目黒蓮の家族構成や生い立ち!父親は建設会社社長、母親は元軍人?弟はブランド経営!

この記事では、目黒蓮さんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介していきたいと思います。

目黒蓮さんの子ども時代のエピソードや家族との関係、そして中学生でジャニーズ事務所に入所してからSnow Manの一員としてメジャーデビューまでのエピソードをたっぷりとお届けします。

目黒蓮さんの軌跡を知ることで、目黒蓮さんの魅力やその背景に迫りたいと思います。

インコちゃん
この記事では、そんな目黒蓮さんの家族にスポットライトを当ててみました!
宗じい
目黒蓮さんがメジャーデビューするまで、どんなストーリーがあるのか気になるの〜。ワシの飼ってるインコちゃんと共に面白い記事をお届けします。

目黒蓮の家族構成!父親・母親・弟の4人家族

目黒蓮の家系図

目黒蓮の家族構成は「父親・母親・本人・弟」の4人です。

父親:建設会社社長でシソンヌ長谷川似の元大工
母親:料理上手で元軍人という噂
長男:目黒蓮本人
次男:名前は目黒優でアパレルブランドの社長

 

また、目黒蓮さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?

祖父:新潟出身、目黒蓮が生まれる前に他界、生前祖母にラブレターを送った
祖母:共働きの両親にかわり孫の世話をし、常に目黒蓮を応援し支えてきた
インコちゃん
ひとまず、目黒蓮さんの家族構成がわかりましたね!家族を深掘りするためにも、まずは目黒蓮さんの生い立ちを見ていきましょう。
宗じい
目黒蓮さんがどんな幼少期を送って来たのか気になるのぉ〜。

目黒蓮の生い立ちや学歴!軍手はめ裏方仕事から10秒でサーバー落ちる男へ

目黒蓮 幼少期
目黒蓮 幼少期
  • 名前(本名):目黒蓮めぐろれん
  • 生年月日:1997年(平成9年)2月16日
  • 身長:185㎝
  • 体重:63kg
  • 血液型:B型
  • 出身地:東京都大田区
  • 学歴:東京都大田区立池上小学校→東京都大田区立大森第四中学校→日出高校芸能コース(偏差値42)※現在は目黒日本大学高校→城西国際大学メディア学部メディア情報学科(偏差値37)

 

目黒蓮の幼少期〜小学生時代:ぽっちゃりがサッカー少年に!

目黒蓮さんは1997年2月16日生まれで、東京都大田区池上出身です。

幼稚園の頃、目黒蓮さんは「少し太っていた」と語っており、現在のスラッとした体格とは異なる姿でした。

幼少期の目黒蓮さんは、親にキティちゃんなどの服を着せられることがあったようです。

4月18日に放送された「王様のブランチ」では、目黒蓮さんの幼少期から現在に至るまでの写真が紹介され、目黒蓮さん自身、とても可愛かったと語っています。

宗じい
幼少期の写真を見ると、ほっぺがぷっくりとして、現在のクールな印象とは違う愛らしさがあるの〜

そして、目黒蓮さんは2003年4月に東京都大田区立池上小学校に入学しました。

小学校時代はスポーツ少年で、サッカーやソフトボール、野球をしていたそうです。

目黒蓮 小学生時代
目黒蓮 小学生時代

特にサッカーが好きで、小学1年生から始めて、中学校2年生までの8年間続けていました

小学生の時のポジションはアンカーを任されていたそうです。

インコちゃん
アンカーとは中盤の選手で、MFに分類されます。MFの中でも守備的な役割に担うポジションで、攻撃の起点として重要な役割を行ないます。

目黒蓮さんは技術面で長けていたチームメイトに勝てないことを悟り、練習の最後のダッシュで、負けず嫌いの性格を見せていたようです。

小学生1年生からジャニーズ事務所に入所するまでのおよそ8年間、サッカーに打ち込んでいた。ポジションはアンカー。技術面で長けていたチームメイトに勝てないことを悟り、練習の最後の走り込みで負けん気を発揮していたという。

【引用元:Asagei plus

そして、小さい頃の夢はプロサッカー選手になることだったそうです。

―小さいころの夢はなんだった?

「サッカーでプロになりたかったです。小学校のときに遊び感覚で始めたんですけど、少しずつのめり込んで。中学からは学校の部活ではなくセレクションを受けてクラブチームにも入ったんで」

【引用元:Myojo 集英社 2021年3月号 10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』SixTONES・Snow Man編 第9回目黒蓮】

宗じい
テレビ番組で見るあの身体能力の高さは、小学校から培われとったんじゃな

目黒蓮の中学校生活:モテすぎて番長に呼び出される!

目黒蓮さんは、2009年4月に東京都大田区立大森第四中学校に入学しました。

中学時代も、サッカーに熱中し、セレクションに合格して東京都内で上位3位に入る強豪クラブチームに所属していました。

このクラブチームでは主力選手として活躍し、ポジションはフォワードでした。

目黒蓮さんは、中学生当時、サッカーの練習がとてもハードで、人生で初めて玄関で靴をはいたまま寝落ちしたこともあると話しています。

目黒 初めて玄関で寝たのは中学生の時なんです。サッカーの練習がきつすぎて、靴をはいたまま寝落ちしました。

【引用元:MORE

インコちゃん
玄関で寝落ちしてしまうほど、真剣にサッカーに取り組んでいたのですね!
目黒蓮 中学1年生
目黒蓮 中学1年生

ちなみに、中学1年生の頃、目黒蓮さんはすでに学校内で人気があり、ファンクラブができるほどモテていたようです。

宗じい
中1にしてこのスタイルの良さじゃ!そりゃあこんなにかっこよかったらモテるじゃろうのぉ

そんな目黒蓮さんが中学1年生の時、地元のお祭りに参加してると、ヤンキー集団に捕まり、同じ学校の中学3年生の番長のところに連れて行かれたことがあったそうです。

そこで番長から「お前、ファンクラブがあるらしいな」と言われた目黒蓮さんは、ファンクラブがあることを本当に知らなかったことと、怖かったことから逃げ帰り、「明日から学校に行けない」とお父さんに相談したとのことです。

そして翌日、学校から帰ると、今度はお父さんが番長を自宅に呼び出して正座させ、「仲良くやってくれ」と仲を取り持ってくれ、それ以来、番長と仲良くなり、中学3年間は無敵だったとSnow Manの『素のWoman』のラジオ番組で話していました。

ジャニーズ事務所入所前の中学1年生のときの話に。目黒が友人と遊んでいると、3年生の先輩に呼び出され「『お前中学でファンクラブあるらしいな』って言われて、俺怖くて逃げたの」と語り、不良グループに目をつけられていたというエピソードを語った。その後、目黒の父親が不良グループとの間を取り持ち、目黒は無事に学校に通えるようになったそう

【引用元:modelpress

宗じい
番長を自宅に呼び寄せ、正座させるとは、父親も気合がはいっとるの!

