この記事では、日本を代表とするシンガーソングライターの中島みゆきさんの夫や結婚の噂について調査しました!
さらに中島みゆきさんの弟の職業や、父親、母親、さらには億越えといわれる年収も調べています。
中島みゆきさんはメディアへの露出も少ないことから謎が多いですが、この記事を読めば中島みゆきさんについてよくわかりますよ。


目次
中島みゆきのプロフィール!本名は中島美雪で身長は161cm

- 名前:中島みゆき
- 本名:中島美雪(なかじまみゆき)
- 生年月日:1952年2月23日
- 身長:161cm
- 体重:非公表
- 血液型:B型
- 出身地:北海道札幌市
- 学歴:北海道岩内町立岩内西小学校→北海道帯広市立帯広小学校→北海道帯広市立帯広第三中学校→山形県山形市立第六中学校→北海道帯広市立帯広第三中学校→北海道帯広柏葉高等学校→藤女子大学文学部国文学科
中島みゆきさんは1952年2月23日生まれで、出身は北海道札幌市。
本名は中島美雪(なかじま みゆき)さんで、「美しい雪」という美しい名前ですが、アーティスト名はあえて“ひらがな”表記にしています。
この理由については、ひらがなの方が印象に残りやすく、楽曲や人物像のイメージが限定されにくいという意図があったのではないかとも言われています。
中島みゆきさんは、北海道の自然に囲まれて育ち、子ども時代は札幌、岩内、山形、そして帯広と、引っ越しを繰り返しながら成長しました。

高校は帯広柏葉高校を卒業し、その後、札幌の藤女子大学文学部国文学科に進学。
大学時代には放送研究会に所属し、ラジオ局でアルバイトもしながら音楽活動に力を入れ、地元のフォークソングコンテストに数多く出場し、「コンテスト荒らし」と呼ばれるほどの実力を誇っていたそうです。

1975年には「ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)」で「傷ついた翼」を披露して入賞し、同年9月に「アザミ嬢のララバイ」でプロデビューし、10月には「時代」でグランプリを受賞、11月には「世界歌謡祭」でもグランプリを受賞しました。

また、代表曲には「糸」「地上の星」「空と君のあいだに」「ファイト!」「時代」などがあり、「糸」はカバーしたアーティストも非常に多く、結婚式の定番ソングとしても知られています。
中島みゆきに夫はいる?夫がいると噂される理由や噂になった人は?

中島みゆきに夫はいない!夫がいると噂される理由は?
結論から言うと、中島みゆきさんに夫はいません。
過去に結婚や交際のうわさが出たことはありますが、本人が公に結婚を発表したことは一度もないです。
なぜここまで「夫がいるのでは?」といううわさが出るのかというと、理由はいくつかあります。
ひとつは、中島みゆきさんの私生活がほとんど知られていないからです。

テレビ出演も少なく、インタビューでもプライベートにはほとんど触れないため、多くの人が想像で話をしてしまうのです。
中島みゆきの夫と噂になった人は松山千春!夫を名乗る人も現れる・・
中島みゆきさんの噂で有名なのが、同じ北海道出身のシンガーソングライター・松山千春さんとの噂です。
ラジオ番組での仲の良いやり取りや、お互いを呼び捨てで話す様子から、週刊誌が「友情結婚か?」などと騒ぎ立てたことがあったのです。

ふたりは昔からラジオなどで親しげに会話しており、その様子を聞いたリスナーたちが「結婚しているのでは?」と思い込んだのがきっかけでした。
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しかし、松山千春さん本人が「みゆきとは仲がいいけど、結婚のうわさにはゾッとした」と笑いながら否定。
すでに松山千春さんは別の一般女性と結婚していることがわかっており、この話がデマであることははっきりしています。
さらに、2008年には「中島みゆきの夫」と名乗る男が詐欺事件を起こし、逮捕されたという信じがたい出来事もありました。
その男は「自分は中島みゆきの夫」と言って信じ込ませ、交通費名目でお金をだまし取っていたのです。
歌手中島みゆきの夫を名乗って不動産会社に近づき、商談の交通費名目で現金をだまし取ったとして、大阪府警曽根崎署は11日までに、住所不定、無職相良保男容疑者(71)を逮捕した。「中島さんは私生活が知られていない。わたしは母方の姓を名乗っているが父方の姓が中島。なじみもあった」と供述。
【引用元:日刊スポーツ】
結局その事件によって、「中島みゆきに夫はいない」ということが逆に広く知られるようになりました。
なお、この事件は、あまりに中島みゆきさんの私生活が知られていないことが背景にあったと言われています。
それだけ中島みゆきさんのプライベートは謎に包まれていて、「夫がいるのでは?」「子どもがいるのでは?」といった憶測が出やすいのです。

中島みゆきの結婚の噂や理想の結婚相手は?

