今回は、格闘技のリングでその名を轟かせる武尊さんの家族構成や、武尊さんの歩んできた道について深堀りしていきたいと思います。
武尊さんの生い立ちから現在に至るまでのご家族のエピソードや、武尊さんがどのようにして格闘技の世界に足を踏み入れたのか、その背景にある家族の支えや影響に焦点を当てています。
武尊さんのサクセスストーリーを一緒に見ていきましょう。
目次
武尊の家族構成!父親・母親・姉・妹の5人家族
武尊の家族構成は「父親・母親・姉・本人・妹」の5人です。
母親:元暴走族の武闘派
長女:弟想いで面倒見が良い
長男:武尊本人
次女:3歳年下で仲が良い
武尊の生い立ちや学歴!中学時代は13人の彼女がいた!?
- 名前:武尊
- 本名:世川 武尊
- 生年月日:1991年7月29日
- 身長:168㎝
- 体重:61 kg
- 血液型:AB型
- 出身地:鳥取県米子市
- 学歴:弓ヶ浜小学校→米子市立弓ヶ浜中学校→鳥取県立境港総合技術高等学校の福祉科 (偏差値42)→3カ月で退学→通信制の星槎国際高校
武尊の幼少期〜小学生:空手の指導者に踏み潰されていた!?
武尊さんは1991年7月29日に鳥取県米子市で生まれました。
幼い頃から、武尊さんの父親が大のプロレスファンだったため、プロレスを見る環境で育ちました。
1998年に弓ヶ浜小学校に入学し、小学2年生の頃に『K-1 ワールドグランプリ』を観て、空手着を着たアンディ・フグの姿に魅了された武尊さんは、それをきっかけに空手を始めることを決意しました。
「空手を始めれば、自分も魅力的な舞台で戦えるかもしれないし、K-1に出場することも夢ではないかもしれない」と考えた武尊さんは、その思いをすぐに両親に伝え、「空手を習いたい」と申し出ました。
本名であり、リングネームの「武尊」は、歴史好きだった父親によって「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」に因んで名付けられたのです。
ヤマトタケル(景行天皇12年 – 景行天皇41年)は、記紀などに伝わる古代日本の皇族(王族)。 『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。
また、武尊さんが空手を始めたころ、安井博美さんという非常に厳しい指導者のもとで練習を行っており、幼い武尊さんにとっては恐怖の対象でした。
武尊さんが倒れても上から容赦なく踏み潰してくるほどの、スパルタな練習だったようです。
「組み手で、僕が唸るくらい先生が倒しにかかってくるんです。僕が倒れても上から容赦なく踏み潰してきて。僕、その時小2ですよ(笑)。踏まれながら、わんわん泣いてましたね。でも、僕は絶対『参った』って言わなかったんです。悔しかったから言いたくなくて。だから結局、いつもみんなからボコボコにされてました(笑)」
引用元:現代ビジネス
練習が辛く、毎回練習場に向かう車中で「行きたくない」と泣いていたといいますが、それでも週3回の練習を欠かさずに続けたようです。
武尊の中学〜高校時代:中学時代に13人の彼女がいた!?
2004年4月に米子市立弓ヶ浜中学校に進学すると、武尊さんは髪を明るく染め、左耳にピアスを開けるなど、少し反抗期を迎えたようですが、空手の練習はしっかりと続けていました。
中学生になると、武尊は髪を明るく染め、左耳にピアスの穴を開けた。スウェットの上下にサンダルを突っ掛け、小さな肩を大きく揺らしながら夜道を歩くようになった。「田舎って不良がモテるんですよ。悪いことをすればカッコいい。だから、バンドとかカッコいいと思われることを全部やりました。実際、そこそこモテてたと思います(笑)。それでも空手だけは休まず続けました。髪を染めた時とピアスを開けた時は、安井先生にものすごく怒られましたけどね」
引用元:現代ビジネス
中学時代は「不良がモテる」という環境の中、バンド活動も行い、ギターを担当していました。
中学時代が一番モテ期だったという武尊さんは、なんと13人と付き合ったと述べています。
しかし、卒業前には元カノたちに呼び出され、謝罪を求められ、1人1人に土下座をするという一幕もあったようです。
でも、付き合ったらそれで自分の中でゴールになっちゃって。同じ学年で付き合ったり別れたりを繰り返したら“被害者同盟”が組まれて……」と経緯を説明。数々の女性と付き合った武尊は卒業のとき元カノ軍団に神社に呼ばれ、謝罪を求められ、1人1人土下座をして謝ったという。
引用元:AMEBA
武尊さんは中学3年生の時に進路を考え、格闘家の他に保育士になることも考えていました。
そのため、ボクシング部があり、保育士の資格が取れる高校であった、鳥取県立境港総合技術高等学校の福祉科(偏差値42)に進学します。
しかし、中学時代のやんちゃ癖が抜けずに、わずか3カ月で退学してしまいます。
退学後、一時は空手の練習からも遠ざかりましたが、空手指導者である安井博美さんが自宅に来て、武尊さんに会った時、このように言ったそうです。
「お前がやりたいことってなんなんだよ。やりたいんだったら、また練習来いよ。」
高校を退学し、街中をぶらついていた武尊さん。ある日、小学校時代から武尊さんの才能を感じていた先生と再会しました。武尊さんは、先生からいわれたひと言で、真剣に競技と向き合おうと決意したといいます。
引用元:grape
武尊さんは前向きになり、格闘技に専念することを決め、当時テレビ放送されていた『K-1 甲子園』の出場を目指します。
武尊の高校時代〜現在:タイ人と共同生活で雨水で身体を洗う!?
