この記事では、人気アーティストあのちゃんの家族構成について詳しく紹介していきたいと思います。
あのちゃんは独特なキャラクターで多くのファンがいますが、あのちゃんのアーティストとしての活躍の裏には、学生時代の苦労や、家族の大きな支えがありました。
あのちゃんの家族とのエピソードや学生時代の経験、芸能界に進んだ道のりなどをたどり、あのちゃんの魅力やその背景に迫りたいと思います。


目次
あのちゃんの家族構成!父親・母親・兄の4人家族

あのちゃんの家族構成は「父親・母親・兄・本人」の4人です。
また、あのちゃんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?


あのちゃんの生い立ち!不登校・引きこもりから芸能界に
あのちゃんの幼少期の写真ほど大好物なものはない pic.twitter.com/BbXUSJCSHG
— ゆる☃︎ (@a_n_o__00) March 18, 2024
- 名前:あの(別名義:ano)
- 本名:志水彩乃
- 生年月日:1997年(平成9年)9月4日
- 身長:166㎝
- 体重:42.7kg
- 血液型:A型
- 出身地:千葉県柏市
- 学歴:千葉県柏市内の公立小学校→千葉県柏市立酒井根中学校→私立柏日体高等学校コース不明(偏差値47〜55)中退
あのちゃんの本名・出身地・生年月日
あのちゃんの本名は「志水彩乃」さんで、「あのちゃん」という芸名で活動しています。
出身地は明確には公表されていませんが、千葉県柏市と言われています。
これはあのちゃんが高校1年生の時に雑誌『HR』に「千葉県柏市在住」と記載されていたことなどから推測された情報です。
なお、あのちゃんの生年月日は1997年9月4日という説が有力です。

しかし、あのちゃん自身は生年を明らかにしておらず、これはかつて所属していたアイドルグループ「ゆるめるモ」がメンバー全員の年齢を非公開にしていたためとされています。
このことで、あのちゃんのミステリアスなキャラクターが一層際立っています。
あのちゃんの幼少期:女の子からの取り合いで不登園?
幼少期のあのちゃんは無口で、ほとんど話さなかったそうです。
幼稚園時代、女の子たちに取り合いされるのが嫌で、不登園になったこともあります。
幼稚園にいた時に、両側から女の子に腕を引っ張り合いされてて、ずっと。“あたしのもの”みたいな。“取り合い”してくれたんだけど、僕はそのころからほんと、それが嫌で。そこから幼稚園行かなくなって…」と振り返った。
【引用元:日刊スポーツ】
また、幼稚園の同級生から「仲良くしたい」と言われるのも嫌で、そのような人をずっとにらんでいたそうです。
「“私が仲良くしたい”とか言われるのが嫌だったの?」と確認すると、あのは「嫌だ。“どうでもいい、黙れ”と思った。うれしくなくて、当時。本当に」と返答。上田から「“好き”って言われるような、目立つ感じも嫌だった?」と質問されると、あのは「嫌でした。それで注目浴びる感じが嫌で。そういう人のことをずっとにらんで。ママもにらんで」と実際ににらんでいる表情を再現した。
【引用元:日刊スポーツ】
そんなあのちゃんですが、おしゃれには興味があり、当時から服が好きだったそうです。
あのちゃんの小学生時代:人間関係がうまくいかず不登校に
あのちゃんは、千葉県柏市の公立小学校に通っていました。
具体的な校名は不明ですが、あのちゃんが通っていた中学校の校区から推測すると、柏市立酒井根小学校、柏市立酒井根東小学校、柏市立酒井根西小学校のいずれかに通っていた可能性が高いと思われます。
あのちゃんは小学生の頃、給食が苦手で牛乳を大量に飲んだ結果、吐いてしまい、その出来事がきっかけで、別部屋で給食を食べるようになったそうです。
あのは「学校で偏食すぎて、食べれるものが本当になくて…給食。牛乳をだいたい5本くらい飲んでて。ある日、おなか空きすぎちゃって牛乳13本飲んだら、全部ブシャーッと(吐き出しちゃって)。グラムチャウダーみたいな」と当時のエピソードを話した。そして「そしたら、その日からみんな、(自分を)見る目が変わった感じがあって。恥ずかしいし。そこから給食は別部屋で食べる生活になって、いろいろあって不登校になりました」と、小学校か中学校かは明示しなかったものの、学校に行かなくなった理由を振り返った。
【引用元:日刊スポーツ】
そして、小学校3年生頃から人間関係がうまくいかず、いじめに遭っていたこともあり、文房具を隠されたり、自分がやっていないことの責任を押し付けられたりすることがありました。
このような経験から学校に行く意味を感じなくなったと語っており、不登校になったそうです。

