吉岡里帆の生い立ちや家族!父親は会社経営のカメラマンで母親は美人!弟は料理人!

吉岡里帆アイキャッチ画像

この記事では、人気女優の吉岡里帆さんの生い立ちや家族について詳しく紹介しています。

吉岡里帆さんがどのようにして夢を見つけ、それを実現させたのか、家族との関係がどのように彼女を支えてきたのか、興味深いエピソードがたくさんあります。

ぜひ最後まで読んで、吉岡里帆さんの魅力をもっと感じてください。

インコちゃん
この記事では、そんな吉岡里帆さんの家族にスポットライトを当ててみました!
宗じい
吉岡里帆さんの行動力と努力が良く分かりますぞ。ワシの飼ってるインコちゃんと共に面白い記事をお届けしますぞ。

吉岡里帆の家族構成!父・母・弟の4人家族

吉岡里帆の家系図

吉岡里帆の家族構成は「父親・母親・本人・弟」の4人です。

父親:映像会社を経営するカメラマンで格闘技道場の館長
母親:美人でアパレルで働いていた。夫の会社設立の際は貯金を軍資金として渡す
長女:吉岡里帆本人
長男:料理人の修行や花田優一の元で靴職人の修行

 

また、吉岡里帆さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?

祖父:伝統芸能が好きで家族で歌舞伎や能などを楽しんでいた
祖母:ちらし寿司など料理上手、働いて買ったダイヤを20歳の孫にプレゼント
インコちゃん
ひとまず、吉岡里帆さんの家族構成がわかりましたね!家族を深掘りするためにも、まずは吉岡里帆さんの生い立ちを見ていきましょう。
宗じい
吉岡里帆さんがどんな幼少期を送って来たのか気になるのぉ〜。

吉岡里帆の生い立ちや学歴!書道から努力して女優の道へ

吉岡里帆の幼少期
吉岡里帆の幼少期
  • 名前(本名):吉岡よしおか里帆りほ
  • 生年月日:1993年1月15日
  • 身長:158㎝
  • 体重:非公開
  • 血液型:B型
  • 出身地:京都府京都市右京区
  • 学歴:小学校→京都市立嵯峨中学校→京都市立嵯峨野高等学校(偏差値65)→京都橋大学文学部日本語日本文学科書道コース3年生まで在籍(偏差値47)→他大学へ転学

 

吉岡里帆の誕生日を母親は成人の日にするために調整出産!?

吉岡里帆さんは、1993年1月15日京都市右京区の太秦うずまさで生まれました

吉岡里帆さんのInstagramで、母親は成人の日に出産するために無理をして1月15日に吉岡里帆さんを産んだそうです。

吉岡里帆さんは頑張って産んでくれた母親に感謝を伝えています

 

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インコちゃん
現在の成人の日は、法改正等で1月第2月曜になっています。
宗じい
わしの誕生日も宗じいの日として盛大に祝ってくれんかの〜。

吉岡里帆の幼少期は日本の芸術文化に囲まれて育った!?

吉岡里帆さんの父親は映像会社を経営しているカメラマンで、母親はアパレル関係の仕事をしていました。

家族は、両親と祖母と3歳下の弟がいて、吉岡里帆さんを含めた5人家族です。

吉岡里帆さんの家族は、映画や演劇、歌舞伎、能、日本舞踊、落語など、さまざまな芸術文化に親しんでおり、幼少期からそのような文化に囲まれて育ちました

インコちゃん
吉岡里帆さんが生まれた太秦うずまさという場所は、日本のハリウッドとも言われるほど映画の町であり、東映や松竹の撮影所が近くにあります。

また、吉岡里帆さんが子どもの頃から映画の撮影風景が日常的に見られ、ちょんまげ姿の人が昼ご飯を食べるためにうろうろしている様子も目にすることがありました。

吉岡里帆さん自身、後にその経験を「映画を撮影している風景が日常だった」と回想しています。

吉岡里帆(以下、吉岡):そうですね。うちは父も母も祖母も映画や舞台が好きで、小さい頃から触れることが多かったんです。生まれが京都なので南座で歌舞伎とか、あとは日本舞踊や古典も好きで、偏ることなくいろいろ好きでいられたのは家族のおかげですね。地元に好きな落語家さんがいて、その人の寄席にも通ってました。でも、仕事にしたいっていう意識が生まれたのは遅かったです。 実家が太秦(うずまさ)で東映も松竹も近くて、ちょんまげの人がお昼ご飯を食べるのにうろうろしてたりとか、映画を撮影してる風景が日常でしたね。

【引用元:日刊SPA!

特に、父親が映像関係の仕事をしていたことや、自主映画を作る人々からの刺激も、吉岡里帆さんにとって大きな影響を与えました。

しかし、女優になりたいという気持ちが芽生えたのは、意外にも遅かったと言われています。

インコちゃん
幼少期から芸術や文化に触れる機会が多かったことが、吉岡里帆さんの現在の幅広い表現力や感性を育んだのかもしれません。
宗じい
家族の趣味や住んでいた環境が、吉岡里帆さんの英才教育となっておったんじゃの〜。

吉岡里帆の小学生時代は書道家を目指していた!

