今回は、有村架純さんのご家族構成や生い立ちについて、ご紹介していきたいと思います。
有村架純さんは2013年にNHK連続テレビ小説「あまちゃん」でブレイクを果たし、その後も2016年には映画「ビリギャル」へ出演するなど、様々な作品で活躍しています。
このような有村架純さんの女優としての活躍の裏には、家族の大きな支えがありました。
この記事では、有村架純さんがどのような家庭環境で育ち、どのような影響を受けて女優としてのキャリアを築いていったのかをたどっていきます。
目次
有村架純の家族構成!父親・母親・姉の4人家族
有村架純の家族構成は「父親・母親・姉・本人」の4人です。
母親:日本酒バルの経営者で、落ち着きがあるしっかり者
長男:タレントの有村藍里で、洋服やコスメのブランドも経営
次女:有村架純本人
また、有村架純さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
祖母:有村架純にポテトサラダのレシピを伝授。関係は良好
有村架純の生い立ちや学歴!親の離婚を乗り越え芸能界へ
- 名前:有村架純
- 本名:有村架澄
- 生年月日:1993年2月13日
- 身長:160㎝
- 体重:46㎏
- 血液型:B型
- 出身地:奈良県香芝市
- 学歴:香芝市立五位堂幼稚園→香芝市立真美ヶ丘東小学校?(転校)→伊丹市立稲野小学校→伊丹市立西中学校→兵庫県立伊丹西高校(退学)(偏差値47)→日出高等学校(編入)
有村架純の幼少期〜小学生:父の浮気が原因で両親が別居!
有村架純さんは、奈良県香芝市で生まれ育ちました。
幼少期は活発な子供で、特撮テレビドラマ「五星戦隊ダイレンジャー」をよく見ており、外で遊ぶことが大好きだったそうです。
有村架純さんが通っていた幼稚園は香芝市立五位堂幼稚園で、その後の小学校時代も2年生までは奈良県内で過ごしていました。
小学校は住んでいた地域などから香芝市立真美ヶ丘東小学校に通っていたと思われますが、真偽は不明です。
小学校2年生の時に、新築1戸建てを兵庫県伊丹市に建てて、奈良から兵庫県へ引っ越します。
有村が小学2年生のとき、新築の一戸建てで暮らし始めた。「引っ越して来たときから、美人姉妹として評判でした。お父さんもカッコいいし、お母さんも美人。架純さんは活発な子で、よく家の前の道路で学校の友達と遊んでいました。たまにうちに遊びに来て、子供のオムツをかえてくれたことも。週末は家族でよく出かけていたようです」
【引用元:FLASH】
そして伊丹市へ引っ越してからは、伊丹市立稲野小学校に通いました。
しかし、小学校4年生の時、有村架純さんの父親の浮気が原因で両親が別居したそうです。
人生の転機は小学4年生のときだ。両親が別居し、姉とともに母親に引き取られた。
【引用元:FLASH】
ちなみに小学校の頃の主な遊び場は「昆陽池公園」だったことを有村架純さんは明かしており、「セミ捕りやピクニックをした楽しい思い出が詰まった場所」とも言っています。
動画では、市内の名所や町並みなどでお気に入りの場所と、その思い出を顔写真付きで紹介。同市出身の有村さんや田中さん、お笑い芸人「銀シャリ」の橋本直さんら6人は「昆陽池公園」を挙げ、有村さんは「セミ捕りやピクニックをした楽しい思い出が詰まった場所」と紹介。
【引用元:HYOGO ODEKAKE PLUS】
有村架純の中学時代:女優を志し、オーディションに挑戦!