ちなみに、中学3年生の時には、目黒蓮さんは合唱コンクールの指揮者をしたとのことです。

2023年3月10日に放送された「A Studio+」(TBS系)で、目黒蓮さんの中学時代の恩師が出演し、その時のことを明かしています。

実は、しっかりしている生徒に指揮者を任せようとしていたものの、目黒蓮さんが立候補したため、目黒蓮さんに指揮者を任せることにし、最終的には素晴らしい成長を見せたと語られました。

目黒蓮さんが指揮者に立候補した理由は、中学からジャニーズに入っていたため、学校での青春を味わい切れなかったこともあり、何か思い出に残ることをしたいと考えての行動だったみたいです。

恩師によると目黒は「とにかく学生の頃から真面目だった」という。そんな目黒は合唱コンクールの指揮者に立候補したことがあったそうだが、「学生の頃から目黒君は笑えないくらい勉強ができない、と(笑)。で、指揮者を選ばないといけない日に先生の中では、しっかりしている(別の人の)どちらかにやってほしいと思って“どう?”って言ったら、手挙げたらしいんですよ、目黒が(笑)」と藤ヶ谷が語る恩師の言葉に目黒は手を叩いて大爆笑。

だが、そこで指揮者を任せたところ、「すごい成長して最後いい表情になってたから、さすがだなって思ったって」と言われると、目黒は「中学2年生からジャニーズに入ってたんで、みんなほどは青春を学校では味わい切れてなかったと思うんですよ。だから、そこで何か思い出に残したいなって立候補したのかな」と当時の心境を語った。

【引用元:WEBザテレビジョン

なお目黒蓮さんの恩師によると、目黒蓮さんはとても真面目でしたが、勉強が得意ではなかったそうです。

目黒蓮の中学時代の芸能活動:目黒いらないで心が折れる!?

目黒蓮さんは、中学校2年生だった2010年10月にオーディションに合格し、ジャニーズ事務所に入所しました。

ジャニーズ事務所に入所するきっかけは、目黒蓮さんのいとこがジャニーズが大好きだったことから、お正月に親戚で集まった時に目黒蓮さんから応募をしてみようという流れになったそうです。

そして、その結果、オーディションに合格し、ジャニーズ事務所に所属することとなりました。

ちなみに、オーディションには共働きの両親に代わり、祖母が連れて行ってくれたそうです。

また当時、目黒蓮さんはクラブチームのセレクションを受けてサッカーを続けていたいという気持ちもあったようですが、「1つにやることを絞らないとダメだな」と決意し、サッカーをやめ、アイドル活動を始めたとのことです。

目黒は14歳の時にジャニーズ事務所に所属。所属のきっかけについて尋ねられると、いとこが全員女の子で、KAT-TUNやNEWSが大好きだったことを告白。お正月に親戚が集まった際に、2人兄弟の兄である目黒が「長男からいってみようか」というノリで応募したと語った。一方で、当時クラブチームのセレクションを受けてサッカーをやっていたという目黒。サッカーをやりたい気持ちはあったというものの、「1つにやることを絞らないとダメだな」と決意を固めてアイドルとしての活動を始めたことを明かした。

【引用元:modelpress

宗じい
あっさりオーディションで受かってしまうとは、やはり身体能力と美形のせいじゃろうか!

そして、目黒蓮さんは、ジャニーズ事務所入所後すぐに「ジャPAニーズHi!School」に参加し、先輩グループのバックダンサーとして活動を始めました。

しかし、他の同期は現timeleszの佐藤勝利さんなど期待されていたメンバーが多く、佐藤さんなどはすぐに有望なユニットのメンバーに起用されたのに対して、目黒蓮さんは、自分が選ばれないことで悩むこともあったそうです。

そのため、集合時間の1時間前にスタジオに行き、鏡の前で練習をするなど、必死に努力を重ねていたようです。

そんな中、先輩のバックダンサーとしてミュージックビデオに出演できる機会がありましたが、大人たちの「目黒はどうですか?」という質問に対して「目黒いらない」という会話を聞いてしまったそうです。

2021年に出演した「この差って何ですか?」(TBS系)では、中学2年でにジャニーズ事務所に入った当初のこんな悔しい気持ちも吐露していた。「先輩のバックにつける時に、大人の方たちが、ジュニアの○○と○○(をバックにつけよう)って言ってる中で、“目黒いらない”っていう声が聞こえてきてしまって。あぁ、ボクは今いらないって言われたんだって。まだ中学2年生のピュアな気持ちでは、うまく受け止めきれなかった」

【引用元:livedoor News

そしてこの言葉に心が折れてしまい、目黒蓮さんは自宅に帰って泣きながら両親に「もう辞める」と伝えると、両親は「そんなに頑張ったなら辞めな」と言ってくれたため、逆に冷静になることができたとのことです。

そして悔しいまま終わらせるのではなく、もう少し頑張ってみようと決意し、ギリギリで踏みとどまったとインタビューで語っています。

”目黒はいらない”って言葉がすごいショックで、もうズタボロで。家に帰ってそのまま両親にボロボロ泣きながら”辞める”って伝えて。そしたら即答で、”辞めな”って言われた。”そんなになるほどがんばったんだ。辞めればいいよ”って。少しは引き止められるかなと思ったのに1ミリもそんなことなくて、逆に冷静になったというか。悔しいまま終わったら、いつか今一緒に活動しているJr.がテレビに出るのを見たら、そのたびにこの悔しい気持ちを思い出すんだろうなって、自分で辞めたいって切り出したくせに、”もう少しだけやってみる”って。

【引用元:Myojo 集英社 2021年3月号 10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』SixTONES・Snow Man編 第9回目黒蓮】

目黒蓮の高校時代:真面目に全力で踊るも下積みの連続!