吉岡里帆さんの小学校ははっきりと公開されていません。

しかし、憶測ですが、京都市右京区太秦生まれから京都市立太秦小学校や、同校出身の方のSNSで京都市立広沢小学校、とも言われています。

吉岡里帆さんは小学校に1999年4月に入学し、2005年3月に卒業しています。

吉岡里帆の小学校時代
吉岡里帆の小学校時代
宗じい
京都の小学校なんじゃろ〜けど、まだまだ詳しく調べないと分からんの〜。

そんな吉岡里帆さんですが小学生の頃、当初はテニスをしていましたが、体が弱かったため医師から止められてしまい、その後、小学校2年生の頃から書道を習い始めたそうです。

そして、書道に夢中になった吉岡里帆さんは、日々その練習に励み、小学生の頃にはプロの書道家になりたいと真剣に考えるようになります。

さらに、吉岡里帆さんの書道の腕前は後にテレビ番組で披露されたことがありますが、その技術はかなり高いもので書道8段にまで達しています

吉岡里帆 書道八段の腕前を披露
吉岡里帆 書道八段の腕前を披露【出典:ガジェット通信
宗じい
わしの字は、書道8級くらいかの〜。

なお、吉岡里帆さんは子どもの頃から非常におとなしい性格で、人前に出ると緊張してしまうタイプだったそうです。

そのため、学芸会のような舞台に立つような活動よりも、一人で静かな場所で集中できる書道に強く惹かれていたそうです。

小学生のころは人前に出ると緊張しちゃって、学芸会でも舞台に立つ感じではなかったです。好きだったのは静かな空間。一人でコツコツ没頭できる書道をずっと習っていました。

【引用元:女性自身

インコちゃん
今では有名女優として堂々と演技に励んでいます。

吉岡里帆は小学3年生で初恋相手にチョコを渡す?

吉岡里帆さんの小学生時代には、お笑いコンビ「ネイビーズアフロ」はじりさんにバレンタインデーにチョコレートを渡したエピソードもあります。

このことについて、お笑いコンビ「ネイビーズアフロ」はじりさんが、過去のエピソードとして話しています。

ネイビーズアフロのはじり
ネイビーズアフロはじり【出典:吉本興業株式会社

ネイビーズアフロはじりさんは京都出身で、幼稚園時代には吉岡里帆さんと一緒でしたが、小学校は別々だったそうです。

ある日、小学3年生のバレンタインデーに、吉岡里帆さんがネイビーズアフロはじりさんの家にチョコレートを持ってきて、「好きです」という手紙も一緒に渡したそうです。

その時の思い出として、ネイビーズアフロはじりさんは「その手紙はもうないけど、一緒に撮ったチェキ(写真)はまだ家に残っている」と話しました。

吉岡里帆とネイビーズアフロのはじり
吉岡里帆とネイビーズアフロはじり

また、大人になった吉岡里帆さんがテレビでこの出来事について語り、ネイビーズアフロはじりさんが初恋の相手だったことを明かしていたことも知ったそうです。

ただ、ネイビーズアフロはじりさんは「当時はまだ小学生だったので、恋愛ってちょっとダサいと思っていたから、特に返事をしなかったんだ」と振り返っています。

その後、お返しを持っていこうとしましたが、吉岡里帆さんには会えず、ポストにお返しを入れただけで終わったとのことです。

お笑いコンビ「ネイビーズアフロ」の、はじり(30)の過去に驚きの声をあげた。  京都出身のはじりが「幼稚園が一緒で小学校が別々やったんですけど、小3のバレンタインデーに僕の家に吉岡里帆さんがチョコを持って来てくださって。手紙と一緒に“好きです”と」と吉岡里帆との“つながり”について語り、「その手紙はないんですけど、一緒に撮ったチェキは家に残ってて、大人になって吉岡里帆さんがテレビでその時の話をされてて、“あれが初恋やった”って」と吉岡もテレビで初恋の相手として語っているとした。  ただ、「小学生なので恋愛とかダサいと思ってたんで返事せずにありがとうみたいな感じで。お返し持って行ったけど会えずにポストに入れました」と当時を回想。「一応まだ返事はしてないので告白された状態。僕がOKするか振るか」とボケて笑いを誘った。

【引用元:スポニチアネックス

インコちゃん
吉岡里帆さんとネイビーズアフロはじりさんの当時の純粋な気持ちが感じられます。
宗じい
わしが小学生の頃はバレンタインなんてなかったはずじゃが・・

吉岡里帆の子供の頃は家族で映画やドラマを一緒に観る!?

