりやんレトリィバァの姉はしっかりした性格で仲良し姉妹!
ゆりやんレトリィバァさんは、姉のことがとても好きで、自分のSNSにも「おねえちゃんだいすき」とコメントを添えて、幼い頃に撮った2ショット写真を投稿しています。
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姉妹の仲の良さはとても有名で、時々ゆりやんレトリィバァさんが悩みを相談するためにゆりやんレトリィバァさんの姉に電話をすることもあるそうです。
ただ、姉の吉田有希さんは、先生らしいしっかりとした性格で、電話で話すときも説教のような口調になることがあり、それがゆりやんレトリィバァさんにとって少し嫌だと感じることもあるそうです。
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ゆりやんレトリィバァの祖父は釣り好きで祖母はおやつを作ってくれた!
ゆりやんレトリィバァの祖父は釣りが好きだった!
ゆりやんレトリィバァさんの祖父(父方か母方かは不明)は現在他界していますが、釣りが大好きで、自分で釣り道具を作り、釣り具屋を営んでいました。
毎年、地元の吉野川で鮎を釣り、その鮎を祖母や母がさばいて鮎飯にしてくれたそうです。
ゆりやんレトリィバァさんは子どもの頃、鮎が「生臭い」と思って苦手でしたが、今では大好きになっています。
他界した祖父は釣りが大好きで、釣り針や竿を自分で作って釣り具屋を営んでいました。祖父が毎年地元奈良の吉野川へ行って鮎を釣り、その捕れた鮎を祖母や母がさばいて、鮎飯を炊いてくれたのを覚えています。 でも、私は子どものころ鮎がそんなに好きではなく、「生臭いから無理!」と思って食べられなかったんです。 釣りのこともまったく知らず興味がなかったんですが、今思えば、祖父と一緒にもっと釣りに行ったり、鮎を食べたりしておけばよかったと思います。 今では鮎が大好きで食べられます!
【引用元:絶滅料理よ いざ復活!ロストグルメ2】
ゆりやんレトリィバァの祖母ははったい粉でおやつを作ってくれた!
ゆりやんレトリィバァさんの祖母(父方か母方かは不明)は「はったい粉」というオオムギの粉を使ったおやつをよく作ってくれました。
祖父や家族がいない時、ゆりやんレトリィバァさんと祖母で一緒に過ごし、祖母が作るその素朴なおやつがとても懐かしい味だったそうです。
祖母がよく、“はったい粉(オオムギの玄穀を焙煎して挽いた粉)”を使ったおやつを作ってくれました。祖父や両親、姉が仕事や学校で留守のとき、祖母と私の2人で家にいることが多かったんです。 そのとき祖母が、買ってきたおやつではなく、“はったい粉”と砂糖をお湯で溶いたおやつを作ってくれて。お湯で溶くとペースト状になって、練り菓子のように食べるのが好きでした。素朴ですが、祖母を思い出す懐かしい味です。
【引用元:絶滅料理よ いざ復活!ロストグルメ2】
ゆりやんレトリィバァの家族構成まとめ
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家族構成 | 詳細 |
父親 | 吉田昌行。元近畿日本鉄道の職員。30年以上勤めた後、2005年に「エッチング幸房ソレイユ」を設立。ガラスや木材に文字やイラストを彫る仕事をしている。娘が高校と大学に通う7年間、毎日駅まで送り迎えをした。芸人になることを当初反対していたが、最終的には応援するようになる。 |
母親 | 吉田晃子。ユニークで明るい性格。テレビ番組で「アーティストを名乗る夫をどうしたらいいか?」と相談するなど、面白いエピソードが多い。家庭内では娘とよく会話をし、家族の絆を深める役割を果たしている。 |
長女 | 吉田有希。ゆりやんレトリィバァさんより2歳年上で、学校の教師をしている。しっかりした性格で、妹のゆりやんレトリィバァさんからよく相談を受ける。電話で話すときには、先生のような口調になることがあり、それが少し苦手だとされるが、仲はとても良い。 |
次女(本人) | ゆりやんレトリィバァ(本名:吉田有里)。1990年11月1日生まれ。吉本総合芸能学院(NSC)を首席で卒業後、お笑い芸人として活動中。2024年12月からアメリカでの活動を拠点とし、ハリウッドスターを目指している。 |
祖父 | (父方が母方か不明)釣りが大好きで、釣り具屋を営んでいた。毎年、地元の吉野川で鮎を釣り、その鮎を家族で料理して食べていた。ゆりやんレトリィバァさんは子どもの頃は鮎が苦手だったが、今では大好きになっている。 |
祖母 | (父方か母方か不明)「はったい粉」というオオムギの粉を使ったおやつをよく作ってくれた。祖父や家族がいないときには、ゆりやんレトリィバァさんと二人で過ごすことが多く、その時間を通じて素朴なおやつが懐かしい思い出の味となっている。 |