この記事では、さかなクンの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介しています。
さかなクンは、魚の知識を豊富に持つタレントとして知られていますが、その背景にはどのような家族のサポートや幼少期の経験があったのでしょうか?
家族それぞれの特徴を知ることで、さかなクンがどのようにして現在の位置にたどり着いたのかがわかり、また、幼少期のさかなクンがどのような興味を持ち、成長していったのか、具体的なエピソードを交えて紹介しています。
目次
さかなクンの家族構成!父・母・兄の4人家族
さかなクンの家族構成は「父親・母親・兄・本人」の4人です。
長男:弟想いで優しい母親似。楽器をしており同じステージに立ったことも
次男:さかなクン本人
また、さかなクンの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
祖母:詳細不明
さかなクンの生い立ちや学歴!絵を描き魚を学び夢叶えた!?
- 名前:さかなクン
- 本名:宮澤 正之
- 生年月日:1975年8月6日
- 身長:非公表
- 体重:非公表
- 血液型:O型
- 出身地:東京都(神奈川県綾瀬市育ち)
- 学歴:綾瀬市立北の台小学校→綾瀬市立北の台中学校→神奈川県立綾瀬西高等学校(偏差値41)→日本動植物専門学院アニマルケアー科(偏差値なし、現在は廃校)
さかなクンの幼少期はトラックの絵ばかり描いていた!?
さかなクンは1975年8月6日に東京都で生まれました。
さかなクンが4歳の時、家族と共に神奈川県綾瀬市に移住しました。
家族は父親、母親、兄、そしてさかなクンの4人家族です。
さかなクンは幼少期から絵を描くことが好きで、トラックの絵ばかり描いていたようです。
ギョギョギョ!! さかなクンです。 自分は、小さい頃からとにかく絵を描くのが好きだったので、夢中で何か描いてました。ギョ(5)歳くらいのときはダンプカーとかギョ(ご)み収集車が大好きで、トラックの絵ばかり描いてました♫
【引用元:小学一年生】
さかなクンの小学校時代の興味は妖怪→タコ!
さかなクンは神奈川県綾瀬市立北の台小学校に1982年4月に入学し、1988年3月に卒業しました。
さかなクンは小学校1年生の頃、水木しげる先生が描く妖怪に夢中になりました。
水木しげる先生の妖怪の絵を見たとき、「おお、怖い!」という印象を受けたそうです。
そして、よく見てみると、点々が集まって絵になっていることに気づいて、「すごいな~、こういう絵があるんだ!!」と感動し、妖怪も夢中で描いていたようです。
小1くらいのときは水木しげる先生の描かれる妖怪が大好きになって、妖怪も夢中で描いていた記憶がギョざいます。水木先生の妖怪の絵を見たときに「おお、怖い!」って印象があって。よーく見たら、点々で描かれてるんですよね。点々が集まって絵になってるんだ、すギョいな~、こういう絵があるんだ!! って。
【引用元:小学一年生】
そんな、さかなクンは小学校2年生の時に、友達が描いたタコの絵を見て、魚への興味を持つようになりました。
最初にタコの絵に衝撃を受けたさかなクンは、「実際にタコを見てみたい」と思い、近くの漁港や水族館に通うようになりました。
また、友達から「タコ」とからかわれることもありましたが、さかなクンは「タコ」と呼ばれることが嬉しくてポジティブに受け取り、逆に友達に魚の魅力を伝えるようになりました。
「確かに、夢中でタコの絵を描いていたら、最初はからかわれて、『やーい、タコタコ』とか言われたんです。でも、自分は『タコ』と呼ばれることが嬉しくて。『タコって呼んでくれてありがとう!』。冷静に考えれば、からかいだったんだと思うんですけど、『タコ、ターコ』って言われて『そうだよ、タコだよ』なんて返してたら、からかいがいがなくなっちゃったんでしょうね。『そんなタコって面白いのかよ?』ってなって。『だったら、俺たちにも見せてくれよ』、『じゃあ、一緒に磯へ行こう!』って、そうやって自然に、みんなでワイワイガヤガヤと……」
【引用元:Yahoo!ニュース】
さかなクンの小学校時代の興味はタコ→魚全般へ!