目黒蓮さんは2012年4月に日出高等学校の芸能コースに入学しました。

目黒蓮さんは中学時代にジャニーズ事務所に入所し、芸能活動を始めていたため、より芸能活動をやりやすくするために芸能コースを選んだようです。

目黒蓮さんの高校時代は、元ジャニーズJr.の田中誠治さんと非常に仲が良かったそうです。

目黒蓮(左)、田中誠治(中央)、藤ヶ谷大輔(右)
目黒蓮(左)、田中誠治(中央)、藤ヶ谷大輔(右)

また、女子にイケイケの子の方がモテていたため、ちょっと悪っぽい雰囲気を目指して頑張ってみたことがあったそうです。

しかし、根が真面目な目黒蓮さんはその雰囲気に近づけなかったと語っています。

学生時代ってちょっとイケイケの子の方が女のコからの人気は高かったですよね。そのことに気がついて、僕も悪っぽい雰囲気に憧れた時期もありました。で、自分なりにいろいろがんばってはみたんですけど、残念ながらちっともワルになりきれなくて(笑)。自分で言うのもなんですが、根が真面目なタイプなのでそっちの方が勝ってしまって。

【引用元:ViVi

宗じい
こんな優しそうな顔しておったら、悪っぽい雰囲気なんて無理じゃろ

高校生活では、授業が終わるとすぐに仕事に向かう忙しい日々を過ごしていたようです。

目黒蓮さんは「ずっと一番後ろの端っことかで真面目に全力でただただ踊って過ごしてた」と振り返っています。

「僕や原はマイクをすぐに持てるタイプの人間ではなくて、ずっと一番後ろの端っことかで真面目に全力でただただ踊って過ごしてた」とジャニーズJr.時代を回顧した。

【引用元:WEBザテレビジョン

目黒蓮さんは中学時代に引き続き高校時代もジャニーズJr.として「ジャPAニーズHi!School」というユニットに所属し、主に先輩グループのバックダンサーとして活動していました。

インコちゃん
「ジャPAニーズHi!School」は最大で70名も在籍したユニットで、後に「King&Prince」のメンバーとなる岸優太さんや岩橋玄樹さん、神宮寺勇太さん、その他にも佐藤勝利さんら豪華メンバーが在籍してました。

ただ、中学・高校時代のジャニーズでの活動は、思うようにいかず、何度も「辞めたい」と思ったことがあったそうです。

その時、SMAPの「この瞬間、きっと夢じゃない」を聴いて自身を奮い立たせていたそうです。

2021年2月14日放送のラジオ番組「木村拓哉 Flow supported by GYAO!」でSMAPの「この瞬間、きっと夢じゃない」が人生を変えた曲であり、この曲がなければ心が折れていたと語っています。

そして、現在でも困難に直面したときに聴くことで前に進む力を得ているようです。

木村はフジテレビ系新春スペシャルドラマ「教場II」(1月3日・4日の二夜連続放送)の撮影現場で、目黒がジャニーズJr.時代にこの曲に励まされたことを聞いていたそう。目黒に「あまり表に出る機会がなくて、『もうJr.やめようかな』みたいな思いになった時に『この瞬間、きっと夢じゃない』という曲を聞いて『続けてみよう』って続けてみたら今に至るんです。Snow Manとしてデビューした今でも、『ちょっと無理かもなぁ、ダメかもなぁ』って思った時にこの曲を聞くと前に進めます」と言われたことを語った。

【引用元:modelpress

宗じい
周りはどんどんデビューしていく中で、辛かったけども頑張っておったんじゃな

中学・高校とジャニーズでの活動は上手くいきませんでしたが、高校3年生の2015年1月には「King&Prince」の岸優太さんが主演したテレビドラマ「お兄ちゃん、ガチャ」で俳優デビューを果たしています。

目黒蓮の大学生活:メンバーのおかげで入学と卒業ができる!

目黒蓮さんの出身大学は、城西国際大学のメディア学部メディア情報学科です。

大学進学できたのは、同じSnowManメンバーの佐久間大介さんのおかげだそうです。

佐久間大介さんは4歳上で、目黒蓮さんと同じ大学のメディア学部メディア情報学科に在籍しており、大学パンフレットに掲載されるほど評判の良い生徒だったようです。

そのため、目黒蓮さんが大学入試がうまくいかなかったことを聞いて、佐久間大介さんが直々に教授へ「後輩をよろしくおねがいします」と頼みに行ってくれたそうです。

インコちゃん
AO入試などでは学力以外の部分でも合否を判断しますので、目黒蓮さんは学力以外で素晴らしい部分があったと思われます!

ちなみに、目黒蓮さんは英語が苦手で、ローマ字も読めないため、なにも調べられないと明かしています。

目黒蓮「ローマ字がわからないのでなにも調べられない」
目黒蓮「ローマ字がわからないのでなにも調べられない」

そのため大学でパソコンを使う際には膝の上にローマ字表を置いていたそうです。

また、大学の課題ではSnow Manのメンバーで英語が得意な阿部亮平さんに助けてもらっていたようです。

ちなみに、2019年3月に目黒蓮さんは大学を無事に卒業しました。

インタビューで、佐久間大介さんがいたから大学に入れて、阿部亮平さんがいたから卒業できたと話しています。

阿部ちゃんは卒論のアドバイスをしてくれたりもして。だから僕は佐久間くんがいたから大学に入れて、阿部ちゃんがいたから卒業できた(笑)

【引用元:Myojo 集英社 2021年3月号 10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』SixTONES・Snow Man編 第9回目黒蓮】

宗じい
目黒蓮さんは謙虚なお人柄じゃの。女性芸能人が1番大好きじゃが、目黒蓮さんのファンにもなってしまいそうじゃよ

目黒蓮の大学時代〜現在の芸能活動:裏方から「夢ノート」の実現へ!

