仲野太賀の家族構成!父は中野英雄で母親は社長も離婚!兄の名前は武尊でボクサー?

仲野太賀アイキャッチ画像

この記事では、仲野太賀さんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介していきたいと思います。

仲野太賀さんは13歳でデビューして以来、多くの映画やドラマで活躍し、2026年の大河ドラマの主演にも決定しています。

そんな仲野太賀さんの幼少期や学生時代の話、また家族との関係などのエピソードをたっぷりとお届けします。

インコちゃん
この記事では、そんな仲野太賀さんの家族にスポットライトを当ててみました!
宗じい
仲野太賀さんは二世俳優ではあるが、子役から大河主演に至るまで、どんなストーリーがあるのか楽しみじゃ。ワシの飼ってるインコちゃんと共に面白い記事をお届けします。

仲野太賀の家族構成!父親・母親・兄の4人家族

仲野太賀の家系図

仲野太賀さんの家族構成は「父親・母親・兄・本人」の4人です。

父親:俳優の中野英雄、親バカで仲野太賀の宣伝部長。40歳代の時に離婚
母親:芸能事務所社長で超マザコンの息子(仲野大賀)がいる
長男:元俳優の中野武尊で現在は一般人
次男:仲野太賀本人

 

また、仲野太賀さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?

祖父(父方):京大卒で不動産の仕事を今も続けている
祖母(父方):離婚しており詳細不明
祖母(母方):詳細不明も仲野太賀の被写体として雑誌に掲載
インコちゃん
ひとまず、仲野太賀さんの家族構成がわかりましたね!家族を深掘りするためにも、まずは仲野太賀さんの生い立ちを見ていきましょう。
宗じい
仲野太賀さんがどんな幼少期を送って来たのか気になるのぉ〜。

仲野太賀の生い立ちや学歴!ナイモノネダリが大河主演に!

 

この投稿をInstagramで見る

 

中野 英雄(@hideo_nakano)がシェアした投稿

  • 名前:仲野太賀なかのたいが(2018年までは太賀たいが
  • 本名:中野太賀
  • 生年月日:1993年(平成5年)2月7日
  • 身長:168㎝
  • 体重:57kg
  • 血液型:A型
  • 出身地:東京都杉並区阿佐ヶ谷
  • 学歴:東京都杉並区立馬橋小学校小学校→東京都杉並区立杉森中学校→日出高等学校芸能コース(偏差値42)※現在は目黒日本大学高校

 

仲野太賀の本名と芸名:中野太賀から太賀そして仲野太賀へ

仲野太賀さんの本名は「中野太賀」で、旧芸名は「太賀」です。

名前の由来は、両親の友人の息子の名前がカッコよくて真似たとか、父親の中野英雄さんが大河ドラマに出たことがないため、息子が大河ドラマに出演できるように願ってつけたとか、諸説あるようですが、実際はよくわからないそうです。

「諸説ありまして、母親と父親の意見が全く食い違っているので、僕もよくわからないです。ほんと、くだらない理由で……」と前置きしたうえで、名前の由来を明かしていた。「親の友だちの息子の名前だったから『それ、カッコいいな』と思ってつけたとか、役者をやっている父親が『(自分が)大河ドラマに出たことないから、太賀なんだ』とか、もう意味がわからない。そんな適当なことばっかり言っているので、僕も深くは聞いてないです……」

【引用元:女性自身

2006年、13歳の時、仲野太賀さんはテレビドラマ「新宿の母物語」で俳優デビューを果たしていますが、この際、事務所と両親が話し合って「太賀」という芸名にしたそうです。

芸名を仲野太賀に改めた理由について、この日の共演者である賀来賢人、落合モトキから聞かれると、彼は「名字はずっと欲しかった」と回答。もともと俳優業を始めたとき、自分の意思とは関係なく「太賀」だったという。その名前は、所属事務所と、俳優で父親である中野英雄が考慮して決めたそう。たが、太賀の気持ちとしては「なんで名字がないんだ?」という恥ずかしさととも「このまま2文字で俺はやってけるのか」という不安が湧いてきたという。やがて「大人になるにつれてやっぱり4文字でいきたい。名字をつけたい」と決意。

【引用元:エンタメRBB

しかし、苗字をつけたいという思いから、2018年に主演作を含む5本の映画に出演した年を転換期と考え、2019年から本名と同じ読みの「仲野太賀」へ改名することを決意しました。

「中野」ではなく「仲野」としている理由については、「仲間との出会いが俳優人生の財産」と実感したことが影響しているとのことです。

太賀は5本の映画に出演した2018年を転換期として改名を決断。俳優として活躍する中野英雄の次男であり、「仲間との出会いが俳優人生の財産」と実感したことが、仲野という表記を選んだ理由となっている。

【引用元:映画ナタリー

また、名字を隠していることに違和感を覚え、俳優としてやっていく覚悟を示すために名字を名乗ることにしたそうです。

仲野太賀の幼少期〜小学生:恐怖の伝統行事「やなぎば」!

2020年11月11日東京都内で行われた主演映画「泣く子はいねぇが」の特別上映会に出席した際に仲野太賀さんは幼少期の思い出として、保育園で母親と離れる時に「行かないでー!」と絶叫していたことを明かしています。

仲野は幼少期について「保育園で母親と離ればなれになるときに『行かないでー!』と絶叫していた」と告白。

【引用元:サンスポ

また、お正月には「柳葉詣」という中野家の伝統行事があり、柳葉敏郎さんに会いに行くのが恒例だったそうです。

小さい頃からこの行事でよく泣かされていたそうで、秋田の人にとっての「なまはげ」が、仲野太賀さんにとっての「やなぎば」だったとのことです。

「お正月に『柳葉詣』というか、柳葉さんに会いに行く中野家の伝統行事があるのですが、小さい頃からわんさか泣かされました。秋田の人にとっての“なまはげ”は、僕にとっての“やなぎば”で、本当に恐れ多い、対面するだけで震え上がるような存在でした」とぶっちゃけ、会場の笑いを誘った。