吉岡里帆さんの家族は、父親が忙しい人で土日に遠出するなどの休日を過ごすことがあまり無かったそうです。

しかし、忙しい父親が帰宅した後に家族全員で映画を楽しむこと、特に金曜ロードショー」や「ゴールデン洋画劇場」を観ることが、家族の大切な習慣だったそうです。

吉岡 うちは父親がすごく忙しい人だったので、土日にディズニーランドに行くとか温泉に行くとか、そういう休日があまり過ごせなかったんです。その代わり、夜にお父さんが帰ってきたら一緒に『金曜ロードショー』や『ゴールデン洋画劇場』を観たり、ドラマ観たりするのが、家族で過ごす大切な時間だったんです。家族ってもちろん世代はバラバラだけど、それでも一緒に楽しめるからいいですよね。家族が仲良くいられるためのツールだったかもしれないです。

【引用元:文春オンライン

また、小学校時代の吉岡里帆さんは、小説や映画が大好きな子どもで、その中でも「マルホランド・ドライブ」という映画が特にお気に入りでした。

映画マルホランド・ドライブ
映画マルホランド・ドライブ【出典:Filmarks映画
インコちゃん
この映画は少し難解で大人向けの作品ですが、吉岡里帆さんは小学生ながらその魅力に惹かれていました。

吉岡里帆の中学校時代は吹奏楽部でアルトサックスを担当!?

吉岡里帆さんは、2005年4月に京都市立嵯峨中学校に入学し、2008年3月に卒業しました。

この嵯峨中学校の創立50周年記念式典で、吉岡里帆さんが卒業生としてサプライズビデオレターを送っています

嵯峨中学校の創立50周年記念式典が執り行われました。(中略) そして最後に,嵯峨中学校卒業生で現在芸能活動をされている吉岡里帆さんからのサプライズビデオレターをいただき,第3部の閉幕となりました。【引用元:京都市立嵯峨中学校

中学時代、吉岡里帆さんは映画「スウィングガールズ」に感動し、その影響で吹奏楽部に入部しました。

インコちゃん
この映画は、田舎の女子高生たちがジャズに魅了され、ビッグバンドを結成し、仲間と共に成長していく青春コメディです。
映画「スウィングガールズ」
映画「スウィングガールズ」【出典:映画の時間

そして、担当した楽器はアルトサックスで、この部活で音楽に対する深い愛着が芽生え、小学生の頃から続けていた書道と並行して、吹奏楽部での活動にも一生懸命取り組んだそうです。

また、吉岡里帆さんは吹奏楽部の活動を通じて「周りを聴くこと」という言葉を学びました。

インコちゃん
これは、吹奏楽部の顧問の先生がよく口にしていた言葉で、周囲の音をよく聴き、全体の調和を大切にするという教えです。

この言葉は、吉岡里帆さんがその後、女優として活動していく中でも大切にしているものであり、常に心に留めていると語っています。

吉岡里帆は中学時代に初めて彼氏が出来る!

吉岡里帆さんは中学生の頃、テレビドラマにも熱中し、特に木村拓哉さん主演の「HERO」と中谷美紀さん主演の「ケイゾク」というドラマがお気に入りで、これらの作品は当時大変人気がありました。

さらに、フジテレビ系の恋愛バラエティー番組「あいのり」もよく見ており、学校でも友達と話題にして楽しんでいたそうです。

そして吉岡里帆さんは、15歳の時に初めて彼氏ができたことも後に明かしています。

吉岡里帆ダウンタウンなう出演
吉岡里帆ダウンタウンなう出演
宗じい
テレビで素直に答えるところがまた可愛いの〜。わしも彼氏候補の一人じゃ!

吉岡里帆は高校名を公の場でばらされていた?

吉岡里帆さんは、京都市立嵯峨野高等学校に2008年4月入学し、2011年3月卒業しました。

インコちゃん
嵯峨野高等学校は京都府内でも有名な進学校で偏差値65です。
吉岡里帆の高校時代
吉岡里帆の高校時代

なお、高校名は映画「ハケンアニメ!」で、おおさかシネマフェスティバルの主演女優賞となり、ステージに上がった時、司会者から「京都出身。嵯峨野高校でしたっけ」と高校をばらされてしまいました

映画「ハケンアニメ!」で主演女優賞に輝き登壇した際、司会の浜村淳から「京都出身。嵯峨野高校でしたっけ」と問いかけられて「高校バラしちゃうんですか!?」と驚く一幕があった。週刊誌記者が語る。

【引用元:アサ芸プラス

吉岡里帆の高校時代は将来に悩み息苦しくなった!

高校では、軽音楽部に所属し、アルトサックスを担当「さくらん」というガールズバンドを結成しましたが、バンド活動はうまくいかず、結局は何もできないまま解散してしまいました。

その後、ソフトボール部のマネージャーを務めましたが、こちらも長く続けることはできませんでした

結局、吉岡里帆さんは勉強に専念することを選び、アルバイトをしながら将来のために貯金をしていたそうです。

インコちゃん
嵯峨野高等学校は学業に力を入れる学校であったため、部活動と勉強を両立することは難しかったのかもしれません。

しかし、高校生活の中で、吉岡里帆さんは自分の将来について深く悩み、勉強を続ける意味や、大学に進学することが本当に自分の目標なのかという疑問にぶつかり、息苦しさを感じることもあったそうです。

「勉強をするのは自分のため。それは分かっていたのですが……」。勉強漬けの毎日に息苦しさを感じていた。「大学に進学する以上の目標が見つからなくて。自分は何に向かって勉強すればよいのか苦しみ、悩みました」

【引用元:高校生新聞オンライン

ちなみに、吉岡里帆さんは、高校2年生の修学旅行で海外に行く予定でしたが、出発の前日にパスポートを無くしてしまい、家中全部探しましたが結局見つからず、修学旅行には参加できませんでした

