この記事では、人気アーティストあのちゃんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介していきたいと思います。
あのちゃんは独特なキャラクターで多くのファンがいますが、あのちゃんのアーティストとしての活躍の裏には、学生時代の苦労や、家族の大きな支えがありました。
あのちゃんの家族とのエピソードや学生時代の経験、芸能界に進んだ道のりなどをたどり、あのちゃんの魅力やその背景に迫りたいと思います。
目次
あのちゃんの家族構成!父親・母親・兄の4人家族
あのちゃんの家族構成は「父親・母親・兄・本人」の4人です。
また、あのちゃんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
あのちゃんの生い立ちや学歴!不登校・引きこもりから芸能界へ
あのちゃんの幼少期の写真ほど大好物なものはない pic.twitter.com/BbXUSJCSHG
— ゆる☃︎ (@a_n_o__00) March 18, 2024
- 名前:あの(別名義:ano)
- 本名:志水彩乃
- 生年月日:1997年(平成9年)9月4日
- 身長:166㎝
- 体重:42.7kg
- 血液型:A型
- 出身地:千葉県柏市
- 学歴:千葉県柏市内の公立小学校→千葉県柏市立酒井根中学校→私立柏日体高等学校(偏差値47〜55)中退
あのちゃんの本名・出身地・生年月日
あのちゃんの本名は「志水彩乃」さんで、デビュー当初から「あのちゃん」という芸名で活動しています。
実はデビュー前にファッション誌に掲載されたスナップショットに本名が記載されていたことがあります。
あのちゃんの出身地は公表されていませんが、出身中学が千葉県柏市内にあることや、あのちゃんが高校1年生の時に掲載されていた雑誌『HR』に「千葉県柏市在住」と書かれていたことで、「千葉県柏市」が出身地ではないかと推測されています。
ただし、あのちゃん自身は地元や実家の話を一切していないため、「生まれは別の場所で、育ちは柏市」という可能性や、「中学・高校だけ柏市に通っていた」という可能性も考えられます。
また、あのちゃんのプロフィール上で生年月日は9月4日と公開されていますが、生まれた年や年齢は公式に明かされていません。
しかし、SNSやテレビ番組のトークなどから推測すると、1997年9月4日生まれのようです。
年齢を非公開にしているのは、本人の意思ではなく、アイドルグループ「ゆるめるモ」に所属していた際、メンバー全員が年齢非公開だったことが理由のようです。
あのちゃんの幼少期:女子から取り合いされて不登園に!
あのちゃんは、幼少期は無口な子どもで、ほとんどしゃべらなかったそうです。
そして、幼稚園は不登園だったと、2024年3月18日放送の「しゃべくり007」(日本テレビ系)で明かしています。
番組では、幼稚園にいた時に、両側から女の子に腕を引っ張り合いされて「取り合い」されることが嫌で、そこから幼稚園に行かなくなったと振り返っています。
幼稚園にいた時に、両側から女の子に腕を引っ張り合いされてて、ずっと。“あたしのもの”みたいな。“取り合い”してくれたんだけど、僕はそのころからほんと、それが嫌で。そこから幼稚園行かなくなって…」と振り返った。
【引用元:日刊スポーツ】
また、幼稚園の同級生から「私が仲良くしたい」と言われるのが嫌で、それがうれしくなく、注目を浴びる感じも嫌で、そのような人をずっとにらんでいたそうです。
「“私が仲良くしたい”とか言われるのが嫌だったの?」と確認すると、あのは「嫌だ。“どうでもいい、黙れ”と思った。うれしくなくて、当時。本当に」と返答。上田から「“好き”って言われるような、目立つ感じも嫌だった?」と質問されると、あのは「嫌でした。それで注目浴びる感じが嫌で。そういう人のことをずっとにらんで。ママもにらんで」と実際ににらんでいる表情を再現した。
【引用元:日刊スポーツ】
ちなみに、あのちゃんは、スポーツや運動は小学校時代から嫌いでしたが、子供の頃から足が速く、スポーツも得意だったようです。
また、おしゃれには興味があり、当時から服が好きだったそうです。
あのちゃんの小学時代:いじめと牛乳ブシャーで不登校に!