【引用元:シネマトゥデイ

宗じい
なまはげのように柳葉敏郎さんは怖かったんじゃな。一体何があったんじゃ

そして、仲野太賀さんは、1999年4月に東京都杉並区立馬橋小学校へ入学しています。

小学生時代の仲野大賀
小学生時代の仲野大賀

小学生時代、仲野太賀さんは父親の中野英雄さんから厳しくしつけを受けたそうです。

特に挨拶やマナーに関しては厳しく教えられ、食事の際には家族全員が正座してきちんと挨拶をする習慣がありました。

インコちゃん
「めしは残すな」「ケンカには勝て」とよく言われたそうです

また、幼い頃からカメラが趣味だった仲野太賀さんは、親友の家が写真館を営んでいたこともあり、カメラは「大人が使う憧れの道具」だと感じていたそうです。

そして、小学校6年生の時にはお年玉を使ってコンパクトデジタルカメラのサイバーショットを購入し、それが初めて自分で買ったカメラだったことをインタビューで語っています。

地元の親友の実家が昔、写真館をやっていて、うちは両親が共働きだったんで、小さい時はよくそこに預けてもらってたんですよ。だから、僕の周りにいた身近な大人っていうのが、その写真館で働いている人たちでした。だから、カメラは大人の機械、大人が扱うもの。そういう印象がずっとあって、僕の大人への憧れ=カメラへの憧れって形で繋がったんだと思います。それで、お年玉とお小遣いを貯めて、サイバーショットを小学校6年生くらいの時に買ったんです。それが初めて買ったカメラでした。

【引用元::EYESCREAM

2017年には雑誌「CUT」でカメラマンとしてデビューし、現在もカメラを使い続け、オフの日には近所の公園で撮影を楽しむことが多いようです。

宗じい
趣味が大人になって仕事になるのは夢じゃのぉ♪

そして、父親がテレビや映画に出演していた影響で、仲野太賀さんは子供の頃からテレビドラマや映画を見るのが好きで、登場人物のセリフをマネしたり、ドラマのシーンを再現したりして遊んでいたこともあったようです。

特に、小学6年生の時に「WATER BOYS」を観て、主演の山田孝之さんに憧れていたそうです。

そして「WATER BOYS」の影響で、仲野太賀さんはウォーターボーイズになりたいと思い、小学校の夏休みには市民プールでシンクロのスカーリングの練習をしていたそうです。

インコちゃん
「スカーリング」とは、プールで浮くために体をコントロールする練習のことです

しかし、一人では全く面白くなく、自分が本当にやりたいのはウォーターボーイズではなく俳優だと気づき、それ以来、「俳優になりたい」と強く意識するようになったとのことです。

ウォーターボーイズになりたくて「スカーリング」っていうプールの上に浮かぶ練習をしていました。でも一人だし、なんにも面白くないし。「俺がやりたいのは、これじゃない」と。

【引用元:AdverTimes

ちなみに、母親が父親のマネージャーをしていたため、家の中ではテレビドラマや映画の話が飛び交っていたり、家族と一緒に連続ドラマを見るのが大好きだった仲野太賀さんは、テレビドラマや映画に自然と親しむようになったと語っています。

「小学生のときだったと思います。家族でテレビドラマや映画を見るのが好きだったので、その影響もあって小学校5,6年生のときだったと思うんですよ。テレビで『WATER BOYS』(フジテレビ系)を見て山田孝之さんに憧れて。あの頃のドラマがすごく好きだったんですよね。それと同時で映画も自然に好きになりました」

【引用元:テレ朝POST

宗じい
わしも「WATER BOYS」は見ておったぞ。当時の出演者たちみんな豪華じゃったの〜

仲野太賀の中学時代:中二感あふれるバンドはすぐ解散で俳優に!

仲野太賀さんは、2005年4月に東京都杉並区立杉森中学校に入学しました。

この中学校は仲野太賀さんの父親である中野英雄さんも卒業した学校です。

中学時代、仲野太賀さんは、友達とバンドを組んで音楽活動に熱中していたそうです。

インコちゃん
学生時代仲野太賀さんはバスケ部に入っていたそうですが、時期は不明です

しかし、バンド活動は組んでは解散の繰り返しだったようで、当時のバンド名には「モスキートノイズ」、「ヌードトランプ」、「ゴールドアンダーヘアーズ」、「森羅万象」などがあり、結果的には「ヘタクソすぎて何をやっているのかわからなかった」と語っています。

バンド名も“中二感”あふれるものばかりだったといい「最初が『モスキートノイズ』で、1ヶ月で解散して、その後が『ヌードトランプ』『ゴールドアンダーヘアーズ』っていう下ネタの流れが続いた。そして、最終的には『森羅万象』ってなぜか漢字のバンド名でした」と恥ずかしそうに告白。「邦楽も洋楽もカバーしていたんですけど、みんなヘタクソすぎて何をやっているのかわからなかった」と淡い青春時代を振り返っていた。

【引用元:ORICON NEWS

宗じい
これまたどのバンド名も中二感ちゅうにかん溢れとるの〜。若さゆえじゃ(笑)

中学2年生の時に、仲野太賀さんは芸能事務所に入り俳優を目指すようになりました。

仲野太賀さんにとって芸能界は最も身近な仕事で、家の中では仕事の話が飛び交う環境だったようです。

仲野にとって「1番身近な仕事ってのは芸能界」だと言い「家の中では仕事のことが飛び交うし。逆に正社員みたいなことが『どうやったらそういう風になれるんだろう』と距離があると言うか、遠く感じてて。どちらかと言うとスッと始められた感じなんですよね」と口にした。

【引用元:modelpress

そして、仲野太賀さんは、「太賀」という芸名でデビューしました。

当初は、仲野太賀さんは二世タレントとして見られたくなかったため、中野英雄さんの息子であることを隠して活動していました。

しかし、父親がSNSで仲野太賀さんの出演情報を積極的に投稿したため、すぐに中野英雄さんの息子であることが明らかになってしまったようです。

このことについて、仲野太賀さんは2021年2月21日放送の『行列のできる法律相談所』に出演した際に、「親バカがひどくて、何のために苗字を取ったのかわからない」と笑いながら語っています。

当初の芸名は「太賀」だった。父と話し合った末に決めた。「二世俳優っていうものを切り離してもらいたくて」と理由を説明するも、父はSNSで息子のことを宣伝し続けていたと暴露。「隠しているにも関わらず、『うちの次男、太賀が出ます』見たいな」と振り返り、「何のために名字をとったのか分からない。やめてくれよみたいな」と父にツッコミ。「オヤジとも、二世俳優っていうのはなくしていこうって約束したのに、SNSでガンガン投稿するから…」と笑顔で続けていた。