それからは、タコを観察することに夢中で、次第に魚全般にも興味が広がり、魚の図鑑を読み、図鑑にのっている魚に会ってみたいと思うようになりました。
「最初はタコに夢中で、そこからいろんなお魚に夢中になっていきました。図鑑を読んでいると、こんなお魚がいるんだ、このお魚に会ってみたいとワクワクするんです。同世代の方にとってのアイドルとか、プロ野球選手みたいな存在」
【引用元:モデルプレス】
特にお母さんに連れて行ってもらった水族館で、たくさんの魚に魅了されたことが、さかなクンの興味の幅を広げるきっかけになりました。
また、魚屋にも毎日のように通い、珍しい魚が入ると連絡をもらうほど、魚屋の店員さんとも仲良くなり、丁寧に魚のことを教えてもらった経験が、さかなクンの知識の基礎となりました。
さかなクンは小学校6年生の家庭科の時、担任の先生の勧めで、魚を絵で紹介する新聞を作り、「みんなが魚についてワクワクする気持ちをわかってもらえて嬉しかった」と楽しそうに語っています。
さかなクンは小学6年の家庭学習で、魚釣りや魚の食べ方、飼育についてなど得意の絵で紹介する新聞を作った。「職員室で釣り好きの先生とかの話題になって、担任の先生から『新聞にしてごらん』と勧められました。教室に張り出されて、みんなが読んでくれて、魚にワクワクする気持ちを分かってもらえたのが、うれしくて、うれしくて……」と楽しそうに話す。
【引用元:ひとシネマ】
ちなみに、さかなクンの小学校の卒業文集には、「東京水産大学(現・東京海洋大学)の博士になって、自分の絵でお魚の図鑑をいっぱい作り、みんなに見てもらいたい」と書いていました。
小学生の時の卒業文集には、「東京水産大学(現・東京海洋大学)の博士になって、自分の絵でお魚の図鑑をいっぱい作り、みんなに見てもらいたい」と書いた。
【引用元:Yahoo!ニュース】
さかなクンの中学校の部活は水槽学と勘違いして入部!?
さかなクンは綾瀬市立北の台中学校に1988年4月に入学し、1991年3月に卒業しました。
中学校時代もさかなクンは魚への情熱を持ち続け、「吹奏楽部」を「水槽がたくさんあるクラブ」と勘違いして入部しました。
さかなクン:吹奏楽部は「水槽がたくさんあるクラブ」と勘違いしちゃったんです。
【引用元:NEWSポストセブン】
実際には水槽はなかったものの、吹奏楽部ではトロンボーンを担当することになり、吹奏楽部での活動を通じて、さかなクンは楽器の音にも興味を持つようになりました。
しかし、さかなクンが中学1年生のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に誰も話しかけなくなる出来事がありました。
また、いばっていた先輩が3年生になった途端、無視されるようになったこともあり、このようなことが急に起こったため、その理由は全くわかりませんでした。
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
【引用元:朝日新聞】
ただ、さかなクンはいじめる子たちに「なんで?」と聞くことができませんでした。
でも、仲間はずれにされた子と一緒によく釣りに行き、学校から離れて、海岸で一緒に釣りをしているだけで、その子はほっとした表情になっていました。
話を聞いたり、励ましたりはできなかったけれど、さかなクンが隣にいるだけで、その子は安心できたのかもと、さかなクンは言っています。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
【引用元:朝日新聞】
中学3年生のさかなクン、カブトガニの人工孵化に偶然成功!?
