昭和の日本が元気だった時代、キラキラと清純な輝きを放っていたのが女優の星由里子さんです。
しかし、そんな明るいイメージの裏側には、一人の女性としての様々な人生ドラマがありました。
2018年に74歳で亡くなられた後も、星由里子さんの生き方や、あまり語られなかった私生活について知りたいという声が多く聞かれます。
特に「星由里子さんに息子さんはいたの?」という疑問は、多くの方が気になっているようです。
また、星由里子さんの、突然の訃報となった死因の詳細、そして肺がんという病名から気になる喫煙の噂について、さらに3人の旦那について調べました。
目次
星由里子に息子はいる?実の子はいないも連れ子はいた?
まず最初に、多くの方が検索される「星由里子 息子」というキーワードについて、その真相を詳しく見ていきましょう。
芸能人の方の家族、特にお子さんについては、プライバシーの問題もあって情報が少ないことも多いですが、星由里子さんの場合は、いくつかの確かな情報から、はっきりとした事実が分かっています。
星由里子の息子は実の子ではない!

結論からお伝えしますと、星由里子さんご自身が産んだ実のお子さんは、生涯を通じて一人もいませんでした。
なぜそう言えるのか、その根拠をいくつかご紹介しますね。
公的な記録や報道に子供の記述がない
有名人の方が亡くなった場合、ニュース記事や追悼記事などでは、通常、配偶者や遺されたお子さんについて触れられます。
しかし、星由里子さんの訃報に関するたくさんの報道や、所属事務所からの公式発表を見ても、実のお子さんに関する記述は全く見当たりません。
これは、実子がいなかったことを示す、とても有力な状況証拠と言えます。
ご本人や関係者の発言がない
星由里子さんご自身が、インタビューなどで自分のお子さんについて話した記録はありません。
また、長年の友人や共演者の方々からの話の中にも、実子がいることをうかがわせるような情報は見つかっていません。
海外の情報源での記述
時には、海外の情報源が客観的な事実を伝えていることもあります。
中国語版のWikipediaには、「おそらく若い頃の結婚がうまくいかなかったためか、3度の結婚を通じて子供を産むことはなかった」という内容がはっきりと書かれています。
これも、星由里子さんに子供がいなかったことを裏付ける情報の一つです。
これらの理由から、星由里子さんには実のお子さんはいなかった、と結論づけることができます。
星由里子の息子は連れ子!大切な存在だった「連れ子の息子」との関係
「息子」と呼べる大切な存在が星由里子さんの人生にいなかったわけではありません。
それは、1990年に結婚した3番目の旦那、清水正裕さんの連れ子の息子さんです。

星由里子さんが清水正裕さんと再婚されたのは、お互い46歳の時でした。
当時、この息子さんはまだ学生さんだったそうです。
思春期かもしれない時期に、有名な女優さんを新しいお母さんとして迎えるのは、息子さんにとっては少し複雑な気持ちもあったかもしれませんね。
星由里子さんにとっても、自分が産んだのではないお子さん、しかも年頃の若者と新しく「親子」になるというのは、簡単なことではなかったはずです。
星由里子さん自身、小学生の時に父親をがんで亡くし、母親の手一つで育てられた経験があります。


報道などによると、星由里子さんは、この連れ子の息子さんに実の母親のように愛情を注ぎ、長い時間をかけて、とても良い関係を築かれたようです。
例えば、息子さんが大人になり結婚して東京で暮らすようになってからも、星由里子さんが仕事で上京した際には、ホテルに泊まるのではなく、息子さん夫婦の家に気軽に泊まっていたそうです。