【引用元:スポニチ

インコちゃん
可愛い息子がデビューするとなると、ついつい応援したい気持ちが先走ってしまったのでしょうね

こうして、2006年の13歳の時に仲野太賀さんはテレビドラマ「新宿の母物語」のオーディションを受け、見事合格して子役としてデビューしました。

翌年には「生徒諸君」で連続ドラマに初めて出演しています。

「生徒諸君」出演時(左から2番目が仲野太賀)
「生徒諸君」出演時(左から2番目が仲野太賀)

また、2007年の14歳の時には、雑誌「月刊De☆View」で野球映画「バッテリー」の出演者を募集しているのを見て、オーディションを受けて合格し、主人公・原田巧(林遣都さん)のチームメイト・東谷啓太役で出演しました。

そこで、林遣都さんが仲野太賀さんの憧れの俳優・山田孝之さんと同じ所属事務所だったことから、仲野太賀さんは関係者に直談判し、「スターダストプロモーション」と契約したのだそうです。

3回目に受けたオーディションが『バッテリー』という映画で、それに受かって。主役の林遣都君が山田(孝之)さんが所属するスターダストプロモーションだったので、『入れてください』ってお願いをして、面接を受けて入れてもらいました」

【引用元:テレ朝POST

また、仲野太賀さんは、中学2年生だった2007年にはNHK大河ドラマ「風林火山」に出演し、中学3年生だった2008年には、映画「那須少年記」オーディションを受けて主演(映画の公開は仲野太賀さんが高校1年時に抜擢されました。

映画「那須少年記」での仲野太賀
映画「那須少年記」での仲野太賀 【出典:映画.com

仲野太賀の高校時代:豪華同級生とバンド結成も1度で解散!

仲野太賀さんは中学2年生の時に芸能事務所に入って、俳優としてのキャリアをスタートさせており、より幅広い芸能活動をするために、2008年4月に日出高等学校の芸能コースに入学しています。

ちなみに中学生の時に仲野太賀さんが初めて行ったオーディションで、俳優の染谷将太さんと出会い、二人はその後もテレビドラマで共演して仲良くなり、一緒に日出高校に進学することにしたそうです。

中学生の時に「人生で初めて行ったオーディションで、扉を開けた目の前に染谷将太がいたんですよ。初めて会った同世代の俳優さんが染谷将太。『同じ高校行こう』って。たまたまじゃなくて、オーディションの後、テレビドラマで一緒になって、学園ものだったんですけど隣の席の役でそこですごい仲良くなって。『お前高校どうすんの』『じゃあ一緒に行こうぜ』みたいな感じで一緒に」と、2人で同じ学校に進学することにしたという。

【引用元:ナリナリドットコム

日出高校では、染谷将太さんの他にも、剛力彩芽さん、滝沢カレンさんなど、豪華なメンバーが同級生だったと2023年3月25日に放送されたTBS系『人生最高レストラン』で明かしています。

「高校の同級生でいうと、染谷将太とか、滝沢カレン、足立梨花、剛力彩芽とか」と豪華なメンバーの名前を上げ「同級生で、同じ高校に通ってました」と告白。

【引用元:modelpress

インコちゃん
また、高校の途中で俳優の菅田将暉さんや女優の有村架純さんも転校してきて、仲野太賀さんの同級生になったとのことです

仲野太賀さんは、これらの同級生から多くの刺激を受けていたとインタビューで語っています。

みんなからたくさん刺激をもらっていますね。菅田(将暉)や染谷(将太)、女優さんも有村架純さんや吉岡里帆さんと、同級生にトップランナーが本当に多いんですよ。特に男はこの世代みんな仲がいいので、普段からコミュニケーションを取っています。

【引用元:ORICON NEWS

なお高校時代、仲野太賀さんは帰宅部で、部活動には所属していませんでした。

しかし、同級生の染谷将太さんと「ナイモノネダリ」というバンドを組んだことがあるそうで、仲野太賀さんはギターとボーカルを担当し、染谷将太さんはドラムを担当していたようです。

仲野太賀(右)と染谷将太(左)
仲野太賀(右)と染谷将太(左)

ただし、このバンドは一度だけスタジオで集まっただけで解散したそうです。

「バンドも1回結成して、1回スタジオで集まって、それ以来集まったことはないんですけど(中略)太賀がギター、ボーカルで自分がドラム。バンド名はカタカナで、『ナイモノネダリ』です」仲野いわく、「1回集まって、カチャカチャカチャカチャ鳴らして、解散です。“もう先見えないね”って。全員楽器下手くそですし、“どうにもならん、解散しよう”って」とのことだ。

【引用元:女性自身

さらに、染谷将太さんと一緒に脚本を執筆したり、カメラを回したりして映画を撮ったこともあるとのことです。

「(染谷さんと)同じ高校だったので、脚本を一緒に書いたり、(カメラを)回していましたね。そのまま彼は自分で映画を撮ったりしてますが、僕は見事に挫折しました」

【引用元:映画.com

しかし、染谷将太さんが映画に主演するほど成功していた一方で、仲野太賀さんはあまり売れていなかったため、ジェラシーから染谷将太さんと話さなくなった時期もあったと2022年6月24日放送の『あさイチ』(NHK)に出演した際に語っています。

高校時代はジェラシーがありました。途中からあまりしゃべってないんじゃないかな、僕がジェラりすぎて。若かったし、悔しかったです。でも、お互いの存在を意識していたからこそ高め合えた関係だったように思います。

【引用元:ananNEWS

宗じい
親友として距離が近いぶん、ついつい比較してしまうんじゃな。難しい年頃じゃ

それでも、仲野太賀さんは、多くのドラマや映画に出演しており、高校生の時には「感染列島」や「真夏のオリオン」、「孤高のメス」などの映画に出演していました。

ただし、仲野太賀さんは多くの作品に出演していたものの、目立つ役を得ることが少なく、俳優としての自己認識に悩んでいたこともあったようです。

「順風満帆だったか?」と聞かれたら、そんなことはなかったと思います、オーディションの日々でしたし。ただ、オーディションに落ちまくっていたわけでもないんですよ。自分で言うのもなんですけど、割と打率は良かったんです。ただ、打率はいいけど、学園ものの端っこの席にいる役とか、主人公の友達グループの脇役とか。なんとなく食ってはいけているけど、とり立てて誰かに注目されることもない。なんとなくいるけど、みたいな。そういう時代もありましたね。

