辻仁成の家系図が凄すぎる!実家はお金持ち?実家はどこ?3人の妻や息子も調べた!

辻仁成の家系図

作家、ミュージシャン、映画監督とマルチに活躍する辻仁成さん

その才能あふれる辻仁成さんの両親や親族など家系図がすごかったので調べました。

また実家がお金持ちの噂や、実家がどこなのか、さらには今まで3人の妻と結婚していますが、その妻たちや息子も調べています。

インコちゃん
この記事では、辻仁成さんにスポットライトを当ててみました!
宗じい
ワシの飼ってるインコちゃんと共に面白い記事をお届けしますぞ。辻仁成さんみたいなイケオジになりたいのぉ!

辻仁成の家系図が凄すぎる!父母や祖父に親戚も凄い!

辻仁成の家系図

辻仁成の父親は大手生命保険会社の社長候補!

辻仁成さんの父親は、辻信一さんという方で、福岡県の出身です。

会社員として大手生命保険会社に勤めており、社内では社長候補とも言われるほどのエリートでした。

辻仁成の父親
辻仁成の父親

真面目で仕事一筋の人生を歩んだ人であり、晩年には社内の派閥争いに敗れたことで「窓際族」として過ごしたという過去もあり、2007年に病気で亡くなっています。

父は猛烈社員でしたが、ライバルに敗れ、最後は窓際族でした。一時は社長になるか、とも言われていた人でしたから、母に言わせると悔しい晩年であったろうということです。そういう弱いところを家族には見せない人でした。老いた父はいつもニコニコしておりました。

【引用元:カナロコ

家庭では非常に厳格な父親として知られ、特に礼儀作法には厳しかったといいます。

辻仁成さんにとっては、子ども時代にあまり遊んでもらえなかったという記憶が残っており、父に対して反発心を抱くこともあったそうです。

小生にももちろん立派な父親がおりました。でも、小生は父と遊んだ記憶があまりないのです。抱っこされた記憶も、語り合った記憶もありません。キャッチボールを教えてもらった記憶がかすかにあります。怒鳴られた記憶、びくびくしていた記憶はたくさんあります。そうですね、怖い人でした。厳しかった。

【引用元:カナロコ

その一方で、辻仁成さんが芸能界デビュー直後に資金難に陥った際には、父親である辻信一さんが資金面でサポートするなど、子どもを思う親としての優しさもあわせ持っていた人物でした。

辻仁成さん自身は、「父は反面教師だった」と語りつつも、その生き様に対しては敬意を抱いていたようです。

インコちゃん
静かで誠実な人物像がうかがえる父・辻信一さんは、家庭の中でもビジネスの世界でも、自己に厳しく生きた“昭和の父”を体現するような存在だったのではないでしょうか。
宗じい
わしも頑固親父じゃぞ

辻仁成の母親は才色兼備で息子の著書のモデルにも!

辻仁成さんの母親は、辻恭子さんという方で、1935年生まれで福岡県大川市の大野島出身です。

2025年現在も福岡県で暮らしており、高齢になった今も健在で、辻仁成さんの実家を守り続けています。

辻仁成の母親
辻仁成の母親

そんな辻仁成さんの母親は、高校時代には全国弁論大会で福岡県代表に選ばれたほどの弁士でした。

辻仁成の母親の若い頃(右)
辻仁成の母親の若い頃(右)

また、容姿も美しく、地元ではマドンナ的存在だったといい、郵便局のポスターモデルに抜擢されたこともあります。

辻仁成さんの父親・辻信一さんと結婚し家庭に入ってからは、料理や裁縫の腕前も抜群で、刺しゅう教室の講師としても活動していました。

ただ、料理にしても刺繍にしても、お弟子さんがたくさんいて。まるで映画監督みたいに彼女の周りには人がいっぱいいたんですよ。家に帰ると、知らない女の人が何人もいたり(笑)。

