この記事では、フェンシング日本代表選手である江村美咲さんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介していきたいと思います。
江村美咲さんのフェンシングを始めたきっかけや家族との関係、そしてオリンピックで活躍するまでのエピソードをたっぷりとお届けします。
江村美咲さんの軌跡を知ることで、江村美咲さんの魅力やその背景に迫りたいと思います。
目次
江村美咲の家族構成!父親・母親・兄・弟の5人家族
江村美咲さんの家族構成は「父親・母親・兄・本人・弟」の5人です。
江村美咲の生い立ちや学歴!フェンシング界のサラブレッド!
この投稿をInstagramで見る
- 名前(本名):江村美咲
- 生年月日:1998年(平成10年)11月20日
- 身長:170㎝
- 体重:60kg
- 血液型:A型
- 出身地:大分県大分市
- 学歴:大分県日田市立咸宜小学校(転校)→東京都板橋区内の小学校→東京都板橋区立志村第二中学校→大原学園高等学校通信制(現在の大原学園美空高等学校)→中央大学法学部(偏差値57.5 – 62.5)
江村美咲は日本人?韓国人?
江村美咲さんは韓国語が堪能なためか、韓国人といううわさがありますが、両親ともに日本人のため、日本人です。
江村美咲さんは高校1年生の時から約7年、韓国出身のリー・ウッチェコーチの指導を受けていたこともあり、コーチと交流したり韓国合宿やプライベートの旅行などで韓国語が自然と身についたようです。
インタビューでも、韓国語が少しできることを明かしています。
――フェンシング競技以外での趣味や特技がありましたら、教えてください!
「特技は韓国語が少しできます。趣味はファッションやカフェ関係が好きで、あとはスマホで漫画を読むのも日課です。」
【引用元:chuspo web】
江村美咲の幼少期はフェンシングのユニフォームが嫌だった?
江村美咲さんは1998年11月20日に大分県で生まれました。
大分県大分市は父親の江村宏二さんの故郷だそうです。
江村美咲さんは、初めて剣を握ったのも覚えていないくらい幼い頃だそうで、幼い頃から父親の江村宏二さんが教えるフェンシング教室に通っていたようです。
フェンシングは身近な競技であったものの、幼稚園の頃はユニフォームのハイレグラインが嫌だったそうです。
江村美咲は小学生時代にフェンシングに興味をもつ!!
江村美咲さんは2005年に大分県日田市立咸宜小学校に入学しています。
ただ父親の江村宏二さんがJOCのナショナルコーチに就任し、小学4年頃に家族で東京都板橋区に引っ越し、板橋区内の小学校へ転校しています。
そんな江村美咲さんですが、兄の練習をみているうちに次第にフェンシングに興味を持つようになり、小学3年生の頃にフェンシングを本格的に始めたとのことです。
両親がフェンシング選手だったので、もともと身近な競技だったことは確かなんですが、実は幼稚園生の頃はユニホームのハイレグラインが嫌だったんです(笑)。小学校3年生くらいになって、兄の練習を見ているうちに、自分でもやりたくなって両親にお願いして始めました。
【引用元:JOC 未来のオリンピアン2015 Vol.5】
この投稿をInstagramで見る
江村美咲さんは、最初はフルーレという種目に取り組んでいましたが、特に熱心に練習することもなく、大会に出ても目立った成績は出なかったようです。
それでも、両親に「もっと頑張れ」と無理にやらされることはなかったとのことです。
江村美咲さんは東京に移った後もフェンシングを続け、最新のトレーニング施設や練習場があるJISS(国立スポーツ科学センター)で練習を始めました。
江村美咲はウサビッチのパズル欲しさに優勝!?
江村美咲さんにとって、転機が訪れたのは小学校の卒業式を終えたばかりの中学入学直前のことでした。
父親が2011年のジュニアのサーブルの大会の運営に携わっていたことから、この大会の優勝者に「ウサビッチ」のジグソーパズルが贈られることを知り、そのウサビッチのパズルが欲しくてサーブルの大会に出場したそうです。
その際、父親の江村宏二さんから、「相手の剣をたたいてから前に出なさい」とのアドバイスを受け、挑戦した結果、見事優勝しています。
このとき江村美咲さんは、初めて頂点に立つ喜びを体験し、この優勝がきっかけで、フルーレからサーブルに転向することを決心したそうです。
ある日、味の素ナショナルトレーニングセンターで開催されたサーブル競技の大会の優勝賞品が当時大好きだった「ウサビッチ」のジグソーパズルだったんです。それがどうしても欲しくて(笑)、試合に出たら、本当に勝ってしまいました。フルーレではベスト8が最高だったので、種目転向を考えるきっかけになりました。
【引用元:JOC 未来のオリンピアン2015 Vol.5】
江村美咲の中学時代はフェンシングに目覚める!