というのも「高校の修学旅行に行きそびれてるんです。パスポートなくして…」と悔しい過去を語り始めた。(中略)ところが、出発前日にカバンチェックをした際、パスポートがないことが判明。「4泊5日の旅だったんですけど、“絶対2日目でも3日目でも行くから”って友だち、先生に言ったんですけど、家中全部ひっくり返したけど出てこなくて行けなかった…」と悔しそうに振り返った。

【引用元:スポニチアネックス

宗じい
宗じいは修学旅行の思い出はたくさんあるの〜。吉岡里帆さんは修学旅行に行けず残念じゃったの〜。

吉岡里帆は大学で書道を学ぶも後に他大学へ編入!

吉岡里帆さんは、小学校から抱いていた夢である書道家を目指すために2011年4月に京都橘大学文学部日本語日本文学科書道コース(偏差値47)に進学します。

ただ、2015年6月には、吉岡里帆さんは大学3年生で関東の大学に編入東京での芸能活動に専念することを決意し、その後大学卒業しています。

インコちゃん
編入された大学は非公開で詳細不明です。
宗じい
2015年に編入ということは大学入学が2011年じゃから、女優と書道の勉強の両立が大変じゃったんだろうのぉ

吉岡里帆は大学入学直後にエキストラとして映画に出演!

大学入学直後、吉岡里帆さんが18歳の時、嵐山でアルバイトをしていた際に、「8時間空を見上げる体力がある子はいないか」と声をかけられたそうです。

宗じい
エキストラの集め方の方法がすごいの・・

それは、映画「天地明察」にエキストラとして参加する仕事でした。

吉岡里帆さんはそのまま撮影所に行き、町娘の格好をして8時間も空を見上げるだけの撮影に参加しました。

吉岡里帆、映画「天地明察」にエキストラ出演
吉岡里帆、映画「天地明察」にエキストラ出演(中央やや左側、桃色の着物)
インコちゃん
中央やや左側の桃色の着物の女性がエキストラ時代の吉岡里帆さんですね

その時、吉岡里帆さんは映画作りの現場に初めて触れ、多くの人が協力して一つの作品を作り上げることに深く感動したそうです。

吉岡里帆さんは「エンターテイメントを届ける裏には、こんなにたくさんの人々の努力と熱意があるんだ」と強く感じ、その経験が今でも心に残っているそうです。

18歳の時、嵐山のアルバイト先で「8時間空を見上げる体力がある子はいないか」と声を掛けられ、映画のエキストラとして撮影に参加。「(撮影所に行ったら)まさに撮影がスタートしだして、気付いたら町娘の格好をしていて」と振り返った。  8時間ただ空を見上げるだけの撮影だったが、吉岡さんは「あの時の衝撃が今でも忘れられなくて。大勢でものを作るっていうこととエンターテイメントを届けるっていう裏側には、こんなに多くの人の労力と熱が注ぎ込まれているんだ」と感動したという。

【引用元:MANTANWEB

またこの時、映画の撮影現場で出会った同志社大学の演劇部の学生に誘われ、つかこうへいさんの舞台「銀ちゃんが逝く」や「蒲田行進曲」を見に行ったそうです。

そして、その舞台に感動した吉岡里帆さんは、すぐに演劇の世界に強い興味を持ち、自分もその道に進みたいと考えるようになったそうです。

吉岡 私が、(女優という)このお仕事に「夢」を持ち始めたのは、大学時代に初めて観た演劇がきっかけでした。大学に入学してすぐのころ、エキストラとして映画の撮影に参加したことがあるんですが、そこで学生演劇をやっている方と知り合って公演のチケットをいただいて観に行ったことが、人生の転機となりました。その舞台に心を掴まれて、演劇ってなんて素敵なんだろう! と感動したんです。それまでは書道関連の仕事に就きたいと思っていた私の人生が、演劇との出合いによって大きく変わりました。

【引用元:Fany Magazine

宗じい
わしもギャンブルの面白さを知った時から、大金持ちになる思いが大きくなったの〜。

吉岡里帆は京都の大学と東京の俳優養成所で移動する日々!

同じく18歳の時、吉岡里帆さんは映画の撮影現場で知り合った、同志社大学の友人に誘われて小劇場の舞台に立ち、そこで演じた唐十郎の「吸血姫」という作品で主役を務めました。

宗じい
友人に誘われていきなり主役はすごいのぉ・・。宗じいは学芸会で木の役だったわい・・・

難しい物語と役柄で、通常の状態が崩壊するような不思議な感覚があったようで、その後、吉岡里帆さんは演劇の世界にのめり込んでいったようです。

18歳の時に、同志社大学に通っている子たちに誘ってもらって、小劇場で主人公を演じたんです。それが唐十郎さんの「吸血姫」という演目で、すごく難しい物語と役柄だったのですが、そこで内面が割れるじゃないですけど、通常の状態が崩壊するような不思議な感覚に陥って、そこから演技にのめり込みました。