【引用元:AdverTimes

また、それでもどうすれば認めてもらえるのかをずっと考え続けて、苦しい時期であったようです。

13歳でこの世界に入った時は、当然、オファーをもらえる立場ではなかったので、いろんなオーディションを受けまくったり。芝居に対して暑苦しく、貪欲で、がむしゃらでした(笑)。そのくせ、どメジャーなものよりは、どこか作家性のあるものが好きだったりもして。自分の情熱が空回りするだけでなく、役をいただけでも、すごく端っこにしか映ってなかったり、23〜24歳ぐらいまでは、かなり苦しかったです。なんとなく負ける、みたいなことだけは嫌なのに、スタートラインにも立てなくて、焦ってばかりでした。

【引用元:FRAU

しかし、高校生活での仲野太賀さんは、ムードメーカーで、人を笑わせることにどん欲なタイプだったそうです。

2022年6月24日放送の『あさイチ』(NHK)で、染谷将太さんが親友の仲野太賀さんについて、高校生の時にキレキレのダンスをしていたエピソードや、運動も、歌も上手、ギターも弾けるなど、何でも上手にこなすタイプで、男女問わず人気者だったと話しています。

「本当にムードメーカーでした。人を笑わせることにどん欲な人ですよね」とも語り、「今もあんま変わってないかもしれないですけど、なんせ人を笑わせてましたね。太賀がいると騒がしくなって、太賀が仕事で学校休むと、静か。まあ体も動くんで、急にもの凄いキレキレのダンスをしだしたり、こっちが何もしなくても面白いって最高ですよね。俺は頑張らなくていいんです。太賀が面白くしてくれるんで、その場が楽しくなるっていう」と笑ってみせた。

「男女問わず人気者でしたね」と証言。「太賀という男は、何をやっても上手にやる男なんですよ。運動もできるし、歌も上手だし、ギターも弾けて、ずるいですね」と説明した。

【引用元:スポニチ

宗じい
たしかにクラスに一人は盛り上げ役の男子がおるもんじゃの!

そして、仲野太賀さんはのちに学生時代を振り返って、学生時代の友達と過ごした時間は、本当に大切な思い出で、まだ駆け出しで“芸能人”という感じではなく、ただただ自由を感じていた“身軽な感覚”はいつまでも覚えていたいと語っています。

学生時代の友達との時間は、本当に忘れたくないですね。当時から役者をやっていましたけど、まだ駆け出しだったし“芸能人”という感じでもなく、とにかく自由がそこにはあった気がして…。あれから時間が経ち大人になりましたけど、あの頃の“身軽な感覚”っていうのは忘れたくないですね。

【引用元:PARIS mag

ちなみに、仲野太賀さんは高校時代に女優の蒼井優さんの大ファンで、携帯電話の親友の登録名を「蒼井優」にしていたこともあるそうで、父と母の登録名はジョージ・クルーニーとスカーレット・ヨハンソンだそうです。

「親友の電話番号の登録名を(大ファンの)『蒼井優』にしていた。不在着信の表示が蒼井優になる! 今でも、父と母の登録名はジョージ・クルーニーとスカーレット・ヨハンソンです」と喜々として話していた。

【引用元:映画.com

インコちゃん
仲野太賀さんの高校時代は多くの刺激や友情に満ちた充実した時間だったことが伺えますね

仲野太賀の高校卒業後〜現在:苦悩の時期を経て大ブレイク!

仲野太賀さんは高校卒業後、大学には進学せず、芸能活動に専念することを決意しました。

この決断の背景には、仲野太賀さんの家庭環境が大きく影響しているようです。

父親が俳優という家庭で育った仲野太賀さんにとって、会社に勤めることは現実感がなく、どうやって就職するか、大学に進学するかもわからないほど、芸能界が身近な存在だったと述べています。

でも今振り返ってみると、父親が俳優という家庭で育っていて、会社に勤めるということがあんまりにも現実的じゃなかった。どうやって就職するのか、大学の行き方もわからないというぐらいものすごく遠い世界で、圧倒的に芸能界が近かったんです。周りにもそういう人たちしかいないから。だから、役者になりたいと軽く言えたのかなって思うんですよね。

【引用元:シネマトゥデイ

そして、18歳の時、仲野太賀さんは岩松了さんが主宰する演劇ワークショップを受け、この経験が仲野太賀さんにとって大きな転機となったようです。

仲野太賀さんは、それまでこだわっていた映画に対する思いが、演劇の世界にもあることに気づき、視野が広がり、また、自分が求めるものが、映画だけでなく、演劇など他の媒体やコンテンツにも存在することに気づくことができたと語っています。

18歳の時に、岩松了さんの演劇のワークショップを受けたんです。その時に、自分が思っている映画的なものが、演劇の世界にもあるんだって気付きがありました。世界が広がりましたし、自分が求めているものは、媒体やコンテンツに限らずあることに気づかせてもらいました。

【引用元:ORICON NEWS

そんな仲野太賀さんが大ブレイクするきっかけとなったのは、2018年の日本テレビ系ドラマ「今日から俺は!!」でのコミカルな演技でした。

ドラマ「今日から俺は」の仲野大賀
ドラマ「今日から俺は」の仲野大賀

このドラマでの成功が、映画や舞台からも注目を浴びることになりました。

2021年には映画「すばらしき世界」で津乃田龍太郎役を演じ、その演技が評価され「日本アカデミー賞 優秀助演男優賞」や「ブルーリボン賞 助演男優賞」、「毎日映画コンクール 男優助演賞」など数々の賞を受賞しました。

こうして、仲野太賀さんは俳優としての地位を確立し、また2026年放送の大河ドラマ主演も決定しており、今後もますます活躍が期待されます。

インコちゃん
ここからは、仲野太賀さんの家族がどんな人なのかをそれぞれご紹介します。
宗じい
俳優として若くから活躍しておったが、その裏では葛藤や苦労があったんじゃの〜

仲野太賀の父親は俳優中野英雄で離婚も息子の宣伝部長!

仲野太賀 父親

仲野太賀の父親は俳優中野英雄で芸能界入りのきっかけはケンカ?