そして、伊丹市立稲野小学校を卒業後、有村架純さんは伊丹市立西中学校に入学しました。
また、この時期には、有村架純さんの両親が正式に離婚し、母子家庭の中で成長することになります。
よく「落ち着いているね」と言われる有村架純さんは、小学4年の両親の別居の頃から母親や姉を支えたり守ったりしなければと思い、父親としての役割を意識していたそうです。
「両親が離婚する前に家族4人で過ごしていたときは、たぶん何も考えない次女の性格、末っ子の性格で、自由奔放に生きていた」と振り返る有村。「両親が離婚したときに、母親が私と姉を育ててくれたが、そういう背景をいろいろ見ていく中で、ちゃんと自分で生きていかなくては、母親を支えなくては、姉も守らなくては、自分が父親代わりにならなくては、という意識があった」と語り、「小学校4年ぐらいからそういう意識が芽生え始めてきた」と明かした。
【引用元:RBB TODAY】
中学時代は、テニス部に所属し、厳しい先輩たちの下で、コートでのボール拾いから始め、厳しい環境の中で忍耐力を鍛え上げました。
そして有村架純さんは中学校3年生の時に、女優を志し、芸能事務所FLaMme(フラーム)のオーディションを受けました。
しかし、その時は「体を2キロ絞ること」と「標準語で話す」という2つの課題を与えられたそうですが、結果は不合格となりました。
有村架純さんにとってこの出来事は特に悔しかった思い出の一つのようです。
本当にね、常に悔しいんだけど、やっぱり1番の原点は、フラーム(所属事務所)に1度落ちてるんだけど、1回落ちた時に学校で母親から電話がかかってきて(不合格の報せを)聞いて、誰も居ない階段の踊り場で一人で泣いた(笑)。「悔しい!」って思って泣いた。
【引用元:radiko news】
有村架純の高校時代〜現在:芸能界に入り、大ブレイク!
中学を卒業後、有村架純さんは兵庫県立伊丹西高校に進学します。
高校時代の有村架純さんは、芸能事務所FLaMme(フラーム)のオーディションで面接官に与えられた2つの課題を克服しながら、母親を支えるためと、上京するための資金を貯めるために、アルバイトを頑張っていたそうです。
母親を支えるため、寿司店と蕎麦店でのアルバイトを掛け持ちし、一時は週に6日間働いていた。
【引用元:smart FLASH】
その後、女優としての夢を追い求める決意から、2年生で高校を中退、芸能事務所FLaMme(フラーム)のオーディションにも見事に合格し、東京への上京を決意します。
上京後、有村架純さんは日出高校(現目黒日本大学高校)の通信制課程に編入されています。
東京に移り住んだ有村架純さんは、2013年にNHK連続テレビ小説「あまちゃん」でブレイクし、その後も多くのドラマや映画に出演しています。
ちなみに有村架純という名前は芸名で本名は有村架澄です。
なぜ有村架純という芸名にしたかというと、離婚した父の1文字をとったそうです。
何が違うかというと、漢字が違うんです。一番最後のかすみの「すみ」という字が芸名は「純」ですが、本名は「澄」なんです。架純さんのお父さんのお名前に「純」という漢字が入っていて、芸名に入れたかったそうです。ご両親が離婚してからは離れて暮らしているそうですが、芸能人の芸名にもいろいろな思いが込められているのだと思いました。
【引用元:LIFE】
父親のことが大好きで、小さい頃はずっと後ろをついてまわっていました。(中略)父と一緒に住めなくなって、寂しかった
【引用元:朝日新聞インタビュー】
さらに、2016年には映画「ビリギャル」で日本アカデミー賞を受賞するなど、高い評価も得ています。
このようなドラマや映画での活躍から、有村架純さんは女優として広く知られるようになりました。
有村架純の父親はどんな人?離婚後も娘の活躍を応援する父親
有村架純の芸名の由来になった父親!!
