今回はエンターテインメント界でその才能を輝かせている岩田剛典さんの家族構成や生い立ちについて、深掘りしていきたいと思います。
岩田剛典さんは才能溢れるパフォーマーであり、その背景にはどのような家族がいて、どのような環境で育ったのか、非常に興味深いと思います。
岩田剛典さんの家族の華麗なる経歴や噂の真相、さらに幼少期から現在に至るまでの歩みを詳しくご紹介していきます。
目次
岩田剛典の家族構成!父親・母親・兄・本人の4人家族!
岩田剛典さんの家族構成は「父親・母親・兄・本人」の4人です。
母親:元英語教師という噂で教育に厳しい母
長男:マドラス株式会社取締役?
次男:岩田剛典本人
また、岩田剛典さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
曽祖父:亜細亜製靴株式会社(現マドラス株式会社)の創業者
高祖父:事業家として成功し陸軍に皮革製品を供給
祖母:EXILEに入ることを岩田剛典さんから約束されていた
岩田剛典の生い立ちや学歴!日本最難関の私立大から芸能界へ
- 名前:岩田剛典
- 生年月日:1989年3月6日
- 身長:174㎝
- 体重:63kg
- 血液型:B型
- 出身地:愛知県名古屋市
- 学歴:名古屋市立陽明小学校→慶應義塾普通部→慶應義塾高等学校→慶應義塾大学法学部政治学科(偏差値67.5)
岩田剛典の幼少期〜小学生:模試で県内1位になるほど優秀!
岩田剛典さんは愛知県名古屋市に生まれ、実家は名古屋市瑞穂区の高級住宅街に建つ大豪邸で、タヌキが出るくらい広い庭だったそうです。
ちなみに実家が2014年6月22日放送のTBSテレビの「情熱大陸」で公開されたそうです。
【情熱大陸 岩田剛典様復習】
優等生の極み
お坊ちゃん
全国模試 ランキング入る
「愛知では1位とか2位とかでした(キラッ)」
できすぎ君
そしてそしてビビるレベルの➡︎➡︎➡︎♛大豪邸♛⬅︎⬅︎⬅︎ pic.twitter.com/2nRUM0hgs7
— V (@extiamo24) June 22, 2014
またテレビ朝日の「徹子の部屋」でも、その実家の豪華さを黒柳徹子さんが紹介しました。
黒柳から「大変なお坊ちゃまでいらっしゃる」と紹介された岩田。なんと実家の庭にはタヌキが出るくらい広いそうで、その証拠VTRも流された。
【引用元:WEBザテレビジョン】
実家が大豪邸の岩田剛典さんですが、小学校は公立の名古屋市立陽明小学校に通われました。
学生時代から非常に努力家で、小学校高学年の頃から受験勉強に励みました。
なんと2つの塾に通っていた上に、家庭教師もつけており、1日10時間も勉強をしていたようです。
厳しい競争の中で勉強に励まれ、全国模試で上位にランクインしたり、愛知県内で1位の成績を収めたりで、見事第一志望校に合格されています。
高学年になると、塾が生活の一番のプライオリティーになりました。毎週、毎月のテストの順位がバーッと貼り出されるんです。その順位に一喜一憂し、一緒のクラスだった子がどんどんレベルの高いクラスにあがっていくことに焦ったり、不安にかられたりもしました。「なんでこんなにつらいことをやらなきゃならないのか?」と塾の先生や親に訴えたこともあります。
それでも挫折せずに勉強したのは「褒めてもらうのがうれしかった」のと「負けず嫌いだった」から。 【引用元:AERAKidsPlus】
岩田剛典の中学〜高校時代:ラクロスで19歳以下日本代表候補!