仕事面では、目黒蓮さんは、大学時代は主に人気アイドルグループ「嵐」のバックダンサーとして活動していました。

2023年3月10日に放送された「A-Studio+」(TBS系)に出演した際、同期の原嘉孝さんと共にジャニーズJr.時代に、裏方の仕事もしていたことを明かしています。

目黒蓮さんは、原嘉孝さんについて「ずっと一番後ろの端っことかで真面目に全力でただただ踊って何年も過ごしてたっていう…戦友みたいな」と原嘉孝さんとの関係を語り、二人で軍手をはめてステージの演出の手伝いなどの裏方をしていたことを振り返っています。

「原は同期なんですけど、オーディションで何千人といる中で謎に話してた。そこから受かって、僕とか原はなかなかマイクをすぐに持てるタイプのJr.じゃなかったので、ずっと一番後ろの端っことかで真面目に全力でただただ踊って何年も過ごしてたっていう…戦友みたいな」と原との関係を語り、「同期にSexy Zoneの佐藤勝利もいるんですけど、佐藤勝利がステージ上でキラキラな衣装を着てドセンターで踊って、僕と原は上下袖に分かれて、軍手をはめてステージの演出の手伝いをしてたんですよ」と裏方をしていたこともあったジャニーズJr.時代を振り返った。

【引用元:modelpress

また、2023年3月4日に放送された「めざましどようび」(フジテレビ系)に出演した際、ジャニーズ事務所を退社しようと考えたことがあることを明かしています。

辞めようと思っていることを先輩に相談した時に、辞める勇気があるなら、やりたい仕事を言葉にする勇気に変えてみたらいいと言われたそうで、その言葉で人生が変わったと語っています。

「19~20歳の時に1度、ジャニーズ事務所を辞めようって思った時があって、その時に、先輩に辞めるのを止めてもらったんです」と告白。その先輩から「辞める勇気があるんだったら、その勇気をもっとこういう仕事がしたいです”とか言葉にする勇気に変えてみたら?」と言われたといい、「それで言葉にできる自分に変われたっていうか。その人がいなかったら本当に辞めてたんで、そこからの人生がガラッと変われましたね」と明かした

【引用元:スポニチ

また、目黒蓮さんはその相談した先輩に目標を紙に書くことを勧められ、「夢ノート」を書き始めたそうです。

「2年間タイムリミットを決めた。その人に『紙に書いてみたら?目標を』って」と転機となった“夢ノート”を書き始めた経緯を回顧した。

【引用元:modelpress

そして、具体的に自分自身を変えるために、相談した先輩のすすめもあって、髪型を変えるために前髪を上げることにしたと語っています。

「ファンの人に『この子変わったな』って1発で思ってもらえるような何か…。前髪が重かったんですよ、顔を隠す感じで。またそれをその友達が『コンビニ行こう』って一緒に行ってワックス買って、その場で(髪をかき上げて)…」と友人の勧めで髪型を変えたことも告白した。

【引用元:modelpress

宗じい
確かに前髪あげたほうが明るくなってええの

その後、大学2年生の時に同じく「嵐」のバックダンサーを務めていた、山本亮太さんや江田剛さん、松本幸大さんや原嘉孝さんとともにジャニーズJr.内ユニットの「宇宙Six」を結成しました。

宇宙Six
宇宙Six

このユニットは結成時に大きな期待を背負っており、単独公演も行われ、「KAT-TUN」のコンサートでバックダンサーを務めた際には、「KAT-TUN」からオリジナル曲「UNIVERSE」を贈られています。

そのため、当時の「宇宙Six」はメジャーデビューも噂されるほどでした。

また、目黒蓮さんは大学時代、「宇宙Six」でのグループ活動のほか、「桃山ビート・ドライブ」や「滝沢歌舞伎」といった舞台にも出演しています。

特に大学3年生の時に出演した『滝沢歌舞伎』は目黒蓮さんの転機となりました。

2023年3月31日に放送された「この歌詞が刺さった!グッとフレーズSP」(TBS系)に出演した際、2017年の『滝沢歌舞伎』で怪我をしたジャニーズJr.の代役として出演するという、ピンチのようなチャンスがあり、そのチャンスをものにしたことを語っています。

公演の前日の23時頃に「明日から出られるか?」とマネージャーから打診され、「いけます!」と即答し、そのまま朝まで一夜漬けで台本や振り付けを覚え、翌日から完璧に代役をこなしたそうです。

その後、「滝沢歌舞伎」に毎年出演できるようになったと話しています。

「今日、『滝沢歌舞伎』の初日の幕が開いたんだけど、ジュニアの子が1人ケガをした」。目黒への「滝沢歌舞伎」代役出演の打診だった。目黒は「夜の10時か11時くらいだったと思うけど、“明日の本番までにジュニアの子の出番を全部覚えて、出て欲しい。目黒ならできると思うから、どう?”って言われて、“やります”って」と即答。「そこから夜中ぶっ続けで全部覚えて、そのまま家を出て、劇場に行って、本番をやって、無事成功できた」とし、「そこから『滝沢歌舞伎』に毎年、出られるようになっていったんです。また」と明かした。

【引用元:スポニチ

この代役をやり切ったことにより、滝沢秀明さんから「困った時の目黒くん」と称賛され、2018年には『滝沢歌舞伎』のメインキャストに選ばれました。

宗じい
やっと努力が認められたんじゃな

また、舞台以外では、2018年11月からは男子大学生向けファッション雑誌『FINEBOYS』でレギュラーモデルを務めています。

単独表紙が発表された際には10秒でサーバーがダウンするほどの人気だったようです。

また『FINEBOYS』が創刊して以来初めて、2号連続で表紙を飾りました。

宗じい
解禁10秒でサーバーダウンて、すごすぎるの!!