江村美咲さんは、2011年4月に東京都板橋区立志村第二中学校に入学しました。
この中学校では、当時生徒全員が部活に入らなければならないというルールがあったそうで、フェンシングに集中したかった江村美咲さんは、活動頻度が少ないという理由で華道茶道部に入っていたと話しています。
私が通っていた中学校は全員部活に入らないとならなかったんですが、私は放課後にフェンシングの練習があるので、一番頻度が少ない部活という理由で、茶道華道部に入っていました(笑)。
【引用元:Sportiva】
中学1年生の時、江村美咲さんはサーブルの試合で優勝し、サーブルも楽しいと思っていたそうですが、本気でフェンシングに取り組むつもりはなかったと明かしています。
フェンシング自体は楽しかったものの、当時はもっと強くなりたいという意識もなく、フェンシングをやっていると珍しがられるのがうれしくて、なんとなく続けていただけだったそうです。
しかし、そんな時、福岡県の将来のスポーツ選手を育てるタレント発掘事業でフェンシングを始めたばかりの女の子たちに、あっという間に抜かされ、その悔しさで本気になったとのことです。
中学1年でサーブルの試合でも優勝して、サーブルも楽しいなと思ったんですけど、そんなに本気でやるつもりはなかったんです。もっと言えば実は……フェンシング自体も楽しかったんですけど、当時はもっと強くなりたいという意識もなくて、ただなんとなくやっているだけで。フェンシングってカッコいいと思いますし、やっていると珍しがられるのがうれしくて、続けていただけだったんです。そんな時、福岡県のタレント発掘事業(将来のスポーツ選手を育てる事業)でフェンシングを始めたばかりの女の子たちにあっという間に抜かされてしまって。その悔しさで本気になった部分がありました。
【引用元:Sportiva】
そして中学3年生の終わり頃に国際大会である欧州カデサーキット大会で優勝を果たし、頭角を現していきました。
この頃から、「オリンピックで金メダルを取りたい」という意識が芽生えたそうです。
中学3年の終わり頃に、初めて国際大会で金メダルを獲って、周りもすごく応援してくれて、期待もしてくれるようになってくれて。その時は、私も「夢は五輪です」とか、言うようになってましたね。
【引用元:Sportiva】
江村美咲の高校時代はフェンシング漬けの毎日!
江村美咲さんは、2014年4月に大原学園高等学校(現在の大原学園美空高等学校)に入学しました。
この学校は通信制の私立高校で、江村美咲さんは毎週土曜日通学のみの「週1日コース」に通っていました。
高校選びの際、普通の高校にするか通信制にするかで悩んだそうですが、同い年のライバルを意識し、少しでも差をつけたいという強い気持ちから、フェンシングにより専念できる環境を選ぶことに決めたとのことです。
ーー高校は通信制(大原学園高)を選びました。その理由は?