【引用元:ザテレビジョン

しかし、当時の吉岡里帆さんが住んでいた京都では、東京のように多くのチャンスは無いため、吉岡里帆さんは東京の俳優養成所に通い始め、京都での大学生活と東京でのレッスンを両立させるという多忙な日々を送ったそうです。

―― その後、東京の養成所に通われるじゃないですか。なんで東京だったんですか。

吉岡 それはすごくシンプルな理由なんです。やっぱりどのテレビ観ても、どの映画館に行っても、東京で作られているものばかり。京都のエキストラも続けてたんですけど、やっぱり東京いかないとだめだなという感じはすごくあって。

【引用元:文春オンライン

そして、新幹線を使う余裕がなかったため、夜行バスで京都と東京を行き来し、オーディションを受けては深夜バスで帰る生活が続いたようです。

また、吉岡里帆さんは居酒屋やカフェ、歯科助手など多くのアルバイトを掛け持ちし、演劇活動に必要なお金を稼いでいました。

インコちゃん
しかし、オーディションに受かることはなかなかなく、何度も不合格の通知を受け取る日々が続きましたが、吉岡里帆さんは諦めず、努力を重ねていきました。
宗じい
わしもこれくらいギャンブルにのめり込めたら大金持ちに…。

吉岡里帆は20歳で養成所から事務所「A-Team.lnc」へ!

吉岡里帆さんが20歳の頃、養成所で「埋もれてしまう」と感じた吉岡里帆さんは、養成所の方に頼み、養成所と関係のあった事務所の関係者の前でお芝居を披露しました。

その熱意が認められ、オーディションに合格し、ついに事務所「A-Teamエーチーム.lnc」に入ることができました。

 吉岡 養成所には何千人と所属生が全国から来ていたんです。だから、このままでは、埋もれてしまって抜け出せないということに2年目くらいに気がついて。それで、当時担当してくださっていたマネージャーさんというか、管理人さんみたいな人に、なんとか俳優を育ててくれるような事務所に入りたい、養成所と連結していたA-Teamのマネージャーさんに会わせてもらえないかってお願いして。(中略)ついに社長に直談判できる時が来て「ここの看板女優になるから、お願いだから私を今すぐここの事務所に入れて下さい」って。 ―― おぉ、すごい! 吉岡 「めちゃくちゃ働くから、仕事をください」ってお願いをしました。事務所には正式に入れたんですけど、それが20歳の時だったと思います。

【引用元:文春オンライン

事務所入所後は、吉岡里帆さんは戸惑いながらもグラビアの仕事もしましたが、その仕事にも次第に感謝の気持ちが芽生え、この経験が今の自分を作っていると感じているそうです。

初めてグラビアのお仕事を頂いた時は、その瞬間は確かにやったことないし、やる予定もなかったので、動揺したんですけど、でもやっぱりやればやるほど、やりがいを感じているんです。(中略)グラビアの仕事をさせていただいたことは今でも感謝してるし、あの時間がなかったら今の自分はない。そのぐらい、やってよかった仕事だと、胸を張って言えます!

【引用元:文春オンライン

しかし、一部で「グラビアが嫌だった」と誤解され、自分の言葉の大切さを改めて感じ、これからも責任を持って発言していくと決意しています。

なお、この事務所は2024年4月に芸能関係業務を停止し、吉岡里帆さんは退所して芸能事務所「フラーム」へ移籍しています。

4月1日、芸能プロダクション『A-Team』(エー・チーム)が芸能関係業務を停止すると公式サイトで発表した。それにともなって、所属タレントの吉岡里帆や臼田あさ美、酒井若菜が退所。

【引用元:週刊女性PRIME

 

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吉岡里帆は映画の監督に肩を揉ませていた!?

事務所に入所後も中々女優として芽が出なかった吉岡里帆さんですが、映画「明烏あけがらす吉岡里帆さんがヒロインに選ばれたました。

ヒロインに選ばれた理由は監督の福田雄一さんによると、オーディションでの吉岡里帆さんの大胆な態度が大きな要因だったそうです。

映画「明烏 あけがらす」
映画「明烏 あけがらす」【出典:映画.com

まだほとんど女優の経験がなかった吉岡里帆さんは、役の説明を聞いた後で、この役は私以外には考えられないと思います」と自信満々に言ったそうです。

さらに、劇中で菅田将暉さんに「肩を揉めや」と言って肩を揉ませるシーンがあり、そのセリフを読むように頼まれた吉岡里帆さんは、なんと福田雄一監督に向かって「肩揉めや」と言い、福田雄一監督はそのまま肩を揉み始めたそうです。

福田雄一監督
福田雄一監督【出典:Smart FLASH

これには福田雄一監督も驚きましたが、「この子なら主演の菅田将暉さんや他の強い個性を持つ俳優たちとも堂々と渡り合えるだろう」と感じ、その場で吉岡里帆さんをヒロインに決めたそうです。