さかなクンは、中学3年生のある日、鈴木先生に職員室へ呼び出されました。
吹奏楽部の顧問だった鈴木先生は、理科の先生でもありました。
「怒られるのかな」とドキドキしながら行ってみると、理科室にカブトガニがおり、中学1年の男の子の祖父が九州で漁をしていて、偶然網にかかったカブトガニを生きたまま資料用に学校に送ってくれたそうです。
そのカブトガニの飼育方法について、鈴木先生がさかなクンに相談したそうです。
吹奏楽部の顧問の鈴木先生が、理科の先生でもありました。中学3年生のある日、鈴木先生から職員室に呼び出されました。「なにか怒られるのかな」とドキドキしていったら、理科室にカブトガニがいたんですよ!当時1年生の男の子のおじいさんが九州で漁をしていて、偶然網にかかったのを生きたまま、資料用に学校に送ってきたんですね。その飼育方法について、鈴木先生から相談されました。
【引用元:NEWSポストセブン】
カブトガニはとても元気で、持ち上げると脚がぶつかり合ってカチャカチャと音を立てながら動き回っていました。
そして、さかなクンは、吹奏楽部の朝練習の前や放課後には、水槽から理科室の床に出して、メスのカブトガニとオスのカブトガニの2匹を出して散歩させていたそうです。
そのカブちゃんは凄く元気で、持ち上げると脚と脚がぶつかってカチャカチャするくらい動き回るんです。水槽から理科室の床に出して散歩をよくさせていました。これがメスで、オスも送られて来ました。吹奏楽部の朝練習の前と放課後には2匹目を出して、よく散歩させていました。カチャカチャと音をさせながら歩き回っていました。
【引用元:NEWSポストセブン】
そんなある日、オスのカブトガニがメスの後ろからしがみついていることがあり、「あれ?交尾かな?」と思って見ていると離れて、目を離すとまたくっついていました。
そうしているうちに、水槽の水にトウモロコシの粒みたいな黄色いものが浮かび、誰かがイタズラでおもちゃのボールでも入れたのかと思って手で掬ってみると、ブヨブヨしていました。
そしてそれを顕微鏡で確認したところ、卵でした。
カブトガニが水槽の中で産卵することも、孵化することも珍しいことだそうです。
たぶん水槽から出して散歩させていたのが、潮の満ち引きのようなリズムになって、カブトガニが勘違いしたのかもしれないと、当時を振り返ってさかなクンは話しています。
オスがメスの後ろからしがみついていたんです。「あれ?交尾かな?」と思って見つめると離れる。目を離すとまたくっついている。そうするうちに水槽の水にトウモロコシの実みたいな黄色い粒が浮かんだんですね。誰かイタズラでおもちゃのボールでも入れたのかと思って掬ってみると、ブヨブヨしている。顕微鏡で確認したら、なんと卵でした。カブトガニが水槽の中で産卵することも、孵化することも珍しいことだそうです。たぶん水槽から出して散歩させていたのが、潮の満ち引きみたいなリズムになって、カブちゃんが勘違いしたのかな?と思います。
【引用元:NEWSポストセブン】
この人工孵化は民間では初の快挙であり、さかなクンが中学3年生の時には地元の新聞に取り上げられるほど話題になりました。
ちなみに、さかなクンは魚好きとして学校内でも有名でした。
さかなクンとドランクドラゴン鈴木拓は中学高校が一緒!?
2022年8月、タレントであり魚類学者でもあるさかなクンの人生を、女優ののんが演じる映画「さかなのこ」があり、その完成報告上映会の時のインタビューがあります。
この映画に出演しているお笑い芸人ドランクドラゴン鈴木拓さんは、中学と高校の同級生であるさかなクンの誕生日を祝うため、サプライズゲストとして登場しました。
ドランクドラゴン鈴木拓さんは、「中学、高校が一緒で、高校時代は前の席だった。体操着を借りたこともある」と話しました。
タレントで魚類学者のさかなクンの人生を女優・のんが演じる異色の映画。映画に出演した鈴木は中学、高校の同級生であるさかなクンの誕生日を祝福するため、サプライズゲストとして登場。「中学、高校が一緒で、高校時代は前の席だった。体操着を借りたこともある」とエピソードを披露した。
【引用元:スポーツ報知】
さかなクンの高校時代は登山部から吹奏楽部へ!?
さかなクンの出身高校は神奈川県立綾瀬西高校(偏差値41)で、1991年4月に入学し、1994年3月に卒業しました。
さかなクンは高校時代も魚が大好きで、鉛筆や消しゴム、下敷きまで持ち物の全てが魚関係のグッズだったそうです。
高校1年生のときは、さかなクンの父親が山登りが好きで、小さい頃に一緒に山登りをしていた影響で、登山部に入部しました。
高1のときは登山部でした。父が昔から山登りが好きで、小さい頃はしょっちゅう山登りに連れてかれてたんです。ほんとに苦しくて「やだー、もう行けないよ~」って言いながら登ってました。だけどどこか父との思い出を懐かしく思ったようで、気づけば入部してました。
【引用元:小学一年生】
しかし、中学時代に吹奏楽部だったことから、高校2年生の頃から吹奏楽部に所属し、クラリネットを担当していました。
さかなクンは高校3年生で芸名「さかなクン」と呼ばれる!
