今回は、影山優佳さんがどのような家庭で育ち、どんな学生時代を過ごしてきたのかを紹介します。
影山優佳さんは、サッカー好きの両親に囲まれて幼い頃からスポーツに親しみ、勉強も頑張ってきた文武両道です。
さらに、影山優佳さんの弟も優秀なサッカープレイヤーであり、影山優佳さんの家族全員がサッカーを愛しているんですよ。
影山優佳さんの魅力や努力の背景を知って、もっとファンになってくださいね!
目次
影山優佳の家族構成!父親・母親・弟の4人家族
影山優佳の家族構成は「父親・母親・本人・弟」の4人です。
母親:元もんじゃ焼き屋オーナー
長女:影山優佳本人
影山優佳の生い立ちや学歴!才色兼備で文武両道!
- 名前(本名):影山 優佳
- 生年月日:2001年5月8日
- 身長:155㎝
- 体重:非公開
- 血液型:O型
- 出身地:東京都
- 学歴:小学校不明→筑波大学附属中学校(偏差値63)→筑波大学附属高等学校卒業(偏差値77.5)
サッカー通として知られる影山優佳さんは、2001年5月8日東京都で生まれました。
影山優佳さんの出身小学校は公表されていません。
影山優佳さんのご実家は、影山優佳さんの出身中学校である筑波大学附属中学校の通学区域から考えると、東京都の東部、中部であると考えられます。
〈通学区域〉
東京都23区、西東京市、清瀬市、狛江市、東久留米市、三鷹市、武蔵野市、府中市、調布市、小平市、東村山市、小金井市、国分寺市、和光市、川口市、朝霞市、蕨市、戸田市、志木市、新座市、さいたま市、所沢市、草加市、三郷市、八潮市、浦安市、市川市、松戸市、流山市、柏市、川崎市
- 受験のための一時的な寄留は認めません。
- 入学後でも、区域外に転出した場合は、原則在学を認めません。
- 保護者とは、親権者または後見人をさします。
【引用元:筑波大学附属中学校】
影山優佳さんは、サッカー好きの両親に連れられ、1歳の時に2002年日韓ワールドカップをスタジアムで観戦したそうで、家族に関しては日本代表のオーストラリア遠征を見に行ったこともあるとか。
――影山さんがサッカーを好きになったきっかけは何ですか?
最初の最初で言うと、2002年の日韓W杯です。私は2001年生まれなので1歳で記憶には全く残っていないのですが、家族で試合をスタジアムに見に行ったそうです。私の家族はサッカーが大好きで、W杯だけじゃなくて、日本代表が海外遠征をしたとき、オーストラリアなどに行ったりしたみたいです。サッカーが好きになる環境が身近にありました。
【引用元:マイナビニュース】
男子の中に女子一人という環境だったとか。
影山優佳さんは、サッカークラブでは、ボランチ、サイドハーフといった様々なポジションで活躍したそうです。
――小学生で7秒台! ちなみに当時のポジションは?
低学年の頃は右サイドハーフが多かったです。右サイドから駆け上がってパスを供給するなり、自分で中へ切り込んでシュートを決めるプレーをよくしていました。高学年になるにつれて、男の子のパワーが増していって、かつ自分の中に接触プレーへの恐怖心が芽生えてきた時、自分は何ができるか考えたんです。そうしたら、意外と皆に比べて視野が広くて、インサイドキックが得意な意識があったので、正確にパスを供給しつつ、全体を把握してスペースをよく常に見ている人じゃないとできないボランチが自分に向いていると思って「ボランチやりたいです」と志願しました。ただ「得点決めたくなったら右(サイドハーフ)に置いてください」と言っていましたね。
【引用元:マイナビニュース】
影山優佳さんは、サッカークラブで一番足が速く、50m走では7秒台を記録していました。
――生まれた時からサッカー漬け。すごい環境ですね。
ただ小学生の時は、スタジアムに試合を観に行っていましたが90分集中力が持たない子で、見るよりも自分でプレーするほうが好きでした。地元のクラブで、男の子数十人の中に女の子1人混じってやっていました。足が速くて50メートル7秒台で、クラブで一番足が速かったです。
【引用元:マイナビニュース】
また、影山優佳さんは有力選手として注目され、日本サッカー協会の世代別女子ナショナルトレセンに招待されたこともあります。
――男子とは肉体差があったといえど、女子サッカー選手を目指そうと考えたことはなかったんですか?
