ドラマに映画に俳優として大人気の坂口健太郎さんの家族構成や生い立ちについて調査してみました。
坂口健太郎さんの高校時代のあだ名は「ダビデ」だったなど面白いエピソード満載です。
また坂口健太郎さんの父親・母親・姉についても詳しく調べていますので、ぜひ読んでみてください。
目次
坂口健太郎の家族構成!父親・母親・姉の4人家族
坂口健太郎の家族構成は「父・母・姉・本人」の4人です。
母親:元女優で息子の芸能界入りに反対せず。坂口健太郎と会えば必ずハグする
長女:年齢は坂口健太郎の2歳上。教師という噂があるが不明。既婚で一児の母
また、坂口健太郎さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
祖母:詳細は不明
坂口健太郎の生い立ちや学歴!あだ名は「ダビデ」も芸能界へ!
- 名前(本名):坂口 健太郎
- 生年月日:1991年7月11日
- 身長:183㎝
- 体重:?
- 血液型:O型
- 出身地:東京都府中市
- 学歴:明星小学校→明星中学校(偏差値43)→ 明星高校(偏差値54)→東洋大学中退(学科不明:偏差値40~55)
坂口健太郎の幼少期〜小学生:授業中逆立ちをする小学生!?
坂口健太郎さんは1991年7月11日に東京都府中市で生まれました。
保育園時代は今の印象とは違い、幼い頃は悪目立ちが好きなタイプだったそうです。
「僕、昔は悪目立ちしたいタイプで。保育園の演芸会では、みんなが桃太郎やキジ・サルをやりたいって手を挙げるなか、鬼を演じたかった。三匹の子豚でもオオカミをやりましたしね。」
【引用元:+act. 】
保育園のお遊戯会では主人公ではなく悪役をやりたがったり、徒競走で1位になったにも関わらずもう1周走り続けて先生に捕まるといったエピソードをインタビューにて明かしています。
坂口健太郎さんの小学校は「明星小学校」とされています。
私立で電車通学をしていたと過去のインタビューで明かしており、中学・高校が併設されていることや、高校時代に所属していたバレーボール部のユニフォームが明星高校のものなので、明星小学校が有力視されています。
小学生時代はボーイスカウトに参加していましたが、忘れ物が多く、ランドセルやお弁当を忘れて登校することが多かったため、姉のクラスに行ってお弁当を分けてもらっていました。
授業中も落ち着きがなく、走り回ったり逆立ちをしたりすることがありました。
「授業中でも走り回っているというか、いきなり立って逆立ちを始めたり。……よく考えれば、うちだけ三者面談のはずですね(笑)」
【引用元:+act.】
ちなみに小学校時代からモテモテで、小学校2年生の時には、バレンタインデーのチョコで机の中がいっぱいで、勉強道具が入らなかったとのことです。
バレンタインデーとか、チョコをもらう数がモテる指数じゃないけど」と、小学生の時にモテ期があったと明かした。TOKIOの長瀬智也が、当時もらっていたチョコレートの数を聞くと、坂口は「(学校の机の引き出しに)教科書を入れたら入らなくて」と、バレンタインデーには机の中がチョコレートでいっぱいで勉強道具が入らないほどだったと語った。
【引用元:+act.】
坂口健太郎の中学時代:生徒会長でバレーボール部キャプテン!
中学校は明星中学校に通い、成績も良かったようです。
中学生の頃には生徒会長を務め、模範的な生徒であり人望も厚かったそうです。
バレーボール部に所属し、身長が高かったため顧問の先生からすぐにバレーボール部に入るよう言われ、他の部活を見学する暇もなくバレーボール部員となりました。
「中学校は入るなり担任の先生に『もうおまえはバレーボール部だ』って言われて。身長が高かったので顧問だった先生にはベストな新人だったんでしょう(笑)。他の部活を見学に行く隙も与えられずにバレーボール部員。」
【引用元:+act.】
スパルタな練習に耐えながら地区大会で優勝し、都大会まで進出しており、キャプテンも任されています。
後に日本代表の主将も務めた柳田将洋選手とも中学時代に練習試合で対戦した経験があります。
また中学生時代はゲームセンターに通い「ストリートファイター」を楽しみ、カラオケで「BUMP OF CHICKEN」を歌うといったような一面もありました。
坂口健太郎の高校時代:あだ名はダビデでヤンキーに憧れ細眉!?