高校3年生の時、さかなクンはテレビ東京のバラエティ番組「TVチャンピオン」の「第3回全国魚通選手権」に出場し、「天才高校生」と呼ばれ準優勝しました。
この出来事がきっかけで、さかなクンは有名になり、その後の大会で5連覇という快挙を成し遂げました。
『TVチャンピオン』大食いから手先が器用まで…もう一度見たいリクエストSP
高校生時代のさかなクン#TVチャンピオン pic.twitter.com/pEjJCfdo44— ㋙㋮㋡㋤③ (@komastuna_3) May 10, 2020
この頃から現在の芸名である「さかなクン」と呼ばれるようになりました。
こうして「第4回全国魚通選手権」から5連覇を果たし、殿堂入り。そして少年だった宮澤正之は、ある時からハコフグの帽子がトレードマークのタレント「さかなクン」(ちなみに名付け親は、中村有志である)として、ユニークなキャラクターが人気を呼び、テレビでもよく姿を見るようになった。
【引用元:livedoor News】
ちなみに、当時は今のトレードマークであるフグの帽子はかぶらず、制服や私服で出演していました。
また、さかなクンは高校時代にスーパーマーケットの鮮魚コーナーや熱帯魚店でアルバイトをしていました。
鮮魚コーナーの店長は厳しい人でしたが、さかなクンが大きなマグロを5分でさばく腕前を持っていたため、その厳しい店長から尊敬されていたそうです。
なお高校時代のさかなクンは自分では普通にしているつもりでも、周りから見たら危なっかしく見えていたようで、同学年の友達も兄貴のように接してくれて、さかなクンは弟のような存在でした。
家族や学校の先生、友達がずっと気にかけてくれて、さかなクンが挫折しそうになった時も支えてくれたそうです。
「人には、とにかく恵まれてきたと思います。どうしてか…、いや、自分は普通にしているつもりなんですけど、周りの人たちから見たら、危なっかしいんですかね。同学年でもみんな、兄貴みたいな感じで、自分がみんなの弟。俺たちがなんとかしてやらないとミー坊(当時のあだ名)は大変、心配だよな、って、そんな感じで思ってくれてたんですね、たぶん。挫折しそうになったことも、山のようにあります。でも、家族、学校の先生、友達が、ずっと気にかけてくれて、今の自分があります」
【引用元:Yahoo!ニュース】
さかなクンは専門学校へ進学しアルバイトでも魚を学ぶ!?
さかなクンは大学には進学せず、日本動物植物専門学院のアニマルケアー科に1994年4月に入学し、1996年3月に卒業しました。
さかなクンは、動物や水族館について学べる専門学校に進学することにしましたが、入学したとき希望していた海洋生物学科が廃止されていました。
どうしようかと悩みましたが、水族館について学べるアニマルケア科があったので、そこで水族館の実習を体験したり、魚以外の動物についても学びました。
いろんな生き物に接するうちに、魚も動物も人間もすべてつながっているという考えに至り、さかなクンは専門学校に入ったことは意味があったと感じているそうです。
「小学生の頃から、とにかくお魚に夢中でした。勉強そっちのけでしたんで、東京水産大学に進学するなんて夢のまた夢。それで動物の専門学校に入ったんですけれども、目的だった海洋生物学科が廃止になってしまったんです。どうしよう、と思いましたが、水族館のことも学べるアニマルケア科という学科があったので、そこで水族館の実習を体験したり、お魚以外の動物についても学ぶことができました。いろんな生き物に接しているうちに、だんだん、お魚も、動物も、人間も、すベてつながっているんだなという考えになっていったのです。だから、やっぱりあの専門学校に入ったことは、意味があったんだなと」
【引用元:Yahoo!ニュース】
なお、専門学校時代に、さかなクンは水族館での実習や熱帯魚店でのアルバイトを経験し、熱帯魚店では住み込みの店長として働き、世界中の魚に触れていました。
また、寿司屋のアルバイトでは、失敗が多く「すし職人に向いてないな」と思ったそうですが、大将から「これだけ面白い魚の絵を描くんだから、うちの店の壁いっぱいに絵を描いてくれよ」と言われ、壁に魚の絵を描いたところ評判になりました。
専門学校を卒業した後、おすし屋さんでバイトを始めましたが、おすしを握るのが苦手だったんです。シャリがぼろぼろになったり、おにぎりのように大きくなりすぎてしまったり。皿洗いや甘エビの殻剥(む)きばかりで「自分はすし職人に向いてないな」と思いました。
けれども大将が「これだけ面白い魚の絵を描くんだから、うちの店の壁いっぱいに絵を描いてくれよ」と言い、画材をそろえてくれました。とてもうれしくて外壁にクロマグロやマンボウ、バショウカジキなどをどんどん描いていくと、車通りの多いところだったのでバスに乗っている人や通りがかりの人からたくさん声をかけてもらいました。
【引用元:産経新聞】
さかなクンは専門学校卒業後テレビ出演や大学の客室教授へ!?
