田村真子の家族構成や生い立ち!母親はアナウンサーで画像は?父親は政治家!兄弟はいる?

田村真子のアイキャッチ画像

この記事では、アナウンサーの田村真子さんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介していきたいと思います。

田村真子さんの家族との関係や、幼少期や学生時代のエピソードをたっぷりとお届けします。

田村真子さんの父親、母親、祖父がどんな人かや兄弟の有無なども調べてみました。

インコちゃん
この記事では、そんな田村真子さんとその家族にスポットライトを当ててみました!
宗じい
田村真子ちゃんは朝の癒しじゃ!ワシの飼ってるインコちゃんと共に面白い記事をお届けします。

田村真子の家族構成!父親と母親の3人家族

田村真子さんの家族構成は「父親・母親・本人」の3人です。

父親:田村憲久。政治家で元厚労大臣。料理とゲームが得意。
母親:田村圭子。元アナウンサーと言われている。娘の身の回りの世話をすることも
長女:田村真子本人

 

また、田村真子さんの「祖父」はどんな方なのでしょうか?

祖父(父方):日本土健株式会社元会長でケーブルテレビ会社を設立。

 

インコちゃん
ひとまず、田村真子さんの家族構成がわかりましたね!家族を深掘りするためにも、まずは田村真子さんの生い立ちを見ていきましょう。
宗じい
田村真子さんがどんな幼少期を送って来たのか気になるのぉ〜。

田村真子の生い立ちや学歴!小学生のときの夢を叶えた努力家!

田村真子の2歳頃【出典:Smart FLASH】
田村真子の生後6ヶ月【出典:Smart FLASH
  • 名前(本名):田村真子たむらまこ
  • 生年月日:1996年(平成8年)2月3
  • 身長:154㎝
  • 体重:40kg前半
  • 血液型:AB型
  • 出身地:三重県松阪市
  • 学歴:三重県松阪市立幸小学校→高田中学校(偏差値62)→高田高校(偏差値50〜64)→上智大学文学部新聞学科(偏差値62.5)

田村真子の幼少期は毛量が多いイタズラ好き!?兄弟はおらず!

田村真子さんは1996年2月3日に三重県松阪市で生まれました。

兄弟はおらず一人っ子です。

生まれた時から髪の毛がとても多く、赤ちゃんの頃は髪の毛がしっかりしていて、髪の毛が寝てくれなかったため、髪の毛が立った状態のままでしばらく過ごしていたそうで、田村真子さんは現在でもその毛量は多いままだと述べています。

「三重県で生まれました。生まれたときから髪の毛がしっかりしている赤ちゃんで、髪の毛が寝てくれずにしばらくこんな頭だったようです。今でも髪の毛は多いです」(田村アナ)

【引用元:Smart FLASH

田村真子の幼少期【出典:Smart FLASH】
田村真子の2歳【出典:Smart FLASH

田村真子さんは、幼少期、いたずら好きだったそうで、母親の化粧用クリームを口のまわりに塗ってしまったことがあるそうです。

また、悪気はなく、冷蔵庫の裏に小銭を入れるといったいたずらもしていたとのことです。

「いたずら好きの幼少時代。母の化粧用のクリームを口のまわりに塗ってしまった写真です。このころ冷蔵庫の背面に小銭を入れたりと悪気なくいたずらをしていました(笑)」

【引用元:Smart FLASH

宗じい
冷蔵庫の裏に小銭を入れるいたずらはお金好きの宗じいは困るのぉ

田村真子の小学生時代はアナウンサーに憧れ!?

田村真子さんは2002年4月に松阪市立幸小学校に入学し、小学校3年生の頃、アナウンサーという職業に漠然とした憧れを抱くようになりました。

田村真子さんはその頃、自分がアナウンサーになりたいという夢を口にしていたのですが、成長するにつれ、実現が難しいのではないかと感じるようになり、その夢は一度心の中で消えてしまったそうです。

「私は最初にアナウンサーになりたいと言ったのは小3くらいの時で、でも現実的に目指すのが難しいのかもと思い始め、その夢はいつしか消えていきました。ただずっと憧れの仕事ではあったんですよね」

【引用元:emmary.jp

それでも、アナウンサーという仕事への憧れはずっと持ち続けていました。

田村真子の小学生時代は人生で一番緊張した英検3級!

