芳根京子の家族構成や生い立ち!父親は聡でスーパータンク?兄はキャノン勤務?母親は北海道出身!ハーフは誤報?

芳根京子のアイキャッチ画像

この記事では、女優として活躍する芳根京子さんの家族構成や生い立ちについて紹介します。

家族との温かいエピソードや、学生時代の意外な一面、そして女優を目指すきっかけなど、知られざるエピソードがたくさん詰まっています。

この記事を読むことで、芳根京子さんの魅力がさらに伝わるはずですので、その物語を一緒に見ていきましょう!

インコちゃん
この記事では、そんな芳根京子さんとその家族にスポットライトを当ててみました!
宗じい
芳根京子さんの父親は破天荒じゃぞ。ワシの飼ってるインコちゃんと共に面白い記事をお届けしますぞ。

芳根京子の家族構成!父親・母親・兄の4人家族

芳根京子の家系図

芳根京子の家族構成は「父親・母親・兄・本人」の4人です。

父親:名前は聡。スーパータンクという会社を経営もうまくいかず。介護現場で働くもトラブル?
母親:北海道ニセコ町出身。名前は千賀子。美術大学卒業でスーパーポジティブな性格
長男:キャノンに勤務の噂。妹の5歳年上で優しい性格。中学生で一時不登校も現在は社会人
長女:芳根京子本人。ハーフという噂

 

また、芳根京子さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?

祖父:(母方)北海道ニセコ町出身。2015年に他界。孫の活躍を楽しみにした               祖父:(父方)非公表のため詳細不明                              祖母:(母方)北海道ニセコ町出身で若い頃は洋裁の先生。すでに他界           祖母:(父方)芳根京子の実家で一緒に暮らし「おでんの日」という習慣がある
インコちゃん
ひとまず、芳根京子さんの家族構成がわかりましたね!家族を深掘りするためにも、まずは芳根京子さんの生い立ちを見ていきましょう。
宗じい
芳根京子さんがどんな幼少期を送って来たのか気になるのぉ〜。

芳根京子の生い立ちや学歴!人見知りを克服し芸能界へ!ハーフは誤報?

 

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  • 名前(本名):芳根よしね京子
  • 生年月日:1997年2月28日
  • 身長:159㎝
  • 体重:非公表
  • 血液型:A型
  • 出身地:東京都杉並区
  • 学歴:桃井幼稚園→杉並区立沓掛くつかけ小学校→杉並区立中瀬中学校→東京都立深沢高校(偏差値39)転校→東海大学付属望星ぼうせい高等学校通信制(偏差値なし)

 

芳根京子はハーフという噂!?

芳根京子さんは1997年2月28日東京都杉並区で生まれました。

芳根京子の2歳時
芳根京子の2歳時【出典:芳根京子Instagram

名前の「京子」は、東京で生まれた証として、どこに行っても東京の子だとわかるようにという両親の思いが込められて名付けられたそうです。

「わたしの名前の由来はね、世界のどこに行っても、東京で生まれた子ですって言えるように京子ってつけたと聞きました」

【引用元:Buzz Feed

宗じい
京都生まれと勘違いする人もいそうじゃの・・
インコちゃん
宗じいはイケズですね。。

ちなみに、芳根京子さんはハーフという噂があります。

これは芳根京子さんのXで「東京と北海道のハーフです」とつぶやいており、ハーフという言葉だけが噂として広まったようです。

宗じい
紛らわしいつぶやきをしてしまったの〜。

芳根京子は2歳の頃からトマトが大好き!

芳根京子さんは2歳の頃からトマトが大好きだそうです。

母親から「体の8割はトマトでできている」と言われるほどの食べっぷりで、「一般の人が食べる一生分のトマトは多分食べ切った」と語っています。

芳根はこのトマトについて「2歳の時から大好きで、母に『体の8割はトマトでできていると言っても過言ではない』と言われました」と明かした。また、「一般の人が食べる一生分のトマトは多分食べ切った」とも。

【引用元:RBB TODAY

また、1キロのトマトを一度に平らげたことあったそうで、その結果、お腹を壊してしまった経験もあるとのことです。

宗じい
食べ過ぎは良くないの〜。

なお、子供の頃から野菜が大好きとのことですが、ナスやピーマンなど食べられない野菜もあるとのことです。

子供のころから野菜大好きっ子で、ナスとか切っている端から食べてました。トマトは大好きで毎日食べても飽きないです。でも…ナスは嫌いになってしまい、ピーマンなど食べられない野菜も実は多いんです(笑)

【引用元:ザテレビジョン

宗じい
わしもピーマンは苦くて嫌いじゃったが、今は食べられるぞ。

芳根京子の幼少期は引っ込み思案で夢はパンダ!?

芳根京子さんは、東京都杉並区にある桃井幼稚園に2000年4月に入園し、2003年3月に卒園しています。

インコちゃん
同じクラスには、後にKing & Princeの元メンバーとなる岩橋玄樹さんが在籍していました。

幼稚園時代は、ピアノや新体操を習い始めましたが、幼い頃の芳根京子さんは、引っ込み思案で人見知りが激しく、友達を作るのが苦手でした。

また、幼稚園時代の夢は“パンダになること”で、母親にパンダのお面を作ってもらい満足していたという可愛らしいエピソードも残っています。

宗じい
なんだかほっこりするの〜。

芳根京子の小学校時代はとても人見知りで目立たずに過ごす!?