受験の時、迷ったんですよ。普通の高校か、通信制か。一般的な高校生活の青春も捨てがたかったんですけど……もうその頃には、フェンシングで後悔しないのはどっちだ、という考え方になっていました。同い年のライバルの存在を強く意識していたので、ちょっとでも差をつけたいと、競技により専念できる環境を選びました。
【引用元:Sportiva】
高校に入学すると同時に、江村美咲さんは日本オリンピック委員会(JOC)の「JOCエリートアカデミー」にも入校しました。
ここで、全国から集まったアカデミー生たちとともに寮生活を送り、日々オリンピック金メダルを目指して練習を積みました。
そして、高校1年の2014年、江村美咲さんは南京ユース五輪に出場し、個人戦では4位、大陸別混合団体では金メダルを獲得しました。
#ユースオリンピック メダリストから #オリンピック #TeamJapan の旗手へ🎌
フェンシング江村美咲選手とブレイキンShigekixのユースオリンピックでの活躍を振り返ろう💫@TeamJapan | @11misaki20 | @bboy_Shigekix #パリ2024 | @Paris2024 pic.twitter.com/fu9R0ishCv
— オリンピック (@gorin) July 26, 2024
なお江村美咲さんの実家は寮から自転車で5分の距離にありましたが、周りからの視線を気にして、長期休暇中の10日間だけしか家に帰らなかったそうです。
そんな江村美咲さんはフェンシングには中学の頃から熱心でしたが、その面白さに気づいたのは、高校生になってからだそうです。
本格的にコーチから指導を受け、戦術を理解し始めたことで、フェンシングがより楽しくなったとのことです。
本格的にやり始めたのは中学の頃ですが、本当にフェンシングを好きになったのは高校生くらいですね。戦術をわかり始めてから、本当の面白さがわかるようになりました。
【引用元:REALSPORTS】
また、学校の行事については、試合で海外に行くことが多かったため、あまり思い出がないと語っています。
試合で海外へ行ったりして、それはそれで楽しかったんですが、学校のイベントはあんまり思い出がないんです。高校1年から3年までは、JOC(日本五輪委員会)エリートアカデミーに入っていたので、寮生活で寮母さんにしっかり管理されていました。高校は土曜日のみの通学コースだったので、学校生活に関しては、中学のほうが楽しかったかもしれないです。
【引用元:Sportiva】
それでも、寮生活での経験やフェンシングの試合で得た楽しさは、江村美咲さんの成長にとって大きなものでした。
高校2年生の2017年には、アジア選手権(香港)で個人銅メダルを獲得し、ユニバーシアード夏季大会(台北)では個人で銅メダル、団体で金メダルを獲得しました。
【ユニバーシアード台北2017】
個人戦3位 団体戦1位で終了しました🥇🥉
団体戦の日は1月に亡くなった祖父の誕生日でした。チームメイト、コーチ、応援してくれた方全員に心から感謝の気持ちでいっぱいです!!
みんな本当にありがとう😭😭 pic.twitter.com/4sfU6Y2Uoq— 江村美咲 (@11misaki20) August 27, 2017
そして、2018年1月にはワールドカップ(ボルチモア)では、個人で銀メダルを手にしました。
フェンシング・女子サーブルW杯ボルチモア大会個人戦。 https://t.co/uCAJE9G2yq 江村美咲(世界ランク13位、中央大)決勝でイタリアのCRISCIO(15位)に11-15で敗れたが、日本勢この種目初の銀メダル。 #BaltimoreWorldCup
— kammy(天下盗り匠)at利府 背番号88 (@kammyjt) January 28, 2018
江村美咲さんの高校時代は、フェンシングの競技生活とともに充実したものとなりました。
江村美咲の大学時代は勉学とフェンシングの二刀流!
江村美咲さんは、大原学園高等学校を卒業した後、スポーツ推薦で2017年4月に中央大学法学部に進学しました。
江村美咲さんが中央大学を選んだ理由は、フェンシングの環境とサポート体制が整っており、歴史もあるからだそうです。
特にその当時は男子の歴史が中心で、自分が新しい歴史を作りたい、第一人者としてチャレンジしたいという思いから大学を決めたとのことです。
ーーその後、中央大学へ進学します。この大学を選んだ理由は?
他の大学からもいくつか声をかけていただいたんですが、中央大学はフェンシングの環境とサポート体制が整っていて、歴史もあるんです。その頃はまだ男子の歴史が中心でした。それで、自分が何か新しい歴史を作りたい、第一人者としてチャレンジしてみたいという理由から大学を決めました。
【引用元:Sportiva】
大学生活は非常に忙しく、寮から大学まで片道2時間かかる中で、朝練習をして授業に行き、また練習をするというハードなスケジュールをこなしていたため、お昼ご飯も駅のホームで食べることもあったそうです。
寮から大学まで、ドアツードアで片道2時間くらいかかったんですが、練習して、授業に行って、また練習して、みたいなけっこうハードな感じでした。昼ご飯も駅のホームで食べるような生活を送ってたんです。
【引用元:Sportiva】
学業面では、英語は海外での試合が多かったため得意でしたが、法律系の授業は難しく、授業に出ても理解するのが大変だったと語っています。
ーー学部は法学部でした。勉強のほうは?