田村真子さんは人生で一番緊張した出来事として、英検3級の受験を挙げています。

田村真子さんが受験した英検3級は面接があり、英語でのやり取りをしなければならなかったため、非常に緊張したそうです。

その時、緊張しすぎて胃液が逆流してくるような気持ちになり、気分が悪くなるほどの緊張感を味わったというエピソードを語っています。

田村アナが一番人生で緊張したのは、「小学生の頃に、英検の3級を受けに行ったんですよ」と、十数年前の英検受験だったそうで、「3級から面接があって。英語で受け答えしなければいけない。それで緊張しすぎて、ずーーっと胃(液)が逆流してくる、逆流してくるって言ってたくらい、気持ち悪かった記憶がありますね」と語る。

【引用元:livwdoor News

このように大きなプレッシャーを感じながらも、無事にその英検3級に合格しました。

宗じい
小学校で英検3級合格の時点で、人生上がりじゃわい!

田村真子の中学時代はのびのび過ごしていた!?

田村真子さんは2008年4月に三重県津市にある私立の高田中学校に入学しました。

宗じい
なんか公立みたいな名前の私立じゃな

この学校には田村真子さんは中学受験をして入学しています。

ア) 大学に入る以前で、メディアや社会について関心を持ったきっかけについてお伺いしたいです。

確かに……。私は、中学受験をしたんですけれど、昔から時事問題が得意でだんだん興味が湧くようになったっていうのはあるかもしれないですね。テレビばかり見ていたのもあるかも……。

【引用元:アリオーゾweb

高田中学校は中高一貫校で、三重県ではトップレベルの進学校として知られています。

田村真子の中学卒業旅行【出典:Smart FLASH】
田村真子の中学修学旅行【出典:Smart FLASH

田村真子さんは中学の修学旅行で広島・山口に行ったそうで、クラスメイトとUNOをして盛り上がったそうで、その時の写真が残っています。

中3、修学旅行は広島・山口へ。「新幹線で撮った写真です。クラスメイトとUNOをして盛り上がりました。中高一貫校で高校受験がなかったので、いちばんのびのびと過ごしていた時期で楽しい思い出しかないです(笑)」

【引用元:Smart FLASH

宗じい
中学の時にはもう顔が完成しとるやないか!美少女じゃ!

田村真子の高校時代は仏陀の教えのもと生活!?

田村真子さんは、2011年4月に高田高校に入学しました。

インコちゃん
この高田高校は1872年に開校された歴史のある仏教系の伝統校で、馬術部や卓球部が特に強いことで有名です

田村真子さんは、高校は内部進学をしているため、中学から高校までの6年間をこの仏教系の学校で過ごし、仏陀の教えのもとで生活していたとのことです。

しかし、仏教精神が現在の田村真子さんにどれほど影響を与えているかはご本人も疑問に感じているようですが、寺巡りは今でも好きだと話しています。

また、数学オリンピックに出るような先輩もいれば、お笑いコンテストや「探偵ナイトスクープ」(朝日放送)に出る同級生がいたり、とてもバラエティ豊かな学校であったと振り返っています。

では実際、学生時代の私はどんな人間だったのか、私は生まれてから大学入学のために上京するまでの18年間を、三重県で過ごしました。中高は仏教系の一貫校で過ごし、仏陀の教えの下で6年間を過ごしました。まぁ仏教精神が今の私に根づいているかは謎ですが、寺巡りは今でも好きです。我が母校はユニークな学生が多く、本当に楽しい6年を過ごしました。数学オリンピックに出るような先輩もいれば、お笑いコンテストや『探偵ナイトスクープ』(朝日放送)に出る同級生がいたり、とてもバラエティ豊かでした。

【引用元:クイックジャパンWeb

田村真子の高校時代は勉強中心のハードな生活!