【引用元:RealSound

まさに「才色兼備」を体現した女性であり、家庭では子どもたちを包み込むような愛情で育て上げました。

辻仁成さんの著書『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』は、まさにこの母・辻恭子さんの半自叙伝のような内容で、母・辻恭子さんの生き方や言葉、価値観がどれほど辻仁成さんの人生に影響を与えてきたかが綴られています。

辻仁成「84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと」
辻仁成「84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと」【出典:Amazon

また、母としてだけでなく、人生の指南役としての存在感も非常に大きく、現在も辻仁成さんはブログなどで母とのエピソードを頻繁に発信しており、そのつながりの深さがうかがえます。

宗じい
辻仁成さんのお母さんはええ人じゃの

辻仁成の弟は事務所社長で陶芸家!

辻仁成さんには3歳年下の弟がいて、名前は辻恒久(つじつねひさ)さんといいます。

辻仁成さんからは「つねちゃん」と親しみを込めて呼ばれており、2人はとても仲の良い兄弟だったようです。

辻仁成の弟
辻仁成の弟

辻恒久さんは1962年生まれで、もともとは千葉工業大学を卒業し、音響機器で有名なAKAI電機に勤務していました。

その後、ラジオ制作会社に転職し、しばらくしてからは兄・辻仁成さんのマネージャー兼運転手として活動するようになります。

つまり、辻仁成さんの裏方として、身近で支え続けていたのです。

現在は辻仁成さんの個人事務所で社長に就任しており、母・辻恭子さんとともに福岡県で生活しています。

福岡では陶芸家としても活動しているとのことで、兄同様に芸術の道にも深く関わっているようです。

陶芸家でもある辻仁成の弟(辻恒久)
陶芸家でもある辻仁成の弟(辻恒久)【出典:陶芸教室福岡アートスクール福岡

一時期は結婚していたものの、現在は離婚しています。

あまりお話ししたことがありませんが、実は僕にも弟がいるんです。2歳年下の58歳。彼は離婚をして、子どもはおらず独身です。現在、福岡で母と一緒に暮らしています。その家は僕が母を住まわせるために買った家で、そこに母と弟が暮らしています。

【引用元:女性自身

辻仁成の母方の祖父は発明家だった!

辻仁成さんの母方の祖父は、今村豊(いまむらゆたか)さんという人物で、まさに「時代を動かした発明家」ともいえるような存在です。

——お母さまは料理、刺繍など、クリエイティブな才能をお持ちで。辻さんの創造性にも大きな影響を与えたのでは?

辻:まず、僕のおじいちゃん、母親の父親が発明家だったんですよ。

【引用元:RealSound

戦前・戦中・戦後を通じて、技術者として数々の偉業を成し遂げました。

今村豊さんは、かつて「今村五連式銃」という連発式の銃を開発し、日本軍に供給していたことで知られています。

しかし、戦争が終わったあと、自分の開発した武器で多くの命が失われたことに深く悩み、心の痛みから浄土真宗へと帰依しました。

そして、自らの罪を償うように、地元・福岡県大川市の大野島で戦死者の遺骨を集め、それをもとに仏像「白仏」を建立しました。

大野島にある勝楽寺の白仏
大野島にある勝楽寺の白仏【出典:大川観光協会

この仏像は、現在も地元の寺院に大切に祀られています。

また、今村豊さんは「今村製鉄所」の創業者としても知られ、耕運機や海苔の巻き上げ機、乾燥機など、地元の農業や漁業を支える機械を数多く開発しました。

宗じい
辻仁成さんの祖父はお金持ちだったんじゃな〜。わしもお金持ちになりたいわい

その功績から、地元の市議会議員にも選ばれるなど、技術と信仰と政治の世界をまたいで活躍した、まさに多才な人物でした。

辻仁成さんの代表作のひとつである小説『白仏』は、この祖父・今村豊さんの人生をもとに描かれた作品です。

辻仁成の小説「白仏」
辻仁成の小説「白仏」【出典:Amazon

辻仁成の祖母は孫の思想に影響を与えた人物!