さかなクンは専門学校を卒業した後、就職せずにアルバイトをしながらイラストレーターとして活動を始め、2000年頃から、豊富な魚の知識が注目されてテレビに登場するようになりました。
ちなみに、最初はトレードマークのハコフグの帽子をかぶっておらず、2001年にTBS系「どうぶつ奇想天外」に出演した際、ディレクターから「印象が薄い」と言われたことで帽子をかぶるようになりました。
さかなクン、『どうぶつ奇想天外』スタジオ初登場。/『金スマSP』12/18 pic.twitter.com/zzDtpoT40n
— 飲用 (@inyou_te) December 18, 2015
2002年にはフジテレビ「笑っていいとも!」の曜日レギュラーに起用され、そのことで知名度が大幅に上昇し、その後もタレントとして様々なテレビ番組に出演し、人気を博しました。
そして、2006年には、東京海洋大学の客員准教授に就任し、2015年には同大学から名誉博士号を贈られました。
2022年には東京海洋大学の客員准教授から客員教授になり、学長から「東京海洋大学は海を広く知ってもらう社会的啓蒙活動の役割を担う。その点でさかなクンはぴかいち」と言われています。
お魚博士として活躍するさかなクンが、東京海洋大の客員准教授から客員教授になった。(中略)同大によると、さかなクンはこのイシガキフグの研究などが評価され、客員教授に昇格したという。式後の会見で井関俊夫学長は「東京海洋大学は海を広く知ってもらう社会的啓蒙(けいもう)活動の役割を担う。その点でさかなクンはぴかいち」と語った。
【引用元:朝日新聞デジタル】
また、さかなクンは、魚に関する知識や功績が学会でも認められており、2010年には絶滅したと思われていたクニマスを再発見するという偉業も成し遂げ、当時の天皇(現上皇)から「さかなクンはじめ、多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います」と感謝の意を述べられました。
かつて秋田県の田沢湖に生息した絶滅種の淡水魚「クニマス」が、山梨県の西湖で約70年ぶりに確認されたのに貢献した東京海洋大客員准教授の「さかなクン」が24日、同大で記者会見し「魚からもらう感動やメッセージをこれからも伝えていきたい」と語った。 天皇陛下が77歳の誕生日の記者会見で今回の業績に触れ「さかなクンはじめ、多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います」と述べられたことにも「感慨無量。幸せな気持ちでいっぱい」と喜んだ。
【引用元:日本経済新聞】
更に、2012年には海に関する研究や啓蒙活動に貢献した「海洋立国推進功労者」として内閣総理大臣賞を受賞しました。
さかなクンは、2020年にYouTubeチャンネルを開設し、さらに、映画「ファインディング・ドリー」では、海洋生物の監修と吹き替え声優を務め、さかなクンの知識が映画制作にも役立てられました。
タレントで東京海洋大学名誉博士のさかなクンが、ディズニー/ピクサーの長編アニメーション「ファインディング・ドリー」で字幕・吹き替え版の海洋生物の監修と、吹き替え声優を務めていることが明らかになった。
【引用元:映画.com】
さかなクンの人柄と意外な一面!?