格闘技に専念することを決めた武尊さんは、キックボクシングジムに通い始め、17歳でタイに渡り、修行を積みます。
タイでのトレーニングはとても厳しく、1日8時間以上の練習に加えて、タイ人との共同生活で雑魚寝をし、お風呂がないため、武尊さんは集めた雨水を使って体を洗っていたそうです。
「1日8時間も練習するんですよ。寝泊まりはタイ人とザコ寝。お風呂もないし、僕みたいな下っ端は雨水を溜めた水がめの水を頭からかぶるしかなかった」
引用元:週プレNEWS
これらの厳しい条件の中でも、「絶対強くなって帰る」という強い意志でタイでの修行を乗り越えました。
また当初目標にしていた、『K-1甲子園』に出場するためには、現役高校生である必要があったため、武尊さんは通信制の星槎国際高校に再入学しました。
そして第3回『K-1甲子園』への挑戦を果たしましたが、関西地区予選の2回戦で敗退し、全国大会には出場できませんでした。
それでも諦めず、週末にコンビニとファーストフード店でアルバイトを掛け持ちしながら資金を貯め、上京して「チームドラゴン」へ入門します。
そして「チームドラゴン」で練習を積み、2011年9月24日にはプロデビューを果たし、「Krush.12」で勝利を収めます。
「Krush(クラッシュ)」はKO至上主義のファイターたちが見せる究極の壊し合いで男子10階級・女子3階級でチャンピオンを決める超破壊型打撃格闘技。
【引用元:Krush 公式サイト】
武尊さんはその後、プロキックボクサーとしての道を歩み続け、その後の活躍は皆さんのご存じのとおり凄まじいものがあります。
ちなみに武尊さんの出身地である鳥取県米子市が、那須川天心さんとの試合のときには市をあげて、応援していました。
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米子市にある百貨店には、なんと、武尊さんを応援するための特設ブースが設置されたとのことです。
武尊の父親はプロレスと歴史好きで息子に尊敬されている!
武尊の父親はプロレスと歴史大好き!
武尊さんの父親は一般人のため名前や職業などは不明ですが、大のプロレスファンで、武尊さんと一緒によく試合を見ていたそうです。
また、日本の古代英雄「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」にちなんで、息子の名前を「武尊(たける)」と名付けたほど歴史が大好きです。
鳥取の生まれ。武尊は本名。歴史好きの両親が日本書紀の英雄にちなんで付けた。小学2年の時、K-1ブームに触発されて、格闘技を始めた。
引用元 テレ東スポーツ
武尊の父親は息子から尊敬され周囲からも愛されている人物!!