有村架純さんの父親は一般人のため、顔画像や名前、血液型、詳細な出身地や職業については公表されていません。
しかし有村架純さんの父親は、鹿児島県出身ではないかといわれています。
これは有村架純さんの父方の祖父母の実家が鹿児島県であるためや、父親の出身地が鹿児島県川辺町(現在の南九州市)とネット上でいわれていることから、このような情報が流れていると考えられます。
自身初の鹿児島ロケだが、祖母が鹿児島市に住んでおり「中学を卒業するまでは毎年(同市に)来ていた」と懐かしい景色を喜んだ。
【引用元:サンスポ】
有村架純さんの父親は、有村架純さんがまだ幼い頃から非常にしっかりとしたしつけをしていたそうです。
「教育されていたのは言葉遣いですね。行儀が悪いと怒られるし、口が悪いと怒られるし。とにかく“丁寧な言葉を使いなさい”と」と紹介。「ご飯を食べるときは、正座しないと怒られるし、肘をついたりしても怒られるし、テレビを見ていても怒られるし」と続けた。「私は女兄弟で男の子がいないので、だから余計に父親が女性としてちゃんと育ててくれたのかなと思います」と思いを馳せた。
【引用元:モデルプレス】
しつけは厳しかったようですが、有村架純さんと父親の関係は非常に良好だったようです。
有村架純さんは父親のことが大好きで、小さい頃はいつも後ろをついてまわり遊んでいました。
有村架純さんは父親のことを「パパ」と呼び、父親は有村架純さんのことを「かっすん」と呼んでいたようで、生い立ちの項目に書いているように、有村架純さんの芸名である「純」の文字は、父親の名前から取れているみたいです。
また、有村架純さんは毎週日曜日に家族全員で出かけることが多く、夜は「ちびまる子ちゃん」を観ながらみんなで夕食を食べるのが習慣だったそうです。
日曜日には、有村架純さんの父親がたこ焼きを焼いてくれることもあったそうで、その楽しい時間は有村架純さんにとって大切な思い出になっているみたいです。
さらに、有村架純さんの父親はファッションやオシャレ、髪型にも気を遣い、ユーモアがありよく笑わせてくれたかっこいい父親だったそうです。
日曜になると、家族であちこち遊びに出かけました。私はいつもお父さんと手をつなぎます。指はあまり長くなくて、ゴツゴツして、あったかい。その手を独占していました。
髪形やファッションにこだわりがある人で、格好良くて優しい。でも変な顔をして、よく笑わせてくれました。
日曜日の夜はみんなで「ちびまる子ちゃん」を見ながらごはんを食べます。父がたこ焼きを焼いてくれることもありました。でも、テレビばっかり見ていると叱られました。「かすみ、ちゃんと食べろ」って。普段、「かっすん」って呼ぶときとは違う、低い声でした。
【引用元:朝日新聞2013.11.21の記事】
有村架純と父親の関係性:離婚後は無愛想な態度を父にとったことも
しかし、有村架純さんの父親の浮気などが原因で両親は小学4年で別居、その後離婚してからは、父親に対して無愛想な態度をとってしまっていた時期もあるようです。
高校2年生の上京時には、父親と電話で話したそうですが、小学6年の頃から会っておらず、心の整理がつかず電話をすぐに切ってしまったようです。
それでも、有村架純さんが20歳の時に、有村架純さんから父親に連絡を取り、親子関係が修復されたようです。
高校2年で仕事のために上京することになり、父と話しました。母から急に電話を渡されたんです。小学6年ぐらいから会っていませんでした。心の整理がついていなかったので、すぐに切っちゃいました。「申し訳ないことをした」。そんな気持ちがずっとありました。
今年20歳になって、自分で父に電話をしました。たった一人の父親。このまま連絡を取らないのも嫌だな、と思って。さすがに勇気が要ったかな。すっごくドキドキしました。
【引用元:朝日新聞2013.11.21の記事】
また父親は有村架純さんの活躍をテレビや雑誌で観て応援していたそうです。
そして有村架純さんに「ほんまにまっすぐ育ってくれたな。ありがとう」と、感謝の言葉を伝えてくれたそうです。
父はびっくりしていましたね。ドラマや雑誌を見てくれていて、「応援してるよ」って言ってくれました。「ほんまにまっすぐ育ってくれたな。ありがとう」って。
この仕事をすることで、父に私の姿を見てもらいたいというのは気持ちのどこかにありました。応援してくれていたんだと分かって、すごくうれしかったですね。
【引用元:朝日新聞2013.11.21の記事】
有村架純の父親の顔画像をAIで想像してみた!
有村架純の母親はどんな人?大人気の日本酒バルを経営
有村架純の母親は日本酒好きには聖地的な店を経営!
