今回は将棋界で輝かしい功績を残している藤井聡太さんがどのような環境で育ち、どんな家族に支えられてきたのかを詳しく紹介します。
幼少期から将棋に触れ、八冠を達成した藤井聡太さんの道のりは多くの人にとって興味深いものなのではないでしょうか。
藤井聡太さんの家族や幼少期のエピソード、学歴、そして負けず嫌いな性格が形成された背景について、これからじっくりと探っていきます。
目次
藤井聡太の家族構成!父親・母親・兄の4人家族!
藤井聡太の家族構成は「父親・母親・兄・本人」の4人です。
母親:金沢大学卒業で趣味バイオリン
長男:弟に想われている4歳年上の兄
次男:藤井聡太本人
また、藤井聡太さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
祖母:天才に将棋を教えた最初の人
藤井聡太の生い立ちや学歴!負けず嫌いな天才棋士!
- 名前(本名):藤井 聡太
- 生年月日: 2002年7月19日
- 身長:170㎝
- 体重:60
- 血液型:A型
- 出身地:愛知県瀬戸市
- 学歴:雪の聖母幼稚園→瀬戸市立效範(こうはん)小学校→名古屋大学教育学部附属中学校(偏差値58)→名古屋大学教育学部附属高等学校(偏差値61)
藤井聡太の幼少期〜小学生:小さいころから天才の片鱗が!
藤井聡太さんは、2002年7月19日に愛知県瀬戸市で生まれました。
幼稚園は『雪の聖母幼稚園』で、モンテッソーリ教育を取り入れたカトリック系の幼稚園です。
園児数は約60名の小さな幼稚園でした。
藤井聡太さんは、2007年の夏、5歳の時に母方の祖父母から将棋を教わります。
藤井聡太さんは、あっという間に将棋のルールを覚えたそうです。
祖父が対局相手を務めましたが、秋になると藤井聡太さんは祖父に勝つようになります。
祖父では藤井聡太さんの相手にならなくなり、2007年12月、瀬戸市内のふみもと子供将棋教室に入会し、文本力雄さんに指導を受けます。
藤井が名人になることを、地球上の誰よりも早く予想していたのが文本さんだった。「生まれながらの将軍が徳川家光なら、生まれながらの名人、それが聡太なので」
【引用元:スポーツ報知】
藤井聡太さんは、入会時に文本力雄さんに、500ページ近い『駒落ち定跡』所司和晴(著)を渡されます。
まだ読み書きができない藤井聡太さんは、符号を頼りに読み進め、1年後には完全に理解し、暗記したそうです。
教室では1回3時間の授業を週3回行っていましたが、藤井聡太さんが週4回の授業を希望したため、追加授業が行われたとか。
そして、2009年4月に藤井聡太さんは、瀬戸市立效範(こうはん)小学校に入学します。
小学1年生の2010年3月には東海研修会に入会し、後に師匠となる杉本昌隆に出会いました。
入会後の藤井聡太さんは、負けず嫌いな性格で、対局で負けるとよく泣いていましたが、ひとしきり泣いた後は笑顔に戻ることができたそうです。
負けず嫌いな藤井聡太さんを象徴するエピソードがあります。
藤井聡太さんは小学2年の頃、2010年の将棋の日イベントで憧れの谷川浩司に二枚落ちで指導対局を受けました。
谷川浩司の玉が入玉模様となり引き分けを提案されましたが、藤井聡太さんは猛烈に泣き始めて将棋盤から離れなくなります。
最終的に、藤井聡太さんは、母親に抱き抱えられてその場から引き離されたそうです。
有名なエピソードがある。藤井四段が小学2年の頃、谷川浩司九段(55)の胸を借りた指導対局。永世名人の資格を持つトップ棋士との対局は次第に劣勢になった。
気遣った谷川九段が「引き分けにしようか」と話した瞬間、藤井四段は将棋盤を抱えるようにして号泣し、母親の裕子さん(47)が抱きかかえてその場から引き離した。
対局で敗れると同様の光景が繰り返され、「尋常ではない勝負への執着」に師匠の杉本昌隆七段(48)も驚いた。「闘争心の塊。負けた悔しさを次の対局にぶつけて成長していった」と強さの秘訣を明かした。
【引用元:産経WEST】