さかなクンはたくさんの偉大な業績を成し遂げてきましたが、その人気の秘密は、その愛すべきキャラクターにあります。
さかなクンのYouTubeチャンネル「さかなクンちゃんねる」では、魚の解説をしてくれますが、難しい専門用語を使わず、誰にでもわかりやすい言葉で説明してくれます。
さかなクンの誠実さは、さかなクンがテレビで紹介したことが間違っており、フェイスブックで謝罪文を掲載したことからもわかります。
さかなクンは、「チェックできておらず、すみませんでした」と直筆で謝罪し、その誠実な人柄が多くの人に伝わりました。
さかなクンのFacebookで、テレビで紹介したことが間違ってたりするとさかなクン自身が手書きでお詫びを載せたりしてるんだけど、正直謝られても何が違うのかわからないし、そりゃ間違いますわってことばかりだし、多分テレビ見ててもさかなクンにしか間違いがわからないと思います。 pic.twitter.com/Nw7lqyuYOD
— や さ い (@___yasai) April 14, 2017
さかなクンが出演した番組でミスがあったとき、さかなクン自身のミスではなかったにもかかわらず、丁寧に謝罪しています。
「ギョギョ!」のフレーズでおなじみの東京海洋大名誉博士で客員准教授のタレント・さかなクンが、7月28日に出演した番組「ダーウィンが来た!」(NHK)で、自身が紹介した魚の種類にミスがあったとフェイスブックで謝罪した。
【引用元:livedoor News】
さかなクンは現在もTV番組やイベントに出演し、忙しい毎日を送っています。
さかなクンの父親はプロ囲碁棋士も酒好きで酒乱!?
さかなクンの父親はプロの囲碁棋士で現在九段として現役で活躍!
さかなクンの父親は、プロの囲碁棋士の宮沢吾郎さんです。
本名は宮澤 正之といい、1949年11月29日生まれで、2024年7月現在74歳です。
さかなクンの父親は北海道帯広市出身で、木谷實九段の門下生として育ち、日本棋院に所属し、現在も九段として現役で活躍しています。
さかなクンの父親は、囲碁界での個性派として知られ、流行りの布石や定石を嫌い、自分の感性に合う手を追求するスタイルを持っています。
最近でも若手棋士との対戦でその実力を見せ、昭和時代の名棋士としてその名を刻んでいます。
一方で、囲碁以外の場面では、お酒と音楽を楽しむ陽気な一面も持っています。
飲み屋で若者と一緒に楽しむ姿も見られ、その陽気な性格は多くの人に好かれています。
さかなクンの父親は酒癖が悪く母親に当たり散らしていた!?
さかなクンの父親は、さかなクンが幼い時には囲碁を教えましたが、さかなクンはあまり上達しなかったそうで、プロ棋士としての才能は受け継がれなかったようです。
「72歳ですが今も現役で、玄人好みの筋のいい手を打つことで知られます。幼いころにはさかなクンに囲碁を教えたそうですが、まったく上達しなかったそう。才能は受け継がれなかったみたいですね」(テレビ局関係者)
【引用元:週刊女性PRIME】
さかなクンの父親は現在、埼玉県で一人暮らしをしており、元々家族とはあまりコミュニケーションをとらないタイプでした。
普段は物静かな性格ですが、囲碁の対局で負けると酒を飲んで機嫌が悪くなることがありました。
酒乱で、負けたときや機嫌が悪いときにお酒を飲んで、さかなクンの母親に当たり散らすことがあったと報じられています。
「言いにくいんですが……お父さんは、ひと言でいえば酒乱です。普段は物静かだけど、囲碁の対局で負けたりすると、お酒を飲んで、お母さんに当たり散らしていました。夜中に大声が近所に響いていて、なんだか気の毒でしたね」(近所の住民)
【引用元:週刊女性PRIME】
さかなクンの母親は、その影響で顔に青あざを作ることがあり、よく泣いていました。
ただ、両親の仲はよくなかったようです。一家と交流のあったご近所さんによると“お母さんはよく顔に青アザをつくって泣いていた”って……」(さかなクンの幼なじみ)
【引用元:週刊女性PRIME】
さかなクンと父親の関係は断絶状態!!
さかなクンが年齢を重ねるにつれ、父親との関係は次第に疎遠になり、2000年頃からさかなクンのタレント活動が軌道に乗り始めると、完全に断絶状態になったと言われています。
なお父親自身も週刊誌のインタビューで、酒癖が悪いことを認めています。
家庭内での暴力についても否定せず、そのことが原因で家族との関係が途絶えたようですが、離婚はしていないようです。
─かつて、お父さんが家族に暴力を振るっていたと話す人がいます。 「……そう言う人がいるのなら、そのとおりなのでしょう」 否定はせず、酒グセが悪いことも自ら認めた。絶縁の理由については口をつぐんだが、今も離婚はしていないという。
【引用元:週刊女性PRIME】
ちなみに、日頃から家を空けることが多かった父親ですが、さかなクンが通知表をもらってくる日だけは家族で高級寿司屋に行くのが恒例でした。
しかし、成績が悪いと「なんだこれは!!なにやってんだ!どうなってるんだー!」と大声で叱ることもありました。
日頃から家を空けることが多かったという父親だが、さかなクンが通知表をもらってくる日だけは家族で高級寿司屋に行くのが恒例だったという。だが、あまりにも悪い成績に、店の机を叩きながら「なんだこれは!!なにやってんだ!どうなってるんだー!」と、いつもカミナリが落ちたという。
【引用元:JBpress】
さかなクンは父親の厳格な一面を知りつつも、自分の夢を追い続けることを止められることはなかったと語っています。
とはいえ、本の中でさかなクンは〈父は厳格でしたが、それでもお魚ばかりに夢中になることを止めることはありませんでした〉と少年時代を振り返っている。
【引用元:JBpress】
さかなクンの母親は息子を信じ息子の興味に全力サポート!?