仲野太賀さんの父親は俳優の中野英雄さんで、多くの映画やドラマに出演しており、最近では映画『新宿スワンII』や『アウトレイジ』シリーズで有名です。

中野英雄さんは1964年12月22日に京都市で生まれました。

現在59歳(2024年7月現在)です。

 

この投稿をInstagramで見る

 

中野 英雄(@hideo_nakano)がシェアした投稿

中野英雄さんは、芸能界に入る前はトラックの運転手をしており、暴走族として喧嘩が絶えない日々を送っていました。

しかし、そんなある日、俳優の哀川翔さんと会い、哀川翔さんのリーゼントを「きったねぇ頭」と言い、喧嘩になりました。

そんなカラカラのチリチリの僕らからすると、リーゼントってベッタベタで汚く見えちゃったんですよ。それで「きったねぇ頭」って、僕が思わず言っちゃったんです。そうしたら、翔さんが鹿児島弁で「なんだ、おまえ」って。でも、鹿児島弁なんて知らなかったから、なに言ってるのかまったくわからなくて。

【引用元:文春オンライン

宗じい
「きったねぇ頭」はひどいの・・。宗じいもそんなこと言われると怒ってしまうわい

ただ、その喧嘩がきっかけで親しくなり、哀川翔さんの誘いで劇男一世風靡げきだんいっせいふうびという路上パフォーマンス集団に参加し、芸能界へ入ります。

中野英雄さんのテレビドラマデビューは1987年の『あぶない刑事』で、1992年のドラマ『愛という名のもとに』でのチョロ役で大ブレイクしました。

チョロ役の時の中野英雄
チョロ役の時の中野英雄
宗じい
『愛という名のもとに』懐かしいのぉ!宗じいの好きなドラマベスト3に入るわい
インコちゃん
だれも興味のない情報ですね

この役を通じて、演技力が認められ、多くの仕事のオファーが舞い込むようになりました。

ちなみに仲野太賀さんは、父親の中野英雄さんの影響で俳優になりましたが、父親の出世作『愛という名のもとに』はまだ見ていないそうです。

その理由は、父親と自分の演技が似ていたら嫌だなという気持ちなど恥ずかしさがあるからだそうです。

仲野は2010年の『アウトレイジ』が初めて見た作品だったと説明。これに加藤が「そこからさかのぼって“昔の親父見てみよう”って見たりはした?」と聞くと、仲野は「してないです」と応え「そもそも『愛という名のもとに』を見てないんですよね」と告白。その理由について仲野は「見たいなと思いつつも、こそばゆいというか“芝居似てたら嫌だな”とか、ちょっと恥ずかしいんですよね」とコメント。さらに『愛という名のもとに』が父親にとって大切な作品であることを理解していると明かした上で、「ヒストリーが自分の中で分厚すぎて、観てしまうと、普段の開けていない扉が開いちゃうような気がして、それで見れないんです」と心境を吐露。

【引用元:クランクイン

中野英雄さんは、現在、俳優業だけでなく、自身のアパレルブランド「THE MOBSTAR JAPAN」を展開し、SNSやYouTubeでも活躍しています。

仲野太賀の父親・中野英雄は離婚していた!

仲野太賀さんの父である中野英雄さんは、中野英雄さんが40歳代の時に離婚しています。

インコちゃん
ちなみに離婚時仲野太賀さんは高校生でした

公表していないから言うけど、実は40代の時に離婚しているんです。だから彼女は“女房”じゃなくて、今はビジネスパートナー。一緒に住んでるけどね。

【引用元:NEWSポストセブン

離婚理由について、仲野太賀さんの父・中野英雄さんは、女性と遊んだりで、家族に迷惑をかけるなら離婚しようとなったそうで、当時の自身を振り返り「傲慢だった」と語っています。

彼女がいたわけではないけど、まだ40代で若かったからお姉ちゃんと遊んだり、友達とクラブに行ったりね。僕がヤクザ映画やっていたから、何か面倒くさいことで家族に迷惑をかけるんだったら、『別れよう』と

【引用元:NEWSポストセブン

ただ離婚後も仲野太賀さんの父親と母親の関係性は悪くはなく、現在同居している状態とのことです

でもまあ結局仲良しなんで、離婚後も今みたいに一緒に住んでる状況は変わらないんだよね。周りの人たちはまだ僕たちが夫婦だと思ってるだろうし、太賀が役者として独り立ちしてきたことで、僕らもなんとなく“夫婦という形”でいなきゃいけないなというのもありました。

【引用元:NEWSポストセブン

ちなみに離婚することについて、長男の中野武尊さんも次男の仲野太賀さんも反対せず、両親の意思を尊重したそうです。

賛成、反対というのはなかったかな。武尊は『好きにしたら? 2人が元気ならいいよ』という感じで、太賀は『お母さんがいいなら、それがいいんじゃない。とにかくお母さんが気分よく生活できるならいいんじゃないか』

【引用元:NEWSポストセブン

仲野太賀の父親・中野英雄は息子の大ファンで映画を見て大泣き!

中野英雄さんは、親バカで、息子の仲野太賀さんを非常に応援しており、SNSで頻繁に誕生日メッセージや出演作の宣伝をしています。

 

Bekyk hierdie plasing op Instagram

 

‘n Plasing gedeel deur 中野 英雄 (@hideo_nakano)

例えば、2021年に放送された「ボクらの時代」では、仲野太賀さんが父親との関係性について、中野英雄さんがただのファンとして息子である仲野太賀さんを応援していることを明かしています。

「もうただのファンっすからね、僕の。いわゆる2世俳優と親との美しき関係性とは、ちょっと様子が違う。(溺愛ではない?)溺愛っすね。溺愛でしかないと思います」と告白し、自身の出演作の放送が終わると、すぐにメールで「今日も太賀は良かった!!」という感想が送られてくることを明かした。

【引用元:サンスポ

また、中野英雄さんが息子の仲野太賀さんの出演作(2007年公開の映画『バッテリー』を見たときのエピソードを披露しており、その時中野英雄さんは感動で大泣きして物語をほとんど覚えていないと語っています。

初めて観た太賀の出演作は、’07年の映画『バッテリー』。野球部に属する中学生らの成長や心の葛藤を描いた作品で、太賀も野球少年のひとりを演じた。当時、映画館の大きなスクリーンで息子を目にした日のことを振り返り「物語をほとんど覚えてないくらい大泣きしちゃって」と、笑う。

【引用元:fumufumunews

宗じい
映画の内容に感動したというより、息子がスクリーンで演技していることに感動してたんじゃな。そりゃ内容が入ってこんわ

仲野太賀の父親・中野英雄は息子に激甘!?