そして、大学を卒業する直前の2019年1月に「宇宙Six」を脱退し、「Snow Man」への加入が発表されました。

目黒蓮さんはその際、宇宙Sixのメンバーを気遣って、複雑な気持ちだったことをインタビューで明かしています。

しかし宇宙Sixのメンバーもみんな理解してくれ、“お前ならできるし、素質あるから絶対いけると思っていたよ”と、信じられないくらいあったかい言葉をかけてくれたそうで、自分の人生を、押し出してくれた人たちのためにも、楽しいと思える人生にしようと思ったそうです。

Snow Man一本に絞るってなった時は、複雑な気持ちもありましたけど、宇宙Sixのメンバーもみんな理解してくれて。“お前ならできるし、素質あるから絶対いけると思っていたよ”みたいな、信じられないくらいあったかい言葉をかけてくれて」「ジャニーズJr.って確定なものがないじゃないですか。だからおのおのがその人生をかけてやっている。それを宇宙Sixのメンバーもわかってくれていた。じゃあ僕も自分の人生を、押し出してくれた人たちのためにも、楽しいと思える人生にしようと思って」

【引用元:CanCan.jp

インコちゃん
宇宙Sixのメンバーの間には強い絆があったのでしょうね

そして、「Snow Man」は2020年1月にメジャーデビューし、「史上初のデビューシングル初週ミリオン達成という快挙を成し遂げました。

現在、目黒蓮さんはグループでの活動のほか、ファッションモデルや俳優としても大活躍しています。

そして、「海のはじまり」(2024年7月、フジテレビ系)で月9初主演も決定しています。

ちなみに目黒蓮さんは夢ノートについて、「20歳だったんで2年後の22歳でデビューして、そこに書いたことが全部2年間で叶ったんですよ」と語っています。

「2年後の22歳でデビューして。そこに書いたことが、全部2年間で叶ったんです」と笑顔で報告。また、現在の夢ノートに書いてある内容は「Snow Manが国民的なグループになること」。「1人1人のメンバーの名前も、小さい子からおじいちゃんおばあちゃんまで言ってもらえるぐらい、国民的なグループになりたい」と展望を語るのだった。

【引用元:JCASTニュース

インコちゃん
ここからは、目黒蓮さんの家族がどんな人なのかをそれぞれご紹介します。
宗じい
夢ノートに書いたことが全て叶うまでに相当な努力があったんじゃろうが、努力が実を結んで、本当に良かったのぉ

目黒蓮の父親は社長で建設会社経営?シソンヌ長谷川似?

目黒蓮 父親

目黒蓮の父親はシソンヌ長谷川似でコワモテ!?

目黒蓮さんの父親は一般人なので詳細な情報はあまり知られていませんが、目黒蓮さんが2020年に放送されたNHKの「明石家紅白」で「父親が25歳の時に生まれた」と話していたことから、1972年生まれの可能性が高いです。

身長は186cmで、がっしりとした体型で、外見は非常に目立ち、少し怖そうな印象だそうです。

目黒蓮さんの父親は、ファンの間でお笑い芸人シソンヌの長谷川さんに似ていると言われることが多いです。

宗じい
目黒蓮さんは爽やか系イケメンじゃから親父さんがイカついのは想像がつかんのぉ

目黒蓮の父親はSnow Manのコンサートによく行っているの!?

目黒蓮さんの父親は、家族と一緒にSnow Manのコンサートによく足を運んでいます。

特にSnow Manのメンバーである向井康二さんのファンで、コンサートではオレンジのペンライトを振って応援していることが知られています。

また、女形のパフォーマンスをするSnow Manの佐久間大介さんを見た際には「佐久間くんなら抱けるわ」と冗談を言ったこともあり、そのユニークな性格が垣間見えます。

滝沢歌舞伎ZEROに出演の佐久間大介
滝沢歌舞伎ZEROに出演の佐久間大介

目黒蓮の父親は「やられたらやり返せ」という教育方針!

目黒蓮さんの父親は、幼少期の目黒蓮さんに対して、「やられたら、やり返せ」と教えていました。

ただし、自分から手を出すことは禁止していたため、正当防衛の重要性を教える一方で、無闇に争わないことも強調していました。

また、「弟は絶対に守れ」という教育方針も持っていて、目黒蓮さんに家族を大切にする姿勢を身につけさせました。

2021年9月に放送された文化放送ラジオ「Snow Manの素のまんま」で、目黒蓮さんは父親を「ファイターみたいな人」と表現しています。

目黒もやりたいと思ったことはやらせてもらっていたが、「よく言われていたのが、やられたら、やりかえせ」だったことも告白。だが同時に、自分からやることは禁止されていたという。また長男の目黒に、父親は「弟は絶対守れ」と教育。佐久間は「そういう熱さ好きだよ」と共感を示すと、目黒も「(父親は)ファイターみたいな人だから」と認める。

【引用元:LINE NEWS

宗じい
宗じいはやられたら、逃げろの精神じゃ!怖がりじゃからのぉ・・
インコちゃん
宗じいはもっと嫌なことは嫌とはっきり言わないとダメですよ!

目黒蓮の父親は社長で建設会社を息子を思い設立!?

目黒蓮さんの父親は建設会社の社長をしています。

目黒蓮さんがジャニーズの道を諦めたときでも、別の道を選べるようにと、父親は独立して会社を立ち上げました。

目黒蓮さんがジャニーズでデビューするという夢を追う中で、もしその夢が叶わなかったとしても安心して別の道を歩めるようにとの思いから、父親はこの決断をしたのです。

じつは、お父さんが会社を始めたのって、オレのためなんだ。 もしも息子がジャニーズでデビューするという夢をあきらめたとしても、別の道を選べるように...って。ありがたいよね。

【引用元:「Duet」2022年8月号】

「お父さんが会社を始めたのって、俺のためなんだ」【出典:「Duet」2022年8月号】
「お父さんが会社を始めたのって、俺のためなんだ」【出典:「Duet」2022年8月号】

なお目黒蓮さんの父親が経営する会社は東京都大田区にある建設会社で、会社名は目黒企画か目黒建設といわれています。

宗じい
息子のために会社を立ち上げるとはすごいのぉ!宗じいには絶対にむりじゃい!