血の繋がりはなくても、1990年の再婚から2018年に亡くなるまでの約28年間、たくさんの時間を共に過ごし、喜びも悲しみも分かち合う中で、確かな親子の絆が育まれていたのです。
波乱もあった星由里子さんの人生の後半において、この息子さんとの関係は、大きな心の支えであり、安らぎだったのではないでしょうか。
なお、この息子さんは一般の方ですので、名前はよしみつさん(善満あるいは義満)と報道されていますが、それ以上の詳しい情報は公開されていません。
星由里子と喫煙の噂:死因の肺がんとの関連性は?
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星由里子さんの死因の一つが「肺がん」であったことから、「星由里子さんはタバコを吸っていたのでは?」という噂が一部で流れました。
肺がんが喫煙と深く関係している病気であることは、広く知られていますから、そう考える人がいるのも無理はありません。
特に、星由里子さんが活躍した昭和の時代は、今よりも喫煙に対してずっと寛容でした。
星由里子さん自身の喫煙は? 証拠はあるのか
では、実際のところ、星由里子さんは喫煙者だったのでしょうか?
様々な情報を調べてみましたが、星由里子さん自身がタバコを吸っていたという確かな証拠は、今のところ全く見つかっていません。
長年、多くの人の前に立つ女優さんでしたから、もし日常的にタバコを吸っていたなら、写真や映像、あるいは共演者や友人の証言などが残っていてもおかしくありません。
しかし、そういったものは見当たらないのです。
もちろん、「人知れず吸っていた」可能性はゼロではありませんが、証拠がない以上、「喫煙者だった」とは言えません。
むしろ、証拠がないということは、喫煙者ではなかった可能性が高い、と考えられます。

夫・花登筺さんの喫煙と「受動喫煙」の可能性は?
一方で、少し複雑なのが、2番目の旦那だった脚本家・花登筺さんの存在です。
花登筺さんは肺がんのため55歳で亡くなりましたが、1日にタバコを3箱も吸う大変なヘビースモーカーだったと言われています。
星由里子さんは、花登筺さんと結婚していた約8年間(1975年~1983年)、日常的にタバコの煙(受動喫煙)を吸っていた可能性が高いと考えられます。
受動喫煙も肺がんのリスクを高めることは、医学的に分かっています。
そのため、「夫のタバコの煙が、星由里子さんの肺がんの原因になったのでは?」と考える人もいますが、これも断定はできません。
なぜなら、花登筺さんが亡くなってから、星由里子さんが肺がんと診断されるまでには、35年もの長い年月が経っているからです。
受動喫煙の影響が何十年も経ってから現れる可能性はありますが、35年という期間は非常に長く、直接的な原因と結びつけるのは難しい面があり、その間に他の要因が影響した可能性も考えられます。
星由里子の死因:予期せぬ肺がん発覚と心房細動との闘病

多くのファンに愛され、亡くなる直前まで女優として輝き続けた星由里子さん。
突然の訃報は、大きな悲しみと共に、星由里子さんが最期にどのような病と闘ったのか、その詳しい経緯に関心を集めました。
所属事務所の発表や、夫である清水正裕さんの言葉から、星由里子さんの最期の日々を見ていきましょう。
星由里子の公表された死因は「心房細動」と「肺がん」
公式に発表されている星由里子さんの死因は、「心房細動および肺がん」です。
2018年5月16日の夜、療養していた京都市内の病院で、家族に見守られながら、74年の生涯を閉じました。
星由里子さんは、亡くなる数年前から心臓の持病と向き合っていました。
それは「心房細動」という不整脈の一種で、心臓の一部(心房)が不規則に細かく震えてしまう病気で、動悸や息切れなどの症状が出ることがあります。
また、心臓の中に血の塊(血栓)ができやすくなり、それが脳に飛ぶと脳梗塞を引き起こす危険もある病気です。
星由里子さんは2017年秋にこの病気と診断され、公表はせずに治療を続けながら、女優の仕事を続けていました。