まだ無名だった吉岡里帆を、映画『明烏』のヒロイン役に大抜擢。彼女をブレイクへ導いたといえる福田雄一監督が語る。 ーー映画『明烏』のオーディションでの彼女の印象を教えてください。 「図々しかったですよ(笑)。当時、彼女はまだほぼノンキャリア。なのに、役の説明をした僕にひと言、『この役は、私以外考えられないと思います』って。  それで劇中で主演の菅田将暉くんに『おい、肩揉めや』と言って肩を揉ませるシーンがあるので、そのセリフを読んでもらったんです。そうしたら僕に向かって『肩揉めや』と言ってきて、そのまま肩を揉まされたんです(笑)。本当にそこまでやったのは彼女だけでした。 『明烏』は、菅田くん、城田優くん、佐藤二朗って、相当濃いメンツだけど、このコなら彼らと戦えるんじゃないかなと。その場で即決して『あなたに決めました』と伝えました」

【引用元:Smart FLASH

なお、吉岡里帆さんは映画『明烏』の撮影中には、一泊3000円の安い宿に泊まりながら、毎日のように撮影現場に通っていました

それから当時、吉岡は新宿の1泊3000円ほどの『いまどきこんなホテルある?』っていうようなところに泊まって現場に通ってて。よく『監獄みてえだな』って茶化してました。

【引用元:Smart FLASH

吉岡里帆の現在はCMやバラエティなどにも活躍する女優へ!

その後2016年、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」で田村宜役を演じることが決まりました

 

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この役は一度オーディションに落ちたものの、制作スタッフの「この子を使ってみたい」という声がきっかけで選ばれたものでした。

インコちゃん
吉岡里帆さんはこの作品での演技が評価され、一気に注目を集めました。

その後も、日テレ系宮藤官九郎脚本の「ゆとりですがなにか」など、連続してテレビドラマに出演し、吉岡里帆さんの名は次第に広まっていきました。

さらに、吉岡里帆さんは結婚情報誌「ゼクシィ」のCMガールに選ばれ、これがきっかけでさらに多くのCMやバラエティ番組に出演するようになりました。

吉岡里帆「ゼクシィ」CM
吉岡里帆「ゼクシィ」CM【出典:ORICON NEWS
インコちゃん
こうして、大学時代から続けてきた努力と情熱が実を結び、現在の吉岡里帆さんは多くの人に知られる人気女優となりました。
宗じい
これからの吉岡里帆さんの活躍が、ますます楽しみじゃの〜。

吉岡里帆の父親は会社経営のカメラマンで格闘技道場の館長!

吉岡里帆の父親の家系図

吉岡里帆の父親は会社経営のカメラマンでNHKプロデューサーは誤報

吉岡里帆さんの父親の名前や年齢は非公開のため不明ですが、広島県出身で、京都で映像会社を経営しているカメラマンです。

父親は非常に仕事熱心な人で、家族で出かけることは少なかったようですが、吉岡里帆さん自身のブログでは「父親と一緒に映画やお笑い番組を見る時間が何よりも楽しかった」と語っています。

インコちゃん
上述したように、特に、金曜ロードショーやゴールデン洋画劇場を家族で観ることが、家族の大切な時間だったそうです。

一時期、吉岡里帆さんの父親がNHK大河ドラマのプロデューサーだという噂が広まり、ネット上で「親のコネで芸能界に入ったのではないか」といった批判がありました。

しかし、この情報は誤りであり、吉岡里帆さんの所属事務所やNHKも「全くの事実無根」と否定しています。

本誌が吉岡の所属事務所に確認したところ、 「吉岡の父親がNHK大河ドラマのプロデューサーという記事は、まったくの事実無根」  NHK広報にも確認すると、 「事実ではありません。通常は出演者のプライバシーについてはお答えしておりませんが、今回はそういった事実はないのでお答えしました」  と回答した。

【引用元:週刊女性PRIME

実際のところ、吉岡里帆さんの父親はNHKとは関係がなく、京都でカメラマンとして活動しながら映像会社を経営しています。

吉岡自身も過去のインタビューで、父親について「映像会社を経営するカメラマン」だと明かしている。本誌が調べたところ、確かに吉岡の父親が経営する会社が京都に存在していた。名前もネットで噂されているNHKのプロデューサーとは異なる。

【引用元:週刊女性PRIME

インコちゃん
コネで入ったと噂されていましたが、吉岡里帆さんの実力で現在の地位を勝ち取ったんですね

吉岡里帆の父親は芸能界入りに反対!?

吉岡里帆さんの父親は、吉岡里帆さんが芸能界に進もうとしたとき、最初は反対して、両親とも心配していたそうです。

父親は芸能界の厳しさをよく知っていたため、趣味として演劇を続けてほしいと考えていたようです。

しかし、吉岡里帆さんが京都から東京まで往復しながら養成所に通い、真剣に努力する姿を見て、次第に応援するようになりました。

吉岡里帆さんが映画のオーディションに合格した際には、父親も非常に喜んでくれたそうです。

デビューする時、両親に「本当にそれでいいの?」と心配されました。演劇や映画を作るのは文化的でいいけれど、趣味の範囲でしてほしいと思っていたみたいです。でも、抑えられない衝動があって、反対を押し切って東京に出てきました。映画のオーディションを受けたり、自分で俳優の養成所を探して通うようになってからは、本気だということが伝わったようで、映画のオーディションに受かった時は、とても喜んでくれました。

【引用元:東京新聞

宗じい
吉岡里帆さんの頑張りが両親に伝わったんじゃの〜。わしも頑張って大金持ちになるぞ〜。

吉岡里帆の父親は格闘技道場の館長で吉岡里帆もトレーニング?