さかなクンの母親の誕生日をお祝い!
さかなクンの母親について、名前や年齢などの詳細な情報はありませんが、さかなクンは2015年11月15日、母親の誕生日のお祝い写真を投稿していますので、11月15日生まれです。
さかなクンの母親は1ヶ月間タコ料理を作り続けた!?
さかなクンは幼いころから魚に夢中だったため、母親は一緒に車で海水を汲みに行ったり、水族館に連れて行ったり、さかなクンが絵を描くと褒めたりと常にさかなクンの興味や好奇心を尊重していました。
さかなクンが水槽の前でじっと魚を観察しているときも、母親は急かすことなく「気の済むまで眺めていなさい」と見守り続けました。
また、母親自身も息子が興味を持っている魚に興味を持ち、一緒に楽しむ姿勢を持っていました。
なお、さかなクンがタコに夢中になったときは、食卓に1ヶ月ほどタコ料理を並べるなど、さかなクンの好奇心を支え続けました。
小学2年のとき、タコの絵を見て夢中になり、ぶつ切りでなく丸ごとのタコを母に買ってもらったとのこと。 その日から、考えるのはタコのことばかり。 お母様は嫌な顔ひとつせず、1ヵ月近く、味付けを変えてタコ料理を作ってくれたそうです。
【引用元:幼児教室コペル】
また、母親は夕飯の支度を中断してでも、さかなクンの興味を優先し、魚を見に行くなど、息子の興味を第一に考える姿勢を貫いていました。
そしてさかなクンがウマヅラハギを家で飼いたいと思ったときには、母親はすぐに鮮魚店に連れて行きました。
しかし、店員がウマヅラハギをさばいてしまうも、母親は口を挟まず、さかなクンが自分で状況に対処するのを見守っていました。
さらに、失敗しても決して叱らず、畳が水槽の重みで痛んでしまったときも「水槽って畳に置いちゃダメだったのね」と言うだけでした。
そして誕生日には新しい水槽を買ってあげるなど、失敗を恐れずに挑戦できる環境を提供していました。
さかなクンの母親は勉強せず魚の絵を描いていた息子を応援!
さかなクンは小学校の授業中も休み時間も魚の絵を描いていて、そのため授業についていけないことが多かったそうです。
家庭訪問のとき、担任の先生は「絵はすばらしいけれど、勉強もするようにしてください」と母親に注意しました。
しかし、母親は「あの子は魚と絵が好きだからそれでいいんです」と答えました。
先生が「将来困るかもしれませんよ」と言っても、母親は「成績が優秀な子もそうでない子もいていい。みんな一緒ならロボットになっちゃいます」と言ったそうです。
小学校では、授業中も休み時間も魚の絵を描いていたので、授業についていけず、家庭訪問で担任の先生から「絵はすばらしいけれど、勉強もするようにしてください」と、注意されたそうです。 ところがお母様は「あの子は魚と絵が好きだからそれでいいんです」と言い、将来本人が困ると言われても、「成績が優秀な子もそうでない子もいていい。みんな一緒ならロボットになっちゃいます」と答えました。
【引用元:幼児教室コペル】
そして学校の成績が良くないときも、母親は息子を信じて応援し続けました。
ちなみにさかなクンがアルバイトしていたペットショップから正社員の誘いを受けたとき、さかなクンはそれを断りましたが、母親は「自分の人生を自分で決めたんだから良い」と言ったそうです。
さかなクンの兄の職業は?弟想いで心優しい母親似の兄!
さかなクンの兄の誕生日をさかなクンがお祝い!