芳根京子さんは、杉並区立沓掛くつかけ小学校に2003年4月に入学し、2009年3月に卒業しています。

小学校時代はピアノ、新体操、そしてフルートなど様々な習い事に取り組んでいました。

特にフルートは、コントラバス奏者の叔父やピアニストだった叔母の影響を受け、小学校時代に吹奏楽部で本格的に演奏を始めました。

幼稚園のころからピアノをやっていて、小・中学校では吹奏楽部でフルートを吹いていました。ピアニストのおばさんをはじめ、音楽に関わっている人が多い環境だったので、好き嫌い関係なく自然と楽器に触れていましたね。

【引用元:ザテレビジョン

年末年始には親戚と一緒に演奏会を開くほど家族ぐるみで音楽に親しみ、音楽を通じて豊かな経験を得ていたそうです。

聴くことも好きなのですが、うちは叔母がジャズピアニストで、叔父がコントラバス奏者で、兄はロックが好きで家にドラムやベースがあったりするんです。母もピアノを弾いて私もフルートを吹くので、年末の忘年会ではみんなで遊んだりしています。

【引用元:シーエイチファイルズ

ただ、小学校時代もとても人見知りだったとのことで、家では楽しく話せますが、外に出ると話が出来ずに内気で自信が無く「今日一日、どうすれば目立たずに過ごせるか」と考える毎日だったと語っています。

実は私、小学生のときめちゃくちゃ人見知りだったんです。内気で、自分に自信がなくて、友達もいなくて、「今日一日、どうすれば目立たずに過ごせるか」って毎日考えていました(笑い)。家では楽しく話せるんですが、一歩外に出ると話せなくなっちゃうんです。

【引用元:AERA with Kids Plus

そんな芳根京子さんの小学生時代ですが、詳しくは下述しますが、父親の会社の経営が傾き、9歳ごろには、貧乏な生活も送ったようです。

当時、9歳になる京子の他に母親と妻、京子の5歳年上の長男たちを養わなくてはならなかったが、「金がなくなり、パンを齧る日々で、家族に苦労を掛けていると泣いていました」

【引用元:デイリー新潮

芳根京子の中学校時代は吹奏楽部で人見知りを克服!?

芳根京子さんは、杉並区立中瀬中学校に2009年4月に入学し、2012年3月に卒業しています。

ある日、吹奏楽部でフルートを担当する生徒が足りなくて、担当の先生から「やってみないか」と声をかけられたことがきっかけで、吹奏楽部に入ることになりました。

そのとき芳根京子さんは、「私を必要としてくれている」と感じ、とてもうれしい気持ちになったそうです。

それまで、自分の気持ちを表現することがあまり得意ではなかった芳根京子さんですが、この経験を通じて少しずつ自分のことを周りの人に話せるようになりました。

そして「自分の話したことをちゃんと聞いてくれる人がいる」と思えたことで、気持ちが楽になり、人とのコミュニケーションにも前向きになっていったそうです。

新入生の頃、フルートをやる子が足りなくて、先生から声をかけてもらったんです。そのとき『私を必要としてくれている』とうれしくなり、そこから自分のことも話すようになりました。自分の話を聞いてくれる人がいるんだと思えたことも大きかったです

【引用元:ORICON NEWS

また、この時の部活動は非常に厳しく、練習は体育会系のようなハードさだったと語っています。

それでも芳根京子さんは真剣に取り組み、学校生活の中心を部活動に置いて熱心に努力を重ねました。

宗じい
宗じいは部活も勉強もしない中学生活だったの・・

ちなみに、中学生時代には街中でスカウトを受けることも多かったそうです。

特に中学3年生頃には、1日に何度もスカウトされるほどだったようですが、当時は芸能界にはまったく興味がなく、すべて断っていました

部活動に専念し、テレビドラマや映画もほとんど見たことがないほど、純粋に学校生活に打ち込んでいた時期でした。

芳根京子の中学校時代は難病「ギランバレー症候群」で1年間休学!

芳根京子さんは、中学2年生の頃「ギランバレー症候群」という難病を患います。

インコちゃん
この病気は、脳から筋肉への信号が伝わらなくなる自己免疫疾患で、全身に力が入らなくなるというものです。発症率は10万人に1人と言われています。

この病気のため、芳根京子さんは1年間、普通に学校に通うことが難しく、休学を余儀なくされました。

そんな芳根だが、中学二年生の時に「ギランバレー症候群」という難病を患い「力が入らなくなる」症状に悩み「1年間くらいは普通に学校に通うことが難しい時期はありました」という。

【引用元:ORICON NEWS

当時はとても辛く、笑顔を見せることすら難しい日々が続いたそうですが、毎日楽しいことを見つけようと努め、少しでも前向きに過ごそうと努力したと語っています。

芳根京子さんは「病気は自然に治るものだったので、今では完全に治り、生活に支障はありません」と笑顔で話しています。

ただ、この経験を通して「命の大切さや周りの人への感謝に気づきました。それからは、気持ちをきちんと言葉で伝えることを大切にしています」と語っています。

「自然と治る病気ではあったので、今は完治しています。病気の後に急激に足が速くなったりもしていて、全然支障はないです」と笑顔で報告した。ただ、この経験で「少ない可能性ではあるが、この病気で亡くなった方もいると聞いて、命の重さを自分で実感しました。それで、こんなにも周りの人に支えられているんだとか、普段生きている時にわからなかった周りに対する思いをもの凄く感じた。それからはありがとうかと、ごめんなさいとか、言葉でちゃんと伝えようという意識が強くなった」と言葉に対する意識の変化がを実感した。

【引用元:スポニチアネックス

宗じい
大変な病気じゃが完治して良かったの〜。

芳根京子の高校時代は美少女で注目され文化祭で映画を制作!