吉岡里帆さんの父親は格闘技が好きで、総合格闘技の道場で館長を務めていたこともありました。

吉岡里帆さんが子供の頃には、父親と一緒にトレーニングをしていたこともあり、「私をムキムキにしたかったみたいで、朝はプロテインを飲み、一緒の休みの日はブロック塀を運ぶトレーニングをしていた」と言っています。

吉岡の父親は大の格闘技好きで、副業で、総合格闘技道場の館長を務めていたこともあったという。  吉岡は「子どものときに、私をムキムキにしたかったみたいで、朝はプロテイン(を摂取し)、一緒の休みの日はブロック塀を運ぶトレーニングをしていた」と告白。

【引用元:Smart FLASH

インコちゃん
その影響で吉岡里帆さんは今の健康的な美があるのですかね

吉岡里帆の父親の顔写真をAIで想像してみた!

インコちゃん
というわけで、AIアプリで吉岡里帆さんの父親の現在の姿を想像して作ってみました。
AIアプリで作った想像の吉岡里帆の父親の顔写真
AIアプリで作った想像の吉岡里帆の父親の顔写真*実在しない人物です
あくまでも、AIアプリで吉岡里帆さんから想像して作った架空の顔写真ですので、実際の吉岡里帆さんの父親の顔写真ではありませんのでご注意ください。
宗じい
優しそうな父親じゃが、この顔で筋肉ムキムキならいいギャップじゃのぉ

吉岡里帆の母親は美人でアパレル勤務!妹のような人?

吉岡里帆の母親の家系図

吉岡里帆の母親は美人でアパレル業界で働いていた!

吉岡里帆さんの母親の名前や年齢は一般人のため詳細不明です。

吉岡里帆さんの父親が映像関係の会社を作る時、母親はアパレル業界で働いており、貯めたお金を軍資金として、渡したとのことです。

母と父は、お互いにサポートし合い、愛し合っている夫婦だと思います。父が映像関係の会社をつくる時、母がアパレル業界で働いてためたお金を軍資金として渡したそうです。

【引用元:東京新聞

そんな母親はとても美しい人で、吉岡里帆さんがSNSで母親とのツーショット写真を公開した際には、その美しさが話題になりました

吉岡里帆と母親(左)
吉岡里帆(右)と母親(左)
インコちゃん
吉岡里帆さんと目元がそっくりで、二人の仲の良さが写真からも伝わってきます。

吉岡里帆さんは母親のことが大好きで、「お母さんが好きすぎて、普通にキスしたり、ハグしたりする」とインタビューで語ったことがあります。

吉岡は「私はお母さんが好きすぎて普通にキスします」と告白。「全然普通にめっちゃハグしてチュッチュチュッチュします」と続け、共演陣を驚かせた。

【引用元:モデルプレス

吉岡里帆の母親は無邪気で吉岡里帆の妹のような存在!

母親は、少女のような無邪気さを持っており、ただの母親というよりも、吉岡里帆さんは「私が母のお姉ちゃんみたい」と感じることがあるそうです。

インコちゃん
すなわち吉岡里帆さんの妹のような存在なんですね!
宗じい
相当無邪気じゃのぉ

また、吉岡里帆さんが何か悩み事を抱えた時には、まず最初に母親に相談し、母親はいつも真剣に話を聞いているそうです。

母は無邪気で、少女のよう。私が母のお姉ちゃんみたいな感じ。でも、私が真剣に悩んでいて相談すると、ちゃんと相談に乗ってくれます。

【引用元:東京新聞

しかし、吉岡里帆さんが芸能界に入ると決めた時、母親も最初は反対していました。

吉岡里帆さんの父親と同じく、仕事としてではなく、趣味として演劇を続けたほうが良いのではないかと考えていたのです。

しかし、吉岡里帆さんが本気で芸能界を目指していることがわかると、母親も応援するようになりました

宗じい
両親とも吉岡里帆さんのことが心配だったんじゃろ〜。宗じいも老後が心配じゃ〜。

吉岡里帆の弟は料理人も花田優一の元で靴職人を目指す?

吉岡里帆の弟の家系図

吉岡里帆の弟は料理人でフレンチレストランで修行!

吉岡里帆さんには、3歳年下の弟(2024年現在27〜28歳位)がいますが、名前などの情報はありません。

吉岡里帆さんの弟は調理の専門学校を卒業した後、2016年頃、地元である京都のフレンチレストランで修行をしていました。

吉岡里帆と弟(左)
吉岡里帆と弟(左)

吉岡里帆さんもそのレストランに何度か足を運んで、弟を応援していました

 

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吉岡里帆の弟は靴職人を花田優一の元で目指していた!?