一度クラブのコーチに呼ばれて「女子のトレセン(ナショナルトレーニングセンター制度)に招待されているぞ」と言われました。ただ私は中学受験もあったりして都合が合わず、ご縁がなくて諦めました。もしその時トレセンのリーグに参加したり、体格差のない子たちと練習を重ねたりしていたら、プレーする楽しさをより見出していたかもしれないですね。熱中するタイプなので人生変わったかもしれないです。
【引用元:マイナビニュース】
影山優佳さんは、サッカー以外にも水泳やスキーをしていて、活発な女の子だったようです。
しかし、中学受験のために勉学に専念する道を選びました。
影山優佳さんの当時の夢は、医者になることで、勉強が好きだったそうです。
――勉強も同じような動機から、好きになっていったのですか?
そうですね。雑学も勉強もやっぱり「知らないことを知ることができる」というか「できないことができるようになる」という部分が、自分には楽しいことだったような気がします。勉強って義務教育が始まるぐらいから意識するものだと思うのですが、あまり嫌だなという感情がなく入っていけました。あとはやっぱり、親に褒めてもらいたいという感情もありましたね。いい点を取ると褒めてもらえますからね。【引用元:マイナビニュース】
影山優佳さんは、幼い頃から自主的に勉強してきたため、親に勉強するよう促されたことは一度もなかったとか。
小学3年生の頃には学校の特別授業で手話を学び、NHKの手話講座を毎日録画して練習していました。
影山優佳さんは、けやき坂46時代の握手会で、耳の聞こえない方に手話で対応したエピソードがファンの間で話題となったことがあります。
「影山は小学3年生のとき、学校の特別授業で数回、手話を学ぶ機会があったことがきっかけとなり、『自分の知らない言語を知りたい』と、NHKの手話講座を毎日録画し、練習していたことを明かしています。以前の握手会で、耳の不自由なファンに、手話で何かを伝え返していたことがネット上に書き込まれ、話題を呼んだこともありました」(芸能ライター)
【引用元:SmartFLASH】
影山優佳さんは、小学校卒業後は、2014年4月に筑波大学附属中学校に合格しました。
影山優佳さんは、中学ではバドミントン部に所属し、キャプテンでした。
中学2年生の時には、「サッカーをもっと深く知りたい」という理由でサッカー4級審判員の資格を取得。
――その後、中学生になってからはどのような変化が?
自我を持って、しっかりサッカーを好きになっていきました。というのも、サッカーの見方があまり詳しくなくて、「サッカーを知る努力をしたら見方が変わるのでは」と考えて、母と2人でサッカー4級審判員の資格を取得しに行きました。資格は今も毎年更新しています。
【引用元:マイナビニュース】
また同じ中学2年生の2015年に、影山優佳さんは、AKB48グループのオーディションにチャレンジしました。
第2回 AKB48グループドラフト会議の最終候補者まで進むも、残念ながら指名されず落選。
その後、2016年5月8日に『けやき坂46(ひらがなけやき)オーディション』に合格し、同月11日にお披露目されました。
そして2017年4月、筑波大学附属高等学校に内部進学し、影山優佳さんは、高校ではクイズ研究会に所属。
私はクイズ研究会部出身で、高校2年生の時に、部活で(多数の高校が集まる)クイズ大会の運営をしてた時に中学生で来てくれた子たちが何人か出場してるんです。
私が知ってるその小さかったみんなが成長してこの大舞台に立ってる姿は私にしか感じられないような感動がありました。【引用元:マイナビニュース】
また、2017年11月6日放送の『欅って、書けない?』では国語の偏差値が80あったことを公表しています。
優秀な影山優佳さんは、東京大学文科一類 に合格したいと語っていたほどで、2018年6月1日に、影山優佳さんは、学業に専念するために一時活動を休止します。
メンバーの影山優佳ですが、学業のためけやき坂46の活動を一時休止することが決まりましたので、ご報告いたします。
復帰の時期に関しましては、決まり次第ご報告させていただきます。
つきましては、けやき坂46(ひらがなけやき)「走り出す瞬間」ツアー2018には参加致しません。
けやき坂46 1stアルバム 『走り出す瞬間』 発売記念 個別握手会には予定通り参加致します。
影山優佳、けやき坂46の応援のほど、引き続き何卒よろしくお願い致します。欅坂46運営委員会
【引用元:欅坂46OFFICIAL WEBSITE】
そして2020年3月、高校を卒業したことを、学校の先生や友人、家族への感謝の気持ちとともにブログで報告しました。
「ご報告ブログの後一発目何書こうかな~とずっと考えておりまして、これしかない!というものがございました。そう!高校卒業について!」とし、「活動休止させていただいてから、通っていた高校をちゃんと卒業すべく無我夢中でお勉強し、先日ついに卒業することができました!」と無事に高校を卒業したことを報告。学生生活を支えた先生や友人、家族などへの感謝をつづった。
【出典元:ORICONNEWS】
影山優佳さんは、2020年5月26日に公式サイトで活動再開が発表されます。
2018年8月より活動を休止しておりました影山優佳ですが、本日よりリモートとはなりますが、活動を再開致します。
皆様引き続き応援のほどよろしくお願い申し上げます。【引用元:日向坂46OFFICIAL WEBSITE】
また、頭脳派である影山優佳さんは、新型インフルエンザ流行によるステイホーム期間中には、歯科助手や心理カウンセラーなど6つの資格を取得したとか。
影山がこの機会に取得した資格は、なんと全部で6種類。その数に松田は驚きつつ、詳細について尋ねた。
影山:ステイホーム期間(に取得した資格)でいうと、世界遺産検定2級、ニュース時事能力検定2級、不動産知識検定、薬学検定1級、歯科助手、心理カウンセラー。
松田:えっ、それをステイホーム期間に全部取ったんですか?