有村架純さんの母親は、一般人のため、年齢やはっきりとした顔画像などは公開されていませんが、兵庫県伊丹市で「日本酒バル酌-syaku-」というお店を経営しています。
元々は会社員として働いていたそうですが、有村架純さんが女優として活躍するようになり、子育てもひと段落したことから、自分の夢を叶える決断をされたようです。
2016年4月にお店をオープンされて以来、「日本酒バル酌-syaku-」は完全予約制で、全国各地から選りすぐった日本酒を120種類以上提供しているという、なかなかの人気店となっています。
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大手口コミサイト「食べログ」の評価は、2024年5月現在「3.09」ですが、口コミには日本酒好きには聖地的なお店などど書かれており、評判は良いようです。
また有村架純さんの母親は、とても明るく、接客をすることが好きで、こじんまりした飲食店を経営していることからも、人と直接触れ合うことを、楽しんでいらっしゃるそうです。
有村架純さんからも、会社に勤めるよりも自分でビジネスを立ち上げていく方が合っていると、よく言われていたそうです。
架純からも『お母さんは会社勤めより自分で独立してやりたいことをやっていくほうが向いている気がする』とよく言われていましたね
【引用元:女性自身】
有村架純の母親の顔画像や性格は?
ちなみに有村架純さんの母親の顔画像は、ぼかしがかかった程度しか、公開されていませんが、美人で茶髪のパーマヘアが特徴的で、有村架純さんが子どもの頃から一人で2人の娘を育て上げた強い女性だそうです。
その奥で忙しく料理を作る40代と思しき美人女性がいた。ゆるくパーマのかかった茶色い髪にキレイな顔立ち。彼女こそ、有村の母だった。
【引用元:女性自身】
有村架純さんの母親の性格については、明るいですが落ち着いており、しっかり者だそうです。
有村架純の母親は娘の名前を使わず自分の力で店を切り盛り!
開店当時に取材を受けた有村架純さんの母親は、お店と有村架純は関係ないのでそれを混同することなく、お店のことに焦点を当てて取材をしてほしいと答えていました。
たしかに私は有村架純の母ですが、娘と店は関係ありません。そこは混同させたくないんです。ですので、取材していただくなら店の話をメインでお願いします(笑)
【引用元:女性自身】
また新型コロナウイルスが流行した時期には、有村架純さんの母親が運営する飲食店もマスクの寄付をしたそうです。
兵庫県伊丹市は、新型コロナウイルスの感染防止対策として、市内の妊婦約1600人を対象にマスクを20枚ずつ配布する。配布するマスクのうち約1万3千枚は、伊丹大使を務める女優有村架純さんの母親が経営する飲食店を含む市内3社が寄付。
【引用元:神戸新聞】
さらに、有村架純さんの母親のしっかりもののエピソードとしては、夫との離婚後、母子家庭となったため、生活のために一所懸命に働いたそうです。
しかし最終的には一戸建てを売却し、賃貸の集合住宅に移り住んだそうですが、そんな中でも有村架純さんが女優として成功する道を諦めそうになった時は、母親は厳しくも愛情深く支え、励まし続けました。
有村架純さんがオーディションに落ちて泣いている時にはそのような状態でどうするのかと叱ったそうです。
「それでも夢を諦めなかったのは、母親がいたから。オーディションに落ちて泣いたときに、『あんたがそんなんでどうすんの!』って叱ってくれて、母親がいて本当によかったなって思ったんです。今も母親の存在は支えになってますし、少しずつ守っていきたいって思うようにもなった。支えられるところは支えたい。そう思うことが、私のお仕事への原動力になってます」。そう真剣に語ったあと「子どもながらの、ささやかな気持ちなんですけどね」と、小さく笑い、柔らかな表情を浮かべた。
【引用元:モデルプレス】
また、映画「ビリギャル」の主演に決まった時不安になる有村架純さんには、大丈夫と励ましたそうです。
「ビリギャル」の出演が決定した際には、母親が「あんたなら大丈夫よ」と言ってくれた
【引用元:モデルプレス】
他にも有村架純さんが2017年にドラマ「ひよっこ」に出演した時には有村架純さんの家事全般を助けていたそうです。
現在も有村架純さんとの関係は非常に良好で、仲がよく、頻繁に連絡を取り合っているとのことです。
有村架純の母親シルバーヘアーver.の顔画像をAIで想像してみた!