谷川浩司の指導対局から8年後の2018年、プロ七段になった藤井聡太さんは当時の心境を「悔しいという気持ちをうまくコントロールできなかった」と振り返っています。
当時について藤井は「子ども心にまだ勝てるチャンスがあると思っていたのか、泣きだしてしまった。悔しいという気持ちをうまくコントロールできなかった」と振り返った。
【引用元:日刊スポーツ】
藤井聡太さんは、2011年8月、小学3年生で第10回全国小学生倉敷王将戦・低学年の部で優勝し、同年10月にはJT将棋日本シリーズ東海大会の低学年の部でも優勝しました。
藤井聡太さんは、研修会での日々について、後年「同世代と切磋琢磨し、成長した部分がかなり大きかった」と振り返っています。
「地の利」がない中で、まちの教室からダイヤの原石を発掘し、プロへと誘う重要な役割を果たしてきたのが東海研修会だ。藤井は小学1年の終わりから小学4年までここに通い、師匠の杉本と出会った。「同世代と切磋琢磨せっさたくまし、定期的にプロから教わることができた。大会などでは難しい感想戦もしっかりでき、そこで成長した部分がかなり大きかった」とは本人の弁。
【引用元:東京新聞】
藤井聡太さんは、2012年6月には研修会B1に昇級し、9月に小学4年生で新進棋士奨励会に入会しました。
藤井聡太さんは、地元瀬戸市のFMラジオ局の番組『ラジオサンキュー』に出演し、「名人を超えたいです」と語っています。
四段昇段時にイベント開催を市に働きかけるなど、地元の〝藤井聡太応援団〟の先駆けとして知られ、2013年1月、当時小学4年だった藤井八冠は、将棋のプロ養成機関、奨励会に入会したばかりの少年として同局に初出演。「名人を超えたいです」。今も語り継がれる将来の夢を語ったのが、同局番組だった。
【引用元:サンスポ】
新進棋士奨励会に通うと同時に、藤井聡太さんは新幹線で関西奨励会に通い、稲葉聡の家で開催されていた研究会にも参加していました。
精進し続ける藤井聡太さんは、小学6年生の時に史上最年少で初段となり、すぐに二段に昇段しました。
さらに、藤井聡太さんは、2015年3月の詰将棋解答選手権で史上最年少優勝を果たし、2019年まで五連覇を達成します。
藤井聡太の中学時代:最年少記録続々更新!
2015年4月藤井聡太さんは、名古屋大学教育学部附属中学校(偏差値58)に合格し、中学1年生の2015年10月18日には、史上最年少で奨励会三段に昇段しました。
このころ、藤井聡太さんは、千田翔太の勧めでAIによる研究を始めます。
その成果もあってか、藤井聡太さんは、2016年9月3日三段リーグ1位となり、同年10月1日に14歳2か月で四段昇段を果たし、最年少棋士記録を更新しました。
藤井聡太さんは、2016年12月24日、第30期竜王戦6組ランキング戦で加藤一二三との対局がプロデビュー戦となり、加藤を110手で破り、公式戦勝利の史上最年少記録を更新します。
藤井聡太さんは、デビューから無敗のまま歴代最多連勝記録を更新し、29連勝を達成しましたが、その後竜王戦本戦2回戦で初の敗北を喫しました。
藤井聡太さんの連勝中は「藤井フィーバー」と呼ばれるほどの社会現象となり、「2017ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされます。
年末恒例「2017ユーキャン新語・流行語大賞」(現代用語の基礎知識選)の候補30語が9日、同賞の事務局から発表された。今年は史上最年少プロ棋士の藤井聡太四段(15)が公式戦デビュー29連勝の新記録を樹立し、将棋界に脚光。将棋関連から「藤井フィーバー」「ひふみん」がノミネート。
【引用元:スポニチアネックス】
藤井聡太さんは、第76期順位戦C級2組では2018年3月に10戦全勝で昇級し、史上初の中学生での五段昇段・C級1組昇級を達成しました。
同年の第11回朝日杯将棋オープン戦では羽生善治竜王や広瀬章人八段を破り、藤井聡太さんが優勝します。
藤井聡太さんは、この優勝により六段に昇段し、最年少記録を更新しました。
藤井聡太の高校時代:異例のスピード昇段で高校中退!