中学校は父親のすすめで、東京の慶應義塾普通部に進学され、名古屋から離れて母と二人で新生活をスタートされました。
中学時代は、学業だけでなく部活動にも積極的に参加されており、空手部とバスケットボール部に所属されていました。
小学校時代に勉強ばかりしていたため、当初はコミュニケーションに苦労されたようですが、中学3年生になると初めての彼女ができたそうです。
ただかなりの奥手で、ファーストキスをするのにも苦労したそうです。
そこで後藤が「岩ちゃん、初恋は?」と質問すると、「中3の時ですね、僕」と告白する岩田。「その時、初めて付き合った彼女ができて、手繋ぐのとかキスするのとかも1個1個『今日は手を繋ぐぞ』とか『今日は絶対チューするぞ』とか決めて」いたというエピソードを披露する。続けて、「当時付き合ってた彼女と漫画喫茶に入りまして。で、今日は絶対にチューしてやると決めてたんですけど。1時間取ってたんですけど、できなくて……」と笑い、「それで、結果でもやっぱ緊張してできないんで、そのあと延長して。30分の延長取って、4回くらい繰り返して、2時間半くらいかけて、ようやくキスした覚えが……。それくらい奥手というか」とファーストキスの思い出を明かした。
【引用元:Real Sound】
ちなみに岩田剛典さんは手先が器用で、中学時代の夏休みの工作では、戦国時代の武将を作っています。
戦国時代の武将を中学時代に作ったがんちゃんの作品✏👏💯
凄くないですか👀#岩田剛典#中学時代の作品 pic.twitter.com/yU2XViecOZ— しいちゃん (@soshizuko1) August 11, 2018
その後、慶應高校に内部進学され、高校時代にはラクロス部に所属され、なんと19歳以下の日本代表候補にも選ばれています。
――慶応での中学・高校生活はどうでしたか?
小学校時代は受験のためにガリ勉でしたけれど(笑)、もともとはスポーツがめちゃくちゃ好きなんです。だから中学ではバスケット部と空手部を掛け持ちしました。だけど部活としてはあまりやる気がでなくて、頑張りきれなかった。だから高校では、身をささげるぐらいがっつり部活をやってやろうと決めて、ラクロス部に入部しました。選んだ理由は、ラクロス部は高校からしかなかったのでみんなスタートラインが同じだったからです。だからその中で頑張ればレギュラーを目指せるかなって。部活に打ち込んだ結果、U19の日本代表候補に選んでもらえました。
【引用元:朝日新聞EduA】
ただ高校のラクロス部時代は、金髪丸刈りにしていたことがあり、かなりやんちゃな見た目だったと岩田剛典さん自身が語っており、その見た目の影響か、危険な目に遭遇したこともあったそうです。
部活帰りに、部活道具を他人の車に当ててしまい、その車が怖い方々が乗っていたそうで、土下座をしたエピソードを話しています。
高校のころ、金髪丸刈りで「ビジュアルはかなりやんちゃだった」とし、「危ない目にも遭いましたね」。部活帰りに、駐車してあった車に部活道具をコツンと当ててしまい、「その車が、いわゆる怖い方々が乗られている車で。中から出てこられて、あまりにも怖すぎて、なんとかその場を収めようと」。
スタジオが驚くと「逆に『少年、こんなところで土下座なんかするもんじゃない』となだめられて、大丈夫でした」と笑顔で話していた。
【引用元:日刊スポーツ】
また高校三年生時に映画「RIZE」を見て、ダンスに出会い、独学でダンスを始め、これが後の芸能界での成功に結びつく第一歩になります。
文化祭ではダンスを人前で披露し、そのときの高揚感からさらにダンスに夢中になられたそうです。
岩田剛典の大学時代〜現在:慶応法学部から三代目J Soul Brothersに!