有村架純の姉はどんな人?美容整形を公表し大きな話題に
有村架純の姉・有村藍里は新井ゆうこという名前で芸能活動していた!
有村架純さんの姉の有村藍里さんは、1990年8月18日生まれで、血液型はO型、身長162cm、体重45kgのタレントです。
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有村藍里さんの芸能活動は2006年から始まり、アミックエンターテインメント所属を経て、現在は個人事務所であるOffice-AIRI.INCに所属しています。
中学生時代に内向的でネガティブだった自分を変えたいという思いから、人前に出る仕事を選んだのが、芸能界入りのきっかけのようです。
不登校だった中学時代とは一変して、高校生からは生活がガラッと変わりました。一番大きかったのは、芸能事務所に入って撮影モデルを始めたこと。「高校に入ったら自分自身を変えたい!」と思っていた私が、16歳になって真っ先に動いたことが芸能事務所への応募でした。
【引用元:With online】
ちなみに、有村藍里さんはグラビアアイドルとして「新井ゆうこ」という芸名で活動してました。
DVD「Green Canvas」のリリースや「TSUTAYAプリンセス2014」でのグランプリ受賞など、新井ゆうこさん名義で精力的に活動されていたようです。
しかし、2017年3月に母親の勧めにより、本名の「有村藍里」に改名されました。
突然ですが私、改名します。
有村藍里(ありむらあいり)として活動します。
本名にするという私の1つの覚悟。自分の意志で決めました。
そして5月26日に講談社さんから初の写真集が発売されます。
どうか、応援よろしくお願いいたします。
最初の大きな一歩、始まったばかり。☺︎ pic.twitter.com/bmzawLa0Iz
— 有村藍里 (@arimuraairi) March 30, 2017
ただ、有村藍里さんは妹の有村架純さんが女優としてブレイクしたことで、メディアからは「格差姉妹」とも揶揄され、かなりのバッシングにさらされてきました。
中には「有村架純の姉」として売名していると批判されたり、姉妹でないのではないかという疑問を持たれることもあったようです。
芸名でグラビア活動をしていたころ、一部メディアに「有村架純の姉」とスクープされた藍里。架純はすでに女優として活躍していたため、世間からは「妹の名前を使って売名している」という声が。ほかにも「本当は姉妹じゃない」「親が違うんじゃないか」などのバッシングがあったと話した。
【引用元:スポニチ】
実は、有村藍里さんは2015年にメディアに報道されるまで、有村架純さんの姉であることを隠していました。
かなりのバッシングにこのままでは妹や家族に迷惑がかかると思い、芸能界を引退しようとされたものの、有村架純さんから「私のためにお姉ちゃんが好きなことをできないのはイヤ」と励まされ、引退を思いとどまったとのことです。
このままでは妹や家族に迷惑がかかってしまうんじゃないかと思い悩み、活動を自粛。そして芸能界引退することを決めて家族に報告する際に、妹の有村架純から誹謗中傷を振り切るある言葉を言われたそう。有村藍里は「この言葉を受けて、全力で振り切ることにしました」と語った、妹・架純の言葉が「私のこと気にしてお姉ちゃんが好きなことできないのは嫌!!」というもの。
【引用元:ザテレビジョン】
改名後、タレントとして活躍する有村藍里さんは恋愛バラエティ番組にも出演していました。
有村架純の姉・有村藍里の恋愛事情:イケメン大学生と交際!?
2017年に恋愛バラエティ番組「恋んトスシーズン6」に出演し、北中健一さんというイケメン大学生とカップルになったものの、3か月で価値観の違いから破局しています。
それ以降、有村藍里さんの恋愛に関する話題はほとんど聞かれませんが、将来的には結婚して子どもが欲しいと公言されています。
今年32歳になる有村は、周囲に結婚・出産を経験した女性が増えて「私はこのままで大丈夫かなぁみたいな…」と苦笑い。松岡が「子どもさん欲しいの?」と聞くと有村は「欲しいとは思ってます」と返答。「いないと私、将来孤独死しちゃう」と不安をのぞかせた
【引用元:クランクイン】
ちなみに、好きなタイプの男性「たくさん笑う人」で、ファッションは「シンプルな格好」の方がタイプなんだそうです。
有村架純の姉・有村藍里の多才な才能:洋服ブランドを立ち上げ!