坂口健太郎さんはその後、明星高校に進学し、バレーボール部での活動を続けました。
高校に入る際には演劇部への入部も考えましたが、結局バレーボール部を選んだそうです。
「物凄くスパルタな部だったので、中3の時に高校へ行ったらもうバレーを辞めて、何をやろうって考えたんです。それこそ演劇も少し頭をよぎったり。なのに、高校でも結局バレー部に入るという……」
【引用元:+act.】
長身を活かし、バレーボール部の主力選手として活躍し、中学時代同様キャプテンにもなっています。
当時、本気で全国大会を目指していましたが、都大会で敗れてしまい全国大会には出場できませんでした。
親友が雑誌のインタビューにて当時の坂口健太郎について明かしており、バレーボール部の合宿で、寝坊して、昼まで寝ていたことや、遠征にバレーボールを忘れてきたことなどのエピソードがあったそうです。
「キャプテンなのに、合宿でいつも朝寝坊するのはサカなんです。あるとき顧問が放っておいたら、昼まで寝ていましたよ(笑)。あとは遠征にバレーボールを持ってくるのを忘れてきて、よく顧問に怒られていました。いわゆる“天然”なんです。なのに、女子からはモテモテ。他校に遠征すると、いつも向こうの学校の女子がたくさん集まっていました。サカがスパイクを打つたびに、黄色い悲鳴が上がっていましたからね」
【引用元:女性自身】
また、バレーボール部時代は、筋肉質で、いかつい体格をしており、他校の生徒から怖そうだと思われていました。
当時のあだ名は「ダビデ」で、ヤンキーに憧れて、日焼けサロンに通い、眉毛も剃っていたそうです。
恋愛面では、小学校時代と同様に、バレンタインデーには机がチョコレートでいっぱいになり、高校時代はかなりモテていたようです。
雑誌SPURのインタビューにて、高校時代のデートについても明かしています。
ただモテモテの高校時代だったようですが、同級生の証言としてファッションには無頓着だったことが明かされています。
「サカは電車通学でしたが、下校時はジャージに黒の革靴姿で帰っていました。それをちっとも恥ずかしいと思わないみたいでした(笑)。」
【引用元:女性自身】
高校の卒業式では制服やカバン、ボタンを後輩に譲り、ワイシャツとスラックス姿で卒業証書を持ち帰るなどのエピソードもあります。
「高校の卒業式で第2ボタンどころか、学ラン、カバン、ボタン全てなくなるくらいモテる」という紹介には、お笑いコンビ「千鳥」の大悟(41)も「これは相当やで!」と驚いていた。
【引用元:スポニチ】
坂口健太郎の大学時代〜現在:大学中退もトップモデルに!
高校卒業後は東洋大学に進学しましたが、1年ほど通った2011年に中退しました。
芸能活動の始まりは19歳の時、自ら応募した第25回「メンズノンノ モデルオーディション」に合格し、モデル活動をスタートさせました。
ちなみにオーディションの時に遅刻したことを本人が明かしており、オーディションも芸能界を目指していたわけではなく、「何となく」で応募したそうです。
「実は僕、遅刻してしまってテンパってて、ほとんど覚えていないんですよ(笑)。焦りすぎたことによって開き直って、「もう普通にしてよう」と思えたのがよかったのかも?」
【引用元:MEN’S NON-NO】
モデルデビュー後ですが、1年目は特に目立つことはなく、モデルの仕事が多いわけでもありませんでした。
しかし、2年目から関係者の間で話題になり始め、2012年9月にはモデル・役者の菊池亜希子が編集長を務める『マッシュ vol.2』に登場しました。
その後、「塩顔男子」ブームの波に乗り、坂口健太郎さんもその一員として注目されるようになりました。
次第に雑誌で自身の名前の付いた企画が掲載されるようになり、2014年にはメンズノンノ6月号で専属モデルとして20年ぶりに単独表紙を飾りました。
2017年メンズノンノ2・3月号では、同誌モデル史上初めての2号連続表紙を飾り、2017年7月号で7年活動してきた専属モデルを卒業しました。
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そして坂口健太郎さんは23歳で俳優としてデビューしましたが、俳優としての活動を始めたきっかけについては、「高校生の時に少し思ってて、モデルをしているうちに視野も広がった」と、インタビューで話しています。
「何かの作品を観てとか、この役者さんが凄く好きで、とかではないんです。高校生の時に少し思ってて、徐々にそれが大きくなっていき、モデルをさせて頂いてるうちに視野も広がり……固まったという感じです」
【引用元:+act.】
俳優デビュー翌年にはTBS系ドラマの「コウノドリ」で連続ドラマ初出演を果たし、24歳だった2016年にはNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」でヒロインの高畑充希さんの相手役を演じて大ブレイクしました。
2017年には「君と100回の恋」で初めて映画の主演に起用され、それ以降も「塩顔イケメン」として数々のテレビドラマや映画に出演しています。坂口健太郎はモデルから俳優へとキャリアを広げ、多くのファンを魅了し続けています。
坂口健太郎の父親の死因は事故?職業はプロレスラー?名前は?