芳根京子の高校時代
芳根京子の高校時代

芳根京子さんの高校時代は、まず東京都立深沢ふかさわ高校(偏差値39)に2012年4月に入学しました。

インコちゃん
この高校は校則が厳しいことで知られており、学業に専念する環境が整った学校でした。

入学当初から芳根京子さんは美少女で注目され、全クラスの男子生徒が教室を覗きに来るほどの人気者だったようです。

高校生時代の同級生4人がリモートで登場し「6クラスあったんですけど入学して、全クラスの男の子がのぞいていたのを覚えています。美少女だったので」と明かした。

【引用元:スポニチアネックス

宗じい
宗じいも高校の同級生なら間違いなく教室を覗きにいったじゃろうな

当時、芳根京子さんは普通の高校生として学生生活を楽しんでいたそうです。

芳根京子の高校時代
芳根京子の高校時代

高校1年生の文化祭では、クラスの出し物として短編映画を制作することになり、芳根京子さんは監督、脚本、編集のすべてを担当しました。

放課後は撮影や脚本作りに没頭し、夜遅くまで映像編集を行うという忙しい日々を送りました。

高1の時、文化祭のクラスの出し物で映画を作ることになった。「私は監督、編集、そして友人と共同脚本を担当しました。放課後は脚本執筆と撮影、帰宅後は深夜まで映像編集と毎日大忙しでした」

【引用元:高校生新聞オンライン

その映画のタイトルは「ちびまる子さん」で、ちびまる子ちゃんの20年後を描いた作品で、クラス展示部門2位を獲得したそうです。

宗じい
クラス展示部門2位が凄いのかわからん・・

この映画制作を通じて、表現することや作品を作る楽しさに目覚めたといいます。

芳根京子は高校時代にライブに行きスカウトされ芸能界入り!

高校時代、芳根京子さんは友人に誘われて遊助(上地雄輔)さんのライブに行き、そこで現在の所属事務所(ジャパン・ミュージックエンターテインメント)にスカウトされました。

上地雄輔
上地雄輔【出典:週刊女性PRIME

グッズを買うために並んでいたとき、会場にいた関係者の目に留まり、スカウトされたそうです。

その後、所属事務所で上地雄輔さんと初めて会ったとき、芳根京子さんは緊張しすぎてうまく話せなかったことを明かしています。

「実は、その場所というのが上地雄輔さんのライブ会場だったんです。彼の大ファンでその日もプライベートでライブを見に行っていたそう。グッズを買おうと並んでいたところ、会場にいた関係者の目に留まりスカウトされたんですって。事務所で上地さんと初めて会ったときは、緊張してしまってうまく話せなかったとか(笑)」(スポーツ紙記者)

【引用元:週刊女性PRIME

芳根京子さんは、それまでにも何度もスカウトされていましたが、このときは「神様のお告げのように感じた」と思い、芸能界入りを決意したそうです。

宗じい
宗じいも競馬予想で神様のお告げがあれば。。

ただ、当時通っていた深沢高等学校は校則が厳しく、芸能活動との両立が難しかったため、通信制の東海大学付属望星ぼうせい高等学校に高校2年だった2013年4月に転校しました。

インコちゃん
この高校は芸能活動を行う多くの学生が通うことで知られており、通信制のカリキュラムを利用して学業と仕事を両立する環境が整っています。

そして芸能界入りした芳根京子さんは、高校2年生のときにフジテレビ系ドラマ『ラスト♡シンデレラ』で女優デビューを果たしました。

このドラマでは遠藤章造さんが演じるキャラクターの娘役を演じ、デビュー作ながら自然な演技が高く評価されました。

そして同じ頃、GReeeeNの楽曲「イカロス」のミュージックビデオにも出演し、注目を集めるようになりました。

高校3年生になると、映画『物置のピアノ』で映画初出演にして初主演を務めるという大きなチャンスを掴みました。

この作品ではピアノが重要な役割を果たすため、幼い頃から続けていたピアノのスキルを活かし、繊細で感情豊かな演技を披露しました。

同じ年にはNHKの朝ドラ『花子とアン』にも出演し、仲間由紀恵さんが演じたキャラクターの娘役として話題になりました。

高校時代は学業と女優業を両立させながら、多忙な日々を送っていましたが、2015年3月に無事に高校を卒業しました。

芳根京子の高校卒業式の時
芳根京子の高校卒業式の時

芳根京子は大学進学せず芸能活動に専念!