武尊さんの父親の人柄については、家庭では寡黙だけれども、ふざけて周囲を笑わせるなど少しお茶目な一面を見せることもあり、その人柄が周囲から愛されているようです。
オタケちゃんがオモロくなるのがわかる😄👍
美味しいご飯にお土産に、洗濯ものまでありがとうございました✨ pic.twitter.com/caLBc5dtnG
— 城戸 康裕 (@KIDOyasuhiro) June 12, 2019
そんな周囲から愛される父親を、武尊さん自身、非常に尊敬していると語っています。
武尊さんの父親は家族に対しても非常に思いやりがあり、職場のストレスを家庭に持ち込むことがないなど、武尊さんは父親を「かっこいい」と感じているようです。
ーー尊敬する人物はいらっしゃいますか
「お父さんですかね。お父さんは結構寡黙な方なんですけど、ふざけるときはふざけますし、そういうところもいいなって思う。あと仕事のグチとかを家で一回も言ったことないんですよ。僕は『もう疲れた〜』とか『いやだ〜』って言っちゃうんですけど、お父さんが言っているところを見たことないんでかっこいいなと思います」
引用元:女性自身
また、武尊さんの父親は仕事が忙しく単身赴任が多かったため、武尊さんは主に母親に育てられましたが、その少ない時間でも、キャッチボールや野球などの遊びを通じて、父子の絆を深めていたそうです。
またクレジットカードで買った商品の思い出を聞かれた武尊は「昨年、お母さんに赤いジャガーをプレゼントしました。子どものころからお父さんが単身赴任で、母親一人で育ててくれたので……」というエピソードを披露し、会場を沸かせていた。
引用元 ENCOUNT
武尊の母親は元暴走族で女優の杏の家に泊まった!?
武尊の母親は元暴走族で人類最強!?
武尊さんの母親は一般人のため、年齢や職業、名前などは不明ですが、2023年11月放送のTBS系「ドーナツトーク」にゲスト出演した際に、母親が元暴走族だったことを明かしています。
武力的にも強いと話しており、武尊さんはその強さを「人類最強」とも言っています。
武尊が“人類最強”として名前を挙げたのは「僕のお母さん」。「元暴走族なんですよ」と明かし「武力的にも強いんですけど…」と笑った。
引用:スポニチ
ちなみに武尊さんは母親に反抗して、「コノヤロー」と言ったことはあるそうですが、そのまま逃げてしまったとのことです。
武尊は「一応威嚇はするんですよ。“コノヤロー”って言うんですけど、“コノヤロー”って言いながら出ていってました、家を」と、思わず逃げ出していたと語った。
引用:スポニチ
そんな母親ですが、武尊さんが空手をやめようと思った時に、続けるように背中を押してくれました。
武尊さんが空手道場に行きたくないと思った時に、母親は「一回やりたいって言ったんだから、続けなさい」と強く言い、武尊さんを道場に連れて行ったそうです。
小学2年生の頃、テレビで見たK-1に憧れて、空手を始めた武尊さん。憧れはアンディ・フグさん。でも実際に習い始めたら、怖くて勝てなくて…「もう辞めたい」と何度も思ったそうです。でもそんな武尊さんの尻を叩いたのが、元ヤンだったお母さん。「一回やりたいって言ったんだから、続けなさい」と。そんなお母さんの後押しもあって、今は“ナチュラル・ボーン・クラッシャー”の異名を持つK-1ファイターとなり、前人未到・K-1史上初の三階級制覇を成し遂げました。
引用:TBSラジオ
また武尊さんの母親は、武尊さんが高校を中退して、タイに武者修行に行くときには、反対することなく送り出してくれたそうです。
武尊は母親に高級車ジャガーをプレゼント!!
武尊さんは、2022年の母の日には、誕生日プレゼントもかねて、高級車のジャガーをプレゼントしています。
武尊さんが子供の頃にジャガーをプレゼントするという約束をしており、それが叶った形になりました。
武尊さんはエックスに「たくさん迷惑かけたお母さんにまだまだ返しきれないけど恩返し」という感謝の気持ちをつづっています。
今日は母の日💐
誕生日プレゼントでプレゼントした車が
たまたま母の日の今日に納車🚘
たくさん迷惑かけたお母さんに
まだまだ返しきれないけど恩返し🙏
小さい頃にお母さんがいつかジャガーに乗りたいって言ってて
大人になったら買ってあげるって約束してたから
やっと約束守れました🤝 pic.twitter.com/Ejq1KlxOvX— 武尊 takeru (@takerusegawa) May 8, 2022
武尊の両親は女優の杏の家に泊まって手料理を食べた!?