坂口健太郎の父親の死因は事故?名前は?65歳で他界
坂口健太郎さんの父親は一般人のため名前などは不明です。
ただ2021年3月18日放送のテレ朝系「徹子の部屋」に坂口健太郎さんが出演した際に、2014年に父親が65歳で他界したことを明かしています。
俳優の坂口健太郎(29)が18日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)に出演。数年前に亡くなったという父との思い出を語った。65歳で亡くなったという父について坂口は「衝撃と言うか…すごく仲良しだったので。病気ではなかったんです。すごく体が丈夫だったので、びっくりはしたんですけど」と振り返った。
【出典:スポニチ】
死因についてははっきりとは明かしていませんが、「病気ではなかったんです。すごく体が丈夫だったので、びっくりはしたんですけど」と話しているため、事故の可能性などが噂されていますが、脳や心臓の急病の可能性が考えられます。
なお、父親が亡くなった際、坂口健太郎さんは非常にショックを受け、ご飯が喉を通らなかったとのことです。
ですから、お父さんが亡くなったときは本当にショックでご飯も喉を通らなかったそうです
【出典:女性自身】
坂口健太郎と父親は大の仲良し!スタイルが良くお洒落だった?
生前、父親と坂口健太郎さんは大の仲良しだったようで、友達のような関係だったそうです。
一緒に買い物に行ったり何でも話すだけでなく、身長も近かったとのことで洋服を共有することもあったと坂口健太郎さんは話しています。
この中で、“父親との思い出”についての話題になると、坂口は「僕は自分の父親とはすごく友達みたいな感じだったんですよ」と話し始め、「何でも話すし、何でも聞くし、一緒に買い物行ったりとか」と話した。さらに「身長とかも近かったんで」「一緒に洋服を共有したりとか…仲良しですね」と父親との仲の良さを覗かせた。
【出典:ETALENTBANK】
身長が坂口健太郎さん(183cm)と近かったということで、坂口健太郎さんの父親は身長は180cm前後と考えられ、さらに父親の影響で、坂口健太郎さんも洋服好きになったということで、お洒落な人だったも思われます。
また坂口健太郎さん自身が「父親似」と言っており、塩顔イケメンだった可能性も考えられます。
坂口くんが『父親似なんだ』と話すほど、お父さんもスラッとした高身長。お父さんの影響で洋服が好きになり、モデルを志す理由のひとつになったみたいです。2人で渋谷や表参道に行き、買い物をするのが、ほかの誰と行くときよりも楽しかったといいます。恋愛や仕事の相談もしていたそうです。
【引用元:女性自身】
ただ、上述のように仲の良い坂口健太郎さんと父親ですが、小さい頃は決して仲がいいわけでなかったようです。
坂口健太郎さんと父親との距離が縮まったのは、モデルを始めた19歳頃からで、初任給で食事をごちそうしたというエピソードもあります。
小さい頃はなかなか父親の気持ちが分からず、それほど仲良くはなかったとするものの、モデルを始めた19歳頃から距離が縮まり、初任給では食事をごちそう。「喜んでもいたし、僕から食事をおごられるってことにすごく戸惑っていましたね」と懐かしそうに話した。
【引用元:スポニチ】
なおそんな二人が行きつけだったお店があり、西東京市の田無駅前にある「やきとり だるまさん」というお店で、元々父親が行きつけだったようです。
この「やきとり だるまさん」は40年以上継ぎ足してきた秘伝タレと備長木炭の香りが絶品の名物シロモツ串や、大山鶏の鶏油を使用した鶏雑炊など、人気店です。
坂口健太郎の父親の職業はプロレスラー?