ちなみにあのちゃんは、そろばん教室に通っていた時もありましたが、他の子供たちのように上手くできず、後ろででんぐり返しをしていたというエピソードがあります。
小さい頃にそろばん教室に行って、みんなみたいにパチパチができないので後ろで、でんぐり返しをしてたんですよ。そこに一から無量大数まで書いてあったから自然と覚えちゃった。小学校2年ぐらいの話です
【引用元:めざましmedia】

あのちゃんの中学時代:引きこもりで不登校も美術は最高評価!
あのちゃんの中学時代は、千葉県柏市立酒井根中学校に通っていました。

当初、あのちゃんはバスケ部に所属していましたが、すぐに辞めています。
部活に入るように先生から言われたため、バスケ部に入部して、真面目に取り組んでいましたが、やる気がないように見られてしまったことが原因のようです。
そのときは部活に入らなくてはいけない学校に通っていて、先生にバスケ部に入りなさいと言われて無理矢理入って、だんだんと真面目にやるようになってスポーツに打ち込んでいました。でも、すぐやる気ないように見られてしまって、みんなの前で怒られたりするのも嫌で。不登校になって、部活も辞めて。
【引用元:anan web】
あのちゃんは中学2年生の頃から引きこもりがちになり、その原因はクラスでのトラブルでした。
あのちゃんのクラスはいじめが多く、それを見ているのが辛くて、ある日クラスで怒りが爆発し、教室を荒らしてしまいました。
「いじめとか多かったから。自分もそうだったけど、クラスの子とかいじめられてるのを見るのもしんどくて、それこそブチってなっちゃって。爆発しちゃって、クラスの教室とか全部荒らして」と振り返り「親が学校に呼ばれたりとかもあったし。不登校だったんで。それ以降はずっと」と打ち明けた。
【引用元:サンスポ】
この事件がきっかけで、親も学校に呼び出され、それ以降は学校に行かない日が多くなり、学校に対して強い嫌悪感を抱いていたため、あのちゃんは引きこもりがちになりました。
しかし、そんな中でも美術の授業だけは最高評価を得ていました。
家で作った作品を提出することが許されていたため、美術の成績は常に5でした。

また、学校に行けた日は給食の時間、一人で小さい部屋で食べていましたが、美術の先生だけは会いに来てくれて、そこで話をすることができました。
美術の成績の話題になると、あのちゃんは「僕は5でした。学校行ってなかったけど、美術だけはなぜが5だった」と最高評価だったと明かした。「美術は家で作ったものを出すのを許されていて。まだ学校に行けたときは、給食の時間も、一人だけ小さい部屋で食べてたんだけど、美術の先生だけが会いに来てくれて。そこでお話をしてくれて、仲良くなったから5をもらった」というと、安藤が「コネ?でもいい先生がいてよかったね」とツッコミを入れて笑わせていた。
【引用元:スポニチ】


あのちゃんの高校〜デビュー前:高校中退しレジ打ちも3日で辞める
あのちゃんは中学卒業後、柏日体高校(現日本体育大学柏高校)に進学しました。
この学校は日本体育大学系列の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
あのちゃんが高校1年生の時にティーン向けファッション誌「HR」にも掲載されており、その際「私立柏日体高1年」と記載されていました。