武尊さんがフランスで試合をした際に、両親が応援に駆けつけてくれましたが、ホテルがとれていなかったことがあったそうです。
その際、共通の知り合いを通じて女優の杏さんが助けてくれ、自宅に招き入れて手料理まで振る舞ってくれたそうです。
以前、フランスで試合をしたという武尊。その時に武尊の両親が応援に駆けつけたそうだが
「まさかのホテルが取れていない事件が起きたらしくて、どうつながったのか、よくわかっていないんですけれど、なぜか『杏さんの家に泊めてもらったんだよね』って言われて、共通の知り合いがいて…」と、両親がトラブルに巻き込まれた時に、杏に助けられたことを明かした。杏さんは、武尊の両親を自宅に招き入れた理由として、「そもそも私の知り合いの家族が、ご両親をアテンドするってなったのも同郷だったからっていう 、(鳥取県)米子出身同士。引用:AMEBA
武尊の姉はお母さん似のかわいい姉!
武尊さんのお姉さんの具体的な名前は公表されていませんが、武尊さんよりも2歳年上であることが武尊さんのSNSなどでわかっています。
武尊さんが過去に公開した幼少期の家族写真からは、お姉さんが母親によく似た可愛らしい笑顔をされていることが伺えますね。
さて、武尊さんが2010年1月30日に更新したブログで、名古屋で暮らすお姉さんの家に泊まりに行ったことが記されています。
その記事によると、お姉さんの家は海の近くの田舎にあるとのことでした。
お姉さんの家が海の近くで田舎とされているということから、ファンの間では渥美半島か知多半島にある可能性が考えられています。
しかし、武尊さんのブログの画像の店名の書体と「喫茶食事モンキー」の看板の書体が似ていることから、名古屋ではなく、愛知県知多郡美浜町大字奥田字三ケ市だと思われます。
名古屋に来ていますチョキ
今日は名古屋にお姉ちゃんが住んでいるので、そこに泊まるんですが、
しかし注意
減量中なのにもかかわらず、
美味しそうな物(生クリーム大福、どら焼き、他)が、
たくさんあったので、、
食べちゃいました(*´д`*)チョキ笑引用元 武尊オフィシャルブログ
武尊さんはお姉さんの家にお泊まりするほど、非常に仲が良いようですね。
また、2017年には武尊さんがお姉さんと妹さんと共に墓参りに行っている様子も見受けられます。
家族との絆を大切にする武尊さんの姿が窺えます。
昨日は久しぶりに地元の道を走って
思い出の場所にも行けて
友達とも話せてリフレッシュ。
そして今日は試合前に姉と妹と一緒に御墓参りと御礼参り🙏
これから会場へ。
最高の試合します!
当日券もあるので是非ご来場お待ちしています!!https://t.co/DMaz3NLx5Z pic.twitter.com/xYXQE3sHh2— 武尊 takeru (@takerusegawa) September 25, 2017
さらに、2021年のインタビューで、武尊さんは「お姉ちゃんがいたから自分は優しくなったと思う」と語っています。
お姉さんの存在が武尊さんにとって大きな影響を与えていることが感じられますね。
ーー子ども好きとのこと。将来何人ぐらい欲しいですか?
「僕は3人兄弟だったので、3人兄弟っていいなーと思います。最初は女の子、次は男の子、その後はどちらでも良いです。あくまで僕の知り合いの話ですけど、“お兄ちゃんがいる妹はやんちゃになっちゃう”ようです(笑)。僕はお姉ちゃんが面倒見良くて、僕は優しく育ったんで、一番上は女の子がいい。あ、ここは書いておいて下さいね(笑)」引用元 女性自身
武尊さんの言葉からも、家族への深い愛情と感謝の気持ちが伝わってくるのではないでしょうか。
武尊の妹は3歳年下の仲良しな妹
武尊さんの妹は、2014年1月に成人式を迎えたようです。
武尊さん自身が2012年1月に成人式に出席していたため、学年でいうと武尊さんと妹さんは2年の差があることになります。
成人式の際、武尊さんは実家に帰省してこの大切な家族のイベントに参加していたようですが、その時の写真では残念ながら武尊さんの顔がウルトラマンで隠されています。
そして今日は妹が成人式で
十何年ぶりかに家族写真撮りました!!引用元 武尊オフィシャルブログ
このブログから、武尊さんが妹さんに対しても非常に優しい兄であることが想像されます。
武尊の祖父(母方)は強い意志を持った人!