坂口健太郎さんの父親の職業がプロレスラーだったという噂があります。
ただこれは根拠はなく、残念ながら坂口健太郎さんの父親の職業は不明ですが、坂口健太郎さんが小学校から大学まで私立に通っていたことから、給料がいいようなエリートだったとは考えられます。
ちなみに、なぜ坂口健太郎さんの父親の職業がプロレスラーという噂が出たかというと、俳優・坂口憲二さんの父親がプロレスラーだったことが理由として考えられます。
同じ俳優という職業で名字が同じ坂口憲二さんの父親がプロレスラーだったことから誤解が生まれたと思われます。
なお坂口憲二さんの父親は元プロレスラーの坂口征二さんといい、柔道選手としても、世界選手権で銅メダルを獲るなどの実績があります。
坂口健太郎の父親の趣味は英国車!
坂口健太郎さんの父親の趣味は英国車に乗ることだったそうです。
その英国車に関連した思い出が坂口健太郎さんにはあるようで、英国車で坂口健太郎と父親は新宿まで買い物に行き、その帰りに車がエンストしたそうです。
そしてその時に、坂口健太郎さんが車を押し路肩に止めたとのことです。
また父は英国車に乗るのが趣味で「父親の車に乗って新宿の方とか買い物に出て、洋服買って、帰りに歌舞伎町のあたりでエンストを起こして、僕が車を降りて車を押して路肩に止めたり」したことも。
【出典:スポニチ】
坂口健太郎の父親の教えは「自分の評価は自分でしなさい」
坂口健太郎さんの父親の教えは「自分の評価は自分でしなさい」という言葉でした。
坂口健太郎さんが小さい頃はこの言葉の意味を中々理解できなかったようですが、多くの経験を積むことにより、理解していき、現在は「その父親の言葉は心の中に凄く残っているなと思います」と語っています。
小さい頃から言われていたのは「自分の評価は自分でしなさい」という言葉。・・・(中略)それって父親から言われた言葉にすごく通じているなと思うし、自分のことをしっかりと愛して初めて僕じゃない誰かに愛情を持って接してあげられると思うので、自己愛強く生きていこうと思っているかもしれないですね」と続け、「その父親の言葉は心の中に凄く残っているなと思います」と締めくくった。
【引用元:スポニチ】
坂口健太郎の母親は元女優で会えば必ずハグ?名前や顔画像は?
坂口健太郎の母親は元女優も名前や顔画像は不明!
坂口健太郎さんの母親は一般人のため、名前や年齢、顔画像などは残念ながら不明です。
ただ若い頃に劇団に所属し、女優をしていた経歴があり、坂口健太郎さんが役者をまだしていない頃から、「健、この役、やりなよ」と本を渡されることがあったそうです。
実は母親が昔、劇団に入っていて、いまもよく本の貸し借りをするんですけど、その際に僕が役者をやりたいとも何とも言ってない頃から、「健、この役、やりなよ」って本を渡されたりしていました。
【引用元:ELLE】
それもあってか母親は坂口健太郎さんが芸能界に入ることには全く反対しませんでした。
坂口くんが人気商売で浮き沈みの激しい芸能界に入ることに全く反対せず、むしろいちばん背中を押したのがお母さんなんです。その姿勢は常に一貫していて、今でも彼の出演作を必ず録画し、チェック。雑誌もすべて目を通しているそうです。ひょっとしたら、本人よりも出演情報を把握しているかもしれません(笑)。
【引用元:女性自身】
しかし、映画初主演だった『シャンティデイズ~』を見た時は姉と共に無言だったとのことです。
実は『シャンティデイズ~』を3人で一緒に観たんですが、終始無言でした(笑)
【引用元:+act】
そんな母親ですが、坂口健太郎さんよりも坂口健太郎さんの仕事について詳しいとのことで、坂口健太郎は母の言葉で気付かされることも多いと話しています。
坂口健太郎と母親は仲良しで毎日LINEしている!?