高田高校には3つのコースがあり、Ⅱ類特別進学、Ⅱ類進学、Ⅰ類進学が設置されていますが、田村真子さんがどのコースに在籍していたかは明らかにされていません。

ただし、周囲には医学部を目指す優秀な理系の同級生が多かったと語っており、その中で田村真子さんは学年順位が「真ん中ぐらい」という位置にいることが多かったそうです。

成績優秀者としてのポジションにはつけず、難関校の指定校推薦を諦め、一般受験に挑戦することを決意しています。

基本的に理系の人数が多く医学部などを目指す優秀な同級生がたくさんいて、その中で私は万年「真ん中ぐらい」という学年順位を抜け出せませんでした。優等生というポジションにはつけなかったわけです。難関校の指定校推薦を狙うにしても高い評定を取るのは難しく、そもそもそんな評定を取れる実力があるならもっといい大学に受かるじゃん!ということであきらめ、一般受験でがんばることに。

【引用元:クイックジャパンWeb

そして高校生活は、学校が終わったら塾の自習室に行き、勉強しつつ友達とご飯を食べつつ居眠りしながら、また勉強して家に帰りまたご飯を食べて寝るというハードな生活だったと明かしています。

インコちゃん
何かご飯の回数多いような・・

あまり勉強が好きではなかったそうで、ストレスで胃が痛くなったり、受験に対して不安を感じ泣きそうになることもあったようです。

高校生になってからは、学校が終わったら塾の自習室に行き勉強しつつ友達とご飯を食べつつ居眠りしながらまた勉強して家に帰りまたご飯を食べて就寝するという生活でした。今思うと若いとはいえけっこうハードな生活です。座り続けるって疲れますもん。まぁ私は居眠りしてしまってましたが……勉強が好きなわけでもなかったので、もちろんストレスもあります。よく胃も痛くなったし、一発勝負の受験、もしかしたらどこも受からないのではないかと絶望し、塾で半泣きになったことも。今思い出すと、大変だけどなぜかすごく楽しい学生生活でした。気の合う楽しい友達に毎日会えるというのは何にも勝る幸福なのだなと、大学までの学生生活を思い出すとひしひしと感じます。

【引用元:クイックジャパンWeb

田村真子の高校時代は女子校っぽい生活!?

田村真子さんが通った高田高校は、男子の数が女子よりも多かったですが、なぜか「女子校出身っぽい」と言われることもあったそうです。

当然、男子との関わりも多く、文化祭の準備中に男子たちがふざけている姿に対して「ちょっと男子!」といら立つような経験もあったとのことです。

そういった経験から、男子校のような雰囲気に慣れていたとも述べています。

私はよく女子校出身の子から「女子校っぽい」と言われることもあるのですが、母校は男子の数が女子よりもかなり多い学校でした。でもその中でも比較的自由に女の子たちとふざけ騒いだ学生生活だったので、そう見えるのでしょうか。……というか6年間も一緒だと、男子のことを良くも悪くも意識しなくなるんですよね。文化祭の準備中にふざけまくる男子に「ちょっと男子~!(怒)」とイラついた記憶はあります(笑)。そういう点では男子校のような水曜の空気は当時から慣れっこだったのかもしれません。

【引用元:クイックジャパンWeb

宗じい
ワシも真子ちゃんに怒られてみたかったわい。。。同級生の男子、羨ましすぎる!

田村真子の高校時代は「情熱大陸ごっこ」にハマる!?

高校生活の中では、友達と「情熱大陸ごっこ」という遊びにハマっていた時期もあったそうです。

この遊びは、学内での行動にいちいち『情熱大陸』風のナレーションをつけるというもので、まさに高校生ならではのくだらない遊びだったとインタビューで振り返っています。

田村真子さんはその遊びを通じて友達とたくさん笑い合い、思い出を作っていました。

私のまわりには楽しい友達がたくさんいました。6年間もあるのでどの時期を切り取るかというところはあるのですが、覚えているところだと『情熱大陸』遊びにハマっていた時期がありました。学内での行動にいちいち『情熱大陸』っぽいかっこいいナレーションをつけていくというものです。いかにも学生っぽい、くだらない遊びですよね(笑)。でも高校生なんて箸が転んでもおかしい年頃というじゃないですか。だから本当におもしろかったんです!

【引用元:クイックジャパンWeb

また、そのエピソードが他のクラスの女の子の母親にまで伝わり、いまだに「『情熱大陸』に出たがっていた真子ちゃん」として認識されているそうです。

恥ずかしいのは、このブームの渦中にいた私たちは『情熱大陸』に出たくて仕方がなかったわけです。朝の電車でその話をしていたときに、ちょうど別のクラスの女の子がいて、それがおもしろかったのかその話を自分のお母さんに話したそうで。だからいまだに私はその子のお母さんの中で「『情熱大陸』に出たがっていた真子ちゃん」として認識されています。

【引用元:クイックジャパンWeb

このように、田村真子さんの学生生活は、学業に励みながらも友人たちと楽しい時間を過ごしていたようです。

宗じい
宗じいとは正反対のキラキラした学生生活じゃ。。

田村真子の大学時代は議員宿舎から徒歩5分通学!?