あのちゃんは、千葉県柏市の公立小学校に通っていましたが、具体的な校名は不明です。
あのちゃんは小学校時代、兄のお下がりの服ばかり着ていて、ショートカットにして男の子になりたい時期もあったそうです。
小学校時代はお兄ちゃんのお下がりの服しか着てなかった。めっちゃショートカットにして、男の子になりたい時期もあったくらい
【引用元:朝日新聞】
そして、2023年9月14日の「あのちゃんの電電電波♪」(テレビ東京)では、小学生のころ水泳の授業で着替えるときに転倒してしまい、その際に顔から倒れて歯を傷つけてしまい、矯正生活が始まったと話しており、それが原因で、笑うときに手を口に当てるようになり、笑顔にコンプレックスを持つようになったと明かしています。
小学生のころ水泳の授業で着替えるときに誤って転倒してしまい、体をすっぽり覆うマントのようなバスタオルを使っていたため顔から倒れてしまったとのこと。「歯がガッとなって『神経が危ない』までいって、矯正生活が始まっちゃって。それで笑顔がコンプレックス。笑顔コンプレックスになって、今も正直、続いてるくらい」
【引用元:ねとらぼ】
この投稿をInstagramで見る
また、2023年4月18日の日テレ系『ザ!世界仰天ニュース』では、小学生の時に餅が喉に詰まり、トラウマになった体験を語っています。
あのちゃんの父親が焦ってあのちゃんの口の中に手を突っ込んで餅を取り出そうとし、あのちゃんを逆さまにして上下に振ったりしたそうです。
そのため、この体験がトラウマとなり、お餅が嫌いになり、飲み込むのが怖くなったため、食生活が変わってしまったと話しています。
あのちゃんは小学生の時、餅をのどに詰まらせてしまったことを振り返り「パパが焦って、ボクの口の中に、そのまま手を突っ込んできて取ろうとしたり、(足を持って)逆さまにして上下に振ったり」と餅を取り出そうと必死だったことを説明。そして「お餅が嫌いだし、飲み込むのも怖いから、なるべく液体で」といい、そのときの体験がトラウマとなり、食生活が変わってしまったことを明かした。
【引用元:entax】
そして、この恐怖体験により、あのちゃんは食べ物はなるべく液体のものを選んで摂っているそうです。
また、あのちゃんは小学生時代、体が弱くて入院していた時期もあったそうで、入院中は暇だったため、たまごっちを5個持って遊んでいたと語っています。
「小学生時代、体が弱くて入院していたときに遊んでいました。入院中は暇なので、たまごっちを5個持ちして忙しぶっていました」
【引用元:サンスポ】
そして、2023年9月19日放送のトークバラエティー番組「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系)に出演した際に、小学校時代には水泳、ピアノ、そろばんを習っていたと明かしています。
そろばん、ピアノ、習字、水泳を習っていたというあのさんに、司会の明石家さんまさんは「そんな習ってたの!」と目を丸くした。
【引用元:MANTAN WEB】
そろばん教室では、あのちゃんは他の子どものようにそろばんができず、教室の後ろででんぐり返しをしていたそうです。
小さい頃にそろばん教室に行って、みんなみたいにパチパチができないので後ろで、でんぐり返しをしてたんですよ。そこに一から無量大数まで書いてあったから自然と覚えちゃった。小学校2年ぐらいの話です
【引用元:めざましmedia】
小学校では、あのちゃんは偏食が原因で給食が食べられず、掃除の時間になっても1人で居残りさせられたりすることもあったそうです。
また、2024年3月23日に放送された『アナザースカイ』(日本テレビ系)では、小学校3年生頃からいじめに遭っていたことを語っています。
文房具などを隠されて授業が受けられなかったり、やってもいないことを自分のせいにされたりすることがあり、この頃から人間関係がうまくいかず、違和感を感じるようになり、不登校になったそうです。
「小3ぐらいから人間関係があんまりうまくいかなくなって。全然自分の心にフィットしなくて、違和感が強くて。誰かといる時は繕ってるじゃないけど。心の底から笑えた感じはなかった」「ちょっとずつ素とか出していくと、いじめが出てきて。いる場所じゃないって思った。学校で起きた悪いこととかも、全部僕のせいにされたこともあったし。何もしてないけど誰かに謝りに行くとかも多かったし。その性格は今もあんまり変わってないかも。“自分が悪い”でみんなの気が済むならそれでいいやみたいな。文房具とか全部隠されて授業受けれなかったりとかもあったし。そんなところへ行く意味ないじゃないですか」
【引用元:スポニチ】
そして、あのちゃんは2024年3月18日放送の「しゃべくり007」(日本テレビ系)に出演し、不登校になったきっかけについても話しています。
給食が、偏食すぎて食べられるものがほとんどなく、牛乳を大量に飲んでしまった結果、吐いてしまい、その日からみんなの見る目が変わったと感じるようになったそうです。
そのため、あのちゃんは恥ずかしくて、給食は別部屋で食べるようになり、不登校になったとのことです。
あのは「学校で偏食すぎて、食べれるものが本当になくて…給食。牛乳をだいたい5本くらい飲んでて。ある日、おなか空きすぎちゃって牛乳13本飲んだら、全部ブシャーッと(吐き出しちゃって)。グラムチャウダーみたいな」と当時のエピソードを話した。そして「そしたら、その日からみんな、(自分を)見る目が変わった感じがあって。恥ずかしいし。そこから給食は別部屋で食べる生活になって、いろいろあって不登校になりました」と、小学校か中学校かは明示しなかったものの、学校に行かなくなった理由を振り返った。
【引用元:日刊スポーツ】
あのちゃんの中学時代:引きこもりで不登校でも美術は5!