法律系の授業はめちゃめちゃ難しかったですね。わからないから頑張って授業に出るんですが、出てもわからないっていうのが本当に困りました(笑)。でも英語は案外得意なのかなと思いました。海外での試合をたくさん経験してきたのもあったのかな。
【引用元:Sportiva】
ただ競技面では大学1年の2017年には、アジア選手権(香港)で個人銅メダルを獲得し、ユニバーシアード夏季大会(台北)では個人で銅メダル、団体で金メダルを獲得しました。
【ユニバーシアード台北2017】
個人戦3位 団体戦1位で終了しました🥇🥉
団体戦の日は1月に亡くなった祖父の誕生日でした。チームメイト、コーチ、応援してくれた方全員に心から感謝の気持ちでいっぱいです!!
みんな本当にありがとう😭😭 pic.twitter.com/4sfU6Y2Uoq— 江村美咲 (@11misaki20) August 27, 2017
そして、2018年1月にはワールドカップ(ボルチモア)では、個人で銀メダルを手にしました。
フェンシング・女子サーブルW杯ボルチモア大会個人戦。 https://t.co/uCAJE9G2yq 江村美咲(世界ランク13位、中央大)決勝でイタリアのCRISCIO(15位)に11-15で敗れたが、日本勢この種目初の銀メダル。 #BaltimoreWorldCup
— kammy(天下盗り匠)at利府 背番号88 (@kammyjt) January 28, 2018
その後も2018年12月、全日本選手権の個人で優勝し、翌年の2019年11月には同大会で2連覇を達成しました。
江村美咲の大学卒業後はプロの道へ行き世界選手権で金メダル!
2021年3月に中央大学法学部を卒業すると同時に、日本フェンシング界初となるプロ選手に転向しました。
プロ転向の理由として、東京オリンピックが1年延期となり、スポンサーへの恩返しができないこと、そしてフェンシングでプロになるという挑戦をしたいという思いからだったそうです。
ーー大学卒業後、2021年3月に日本フェンシング界初となる「プロ宣言」をしました。プロ転向したのは、どうしてだったんですか?
大学卒業後に、企業に就職して競技を続けるのか、プロになって続けるのか、どっちがいいか考えました。そうしたなかで、プロになろうと決めた理由がふたつあります。ひとつが東京五輪に本当は大学4年時に出場するはずだったのに、1年間延期になって、卒業後の開催になってしまったことです。そうなると、これまで数社のスポンサーに応援していただいてきたのに、特定の企業に就職すると、恩返しができない、何も返せないと思いました。もうひとつは、大学決める時と一緒で、フェンシングでプロになるというのは、日本で他に誰もやってないから、自分がやってみたかった。挑戦したかったんです。
【引用元:Sportiva】
その後、東京オリンピックの日本代表に選ばれ、個人では3回戦で敗退しましたが、団体では過去最高の5位に入賞しました。
また、2020年にはワールドカップで日本の女子個人として史上初の金メダルを獲得しています。
2022年には世界選手権で日本の女子個人として史上初となる金メダルを獲得し、団体でも初となる銅メダルを獲得しました。
そして2024年、パリオリンピック代表に選出されています。
――最後に、パリ五輪で自分のこんなところを見てほしい、という部分をアピールお願いします!
江村:フェンシングって、ルールは少しわかりにくいかもしれませんが、実際に生で見たら、迫力や面白さを感じていただけるのではないかと思います。私は、フェンシング自体はもちろんですが、トレーニングウェアやアクセサリーなどのファッションを楽しんだり、リップをつけたりして、競技をしている時も自分の好きな自分でいたいという気持ちがあって。そういうところも楽しんでいるんだな、と温かい目で見ていただけたらうれしいですね。
【引用元:REALSPORTS】
江村美咲の父親は元オリンピック選手で日本代表監督!
江村美咲の父親は独学でフェンシングをしていた苦労人!
江村美咲さんの父親である江村宏二さんは1961年2月22日生まれの63歳(2024年7月現在)で、大分県の出身です。
江村宏二さんは中央大学経済学部を卒業し、現在は日本フェンシング協会に所属しています。
そんな江村宏二さんがフェンシングを始めたのは高校2年生のときでした。
当時、フェンシングを教えてくれる指導者がいなかったため、友達と一緒に本を買って独学で練習をしました。
本を参考にしながら、構えや突き、防御などの技術を学んだそうです。
そして江村宏二さんはフェンシングが強い中央大学に入学することを目指して、高校3年生のときに顧問の先生の家に泊まり込んで勉強を教えてもらいながら猛勉強し、見事中央大学に合格しています。
私は、フェンシングの本を読んで基礎を学んだ。高2で始めたが、教えてくれる人がいなかった。仕方なく、友達と2人で本を買い、最初の構えから、突き、防御などをまねた。勉強ができる方ではなかったが、当時 フェンシングが最も強かった中央大学に入るため、高3の時は、顧問の先生の家に泊まり込んで勉強を教えてもらった。
【引用元:日刊スポーツ】
江村美咲の父親は元オリンピック選手で日本代表監督で社長!