坂口健太郎さんと母親は仲が良く、反抗期もあったようですが、喧嘩をすることもなく、一緒に食事に行ったりすることもあるそうです。
でもちゃんと反抗期はありましたよ。この年齢になって喧嘩することもないし、仲はすごくいいと思いますね。母親と仕事が終わる時間が重なったりすると、待ち合わせて一緒に飯食いに行って、後から姉ちゃんがやって来たりとかします。
【引用元:ELLE】
そして、ほぼ毎日母親とLINEで連絡を取り合っており、1番母親とLINEしているかもという程度とのことです。
また、坂口健太郎さんがNHKの朝ドラ「おかえりモネ」に出演した際には、母親からの感想を励みにしていたそうです。
「どんなに忙しくても、坂口くんはお母さんと頻繁に連絡を取り合っています。『いちばんLINEしているかも(笑)』というほど……。お母さんは毎日朝ドラを楽しみにしていて、坂口くんも送られてくる感想を励みにしています。『朝ドラは、誰よりも母に見てほしい』と話していましたね」
【引用元:女性自身】
坂口健太郎と母親は会うとハグを必ずする!?
坂口健太郎さんは母親と会った時は、必ずハグをするとのことです。
ハグを必ずする理由は、上記のように父親が亡くなっているため、「母親をこれからハグする人っていないな」と坂口健太郎さんが思い、そのため「(母親と)会ったら絶対ハグしよう」と決めたそうです。
坂口は数年前から母親に会うと必ずといっていいほどハグをするという。それはある出来事が原因だった。’19年6月30日放送の『ボクらの時代』(フジテレビ系)で、坂口はこう語っている。「もう親父がいないんで。だから、ふと気づいたときに『母親をこれからハグする人っていないな』と思ったんですよ。それで、僕は『会ったら絶対ハグしよう』って決めて……」
【引用元:女性自身】
そんな母親は、坂口健太郎さんが多忙な時は、坂口健太郎さんの自宅を掃除したり、料理を作ったり、献身的に坂口健太郎さんを支えており、「母は僕のことをいちばん理解してくれる人」と話しています。
また坂口くんが多忙で休日がないときは、お母さんが率先して彼の自宅に出向いて掃除をしたり、料理の作り置きをしたりして助けています。坂口くんは『母は僕のことをいちばん理解してくれる人』と周囲によく感謝の思いを伝えています
【引用元:女性自身】
坂口健太郎の父親と母親は息子に勉強しなさいと言わずに育てた!
坂口健太郎さんの父親と母親は坂口健太郎さんに勉強しなさいと言うことはなかったそうです。
またそれだけではなく、両親がいない時に、家の床や壁にクレヨンでパンダの絵をたくさん、描いたことがあったそうですが、それを見た両親は褒めてくれたとのことです。
「センスあるよ」といい、家族みんなでその絵と写真を撮り、怒られたのは嘘をついた時だけだそうです。
親父と母親には「勉強しなさい」とかそういうことは一切、言われませんでしたね。いま思えば、すごく自由に育ててくれました。親が留守中に、床や壁にクレヨンでパンダの絵をたくさん、描いたことがあったんです。そこに二人が帰って来て、怒るどころか、めちゃくちゃ褒めてくれたんです。「センスあるよ」って言ってくれて。その絵と一緒に家族みんなで写真を撮ったこと、いまでもよく覚えていますね。怒られたのは、嘘ついたときくらいですね。
【引用元:ELLE】
坂口健太郎の母親の顔写真をAIで想像してみた!
坂口健太郎さんの姉の職業は教師?結婚しており一児の母!
坂口健太郎の姉の職業は教師?名前は「ゆき」?「なお」?