中島みゆきは結婚の噂があるも婚姻歴はなし!
中島みゆきさんは、2025年現在、一度も結婚したことはありません。
1975年に「アザミ嬢のララバイ」でデビューして以来、50年にわたって音楽の世界で活躍してきた彼女ですが、プライベートについてはほとんど語ることがなく、「独身を貫いている」ということがファンの間では広く知られています。

若い頃のインタビューでは「結婚するなら30歳までにしたい」と語っていたこともあります。
これは中島みゆきさんの父が産婦人科医で、当時の出産リスクをよく知っていたため、若いうちに出産するのが理想と考えていたようです。
しかしその後、音楽に全力を注ぐうちに結婚のタイミングを逃したと語ったこともあります。
中島みゆきの理想の結婚相手は?
中島みゆきさんは自身の恋愛観については「彼氏に白馬で迎えに来てほしいけど、付き合ってると今度は空も飛んでほしくなる」と冗談まじりに話していたこともあり、理想がどんどん高くなってしまうタイプだったようです。
そのため、いつしか結婚という道を選ばず、創作とステージに人生を捧げるようになったのかもしれません。
ファンの間では、中島みゆきさんの楽曲に込められた深い愛情や人間ドラマが「まるで実体験のよう」と感じる人も多く、「本当は結婚していたのでは?」という噂が立つこともありましたが、公式に結婚したという記録はなく、今でも独身というのが事実です。
中島みゆきの弟は医者で臓器移植の専門医!会社の取締役もしている!
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中島みゆきの弟は医者の中島一郎で臓器移植の専門医!
中島みゆきさんの弟は医者です。
名前は中島一朗(なかじま いちろう)さんといい、臓器移植の専門医として東京で活躍していることがわかっています。
弟の一朗さんは、札幌医科大学を1982年に卒業し、医学博士の資格を持っています。
専門は臓器移植や内視鏡外科で、日本外科学会の外科専門医、日本透析医学会の透析専門医という難しい資格も持っているそうです。
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これまで、東京女子医科大学の腎臓病総合医療センターで長年にわたって移植医療に関わり、講師としても教えていました。
現在は、板橋中央総合病院という大きな病院で臓器移植センター長を務めていて、リーダーとしてチームをまとめながら、患者さんの命を救っています。

中島みゆきの弟が医者を目指した理由は父親の影響!
中島一朗さんが医者を目指したきっかけは、父親の影響だといわれています。
中島みゆきさんの父、中島眞一郎さんは北海道大学(当時の名称は北海道帝国大学)を出た産婦人科の開業医でした。
地域の人々に信頼される優しいお医者さんで、一朗さんは小さい頃からその姿を見て育ったそうです。
しかし、1975年、父の眞一郎さんが脳溢血で突然倒れてしまい、そのまま意識が戻らずに亡くなってしまいます。
当時、弟の一朗さんは医学部の学生で、姉のみゆきさんはまだデビューして間もない時期でした。
家にはほとんどお金がなく、みゆきさんが音楽コンテストで優勝して得た賞金を使って、お父さんのお葬式をしたというエピソードもあります。
その後、中島みゆきさんは音楽で大成功し、弟の一朗さんの学費も支えながら、家族を助け続けました。
だが同じタイミングで父が脳溢血で倒れて亡くなった。エッセイスト・桐島洋子さんとの雑誌の対談で、中島は当時を振り返ってこう述べている。《医者にもピンからキリまであって、うちの場合はキリでしたし、父が亡くなって、貯金を調べたら、たった10万円あったきりでした》中島は1975年9月に「アザミ嬢のララバイ」でレコードデビューしたが、その背景にも経済的な苦境があった。「ポプコン・グランプリの賞金150万円は、まるまる父親の葬儀代になったそうです。父の死後、収入面で一家を支えるため、みゆきさんは東京に出てプロの歌手になる決意をしました。
【引用元:ポストセブン】
中島みゆきの弟は取締役で姉の仕事を支える!
弟の中島一朗さんは、医者だけでなく中島みゆきさんの音楽活動を支える「有限会社あいらんど」の取締役も務めています。
この会社は中島みゆきさんの音楽やコンサートを管理・運営する大事な会社です。
つまり、一朗さんは医療の世界だけでなく、姉の音楽人生を支える存在でもあり、姉と弟の仲の良さもわかります。
中島みゆきの父親は医師で開業医も生活は苦しかった・・