田村真子さんは、2014年4月に上智大学文学部新聞学科に入学しました。

しかし、第一志望は慶応義塾大学で、こちらの受験に失敗したため、上智大学に進学したという経緯があります。

後に番組内で、田村真子さん自身が「すいません、なんか。わたしは慶応落ちたんですけど、いろいろ思い出しちゃって」と、当時の不合格体験について正直に話しています。

「すいません、なんか。わたしは慶応落ちたんですけど、いろいろ思い出しちゃって」と、自身の不合格体験を告白したのだ。ちなみに、田村アナは上智大学文学部新聞学科卒の才媛だ。

【引用元:livedoor News

田村真子さんの父親は自民党の田村憲久前厚生労働大臣で、伯父には衆議院議長を務めた田村元氏という政治家がいます。

こうした家庭環境もあり、大学時代は上智大学まで徒歩5分の東京の議員宿舎から通学していたことが報道されています。

「田村アナは父が自民党の田村憲久前厚労相、伯父は衆院議長まで務めた田村元氏という政治家一家の娘。高校まで三重県で過ごした田村アナは、大学時代は東京の議員宿舎から通学していたそうです」(女子アナウォッチャー)

【引用元:Smart FLASH

宗じい
大学まで徒歩5分とは、めっちゃ近いやないかい!遅刻の心配がなくてええの〜

田村真子の大学時代は茶道部!裏千家の上級資格者!

田村真子さんは大学時代には茶道部に所属していたそうです。

ア)部活動は茶道部だったということですが、どうして茶道部に入ろうと思われたんですか?

昔から茶道が好きで興味があって、ちゃんと習いたいなって思っていたので。「 茶道部いいかな」と思って。それで体験にも行ってみて、他の同期の子たちも結構気の合う子が多かったので、それで入りました。

【引用元:アリオーゾweb

そのため、茶道裏千家の上級資格も取得しているようです。

田村真子の大学時代はインターンがきっかけでアナウンサーへ

田村真子さんは子どものころからアナウンサーに憧れていたものの、現実的には別の職業を考えていた時期もあったそうです。

子どものころからアナウンサーに憧れはあったが、アナウンサーを目指したのは採用試験の直前、大学3年生の時だった。「小学生のころ、アヤパン(高島彩)さんが全盛期で、キラキラしたアナウンサーに憧れていたのですけど、だんだん現実を見るようになって諦めて。不動産関連の会社とか博物館の学芸員さんとか面白そうとか考えてました」。

【引用元:日刊スポーツ

しかし、大学3年生の夏に参加したインターンシップが大きな転機となります。

このインターンシップでは、情報番組の制作現場を体験し、そこでアナウンサーの仕事を目の当たりにしたそうです。

そこでアナウンサーが原稿を読む姿や声で表現する仕事に強く感銘を受け、この時に「アナウンサーになってみたい」という気持ちが芽生えたと語っています。

「ちゃんと試験を受けてみようと思ったのは大学3年生の夏です。メディア系の学科に入っていたので、周りもテレビ局志望の子が多かったこともひとつの理由だと思います。その学科に入っていると、インターンとして2週間テレビ局に行くことができたんです。もともとテレビや報道に興味があって、その頃は記者を目指していました。でも、インターンに参加して、アナウンサーのお仕事や原稿を読む姿を間近で見てみると、今まで思っていたアナウンサー像とは違ったんですよね。声で表現することのすごさを目の当たりにして、アナウンサーを目指してみようと思いました!」

【引用元:emmary.jp

そのため、田村真子さんが本格的にアナウンサーを目指したのは、大学3年生の夏以降で、アナウンサーを目指すには少し遅いスタートでしたが、アナウンススクールにも通わず、独力で準備を進めたようです。

そのため、田村真子さん自身も「記念受験」と思っていたほど、あまり合格を期待していなかったそうです。

転機となったのは大学3年の夏、インターンで情報番組のADなどを経験したことだった。「アナウンサーの仕事を間近で見て受けてみようかなって。でも、アナウンサーになれるとは思ってなくて、記念受験みたいな感じでした」と振り返る。

【引用元:日刊スポーツ

それでも、田村真子さんは2018年にTBSのアナウンサー試験に合格し、TBSに入社します。

田村真子の大学卒業後はTBSにアナウンサーとして朝の顔に!