あのちゃんは千葉県柏市立酒井根中学校の出身です。
中学時代はバスケ部に所属していたようですが、すぐに辞めてしまったそうです。
そのときは部活に入らなくてはいけない学校に通っていて、先生にバスケ部に入りなさいと言われて無理矢理入って、だんだんと真面目にやるようになってスポーツに打ち込んでいました。でも、すぐやる気ないように見られてしまって、みんなの前で怒られたりするのも嫌で。不登校になって、部活も辞めて。
【引用元:anan web】
そして、中学時代も不登校となっており、特に中学2年生の頃から引きこもりがちになっていました。
引きこもりになったきっかけは、クラスでブチ切れた出来事でした。
その際、あのちゃんの親が学校に呼び出されましたが、それ以降、学校に行かなくなったとインタビューで話しています。
あのちゃんは当時の状況について「いじめが多かったから。自分もそうだったけど、クラスの子がいじめられているのを見るのもしんどくて、それでブチってなってしまった。クラスの教室とか全部荒らしてしまった」と振り返っています。
そして「親が学校に呼ばれたりとかもあったし、不登校だったので、それ以降はずっと」と打ち明けています。
「いじめとか多かったから。自分もそうだったけど、クラスの子とかいじめられてるのを見るのもしんどくて、それこそブチってなっちゃって。爆発しちゃって、クラスの教室とか全部荒らして」と振り返り「親が学校に呼ばれたりとかもあったし。不登校だったんで。それ以降はずっと」と打ち明けた。
【引用元:サンスポ】
当時のあのちゃんは学校に行くことに対して「嫌だ」という強い感情を抱いており、そのままでは「自分が自分でなくなるので」そこまでして学校に行く必要はないと考え、引きこもりになったそうです。
そして、2023年12月22日に更新されたテレビ朝日公式YouTubeチャンネル「動画、はじめてみました」に出演した際、あのちゃんは学生時代の恩師について語る場面がありました。
あのちゃんは美術の成績について、学校には通えなかったものの、美術だけはなぜか最高評価の5だったことを明かしています。
家で作った作品を提出することが許されていたため、美術の授業には参加できたそうです。
また、あのちゃんは学校に通えた時期でも、給食の時間は一人だけ小さい部屋で食べていましたが、美術の先生だけは会いに来てくれて、そこでお話をして親しくなったため、最高評価をもらったと説明しています。
美術の成績の話題になると、あのちゃんは「僕は5でした。学校行ってなかったけど、美術だけはなぜが5だった」と最高評価だったと明かした。「美術は家で作ったものを出すのを許されていて。まだ学校に行けたときは、給食の時間も、一人だけ小さい部屋で食べてたんだけど、美術の先生だけが会いに来てくれて。そこでお話をしてくれて、仲良くなったから5をもらった」というと、安藤が「コネ?でもいい先生がいてよかったね」とツッコミを入れて笑わせていた。
【引用元:スポニチ】
あのちゃんの高校〜デビュー前:高校中退しレジ打ちも3日で辞める
あのちゃんは中学卒業後、柏日体高校に進学しました。
あのちゃんはまだデビューする前の高校1年生の時にティーン向けファッション誌「HR」に掲載されたことがあり、誌面には「私立柏日体高1年」と書かれています。
ちなみに、『ロンドンハーツ』に出演した際、あのちゃんは運動神経が良いと評価されていましたが、高校時代は帰宅部で部活動には参加していませんでした。
また、高校に入学してすぐに、あのちゃんは集団でいることが難しいと感じ、不登校になったそうです。
そして、高校1年生の早い段階で中退し、インタビューでは、当時自分の部屋しか居場所がないと感じていたと振り返っています。
不登校だったんで、なにもしてなかったです。 ずっと部屋にいました。集団でいるのが「無理だな」って思って、高校に入ってすぐに学校を辞めてしまったんです。ずっと、周りとは馴染めなかったですね。自分の部屋ぐらいしか居場所はありませんでした。
【引用元:FromA】
この当時の自身のことについて「行動力だけはあった」と話しており、学校を辞めたことも行動力の一つだったと語っています。
学校は周りに相談無しで勝手にやめました(笑)アイドルをやっていても、ライブもそうだし、予定調和じゃないものとかは、全部自分のタイミング。自分の瞬間瞬間の感覚なので、そうゆうのも全部自分の行動した結果としてつながると思います。
【引用元:TOWN WORK マガジン】
しかし、このままではダメになると感じたあのちゃんは、学校以外の居場所を見つけるためにアルバイトを始めたそうです。