中野英雄さんは仲野太賀さんに対してとても優しく、家では怒ったりすることはほとんどありません。

仲野太賀さんいわく、父親・中野英雄さんは激甘だったとのことです。

「お父さん、めちゃめちゃ怖くない?」「いけない人な気がする」などと父である中野英雄のイメージを言われると両手を叩いて笑った仲野。「そのイメージは基本的には間違ってないと思うんですけど」と前置きした上で「僕にはすごく激甘なんですよ」と告白し、スタジオからは驚きの声が上がっていた。「(怒られたことは)ほとんどない」「手を上げられたことは一度もない」と言い「コワモテのイメージがすごいんですけど、家ではめちゃめちゃ優しかった」と、役のイメージとのギャップを明かした。

【引用元:modelpress

宗じい
あんな強面の中野英雄が、激甘とは・・。信じられん・・

高校時代には仲野太賀さんの俳優仲間の菅田将暉さんや間宮祥太朗さんがよく家に遊びに来ていたそうです。

その際には、ゲームの音がうるさいなどと、多々怒ることもありましたが、基本的にはとても優しい父親です。

ちなみに中野英雄さんはある時、大ブレイク後の菅田将暉さんが家に来ているのを見て、スターに会ったかのように緊張して挨拶したというエピソードを話しています。

「高校生のころは、菅田将暉くんや間宮祥太朗くんたちが家によく遊びに来ていました。ずっとゲームをしているもんだから、“うるせー! 静かにしろ! 何時だと思ってんだ!”って怒ることもしょっちゅうでしたね(笑)。 でも、確か1年くらい前かな、また菅田くんがうちに来てたんです。トイレに行こうと廊下の角を曲がった先に彼が座っていて、“わっ菅田将暉だ!”って驚いちゃいました。スターに会った気分になって、ドキドキしながら“どうも、こんにちは!”って頭下げてあいさつしたら、“もう、やめてくださいよ(笑)”なんて言われてね」

【引用元:fumufumunews

宗じい
宗じいの家に菅田将暉が来たら、まずは最高年収を聞くじゃろうな

仲野太賀と中野英雄は揉めても父親の仕返しが可愛い!?

仲野太賀さんと中野英雄さんは、餃子の食べ方について言い合いになったことがあったそうです。

餃子をお酢と胡椒で食べるのか、醤油とラー油で食べるのかという内容だったそうです。

宗じい
宗じいも息子と、酢豚にパイナップルを入れるかどうかで、5年以上揉めたのぉ・・

そういう言い合いがあると、中野英雄さんはムカついて、仲野太賀さんの子どもの頃の写真をSNSにアップし、これには仲野太賀さんも困っているようです。

そのため中野英雄さんは「いい仕返しだ」と思ってやっているとのことです。

この間、餃子はお酢と胡椒で食べるか、醤油とラー油で食べるかで言い合って。ムカついたから、太賀の子どものころの写真をSNSにアップしました。以前、“ホントに勘弁して”って言われてたから、“これはいい方法だぞ、ざまあみろ”と思って(笑)。ですから今後、僕のSNSに太賀の幼少期の写真が上がったときには“あ、こいつらモメたな”って思ってもらえたら間違いないです」

【引用元:fumufumunews

中野英雄さんは、SNSに仲野太賀さんの幼少期の写真が上がったときは、二人がもめていると思ってもらえたらと語っています。

宗じい
可愛い仕返しの仕方じゃのぉ。宗じいほっこりするぞぃ

仲野太賀の父親・中野英雄は息子の宣伝部長!!

仲野太賀さんは、自分が中野英雄さんの息子であることを隠していました。

理由は、「二世俳優」として特別な目で見られるのが嫌だったからで、仲野太賀さんは自分の努力で評価されたいと考えていたのです。

中野英雄さんもその気持ちを理解していて、「俺からは絶対に言わない」と約束していました。

しかし、ある日突然、中野英雄さんはSNSで「うちの次男がテレビに出ます!」と宣伝し始めました。

「『俺のことは話すな』、って何回もクギ刺してるんですよ。10代の頃とか。2世俳優っていう風に色眼鏡で見られるのも嫌だったし」と仲野。中野はそのたびに「もちろん。俺からそんなことは絶対言わないし、関係ないと思っているから。俺とお前は別だから」と話していたというが、ある時から「今夜、仲野太賀、出ます!うちの次男が出ます!」などと言い始めたとした。

【引用元:スポニチ

これに仲野太賀さんは当初反発しましたが、次第に父親の愛情を感じるようになり、隠す必要がないと感じるようになり、テレビ番組でもその心境を語りました。

「まあもういいかなみたいなタイミングもあったし、それまで自分の父親の話とかしたくないなと思ってたけど、自分のしたくないなという気持ちよりも、せざるを得ないなという親父の愛情が勝ったというか」と説明。「もうこれ俺が捌く以外にないな、みたいな。周りからね、『好きだよ』って言うのが(伝わってきて)」と続けた。

【引用元:スポニチ

そして今では、「宣伝部長」として中野英雄さんに任せる気持ちでいるそうです。

「いやいや、言わないって約束したじゃん。何のために名字省いてんの」などと抗議したこともあったというものの、「もう止まらないんで。じゃあ宣伝部長ってことでやってもらおうっていう気持ちで今はいて」

【引用元:スポニチ

インコちゃん
仲野太賀さんのことを父親である中野英雄さんは大好きなことがわかりますね〜
宗じい
素敵なエピソードばかりじゃのぉ♪宗じいはもっとスキャンダラスなのが欲しいのぉ
【関連記事】
仲野太賀 父親 家系図

仲野太賀の母親は芸能事務所社長で仲野太賀似?顔画像は?

仲野太賀 母親

仲野太賀の母親は芸能事務所社長で仲野太賀似?