大学は慶應義塾大学法学部政治学科に内部進学され、大学でも引き続きダンスに情熱を注ぎ、所属していたダンスサークル「Dancing Crew JADE」では部長を務めました。
また大学時代は「ミスター慶應コンテスト2009」の最終候補者にも選ばれました。
そして大学4年生の時に、三代目J Soul Brothersのメンバーであった小林直己さんからオーディションの誘いを受け、見事合格されました。
ちなみにこのオーディションには推薦で参加したため、事前に内定をもらっていたそうです。
当時受けたテレビの密着取材でボーカル&ダンスユニットをすることになり「『推薦したい』と言われて。いやらしい話なんですけど、内定持ったままオーディション受けた」と明かした。
【引用元:モデルプレス】
しかしこの時、大企業から就職の内定を貰っていたことや、両親の反対もあり、三代目J Soul Brothersのメンバー加入を悩みましたが、2010年に三代目J Soul Brothersとしてデビューされました。
2014年にはEXILEにも加入し、現在は三代目J Soul Brothers兼EXILEのパフォーマーとして、また俳優としてドラマや映画などにも出演されています。
岩田剛典の父親は高級革靴メーカーマドラス3代目社長!
岩田剛典の父親は高級革靴メーカーマドラスの代表取締役!!
岩田剛典さんの父親は岩田達七さんで、1950年愛知県生まれ、年齢は74歳(2024年5月時点)です。
小学校から高校までの学歴は不明ですが慶應義塾大学経済学部を卒業された後、1973年に家業の高級革靴メーカー「マドラス株式会社」にご入社されました。
それからのキャリアアップは目覚ましく、1980年には取締役に、1984年には代表取締役に就任されて、2010年には代表取締役社長として会社を牽引されることになります。
岩田剛典の父親は新会社を設立など超敏腕社長!!
岩田達七さんの代表取締役社長としての経営手腕は、ただものではなく、2011年には東京の銀座や表参道に新しい店舗を出店し、さらには2013年には原宿にも進出されました。
その勢いは止まることを知らず、同じ年には民事再生法の適用を申請した「クラウン製靴株式会社」の民事再生スポンサーとしても選ばれ、新たにクラウン製靴株式会社を設立されました。
「2024年9月には銀座店をリニューアルし、metaインソールをメインにした店舗にする予定です。同時に海外への発信も進めていきたいですね。過去を振り返れば、いくつものチャレンジをしてきましたが、『metaインソール』はそれとは比較にならないくらい素晴らしい可能性があります。世界一の靴メーカーになる。そんな力を宿していると考えているんですよ」
【引用元:100年企業戦略オンライン】
岩田剛典の父親は「慶応に行け!」が口癖!?
お子様への教育の面では、岩田達七さんはお子様に「慶應義塾大学に進学すること」を強く望まれていたようです。
とにかく「慶應に行け」「慶應に入って三田会に入れ」とおっしゃっていたそうです。
小学校の頃の勉強時間は「夜の9時~10時まではしていた。1日10時間くらいは勉強やってました。よくやってましたね、飽きずに…」と苦笑い。
中学受験に挑んだ理由は「父親が慶應義塾だったりもするので、親からも小さい時からとにかく『お前は慶応に行け』『慶応に入って三田会(同窓会組織)に入れ』とずっと言われ続けてきた小学生でした」と明かした。
【引用元:スポニチ】
その期待に応える形で岩田剛典さんも慶應義塾大学に進学されました。
また、「多長根」という言葉を岩田剛典さんに教え、多面的に、長期的に、そして根本的に物事を考えることの重要性を伝えていたそうです。
父親からは「多長根」という教えを受けたと言い、「多いは多面的に物事を考える、長いは長期的に考える、根は根本的に考える。この3つがあれば物事はうまくいくと小さい頃から教えられまして。自分の座右の銘じゃないですけど…なんかそういう感じでやらせてもらってます」と話した。
【引用元:WEBザテレビジョン】
ちなみに岩田剛典さんの芸能界入りに岩田達七さんは反対していましたが、現在は家業が高級革靴メーカー「マドラス株式会社」ということを岩田剛典さんは公表しており、両親との関係も良好なようです。
ありがたいことに、情報を解禁してから多くの方が本社のサイトにアクセスしてくださって。両親からは、「感謝しているよ」という言葉をもらいました。
【引用元:婦人公論】
岩田剛典の母親は教育熱心で厳しい元英語教師!?