闘病の詳細:予期せぬがん発見から最期まで
しかし、運命はさらに厳しい試練を与え、2018年4月、心房細動に関連する心臓の手術(報道によると2度目)を受けることになりました。
その手術前の検査で、全く予想していなかった「肺がん」が見つかったのです。
しかも、発見された時にはすでに「ステージ4」という、がんが他の臓器に転移してしまっている最も進行した段階でした。
ステージ4の肺がんは、完治を目指すのが非常に難しい状態です。
さらに衝撃的だったのは、これほど進行していたにも関わらず、星由里子さんには咳や痛みなどの自覚症状が全くなかったことです。
肺がんは症状が出にくく、発見が遅れやすい「静かなる殺し屋」とも呼ばれます。
心臓の検査で偶然がんが見つかるというのは、あまりにも皮肉なことでした。
がんの告知を受けたのは、2018年5月2日のことです。
残された時間が少ないかもしれないと知らされても、星由里子さんは最後まで女優復帰への意欲を見せていたそうです。
しかし、病状は急速に進行し、告知からわずか5日後の5月7日には緊急入院となりました。
そして、入院から9日後の5月16日、最期の時が訪れます。
その日の夕食には、病室で夫の清水さんと一緒にカレーライスを3口ほど食べ、大好物の杏仁豆腐も少し口にしたそうです。
闘病中でも、できる限り普段通りの時間を過ごしたい、という星由里子さんの思いと、それを支える家族の愛が感じられますね。
しかし、その夜10時頃、息苦しさを訴え始めます。
夫の清水さんが背中をさすっていると、星由里子さんは「ありがとう。だいぶ楽になったわ」と感謝の言葉を伝えました。
これが、意識のある中での最期の言葉となりました。
その約5分後、星由里子さんは静かに意識を失い、医師の懸命の処置も及ばず、午後11時5分、息を引き取りました。
その後、午後10時頃に息苦しさを訴えたため、ベッドに正座させる形で清水さんが背中をさすった。15分ほどすると、星さんは「ありがとう。だいぶ楽になったわ」と話したが、その後も5分ほど同じようにしていたところ、突然後ろに倒れてきたという。その時にはすでに意識はなく、駆けつけた医師の懸命な処置も届かず、そのまま旅立ってしまったという。
【引用元:スポーツ報知】
夫の清水さんは、「ほとんど苦しまなかったことが救いです。穏やかな顔でした」と語っています。
予期せぬがん発見からわずか2週間あまりでしたが、最期は愛する夫に見守られ、苦痛も少なく、穏やかな旅立ちだったようです。
星由里子の旦那と波乱万丈、そして安らぎの3度の結婚歴
星由里子さんの人生を語る上で、3度の結婚は欠かせない出来事です。
それぞれの結婚は、星由里子さんが生きた時代の空気や、女優という仕事、そして星由里子さん自身の変化を映し出しているようにも見えます。
昭和から平成へ、星由里子さんのパートナーとの関係はどのように変わっていったのでしょうか。
最初の旦那:横井邦彦さんとの80日間
星由里子さんの最初の結婚は、まるで映画のワンシーンのようでした。
1969年、星由里子さんが25歳で人気女優として輝いていた頃、お相手は、当時の日本経済界で有名だった実業家・横井英樹さん(ホテルニュージャパンのオーナー)の長男、横井邦彦さんでした。

芸能界と財界のビッグカップル誕生!と、世間は大注目し、帝国ホテルで行われた結婚披露宴は、政財界の重鎮ら1500人が出席し、高さ8メートルのウェディングケーキが登場するなど、まさに豪華絢爛。
「ミス・シンデレラ娘」としてデビューした星由里子さんにとって、最高の瞬間だったはずです。


しかし、この誰もが羨む結婚生活は、驚くほど短く、わずか80日ほどで終わってしまいます。
星由里子が横井英樹の長男と婚約(昭和45年2月10日)
その後スピード離婚(当時の芸能界最速記録) pic.twitter.com/S3rQjDutib— ねひつじ (@nehitsuji) November 23, 2020
結婚まで10年以上もお付き合いしていたのに、なぜ?と多くの人が思いました。
公式な理由は「性格の不一致」とされましたが、本当の理由は分かりません。
長い付き合いでも、一緒に暮らしてみて初めて分かることや、名家の嫁としてのプレッシャー、女優業との両立の難しさなどがあったのかもしれません。
離婚会見での星由里子さんのやつれた姿は、その辛さを物語っていました。
2番目の旦那:脚本家・花登筺さんとの愛と死別

最初の離婚から6年後の1975年、星由里子さんは、日本を代表する脚本家の一人、花登筺(はなと こばこ)さんと再婚します。
花登筺さんは、「細うで繁盛記」や「どてらい男」など、数々の大ヒットドラマを生み出した才能あふれる人物です。

人情味あふれる物語や、困難に立ち向かう人々を描く作風で、多くの視聴者の心を掴みました。
星由里子さんは、花登筺さんが手掛けた作品に出演する中で、仕事上の師弟関係から恋愛へと発展したそうです。
しかし、この結婚には少し複雑な事情もありました。
当時、花登筺さんには奥様がいたため、星由里子さんとの関係は「不倫」や「略奪婚」などと報じられることもありました。
離婚が成立し、二人が正式に結ばれるまでには、様々な困難があったようです。
結婚後、星由里子さんは、超人的な仕事ぶりで知られた花登筺さんを、公私にわたって献身的に支えました。
しかし、幸せな時間は長くは続かず、結婚からわずか8年後の1983年、花登筺さんは肺がんのため、55歳という若さで亡くなってしまいます。
花登筺さんは亡くなる直前まで仕事を続け、その背景には、驚異的な仕事量と短い睡眠時間、そして1日にタバコを3箱も吸うというヘビースモーキングがあったと言われています。
才能ある夫との突然の別れ、そしてその原因が過労や喫煙と深く関わっていたであろう事実は、星由里子さんにとって、どれほど大きな悲しみだったことでしょう。
星由里子さんは39歳で、再び一人になりました。
この結婚でも、お子さんはいませんでした。

