人気女優の芳根京子さんですが、父親はスーパータンクという会社の経営者で波乱な人生だったという噂があります。
そんな芳根京子さんの父親にまつわるたくさんの噂や顔写真なども調べてみました。
この記事を読み進めることで、芳根京子さんの父親がどのような人物か、また魅力を知ることができます。
目次
芳根京子の父親は芳根聡で顔写真あり!年齢は?高学歴なの?
芳根京子の父親は芳根聡で顔写真あり!年齢は?
芳根京子さんの父親は芳根聡さんといいます。
顔写真もあり、笑顔が素敵なイケメンということがわかります。
1960年4月5日生まれの64歳(2024年現在)で、芳根京子さんが1997年2月28日生まれの27歳(2024年現在)ということで、父親が36歳ごろの子どもです。
芳根京子の父親は高学歴だった!大学も高校も名門!
芳根京子さんの父親の芳根聡さんは高学歴で、高校は東京都立富士高等学校を卒業しています。
東京都立富士高校は名門で、芳根聡さんが高校生だった、1970年代から1980年代初頭には、東大合格者が30〜40名ほどおり、東大合格者数で全国20位以内にランクインしていました。
そして芳根聡さんは、東京都立富士高校卒業後は立教大学に進学しています。
立教大学の偏差値は55〜65(2025年現在)と高く、慶應義塾大学、東京大学、法政大学、明治大学、立教大学、早稲田大学で構成する東京六大学の一校でもあります。
芳根京子の父親はスーパータンクという会社を経営も現在は・・
芳根京子の父親はスーパータンクという会社を経営!年商2億に!
芳根京子さんの父親・芳根聡さんは立教大学卒業後は広告業界でクリエーターとして活躍しました。
そして広告業界での経験を生かして、32歳だった1992年に「スーパータンク」という広告制作会社を立ち上げました。
このスーパータンクという会社では、JR東日本や日経新聞の広告やイベント、さらにはBS放送の番組制作も手掛けるなどし、ピーク時には年商2億円を達成しています。
芳根の父親・聡さん(56)は、かつて広告の世界で成功を収めたクリエーター。92年に「スーパータンク」という会社を興し、JR東日本や日経新聞などの広告やイベントを手掛けたほか、BS放送の番組制作も行うなど、ピーク時は年商2億円を稼ぐまでになっていた。
【引用元:デイリー新潮】
芳根京子の父親のスーパータンクは他社に吸収!
芳根京子さんの父親の会社「スーパータンク」は、堀江貴文さんが代表を務めていたライブドアと共同で広告事業を行っていました。
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ただ2006年1月にライブドア事件という証券取引法違反の事件が起き、ライブドアと共同で広告事業を行っていた父親の会社の経営が厳しくなります。
06年1月、生活が一変する事態が起きたのだった。その頃、ホリエモン率いるライブドアと共同で広告事業を行っていたが、ライブドアに証券取引法違反が発覚したため、スーパータンクも経営が傾いてしまった。
【引用元:デイリー新潮】
そして最終的に、スーパータンクは、株式会社オーエスという別の会社に吸収される形で再出発を果たします。
なお、芳根京子さんの父親・芳根聡は株式会社オーエスの中途採用の求人をみて面接に行き、そこから株式会社オーエスが、スーパータンクを子会社にすることになったようです。
「彼は中途採用の求人広告を見て、面接に来ました。ウチは映像プロジェクターやスクリーンを作るハードウェア会社です。畑が違いましたが、我々も新たな分野を開拓したかったので、スーパータンクを子会社にし、再建することにしたのです。最終的に2000万円ほど出資しました」
【引用元:デイリー新潮】
芳根京子の父親は新しい会社に馴染めず退職へ・・・
芳根京子さんの父親は、心機一転で新しい会社にて働き始めますが、株式会社オーエスの人が、新企画を提案すると、「あなたはこの分野に関しては素人。口を出すな」と言い、新しい会社の経営方針に馴染めなかったようです。
そして、株式会社オーエスの社長と対立し、1年ほどで自ら辞表を出し退職しました。
しかし、ある時、奥村社長が新企画を提案すると逆ギレしてしまったという。「彼から“あなたはこの分野に関しては素人。口を出すな”と言われ、挙句、辞表を持ってきて、1年余りで辞めてしまいました」(同)
【引用元:デイリー新潮】
芳根京子の父親はアイヌの里で農作業に従事!飲食店経営も!
芳根京子の父親は農作業に従事!スピリチュアルにも目覚める
芳根京子さんの父親の芳根聡さんは、会社を退職後、芳根京子さんを始めとする家族の生活を支えるために様々な仕事に挑戦します。
まず、妻の出身地である北海道への移住を一人で計画し、数か月間「アイヌの里」で農作業を行いました。
なおその際には、シャーマンに出会いスピリチュアルに目覚めたようです。
2006年に同社の経営が傾いた後は、北海道のアイヌの里で農作業に従事してシャーマンに出会い、スピリチュアルに目覚めたそうだ。
【引用元:livedoornews】
しかし、農作業は合わなかったのか、北海道に実際に移住することはなく、再び東京に戻ります。
芳根京子の父親は飲食店の経営に乗り出す!