京都のフレンチレストランで修行していた吉岡里帆さんの弟でしたが、料理人を辞めて、東京で靴職人を目指すことを決意します。

そして2018年9月、靴職人として活動していた花田優一さんの元に弟子入りをしたそうです。

花田優一
花田優一【出典:スポニチ
インコちゃん
花田優一さんは元力士の貴乃花さんの息子さんですね

吉岡里帆さんは弟がこの道に進むことを心配して反対していましたが、弟は自分の力を試したいという強い思いを持っていたようです。

だが、Tさんは’18年9月に上京し優一に弟子入り。優一を紹介したのは吉岡だというが、Tさんが靴職人を目指すことに吉岡は反対していたという。

【引用元:女性自身

ところが、吉岡里帆さんの弟の修行生活は非常に厳しいもので、仕事はクレーム処理が中心で、靴作りの現場にはほとんど立ち会うことができなかったそうです。

さらには、労働環境も良くなかったため、結局、弟は3ヶ月で退職することになりました。

本誌は、女優・吉岡里帆(25)の弟・Tさん(23)が優一に弟子入りしたものの、“パワハラ被害”により3カ月で退職してしまったことを報じた。優一は靴作りを教えるどころか、Tさんにクレーム処理を押しつけていたのだ。

【引用元:女性自身

インコちゃん
この出来事を知った吉岡里帆さんは、とても悲しみ、弟の辛い経験に涙したといいます。

その後、弟がどのような仕事に就いたのかは明らかになっていませんが、料理人としての経験があることから、再び飲食業界で働いている可能性もあります。

宗じい
転職は難しいの〜。わしは芸能人の情報収集に専念するぞ〜。

吉岡里帆の祖父母ともに伝統芸能が好きで、祖母は料理上手!

吉岡里帆さんの祖父母についての、名前や年齢などの詳細は不明ですが、エピソードはいくつかあります。

吉岡里帆さんは祖父母(以下、父方か母方かは不明)ともに伝統芸能が好きだった事を話しています。

両親、祖父母ともに伝統芸能が好きなので、私も歌舞伎や能に連れていってもらい、日本の芸術文化に触れるのが休日の楽しみでした。

【引用元:UR都市機構

また、祖母は料理上手で、春にはちらし寿司を作ってくれたとのことです。

花見での食事について聞かれた吉岡さんは「ちらし寿司が定番メニューです。祖母がものすごく料理が上手で、春になるとちらし寿司を一から丁寧に作ってくれて、それがうれしくて。春の思い出のメニューです」と明かした。

【引用元:毎日キレイ

そして、吉岡里帆さんの祖母は、自分で一生懸命働いて買ったダイヤのネックレスを大切にしていました。

吉岡里帆さんが子どもの頃、そのネックレスはブルーのベルベットの箱に入っていて、綺麗だなと思いながらも、触ってはいけないもので憧れのジュエリーだったそうです。

吉岡里帆さんが二十歳になったとき、祖母はそのネックレスをプレゼントしてくれたそうです。

その時、祖母は「二十歳でもう大人やから、たった一つでも本物を持っていたら、自分に自信が無くなったときに背中を押してくれたり、大丈夫と思える、そんなお守りになるから」と言ってくれたそうです。

吉岡里帆さんは今でもそのネックレスを大切なお守りとして持っています。

「祖母が、とても大切にしていたダイヤのネックレス。一生懸命に働いて、自分のために購入したそうです。子供の頃、ブルーのベルベットの箱に入っていたのを記憶しています。(ネックレスが)綺麗だと思っても、触っちゃいけないという意識がありました。そう、私にとって憧れのジュエリーでした」 「私が二十歳になったときに、ずっと大切にしまっていたそのダイヤのネックレスをプレゼントしてくれたのです。そのときに祖母が『二十歳でもう大人やから、たった一つでも本物を持っていたら、自分に自信が無くなったときに背中を押してくれたり、大丈夫と思える、そんなお守りになるから』と言ってくれたのです」  「それは今でも、大事なお守りです」としみじみ。

【引用元:アベマタイムズ

インコちゃん
祖父母の想いを吉岡里帆さんは大事に引き継いでいることがわかりますね。
宗じい
吉岡里帆さんのこれからの芸能界での活躍が楽しみじゃの〜。

吉岡里帆の家族構成まとめ

家族構成 詳細
父親 京都で映像会社を経営するカメラマン。総合格闘技が好きで、道場の館長も務めたことがある。NHKのプロデューサーという噂は誤報で、吉岡里帆が芸能界に入るときは最初反対していたが、後に応援するようになる。
母親 アパレル業界で働いていたことがあり、夫(父親)の映像会社設立のために貯金を渡すなど、家族を支えた。吉岡里帆と非常に仲が良く、吉岡里帆が母親のお姉ちゃんのように感じている。
長女(本人) 吉岡里帆。女優として活躍し、書道家を目指していたが、後に演劇に興味を持ち、芸能界に進出した。
長男 吉岡里帆より3歳年下。調理の専門学校を卒業し、京都のフレンチレストランで修行していたが、後に靴職人を目指すも、3ヶ月で退職。その後の職業は不明。
祖父 詳細は不明だが、伝統芸能が好きで、家族で歌舞伎や能を楽しんでいた。
祖母 料理が得意で、春にはちらし寿司を作ることが多かった。自分で働いて買ったダイヤのネックレスを吉岡里帆が20歳の時にプレゼントし、それが今でも吉岡里帆のお守りとなっている。



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