高校時代、あのちゃんは運動神経が良かったですが、部活動には参加せず帰宅部でした。

ただあのちゃんは高校に入学してすぐに集団に馴染めず不登校になり、最終的には高校1年生の早い段階で中退しました。
あのちゃんは、自分の部屋だけが居場所だと感じていた時期があったと振り返っています。
不登校だったんで、なにもしてなかったです。 ずっと部屋にいました。集団でいるのが「無理だな」って思って、高校に入ってすぐに学校を辞めてしまったんです。ずっと、周りとは馴染めなかったですね。自分の部屋ぐらいしか居場所はありませんでした。
【引用元:FromA】
学校を辞めたことについて、あのちゃんは「行動力だけはあった」と語っており、学校を辞めるという決断もその一環だったとしています。
インタビューでは、「逃げることも行動だ」と述べています。

学校は周りに相談無しで勝手にやめました(笑)アイドルをやっていても、ライブもそうだし、予定調和じゃないものとかは、全部自分のタイミング。自分の瞬間瞬間の感覚なので、そうゆうのも全部自分の行動した結果としてつながると思います。
【引用元:TOWN WORK マガジン】
しかし、このままではダメになると感じたあのちゃんは、学校以外の居場所を見つけるためにアルバイトを始めました。
スーパーのレジ打ちを担当し、レジ打ちは得意だったそうです。
レジ打つのがすごく早くなった(笑)すごい得意になって、声は小さいけどレジ打ちだけ早いって紙に書かれるようになってました。
【引用元:TOWN WORK マガジン】
ただ接客が苦手で「いらっしゃいませ」と上手く言えずに怒られることが多かったそうです。
モノとかはいらなくって。ただ、普通に生きられる社会性と居場所が欲しかった。 学校に行ってなかったから、どこか学校以外の場所をなんでもいいから見つけなきゃって思ったんです。それで、軽い気持ちでスーパーのレジ打ちのバイトを始めました。ただ、面接がすごく苦手なので、応募するのにも相当な時間がかかりました。そして実際に働いてみると声が小さくて、「いらっしゃいませ」もうまく言えませんでした。上手に笑うこともできなくって。 レジ打ちは得意だったんですけど、接客がなかなかできなかったので店長にはよく怒られました。
【引用元:FromA】
2024年2月27日に放送された「踊る!さんま御殿!!」では、客からのクレームに対して逆ギレしてしまい、アルバイトを3日で辞めたことを明かしています。


あのちゃんのデビュー後〜現在:引きこもりから芸能界へ
あのちゃんは、3日でアルバイトを辞めましたが、その後、16歳だった2013年9月にアイドルグループ「ゆるめるモ!」のオーディションに合格し、メンバーとして活動を始めました。
アイドルには元々興味がなかったものの、募集要項に「音楽が好きな人」や「お笑いが好きな人」と書かれていたことが、応募のきっかけとなりました。
あのちゃんは面接が苦手で、当時は外に出るのも大変なひきこもり状態でしたが、何度も運営からメールが送られてきたと、当時の様子を語っています。
Twitterのリツイートで、募集の告知を見て応募しました。 アイドルは興味なかったんですけど、楽器もやってるグループって知って、「音楽が好きな人」とか「お笑いが好きな人」って募集要項に書いてあって、「じゃあ大丈夫かな」って。そしたら、すぐにメールが来て面接に来てくださいって言われちゃったので、しばらくシカトしてたんです。「また、面接か。イヤだな」って。 面接でいろいろ聞かれるのも嫌だったし、その時の気持ちをうまく言葉にできないと思いました。外に出るのも一苦労のひきこもりなのに、アイドルの面接なんてハードルが高すぎるなって。
【引用元:FromA】

そして一度ライブを見に来てほしいと説得され、ライブを見に行った時、お客さんが少なく、演奏もあまり上手ではなかったため、「本当に大丈夫かな?」と心配になったそうです。
何度もしつこくメールがきて、一度ライブだけでも見にきて欲しいと言われたんです。ライブに行ってみたら、お客さんは全然いないし楽器もうまくなくて、正直「大丈夫かな、これ」って思いました。
【引用元:FromA】
ただそのような何もない状態から始めることが逆に良いと感じ、プロデューサーの強い熱意に応え、「このまま何もしないよりは、アイドル活動をやってみる方がいいかもしれない」と思い、グループに参加することを決めました。