高校卒業後は大学や専門学校には進学せず、芸能活動に専念する道を選びました。

芸能界に入る前は料理の専門学校への進学も検討していましたが、最終的には女優業に集中することを決意しました。

夢はあまりなくて、高校を卒業したら、料理が好きだったのでお料理の専門学校に行こうと思っていたんです。それが高1の夏にスカウトされて、人生が変わりました(笑)

【引用元:シーエイチファイルズ

その後、2015年にはTBS系テレビドラマ『表参道高校合唱部!』でテレビドラマ初主演を果たします。

さらに、2016年にはNHKの連続テレビ小説『べっぴんさん』でヒロインに抜擢されました。

そして、このドラマでの活躍により、芳根京子さんの名前は一躍全国的に知られるようになりました。

この朝ドラでの経験について、「自分の人生でも忘れられない作品」と語っています。

その後も芳根京子さんは数々の映画やドラマに出演し、幅広い役柄を演じることで女優としての実力を着実に高めていきました。

2018年には映画『累 -かさね-』で土屋太鳳さんとダブル主演を務め、2人1役という難しい設定の役柄に挑戦しました。

この作品では、心の葛藤や複雑な感情を見事に表現し、その演技が高く評価され、第42回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。

また、2024年には、芳根京子さんはフジテレビで放送されたドラマ『Re:リベンジ–欲望の果てに–』で主演を務めるなど、精力的に女優活動を続けています。

インコちゃん
これまでに培った経験と努力を武器に、さらなる活躍が期待されています。
宗じい
芳根京子さんの芸能界での活躍を応援しておりますぞ。

芳根京子の父親は聡でスーパータンクを経営も介護トラブル?

芳根京子の父親の家系図

芳根京子の父親は聡でスーパータンクという広告会社を経営も・・

芳根京子さんの父親は芳根さとしさんといいます。

芳根京子の父親
芳根京子の父親
宗じい
さわやかイケメンじゃの!

1960年4月5日生まれの64歳(2024年現在)です。

東京都立富士高等学校から立教大学(偏差値55〜65)を卒業し、若い頃は広告業界で活躍し、1992年に「スーパータンク」という広告制作会社を立ち上げました。

この会社では、JR東日本や日経新聞の広告やイベント、さらにはBS放送の番組制作も手掛けるなど大成功を収め、ピーク時には年商2億円を記録していました。

芳根の父親・聡さん(56)は、かつて広告の世界で成功を収めたクリエーター。92年に「スーパータンク」という会社を興し、JR東日本や日経新聞などの広告やイベントを手掛けたほか、BS放送の番組制作も行うなど、ピーク時は年商2億円を稼ぐまでになっていた。

【引用元:デイリー新潮

しかし、2006年1月に堀江貴文さんのライブドアと父親の会社「スーパータンク」は、共同で広告事業を行っていましたが、ライブドア事件という証券取引法違反の事件が起き、父親の会社の経営が厳しくなります。

06年1月、生活が一変する事態が起きたのだった。その頃、ホリエモン率いるライブドアと共同で広告事業を行っていたが、ライブドアに証券取引法違反が発覚したため、スーパータンクも経営が傾いてしまった。

【引用元:デイリー新潮

インコちゃん
ライブドア事件とは、ライブドアの決算報告として提出された有価証券報告書に虚偽の内容を掲載したとする疑いが持たれるなど証券取引法等に違反したとされる2つの罪で、ライブドアが起訴された事件です。

そして最終的に、会社は、株式会社オーエスという別の会社に吸収される形で再出発を果たします。

インコちゃん
株式会社オーエスはプロジェクターなどのハードウェアを売る会社です!

「彼は中途採用の求人広告を見て、面接に来ました。ウチは映像プロジェクターやスクリーンを作るハードウェア会社です。畑が違いましたが、我々も新たな分野を開拓したかったので、スーパータンクを子会社にし、再建することにしたのです。最終的に2000万円ほど出資しました」

【引用元:デイリー新潮

ただ父親は新しい会社の経営方針に馴染めず、株式会社オーエスの社長と対立し、1年ほどで退職しました。

しかし、ある時、奥村社長が新企画を提案すると逆ギレしてしまったという。「彼から“あなたはこの分野に関しては素人。口を出すな”と言われ、挙句、辞表を持ってきて、1年余りで辞めてしまいました」(同)

【引用元:デイリー新潮

宗じい
宗じいも人見知りじゃから、新しい会社に馴染むのは苦手じゃ・・
インコちゃん
そういう次元ではないような・・

芳根京子の父親はアイヌの里で農作業に従事!スピリチュアルに目覚める!

芳根京子さんの父親は、会社を辞めた後、家族を支えるために様々な仕事に挑戦します。

まず、妻の出身地である北海道に移り住むことを一人で計画し、数か月間「アイヌの里」で農作業を手伝いました。

なおその際には、シャーマンに出会いスピリチュアルに目覚めたようです。

インコちゃん
アイヌ民族のシャーマンは、巫術師として、病気の治療や恋愛相談、失せ物探し、雨乞いなどを行っていました

2006年に同社の経営が傾いた後は、北海道のアイヌの里で農作業に従事してシャーマンに出会い、スピリチュアルに目覚めたそうだ。

【引用元:livedoornews

しかし、実際に移住することはなく、再び東京に戻ります。

芳根京子の父親は飲食店の経営にも乗り出す!