3番目の旦那:清水正裕さんと京都での穏やかな日々

花登筺さんとの悲しい別れから7年が経った1990年、星由里子さんは人生で3度目の結婚をします。
お相手は、同い年(当時46歳)の会社役員、清水正裕さんでした。
清水さんもまた、前の奥様と死別された経験を持つ方でした。
この結婚を機に、星由里子さんは長年活動の拠点だった東京を離れ、清水さんが暮らす京都へ移住します。
これは星由里子さんの人生にとって大きな変化であり、華やかな芸能界の中心から少し距離を置き、穏やかな生活を求めた選択だったのかもしれません。
清水さんは一般の方ですが、清水さんの母親・はるゑさんは元女優で、昭和の大女優・山田五十鈴さんの付き人をしていたという、芸能界との繋がりがありました。
星由里子さんは、清水さんと出会う前に、舞台の仕事ではるゑさんと知り合い、とても仲良くなっていたそうです。
この母親との良い関係が、清水さんとの結婚を後押ししたようです。
結婚後、星由里子さんは清水さんと、そして90歳を超えてもお元気だったはるゑさんとの3人暮らしを始めました。
嫁姑関係というと、気を使うイメージもありますが、星由里子さんとはるゑさんは、共通の経験を持つ者同士、とても良い関係だったようです。
はるゑさんが「夫婦げんかしたら家を出ていくのはあなた(清水さん)よ」と息子に言うほど、星由里子さんを信頼していたというエピソードもあります。
1990年に星さんと結婚。「2人とも再婚同士なんですが、(星さんが)山田五十鈴先生の『香華』(88年)という舞台に出演したのをきっかけに、私よりも先におふくろと仲良くなった。おふくろは98歳で存命なんですが、『夫婦げんかをしたら家を出ていくのはあなたよ』と言われていたくらい、よく世話をしてくれた」と感謝した。
【引用元:スポーツ報知】
星由里子さん自身も、大女優でありながら、家庭では掃除や食事の支度、夫や高齢の義母の世話などをこまやかにこなし、良き妻、良き嫁として家庭を大切にしました。
仕事がある時だけ東京へ行く、という生活スタイルで、京都での穏やかで満たされた日々を送りました。
2018年に星由里子さんが亡くなった際、喪主を務めた清水さんは、涙ながらに「世間では大女優といわれますが、私にとっては最高の妻であり、宝物でした。その宝物がなくなってしまった」と語りました。
「世間では大女優といわれますが、掃除やご飯、私やおふくろの世話と、本当によくしてくれた。気さくで心優しい、いい人間でした。私にとって星は宝です。宝物がなくなってしまった」と寂しさをにじませた。
【引用元:スポーツ報知】

そして、この清水さんとの結婚生活には、前にお話しした連れ子の息子さんとの温かい関係もあり、星由里子さんの晩年は、家族の絆に恵まれた、穏やかで充実したものだったと言えます。
まとめ:星由里子の家族関係(息子、旦那)・喫煙の噂・死因について
この記事では、星由里子さんの家族関係(息子さん、旦那)、晩年の闘病と死因、そして喫煙に関する噂について、詳しく見てきました。
息子さんについて
星由里子さんに実子はいませんでしたが、3番目の旦那の連れ子の息子さんを深く愛し、約28年間、温かい親子関係を築きました。
喫煙について
星由里子さん自身が喫煙者だったという証拠はありません。
過去の受動喫煙の影響があった可能性は否定できませんが、肺がんの直接原因と断定することは困難です。
死因について
心房細動という持病に加え、末期の肺がん(ステージ4)が見つかり、2018年に74歳で亡くなりました。
最期は夫に見守られ、穏やかだったと伝えられています。
旦那について
3度の結婚を経験も、最初の結婚は短期間で終わり、2番目の夫・花登筺さんとは若くして死別。
最後の伴侶・清水正裕さんとは京都で穏やかな28年間を過ごしました。