坂口健太郎さんの姉は一般人のため、名前や顔画像などは父親、母親と同様に残念ながら不明ですが、年齢は2歳上の34〜35歳(2024年現在)です。
ちなみに名前はネット上で「ゆき」や「なお」などという噂があったり、職業は教師という噂もありますが、あくまでも噂です。
そんな姉ですが面倒見がいいのか、坂口健太郎さんが小学校の時にお弁当を忘れ、姉のクラスへ行き、お弁当をわけてもらいに行ったというエピソードがありました。
なお、このことから姉も同じ私立の明星小学校に通っていたと思われます。
ランドセルも忘れちゃうし、お弁当もね。で、それに気づくのが、電車で座った時。シートに寄り掛かって……『あれ? 背中に(あるはずのものが)ないっ!』と。小学生ながら自分でもビックリ。だから、お昼にお姉ちゃんのクラスに行って、お姉ちゃんのお弁当をお裾分けしてもらうんです。お弁当の蓋にのせてもらう(笑)
【引用元:+act】
坂口健太郎の姉は結婚しており弟とバージンロードを歩く!
坂口健太郎さんの姉は2015年に結婚しています。
そして結婚式では2014年に他界した父親の代わりに姉とバージンロードを一緒に歩いたようです。
「今年結婚する姉のバージンロードを、1年前に他界したオヤジの代わりに僕が一緒に歩くんです。本人より泣きそう。」
【引用元:SPUR 2015年8月号】
坂口健太郎の姉の子供(甥っ子)にデレデレ!
坂口健太郎さんの姉は2019年ごろに男の子を出産しており、坂口健太郎さんはおじさんになっています。
坂口健太郎さんの甥っ子は5歳くらい(2024年現在)で、坂口健太郎さんはとてもかわいがっているようです。
番組の中で、坂口に対して黒柳徹子が「最近のマイブームは甥っ子さんなんですって?」と話を振り、坂口がこれに「はい!もう甥っ子が可愛くて可愛くて…」と答える場面があった。
【引用元:ETALENTBANK】
2021年3月18日のテレ朝系「徹子の部屋」に出演した際には、「もう一緒にいるだけで、もう僕は甥っ子と会う時は完全に大きいおもちゃ、みたいな感じなんですけど」と甥っ子に甘いようです。
なお坂口健太郎さんは2021年当時は甥っ子から「けんちゃん」と呼ばれていたそうです。
現在2歳の甥っ子に夢中だという坂口は「もう一緒にいるだけで、もう僕は甥っ子と会う時は完全に大きいおもちゃ、みたいな感じなんですけど」と切り出しつつ、「曇りのない眼(まなこ)というか、見つめられると、なんかこっちも自然と笑顔になってしまうというか」と発言。さらに、「僕のことは『ケンちゃん』って呼ぶんですよ。なんか『ケンちゃん』って呼ぶとおもちゃが出てくるって思ってるのかわからないんですけど、ずーっと僕の名前を連呼したり、その動画が送られてきたりして。
【引用元:ETALENTBANK】
坂口健太郎の姉の顔写真をAIで想像してみた!
坂口健太郎の祖父母はどんな人?
坂口健太郎の祖父母の情報は残念ながら不明です。
情報が入り次第追記したいと思います。
坂口健太郎の家族構成まとめ!
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家族構成 | 特徴・エピソード |
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坂口健太郎 | 1991年生まれ、モデル・俳優。自由奔放に育ち、天然な性格。父親から「評価は自分で」と教えられる。中学・高校でバレーボール部キャプテン。現在も家族と仲良し。 |
父親 | 身長180cm前後。おしゃれで洋服好き。2014年に65歳で他界(死因非公表)。英国車愛好家で坂口と買い物やドライブ。自由な教育方針で自己評価を教える。 |
母親 | 元劇団女優。坂口を支え続ける存在で会えば必ずハグ。雑誌・ドラマをチェックし、家事サポートも。子どもを褒めて育てる方針で嘘以外では叱らなかった。 |
姉 | 坂口の2歳上。面倒見が良く小学校時代に坂口にお弁当を分けたことも。2015年に結婚、2019年に男児(甥っ子)を出産。バージンロードを坂口と共に歩いた。 |