岩田剛典の母親は超教育ママの元英語教師!?
岩田剛典さんの母親は一般人のため、具体的な年齢、顔画像などの詳細は公開されていません。
ただ岩田剛典さんは2022年5月に長髪の謎の男を演じた映画「死刑にいたる病」の公開記念舞台挨拶で自身の長髪姿が母親似であることをおっしゃっています。
岩田は「僕は母親似なんですよ…面影がある」と金山の役作りで髪を長くした自らに、実母の姿を見たと語った。 【引用元:日刊スポーツ】
母親の職業については岩田剛典さんのTV番組内でのインタビューで専業主婦と語っており、教育熱心で厳しい人だったそうです。
愛知県出身で経営者の父と専業主婦の母の元で育った岩田。 【引用元:マイナビニュース】
また元英語教師という噂もネット上ではあり、岩田剛典さんを小学生の頃からたくさんの塾に通わせており、慶応義塾普通部合格へ導きました。
中学受験で私立の中学校・慶応義塾普通部に入学したという彼は、「結構、教育ママではあったんですよ」と語り、「小学校の頃から塾とか、たくさん通わされて」と振り返った。 【引用元:エンタメRBB】
ただ小学校の受験勉強時代については、岩田剛典さんは「青春を奪われた感じ」と語っていました。
「そういう意味では、厳しいほうで、束縛されてたかなという気がします」と本音を吐露。有吉弘行から「それはそれで辛そう」と同情されると、岩田は「青春を奪われた感じがあります」と笑いながら回顧。 【引用元:エンタメRBB】
岩田剛典は母親と二人暮らしの時も!
岩田剛典さんが中学進学後は、慶応義塾普通部は横浜市にあるためは地元の名古屋から上京して岩田剛典さんと母子二人暮らしをしていたそうです。
母子二人暮らしをしていた時に、母親と口論になり、岩田剛典さんが壁を殴って穴を開けたことがあったそうです。
その頃に反抗期もあり、母と口喧嘩して壁に穴を開けたことも(笑)。穴を開ける気はなかったので「本当に開くんだ」って衝撃で、自分もびっくりしました。 【引用元:VERY】
岩田剛典の両親は芸能界入りに大反対!!
岩田剛典さんの芸能界入りについては、ダンスの道へ進みたいと岩田剛典さんは両親に告げましたが、両親は猛反対したようです。
しかし、内定の会社を蹴って電話で芸能界に入りパフォーマーとしてやっていくことを告白され、母親はその決断に泣いてしまったそうです。
一流企業に就職すると思っていた母には電話で芸能界入りを伝えたと言い、その瞬間の母の様子を「1、2分絶句してから急にしくしく泣き出しちゃった」と回顧。 【引用元:モデルプレス】
それでも、岩田剛典さんの強い決意を前にして、最終的には送り出すことを決めたようです。
現在の岩田剛典さんと母親の関係ですが、岩田剛典さんの活躍を認めて応援しており、TV番組内で、「私たち家族はいつでも剛典の味方ですから」という母からの手紙を読み上げられた時には、岩田剛典さんは涙したそうです。
そんな母親から手紙が寄せられ、母親は手塩にかけて育ててきた岩田の芸能界入りを賛成できなかったが、岩田の強い決意を目の当たりにし送り出した当時の複雑な心境を告白。最後は「私たち家族はいつでも剛典の味方ですから」と温かいエールで結ばれ、神妙な面持ちで耳を傾けていた岩田は最後に大粒の涙を流した。母親は「今は三代目の大ファン。今市(隆二)君大好きです」だという。
【引用元:モデルプレス】
岩田剛典の母親の顔画像をAIで想像してみた!
岩田剛典の兄はマドラス株式会社取締役?姉はモデル!?
岩田剛典にモデルの姉がいるは誤報で兄が一人!