藤井聡太さん2018年4月名古屋大学教育学部附属高等学校(偏差値61)に内部進学します。
2019年には、藤井聡太さんは、七段昇段の最年少記録を更新し、1年間に3回昇段しました。
15歳9ヵ月で七段というのは過去に例を見ない大記録。1年間に3回昇段したというのも今後はなかなか破られないでしょう。
【引用元:日本将棋連盟】
第49期新人王戦で優勝し、またもや藤井聡太さんは最年少記録を更新します。
将棋の高校生棋士、藤井聡太(そうた)七段(16)が17日、大阪市福島区の関西将棋会館で指された「第49期新人王戦(しんぶん赤旗主催)」決勝三番勝負の第2局で出口若武(わかむ)三段(23)に勝ち、通算2連勝で新人王戦初優勝を決めた。
【引用元:朝日新聞DIGITAL】
2020年、藤井聡太さんは17歳で棋聖戦を制し、史上最年少でタイトル保持者となりました。
将棋の高校生プロ、藤井聡太七段(17)が16日、大阪市の関西将棋会館で指された第91期棋聖戦五番勝負の第4局で渡辺明棋聖(36、棋王・王将)を破り、3勝1敗で棋聖のタイトルを獲得した。
【引用元:日本経済新聞】
その後、藤井聡太さんは、王位、叡王、棋聖、竜王と、タイトルを次々と獲得していきます。
第34期竜王戦七番勝負第4局が、11月12日(金)、13日(土)に山口県宇部市「ANAクラウンプラザホテル宇部」で行われ、藤井聡太王位・叡王・棋聖が豊島将之竜王を破り、4勝0敗でタイトルを奪取しました。同時に19歳3ヵ月で四冠を達成し、羽生善治九段の保持していた四冠の最年少記録(22歳9カ月)を更新し最年少記録となりました。
【引用元:日本将棋連盟】
藤井聡太さんは、2021年1月に、将棋に集中するために名古屋大学教育学部附属高等学校を中退しました。
日本将棋連盟は16日、藤井聡太二冠(18)=王位・棋聖=が名古屋大学教育学部付属高校(名古屋市)を1月末日で退学したと発表した。藤井二冠は「タイトルを獲得できた事で将棋に専念したい気持ちが強くなりました」とのコメントを出した。
【引用元:朝日新聞DIGITAL】
藤井聡太の高校中退~現在:八冠達成でさらに高みへ
高校中退の決断は正しかったようで、藤井聡太さんは、2021年2月11日・12日の第4局に勝利し4勝0敗で史上最年少の王将となります。
これにより、藤井聡太さんは、最年少五冠の記録も更新しました。
2月12日(土)に東京都立川市「SORANO HOTEL」で行われた、第71期ALSOK杯王将戦七番勝負第4局で藤井聡太竜王(19)が渡辺明王将(37)に勝ち、4勝0敗で王将を奪取しました。 同時に19歳6ヵ月で五冠を達成し、羽生善治九段の保持していた五冠の最年少記録(22歳10ヵ月)を3年4ヵ月更新しました。
【引用元:日本将棋連盟】
さらに、藤井聡太さんは、2021年7月には史上最年少18歳で九段に昇段し、2023年3月には棋王を獲得して史上最年少で六冠となります。
3月19日(日)に栃木県日光市「日光きぬ川スパホテル三日月」で行われた、第48期棋王戦コナミグループ杯五番勝負第4局で藤井聡太竜王(20)が渡辺明棋王(38)に勝ち、3勝1敗で棋王を奪取しました。
同時に20歳8ヵ月で六冠を達成し、羽生善治九段の保持していた六冠の最年少記録(24歳2ヵ月)を3年6ヵ月更新しました。【引用元:日本将棋連盟】
藤井聡太さんは、2023年10月には史上初の八冠全冠制覇を達成し、11月13日に内閣総理大臣顕彰を授与されました。
負けず嫌いで泣き虫な天才は、これからも成長し続けます。
藤井聡太の父親はどんな人?職業はLIXILの社員!