仲野太賀さんの母親は中野多加美さんといいます。

中野多加美さんは「株式会社バグジーヒーローズクラブ」という芸能事務所の社長をしています。

この事務所は1996年3月に設立されましたが、元々は仲野太賀さんの父親、中野英雄さんが立ち上げたものです。

中野英雄さんが別の事務所に移籍した後、中野多加美さんが事務所を引き継ぎました。

中野多加美さんは、中学生の頃から中野英雄さんが憧れていた先輩で、二人は同じ中学校、東京都杉並区立杉森中学校に通っていた可能性が高いです。

年齢は中野英雄さんの先輩ということで、1962年か1963年生まれの60歳(2024年7月現在)くらいだと思われます。

なお仲野太賀さんは母親の中野多加美さん似と父親である中野英雄さんは話していますが、顔画像は公表されていないようです。

自分と太賀が似ているとは、一度も思ったことがないんですよ。周りから“似てるね”と言われても、正直あまりピンとこない。スタイルだって、若いころの僕はずんぐりむっくりだったけれど、太賀は細くて母親似だから(笑)」

【引用元:fumufumunews

仲野太賀は母親大好きの超マザコン!!

仲野太賀さんは、母親のことをとても尊敬しており、「根幹にある存在で揺るがない基準」と表現しています。

また、仲野太賀さんは自分が「超マザコン」であり、母親ととても仲が良いと話しています。

母親には放任主義で育てられ、厳しい家庭環境ではなく、仲野太賀さんは中学から仕事もしていたこともあってか、反抗期もなかったそうです。

母は僕の根幹にある存在だし、揺るがない基準。 結構甘えん坊で、超マザコンなんですよ。だからと言ってママ、ママ~! って感じではないので、それは書いておいてください。でも大好きですよ、ってことです(笑)。 僕は中学生の頃からこの仕事をしていたからか反抗期もありませんでしたし、厳しい家庭環境ではなくて、わりと放任主義。で、今こうなっています(笑)。

【引用元:mi-mollet

なお母親と性格的にはあまり似ていないため、話していると面白く、仕事の話を聞くのも楽しいと感じているそうです。

母は僕の基準になっている存在だと言っても仕事の相談とかをするわけではなくて、“最近、どう?”って聞くだけで何かしら話題があるから楽しいですね。働いているから仕事の話を聞いたりもしますし、性格的にあまり似ていないからか違いがあって話していると面白いんです。

【引用元:mi-mollet

宗じい
宗じいも超絶マザコンじゃよ!!

仲野太賀のおふくろの味は「カチャトーラ」

仲野太賀さんは、母親の料理の中で特に「カチャトーラ」というトマトで煮込んだチキン料理が好きだそうです。

家に帰るとこの料理をリクエストするほどのお気に入りですが、「母の味は?」というインタビューを受けたときに初めて料理名を知ったようです。

母の味は「チキンの何か…、トマトで煮込んでいてタマネギとかが入ってるやつです。カチャトーラ、って言うんですか? 初めて知りました(笑)。家に帰ると、それを作ってほしいとリクエストします」

【引用元:mi-mollet

カチャトーラ
カチャトーラ【出典:KAGOME
宗じい
「カチャトーラ」がどこの国の料理かも想像がつかんのぉ
インコちゃん
「カチャトーラ」はイタリアの定番煮込み料理ですよ!

仲野太賀の母親は甘すぎるため息子は厳しいバスケ部へ!

仲野太賀さんは上述したように母親から放任主義で育てられたため、母親に厳しくされたことはあまりなく、逆に甘やかされすぎていたと感じることもありました。

そのため、仲野太賀さんは自分を鍛えるためにあえて厳しいバスケットボール部に入部したこともありました。

なお仲野太賀さんの母親は放任主義だからか、仲野太賀さんの作品をほぼ見ていないそうです。

母ですか? 僕の作品をほぼ見てないですね。仲が良いという定義って難しいですけど、お互い執着はしていないです。干渉しない。放任主義。だから楽です。 めちゃくちゃ怒られた記憶も数えるくらいしかないです。逆に甘やかされすぎて溺れそうって思った。このままじゃロクな人間にならない。だからあえて学校で一番厳しいバスケ部に入ってみたり。

【引用元:BuzzFeedNews

宗じい
仲野太賀さんの作品をほぼ見ていないと言いながらも、こっそり見てるんじゃろうな!宗じいは何でもお見通しいじゃい

【関連記事】
仲野太賀 母親 家系図

仲野太賀の兄は中野武尊でボクサーではなく元俳優!

仲野太賀 兄

仲野太賀の兄は元俳優の中野武尊!

仲野太賀さんの兄は中野武尊なかのたけるさんで、1987年8月17日生まれで、仲野太賀さんより5歳年上です。

仲野太賀の兄・中野武尊
仲野太賀の兄・中野武尊

中野武尊さんは11歳で俳優としてデビューし、母親が経営する事務所「バグジーヒーローズクラブ」に所属していました。

最初の頃はVシネマ『実録・名古屋戦争統一への道1』や『荒ぶる獅子』などの作品で父親の中野英雄さんと共演しています。

また、2003年には映画『ベースボールキッズ』にも出演しました。

武尊さんは17歳まで俳優活動を続けましたが、その後は俳優業を辞め、現在は一般人として生活しています。

宗じい
わしはVシネマ好きで、中野英雄に似ている子がおると思ってたら息子じゃったんじゃな〜

仲野太賀の兄は武尊で元ボクサーというのは誤報!

仲野太賀さんの兄・中野武尊さんは名前が同じため、よくK1ファイターでキックボクサーの武尊さんと間違われることがありますが、全くの別人です。

そのため仲野太賀さんの兄・中野武尊さんはボクサーというような噂もありましたが誤報です。

 

この投稿をInstagramで見る

 

武尊 Takeru(@k1takeru)がシェアした投稿

宗じい
確かに別人じゃが、何となく目元は似ておるのぉ・・

間違われる理由としては、珍しい「武尊」という漢字で名前も読みも全く一緒ということが考えられます。

ちなみに中野武尊さんが、俳優として活動していた当時は、仲野太賀さんと共演する機会はありませんでした。

現在、中野武尊さんが何をしているのかははっきりしていませんが、2013年の誕生日に父親の中野英雄さんがインスタグラムに写真を投稿しており、その写真から家族と良い関係を保っていることがうかがえます。

 

この投稿をInstagramで見る

 

中野 英雄(@hideo_nakano)がシェアした投稿

インコちゃん
たしかに武尊という漢字と読み方は珍しいので、間違う人は多かったのかもしれませんね
宗じい
わしは名前も漢字も全く違うが、キムタクに間違われたぞぃ!って冗談じゃぞ〜
【関連記事】
仲野太賀の兄の家系図

仲野太賀の祖父母はどんな人?祖父は京大卒の会社社長!?