大学に進学した江村宏二さんは、フェンシング選手として大きく成長し、1988年のソウルオリンピックにフルーレの代表選手として出場しました。
この投稿をInstagramで見る
その後、現役を引退して指導者の道に進み、2008年の北京オリンピックでは、太田雄貴さんが銀メダルを獲得した際に、フェンシング日本代表チームの監督を務めました。
さらに、2017年には株式会社エクスドリーム・スポーツの代表取締役社長に就任し、「フェンシングの普及が恩返し」と考え、国内外で若い世代の育成に力を入れています。
江村美咲の父親の指導方針は負けて怒らず勝つと褒める!
江村美咲さんの父親、江村宏二さんは、家ではとても静かで、フェンシングの話をほとんどしないそうです。
江村美咲さんによると、江村宏二さんから練習を強制されたことは一度もなく、「厳しく指導されたの?」と聞かれることが多いですが、実際には優しく見守ってくれる存在だったと語っています。
そのため、江村美咲さんは楽しく自由にフェンシングに取り組むことができ、ここまで成長することができたと感じています。
父は元日本代表監督だったため、「厳しく指導されたの?」とよく聞かれますが、全くそんなことはありません。私を常に優しく見守ってくれる、本当に心強い存在です。楽しくのびのびとやらせてくれたからこそ、ここまで成長することができました。
【引用元:読売新聞オンライン】
なお江村宏二さんは、子供たちにフェンシングを教える際に、「自分から好きになって、もっとやりたい、もっと勝ちたいと思ってほしい」と話しています。
「教え導くというよりは、自分から好きになって、もっとやりたい、もっと勝ちたいと思ってほしい。私や(フェンシング経験者の)妻のDNAもある。それを自分で生かしてほしい」。決して押し付けないのは、宏二さんの思いからだった。
【引用元:サンスポ】
このため、江村美咲さんが子供の頃もフェンシングを決して強制せず、自然と興味を持つようにしていました。
また、江村宏二さんは「家は休むところだから」という考えから、家庭ではフェンシングについて全く話しませんでした。
江村宏二さんの選手育成の方法は、練習所に遊びに来させて「ここに来たい」と思わせることで、まずはフェンシングを好きになってもらい、その後でしっかりと教えるというものです。
宏二氏は娘を世界女王に育て上げる一方で、家庭内では全くフェンシングについて語らないという。「家は休むところだから。小さいころは教えていましたけど。私の仕事はいかに練習所に遊びに来させて『ここに来たい』と思わせ、フェンシングを好きになってもらうこと。やりたいと言った時だけ詰め込んでやっていた。強制的にやらせたことはなく、負けても怒ったことはない」と自身の〝育成術〟を語った。
【引用元:東スポWEB】
さらに、負けても怒らず、勝ったときには思いっきり褒めることを重視しています。
「家は休むところ」との考えで、宏二さんからフェンシングの話をすることは一切ない。室内に練習道具が設置されることもなかった。「負けたときに一番悔しいのは本人」と敗戦に怒ることもない。ただ、勝ったときには思いっきり褒めた。
【引用元:サンスポ】
江村美咲の母親は美人でフェンシング世界選手権出場も!
江村美咲の母親は江村孝枝でフェンシング世界選手権出場も!
江村美咲さんの母親は江村孝枝さんです。
江村孝枝さんは、神奈川県横浜市の出身で、2024年7月現在で57歳です。
法政大学を卒業しており、大学時代はフェンシング部に所属していました。
特にエペという種目で活躍し、世界選手権に出場した経験もあります。
そのため江村美咲さんにとって、江村孝枝さんは非常に頼りになる存在で、いつも相談に乗ってくれる一番の相談相手です。
江村美咲の母親は江村美咲の一番のサポーター!!