郵便局の配達スタッフとして働き始めます。

その後、飲食店の経営にも挑戦し、「art Bar Koenji天」というジャズバーを運営しました。

芳根京子の父親が経営のジャズバー「art Bar Koenji天」
芳根京子の父親が経営のジャズバー「art Bar Koenji天」

この店では、週末になると「天よしねや」という店名に変え、妻つまり芳根京子さんの母親の手料理を提供していました。

ジャズバーで働く芳根京子の父親
ジャズバーで働く芳根京子の父親

ただ、このジャズバーは2015年に閉店し、高円寺から阿佐ヶ谷へ移転し、店名は「阿佐ヶ谷天」になっていますが、現在も働いているかは不明です。

芳根京子の父親は介護現場で働くもトラブルに!?

その後、父親は訪問介護の仕事を始め、2024年現在は介護事業所で働いていると言われています。

父親は世間から遠ざかるように、一家の北海道移住を一人で勝手に計画し、下見を兼ねて単身、アイヌの里を訪問。数カ月間、住み込みで農作業を手伝ったり、東京に舞い戻っては、郵便局で配達スタッフとして働いたり……。現在、訪問介護の現場で働きながら、糊口を凌ぐ父親に話を聞くと、「誰しも波があるなかで、見失ったものに出会うタイミングというのがあるんじゃないですかね」

【引用元:デイリー新潮

しかし、2024年に、父親の経営する訪問介護で訴訟問題が発覚しています。

宗じい
真実はわからんから、裁判の様子を見守りたいの!

そんな波乱万丈な人生を送ってきた父親ですが、現在も芳根京子さんとの親子関係は良好だそうです。

なお、芳根京子さんは、父の日にiPhoneケースを手作りしてプレゼントしています。

宗じい
可愛らしいiPhoneケースじゃ〜。父親としては嬉しいの〜。

芳根京子の母親は北海道出身の料理好き!顔写真はあるの?

芳根京子の母親の家系図

芳根京子の母親は北海道出身で美大卒!名前は千賀子!顔写真は?

芳根京子さんの母親は、芳根千賀子さんといいますが、残念ながら顔写真はありません。

インコちゃん
芳根京子さんの父親が週刊誌のインタビューで名前を公表したことから、母親の名前が芳根千賀子さんであると知られるようになりました。

北海道ニセコ町出身で下述しますが、明るく前向きな性格だそうです。

インコちゃん
ニセコ町は、夏のアウトドアスポーツや冬のウィンタースポーツが充実しており、日本国内のみならず国外からも多くの人が訪れる観光地です。
宗じい
雪質が最高なんじゃ。宗じいはスキーはできんが・・

母親は美術大学を卒業しており、職業については不明ですが、主婦ではなく、働いていたようです。

インコちゃん
芳根京子さんの母親は勤務先で職場を明るくしてくれたことを感謝する賞を贈呈されたエピソードがあります。
宗じい
宗じいとは正反対じゃの・・

芳根京子の母親はスーパーポジティブ!口癖は「ありがたいねぇ」

芳根京子さんは、そんな母親をブログなどで「スーパーポジティブマザー」と呼び、非常に明るくエネルギッシュな性格であることを語っています。

口癖は「ありがたいねぇ」で、感謝の気持ちを大切にしているとのことです。

「うちの母はスーパーポジティブで、感謝の気持ちを忘れちゃだめよ、ありがたいねぇって言うのが口癖です。そのためか、家族みんなが、ありがとう、ありがとうってよく言っています(笑)」

【引用元:AERA dot.

家族に困難が訪れたときでも、そんな母親はポジティブな姿勢で支え続けてきました。

例えば、芳根京子さんが中学2年生のときにギランバレー症候群という難病を患い、学校を1年間休まなければならなかった際には、母親は毎日のように無病息災を祈るために神社へお参りに行き、励まし続けたそうです。

インコちゃん
この時の母親の支えが、芳根京子さんにとってどれほど心強かったかが伝わります。

芳根京子と母親は仲良しで悩み事を相談したりプレゼントを送る!

芳根京子さんと母親はとても仲が良く、親子の絆が深いことでも知られています。

母の日には芳根京子さんが手作りのプレゼントを贈ったり、悩み事を相談したりと、母娘の関係は非常に良好です。

美術館に一緒に行くこともあり、芳根京子さんは「母親が美術大学出身なので、アートに触れる機会が多かった」と話しています。

芳根は、「私の母が美大出身ということもあり、母と一緒に美術館に行く機会はあったので、もっとアートに触れたい気持ちはあり、今回、飛び込ませていただきました。私のように詳しくはないけれど、興味がある方に足を運んでいただくきっかけのひとつになるとうれしいです」とアピールした。

【引用元:中日新聞WEB

さらに、芳根京子さんの父親が一時期、飲食店を経営していた際には、母親の料理好きが活かされたとも言われています。

 

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実際に週末になると「天よしねや」という店名に変え、芳根京子さんの母親の手料理が提供されていました。

宗じい
宗じいも芳根京子さんの母親の手料理食べたいのじゃ

芳根京子は両親に新しい家をプレゼント!