趣味の面では、洋服が大好きで、自身でプロデュースする形で、2021年7月には「rose bleue」という洋服ブランドを立ち上げました。
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さらに、コスメも大好きな有村藍里さんは、2022年3月に「CLARUM」というコスメブランドも立ち上げました。
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これらのブランドは、有村藍里さんが小学生の頃からの夢だったといいます。
ファッションに対する情熱が若い頃から非常に強く、自らデザイナーへの伝え方を学んできたとのこと。
小学生のころからファッションへの関心が高く、「いつか自分で洋服が作れたら、と思っていた」という有村。専門的な知識がなかったため、「デザイナーへの伝え方から学んだ」と振り返った。
【引用元:中日スポーツ】
また、有村藍里さんはインタビュアーの仕事もしており、人見知りの性格ながら話すこと自体は好きだと話しています。
なぜ、インタビュアーのお仕事をさせていただいてるのかというと、私は視野が狭く、人生経験も少なくて、会社に勤めた経験もないので、色々な方とお話することで、知らなかったことを知ることが出来て楽しい!というのも大きな理由の一つです。人見知りの私ですが、お話をすること自体は好きなので、毎回どんな会社さんなのかな?とワクワクするというのもあります。必要とされる限りは続けさせて頂きたいお仕事です。
【引用元:With online】
有村架純の姉・有村藍里は整形している!?
ブランドの設立やインタビュアーなど多方面での活躍をみせる有村藍里さんですが、2019年に美容整形を公表して大きな話題となりました。
その後、有村藍里さんは美容整形を公表した理由について、もともと画像の修正やネガティブな思いを公にしていたので、整形を隠す必要はないと思ったと述べていました。
有村:整形する前から画像の加工修正やネガティブな考えなど、ありのままの自分も出していたので、そもそも整形に対して隠すことでもないのかな、とは思っていました。それに世間から見れば、私ってもともと“マイナスなイメージ”も多くあったと思うので、整形を告白したところで、失うものもないと思ったんです。何も知られずに消えていくより、せっかくだったら前に出て知ってもらいたい。その上で叩かれるならそれはそれで仕方がないのかなと思うので。以前から「知らずに叩かれるのは悲しい」という思いがあったので、「どうせ転ぶなら前に転ぼう」「ありのままの自分でいこう」という思いで公表しました。
【引用元:モデルプレス】
ちなみに整形手術はリゾナスフェイスクリニック東京の院長である山口憲昭先生によって執刀されました。
美容整形の具体的な内容としては、ルフォーⅠ型骨切り術と下顎矢状分割骨切り術(SSRO)という二つの手術をされ、これには総額約400万円がかかり、6時間に及ぶ全身麻酔のもとで行われたそうです。
有村藍里さんは2013年頃から歯列矯正やマウスピース矯正などを始め、2019年3月には自身のブログで輪郭矯正を行ったことを公表しています。
あれ?なんか最近雰囲気変わった?と思っていた方もいらっしゃると思いますが、輪郭矯正という骨から輪郭を整える手術をしました。美容整形です。私は、自分の口元に対してずっとコンプレックスがありました。口元の突出感、笑うと歯茎が露出してしまうガミースマイル、口が閉じにくいことなどがありました。
【引用元:公式オフィシャルブログ】
有村藍里さんは美容整形手術を受けるまで、見た目に関するコンプレックスに悩まされていたそうですが、手術を経て自信を持つようになり、有村架純さんとの共演写真をSNSにアップできるようになったようです。
有村架純と姉・有村藍里の関係:普段から連絡を取り合う仲良し姉妹!