いざアルバイトを始めると、レジ打ちは得意だったようです。
レジ打つのがすごく早くなった(笑)すごい得意になって、声は小さいけどレジ打ちだけ早いって紙に書かれるようになってました。
【引用元:TOWN WORK マガジン】
しかし、接客が苦手で「いらっしゃいませ」と上手く言えずに怒られることがあったようです。
モノとかはいらなくって。ただ、普通に生きられる社会性と居場所が欲しかった。 学校に行ってなかったから、どこか学校以外の場所をなんでもいいから見つけなきゃって思ったんです。それで、軽い気持ちでスーパーのレジ打ちのバイトを始めました。ただ、面接がすごく苦手なので、応募するのにも相当な時間がかかりました。そして実際に働いてみると声が小さくて、「いらっしゃいませ」もうまく言えませんでした。上手に笑うこともできなくって。 レジ打ちは得意だったんですけど、接客がなかなかできなかったので店長にはよく怒られました。
【引用元:FromA】
そして、2024年2月27日放送の日本テレビ系「踊る!さんま御殿!!」に出演した際に、客のクレームに逆ギレしてしまい、アルバイトを3日で辞めたことを明かしています。
「スーパーのレジ打ちだったんですけど、今よりもっと静かな人だったんで、何円とか言えなくて、無言でピッピッってやって、すごいおじさんみたいな人が来て、『おい、やる気あんのか!』とか言われて。それに対して、チッって舌打ちして『文句あるなら別のレジに行けよ!』って、バンってやって、そのままバイトして3日で辞めちゃいました」と明かした。
【引用元:スポーツ報知】
しかし、その3日間のアルバイトの間に、パートのおばさんやお兄さんに『アイドルとかやればいいのに』って言ってもらえたそうです。
あのちゃんのデビュー後〜現在:引きこもりから芸能界へ
その後、あのちゃんは16歳だった2013年9月に「ゆるめるモ!」の3期オーディションに合格し、メンバーに加入しました。
ちなみに、あのちゃんはXのリツイートで「ゆるめるモ!」のメンバー募集を知ったそうです。
もともとアイドルには興味がなかったものの、募集要項には「音楽が好きな人」や「お笑いが好きな人」と書かれていて、これなら自分にもできるかもしれないと思ったようです。
しかし、あのちゃんは面接が苦手で、外に出るのも一苦労のひきこもり状態だったため、面接の案内メールにしばらく返事ができなかったと、デビューのきっかけについてのインタビューで語っています。
Twitterのリツイートで、募集の告知を見て応募しました。 アイドルは興味なかったんですけど、楽器もやってるグループって知って、「音楽が好きな人」とか「お笑いが好きな人」って募集要項に書いてあって、「じゃあ大丈夫かな」って。そしたら、すぐにメールが来て面接に来てくださいって言われちゃったので、しばらくシカトしてたんです。「また、面接か。イヤだな」って。 面接でいろいろ聞かれるのも嫌だったし、その時の気持ちをうまく言葉にできないと思いました。外に出るのも一苦労のひきこもりなのに、アイドルの面接なんてハードルが高すぎるなって。
【引用元:FromA】
しかし、それでも何度もメールが送られてきて、一度ライブだけでも見に来てほしいと言われたそうで、実際にライブに行ってみると、お客さんはほとんどいなくて、楽器の演奏もあまり上手ではなかったようです。
そのため、あのちゃんは「本当に大丈夫かな?」と心配になったと述べています。
何度もしつこくメールがきて、一度ライブだけでも見にきて欲しいと言われたんです。ライブに行ってみたら、お客さんは全然いないし楽器もうまくなくて、正直「大丈夫かな、これ」って思いました。
【引用元:FromA】
しかし、この何もないまっさらな状態が、逆にあのちゃんにとっては良かったようです。
見本があっても同じようにできないし、何かに溶け込むのが苦手なあのちゃんにとって、ゼロから始める方が合っていると感じたと当時を振り返っています。
ぼく、見本があっても同じように出来ないし、何かに溶け込むことがすごく苦手だから。何もないまっさらな状態からの方が何かを始めるにはいいかなと思いました。
【引用元:FromA】
また、プロデューサーの熱意も強く感じられたそうで、「一緒にやりたい」と何度も求めてくれたことで、あのちゃんは自分が必要とされていることが嬉しかったと述べています。
プロデューサーさんが「一緒にやりたい」って言ってくれて、求めてくれたっていうのがはじめてだったんで、たぶんうれしかったんだと思います。