2021年には、芳根京子さんが両親への感謝の気持ちを込めて実家を建て直し、新しい家をプレゼントしました。

この家は、芳根京子さんが自身の名義で土地を購入し、2階建ての豪邸として建てられています。

「実家を建て替えているんです。昨年末から解体工事をして、7月下旬に完成。費用の大半は京子ちゃんが出し、土地も彼女の名義で買いました」(芳根の知人)

【引用元:週刊女性PRIME

家にはジャグジー付きのバスやマッサージ機など、両親がリラックスできる設備が揃えられており、豪華な作りになっています。

「ジャグジー付きのバスやマッサージ機など、ご両親の疲れを癒すグッズが充実しているそうです。昨年の夏から、フェレットも飼い始めたので、新しく加わった“家族”のためにかなり広くしたみたいですよ」(同・近隣住民)

【引用元:週刊女性PRIME

芳根京子の母親の顔写真をAIで想像してみた!

インコちゃん
というわけで、AIアプリで芳根京子さんの母親の現在の姿を想像して作ってみました。
AIアプリで作った想像の芳根京子の母親の顔写真(*実在しない人物です)
AIアプリで作った想像の芳根京子の母親の顔写真(*実在しない人物です
あくまでも、AIアプリで芳根京子さんから想像して作った架空の顔写真ですので、実際の芳根京子さんの母親の顔写真ではありませんのでご注意ください。
宗じい
笑顔が素敵な母親じゃ〜。

芳根京子の兄はキャノン勤務?5歳年上で優しい性格で家族想い!

芳根京子の兄の家系図

芳根京子の兄は5歳年上で喧嘩することもあったが兄妹仲良し!

芳根京子さんには5歳年上の兄がいます。

兄の名前は公表されていませんが、1992年7月20日生まれで、32歳(2024年現在)になります。

小学生時代には兄妹喧嘩をすることもあった芳根京子さんと兄ですが、年齢を重ねるにつれて関係良くなり、現在では「兄弟っていいな」と思う場面が増えたと話しています。

仕事が早く終わった日には一緒にご飯を食べに行くこともあるそうで、大人になってから兄妹としての絆がより深まったことが伺えます。

私は兄と5つ離れているので、小学生の頃は(喧嘩)あったと思うんですが、今はもうないですね。最近は仕事が早く終わったら一緒にごはん食べに行ったりもしますし。兄弟っていいなと思う機会は、二十歳を超えて増えたように思います。

【引用元:シーエイチファイルズ

芳根京子の兄は父親の退職で一時期不登校に!

兄は中学生の頃、一時期不登校になった経験があります。

この時期は父親が会社を辞めたタイミングとも重なり、家庭に大きな変化があった時期でした。

不登校になったのは精神的なプレッシャーが理由ともいわれていますが、その後は元気を取り戻し、現在は社会人として働いています。

芳根京子の兄はキャノン勤務は誤報?

芳根京子さんの兄は「キャノンに勤務している」という噂が流れたこともあります。

インコちゃん
キヤノン株式会社はカメラ・ビデオをはじめとする映像機器、プリンタ、複写機をはじめとする事務機器などを製造する日本の大手精密機器メーカーです
宗じい
宗じいもキャノンのデジカメ持ってるぞぃ

ただ、実際に勤めている証拠はなく、またその噂がなぜ出たかも不明です。

芳根京子さんがキャノンのCMに出たことも2024年時点ではありません。

芳根京子の兄はとても優しい性格で家族想い!

芳根京子さんの兄はとても優しい性格で、芳根京子さんの誕生日に手作りのケーキをプレゼントしたことがあるそうです。

このケーキは芳根京子さんにとって特別なもので、「今まで食べたケーキの中で一番美味しかった」と大変喜んだことをSNSに投稿していました。

その日は生春巻きまで作ってくれたといい、普段料理をしない兄が作ってくれたことで、さらに感激したと語っています。

 

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兄と芳根京子さんはとても仲が良く、一緒に買い物に行ったり、ディズニーランドで遊んだりすることもあります。

さらに、家族のために温泉旅行を企画して祖母を喜ばせたこともあり、家族想いな性格の持ち主です。

なおそんな兄は、NHKの朝ドラの撮影スタッフと仲良くなりすぎて連絡先を交換したというエピソードもあり、社交的な一面を持っているようで、その後には、両親、兄、スタッフ、芳根京子さんでご飯にも行ったとのことです。

芳根は10日に放送された、日本テレビ系バラエティ番組「踊る踊る踊る!さんま御殿!!この夏超アツい美女&最強おバカ軍団暴走祭」(よる7時56分~)で一般人であるはずの兄が、朝ドラのスタッフと知らない間に連絡先を交換し、仲良くなりすぎていて、最近少しムカっとしていると告白。更にスタッフから食事に誘われて行くと、既に両親と兄がいて何故自分が最後なのかとショックを受けたことを話しており、その際にMCを務める明石家さんまや他の共演者から、「良かれと思ってお世話になってますという気持ちで行ってる」と諭され、「ありがとうって言ったほうがいい」と勧められていた

【引用元:モデルプレス

芳根京子の兄の顔写真をAIで想像してみた!