また、目黒蓮さんがジャニーズのオーディションを受ける直前には、父親から「受かんなくてもいいし、受かってもいい。どっちでもいい。親は常にお前の味方だから。思う存分やってこい」とメッセージをもらい、励まされました。

この言葉のおかげで目黒蓮さんは緊張がほぐれ、無事にオーディションに合格することができました。

受かんなくてもいいし、受かってもいい。どっちでもいい。親は、常にお前の味方だから。思う存分やってこい。

【引用元:Myojo 集英社 2021年3月号 10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』SixTONES・Snow Man編 第9回目黒蓮】

目黒蓮の父親はサッカーの熱血オヤジで怖かった?

目黒蓮さんの父親は、目黒蓮さんがジャニーズ入り前、プロサッカー選手を目指していた時期に非常に熱心にサポートしていました。

もともと野球をしていた父親はサッカーの知識がなかったにも関わらず、息子のために猛勉強を始め、すぐに目黒蓮さんよりも詳しくなりました。

父親は「お前がやるって決めたならアドバイスするから俺も詳しくならないと」と言って、本格的にサッカーの知識を身につけたのです。

なお目黒蓮さんは試合よりも父親の機嫌が気になるほど、試合中の父親のリアクションが厳しかったそうです。

宗じい
宗じいも息子が少年野球で打てなかった日はめちゃくちゃにキレていたのぉ。その後妻子に逃げられたが・・
インコちゃん
自業自得ですな・・

悪いプレーをすると家に帰るのが本当に嫌で、玄関の扉を開けるまでに覚悟を決めるのに10分もかかったこともあったと言います。

お父さんは、もともと野球をやっていたんでサッカーの知識はなかったんですけど、めちゃめちゃ勉強して、あっという間に僕よ詳しくなって、”お前がやるって決めたならアドバイスするから俺も詳しくならないと”って。ただ、アドバイスってレベルじゃないんですよ。試合中とか地獄で、怒鳴りまくるんで、僕は試合よりお父さんの機嫌が気になって、ダメだった試合の日は、家に帰るのが本当にイヤでした。家に着いても玄関の扉を開けられず、10分くらいかけて覚悟を決めて、ようやく家に入ってもめちゃくちゃ怒られるという

【引用元:Myojo 集英社 2021年3月号 10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』SixTONES・Snow Man編 第9回目黒蓮】

目黒蓮「お父さんがめちゃめちゃ怖くて」
目黒蓮「お父さんがめちゃめちゃ怖くて」

目黒蓮の父親はSnow Manのダンスを踊れる涙もろい父!

2021年6月の文化放送ラジオ「素のまんま」で目黒蓮さんが明かしたエピソードによれば、父親はSnow Manの「D.D.」という曲のダンスを練習し、完璧に踊れるようになっていました。

父親は「やっと覚えた。結構難しかった」とメッセージを送り、その後にダンスの動画を送ってきたそうです。

この動画では、父親がセンターポジションを取り、締めのポーズをラウールさんのように決めていたため、Snow Manのメンバーは大爆笑したそうです。

さらに、目黒蓮さんの父親は「Crazy F-R-E-S-H Beat」という曲に合わせて黒いスーツを着て踊る動画も撮影していました。

そんな目黒蓮さんの父親には涙もろい一面もあります。

家族で人気アニメ「ワンピース」を見ていた際に、「俺がナミを守る」と発言し、その場で号泣してしまったこともあります。

宗じい
宗じいも涙もろい一面があるぞぃ!前もスナックのママに交際を迫ってふられて、大泣きしたわい
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目黒蓮 母親

目黒蓮の母親は目黒蓮似の美人?

目黒蓮さんの母親は一般人のため、詳細は不明ですが、目黒蓮さんの母親が24歳の時に目黒蓮さんが生まれたとのことなので、1973年生まれの可能性が高いです。

目黒 蓮:母が24歳、父が25歳の時に僕が生まれている

【引用元:MORE

目黒蓮さんと弟はとてもそっくりで、二人ともイケメンだと言われているため、目黒蓮さんの母親も美人ではないかとSNS上では噂されています。

2019年12月25日放送の『7G~SEVENTH GENERATION~』(フジテレビ系)で、「夜のお姉さん風な橋本マナミ」をテーマに目黒蓮さんが女装姿を披露したことがあり、その姿がとても綺麗だったため、もし母親似ならば、母親は美人だろうと話題になりました。

目黒蓮 女装姿
目黒蓮 女装姿
宗じい
宗じいの通っているスナックのママより美人じゃ!!

目黒蓮の母親は元軍人という噂を検証!

目黒蓮さんの母親の仕事は元軍人?と過去に噂になったことがありますが、これは完全な誤報です。

このような噂が出るようになったのは、2020年放送のTBS系『アイ・アム・冒険少年』で向井康二さんと共演した際、「向井康二の母親が元軍人」という話題で盛り上がったからだと考えられます。

ちなみに目黒蓮さんがジャニーズ事務所のオーディションを受けた時には、両親が共働きだったと語っており、目黒蓮さんの母親も仕事をしていたようです。

ただどんな仕事だったのかや、今も働いているのかなど詳細は不明です。

宗じい
宗じいの父親は軍人じゃったが、向井康二さんの母が元軍人だったとは・・

目黒蓮は母親の呼び方を「ママ」から「お母さん」に強引に変えた?