そしてあのちゃんは「ゆるめるモ!」でギターを担当し、2013年から2019年まで活動しました。
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アイドル時代にはドラマや映画、バラエティ番組など、幅広い分野で活躍しましたが、2019年9月にグループを脱退しました。
僕、「あの」は、本日付けでゆるめるモ!を脱退させて頂きました。
今まで応援して頂いた皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。
今後のことは自分なりに考え、創作・発信していきたいと思っています。ありがとうございました。— あの (@aNo2mass) September 30, 2019
脱退後も芸能活動は続けると表明し、2020年には『ano』名義でファーストシングル『デリート』をリリースし、ソロアーティストとしてデビューしました。
2022年にはTVアニメ『チェンソーマン』のエンディングテーマとなったシングル『ちゅ、多様性。』をリリースしました。
現在、あのちゃんはバラエティやドラマ出演など、マルチな活動を展開し、大活躍しています。


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あのちゃんの父親は元バンドマンでバンド名は?父の名前は秩父?

あのちゃんの父親は秩父?職業はサラリーマン!?
あのちゃんの父親は一般の方で、名前や年齢は公開されていませんが、あのちゃん自身が「普通に働いている人」と言っていることから一般企業に務めるサラリーマンの可能性が考えられます。
あのちゃんはYouTubeでの対談で、父親を「秩父」と呼んでいることを明かしました。
この独特な呼び方は「父から秩父になった」という理由だそうです。
見終わった!ひろゆきさん、奥さんと違って家族の悪口にも「他人のこと何とも思わない」自他境界半端ない‼️😳
あのちゃんの家族の呼び名がバラバラ🤣父→秩父、母→お母様、兄→お兄ちゃん(疎遠)
ひろゆきさんは歌を歌ってないことになってる
あのちゃん当日行かない文化祭役員😆
お2人共可愛かった🥰 pic.twitter.com/oqpRuEi1GE— セイナ@ひろゆき好き (@seina20171001) May 28, 2023
あのちゃんの父親は元バンドマンでバンド名は?デビューはした?
あのちゃんの父親は元バンドマンで、家にはギターやアンプ、ピアノがありました。
ただバンド名は不明で、デビューなどはしていないようです。
幼い頃から家では洋楽が流れ、幼稚園の送り迎えもロックやヘビーメタルが流れていました。
父がバンドをやっていた時期があったので、家にはいくつもギターがあって、アンプやピアノも置いてありました。家では洋楽がよく流れていましたし、幼稚園の送り迎えも洋楽のロックバンドの曲やヘビーメタルのような激しいサウンドが流れていた環境です。その頃はまだ物心がついていないから、音楽の良さをまだ理解できずに「うるさいなあ」と思っていましたね(笑)。
【引用元:anan web】
あのちゃんは父親の聴く音楽の良さを理解できなかったものの、父親からギターを教わり、音楽活動に影響を受けました。
そして父親はあのちゃんのやりたいことを応援し、肯定してくれる存在だそうです。
あのは自身の父親との関係について「自分がこれをやりたいということに対しては『いいよ』と言ってくれますね」とにっこり。「パパが昔バンドをやっていて、家の中でずっと音楽が流れていました。ギターを教えてくれたりもして」とほほえましいエピソードを披露した。
【引用元:ORICON NEWS】
あのちゃんは父親のGibsonのメロディーメーカーというギターを使ってライブを行ったこともあり、親子の仲の良さがうかがえます。
家では小さい頃からおうちにあるギターで弾いてるこれライブで使ウて、 pic.twitter.com/CERrploOI1
— あの (@aNo2mass) February 22, 2017
あのちゃんの父親はあのちゃんの胸ぐらをつかんだ?
あのちゃんの父親はあのちゃんにとって怖い存在だったそうで、不登校時に夜な夜な外出してると父親から胸ぐらをつかまれたそうです。
しかし、その厳しさは母親に迷惑をかけるなという、家族やあのちゃんへの心配から来るものでした。
2023年9月18日に出演した「突然ですが占ってもいいですか?」(フジテレビ系)で、父親は元バンドマンで自身にギターを教えてくれた人であると告白。「学校行かないし、引きこもりで。夜な夜な結構夜だけ外出て、一人でずっと散歩というか、途方に暮れていたら、(父親に)『ママに迷惑かけんじゃねぇ』って怒られました。胸ぐらつかまれました」と明かしている。
【引用元:JCASTニュース】