岩田剛典さんは2021年1月28日に放送されたテレビ番組「徹子の部屋」で、ゲストとして出演された際、4人家族であること、そして兄弟は兄と岩田剛典さんの2人であることを明らかにされました。
ちなみに岩田剛典さんには姉がいてモデルをしているという噂がネット上でありますが、この情報は誤報です。
岩田剛典さんのお兄さんについては噂で、一部では下呂温泉 湯之島館の代表取締役社長の岩田公一さんや、マドラス株式会社取締役の岩田敏臣さんが岩田剛典さんの兄ではないかと言われていました。
実際には、岩田剛典さんがご自身で、「実家の家業は長男が継ぐ」と話されており、マドラス株式会社は岩田家の企業であり、岩田敏臣さんは現社長の長男としてその会社の取締役を務めています。
岩田は「僕は次男だったんですよ。なので長男が今、継いでいるんですけど」と意識はなかったとしたものの、「小学校の時の社会科見学みたいなので、うちの工場に行ったりとか」と明かした。【引用元:スポニチ Sponichi Annex】
そのため岩田公一さんは岩田剛典さんの兄弟ではない可能性が高いです。
岩田剛典の兄はマドラスの取締役で兄嫁はフジテレビの社長令嬢!
岩田剛典さんの兄と思われる岩田敏臣さんは、1985年5月9日生まれの愛知県出身です。
趣味はバスケットボールで、このバスケットボールへの情熱が岩田剛典さんにも影響を与えたようです。
岩田剛典さんが中学時代にバスケットボールを始めたのも、漫画「SLAM DUNK」に影響された岩田敏臣さんの影響だったそうです。
兄がいるんですが、中学校でやっていたバスケも、兄貴がもともと「SLAM DUNK」が好きで読んでいた影響もありました。兄と漫画も共有していたし、家に単行本がずらっと揃っていましたね。【引用元:otocoto】
岩田敏臣さんは2008年3月に明治学院大学経済学部経営学科(偏差値55.0)を卒業され、同年4月には株式会社アサツーディ・ケイ(現株式会社ADKマーケティング・ソリューションズ)に新卒で入社されました。
そこで約4年半勤めた後、2012年7月に退職し、その後はABCマート渋谷センター街店でアルバイト販売を経験されました。
そして2013年2月に家業であるマドラス株式会社に入社されています。
2015年にはフジテレビの親会社である株式会社フジ・メディア・ホールディングスの社長令嬢と結婚され、その披露宴には三代目J Soul Brothersメンバー全員が出席し、余興で彼らの曲をパフォーマンスされるなど、会場は大いに盛り上がったそうです。
岩田君のお兄さんが、フジ・メディア・ホールディングスの新社長のお嬢さんと結婚して、5月上旬に披露宴が行われました。そこに三代目のメンバーが全員出席していて、余興で彼らの曲をパフォーマンスしたんです。ボーカル2人の歌声はもちろん、ダンスには会場内も大興奮でしたね。
【引用元:サイゾーウーマン】
岩田敏臣さんは遅くても2018年にはマドラス株式会社の取締役に就任されています。
現在では、取締役本部長としてオムニチャネル事業推進や広告宣伝などの重要な業務を担当し、シニア層が多い上層部の中でも奮闘されています。
また、銀実会(銀座にショップやお店がある経営者の集い)や日本メンズファッション協会でも最年少の執行役員として活躍されているとのことです。
会社では取締役本部長としてオムニチャネル事業推進、広告宣伝等の業務を担う。
シニア層が多い上層部の中で奮闘する35歳、創業家の5代目。
銀実会(銀座にショップやお店がある経営者の集い)や日本メンズファッション
協会 最年少の執行役員としても活躍中。【引用元:Peatix】
岩田剛典の兄と噂された岩田公一はいとこ!