田村真子さんは、2018年に大学を卒業し、その後TBSにアナウンサーとして入社しました。

入社後すぐに、情報番組「はやドキ!」に出演することになり、早くから注目を集める存在となりますが、特に、朝の情報番組「ラヴィット!」に抜擢されたことで、田村真子さんの名前は広く知られるようになりました。

情報番組だけでなく、旅番組やバラエティ番組などさまざまな番組にも出演し、アナウンサーとしてのキャリアを順調に積み上げています。

インコちゃん
ここからは、田村真子さんの家族がどんな人なのかをそれぞれご紹介します。

宗じい
真子ちゃんは美人な上に努力家で小学生の時の夢を叶えてアナウンサーになって、かっこいいのう!

田村真子の父親は政治家の田村憲久!料理上手でゲーマー?

田村真子 父親

田村真子の父親は元厚生労働大臣の田村憲久!

田村真子さんの父親は、田村憲久さんで、1964年12月15日生まれの、59歳(2024年11月現在)です。

田村真子さんの父親の田村憲久さんは、自由民主党に所属し、厚生労働大臣を務めたこともある政治家で、10期当選(2024年11月現在)しているベテランです。

田村憲久さんは、三重県松阪市の出身で、田村真子さんと同じ地元の松阪市立幸小学校、そして私立の高田中学校に通います。

そして三重県立松阪高等学校を経て、千葉大学法経学部経済学科を卒業しました。

大学卒業後の1988年に「日本土建株式会社」という建設会社に入社していますが、この会社は田村憲久さんの父親、つまり田村真子さんの祖父である田村憲司さんが社長や会長を勤めた会社です。

田村真子の父親は元厚生労働大臣の田村憲久!

日本土建株式会社で会社勤めをしていましたが、親族が政治家1994年からは、憲久さんの伯父であり衆議院議員の田村元さんの秘書として働き、政治の現場で経験を積んでいきました。

1996年、田村元さんが引退するタイミングで、その後継者として田村憲久さんが三重4区から衆議院議員選挙に立候補し、見事当選を果たします。

32歳での初当選で、このときから国会議員としてのキャリアをスタートさせました。

田村真子さんは、このように著名な政治家を父に持つことにプレッシャーを感じているようで、2018年にTBSのバラエティ番組「爆笑!さんまのご長寿グランプリ2018」に出演した際にも、父親が有名であることからの重圧を告白しています。

特に、父の名前が肩書きとして紹介されることがあり、それに対して少なからずプレッシャーを感じる瞬間があると話していました。

TBSの田村真子アナウンサーが29日、同局系「爆笑!さんまのご長寿グランプリ2018」に出演し、父親が元厚生労働大臣の田村憲久氏であることから、「プレッシャーを感じる」と明かした。 番組では「ご長寿と若者 熱海の夜」と題したコーナーを設け、若者がご長寿さんに悩み相談を持ちかけた。同コーナーにTBS新人アナウンサーの良原安美、田村真子、宇賀神メグ、小林広輝が出演。田村アナは「父が著名人で…」と相談。「以前、厚生労働大臣をやらせていただいて。父の名前が肩書として。すこしそれにプレッシャーを感じてしまったり」と父親が自民党の田村憲久衆院議員(三重1区)で、重圧があることを明かした。

【引用元:デイリー

宗じい
父親が有名すぎると、自分自身よりも注目されてしまうこともあるからのう〜。きっと真子ちゃんはお父さんの肩書きに負けないように人一倍努力しておるんじゃろな!

田村真子の父親はゲーマーで仲良し家族!