【引用元:TOWN WORK マガジン】
当時は特にやることもなかったあのちゃんは、「このまま何もしないで天井を見て過ごすよりは、アイドル活動をやってみる方がいいかもしれない」と思い、バイト感覚でグループに参加することを決めたそうです。
そのため、高校を中退した後は、大学にも進学していません。
あのちゃんは2013年から2019年まで女性アイドルグループ「ゆるめるモ!」でギターを担当し、アイドル時代はドラマや映画、バラエティ番組など幅広く活躍しました。
この投稿をInstagramで見る
そして、2019年9月に「ゆるめるモ!」を脱退しています。
「ゆるめるモ!」の脱退理由は不明ですが脱退後も芸能活動は続けていくと表明していました。
僕、「あの」は、本日付けでゆるめるモ!を脱退させて頂きました。
今まで応援して頂いた皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。
今後のことは自分なりに考え、創作・発信していきたいと思っています。ありがとうございました。— あの (@aNo2mass) September 30, 2019
そして脱退後も芸能活動を続け、2020年に『ano』名義でファーストシングル『デリート』をリリースし、ソロアーティストとしてデビューしました。
また、同年には初の冠番組『あのちゃんねる』もスタートしました。
2021年からはバンド・I’sのボーカルギターとしても活動し、2022年にはTVアニメ『チェンソーマン』のエンディングテーマとなったシングル『ちゅ、多様性。』をリリースしました。
現在、あのちゃんは、ユニークなキャラクターが注目され、バラエティやドラマ出演など、マルチな活動を展開しています。
あのちゃんの父親は元バンドマンでバンド名は?父の名前は秩父?
あのちゃんの父親は秩父?職業はサラリーマン!?
あのちゃんの父親は一般の方で、名前や年齢は公開されていませんが、あのちゃん自身が「普通に働いている人」と言っていることから一般企業に務めるサラリーマンの可能性が考えられます。
あのちゃんはYouTubeでの対談で、父親を「秩父」と呼んでいることを明かしました。
この独特な呼び方は「父から秩父になった」という理由だそうです。
見終わった!ひろゆきさん、奥さんと違って家族の悪口にも「他人のこと何とも思わない」自他境界半端ない‼️😳
あのちゃんの家族の呼び名がバラバラ🤣父→秩父、母→お母様、兄→お兄ちゃん(疎遠)
ひろゆきさんは歌を歌ってないことになってる
あのちゃん当日行かない文化祭役員😆
お2人共可愛かった🥰 pic.twitter.com/oqpRuEi1GE— セイナ@ひろゆき好き (@seina20171001) May 28, 2023
あのちゃんの父親は元バンドマンでバンド名は?デビューはした?
あのちゃんの父親は元バンドマンで、家にはギターやアンプ、ピアノがありました。
ただバンド名は不明で、デビューなどはしていないようです。
幼い頃から家では洋楽が流れ、幼稚園の送り迎えもロックやヘビーメタルが流れていました。
父がバンドをやっていた時期があったので、家にはいくつもギターがあって、アンプやピアノも置いてありました。家では洋楽がよく流れていましたし、幼稚園の送り迎えも洋楽のロックバンドの曲やヘビーメタルのような激しいサウンドが流れていた環境です。その頃はまだ物心がついていないから、音楽の良さをまだ理解できずに「うるさいなあ」と思っていましたね(笑)。
【引用元:anan web】
あのちゃんは父親の聴く音楽の良さを理解できなかったものの、父親からギターを教わり、音楽活動に影響を受けました。
そして父親はあのちゃんのやりたいことを応援し、肯定してくれる存在だそうです。
あのは自身の父親との関係について「自分がこれをやりたいということに対しては『いいよ』と言ってくれますね」とにっこり。「パパが昔バンドをやっていて、家の中でずっと音楽が流れていました。ギターを教えてくれたりもして」とほほえましいエピソードを披露した。
【引用元:ORICON NEWS】
あのちゃんは父親のGibsonのメロディーメーカーというギターを使ってライブを行ったこともあり、親子の仲の良さがうかがえます。
家では小さい頃からおうちにあるギターで弾いてるこれライブで使ウて、 pic.twitter.com/CERrploOI1
— あの (@aNo2mass) February 22, 2017
あのちゃんの父親はあのちゃんの胸ぐらをつかんだ?