岩田剛典さんのもう一人のお兄さんとして噂が上がっていた岩田公一さんは、下呂温泉 湯之島館の代表取締役社長で、岩田公一さんの曽祖父が岩田武七さんで、岩田剛典さんの曽祖父も同じく岩田武七さんです。
ちなみに岩田武七さんはマドラス株式会社の創業者です。
そして明治6年(1873)に、名古屋の鉄砲町108番地(中区栄3‐11で、現在の本社の斜め向かい)に、「岩田商店」を開いた。これがマドラスの始まりである。初代武七は、陸軍に小間物商品を売り成功を収め、一代で財を成した。若宮八幡社の一番大きな鳥居を見ると「明治40年寄進 岩田武七」となっており、財力のほどがうかがえる。 【引用元:愛知千年企業】
そうすると、岩田剛典さんのお兄さんは岩田敏臣さんであり、岩田公一さんは岩田剛典さんのいとこということになります。
岩田公一さんは愛知県の超名門私立である東海高校を卒業された後の詳しい経歴は公開されておりませんが、岩田剛典さんとは直接の兄弟関係ではないと思われます。
岩田剛典の祖父母はどんな人?代々の家業を受け継いだ祖父!
マドラスの源流は江戸時代生まれの岩田武七!
岩田剛典さんの高祖父(祖父のおじいさん)、岩田武七さんは、1847年5月1日に愛知県中島郡東五城村の裕福な家系(次男)で生まれました。
家は代々酒造業を営んでいましたが、酒造業は兄が引き継ぐため、岩田武七さんは別の道を歩むことになったようです。
岩田武七さんは名古屋市で「中島屋岩田武七」を創業し、陸軍に皮革製品(靴のパーツなど)を売るビジネスをされ事業を次々と拡大したそうです。
初代岩田武七が屋号「中島屋岩田武七」を開業し、陸軍に皮革製品などを販売。
【引用元:マドラス100年の歴史】
岩田武七さんは、61歳の時にはイギリスから蒸気自動車を輸入し、名古屋市で初めての乗り合いバス会社を運営するなど、新しい試みにも積極的でしたが、残念ながらこの事業は車両の故障が多くてうまくいきませんでした。
それでも、岩田武七さんの挑戦は続き、64歳で「犬山ガス会社」(現在・犬山ガス株式会社)を設立し愛知県犬山市のライフライン事業として現在も続いています。
そして、1915年岩田武七さん(68歳)は亡くなり、岩田剛典さんの曽祖父(ひいおじいさん)二代目・岩田武七さんが家業を継がれました。
マドラスを設立した二代目・岩田武七!
岩田剛典さんの曽祖父、二代目・岩田武七さんは、1884年6月に岩田武七さんとすゑさんの間に長男として生まれ、本名は岩田正治郎でした。
1915年に父、岩田武七さんが亡くなられると家業を継ぎ、二代目・岩田武七と名前を変えられました。
同時に「合名会社岩田商店」として、家業を法人化しました。
岩田武七さんは、陸軍向けの小物販売に加えて、軍靴の底につける金具を製造するため、春日井や堀田、須田、犬山に次々と鋳物工場を新設しました。
そして、1921年には、亜細亜製靴株式会社(現・マドラス株式会社)を設立し、アメリカから輸入したグッドイヤー・ウエルト式製靴機械で靴の製造販売も開始しました。
日中戦争時には、陸軍指定工場となり、本社工場を3倍に拡張するなどして事業は大いに繁盛しました。
また、岩田武七さんは教育にも熱心で、1924年には名古屋市立第三高等女学校(現愛知県立旭丘高校)の創設を私財を投じて支援しました。
その後、飛騨地方に”第二の軽井沢”を作りたいと考えていた時、下呂温泉が洪水で大きな被害を受けました。
岩田武七さんは地元の要請を受けて温泉掘削工事を行い見事、温泉を掘り当てて下呂温泉を復活させたそうです。
そして湯之島地区の温泉採掘権を得て、1927年には飛騨川温泉土地株式会社を設立、1931年には下呂温泉湯之島館を完成させました。
1948年二代目・岩田武七さん(64歳)は亡くなり、岩田剛典さんの祖父、岩田孝七さんが家業を継がれました。
マドラスを革靴の一流ブランドに育て上げた祖父・岩田孝七