あのちゃんと父親はそっくり!?最近の関係は疎遠気味?
あのちゃんの父親が東京に来るときにはあのちゃんが手料理をふるまうこともあります。
例えば、オムライスを作り、ケチャップでいたずら書きをしても気付かずに食べてしまうという、父親の可愛いエピソードもあります。
「ぼくもオムライス作ったりするんだよ。(自分で)食べないのに」「パパとかが東京来たときは、『お前メシ食ってけ』つって」と料理をふるまっていることを明かし、安藤さんを驚かせる。安藤さんが「パパ喜んでいるんじゃないの?」と父親の反応を尋ねると、あのさんは「(父親は)一瞬で食べちゃう。怖いホント」と笑い。ケチャップで「F○CK」と書くいたずらをしても、気が付いていないのか「何も言われないの(笑)」と話す。
【引用元:JCASTニュース】
そんな可愛い一面のある父親ですが、あのちゃんと似ている部分が多く、LINEのメッセージを溜めてしまうところや電話に出ないところがそっくりで、しゃべり方も似ているそうです。

また、父親はバイク好きで、大型バイクに乗って東京に来ることがあるため、あのちゃんもその影響でカブに乗っています。
あのちゃん、バイク好きの父親の影響でカブ乗ってるって聞いてちょっと親近感(笑) pic.twitter.com/1fDnYre6eT
— TakA.y (@RASEN01) January 1, 2024
最近は父親と疎遠になっているようで、紅白歌合戦への出場が決まった際にも連絡が来なかったと話していますが、父親が面倒くさがって連絡をしなかっただけかもしれません。
「父、もう会ってない。ずっと」と最近疎遠気味であるとも。「紅白(歌合戦への出場)が決まったときも、パパとかから(連絡が)来なかった」
【引用元:JCASTニュース】


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あのちゃんの母親は毎日特製スープを作ってくれる人!

あのちゃんに母親はいないは誤報!!
あのちゃんのお母さんは一般人なので、名前や顔写真、職業などは公開されていません。
しかし、あのちゃんは「母親がいない」という噂がネットで流れたことがありました。
これは、あのちゃんが以前母親について聞かれた際に「いました。」と過去形で答えたことがきっかけです。
そのため、一部の人々は両親が離婚しているのではないかとか、母親が亡くなったのではないかと噂されていましたが、しかし実際には両親は離婚しておらず、母親は元気に暮らしているようです。
あのちゃんは母親の「特別なスープ」が大好き!!
あのちゃんは幼少期に固形物が食べられない時期がありました。
そこで、あのちゃんの母親は、少しでも栄養がとれるようにと、野菜がたっぷり入った「特別なスープ」を毎日作ってくれていたそうです。
あのちゃんは自身の幼少期を振り返り、「野菜も嫌いで、栄養が偏って爪が本当に無くなるくらいだった」と語っています。
そのため、実家では母親特製の「特別なスープ」が毎日出されており、この経験から、あのちゃんは「汁もの」が大好きになったそうです。
今でこそまだマシになったけど(幼少期は)固形物もほぼ食べれなかった。野菜ももちろん嫌いだし、栄養が偏って爪が本当に無くなるくらいだった」と振り返った。そんなあののために、実家では野菜なども入れ込んだ「特別なスープ」が毎日出ていたといい「かーちゃん特製のさ、だから(今でも)本当に汁が好きなの」と思い出の味を告白。
【引用元:modelpress】