辻仁成さんの祖母については、名前や顔写真など詳しいプロフィールは公表されていませんが、辻仁成さんにとって非常に大きな影響を与えた心の支えのような存在であったことが、辻仁成さんのエッセイや発言から読み取れます。

とくに印象的なのは、辻仁成さんの手記『JINSEI STORIES』に登場する祖母とのエピソードです。

そこでは、「人は肉体が滅びても、記憶の中で覚えてもらえる限り、そばで守り続ける」という祖母の言葉が紹介されており、この一節は、辻仁成さんの死生観や人生観に深く刻まれた思想のひとつとなっています。

また、祖母は常に穏やかで、優しい言葉をかけながらも、どこか厳かな存在感を持っていたようです。

インコちゃん
子どもの頃の辻仁成さんは、祖母の言葉や考え方に触れることで、人を思いやる心のあり方や、人生の尊さを自然と学んでいったと語っています。

辻仁成の母のいとこ・英子は東京のお母さん!

辻仁成さんの母のいとこにあたる人物の名前は英子(えいこ)さんです。

辻仁成(右)と母方のいとこの英子(左)
辻仁成(右)と母方のいとこの英子(左)

英子さんは芸能人ではなく一般の女性ですが、辻仁成さんにとっては「東京のお母さん」と呼びたくなるほど、精神的にも生活面でも支えてくれた大切な存在です。

辻仁成さんが若いころ、東京で活動を始めた時期に英子さんの家に居候していたことがありました。

そのころから、英子さんはまるで本当の母のように辻仁成さんの身の回りの世話をしてくれただけでなく、考え方や振る舞い、価値観の面でも強い影響を与えてくれたそうです。

さらに、英子さんは辻仁成さんの息子・辻十斗さんがフランスで育つ中で、日本に帰ってきたときに生活のサポートをしてくれたこともあったようです。

辻仁成の東京の母・英子の夫は童話作家でイラストレーター

英子さんの夫は、童話作家・イラストレーターとして知られる東君平(ひがし くんぺい)さんです。

童話作家の東君平
童話作家の東君平

辻仁成さんにとっては従叔父(いとこおじ)にあたります。

東君平さんは、1940年に兵庫県神戸市で生まれ、イラストの世界で才能を開花させ、のちに童話作家として数々の作品を世に送り出しました。

代表作には「のぼるはがんばる」「くんぺい魔法ばなし」などがあり、親しみやすい絵とやさしい言葉づかいで、多くの子どもたちに愛された人物です。

東君平の絵本
東君平の絵本【出典:Amazon

辻仁成さんは、そんな東君平さんの作品や生き方からも大きな刺激を受けており、作家としての道を歩むうえで身近な“お手本”のような存在だったとも言われています。

残念ながら東君平さんは1986年、肺炎のため46歳という若さで亡くなりましたが、東君平さんの作品は今も多くの読者の心に残っています。

宗じい
わしも東君平さんの本を読んでみようかな

辻仁成の従叔父・東君平の兄は将棋記者の第一人者!

東君平さんの兄にあたる人物が東公平(ひがし こうへい)さんです。

将棋記者の東公平
将棋記者の東公平【出典:朝日新聞

辻仁成さんにとっては従叔父(いとこおじ)にあたる存在であり、将棋の世界やチェス界で活躍した人です。

東公平さんは1933年生まれで、将棋の観戦記者として長く活動していました。

若いころは将棋棋士を目指して名門・灘高校を中退してまで奨励会に入会するほどの本気ぶりでしたが、初段で退会。

その後、新聞社と契約し、プロ棋士の対局をわかりやすく伝える観戦記者という新しい役割を切り拓きました。

また、チェスの世界でもトップクラスの実力を持ち、日本チェス連盟のチャンピオンになったこともあります。

東公平の著書「チェス入門」
東公平の著書「チェス入門」【出典:河出書房新社

さらには「将棋ペンクラブ」の設立にも携わり、観戦記というジャンルを確立した功労者でもあります。

インコちゃん
このように、辻仁成さんの親戚には、文学・芸術・知識の分野で突出した才能を発揮する人物が多く、辻仁成さんの多才な表現活動にもこうした環境が大きく影響していると考えられます。

辻仁成の実家はお金持ち?お金持ちといわれる理由は?