インコちゃん
というわけで、AIアプリで芳根京子さんの兄の現在の姿を想像して作ってみました。
AIアプリで作った想像の芳根京子の兄の顔写真(*実在しない人物です)
AIアプリで作った想像の芳根京子の兄の顔写真(*実在しない人物です
あくまでも、AIアプリで芳根京子さんから想像して作った架空の顔写真ですので、実際の芳根京子さんの兄の顔写真ではありませんのでご注意ください。
宗じい
優しそうでイケメンじゃ〜。

芳根京子の祖父母は孫の活躍を応援!おでんの日は家族全員で!

芳根京子の祖母(父方)が作るおでんの日は家族の特別な習慣!

芳根京子さんの実家では父方の祖母と一緒に暮らしており、おでんの日」という家族の特別な習慣がありました。

この日は、祖母がおでんを作り、家族全員で囲むという心温まるイベントで、芳根京子さんはブログで「おでんの日」がとても楽しかったことをたびたび書いています。

宗じい
おでんの具は卵と大根が定番かの〜。

ただ、その祖母から「ブログの更新が少ない」と叱られたこともあったそうで、ファンからは「祖母がファンの気持ちを代弁してくれた!」と話題になりました。

なお、芳根京子さんは家族とともに祖母を温泉旅行に連れて行くことを恒例行事にしています。

特に、2016年の温泉旅行では兄と祖母と3人で楽しい時間を過ごしたことをブログで報告し、「たくさんのごちそうを食べて、温泉でのんびりできた」と笑顔で振り返っています。

この日「温泉。」と題して更新すると、「まずこのお話しよう。だいぶ、だいぶ前のお話になりますが。」と前置きし、「ここ数年恒例になりつつあるおばあちゃんとの温泉旅行」と祖母との温泉旅行話をスタートさせた。2016年後期のNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』の撮影中は、大阪に住んでいたこともあり、「今年はちゃんと連れて行けた。やったね。今年はお兄ちゃんも参加でおばあちゃんと孫の3人旅。楽しかったなぁ~美味しいごはんたくさん食べてたくさん温泉入ってまったりのんびりして最高にリフレッシュ!!」と祖母を温泉旅行に連れて行けたことに喜び、楽しかった思い出を振り返っている。

【引用元:ABEMA TIMES

芳根京子は祖母(父方)から指輪をプレゼントしてもらう!

芳根京子さんは、20歳の誕生日に父方の祖母から特別な指輪を贈られました。

母方の祖母から(下述しますが)譲られたネックレスが大切な思い出となっていたため、父方の祖母にも一生大事にできるものをお願いしたそうです。

そして、父方の祖母と二人でお店に行き、派手すぎずシンプルで長く使えるデザインを選びました。

なお芳根京子さんは、この指輪を特別な場面でだけ身につけるようにしています。

初めてつけたのは、フジテレビ月9ドラマ『海月姫』の宣伝でフジテレビに出演した日でした。

祖母に「今日、テレビに着けて出るね」と伝えたため、きっと祖母もその指輪に注目していたのではないかと微笑みながら振り返っています。

この指輪をつけるたびに「嬉しいし、頑張ろう」という気持ちが湧くと語っています。

それで父方の祖母にも何か一生、持ち続けられるものをもらっておきたいと思うようになって、20歳の誕生日に買ってもらったのが、この指輪です。祖母も『せっかくなら本物の、ちゃんとしたものをあげたい』と言ってくれて、一緒にアクセサリーのお店に行って選びました。デザインは、祖母も私もそんなに派手なものが好きではないので、シンプルで飽きが来ない、一生使えるものにしました。あと、毎日着けられるようなものだと自分の中での特別感がなくなっちゃうので、あんまりカジュアル過ぎないものを選びました。それから年に1回くらい、『ここぞ!』というときに着けたいと思っていて。初めて着けたのは、今年の初めにドラマ『海月姫』の番組宣伝でフジテレビを1日電波ジャックした日です。私にとって月9の主役はすごく大きいことだったし、祖母もテレビで見たら喜んでくれるだろうと思って、『着けるなら電波ジャックの日だ!』と思いました。『今日、テレビに着けて出るね』と言っておうちを出たので、祖母はテレビを見ながら、指にばっかり注目してたと思います(笑)。それ以来、着けたのは今日で2回目です。この指輪が指にあるとうれしいし、がんばろうって思いますね」

【引用元:日本経済新聞

芳根京子の祖母(母方)は若い頃に洋裁の先生だった!

一方、母方の祖母は北海道のニセコに住んでおり、若い頃は洋裁の先生をしていたそうです。

芳根京子さんがNHK朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」でヒロインに抜擢されたとき、祖母が裁縫を教える先生だったこともあり、「祖母にこのドラマを見てもらいたかった」と語ったことがあります。

しかし、母方の祖母はすでに亡くなっており、芳根京子さんはその思いを「祖母が生きていたらどれほど喜んでくれただろう」としみじみ振り返っています。

「お裁縫や所作、関西言葉の3つを中心に、4月頭から5月末までお稽古をしていました」という芳根は、ヒロイン・坂東すみれ役にちなみ、ものづくりに元々興味があったか聞かれると「お裁縫を元々そこまでやることはなかったんですけど、亡くなってしまった私の祖母がお裁縫の先生をやっていたということもあって、夏休みの自由研究はおばあちゃんと一緒にぬいぐるみや巾着やクッションを作った経験があったので、0から始まったわけではなかったので、心強かったです」と打ち明け、「同時に祖母に見てほしかったなという思いが今ものすごくあります」としみじみと語った。