中島みゆきの父親は医師で開業医!産婦人科医だった
中島みゆきの父親・中島眞一郎さんは、1924年生まれで、名門・北海道帝国大学医学部(現在の北海道大学医学部)を卒業した産婦人科医でした。
中島みゆきさんは、札幌市で生まれましたが、その後、岩内町や帯広市などを転々としながら育ちました。
その理由のひとつが、父・眞一郎さんの仕事の関係でした。
帯広では、自宅で産婦人科を開業しており、地域に根ざした医療を提供していたそうです。
患者さんからの信頼も厚く、温厚でまじめな人柄だったといわれています。

また、地元の人々に親しまれ、帯広の医療の発展にも貢献した人物でした。
中島みゆきの父親は開業医も家計が苦しかった・・
中島みゆきさんの父は開業医でしたが、家計が苦しく、みゆきさんは、父の医療現場を手伝いながら、音楽の道を歩み出していきます。
しかし、上述のように、家族の中心的存在だった父・眞一郎さんは、1975年、中島みゆきさんがデビューした年に、脳溢血で突然倒れ、意識が戻らないまま、1976年1月に51歳の若さで亡くなりました。
なお父親は厳格な人で、子供へのしつけが厳しく、みゆきさんは両親を「お父さま、お母さま」と呼んでいました。
「父親は厳格なかたで、子供たちを厳しくしつけていました。母親は山形の名家の出身で、近所でも評判の美人。幼いみゆきさんは両親を『お父さま、お母さま』と呼んでいたそうです」(前出・中島の知人)
【引用元:ポストセブン】
中島みゆきの母親は中島典子!娘の事務所の代表を務める!

中島みゆきの母親は中島典子!夫の病院で働き家計を助ける!
中島みゆきさんの母親は、中島典子さんといい、1929年生まれの、山形県出身です。

もともと母・典子さんは、体が弱いところがあり、中島みゆきさんが11歳の時には、母の体調不良をきっかけに、山形の実家に療養のため移り住んだこともありました。
そして、父親は開業医でしたが金銭的に苦しく、中島みゆきさんと母親は共に父親の病院で働き、中島みゆきさんが音楽で成功した際には豪邸をプレゼントしています。
「開業医になっても、中島家の生活は苦しいもので、みゆきさんとお母さんが病院で働いて家計を助けていたんです。みゆきさんの弟は父と同じ医者をめざしており、その学費を捻出する必要もあった。みゆきさんは合間を見つけてはコンテストに出場して、賞金を稼いで生活費にしていました。ヤマハ主催のポピュラーソングコンテスト(ポプコン)によく出ていたのは、ヤマハの賞金だけ現金払いだったからです」
中島みゆきの母親は娘の事務所の代表に!
中島みゆきさんは音楽で成功し、有限会社「あいらんど」という、音楽活動のための会社を作ります。
そして、母親は有限会社「あいらんど」の代表取締役を務め、表には出ないものの、長年にわたり娘を支えてきました。
中島みゆきさんと母・典子さんは一緒に生活し、母親がみゆきさんの家事や身の回りの世話を行っていたようです。
「みゆきさんとお母さんは、一家が苦しいなかで、ともに歯を食いしばって助け合った戦友のようなものです。東京で成功したみゆきさんは、そんな母の労をねぎらうつもりで豪邸を購入し、北海道からお母さんを呼び寄せました。もっともみゆきさんは朝が苦手で、一緒に暮らし始めてからは、家事や洗濯などの身の回りの世話はずっとお母さんがみていました。家の中で飼っていたシェパードの世話をするのもお母さんの仕事だったそうです(笑い)」(別の中島の知人)
【引用元:ポストセブン】
中島みゆきは母親の介護を行い音楽活動をセーブ
晩年には、母親が転倒して車椅子生活となり、中島みゆきさんが自ら介護にあたっていたという話もあります。
そのため一時期、表立った音楽活動が減ったこともありましたが、それは「本人が病気になったから」ではなく、「母親の介護を優先したから」という理由だったのです。
そして、2014年に母・典子さんは亡くなります。
だが寄る年波には勝てない。2010年頃、母親が自宅で転倒してひとりで歩けなくなり、車いす生活を強いられたのだ。中島は、自分の手で率先して母親を介護していたという。しかし2014年に母親の体調が急変した。一日でも長く一緒にいたいと願う娘の必死の介護も及ばず、この年の末に母親は息を引き取った。
【引用元:ポストセブン】