仲野太賀の祖父は京都大学在学中に学生結婚!

仲野太賀さんの父方祖父(中野英雄さんの父親)の家族は北海道美唄市で呉服屋を営んでいたそうです。

しかし、火事に遭い店を失ってしまい、その後、仲野太賀さんの祖父が大学進学する際に、一家で京都に移ることになりました。

仲野太賀さんの祖父は札幌南高校を卒業後、京都大学に進学し、この時に、上述したように、一家全員で京都に引っ越したそうです。

ちなみに、仲野太賀さんの祖父は京都大学在学中に学生結婚し、その後に中野英雄さんが生まれています。

また、仲野太賀さんの祖父は京都大学を卒業後、就職先に合わせて京都から東京へ再び引っ越したそうです。

――中野さんの生まれは、京都の左京区なんですね。

中野英雄(以下、中野) 京都で生まれて、3つか4つまでいたんですけど、当時の記憶はまったくないんです。親父が札幌南高校を出て、京都大学に進んで、家族みんなで京都に移って。そして、学生結婚をして、僕を生んだと。

――お父さんの進学を機に家族全員で京都へ。

中野 中野家は、もともと北海道の美唄市で呉服屋をやってたんですよ。だけど、店が火事になったりして引き払うことになって、親父の大学進学に合わせて一緒に京都に出てきたんです。

【引用元:文春オンライン

仲野太賀の祖父は不動産業で社長!?

仲野太賀さんの父方祖父は、東京では大手不動産会社に就職しましたが、後にその会社を辞め、友人と共に不動産業を始めました。

しかし、その事業は失敗し、それでも諦めず、仲野太賀さんの祖父は一人で不動産業を続けたそうです。

そして市ヶ谷付近に事務所を構え、現在も81歳か82歳で現役で不動産業を営んでいると中野英雄さんがインタビューで明かしています。

――北海道屈指の進学校である札幌南高校から京都大学。お父さんは、相当な方ですね。

中野 まぁ、経歴だけ聞けば(笑)。京大を出て、東京で大きな不動産会社に就職して。その後会社を辞めて友達と不動産屋をやるけど失敗して、そこからは1人で不動産屋を続けて。市ヶ谷あたりに事務所を構えてたのは覚えてますね。もう81歳か82歳になりますけど、いまも現役で不動産業をやってます。

【引用元:文春オンライン

仲野太賀の祖父母は離婚しており父親・中野英雄は母子家庭に!?

仲野太賀さんの祖母(中野英雄さんの母親)については詳細な情報は不明ですが、中野英雄さんが小学校4年生のとき、中野英雄さんの両親が別居して、中野英雄さんは母親と中野区の大和町に暮らすことになったそうです。

そのため、中野英雄さんは母子家庭で暮らしており、中野英雄さんは食べるものがない日もあったりして大変な生活を送っていたようです。

しかし、中野英雄さんが小学校5年生のときに中野英雄さんの両親は離婚して、中野英雄さんは父親(仲野太賀さんの祖父)、おじいちゃん、おばちゃんが住んでいた阿佐ヶ谷の家に移ったとのことです。

その後、中野英雄さんの父親は再婚し、中野英雄さんは新しい母親とは仲が良かったものの、中野英雄さんの新しい母親はお酒が大好きで、中野英雄さんが『愛という名のもとに』というドラマに出演していた頃に肝硬変で亡くなったと語っています。

小学校のときに両親が別居して。僕はおふくろと中野の大和町に暮らすことになるんです。最終的に両親は離婚して、僕は親父、おじいちゃん、おばちゃんが住んでいた阿佐ヶ谷の家に移りました。親父は再婚したので、新しいお母さんがやってきて。新しいお母さんとは気が合って仲が良かったんですけど、酒飲みでね。肝硬変になって、僕が『愛という名のもとに』(フジテレビ・1992年)に出た頃に亡くなりました。

【引用元:文春オンライン

仲野太賀が母方祖母の自然体ショットを撮影!

仲野太賀さんの母方の祖父母に関する詳細は不明ですが、「BRUTUS」に仲野太賀さん自身が撮影した母方祖母の写真を公開しています。

普段の自然な姿を撮ったそうで、祖母に見せると喜んでくれたそうです。

仲野太賀の母方祖母【出典:Brutus】
仲野太賀の母方祖母【出典:BRUTUS

ただそこにいる、自然な姿に惹かれた肉眼で見つめているよりも写真を介した方が、その人がまとう空気を色濃く感じるというのは太賀の言葉。実の祖母のなにげない姿が印象的な一枚だ。「この、受け入れているでもなく拒絶しているわけでもない佇まいが絶妙ですよね。プリントしてみて“撮れちゃってた”と思った写真です。祖母に見せたら喜んでくれました」

【引用元:BRUTUS

インコちゃん
仲野太賀さんの祖父は京都大学卒とは、ものすごく優秀な方だったのですね
宗じい
仲野太賀さんのおじいちゃんは、80歳超えても現役で仕事しとるとはすごいのぉ!わしも見習いたいもんじゃ

仲野太賀の家族構成まとめ

 

この投稿をInstagramで見る

 

中野 英雄(@hideo_nakano)がシェアした投稿

家族構成 説明
父親(中野英雄) ベテラン俳優で、映画『新宿スワンII』や『アウトレイジ』シリーズなどに出演。息子の仲野太賀を溺愛し、SNSで頻繁に息子の活動を宣伝。
母親 中野英雄の中学時代の先輩で、現在は「株式会社バグジーヒーローズクラブ」の社長。放任主義で育てたが、仲野太賀とは非常に仲が良い。
1987年8月17日生まれ。元俳優で、現在は一般人。俳優活動は11歳から17歳まで。
本人(仲野太賀) 1993年2月7日生まれ。俳優。本名は「中野太賀」、旧芸名は「太賀」。
祖父(父方) 京都大学卒業後、大手不動産会社に就職し、その後は自営業で不動産業を営む。80歳超えても現役で働き続ける。
祖母(父方) 学生結婚するも、中野英雄が小学4年生の時に夫と別居し、東京都中野区大和町で中野英雄と暮らす。のちに離婚し、中野英雄が小学校5年生の時に父親と再婚相手の元で生活し始めたため、その後は詳細不明。
祖母(母方) 仲野太賀が撮影した写真が「BRUTUS」に掲載。

 



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


error: 右クリックはできません。