あのちゃんの父親はあのちゃんにとって怖い存在だったそうで、不登校時に夜な夜な外出してると父親から胸ぐらをつかまれたそうです。
しかし、その厳しさは母親に迷惑をかけるなという、家族やあのちゃんへの心配から来るものでした。
2023年9月18日に出演した「突然ですが占ってもいいですか?」(フジテレビ系)で、父親は元バンドマンで自身にギターを教えてくれた人であると告白。「学校行かないし、引きこもりで。夜な夜な結構夜だけ外出て、一人でずっと散歩というか、途方に暮れていたら、(父親に)『ママに迷惑かけんじゃねぇ』って怒られました。胸ぐらつかまれました」と明かしている。
【引用元:JCASTニュース】
あのちゃんと父親はそっくり!?最近の関係は疎遠気味?
あのちゃんの父親が東京に来るときにはあのちゃんが手料理をふるまうこともあります。
例えば、オムライスを作り、ケチャップでいたずら書きをしても気付かずに食べてしまうという、父親の可愛いエピソードもあります。
「ぼくもオムライス作ったりするんだよ。(自分で)食べないのに」「パパとかが東京来たときは、『お前メシ食ってけ』つって」と料理をふるまっていることを明かし、安藤さんを驚かせる。安藤さんが「パパ喜んでいるんじゃないの?」と父親の反応を尋ねると、あのさんは「(父親は)一瞬で食べちゃう。怖いホント」と笑い。ケチャップで「F○CK」と書くいたずらをしても、気が付いていないのか「何も言われないの(笑)」と話す。
【引用元:JCASTニュース】
そんな可愛い一面のある父親ですが、あのちゃんと似ている部分が多く、LINEのメッセージを溜めてしまうところや電話に出ないところがそっくりで、しゃべり方も似ているそうです。
また、父親はバイク好きで、大型バイクに乗って東京に来ることがあるため、あのちゃんもその影響でカブに乗っています。
あのちゃん、バイク好きの父親の影響でカブ乗ってるって聞いてちょっと親近感(笑) pic.twitter.com/1fDnYre6eT
— TakA.y (@RASEN01) January 1, 2024
最近は父親と疎遠になっているようで、紅白歌合戦への出場が決まった際にも連絡が来なかったと話していますが、父親が面倒くさがって連絡をしなかっただけかもしれません。
「父、もう会ってない。ずっと」と最近疎遠気味であるとも。「紅白(歌合戦への出場)が決まったときも、パパとかから(連絡が)来なかった」
【引用元:JCASTニュース】
【関連記事】
あのちゃんの母親は毎日特製スープを作ってくれる人!
あのちゃんに母親はいないは誤報!!
あのちゃんのお母さんは一般人なので、名前や顔写真、職業などは公開されていません。
しかし、あのちゃんは「母親がいない」という噂がネットで流れたことがありました。
これは、あのちゃんが以前母親について聞かれた際に「いました。」と過去形で答えたことがきっかけです。
そのため、一部の人々は両親が離婚しているのではないかとか、母親が亡くなったのではないかと噂されていましたが、しかし実際には両親は離婚しておらず、母親は元気に暮らしているようです。
あのちゃんは母親の「特別なスープ」が大好き!!