おしゃれな辻仁成
おしゃれな辻仁成

辻仁成の実家はお金持ちなの?

辻仁成さんには、「実家がお金持ちだったのでは?」という噂があります。

辻仁成
辻仁成【出典:スポーツ報知

実際にネット上でも「辻仁成 実家 金持ち」と検索されることが多く、関心の高さがうかがえます。

これに関して結論から言いますと、辻仁成さんが実家がお金持ちと自ら言ったことはありません。

ただ辻仁成さんが育った家庭環境などから、どの程度をお金持ちというかにより変わりますが、一般の家庭と比べると裕福だったと考えられます。

辻仁成の実家はお金持ちといわれる理由は?

辻仁成さんの実家が「お金持ちだ」といわれる背景には、複数の明確な理由があります。

単に「高収入だったから」といった話ではなく、家系や職業、育った環境に至るまで、幅広い視点からその印象が生まれているのです。

まず注目すべきは、父親である辻信一さんのキャリアです。

辻信一さんは、日本有数の保険会社・日新火災海上保険に勤めており、社内でも特に優秀な人物として知られていました。

日新火災海上保険本社ビル
日新火災海上保険本社ビル【出典:日新火災海上保険

一時は社長候補とまで言われたほどで、猛烈な働きぶりと成果によって会社から高く評価されていたそうです。

昭和の高度経済成長期という背景もあり、努力すればするほど収入も上がる時代だったため、家計は安定どころか非常に豊かだったと考えられます。

さらに、母親である辻恭子さんの実家も、財政的に豊かな家系でした。

辻恭子さんの父親、つまり辻仁成さんの母方の祖父は、今村製鉄所の創業者であり、重機の開発や製造に尽力した発明家・今村豊さんです。

地元では名士として知られ、市議会議員も務めていた人物で、地域に深く根ざした影響力のある存在でした。

今村製鉄所は、かつて九州地方で大きな成功を収め、多くの従業員を抱える大規模な工場を運営していたことから、財産的にも社会的にも非常に恵まれた家庭だったことがわかります。

さらに、辻仁成さん自身がメディアでたびたび語る家庭内の様子や、家族にまつわるエピソードからも、その経済的・精神的な余裕がにじみ出ています。

例えば、作家デビュー前の金銭的に厳しかった時期に、実は父・辻信一さんが陰で資金援助をしていたという話や、母・辻恭子さんが地元の書店を回って息子の本を宣伝していたというエピソードなどもあり、単なる裕福さ以上に“辻仁成さんを支え合える土台”が家庭にあったことがわかります。

辻仁成の大学時代
辻仁成の大学時代

このように、父の職業や、母方の家系が裕福であること、さらには家族で辻仁成さんをバックアップするような家庭環境が揃っていたことから、「辻仁成さんの実家はお金持ちだった」と多くの人に思われるようになったのです。

宗じい
辻仁成さんの上品な顔立ちをみるとお金持ちとすぐわかったわい!

辻仁成の実家はどこなの?日本各地を転々とした幼少期

辻仁成さんの実家の場所ですが、出身地は東京都南多摩郡日野町(現在の日野市)ですが、子ども時代は父親の仕事の都合で、さまざまな土地を転々としていたようです。

日野市の街並み
日野市の街並み【出典:号外NET 日野市

まず、辻仁成さんが生まれたのは、東京都日野市の「多摩平団地」という大規模団地です。

多摩平団地
多摩平団地【出典:UR都市機構

ここは当時、東京近郊に住むサラリーマン家庭の新興住宅地として人気を集めており、辻仁成さんもこの団地で乳児期を過ごしました。

ただ、辻仁成さんが物心ついた頃には、すでに別の土地へ移っていたそうです。

幼稚園から小学校4年生までの間は、福岡県福岡市で生活していたことがわかっています。

この福岡時代は、辻仁成さんの記憶にも強く残っており、特に祖母や母のルーツが福岡県大川市大野島にあったことから、本人の中でも「福岡は実家のある場所」としての意識が強いようです。