高校生だった目黒蓮さんが多忙な日々の中で楽しみだったのは、母親が作ってくれるお弁当だったそうです。

特に「にんじんやさやいんげんを豚肉で巻いている」おかずがお気に入りだったとインタビューで話しています。

高校時代のお弁当を作ってくれていたのは母。にんじんやさやいんげんを豚肉で巻いているおかずが、めっちゃ好きでした。もうずいぶん食べていないなぁ。ロケ弁で出てくるものだと、焼き鳥弁当が好きです! お弁当を自分では作ったことはないけど、今はたまーに料理します。オムライスとか。」

【引用元:Seventeen

また、目黒蓮さんは元々母親のことを「ママ」と呼んでいましたが、強引に「お母さん」呼びに変えたそうです。

人の名前の呼び方を変えるタイミングについての話になると、渡辺は「ちょっとあれに似てるよね。子どもが『ママ』から『お母さん』に切り替えるタイミング」と話し「俺、そのタイミング失って、いまだに『ママ』って呼んでるから」と告白。一方、目黒は「俺は強引に『お母さん』に変えたんだよね。途中どっかで」と自らについて語った。

【引用元:modelpress

インコちゃん
いつまで、「ママ」呼びであったかは不明ですが、2018年2月に滝沢秀明さんがラジオで、「Snow Manはふっか(深澤さん)以外みんなママ呼び」ということを話していたみたいですね!
宗じい
目黒蓮さんは少なくとも2018年の21歳の時まではママ呼びだったということになるの!

そして、Snow Manデビュー以前の高校生頃、目黒蓮さんは電子マネーカード1枚しか持っていなかったことを仲間からいじられていました。

その際、目黒蓮さんは「いつもはお母さんからもらってるけど、今日はお母さんがいなかったから」と言い返していたようです。

宗じい
目黒蓮くんにママと呼ばれるお母さんも嬉しいじゃろうな!宗じいもキュンキュンしてきたわい
インコちゃん
宗じいは息子さんからじじいと呼ばれていましたね・・・

目黒蓮は一人暮らしで母親のありがたさを感じる!

長い間実家で暮らしていた目黒蓮さんですが、2021年頃から一人暮らしを始めたとされています。

自分で料理を作るようになってから、目黒蓮さんは母親への感謝の気持ちが強くなったそうです。

メニューを考え、食材を買い、料理を作って、洗い物をするという作業がどれだけ大変かを実感し、今まで料理をしてくれていた母親に感謝するようになったとのことです。

目黒蓮さんはインタビューで、自分が料理を作るようになってから、お母さんの料理の大変さがよく分かるようになったと話しています。

これまで母親が作った食事や、ロケ先で食べるお弁当を何気なく食べていたけれど、今は「おいしい」と感謝しながら食べるようになったと反省し、今後どんな時でも母親の料理に感謝しながら食べることを心掛けるとインタビューで話しています。

インコちゃん
お母さんの大変さが一人暮らしをすることで見えてくることはありますね

目黒蓮の弟はブランドの社長で目黒蓮の大ファン!!

目黒蓮 弟

目黒蓮の弟は目黒優で顔はそっくり!

目黒蓮さんには2歳年下の弟、目黒優さんがいます。

1999年生まれで、目黒蓮さんと非常によく似ていることから「マジ目黒」としてファンの間で話題になっています。

そんな目黒優さんですが、家族と一緒にコンサートによく行き、目黒蓮さんと同じくらいの高身長で184cmくらいあると思われます。

オレの弟は牛乳飲んでた。 弟は身長オレと同じくらいあるんだけど。

【引用元:不二家 presents Snow Manの素のまんま(文化放送)】

目黒蓮の弟はアパレルブランドの社長で売り切れ続出の大人気!

目黒優さんはアパレルブランドの会社「ALL PLUS DELIVER」の社長を務めており、ブランドのモデルもしています。

 

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このブランドは2021年9月に立ち上げられ、主にオンラインショップで販売されていますが、ポップアップストアでの販売も行うことがあります。

ブランドの人気は高く、商品は売り切れ続出なようです。

宗じい
宗じいもALL PLUS DELIVERのキャップを買いたかったが、売りきれてたわぃ。。
インコちゃん
宗じいは絶対に似合わないので、売り切れていてよかったですね!

目黒蓮と弟は仲良しも兄弟間に明確な上下関係!?

目黒兄弟は非常に仲が良く、弟の目黒優さんは目黒蓮さんを「蓮くん」と呼んでいます。

「弟からは蓮くん」
「弟からは蓮くん」

ケンカは小学校5年生と中学校1年生の時の2回だけ、2回目のケンカで目黒蓮さんが弟にローキックを決めてから、兄弟の間の上下関係が明確になりました。

宗じい
宗じいは弟と700回はケンカしたのぉ・・

目黒優さんは兄の目黒蓮さんに対して敬語を使い、メッセージの最初には「お疲れさまです」と書くなど礼儀正しく接しています。

目黒蓮の弟は目黒蓮の大ファンでグッズを大量購入!?

目黒蓮さんの弟・目黒優さんは目黒蓮さんの大ファンであり、コンサートでは目黒蓮さんのグッズやフォトセットを大量に購入することがあります。

目黒蓮さんが宇宙Sixとして活動していた頃には、目黒優さんはバイトで貯めたお金でたくさんのグッズを買っていました。

また、目黒蓮さんが出演した「滝沢歌舞伎ZERO」の公演では舞った紙吹雪を拾って、スマホケースに挟んでいたこともあります。

インコちゃん
紙吹雪をスマホケースに挟むのは中々のファンですね!

さらに、目黒優さんは仕事帰りの兄・目黒蓮さんを駅まで迎えに行くことがあり、元々自転車で迎えに行ってましたが、現在は車に変わったそうです。

目黒蓮の弟は兄を巡ってラウールに嫉妬!

目黒蓮さんがラウールさんと親しくしていることに対して、目黒蓮さんの弟・目黒優さんが嫉妬していたことがあったそうです。

ラウールさんが目黒蓮さんに対してスキンシップを多く取り、目黒蓮さんが弟のように扱うため、目黒優さんは「俺が真の弟だ!」と名乗りを上げてきたとのことです。

弟が嫉妬していることについての記事
弟が嫉妬していることについての記事

ラウールさんが目黒優さんに会いたいと言っても、目黒蓮さんは「弟の目黒優さんがラウールさんを意識している」ということや、「気持ち悪い」という理由で断っています。

インコちゃん
実際にラウールさんと目黒蓮さんの弟・目黒優さんが会うと、目黒蓮さんを巡って争いが始まるのでしょうか
宗じい
誰かわしも巡って争ってくれんかのぉ・・。
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目黒蓮 弟

目黒蓮の祖父母はどんな人?祖父は新潟出身で憧れの男性!