あのちゃんは幼少期に固形物が食べられない時期がありました。
そこで、あのちゃんの母親は、少しでも栄養がとれるようにと、野菜がたっぷり入った「特別なスープ」を毎日作ってくれていたそうです。
あのちゃんは自身の幼少期を振り返り、「野菜も嫌いで、栄養が偏って爪が本当に無くなるくらいだった」と語っています。
そのため、実家では母親特製の「特別なスープ」が毎日出されており、この経験から、あのちゃんは「汁もの」が大好きになったそうです。
今でこそまだマシになったけど(幼少期は)固形物もほぼ食べれなかった。野菜ももちろん嫌いだし、栄養が偏って爪が本当に無くなるくらいだった」と振り返った。そんなあののために、実家では野菜なども入れ込んだ「特別なスープ」が毎日出ていたといい「かーちゃん特製のさ、だから(今でも)本当に汁が好きなの」と思い出の味を告白。
【引用元:modelpress】
そして、あのちゃんはお母さんが作ってくれるお弁当を他の人に食べさせたことはないそうです。
その理由として、他人から何か言われるのが嫌だからだと述べています。
あのちゃんは、自分のことよりも母親が何か言われることに耐えられず、感情的になってしまうことがあるとし、その思いから泣きそうになることもあることや、母親に対して独占欲の塊であることをインタビューで語っています。
母親特製の料理について「ママのお弁当を(他の人に)食べさせたことない」とコメント。理由について「何か言われたら嫌だもん」とし「僕、本当に自分のことよりもそういう人(母親)が(何かを)言われるのがマジで耐えられないの。カーっとなっちゃう。泣きそうになってきた!」と続けた。
「他の友達も来て(一緒に食べる)みたいな、そういうのも絶対受け付けませんでした」と回顧。「ママに対して独占欲の塊(笑)」と少し恥ずかしそうに母親への思いを口にしていた。
【引用元:modelpress】
あのちゃんの引きこもり時代も否定せず見守ってくれた両親!
あのちゃんの家族は、あのちゃんの個性を尊重し、否定することなく見守ってくれたそうです。
あのちゃんがひきこもりやいじめについて語ったときも、家族は哲学の本やひきこもりに関する本を家にたくさん置き、あのちゃんの心を理解しようとしてくれていたようです。
そのため、あのちゃんは家族から「学校に行け」とか「家から出ろ」といった否定的な言葉をかけられることはなかったと語っています。
それこそ(動画の中で)専門の人が「否定はしちゃだめ」って言ってたけど、(家族から)否定されなかったなっていうのはありますね。「学校行け」とか、「家から出ろ」とか、「ひきこもってんじゃない!」って怒られたりとかはなかったから。ただ、やっぱり家には哲学の本もいっぱいあったし、「ひきこもり」とか「いじめ」とかいろんなことに関する本がいっぱいあったな~っていうのは思うから、家族なりにそこに対してすごい向き合ってくれてたのかなとは思って。けど、ずっと部屋も荒らしまくってめちゃくちゃ迷惑かけてました。
【引用元:NHK】
あのちゃんと母親の関係性は?
2014年9月7日に東京・新宿MARZで開催された『ゆるめるモ!あの生誕~ANOtherWORLD~』では、あのちゃんの母親からの手紙が朗読されました。
その手紙には「生まれてきてくれてありがとう! お味噌汁を作っていつでも応援しています」と書かれており、あのちゃんはとても嬉しかったそうです。
ゆるめるモ!のほとんどの曲の作詞を担当する小林愛がサプライズゲストとして登場し、あのの母親から預かったという手紙を朗読。手紙には、あのが過去に引きこもりの経験をしながらも今このステージに立っていることに対して、「生まれてきてくれてありがとう! お味噌汁を作っていつでも応援しています」と感謝の気持ちが述べられていた。
【引用元:音楽ナタリー】
あのちゃんは現在でもかなりの偏食で、食べられないものが多く、主食がお菓子になっていることもあります。
そのため、あのちゃんの母親は偏食のあのちゃんのために、今でも「食べられるお味噌汁」を作ってくれており、あのちゃんは母親が作るお味噌汁が大好きだそうです。
さらに、あのちゃんがTBS系『ラヴィット!』に出演する前日の母とのLINEのやりとりを公開したこともあります。
— あの (@aNo2mass) October 12, 2021
あのちゃんの母親の顔画像をAIで想像してみた!
あのちゃんの兄は教師でカブトムシと関ジャニ∞好き!
あのちゃんの兄は教師で既婚者だった!!