有村藍里さんは、姉妹の仲の良さをよくSNSで見せていて、たとえば正月には浴衣姿で一緒に写った写真を投稿したり、カラオケや食事にも一緒に行くほどです。
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また、有村藍里さんは有村架純さんが出演するNHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」を楽しみに視聴していたそうで、有村架純さんが出演するドラマの感想をメールで送ったりもしているそうです。
「(架純が主演しているNHK連続テレビ小説)『ひよっこ』もめっちゃ見ています。2週間ぐらいロケに行っていて撮りためているので、今すぐにでも帰って見たいです」と妹を応援する姉の顔ものぞかせた。
【引用元:エンタメOVO】
有村藍里さんは2017年11月17日に放送された「ロンドンハーツ」で有村架純さんの服を借りていることを明かし、有村架純さんの家に行っては勝手に服を着ていくエピソードも語っていました。
これに対して有村架純さんは、気が付いたら服がなくなっていると和やかに笑っていたそうです。
さらに、有村架純さんは有村藍里さんの誕生日に手料理を作って祝うこともあれば、手作りケーキをプレゼントすることもあるそうです。
妹が誕生日のお祝いで作ってくれたの🍴💓🐻 pic.twitter.com/lnCylA9oB1
— 有村藍里 (@arimuraairi) August 19, 2017
他にも、2019年に有村藍里さんがインスタグラムで自身が出演する番組「妄想オンナ旅inタイ」の告知をしたところ、この投稿に有村架純さんが「前に言ってたグリーンカレーだ」とコメントし〝いいね!〟をしていました。
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さらに、有村藍里さんもそのコメントに対し「そう、あのとても美味しいグリーンカレー」と返信したようです。
普段から姉妹で仲良く連絡を取り合っていることが感じられますね。
最近では2023年9月に有村藍里さんが正解すれば100万円を獲得できる「運命の一問」というテレビ番組に出演した際には、実家に帰省し、クイズに挑戦する様子が放送されました。
その際には有村架純さんからも電話があり、姉妹の交流がみられました。
有村藍里さんは見事に正解し、100万円を獲得しましたが、その賞金は有村架純さんが2月に誕生日を迎えるので、一緒にお買い物に行って欲しいものをプレゼントしたいと話していることからも、その仲の良さがわかります。
1週間の勉強期間の後、藍里に出題されたのは「5つの炊飯器の釜の写真を見て、メーカーを全て答えよ」という問題。有村は見事に正解し、100万円をゲットした。何に使うかを聞かれると、「妹が2月誕生日なので、一緒にお買い物行って欲しい物をあげたいです」と話していた。
【引用元:モデルプレス】
有村架純の祖父母はどんな人?直伝のポテトサラダは絶品と好評
有村架純さんの祖父母については、一般人であるため、詳しいことは不明です。
有村架純さんの父親の方の祖父母は、父親の項目に書いているように、鹿児島県鹿児島市に自宅があるとされています。
ただネット上では鹿児島県南九州市(旧川辺町)に住んでいるという噂があり、これは川辺町出身の有名人として、wikipediaに有村架純の父親という名前がのっていることからと考えられます。
また、有村架純さんは祖母と非常に仲が良く、毎年夏休みには祖母の家を訪れていました。
有村架純さんが幼少期の頃、両親は共働きだったため、特に夏休みには祖母の元で過ごし、キャンプを楽しむなどしていたそうです。
卒アルが出たということで、寝る前に幼少期の画像を投下。#有村架純 pic.twitter.com/0NznJRQ3hL
— ふみ☺︎ (@arikasu77) August 19, 2014
他にも、兵庫県伊丹市の市制80周年を祝して、伊丹市大使を務める有村架純さんと伊丹市長の藤原保幸さんが伊丹の魅力について話し合う対談で、有村架純さんは祖母とのエピソードを明かしました。
有村架純さんはこの対談で、伊丹でのお気に入りの場所として「昆陽池公園」を選び、「家の近くでよく友達とセミを捕まえたり、おばあちゃんと散歩したりした思い出の場所である」と述べています。