そして、あのちゃんはお母さんが作ってくれるお弁当を他の人に食べさせたことはないそうです。
その理由として、他人から何か言われるのが嫌だからだと述べています。
あのちゃんは、自分のことよりも母親が何か言われることに耐えられず、感情的になってしまうことがあるとし、その思いから泣きそうになることもあることや、母親に対して独占欲の塊であることをインタビューで語っています。
母親特製の料理について「ママのお弁当を(他の人に)食べさせたことない」とコメント。理由について「何か言われたら嫌だもん」とし「僕、本当に自分のことよりもそういう人(母親)が(何かを)言われるのがマジで耐えられないの。カーっとなっちゃう。泣きそうになってきた!」と続けた。
「他の友達も来て(一緒に食べる)みたいな、そういうのも絶対受け付けませんでした」と回顧。「ママに対して独占欲の塊(笑)」と少し恥ずかしそうに母親への思いを口にしていた。
【引用元:modelpress】

あのちゃんの引きこもり時代も否定せず見守ってくれた両親!
あのちゃんの家族は、あのちゃんの個性を尊重し、否定することなく見守ってくれたそうです。
あのちゃんがひきこもりやいじめについて語ったときも、家族は哲学の本やひきこもりに関する本を家にたくさん置き、あのちゃんの心を理解しようとしてくれていたようです。
そのため、あのちゃんは家族から「学校に行け」とか「家から出ろ」といった否定的な言葉をかけられることはなかったと語っています。
それこそ(動画の中で)専門の人が「否定はしちゃだめ」って言ってたけど、(家族から)否定されなかったなっていうのはありますね。「学校行け」とか、「家から出ろ」とか、「ひきこもってんじゃない!」って怒られたりとかはなかったから。ただ、やっぱり家には哲学の本もいっぱいあったし、「ひきこもり」とか「いじめ」とかいろんなことに関する本がいっぱいあったな~っていうのは思うから、家族なりにそこに対してすごい向き合ってくれてたのかなとは思って。けど、ずっと部屋も荒らしまくってめちゃくちゃ迷惑かけてました。
【引用元:NHK】

あのちゃんと母親の関係性は?
2014年9月7日に東京・新宿MARZで開催された『ゆるめるモ!あの生誕~ANOtherWORLD~』では、あのちゃんの母親からの手紙が朗読されました。
その手紙には「生まれてきてくれてありがとう! お味噌汁を作っていつでも応援しています」と書かれており、あのちゃんはとても嬉しかったそうです。
ゆるめるモ!のほとんどの曲の作詞を担当する小林愛がサプライズゲストとして登場し、あのの母親から預かったという手紙を朗読。手紙には、あのが過去に引きこもりの経験をしながらも今このステージに立っていることに対して、「生まれてきてくれてありがとう! お味噌汁を作っていつでも応援しています」と感謝の気持ちが述べられていた。
【引用元:音楽ナタリー】
あのちゃんは現在でもかなりの偏食で、食べられないものが多く、主食がお菓子になっていることもあります。
そのため、あのちゃんの母親は偏食のあのちゃんのために、今でも「食べられるお味噌汁」を作ってくれており、あのちゃんは母親が作るお味噌汁が大好きだそうです。

さらに、あのちゃんがTBS系『ラヴィット!』に出演する前日の母とのLINEのやりとりを公開したこともあります。
— あの (@aNo2mass) October 12, 2021

あのちゃんの母親の顔画像をAIで想像してみた!




あのちゃんの兄は教師でカブトムシと関ジャニ∞好き!

あのちゃんの兄は教師で既婚者だった!!
あのちゃんには、4歳年上の兄が1人います。
2022年8月16日に放送された日テレ系『踊る!さんま御殿!!』で当時29歳だったことがわかりましたので、現在は31歳(2024年6月時点)くらいだと思われます。
「お兄ちゃんいくつ?」と聞き、あのちゃんは「29歳」と回答。これを受けてさんまは「だいたいお前の歳わかってきたからな」と、兄の年齢をもとにあのちゃんの年齢が28歳以下だと特定していた。
【引用元:日刊大衆】
なお、あのちゃんの兄の職業は教師をしていると『踊る!さんま御殿!!』であのちゃん自身が公表しています。