【引用元:モデルプレス

ちなみに、母方の祖母が亡くなる際、芳根京子さんは祖母からネックレスを譲り受けました。

このネックレスは芳根京子さんにとってお守りのような存在で、「大事なオーディションのときなど、力が必要なときに身につけてきた」と語っています。

私が毎日、指輪を着ける理由「以前、母方の祖母が亡くなる時に、『おばあちゃんがずっと着けていたものをあげる』って、ネックレスをもらったことがあるんです。それがすごくうれしくて、オーディションなど力が欲しいときに着けて、いろんなことを乗り越えてきました。

【引用元:日本経済新聞

芳根京子の祖父(母方)の言葉が心に深く刻まれている!

芳根京子さんの母方の祖父について、芳根京子さんには忘れられない思い出があります。

2015年、母方の祖父が亡くなる3日前、芳根京子さんは「主演で連続ドラマやらせてもらえることになって、次の夏からだから見てね」と直接報告したそうです。

そのとき、祖父から「おおそうか、おめでとう。感謝の気持ちだけは忘れんなよ」と言葉をもらい、この言葉が芳根京子さんの心に深く刻まれています。

その後、祖父の死を乗り越えた芳根京子さんは「(活躍を)見せられなかった分、頑張ろうと思いますね。北海道に来てお墓参りに行って手を合わせるたびにちゃんと報告できることを持って来ようと」と話しています。

祖父が亡くなったのは芳根が2015年のドラマ「表参道高校合唱部!」(TBS系)での初主演や16年度後期のNHK連続テレビ小説「べっぴんさん」のヒロイン役が決定した時期。祖父が亡くなる3日前に「主演で連続ドラマやらせてもらえることになって、次の夏からだから見てね」と直接報告をしていたそうで、祖父からは「おおそうか、おめでとう。感謝の気持ちだけは忘れんなよ」と声を掛けられたことを振り返った。祖父の言葉を思い出した芳根は涙で言葉をつまらせながら「たぶん(祖父が)言ってるんだ、『言ったぞ!』って」と笑い、「(活躍を)見せられなかった分、頑張ろうと思いますね。北海道に来てお墓参りに行って手を合わせるたびにちゃんと報告できることを持って来ようと」と決意を明かしていた。

【引用元:サンスポ

なお、父方の祖父については非公開のため詳細不明です。

インコちゃん
祖父母への思い出を胸に、芳根京子さんはこれからも前向きに歩み続けることでしょう。
宗じい
宗じいも感動じゃい・・

芳根京子の家族構成まとめ

 

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家族構成 詳細
父親 芳根聡。1960年4月5日生まれ。立教大学卒の元広告クリエイターで、1992年に「スーパータンク」を設立し、年商2億円を記録するも、2006年のライブドア事件で経営が悪化。その後、農業、郵便局配達員、ジャズバー経営、訪問介護など様々な仕事に従事。現在も娘・芳根京子との関係は良好。
母親 芳根千賀子。北海道ニセコ町出身。美術大学卒業のスーパーポジティブな性格。口癖は「ありがたいねぇ」。中学時代にギランバレー症候群を患った芳根京子を励まし続けた。現在も娘と仲が良く、母の日にはプレゼントをもらうことも。かつて夫が経営していた飲食店では料理の腕を振るったことがある。
長男 1992年7月20日生まれ。芳根京子の5歳年上。中学生の頃、一時期不登校になったが、その後は社会人として働き、キャノン勤務の噂も。とても優しい性格で、誕生日に手作りのケーキをプレゼントすることも。兄妹仲は良好で、買い物やディズニーランドに一緒に行くこともある。
長女(本人) 芳根京子。1997年2月28日生まれ。東京都杉並区出身。幼少期は引っ込み思案だったが、吹奏楽部での経験を通じて人見知りを克服。高校時代にスカウトされ、女優デビュー。朝ドラ『べっぴんさん』でヒロインを務めるなど活躍中。家族思いで、実家を建て替えるなど両親への感謝を忘れない性格。
祖父(母方) 北海道ニセコ町出身。2015年に他界。芳根京子がドラマ初主演を報告した際に「感謝の気持ちを忘れんなよ」と伝え、芳根京子の心に深く刻まれている。祖父母宅は現在別の夫婦が住んでおり、芳根京子が思い出の地として訪れている。
祖母(母方) 北海道ニセコ町出身で若い頃は洋裁の先生。芳根京子がもらったネックレスはお守りのような存在で、大切な場面で身につけてきた。すでに他界しており、「朝ドラでの活躍を見せたかった」と芳根京子が語ることも。
祖母(父方) 芳根京子の実家で一緒に暮らしており、「おでんの日」には家族全員でおでんを囲むという心温まる習慣を作った。20歳の誕生日に芳根京子へ特別な指輪をプレゼント。その指輪は芳根京子にとって大切な存在で、特別な場面で着用している。
祖父(父方) 非公表のため詳細不明



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