そして、小学校5年生から中学3年生までは北海道帯広市へ。

さらに中学3年生の終わりから高校卒業までは、北海道函館市で暮らしています。

函館の街並み
函館の街並み【出典:ANA

これらの転居はすべて父親の転勤によるもので、辻仁成さんにとっては転校と引っ越しが当たり前の日常だったようで、本人も「引っ越しばかりの子ども時代だった」と語っています。

大学進学後は東京に戻り、成城大学経済学部に入学。

成城大学
成城大学【出典:成城大学

しかし学業よりも音楽や文学の道に惹かれた辻仁成さんは、その後、ロックバンド活動を経て作家として頭角を現していきます。

そして2003年にはフランス・パリに拠点を移し、現在もパリ在住です。

パリの自宅での辻仁成
パリの自宅での辻仁成【出典:NHK

さて、「現在の実家」はどこなのかというと、本人の発言やメディア情報から、福岡県福岡市にあるとされています。

福岡市の街並み
福岡市の街並み【出典:アットホーム

2023年には福岡での公演が決まった際に、辻仁成さん自身が「実家のある福岡での追加公演が決まった。親孝行ライブじゃ!」とSNSで喜びの声を上げており、実家が福岡にあることを明かしていました。

インコちゃん
なお、実家には現在も母・辻恭子さんと弟の辻恒久さんが暮らしており、正確な住所はプライバシーの観点から公表されていませんが、福岡市内にあることは確かです。

辻仁成の3人の妻はどんな人だったの?

中山美穂との離婚でインタビューを受ける辻仁成
中山美穂との離婚でインタビューを受ける辻仁成【出典:デイリースポーツ

辻仁成は1人目の妻とは大学時代に結婚もスピード破局

辻仁成さんの最初の結婚は、辻仁成さんがまだ大学生だった20歳の頃のことです。

相手は一般女性で、成城大学時代に知り合ったとされており、写真家やカメラマンとして活動していた女性だといわれています。

この結婚は、いわゆる学生結婚で、若さゆえの勢いや恋愛感情が強く影響していた可能性がありますが、2人の結婚生活はわずか1年足らずで終わってしまいます。

なお、この1人目の妻との間には子どもはおらず、離婚後は互いに別々の道を歩んでいくことになります。

辻仁成の2人目の妻は女優・南果歩で子供は一人!

辻仁成さんの2人目の妻は、女優の南果歩(みなみかほ)さんです。

南果歩
南果歩【出典:ORICON NEWS

南果歩さんは1964年1月20日生まれで、映画やドラマ、舞台などで幅広く活躍している有名な俳優さんです。とくに、1992年のドラマ「眠れる森」や、2012年の朝ドラ「梅ちゃん先生」などに出演し、しっかりした演技力で多くのファンを獲得してきました。

「梅ちゃん先生」の南果歩(左から2番目)
「梅ちゃん先生」の南果歩(左から2番目)【出典:NHK

2人が結婚したのは1995年のことで、芸能界でも「文芸と芸能の美男美女カップル」として注目されました。

南果歩さんは女優としての表現力、辻仁成さんは小説家・音楽家としての感性を持ち、お互いに芸術を愛する者同士だったため、強く惹かれ合ったのかもしれません。

しかし、結婚生活は長くは続かず、2000年に離婚しています。

離婚の理由は公にはされていませんが、お互いの価値観の違いや仕事の忙しさが影響していたとも言われています。

それでも2人の間には男の子が1人います。

辻仁成の3人目の妻はどんな人?