また結婚もしているそうですが、あのちゃんは兄の結婚式に招待されておらず、結婚式が行われたかどうかも知らなかったと語っています。
あのちゃんは「あ、でも最近お兄ちゃんが結婚した」と思い出すも「呼ばれてない…」とポツリ。ひろゆきさんは「え!? お兄ちゃんの結婚式なのに!?」と驚きますが、「(結婚式)やってんのかな? 何も知らない。結婚したことしか知らない」と伝えました」。
【引用元:fumumu】


あのちゃんの兄も音楽好きで音楽活動をしていた!?
あのちゃんの兄も音楽が好きで、2024年3月23日に放送された『アナザースカイ』で兄も音楽系の活動をしていたことが明かされました。
あのちゃん自身も音楽の道に進みたいと考えていましたが、兄や父と比べて才能がないと感じていたそうです。

それでも現在では人気アーティストとなり、兄とも仲良く、一緒に買い物に出かける様子をSNSに投稿しています。
お兄ちゃんの付き添いで初めてIKEA Storeさんに行きました pic.twitter.com/uF3flzjSQV
— あの (@aNo2mass) February 16, 2020
あのちゃんの兄はアウトドア好きでカブトムシと関ジャニ∞も好き!
あのちゃんの兄はアウトドア派で、カブトムシやクワガタなどの昆虫をたくさん飼っています。
さらに、関ジャニ∞のファンでもあり、その影響であのちゃんも関ジャニ∞のファンになり、一緒にライブに行ったこともあるようです。
うん、昔に兄が力説する魅力を聞いてるうちに気になってライブ連れてってもらったことある🐉エンターテイメントすぎて素晴らしきよね👨👩👧
— あの (@aNo2mass) January 23, 2017
そんなあのちゃんと兄ですが、2017年1月23日には、兄からiPodをもらったとあのちゃんがXに投稿していました。
Xの投稿には「一〇〇年ぶりにおにーちんと会って使ってないiPodもらった 兄の聴く音楽一部だけど 知らない曲ばっかね あとZARD率」と書かれていました。
100年ぶりに会ったというのは、あのちゃんの冗談だと思われますが、長い間会っていなかった可能性はあります。
またZARD率高めということで、関ジャニ∞好きで、ZARD好きということもわかります。



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あのちゃんの祖父母はどんな人?紅白初出場を伝えたかった・・
あのちゃんの祖父母については、一般人のため、詳しいことは不明です。
しかし、2023年11月13日にNHK紅白歌合戦の会見が行われた際に、あのちゃんは紅白出場について、「亡くなったおじいちゃんとおばあちゃんにも伝えたい」と話しているため、祖父母は他界しているようです。
あのちゃん」こと歌手のano(あの)さんが、大みそかに放送される「第74回NHK紅白歌合戦」に出場することが11月13日、NHK ホール(東京都渋谷区)で行われた会見で発表された。anoさんが紅白に出場するのは初めて。紅組らしい真っ赤なドレスで会見に出席したanoさんは「この1年は激動でした。そんな最後のしめくくりで紅白歌合戦に出場できるのは光栄です」と喜び「亡くなったおじいちゃんとおばあちゃんにも伝えたい」と話した。
【引用元:MANTAN WEB】


あのちゃんの家族構成まとめ
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家族構成 | 説明 |
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父親 | 元バンドマン。「秩父」と呼ばれ、あのちゃんにギターを教えた。現在はあのちゃん曰く「普通に働いている」。音楽活動はしていない。あのちゃんの芸能活動を応援し、あのちゃんのイベントにも参加。 |
母親 | 毎日特製スープを作ってあのちゃんの健康を支える。あのちゃんを優しく見守り、精神面でも支えてきた。 |
兄 | カブトムシなどの昆虫愛好家で、関ジャニ∞ファンの教師。1993年生まれで、現在結婚している。 |
本人(あのちゃん) | 本名は志水彩乃、1997年9月4日生まれ。幼少期から不登校や引きこもりを経験し、父親からギターを教わる。16歳でアイドルグループ「ゆるめるモ!」に加入し、2019年に脱退後はソロアーティストとして活躍中。 |
祖父母 | 既に他界しており、あのちゃんが紅白歌合戦初出場を報告したかった存在。生前は仲が良かったと推測される。 |