国会議員として忙しい日々を送る田村憲久さんは、東京で仕事をしながら、週末だけ地元の三重県に帰るという単身赴任のような生活を続けていたそうです。

そのため、育児にはあまり時間を割くことができず、「育児にあまり携われなかった」と後にコメントしています。

しかし、田村真子さんと父親の絆は強く、実家で一緒に過ごすときには、田村真子さんと両親の3人で「川の字」になって仲良く寝ることもあったそうです。

横手 その時のインタビューで、田村大臣は地元に帰ると、家族との時間を大切に過ごし、お嬢様と親子3人川の字で寝ているとお話されていました。

田村 そんなことまで話していましたか(笑)。ちょっと恥ずかしいですね。

【引用元:ちばだいプレス

また、田村真子さんは幼いころ、家族で一緒にゲームをして遊ぶことが楽しかったと語っており、その中でも特に「マリオカート」を両親と楽しんでいたそうです。

父親の田村憲久さんはゲームが好きで、とても上手だったとのことです。

両親とは大の仲よし。実家にいるときはよく一緒にゲームをして遊んだという。

「中高が隣町の学校で、あまり友達と家で遊ぶ機会がなかったんです。なので、家にいるときは、両親と『マリオカート』で対戦していました。父がゲーム好きで、すごくうまかったですね。

【引用元:Smart FLASH

宗じい
羨ましいのう。。。ワシも真子ちゃんとマリオカートで遊びたいわい。。。

田村真子の父親は料理が得意で気さくな人!

田村真子さんが大学生になり、東京の議員宿舎で父親の田村憲久さんと2人で暮らすようになったときには、父親の田村憲久さんが田村真子さんのためにお弁当を作ってあげていたとのことです。

大学時代は議員宿舎で父と2人暮らし、弁当も父親が作っていた。

【引用元:週刊現代

また、中華料理のムースーローを作ってくれたり、スパゲッティのナポリタンもよく作ってくれたとのことです。

そして、家で過ごす際の田村憲久さんは、普段の政治家としての厳格なイメージとは異なり、バラエティ番組を一緒に観て笑い合ったり、冗談を言い合ったりと、気さくな一面もあることを田村真子さんがインタビューで明かしています。

え、家での父ですか? お堅いというよりは一緒にバラエティ番組を観て笑ったり、冗談を言い合ったり、たわいもない話をして盛り上がったのをよく覚えています。

【引用元:Smart FLASH

田村真子さんはそのような日常の思い出を大切にしており、親子の関係はとても良好だったことがわかります。

2021年から田村真子さんが朝のバラエティ番組のレギュラーに決まったときも、父親である田村憲久さんに報告したところ、「そうか、しっかり頑張れ」という短い言葉でエールを送ってくれたそうです。

情報番組「グッとラック!」(月~金曜、前8・00)の後番組として3月29日からスタートするバラエティー「ラヴィット!」のMCに抜てきされた同局の田村真子アナウンサー(25)が司会を務め、新たな朝の顔になることについて「最初にお話をいただいたときは驚きましたし、大丈夫なのかとも思いましたが、ありがたいこと。ご期待に応えられるように頑張っていきたいと思います」と意気込み。父の田村憲久厚生労働大臣(56)に出演を伝えると「そうか、しっかり頑張れ」とエールを送られたという。

【引用元:デイリー

インコちゃん
親子としての信頼関係がしっかりと築かれていて素敵ですね
宗じい
なんか厳しそうな政治家というより、ただのめっちゃいいお父さんじゃの〜!

田村真子の母親はアナウンサーで画像は?名前は圭子!

田村真子 母親

田村真子の母親は田村圭子で元アナウンサー!かなりの美人!

田村真子さんの母親は、田村圭子さんで、1969年生まれで年齢は55歳前後(2024年現在)です。

田村真子さんの母親の田村圭子さんは、かつて三重県、滋賀県、和歌山県を放送エリアとするケーブルテレビ局「ZTV」でアナウンサーをしていたと言われています。

なおZTVは、下述しますが、三重県を拠点とするケーブルテレビ局で、田村真子さんの祖父にあたる田村憲司さんが立ち上げた会社です。

宗じい
女子アナ博士の宗じいも田村圭子さんは知らんかったのぉ

田村真子の母親は政治家の妻と子育てで大忙しもきっちりとした人!