伊丹の好きな場所の話題では「昆陽池公園」を挙げ「家が近く、よく友だちとセミとりをしたり、おばあちゃんと散歩したりした。自分の成長を見守ってくれた場所」と振り返った。
【引用元:神戸新聞NEXT】
しかし、残念ながら有村架純さんの祖母(父方か母方か不明)はすでに亡くなっているようです。
有村架純さん自身もそのことについて「もっと祖母のお見舞いに行けばよかった」と後悔しているようです。
有村架純さんの祖母が亡くなったのは、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の撮影中で、祖母もこのドラマを楽しみにしていたため、その前に亡くなってしまったことが非常に残念だったと語っています。
私も実家がある関西で大好きだった祖母が亡くなったとき、もっとお見舞いに行けばよかったと思いました。当時は、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の撮影中で、祖母も楽しみにしてくれていたので、ドラマが始まる前に亡くなってしまったのが本当に残念でした。
【引用元:好書好日】
また、有村架純さんはもし自身が過去に戻れるならという問いに対し、「もう一度おばあちゃんの手作りおにぎりを食べたい」と述べ、祖母に再会したい気持ちを明かしました。
「もう一度、おばあちゃんがにぎったおにぎりが食べたいですね」こう語るのは、映画『コーヒーが冷めないうちに』(9月21日公開)で主演を務める有村架純(25)。過去に戻れる喫茶店を舞台にした本作にちなみ、“もし自身が過去に戻れるなら?”と尋ねると、祖母に会いたい、と答えてくれた。
【引用元:女性自身】
祖母のことが大好きな有村架純さんは、祖母から多くのことを学んでおり、特に料理のスキルを教わっていたみたいです。
例えば、ポテトサラダのレシピは祖母に教わったもので、今でもそれを作り続けているとのこと。
祖母とのポテトサラダの思い出について、「今でもおばあちゃんから教わったポテトサラダのレシピで作っていて、じゃがいもを蒸す時には、一緒に片手鍋を使っていた」と話していました。
「一緒に料理もしてたな~。ポテトサラダはおばあちゃんに教えてもらったレシピで今も作っています。一緒に片手鍋を振り回して、じゃがいもをふかしたりしていましたね」
【引用元:女性自身】
また、2014年3月放送のフジテレビ系「めざましテレビ」でそのポテトサラダ作りを実演し、話題になりました。
今日のすっPPINには有村架純さんが登場♪ポテトサラダ美味しそうだったなぁ( *´艸`)有村さん料理上手だったね♪#めざましテレビ pic.twitter.com/4liZlsWAPf
— めざましテレビ (@cx_mezamashi) March 19, 2014
有村架純さんが祖母から教わったポテトサラダの材料は、じゃがいも(中3個)、きゅうり(1本)、玉ねぎ(1/2個)、ハム(4枚)、マヨネーズ(大さじ4~5程度)、酢(小さじ1)、和風顆粒だし(適量)、りんごみたいです。
この祖母のポテトサラダのレシピについて、有村架純さんは「特徴は、和風の出汁で炒めた玉ねぎと、ポテトを潰す際に加える少しのお酢が隠し味です。この方法で作ると、味に深みが出てとても美味しいんです。」と喜びを語りました。
幼いころから慣れ親しんだ「ポテトサラダ」。祖母のレシピで、和風だしで炒めたタマネギと、ジャガイモをつぶす時に入れる少量のお酢が隠し味だという。「深みのあるポテトサラダになっておいしいんです。家庭の味です」とうれしそうに語った。
【引用元:ザテレビジョン】
有村架純の家族構成まとめ
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家族構成 | 説明 |
---|---|
父親 | 離婚後も有村架純さんの活躍を応援している。おしゃれでユーモアがある。 |
母親 | 落ち着きがあるしっかり者。兵庫県伊丹市で「日本酒バル酌-syaku-」を経営。 |
長女(有村藍里) | 元グラビアアイドル、現在はタレントとして活動中。美容整形を公表している。 |
次女(有村架純) | 女優として活躍。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」などで知られる。 |
祖父母 | 父方の祖父母は鹿児島に家がある。父方か母方か不明であるが、祖母は有村架純さんにポテトサラダのレシピを伝授。 |