中島みゆきの年収は億越え?年収が高い理由は?

中島みゆきの年収は億越え?30歳で母親に1.6億の豪邸をプレゼント
中島みゆきさんの年収は、推定でなんと1.8億円とも言われています。
30歳にして、中島みゆきさんは東京都世田谷区に1.6億円で豪邸を建設し、母親にプレゼントしています。
歌手活動が軌道に乗った1982年、中島は30才にして、都内の高級住宅街の一角に鉄筋2階建て、当時の価格で約1億6000万円といわれる一戸建てを建てた。この豪邸を中島は母親にプレゼントした。
【引用元:ポストセブン】
ちなみに、その豪邸で中島みゆきさんと母親そして、弟夫婦も生活していました。
中島みゆきの年収が高い理由は?
中島みゆきさんの年収が高い理由ですが、中島みゆきさん自身がが作詞・作曲のすべてを手がける「シンガーソングライター」だからです。
中島みゆきさんが書いた歌は、自分が歌うだけでなく、多くの歌手がカバーしているため、そのたびに印税が自身に入ってきます。
中でも「糸」や「時代」、「ファイト!」、「地上の星」などは、今でもカラオケやテレビ、映画、CMなどでよく使われていて、たくさんの人に歌われています。
「糸」は結婚式の定番ソングとしても人気で、2020年には菅田将暉さんと小松菜奈さんの主演で映画にもなりました。

2017年には「糸」だけで年間4000万円以上のカラオケ印税があったともいわれています。
さらに、中島みゆきさんはコンサートでも大きな収益を上げており、チケットは毎回すぐに売り切れ、グッズ販売も好調です。
2024年には「歌会VOL.1」というコンサートツアーを開催し、全国で16公演を行い、大きな会場を使い、何万人ものファンが訪れるため、コンサートの収益も年収に大きく貢献していると思われます。

また、楽曲の提供も大きな収入源で、これまでに研ナオコさんや工藤静香さんなど、数多くの有名歌手に楽曲を提供し、その中にはヒット曲もたくさんあります。
こういった提供曲からも印税が入り続けているため、年齢を重ねても安定した収入が見込めるのです。
中島みゆきの年収は2億を超えていた時期も
中島みゆきさんは、1990年代には年収が2億円を超えていた年もあり、「高額納税者番付」に何度も名前が出たこともあります。

現在は大規模なライブを頻繁に行うわけではありませんが、長年にわたるヒット曲の印税と、根強い人気のおかげで、今でも高い年収をキープしているようです。
中島みゆきまとめ

中島みゆきさんは結婚歴がなく、現在も独身です。
プライベートを明かさないため「夫がいるのでは?」という噂が出たこともありますが、実際には結婚した事実はありません。
父は産婦人科医でしたが家計は苦しく、デビュー賞金で葬儀費用をまかなったエピソードもあります。
弟は臓器移植の専門医で、みゆきさんの事務所の取締役も務めています。
母・典子さんは事務所代表として活動を支え、晩年は介護が必要となり、みゆきさんがその世話をしていました。
年収は作詞作曲による印税やライブ収益で高く、過去には1.8億円、全盛期には2億円超とされ、「糸」などの名曲が現在も収入源になっています。