田村真子さんが生まれたのが1996年2月3日で、父親の田村憲久さんが第41回衆議院議員総選挙に出馬し、初当選を果たしたのが約8ヶ月後の1996年10月20日です。

田村圭子さんはそんな中、東京で国会議員として活躍する旦那を地元の三重県で支えていました。

インコちゃん
現在も田村憲久さんが選挙の際には田村圭子さんも街宣車に乗ったり、挨拶回りをしているようです。

そのため、田村真子さんの母親は、田村憲久さんの政治家としての活動を支え、さらに子育てもしており、当時は大変だったのかもしれません。

なお、田村真子さんの母親は、きっちりした人のようで、娘に派手なふるまいなどをさせないようにしていたようです。

評判というのはすぐ聞こえてくるものですが、チャラチャラしているという類の話は耳に入ってこなかったし、派手な格好をしているという印象もない。それこそ制服姿しか覚えていません。母親の圭子さんの性格からしても派手なふるまいはさせないでしょう

【引用元:週刊現代

田村真子の母親は田村真子と仲良しで身の回りの世話をすることも!

田村真子さんの母親は、旦那・田村憲久さんの式典に出席し、スピーチをするなど、田村憲久さんの政治家としての活動を支えています。

ただ、東京に出向き娘の家の掃除など身の回りの世話を行うこともあるそうで、母と娘の仲もとても良いことがうかがえます。

母がたまに来てくれて掃除だったりいろいろお世話になることもありますが……。母の家事力には尊敬しかないですね(笑)

【引用元:Smart FLASH

インコちゃん
子育てをしながら政治家の妻として活躍するなんて、凄すぎますね!
宗じい
こんなに美人で家事もできて、政治家の妻としても完璧じゃと真子ちゃんにとっても自慢のお母さんじゃろうのう〜

田村真子の祖父は日本土健の会長でケーブルテレビの立ち上げも!

田村真子の祖父は田村憲司で日本土健株式会社で名誉会長だった!

田村真子さんの父方の祖父は田村憲司たむらけんしさんで、2021年に他界されていますが、三重県で非常に有名な実業家です。

田村憲司【出典:三重ふるさと新聞】
田村憲司【出典:三重ふるさと新聞

1931年生まれの田村憲司さんは、中央大学の法学部を卒業した後、地元三重県の建設会社「日本土健株式会社」に就職しました。

インコちゃん
この会社は総合建設業を営む企業で、建設や土木、住宅、不動産など幅広い事業を展開しています

田村憲司さんは、日本土健株式会社でキャリアを積み重ね、社長に就任し、その後も会長、さらには名誉会長として長年会社に貢献し続けてきました。

宗じい
田村真子ちゃんの先祖凄すぎるの・・・

田村真子の祖父はケーブルテレビ会社も立ち上げ!

田村憲司さんは1990年にケーブルテレビ会社「株式会社ZTV」を立ち上げました。

インコちゃん
この会社は元々「津ケーブルテレビ」という名前で、三重県、和歌山県、滋賀県のエリアでテレビ放送やインターネット回線の提供を行っています

現在のZTVは、田村憲司さんの甥である田村欣也さんが社長を務めていますが、もともとは田村憲司さんの手によって設立されました。

田村憲司さんの仕事は建設業やケーブルテレビ業だけにとどまらず、三重県の地域経済の発展にも深く関わっています。

例えば、津商工会議所の会頭三重県商工会議所連合会の会長といった要職にもついており、地域の商業発展をサポートする活動を続けています。

また、三重県建設業協会の顧問としても活躍しており、建設業界全体の発展にも力を入れていました。

インコちゃん
田村真子さんの家族や親戚の多くが政治や経済の分野で成功していることから、田村真子さんも周りの人々に大きな影響を受けて育ったのかもしれませんね
宗じい
真子ちゃんの田村一族はすごい家系で、真子ちゃんは生粋のお嬢様なんじゃの〜。金も名誉もないワシとは全く縁のない世界じゃ。。。

田村真子の家族構成まとめ

 

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家族構成 説明
父親(田村憲久) 政治家。元厚生労働大臣で、自民党所属の衆議院議員。家庭では気さくで優しい性格で、娘の田村真子とはゲームをして遊ぶ仲良しの父親。料理が得意で、ナポリタンなどをよく作る。
母親 元アナウンサーで、三重県のケーブルテレビ「ZTV」で活動していたとされる。政治家の夫を支えつつ、子育ても担い、家庭内では頼れる存在。
長女(田村真子) 1996年2月3日生まれ。三重県出身のTBSアナウンサー
祖父(父方) 田村憲司。三重県で有名な実業家。日本土健株式会社でキャリアを積み、社長や会長を務め、1990年にはケーブルテレビ会社「ZTV」を設立。さらに、津商工会議所会頭や三重県商工会議所連合会の会長として地域経済の発展にも大きく貢献。



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