目黒蓮の祖父が家族内で1番目黒蓮に似ている!?

目黒蓮さんの祖父母については、一般人のため、詳しいことは不明です。

しかし、父方か母方かは不明ですが、目黒蓮さんは、祖父が新潟出身ということで、一度だけ新潟に遊びに行ったことがあるとSnowManの「LIVE TOUR 2022 Labo.」の新潟・朱鷺メッセ公演で話しています。

目黒蓮さんの祖父は新潟の出身で、東京に来てから祖母と出会い結婚したそうです。

しかし、目黒蓮さんが生まれる前に祖父は亡くなっており、直接会うことはありませんでした。

ちなみに、目黒蓮さんは家族の中で一番祖父に似ているそうです。

目黒蓮の祖父は目黒蓮が目指す男性像!!

そして、目黒蓮さんは2021年10月に雑誌「東京カレンダー」のインタビューで、憧れの男性を聞かれた際に「おじいちゃん、ですね」と答えています。

祖父のことを祖母からよく聞かされており、いつしか「お祖父さんのような男性になりたい!」と憧れるようになったようです。

祖母が若い頃に祖父からラブレターをもらっていたというエピソードを聞き、祖父が情の深い人だったとイメージしていると語っています。

また、ラブレターを書いて思いを伝えるのは可愛らしく、何十年経っても大切な思い出として語り継がれることが素敵だと感じているそうです。

祖母が孫である目黒蓮さんに話すくらい嬉しかった出来事だとも思っており、目黒蓮さんは祖父のような、おじいちゃんになりたいとのことです。

「おじいちゃん、ですね。僕が生まれた時にはもう亡くなっていたんですが、どんな人だったかおばあちゃんがよく教えてくれたんです。色々聞いた話から、凄く情の深いタイプだったとイメージしています。例えば、おばあちゃんがちょっと恥ずかしそうに、“若い頃にラブレターもらってたんだ”と話してくれたことがありました。ラブレターを書いて想いを伝えるなんて可愛らしいし、いなくなってからも、大切な思い出として語り継がれるエピソードがあるって素敵。おばあちゃんも、数十年経っても孫に話すくらい、嬉しかったんだなって」

「はい。あと、なんか……、僕自身がおじいちゃんになりたい願望があります。 将来、自分に孫ができた時に、おばあちゃんが僕にしてくれたように、孫に未来の妻との話を伝えることに憧れています」

【引用元:東京カレンダー

目黒蓮は大のおばあちゃん子で素敵な思い出がいっぱい!

目黒蓮さんは、祖母と同居しており、両親が共働きのため、両親が忙しい時には祖母と一緒に過ごしていました。

そのため、休日のお昼には、祖母がナポリタンやチャーハンを作ってくれていたそうです。

2021年3月の雑誌Myojoのインタビューで、目黒蓮さんは祖母がオーディション当日に会場まで連れて行ってくれたことを語っています。

両親が共働きだったため、ジャニーズについて全く知らない祖母が電車でスタジオまで送ってくれ、「行ってらっしゃい」と見送ってくれたとのことです。

オーディション当日、両親が共働きだったこともあって、ジャニーズなんて全然知らないおばあちゃんが僕を会場まで電車で連れて行ってくれたんです。スタジオの前まで送ってくれて”行ってらっしゃい”って

【引用元:Myojo 集英社 2021年3月号 10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』SixTONES・Snow Man編 第9回目黒蓮】

さらに、目黒蓮さんは映画「月の満ち欠け」の公開直前イベントで、早稲田松竹という老舗映画館に、子どもの頃に弟と祖母と一緒に映画をよく観に行っていたと、祖母との思い出を語っています。

また、目黒蓮さんは自分のことを「おばあちゃん子」と表現し、祖母との映画鑑賞の思い出を大切にしているようです。

劇中で目黒さんと共演者の有村架純が映画鑑賞するシーンが撮影された同劇場。目黒蓮さんは「すごく思い出に残っている場所」と強い思い入れを示し、「子どもの頃は、弟と僕とおばあちゃんで、映画館に映画を観に行っていた。僕、おばあちゃん子なので」と映画館にまつわる思い出話も。

【引用元:CinemaCafe

そして、目黒蓮さんは、なかなかデビューできずに苦労していた頃、NHK「少年倶楽部」に出演した際、画面に少しでも映ると祖母が喜んでくれたことが心の支えになっていたそうです。

インコちゃん
目黒蓮さんのあばあちゃんは、いつも近くで目黒蓮さんを支えてきたのですね
宗じい
おばあちゃん子で悪い子はおらんぞ!!

目黒蓮の家族構成まとめ

家族構成 説明
父親 向井康二推し、常に全力ファイターの元大工で建設会社社長。Snow Manのコンサートにも頻繁に足を運び、目黒蓮の活動を応援。
母親 料理上手の美人。目黒蓮さんの高校時代にはお弁当を作り、支えてきた。
本人(目黒蓮) 1997年2月16日生まれ。Snow Manのメンバーとして活躍し、ファッションモデルや俳優としても活動中。多くの困難を乗り越え、現在の地位を築いた。
1999年生まれ。目黒蓮にそっくりなブラコンで、アパレル会社「ALL PLUS DELIVER」の社長。兄をとても尊敬し、ファンであり、コンサートでは目黒蓮のグッズを大量に購入して応援。
祖父 新潟出身で、目黒蓮が生まれる前に他界。生前は祖母にラブレターを送るなど情の深い人物で、目黒蓮が憧れる存在。
祖母 共働きの両親に代わって孫の世話をし、常に目黒蓮を応援し支えてきた。ジャニーズのオーディション会場まで目黒蓮を連れて行ったり、共に映画館に行くなど、多くの思い出がある。目黒蓮が「おばあちゃん子」と言うほどの大切な存在。



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