あのちゃんには、4歳年上の兄が1人います。
2022年8月16日に放送された日テレ系『踊る!さんま御殿!!』で当時29歳だったことがわかりましたので、現在は31歳(2024年6月時点)くらいだと思われます。
「お兄ちゃんいくつ?」と聞き、あのちゃんは「29歳」と回答。これを受けてさんまは「だいたいお前の歳わかってきたからな」と、兄の年齢をもとにあのちゃんの年齢が28歳以下だと特定していた。
【引用元:日刊大衆】
なお、あのちゃんの兄の職業は教師をしていると『踊る!さんま御殿!!』であのちゃん自身が公表しています。
また結婚もしているそうですが、あのちゃんは兄の結婚式に招待されておらず、結婚式が行われたかどうかも知らなかったと語っています。
あのちゃんは「あ、でも最近お兄ちゃんが結婚した」と思い出すも「呼ばれてない…」とポツリ。ひろゆきさんは「え!? お兄ちゃんの結婚式なのに!?」と驚きますが、「(結婚式)やってんのかな? 何も知らない。結婚したことしか知らない」と伝えました」。
【引用元:fumumu】
あのちゃんの兄も音楽好きで音楽活動をしていた!?
あのちゃんの兄も音楽が好きで、2024年3月23日に放送された『アナザースカイ』で兄も音楽系の活動をしていたことが明かされました。
あのちゃん自身も音楽の道に進みたいと考えていましたが、兄や父と比べて才能がないと感じていたそうです。
それでも現在では人気アーティストとなり、兄とも仲良く、一緒に買い物に出かける様子をSNSに投稿しています。
お兄ちゃんの付き添いで初めてIKEA Storeさんに行きました pic.twitter.com/uF3flzjSQV
— あの (@aNo2mass) February 16, 2020
あのちゃんの兄はアウトドア好きでカブトムシと関ジャニ∞も好き!
あのちゃんの兄はアウトドア派で、カブトムシやクワガタなどの昆虫をたくさん飼っています。
さらに、関ジャニ∞のファンでもあり、その影響であのちゃんも関ジャニ∞のファンになり、一緒にライブに行ったこともあるようです。
うん、昔に兄が力説する魅力を聞いてるうちに気になってライブ連れてってもらったことある🐉エンターテイメントすぎて素晴らしきよね👨👩👧
— あの (@aNo2mass) January 23, 2017
そんなあのちゃんと兄ですが、2017年1月23日には、兄からiPodをもらったとあのちゃんがXに投稿していました。
Xの投稿には「一〇〇年ぶりにおにーちんと会って使ってないiPodもらった 兄の聴く音楽一部だけど 知らない曲ばっかね あとZARD率」と書かれていました。
100年ぶりに会ったというのは、あのちゃんの冗談だと思われますが、長い間会っていなかった可能性はあります。
またZARD率高めということで、関ジャニ∞好きで、ZARD好きということもわかります。
【関連記事】
あのちゃんの祖父母はどんな人?紅白初出場を伝えたかった・・
あのちゃんの祖父母については、一般人のため、詳しいことは不明です。
しかし、2023年11月13日にNHK紅白歌合戦の会見が行われた際に、あのちゃんは紅白出場について、「亡くなったおじいちゃんとおばあちゃんにも伝えたい」と話しているため、祖父母は他界しているようです。
あのちゃん」こと歌手のano(あの)さんが、大みそかに放送される「第74回NHK紅白歌合戦」に出場することが11月13日、NHK ホール(東京都渋谷区)で行われた会見で発表された。anoさんが紅白に出場するのは初めて。紅組らしい真っ赤なドレスで会見に出席したanoさんは「この1年は激動でした。そんな最後のしめくくりで紅白歌合戦に出場できるのは光栄です」と喜び「亡くなったおじいちゃんとおばあちゃんにも伝えたい」と話した。
【引用元:MANTAN WEB】
あのちゃんの家族構成まとめ
この投稿をInstagramで見る
家族構成 | 説明 |
---|---|
父親 | 元バンドマン。「秩父」と呼ばれ、あのちゃんにギターを教えた。現在はあのちゃん曰く「普通に働いている」。音楽活動はしていない。あのちゃんの芸能活動を応援し、あのちゃんのイベントにも参加。 |
母親 | 毎日特製スープを作ってあのちゃんの健康を支える。あのちゃんを優しく見守り、精神面でも支えてきた。 |
兄 | カブトムシなどの昆虫愛好家で、関ジャニ∞ファンの教師。1993年生まれで、現在結婚している。 |
本人(あのちゃん) | 本名は志水彩乃、1997年9月4日生まれ。幼少期から不登校や引きこもりを経験し、父親からギターを教わる。16歳でアイドルグループ「ゆるめるモ!」に加入し、2019年に脱退後はソロアーティストとして活躍中。 |
祖父母 | 既に他界しており、あのちゃんが紅白歌合戦初出場を報告したかった存在。生前は仲が良かったと推測される。 |