藤井聡太さんの父親は、藤井正史(ふじいまさし)さんといいます。
藤井聡太さんの父親は、55歳(2024年現在)です。
藤井聡太さんの父親は、元INAXの社員でしたが、INAXとLIXILが合併して、今は大手受託設備機器メーカーLIXILの社員です。
藤井聡太さんの父親は、INAXでは愛知県勤務だったけれども、LIXILと合併後、東京に単身赴任していました。
「対局で遠征が必要なときは、東京で単身赴任していたお父さんのところに泊まっていたこともあるようです。家族全体で藤井さんをバックアップし、小さい頃から彼のためになることはなんでもやってきたのでしょう」(勝又七段)
【引用元:NEWSポストセブン】
藤井聡太さんの父親は、ジャズの愛好家で、多くのレコードをコレクションしていることでも知られています。
藤井聡太さんが数々の最年少記録を更新するすごい棋士なので、父親もすごいのかと思われがちですが、将棋の駒の動かし方を知っている程度なんだそうです。
また、息子が天才だと、日本人はすぐに親兄弟は東大か!と騒ぎ始めますが、両親ともに金沢大学出身です。
●両親は金大出身
「圧倒的な終盤力を見せつけられた」「粘りを参考にしたい」。藤井聡太八冠の誕生という歴史的な瞬間は、石川県内で将棋を学ぶ子どもたちに大きな刺激となった。藤井八冠の両親はいずれも金大出身。石川ゆかりの王者のさらなる活躍に期待する声が上がった。
【引用元:北國新聞】
藤井聡太さんの父親は、親として子供の意思を尊重し、藤井聡太さんがなにかに集中しているときは、納得いくまでやらせ、絶対に止めないように心がけていたとか。
親は親、子供は子供という意識のもとで、子供たちの「やりたい」という意欲を重んじ、余計な口出しはしない。藤井の父・正史さんと母・裕子さんは、息子がなにかに集中しているときは絶対に止めないように心がけていた。
普通であれば、「ご飯の時間だよ」「お風呂に入りなさい」などと、生活のリズムにあわせて中断させたくなるところだ。
だが、藤井の両親は本人のなかで区切りがつくまで声をかけなかった。
【引用元:週刊現代】
藤井聡太の母親はどんな人?東大というのは本当?趣味はバイオリン!
藤井聡太さんの母親は、藤井裕子(ふじいゆうこ)さんといいます。
藤井聡太さんの母親は、2017年12月のインタビューの際に47歳であったと記載されています。
藤井聡太さんの母親は、東大出身かと噂されていますが、夫と同じ金沢大学出身です。
藤井聡太さんの母親は、趣味でバイオリンを弾いていて、アマチュアのオーケストラに時折出演することもあるそうです。
また、藤井聡太さんが全国各地を飛び回る際に同伴し、サポートしてきたのは藤井聡太さんの母親でした。
プロを目指したのは、小3のとき、全国小学生倉敷王将戦という大きな棋戦で優勝を飾ったのがきっかけだ。その翌年、ついに奨励会に挑む。まだ小学生の聡太くんを全面的にバックアップしたのは、母の裕子さんだった
「月に2回、名古屋から新幹線に乗って大阪の関西将棋連盟に通っていました。朝4時半に起きて朝食の準備をして、5時に聡太に食べさせて……。8時には将棋会館に到着するように、5時半には自宅を出発していました」
【引用元:女性自身】
子供に与えるおもちゃにもこだわっていたようで、母親がプレゼントした木の玩具「CUBORO」は、藤井聡太さんの好奇心を刺激し、将棋への興味を深める一助となったと言われています。
中学生のプロ棋士藤井聡太さんのお陰で、アナログおもちゃ、特にキュボロや将棋がにわかに注目されています。デビューから29連勝して新記録を打ち立てた藤井さんですが、子どもの頃に夢中だったおもちゃということでお母さんが紹介したのがキュボロという「玉の道積み木」だったことがテレビで伝えられたからです。
【引用元:百町森】
藤井聡太の兄はどんな人?せっかちで目立ちたがり屋!