影山:そう……(笑)
【引用元:ニッポン放送NEWSONLINE】
そんな優秀な影山優佳さんが、どこの大学に進学したのかファンは気になっていましたが、体調不良により受験勉強ができなくなり、大学に進学しなかったことを発表しています。
「影山は大学受験について『状況的にあきらめなければならなくなってしまって』と告白。これ内緒なんですけどと前置きしつつ、具体的な原因は不明ながら体調が悪くなり、受験勉強や入学試験を続けることができなくなったことから『大学受験あきらめましょうってなったんです』と告白していました。放送終了後には公式ブログにも『原因のわからない体調不良により受験を諦めなければならなくなりました』との説明を公開しています」(前出・アイドル誌ライター)
これまで大学受験の結果について一切触れることなく、2020年7月に復帰を果たしていた影山。冠番組「日向坂で会いましょう」(テレビ東京)での発言などから、第一志望とみなされていた東京大学への入学は叶わなかったものと見られていたが、ファンのあいだでは他大学への進学説や浪人説が取りざたされていた。
【引用元:モデルプレス】
大学受験はしませんでしたが、影山優佳さんはMENSAに入ったことをインスタグラムで報告しました。
MENSAは、知能指数が上位2%に入る人たちが集まる国際的なグループです。
この団体には、芸能界からはお笑いコンビ「ロザン」の宇治原史規さんや、脳科学者の茂木健一郎さんも所属しています。
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2023年2月17日には9thシングルでの活動をもって日向坂46から卒業することを発表し、同年10月13日にはプロダクション尾木に移籍します。
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影山優佳の父親はどんな人?サッカーマニアで影山優佳の大ファン!
影山優佳さんのお父さんの名前や年齢、職業は公表されていません。
「日産の役員」や「みずほフィナンシャルグループ」で働いているとか、京都大学出身という噂がありますが証拠はありませんでした。
影山優佳さんは中学受験をされているということを考えると、大手企業に勤務している可能性が高そうです。
また、影山優佳さんのお父さんの顔画像も、一般人のため公開されていません。
ちなみに影山優佳さんのお父さんは、元サッカー選手で現サッカー指導者の影山雅永(かげやままさなが)氏ではないかという噂があります。
しかし、影山優佳さんのお父さんは、サッカーのプレイ経験がありませんし、会社員と言われています。
なので、影山雅永氏が、影山優佳さんのお父さんではありません。
影山優佳さんのお父さんは、元サッカーの選手や監督ではありませんが、「サッカーマニア」としてファンに知られています。
影山優佳さんと一緒で、サンフレッチェ広島のファンだとか。
影山優佳さんが1歳のとき、日韓ワールドカップの観戦に連れて行ったのもお父さんでした。
また、影山優佳さんが元日本代表の名波浩さんが1998年フランスワールドカップで着用していたユニフォームを持ち帰ったときには、お父さんは大はしゃぎしたそうです。
そんなお父さんですが、娘のことが大好きで、影山優佳さんの写真入りTシャツを自作しているという話など、溺愛ぶりを影山優佳さんにTVで暴露されています。
私の父が私のことを大好きで、Tシャツを自作するんです、と語る影ちゃん。本人用とお父さん用とで2枚です。#日向坂で会いましょう#日向坂46#影山優佳 pic.twitter.com/4CBITu2FTP
— めめまいにゃん (@memeru_mainyan) August 9, 2020
影山優佳の母親はどんな人?元もんじゃ焼き店経営でサッカー好き!