東京に戻った後は、郵便局の配達スタッフとして働き始めます。
また、飲食店の経営にも挑戦し、「art Bar Koenji天」というジャズバーを運営しました。
父は“家族に迷惑をかけたくない”と必死に働いた。「北海道で農業をしたり、郵便局の配達員やジャズバーの経営もしていました。
【引用元:週刊女性】
この店では、週末になると「天よしねや」という店名に変え、芳根聡さんの妻つまり芳根京子さんの母親の手料理を提供していました。
ただ、このジャズバーは2015年に閉店し、高円寺から阿佐ヶ谷へ移転し、店名は「阿佐ヶ谷天」になっていますが、現在も働いているかは不明です。
芳根京子の父親は介護現場でトラブルも?娘との関係は良好!
芳根京子の父親は介護現場で働くもトラブルに?
その後、芳根京子さんの父親・芳根聡さんは訪問介護の仕事を始め、2024年現在は介護事業所で働いていると言われています。
父親は世間から遠ざかるように、一家の北海道移住を一人で勝手に計画し、下見を兼ねて単身、アイヌの里を訪問。数カ月間、住み込みで農作業を手伝ったり、東京に舞い戻っては、郵便局で配達スタッフとして働いたり……。現在、訪問介護の現場で働きながら、糊口を凌ぐ父親に話を聞くと、「誰しも波があるなかで、見失ったものに出会うタイミングというのがあるんじゃないですかね」
【引用元:デイリー新潮】
しかし、2024年に、父親の経営する訪問介護で訴訟問題が発覚しています。
芳根京子の父親が引き起こした介護トラブル 「彼のせいで母はICUに」https://t.co/lAbGeITNmj…
— デイリー新潮 (@dailyshincho) September 10, 2024
芳根京子と父親の関係は良好!娘が両親のために一軒家をプレゼント
そんな波乱万丈な人生を送ってきた父親ですが、現在も芳根京子さんとの親子関係は良好だそうで、芳根京子さんは、父の日にiPhoneケースを手作りしてプレゼントしています。
昨日の父の日。
iPhoneケースを作ったよ☺︎
お家は私でゾウさんはお父さん。現場で「そのiPhoneケース可愛い!」って褒められます。
嬉しいっ!▷https://t.co/il9PlBdhyl pic.twitter.com/csV4qDvfiY
— 芳根京子スタッフ【公式】 (@YoshineKyoko) June 20, 2016
そして2020年のお正月にはエックスにて、芳根京子さんが新年の挨拶をしていますが、その際には、父親と一緒にいるようで、仲の良さがわかります。
あけましておめでとうございます🐭
2020年ですね。
みなさま、
お正月いかがお過ごしですか?今年も、
どうぞよろしくお願いいたします☺︎2枚目の視線の先は父。
— 芳根京子スタッフ【公式】 (@YoshineKyoko) January 1, 2020
さらに、芳根京子さんは両親のために2021年7月に新築の一軒家を建て、その家はジャグジー付きのバスやマッサージ機など、両親の疲れを癒すグッズも充実しているとのことです。
まさに有言実行となった。芳根の実家がある都内の住宅街を訪れると、黒を基調とした2階建ての瀟洒なデザインの家が立っていた。「当初は6月ごろに完成予定でしたが、1か月遅れての完成に。近所では“豪邸”と評判ですよ」(近隣住民)家の中は、“家族愛”であふれている。「ジャグジー付きのバスやマッサージ機など、ご両親の疲れを癒すグッズが充実しているそうです。昨年の夏から、フェレットも飼い始めたので、新しく加わった“家族”のためにかなり広くしたみたいですよ」(同・近隣住民)
【引用元:週刊女性】
なお、芳根京子さんは2021年現在ですが、その新築の家で、両親と同居しており、父親もできるだけ家にいるようにして、家族で過ごす時間を大切にしているとのことです。
どこまでも“家族ファースト”な芳根だが、彼女の思いは父に届いているようで、「一時はいろいろな仕事を手がけていたため、家を空けることも多かったのですが、いまは安定しているそうです。京子ちゃんも実家に住んでいるので、お父さんもできるだけ家にいるようにして、家族で過ごす時間を大切にしています」(前出・芳根の知人)
【引用元:週刊女性】
芳根京子の父親(芳根聡)まとめ!
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項目 | 詳細 |
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氏名 | 芳根 聡(よしね さとし) |
生年月日 | 1960年4月5日(2024年現在64歳) |
出身高校 | 東京都立富士高等学校(名門進学校、東大合格者多数輩出) |
出身大学 | 立教大学(偏差値55〜65、東京六大学の一校) |
経歴(会社経営) | 1992年、広告制作会社「スーパータンク」設立(年商2億円達成) |
スーパータンクの運命 | 2006年、ライブドア事件の影響で経営悪化→「株式会社オーエス」に吸収 |
退職理由 | 株式会社オーエスの経営方針に馴染めず、1年余りで辞職 |
農作業の経験 | 北海道のアイヌの里で農業に従事、シャーマンとの出会いでスピリチュアルに目覚める |
飲食店経営 | ジャズバー「art Bar Koenji天」を運営→2015年閉店、阿佐ヶ谷へ移転 |
その他の職歴 | 郵便局の配達員、訪問介護スタッフとして勤務(2024年現在も継続) |
家族との関係 | 娘・芳根京子との関係は良好。父の日に手作りiPhoneケースをプレゼント |
娘からの贈り物 | 2021年、新築の一軒家をプレゼント(ジャグジー付きバス・マッサージ機など完備) |
現在の生活 | 訪問介護の仕事をしながら家族と充実した生活を送る |
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