辻仁成さんの3人目の妻は、女優であり歌手としても知られる中山美穂(なかやまみほ)さんです。

辻仁成と中山美穂
辻仁成と中山美穂【出典:スポニチアネックス

中山美穂さんは1970年3月1日生まれで、東京都小金井市の出身です。

中学時代に原宿でスカウトされたことがきっかけで芸能界入りし、1980年代から1990年代にかけてテレビドラマや映画、そして歌手活動で大きな人気を集めました。

代表作には、ドラマ『毎度おさわがせします』や『君の瞳に恋してる!』などがあり、歌手としても「世界中の誰よりきっと」「ただ泣きたくなるの」など、多くのヒット曲を出しています。

中山美穂の若い頃
中山美穂の若い頃【出典:KING RECORDS TODAY

その清楚で大人っぽいイメージは、男女問わず幅広い年代のファンを魅了してきました。

辻仁成さんと中山美穂さんが結婚したのは2002年のこと。

2人は映画『Love Letter』に関連する雑誌の対談で出会い、交際を始め、出会ってから8か月後にはスピード結婚を果たしました。

映画『Love Letter』
映画『Love Letter』【出典:Amazon

結婚後はパリに移住し、海外での生活を送りながらも、ときおり日本で話題になることもありました。

しかし、結婚生活は12年で終止符を打ち、2014年7月に正式に離婚が成立しています。

離婚後も中山美穂さんは芸能界で活躍を続けていましたが、2024年12月6日に亡くなられています。

宗じい
女優さん2人と結婚できるとは夢見たいじゃ

辻仁成の息子は2人!画家とフランスの大学に通う大学生!

辻仁成と南果歩の息子は画家として海外でも活躍!

南果歩さんとの間に生まれた息子の名前は、南依岐(みなみいぶき)さんといいます。

画家の南依岐
画家の南依岐【出典:PR TIMES

1995年9月生まれで、2025年5月時点では29歳になります。

南さんは、最初の夫で作家・アーティストの辻仁成氏との間にひとり息子がいる。辻氏と離婚した際、長男はまだ5歳だったが、南さんは幼子を抱えながら仕事をして、シングルマザーとして息子を育てあげた。

【引用元:AERA

南依岐さんは小さい頃から芸術の世界に興味を持ち、やがてアメリカ・サンフランシスコのアカデミー・オブ・アート大学に進学。

 

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そこで「美術学士(BFA)」の学位を取得しました。

現在は画家として活動していて、日本と海外の両方で個展を開くなど、アーティストとして注目を集めています。

南依岐さんの作品は、現代アートらしい自由で独特なスタイルが特徴で、見る人によってさまざまな印象を与えるのが魅力です。

親である辻仁成さんや南果歩さんから受け継いだ感性が、しっかりと息子にも表れているようです。

さらに、南依岐さんは23歳のときに、アメリカで出会った1歳年上の日本人女性と結婚しており、すでに1人の子どももいます。

つまり、辻仁成さんにとっては初孫ということになります。

辻仁成さんはブログなどでも南依岐さんのことをたびたび語っており、親子関係はとても良好なようです。

辻仁成と中山美穂の息子はフランスの大学に通い音楽の才能も!

辻仁成さんと中山美穂さんの間には、1人の男の子がいます。

名前は辻十斗(つじじゅうと)さんで、2004年にフランスで生まれました。

2025年には21歳となる年齢です。

両親が離婚した後、親権は父親である辻仁成さんが持つことになり、以降はフランスで父子2人の生活を続けてきました。

辻仁成と息子の十斗
辻仁成と息子の十斗

辻十斗さんは、現在フランスの国立大学に通っていて、専門性の高い分野を学んでいるそうです。

2人の出会いは2001年、雑誌の対談だった。中山さんを好きだった辻氏の第一声が「やっと会えたね」。このロマンチックな言葉から意気投合し、交際に発展した。翌02年に結婚、パリへ移住。04年に長男・十斗(じゅうと)さんが誕生した。だが、14年に離婚。中山さんは日本、辻氏はパリで十斗さんと生活を送ってきた。離婚は中山さんが切り出し、辻氏が出した条件が「親権を渡すこと」だった。