影山優佳さんのお母さんの名前や年齢については公表されていませんが、職業については元もんじゃ焼き店の経営者だそうです。
2022年4月24日放送のテレビ東京「日向坂で会いましょう」の番組内で、母親がもんじゃ焼きのお店をやっていたことを影山優佳さんが明かしています。
現在も自宅のリビングにお店で使われるのと同じサイズの鉄板があることを紹介しています。
カゲサポメモ✏
影山優佳はもんじゃ焼きガチ勢アイドル番組「日向坂で会いましょう」で、母親がもんじゃ焼き屋さんをやっていたことを紹介。また影山家のテーブルには特注の鉄板がついていて、いつでももんじゃ焼きが作れるぞ。 pic.twitter.com/s4BsqiUHOg
— カゲサポ!!⚽ (@kage_supporters) January 6, 2023
ちなみにお母さんも、影山優佳さんやお父さんと同じで、サッカー好きです。
そんな影山優佳さんのお母さんですが、顔画像は一般人のため公開されていません。
影山優佳さんはサッカーの審判4級の資格を持っていますが、お母さんも同じ資格を持っているそうです。
また、影山優佳さんのお母さんは、影山優佳さんを妊娠中にシドニーオリンピックのサッカーを観戦するために現地まで足を運んだとか。
お母さんの教育方針としては、「褒める教育」を意識していました。
例えば、影山優佳さんの箸づかいを褒めたら、嫌いだった魚を食べるようになったという成功体験から、他のことでも褒めて伸ばそうと決めたそうです。
5月8日の番組収録中に娘が生まれたMCの春日俊彰(オードリー)に、「理想の娘」を育てる参考にするため、人生の先輩方(メンバーの親御さん)から子育てのアドバイスをもらう今回の企画。
中でも「娘にやると喜ばれること」のアンケートで、「とにかく褒める」と答えた影山の母は、その理由を「箸づかいを褒めたら、嫌いな魚を食べるようになった」と回答。
【引用元:WEBザテレビジョン】
影山優佳さんのお母さんが工夫して育児をしたおかげなのか、影山優佳さんとは非常に仲が良いようで、2022年12月21日、お母さんとクリスマスマーケットに行ったことをインスタグラムで報告しています。
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影山優佳の弟はどんな人?頭脳も優秀なサッカープレイヤー!
影山優佳さんの弟は、秀人(しゅうと)という名前です。
2002年生まれで、年齢は影山優佳さんの1歳年下です。
21歳になりました🎂🎁🎉
僕は本当に多くの”人”に恵まれ、支えてもらっているとので僕自身も多くの人に何かを与えられるような人になります!!#21歳#11月7日#誕生日 pic.twitter.com/Fu2n6Pwjg7— 影山秀人 (@ROMA16CESTLAVIE) November 7, 2023
影山優佳さんの弟の名前「しゅうと」はサッカー用語の「シュート」から、また、日韓ワールドカップ開催年の2002年生まれにちなんでつけたそうですが、シュートが一番苦手だとか。
また、姉の優佳の「優」と弟の秀人の「秀」には「姉弟ともに優秀な人物に育ってほしいという願いが込められています。
影山優佳さんの弟は、小学校から高校まで、東京の名門私立暁星学園(偏差値:小学校61、中学校58)に通っています。
影山優佳さんとは仲が良いようで、影山優佳さんの弟がサッカーを始めたのは、影山優佳さんの影響なんだそうです。
先日には自身のツイッター(@ROMA16CESTLAVIE)で、3月8日に発売が決定した「影山優佳1st写真集」に反応。影山優佳の弟であることを“公表”した。「戦略的に公表したつもりもなくて、学校とかでも聞かれればそうだよと答えるし、兄弟で仲がいいので、その一環でという感じです」。あくまでも姉弟であることは、「付加価値として」大事にしていきたいと強調する。
【引用元:ゲキサカ】
影山優佳さんの弟は、横浜F・マリノスユースを経て、高校では暁星高校サッカー部で1年までプレー、2年生からは三菱養和SCユースに所属しました。
ちなみに影山優佳さんの弟は、三菱養和SCユース所属時はキャプテンを務め、監督の生方修司さんも、弟さんの実力を認めています。
生方監督は昨年、練習参加した彼を見て、実力以上に、「自分にも凄く厳しい子だから、今年のチームに必要なピースかなと。本当に魂あるし、影響があるんじゃないか」とその情熱、人間性を評価。クラブと相談して迎えたという。影山はJクラブアカデミーや高体連で経験してきたことを自分の強みとして練習、試合に臨み、チームに厳しさや逞しさという部分でプラスアルファをもたらしている。
【引用元:ゲキサカ】
影山優佳さんの弟は、サッカーの実力者であるだけでなく、三菱養和SCユース時代、選手入場時にぐずったエスコートの子供を抱っこして運んであげたことがある好青年なんだそうです。