さかなクンには2つ年上の兄がいて、年齢は50歳くらい(2024年7月現在)です。
さかなクンは2017年3月15日に、兄の誕生日をFacebook上で報告しています。
Facebookには兄が中学生の頃からトランペットをしていて、2017年現在もさかなクンと同じステージで演奏していたということから、まだ楽器を続けている可能性が高いです。
さかなクンの兄の職業は弟のサポート?母とさかなクンと3人暮らし!
テレビ東京系で放送されていた、TVチャンピオンにさかなクンが初めて出場したとき、ブイヤベースを飲んだことがなかったことが原因で、決勝で敗れてしまいました。
それを見た兄は、アルバイトでお金を貯め、フランス料理店にさかなクンを連れて行き、味の研究をさせてあげたそうです。
なお兄は、現在は千葉県館山市にある一軒家で、さかなクンや母親と一緒に暮らしています。
また兄の職業は公表されていませんが、サラリーマンやさかなクンが忙しいことから、兄が弟のサポートなどをしている可能性も考えられますが、兄とさかなクンの関係性は良さそうです。
さかなクンの祖父は囲碁の指導者だった!?
2014年の暮れに、さかなクンの父親の兄からの連絡で、祖父の日記帳が見つかったことをさかなクンの父親・宮沢吾郎さんが新聞で語っています。
その日記帳から、さかなクンの父方の祖父は、宮澤四郎さんと言います。
◇みやざわ・ごろう 昨年の暮れ、郷里の北海道帯広市に住む兄から「珍しいものが見つかった。目を通してほしい」と連絡があり、届いたのはA5判和綴(と)じの小冊子でした。(中略)裏表紙には「歴訪者二段・宮澤四郎」とありました。1930年(昭和5年)から翌年にかけて、父が行った囲碁行脚の日記帳です。
【引用元:読売新聞 囲碁コラム】
祖父は長野県出身の1890年生まれです。
その土地では囲碁が盛んで、祖父が25歳に上京した時は相当な打ち手だったようです。
父は長野県の出身で、1890年(明治23年)生まれです。山奥の田舎で、比較的囲碁が盛んな土地柄らしく、25歳で東京に出てきた時には相当な打ち手のようでした。
【引用元:読売新聞 囲碁コラム】
衣料品の仕事をしていた祖父は、旅をしながら囲碁の指導をしていたそうです。
衣料品関係の仕事をしていた父は1930年6月、「東北を手始めに樺太から中国に渡って一旗揚げて凱旋(がいせん)する」と大言壮語して、囲碁行脚に出発したと聞いています。(中略)「芳名録」には交通手段、所要時間、空き日の過ごし方などは記していないため詳細は分かりませんが、かなりの健脚だったことがうかがわれます。そして行く先々で指導料のようなものを頂き、旅路の糧にしていたのではないでしょうか。
【引用元:読売新聞 囲碁コラム】
さかなクンの家族構成まとめ
家族 | 詳細 |
父親 | 宮澤吾郎。プロの囲碁棋士で九段。1949年11月29日生まれ。北海道帯広市出身。酒癖が悪く、家族との関係は断絶状態。普段は物静かだが、囲碁で負けると機嫌が悪くなり、お酒を飲むと母親に当たり散らすこともあった。現在、埼玉県で一人暮らし。 |
母親 | 息子の興味や好奇心を全力でサポート。息子の魚への興味を尊重し、常に見守り続けた。さかなクンがタコに夢中になったときは、1ヶ月間タコ料理を作り続けるなど、息子の好奇心を支え続けた。 |
長男(兄) | さかなクンの2歳上。2024年7月現在50歳くらい。中学からトランペットを続けており、さかなクンと同じステージで演奏することもある。千葉県館山市で母親とさかなクンと一緒に暮らしている。さかなクンがTVチャンピオンに出場した際、味の研究のためにフランス料理店に連れて行くなど、弟をサポート。 |
次男(本人) | さかなクン(本名:宮澤正之)。 1975年8月6日生まれ。タレント・魚類学者。東京海洋大学の客員教授。幼少期から魚に夢中で、魚に対する情熱を持ち続ける。 |
祖父 | 宮澤四郎。 1890年生まれ。長野県出身。囲碁の指導者であり、旅をしながら指導を行っていた。衣料品関係の仕事をしながら、行く先々で囲碁を指導し、旅路の糧にしていた。 |
祖母 | 詳細な情報はなし。 |