【引用元:スポニチ

具体的な学科は明かされていませんが、本人が「大きな街を創造する仕事に就きたい」と語っていることから、都市設計やインフラ関連のデザイン、もしくは建築や土木工学に近い分野を学んでいるのではないかと考えられます。

また、辻十斗さんは音楽の才能にも恵まれており、日本のレコード会社からオファーを受けるほどの実力があるとも言われています。

辻仁成の息子(辻十斗)
辻仁成の息子(辻十斗)

それでも本人は、「30歳までは勉強に集中したい」「音楽は趣味として続ける」と話しており、非常にしっかりとした価値観を持っていることがわかります。

辻仁成さんは息子との日々の様子をブログやSNSでたびたび発信しており、その中で息子が作る料理の腕前を褒めるなど、親子の関係はとても良好なようです。

 

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辻仁成のプロフィールや経歴

  • 名前:辻仁成(本名と作家活動時:つじひとなり/映画監督並びに歌手活動時:つじじんせい)
  • 生年月日:1959年10月4日
  • 身長:165cm
  • 血液型:A
  • 出身地:東京都南多摩郡日野町(現在の日野市)
  • 学歴:福岡市立西高宮小学校→帯広市立帯広小学校→帯広市立帯広第一中学校→函館市立潮見中学校→函館西高等学校→成城大学経済学部(中退)

 

辻仁成さんは、1959年10月4日生まれの東京都日野市出身で、日本を代表する作家、ミュージシャン、映画監督、演出家、画家としてマルチに活躍する人物です。

辻仁成
辻仁成【出典:デイリー

少年時代は父親の転勤に伴い、福岡、帯広、函館などを転々とし、高校は北海道の函館西高等学校に進学。

函館西高等学校
函館西高等学校【出典:函館新聞デジタル

大学は成城大学経済学部に入学するも中退しています。

音楽活動は1985年、ロックバンド「ECHOES」のボーカルとしてスタートし、1989年には小説『ピアニシモ』で第13回すばる文学賞を受賞し作家デビュー。

「ECHOES」の辻仁成(右)
「ECHOES」の辻仁成(右)【出典:Sony Music

その後も『海峡の光』で芥川賞、『白仏』でフランスのフェミナ賞外国小説賞を受賞するなど、国内外で高く評価されます。

辻仁成の芥川賞受賞作『海峡の光』
辻仁成の芥川賞受賞作『海峡の光』【出典:Amazon

2003年にはフランスに移住し、創作拠点をパリに置きながら、音楽や文学、映画、アートの分野で活躍し続けています。

私生活では3度の結婚と離婚を経験し、女優の南果歩さんとの間に画家の南依岐さん、中山美穂さんとの間に音楽にも通じる息子・辻十斗さんがいます。

YouTubeやラジオ、ウェブメディアの運営も手がけるなど、60代に入ってもその創作意欲は衰えず、精力的に活動を続けています。

辻仁成まとめ

辻仁成
辻仁成【出典:スポーツ報知

辻仁成さんは、作家・ミュージシャンとしてだけでなく、非常に豊かな家系の出身としても知られています。

父・辻信一さんは大手生命保険会社のエリート社員で、社長候補とまで言われた人物。

一方、母・辻恭子さんは才色兼備で弁論大会の代表やポスターのモデルも務めたことがある人物です。

母方の祖父・今村豊さんは発明家であり、地域産業と信仰の世界に貢献した人物で、祖母やいとこの英子さん、童話作家の東君平さん、将棋記者の東公平さんなど、親族にも文化人が多く並びます。

辻仁成さんには弟の辻恒久さんもおり、陶芸家として活動しつつ、現在は母とともに福岡で暮らしています。

辻仁成さんは3度の結婚歴があり、南果歩さんとの間に画家として活躍する長男・南依岐さん、中山美穂さんとの間にはフランスで育った大学生の辻十斗さんがいます。

親族や家族の豊かな才能と支えが、辻仁成さんの多才な表現活動を形作っているのかもしれません。



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