藤井聡太さんのお兄さんは、藤井皓介(ふじいこうすけ)さんといいます。
藤井聡太さんのお兄さんは藤井聡太さんより4歳年上で、お母さんによるとせっかちで目立ちたがり屋な性格なんだそうです。
藤井聡太さんのお兄さんも幼少期に将棋に触れていますが、特別な興味を抱きませんでした。
藤井聡太さんのお兄さんは一般人のため、名前や年齢以外は公表されていません。
天才藤井聡太の兄は東大か名古屋大学かと詮索されていますが、これも同じく公表されていません。
しかし、藤井聡太さんが神社に参拝したときに、兄の大学合格を祈願したと言っているので、受験して進学したのでしょう。
これは凄いな…と感じた藤井聡太棋聖が14才の時の名言2つ。
1・対加藤一二三九段戦の後に
「加藤先生の迫力は本当に感じた。しかし将棋は盤上の勝負。そこでしっかり勝負しようと思った」2・神社参拝後、願い事は?の質問に
「将棋の事で神様にお願いしてもしょうがない。兄の大学合格を祈願した」 pic.twitter.com/KOGb8mMxsn— 9たろう (@9chanohayo) July 23, 2020
藤井聡太の祖母はどんな人?孫思いで教育熱心な祖母!
藤井聡太さんの祖母は、清水育子さんといいます。
藤井聡太さんの祖母の顔画像は見つかりませんでした。
藤井聡太さんの祖母は、1942年生まれですから、2024年現在82歳くらいですね。
藤井聡太さんの祖母は花が好きな方で、幼い藤井聡太さんと過ごすことが多く、藤井聡太さんとのエピソードが多いです。
記憶力が抜群で、漢字を覚えるのも早く、ピアノを習うとすぐに弾き方をマスター。
「私は花が好きで、オシロイバナを育てていました。聡太にこの花は英語で“FOUR O’CLOCK”つまり、“4時に咲く花”だと説明したんです。そうしたらその何日か後に突然“おばあちゃん、もう4時だよ”と話しかけてきました。すっかり忘れていたので驚きましたね(笑)」
記憶力に加えて集中力も高く、幼稚園のときにはすでに五目並べや神経衰弱でも大人を負かしてしまったという。
【引用元:週刊女性PRIME】
「最初は、聡太が幼稚園のときに『スタディ将棋』を買ってやらせてみたんです。そしたら、ほかの子たちと明らかにものが違ったから、ふつうの将棋に切り替えて子ども将棋教室に通わせたの。好きなことにのめりこむタイプみたいで、電車のプラレールなんかは家の中を部屋から部屋でつないでものすごく長い線路を作っていました。私に線路の切り替え係をさせるものだから、大変でしたよ(笑)」
【引用元:週刊女性PRIME】
しかし、藤井聡太さんはしばらくして祖母に圧勝するようになり、対局相手は祖父に代わりました。
ですが、祖父もあっと言う間に相手にはならなくなり、将棋教室に通うことになります。
また、藤井聡太さんの祖母は、「勝っておごるな、負けて腐るな」と藤井聡太さんに教えてきたそうです。
「いま連勝中ですが、聡太は決して誰に勝ったからといって喜ぶことはない。それよりも“もっと強くなりたい!”と思っているだけなんです。だから、昔からの目標であった羽生三冠に勝っても喜んでいなかった。小さなころから聡太には“勝っておごるな、負けて腐るな”とは教えていたからね」
【引用元:週刊女性PRIME】
藤井聡太の祖父はどんな人?藤井聡太の最初のライバル!