武尊さんのおじいちゃんは、10年以上前に癌の診断を受けてからずっと闘病生活を送っていらっしゃいましたが、2022年3月2日、この世を去りました。
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長年にわたる闘病生活で、武尊さんのおじいちゃんは、強い意志があれば病気にも打ち勝つことができるという教えを武尊さんに伝え続けたそうです。
また、武尊さんが試合に勝つ度に癌の数値が下がるということで、武尊さんにとって、試合に臨む際の大きなモチベーションの一つになっていました。
武尊さんのおじいちゃんは、武尊さんのキックボクシングのデビュー戦から一貫して試合を観戦し、常に武尊さんの背中を押し続けてきたのです。
武尊さんのおじいちゃんが亡くなった日の前日は、武尊さんのお母さんの誕生日でした。
武尊さんのお母さんを誕生日に悲しませるわけにはいかないと、翌日まで生き抜いた武尊さんのおじいちゃんの強い意志は武尊さんの心に響き、しっかり受け継がれたようです。
武尊さんは今後も戦い続けることで、祖父に恥じない強い精神を保つことを誓っています。
武尊さんの人生における「負けられない理由」がまた一つ増えたわけですが、これが武尊さんをさらに強くすることでしょう。
武尊の祖父(父方)はどんな人?武尊さんの大切な存在だった祖父
武尊さんのおじいちゃんは、武尊さんが小さい頃からかわいがってくれた大切な存在だったようです。
武尊さんは、アマチュアからプロになるまでの間、試合で獲得したトロフィーをすべておじいちゃんの家に飾ってもらっていて、おじいちゃんにとっては宝物でした。
しかし、悲しいことに、2013年11月27日のブログで、武尊さんはおじいちゃんが亡くなったことをファンに報告しました。
おじいちゃんの容体が悪化する少し前、武尊さんの父から「おじいちゃんがもう長くないかもしれないから、会いに帰ってこれないか」と連絡があったそうです。
それを受けて、武尊さんはすぐに祖父のもとを訪れ、その時は祖父も元気があって反応してくれました。
そして、12月14日の試合に絶対に勝ってまた会いに来ると約束したのですが、残念ながらその約束は叶うことなく、おじいちゃんは亡くなられました。
先日、実家から連絡があり小さい頃からたくさん面倒見てもらっていたおじいちゃんが亡くなりました。
追い込み練習の始まる少し前くらいにお父さんから「おじいちゃんもう長くないかもしれないから会いに帰ってこれないか」と連絡がきて、すぐに会いに行きました。
【引用元:武尊オフィシャルブログ】
このように、武尊さんにとっておじいちゃんはただの家族以上の非常に大切な支えであり、武尊さんの成功を見守ってくれる存在だったのです。
おじいちゃんの死は、武尊さんにとっても大きな損失であり、深い悲しみとなったことでしょう。
武尊の祖母は沢山の愛を注いでくれた書道家!
2023年3月30日のブログで、武尊さんは大切な祖母の死をファンに報告しました。
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小さい頃からたくさんの愛を注いでくれた大好きなおばあちゃんは、最後に会いに行った時、一ヶ月以上食事も取れなくて意識も朦朧としてる中、武尊さんの握った手をずっとさすってくれたそうです。
書道家としても知られる祖母は、初めは武尊さんが怪我をするのを心配し、格闘技を始めることに反対していました。
しかしデビュー後は、武尊さんが戦うたびに会場まで応援に来ていたそうです。
武尊さんは、デビュー戦から全試合で、祖母に書いてもらった「武尊」という文字をパンツに入れて戦ってきました。
最後に祖母が見に来た試合は、残念ながら勝利を収めることができませんでしたが、武尊さんはその悔しさをバネにして、6月の復帰戦で必ず勝利し、トロフィーとベルトを祖母へのプレゼントとして持って行くと誓っていました。
そして、復帰戦ではその誓い通り、KO勝ちを収め、亡きおばあちゃんに捧げたそうです。
武尊の家族構成まとめ
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家族の関係 | 説明 |
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父親 | 寡黙でプロレスと歴史が好き |
母親 | 元暴走族の武闘派 |
長女(姉) | 武尊より2歳年上で、弟想いで面倒見が良い |
次女(妹) | 武尊より3歳年下で仲が良い |
祖父(母方) | 長期間の闘病生活を経て亡くなるが、武尊に強い意志を教えた人物 |
祖父(父方) | 武尊の成長を見守り、彼のトロフィーを自宅に飾って喜んでいた |
祖母 | 書道家であり、武尊の格闘技を最初は心配していたが後に支持し応援していた |