岩田剛典さんのお祖父さん、岩田孝七さんは1916年2月、二代目・岩田武七さんとその奥さんのきたさんの間に次男として生まれ、1937年名古屋の国立名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)を卒業されました。
太平洋戦争末期には、海軍予科練に所属していて、神風特別攻撃隊として出撃する予定でしたが、幸いにも終戦を迎え、出撃することなく無事戦後を迎えることができたようです。
出演にあたり岩田さんは「僕の祖父は海軍の予科練習生でした。特攻前に終戦を迎えたようですが、戦争に関する仕事は、ひとごとではないと思っています。収録を終えて、今回の番組のテーマや内容に共感する部分が多くありました」とコメントしている。【引用元:毎日キレイ】
岩田孝七さんは、1948年父である二代目・岩田武七さんが亡くなった後、家業の亜細亜製靴株式会社の専務に就任し、32歳の若さで社長に就任しました。
その後、1959年には「亜細亜製靴」から「アジア製靴」に社名を変更し、1965年にはイタリアの高級靴メーカー「マドラス社」と技術提携を行い、1983年にはマドラスブランドの全世界製造販売権を獲得して、社名をマドラス株式会社に変更しました。
さらに、ロサンゼルスにも出店し、マドラス株式会社を革靴の一流ブランドに育て上げたようです。
岩田孝七さんの功績は多大で、1976年には藍綬褒章を、そして1984年には瑞宝章と従五位を受章しています。
岩田孝七さんは1984年、68歳で病気のため亡くなりました。
岩田剛典は祖母にEXILEに入ることを約束!!
岩田剛典さんのお祖母さんについては名前や生涯はわかりませんが、岩田剛典さんは2014年2月に大好きだったお祖母さんを亡くされたそうです。
その日は三代目 J SOUL BROTHERSの広島公演の日と重なりお祖母さんのもとへ直接駆けつけることができませんでした。
岩田剛典さんは公演前にその訃報を知りましたが、お祖母さんにEXILEに入ることを約束されていたそうで、お祖母さんに祈りを捧げながらステージに立たれたそうです。
今日は岩田剛典さんのおばあちゃんが亡くなった命日です。苦しい中で、本当は泣きたいのに笑顔をみして、心配させないようLIVEに出ていました。メンバーの優しさにも泣かされますね。
これからもずっとfamである人RT&ファボおねがいします。 pic.twitter.com/SW9BqmmH8H— LDH#family# (@H3SAYR) February 8, 2015
お祖母さんが亡くなられてからも、岩田剛典さんは実家に帰るたびにお祖母さんの仏壇に手を合わせるという習慣を大切にされているそうです。
岩田剛典の家族構成まとめ
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家族 | 詳細情報 |
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父親 | 岩田達七 – マドラス株式会社の三代目社長。慶應義塾大学経済学部卒。高級革靴メーカーを経営。 |
母親 | 元英語教師という噂で、厳格な教育方針を持つ。専業主婦。 |
兄 | 岩田敏臣 -マドラス株式会社取締役と思われる。家業を継ぎ、経営に携わる。 |
本人 | 岩田剛典 – 1989年3月6日生まれ、愛知県名古屋市出身。慶應義塾大学法学部卒。三代目J Soul Brothers及びEXILEのメンバー。 |
祖父 (父方) | 岩田孝七 – マドラス株式会社の前社長。日本の革靴産業に多大な貢献をした。 |
曽祖父 | 岩田武七 (二代目) – 亜細亜製靴株式会社(現マドラス株式会社)の創業者。 |
高祖父 | 岩田武七 (初代) – 事業家として成功し、陸軍に皮革製品を供給。 |
祖母 | 2014年に亡くなっている。EXILEに入ることを岩田剛典さんから約束されていた。 |