藤井聡太さんの祖父は、清水訓一さんといいます。
藤井聡太さんの祖父は、2016年2月に肝臓がんで亡くなり、享年79歳でした。
2015年の10月頃から肝臓の病気で入院していましたが、その後すぐに退院し、好きなお酒を飲んで過ごしていたそうです。
しかし肝臓がんが見つかり再入院。
藤井聡太さんは祖父の見舞いに行くたびに涙ぐんでいたといいます。
2015年10月、訓一さんは肝臓を患い入院する。
「すぐ退院して、好きな酒を飲んどったけど、肝臓ガンだった。聡太は、見舞いのたびに涙ぐんでいたみたい」
大好きな祖父を失った10カ月後、公式戦デビュー。活躍はご存じのとおりだ。
【引用元:SmartFLASH】
藤井聡太さんが将棋を覚えてから奨励会に入るまで、主に将棋の相手をしていたのが藤井聡太さんの祖父でした。
最初の頃、藤井聡太さんは祖父にはほとんど勝てなかったそうです。
藤井聡太さんは駒をたくさん取っているのに、持ち駒の使い方がよく分からず、負けてよく泣いていたとか。
一か月もすると祖父も相手にならなくなったとか。
藤井聡太さんが関西奨励会に入った後は、東京で単身赴任をしている父親の藤井正史さんの代わりに藤井聡太さんの祖父が付き添っていました。
小4の9月、藤井四段が関西奨励会に入ると、訓一さんが、東京に単身赴任中の父・正史さんに代わり、付き添った。
「聡太が将棋に夢中になるのが、嬉しかったんでしょうね。(母親の)裕子と交代で、週に一回、愛知県瀬戸市から、大阪へ。聡太が将棋を指している間、ずっと会館で待っとったそうです」
【引用元:SmartFLASH】
藤井聡太さんの祖父は、2015年11月16日に放送された「ラジオサンキュー」のインタビューにも答えています。
ラジオでは、藤井聡太さんが三段になった感想を聞かれ、藤井聡太さんの祖父は「本人がその気になっているし、やっぱり応援してあげなきゃな」と嬉しそうに話していました。
藤井聡太の家族構成まとめ
家族構成 | 詳細 |
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父親 | 藤井正史(ふじいまさし)さん。元INAX社員で、LIXILに合併後、東京に単身赴任。将棋に詳しくないが、子供の意欲を重視し、納得するまで集中させる教育方針。ジャズ愛好家で多くのレコードをコレクション。 |
母親 | 藤井裕子(ふじいゆうこ)さん。金沢大学出身。趣味はバイオリンでアマチュアのオーケストラに出演することもある。子供の夢を全力で支え、モンテッソーリ教育を選択するなど育児にこだわりがある。 |
兄 | 藤井皓介(こうすけ)さん。藤井聡太より4歳年上。せっかちで目立ちたがり屋な性格。将棋には特別な興味を抱かなかったが、弟の大学合格を祈願するなど兄弟仲は良い。 |
祖母 | 清水育子さん。1942年生まれで、2024年現在82歳。藤井聡太が幼い頃からよく一緒に過ごし、スタディ将棋を与えて将棋を始めるきっかけを作る。「勝っておごるな、負けて腐るな」と教え、人格形成に大きな影響を与える。 |
祖父 | 清水訓一さん。2016年2月に肝臓がんで79歳で亡くなる。藤井聡太が将棋を覚えてから奨励会に入るまで主に対局相手を務めた。関西奨励会に通う藤井聡太を支え、インタビューにも応じて孫を応援していた。 |