ちなみに(個人的に)優勝した影山選手ですが、選手入場時にエスコートのお子様がグズって動かなくなってしまったのを抱っこして運んであげる好青年でもあるのでそこは伝えておきたい。 https://t.co/qhxaTNAF0O pic.twitter.com/X9XKYd6Lel
— 月光ながら (@gekko_nagara) February 11, 2020
暁星高校卒業後、影山優佳さんの弟は、関東一部リーグに所属する強豪校の国士舘大学に進学し、サッカー部に所属しました。
影山は中学時代、横浜F・マリノスジュニアユースでプレー。同時に幼小中高一貫教育の暁星中に通っていた影山は、高校から暁星高サッカー部に入部する。チームでは1年生ゲームメーカーとして選手権予選でも目立つプレーを見せ、U-16東京都選抜ではキャプテン。その実力者は昨年から三菱養和SCユースに加入している。
【引用元:ゲキサカ】
影山優佳さんの弟は、国士舘を選んだ理由について、「自分の頑張りを一番評価してくれるのは国士舘と感じた」と語っていました。
「マリノスは技術的に優れたチームで、とにかくポゼッションの練習が多くて、暁星でずっと走り込みのチームを経験して。養和は比較的自由で、長所を生かす中でやらせてもらって。その中で自分がプロになるためにどういうチームかと考えた時に、自分は技術的なところが長所だと思ったけど、上手い人は本当に上手い。だから技術的な練習が多い大学に行ったら僕はつぶれるなと思った。国士舘は努力が評価される場であるなと感じた。その頑張りを、プロセスを、評価してくれるの国士舘が一番自分に合う場であると感じたので決めました」
【引用元:ゲキサカ】
順風満帆だった弟さんですが、2024年3月の練習中に意識を失い、サッカーを続けられなくなったことを2024年5月15日に自身のX(旧Twitter)で明かしています。
倒れてから10日が経ちました。
復帰の目処は立っていませんがまたピッチに戻れるようにやれることを少しずつ取り組んでいきます。
※動画は離脱前の紅白戦でのプレーです。#脳震盪#国士舘大学 pic.twitter.com/RNejKjMGwR— 影山秀人 (@ROMA16CESTLAVIE) March 25, 2024
影山優佳の弟さんは、才能にあふれながらサッカーができなくなるという、絶望して自暴自棄になってもおかしくない状況下で、次のような前向きなメッセージをXに投稿しました。
「僕は今生きていて人生は続く。命を落とす可能性もあった中で意識が戻った。そんな幸せ者の自分にできることは、これまでのサッカー人生よりも豊かな人生を送ること」
【サッカーを続けられなくなりました。】
これまで僕のサッカー人生に関わってくれた全ての方々へ感謝の思い、そして僕自身の現在の心境を伝えたいので拡散していただけると幸いです。
秀人(シュート)という名前で生まれ、始まった僕のサッカー人生に突然終わりがきてしまいました。… pic.twitter.com/W69vLe6zn5
— 影山秀人 (@ROMA16CESTLAVIE) May 15, 2024
影山優佳さんも同日に自身のInstagramのストーリーズを更新し、弟へのメッセージを投稿しました。
影山優佳さんの弟は、倒れる以前の2023年7月8日、笑う門には福来ると投稿していました。
笑う門には福来る😊 pic.twitter.com/w3mqRoVl0J
— 影山秀人 (@ROMA16CESTLAVIE) July 8, 2023
影山優佳さんも「笑ってりゃなんとかなる!」とインタビューで語っています。
笑顔あふれる未来がきっとくることでしょう。
――影山さんが“大切にしている言葉”はありますか?
“笑ってりゃなんとかなる!”という言葉です。影響されやすい自分の性格を利用して、“笑ってりゃなんとかなる!”って口ずさむことで、自分を肯定してあげるような習慣というかルーティンというものが昔からありました。つらいことがあっても、笑って。自分、笑ってって言い聞かせて乗り越えてきたなって思います。
【引用元:日テレNEWS】
影山優佳の家族構成まとめ
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家族構成 | 詳細 |
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父 | 名前非公開。サッカーマニアで影山優佳の大ファン。 |
母 | 名前非公開。元もんじゃ焼き店経営、サッカー好きで4級審判資格を持つ。 |
弟(秀人) | 2002年11月7日生まれ。サッカーエリート。名門私立暁星学園出身、国士舘大学サッカー部所属。2024年3月に脳震盪の影響によりサッカーを続けられなくなる。 |