江村孝枝さんは、江村美咲さんの試合をすべてチェックし、いつも江村美咲さんの体調や心の状態を把握しています。
試合が終わった直後には、日本時間の夜中でも適切なアドバイスを送ってくれます。
江村美咲さんが東京オリンピックの後に休みなく練習を続けていた時、「今はしっかりと休むことも大事なんじゃない?」と助言したのも江村孝枝さんでした。
一番の相談相手は母(孝枝さん=56=)です。エペで世界選手権に出た経験があり、今も私の試合は全てチェックし、日本の夜中でも、試合直後に激励のメッセージが届きます。私のプレーも心の状態も本当によく見てくれていて、「全部把握しているんだ」と感心させられてばかり。東京五輪後、休みなく練習に明け暮れていた私に「今は、しっかりと休むことも大事なんじゃない?」と助言をくれたのも母でした。
【引用元:読売新聞オンライン】
さらに、江村孝枝さんは江村美咲さんの食事面でもサポートを欠かしません。
バランスの良い食事を用意し、体調管理にも気を遣っています。
江村美咲の兄もフェンシング選手で現在は指導者!
江村美咲の兄は元エペの選手で現在は指導者!
江村美咲さんの兄は江村将太朗さんです。
1994年8月17日生まれで、2024年7月現在で29歳です。
フェンシングの名門である埼玉栄高校を卒業後、中央大学に進学しました。
江村将太朗さんは、以前は男子エペの選手として国際大会に出場していましたが、現在は車いすフェンシングの指導者としても活動しています。
この投稿をInstagramで見る
江村美咲さんは、江村将太朗さんの競技に対する深い愛情と選手の育成にかける情熱を尊敬しています。
兄・将太郎(29)は男子エペの選手で、今は車いすフェンシングの指導者。深い競技愛と育成にかける情熱にあふれ、尊敬しています。
【引用元:読売新聞オンライン】
江村美咲の兄は既婚で江村美咲はおばさんに!
現在、江村美咲さんの兄・江村将太朗さんは結婚していて、子どもがいます。
甥っ子を江村美咲さんはとてもかわいがっています。
この投稿をInstagramで見る
江村美咲の弟はフェンシング日本代表選手で活躍!
江村美咲さんの弟は江村凌平さんです。
江村凌平さんは2001年3月19日生まれで、2024年7月現在で23歳です。
兄や姉、父親と同じく中央大学を卒業し、現在はオリエンタル酵母工業株式会社でアスリート社員として働いています。
江村凌平さんはサーブルの日本代表選手として活躍したこともあり、姉の江村美咲さんと同様に現役選手として活動しています。
江村美咲さんと弟の江村凌平さんは、共にフェンシングの練習を行い、お互いの練習や試合を見て刺激を与え合っています。
この投稿をInstagramで見る
江村美咲さんは、社会人になってから江村凌平さんと一緒に練習したり、試合を応援したりする機会が増え、そのために一緒に戦っているような気持ちになると話しています。
江村美咲さんは「先輩アスリートとして弟の江村凌平さんに見本となる姿を見せたい」と語っており、江村凌平さんの存在が江村美咲さんの励みになっているとのことです。
弟の凌平(22)は男子サーブルの日本代表で国際大会にも出場。社会人になってからは練習を共にしたり、互いに試合を見守ったりする機会も増え、何だか一緒に戦っている気持ちになるんです。先輩アスリートとして見本になる姿を見せたいし、彼の存在が私の刺激になっています。
【引用元:読売新聞オンライン】
江村美咲の家族構成まとめ
この投稿をInstagramで見る
家族構成 | 説明 |
---|---|
父親 | 江村宏二。63歳。元ソウルオリンピック出場選手で、元日本代表監督。現在はフェンシングの指導者。 |
母親 | 江村孝枝。57歳。元エペの選手で、江村美咲の一番の相談相手。試合のチェックやコンディション管理をサポート。 |
兄 | 江村将太朗。29歳。元エペの選手で、現在は車いすフェンシングの指導者。既婚で子供がいる。 |
本人(江村美咲) | サーブルのフェンシング日本代表選手で、日本初のプロフェンシング選手。2022年世界選手権個人金メダル、団体銅メダル獲得。韓国語が堪能。 |
弟 | 江村凌平。23歳。サーブルの選手。中央大学卒業後、オリエンタル酵母工業に勤務。姉と共に練習し、お互いに刺激を与え合っている。 |
【関連記事】