高橋藍の家族構成や生い立ち!父親の職業は?母親はハーフで兄は高橋塁、妹はりり?

この記事では、バレーボール選手である高橋藍さんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介していきたいと思います。

高橋藍さんの子ども時代のエピソードや家族との関係、そして小学生でバレーボールを始めてからでオリンピックで活躍するまでのエピソードをたっぷりとお届けします。

高橋藍さんの軌跡を知ることで、高橋藍さんの魅力やその背景に迫りたいと思います。

インコちゃん
この記事では、そんな高橋藍さんの家族にスポットライトを当ててみました!
宗じい
高橋藍さんがオリンピックで活躍するまでにどんなストーリーがあるか気になるの〜。ワシの飼ってるインコちゃんと共に面白い記事をお届けします。

高橋藍の家族構成!父親・母親・兄・妹の5人家族

高橋藍の家系図

高橋藍さんの家族構成は「父親・母親・兄・本人・妹」の5人です。

父親:髙橋政次、大の野球好き、子ども3人を命名、イジられキャラ
母親:髙橋小百合、アメリカと日本のハーフ、料理上手の美人
長男:髙橋塁、バレーボール選手、サントリーサンバース所属
次男:高橋藍本人
長女:髙橋莉々、中学高校バレーボール部、現在は看護学校進学(?)

 

また、高橋藍さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?

祖父(父方):リーガロイヤルホテルの元シェフ、現在食事処「三久」を経営
祖父(母方):アメリカのフィラデルフィア出身
インコちゃん
ひとまず、高橋藍さんの家族構成がわかりましたね!家族を深掘りするためにも、まずは高橋藍さんの生い立ちを見ていきましょう。
宗じい
高橋藍さんがどんな幼少期を送って来たのか気になるのぉ〜。

高橋藍の生い立ちや学歴!ずば抜けた運動神経でオリンピック出場へ

高橋藍(右)と高橋塁(左)の幼少期【出典:Number Web】
高橋藍(右)と兄の高橋塁(左)の幼少期【出典:Number Web
  • 名前(本名):高橋藍たかはしらん
  • 生年月日:2001年(平成13年)9月2
  • 身長:188㎝
  • 体重:72kg
  • 血液型:O型
  • 出身地:京都府京都市
  • 学歴:京都府京都市立常盤野小学校→京都府京都市蜂ヶ岡中学校→東山高校トップアスリートコース(偏差値46)→日本体育大学体育学部(偏差値48)

高橋藍はクォーター!?幼少期から運動神経抜群!

高橋藍さんは5人家族で、両親と兄、妹がいます。

お父さんは日本人で、お母さんはアメリカ人と日本人のハーフです。

そのため、高橋藍さんはクォーターということになります。

高橋藍さんの名前の「藍(らん)」は、お父さんが野球好きで、「ホームラン」からインスピレーションを受けて名付けられたそうです。

高橋藍さん自身も、幼い頃はお父さんと一緒にキャッチボールをよくしていたそうです。

もしバレーボールをやっていなかったら、野球を始めていたかもしれないとインタビューで語っています。

高橋藍さんの母親は幼少期の高橋藍さんについて、夜はあまり寝なかったけれど、兄よりは手がかからない子だったと明かしています。

藍も夜はあまり寝ませんでしたが、二番目だったせいか、(兄よりは)手がかからない子でした

【引用元:Number Web

また、高橋藍さんは小さい頃から要領がよく、身体能力も高かったことを母親がインタビューで語っています。

高橋藍さんは、キャッチボールも幼稚園児が投げる距離よりもはるか遠くまで投げることができ、サッカーも華麗なドリブルをしてゴールを決めることができ、前転や鉄棒の逆上がりも兄よりも早くできるようになったそうです。

藍は小さい頃から要領が良く、身体能力も抜群だった。公園でキャッチボールをすれば、幼稚園児が投げる距離を遥かに超えた遠投を見せ、サッカーをやらせれば華麗なドリブルで自ら運んでゴールも決める。前転や鉄棒の逆上がり、と何でも兄より先にできるのが藍だった。

【引用元:Number Web

宗じい
兄弟の歳が近いと比べられがちじゃが、幼少期から運動神経抜群とはすごいの〜

高橋藍の小学生時代はポケモンカードに釣られてバレーを始めた!?

高橋藍さんは京都市右京区にある京都市立常盤野小学校出身です。

高橋藍さんが小学1年生の時、兄の高橋塁さんが女子バレーボールの栗原恵選手に憧れて、「京都ヤングバレーボールクラブ」でバレーボールを始めました。

そして高橋藍さんは、兄の練習についていくうちに高橋藍さんもチームに入ることになったそうです。

藍が小学1年生の時、3年生だった塁が、テレビで観た女子バレーボールの栗原恵に憧れ、「京都ヤングバレーボールクラブ」でバレーを始めた。その練習についていくうちに、藍もチームに入ることになった。

【引用元:Number Web

当時の「京都ヤングバレーボールクラブ」の監督であった片岡さんは、他の1年生たちとボールで遊んでいる時にサーブを上から打っている高橋藍さんの姿を見て、特別な才能を感じたことをインタビューで語っています。

藍は最初バレーに興味がなく、ゲームをしたり友達と遊ぶほうが楽しいからと、誘われても拒否していたが、当時監督だった片岡聡が熱心に誘った。藍が他の1年生たちとボールで遊んでいる時、サーブを上から打っている姿を見たからだ。「チームに入っている他の1年生よりもダントツでうまかったんです。1年生で上からサーブを打てる子なんて見たことがなかった。下から打っても空振りするのが普通ですから。遊びでドッジボールをしても、ものすごくすばしっこくて。この子は並の身体能力じゃないなと思いました」

【引用元:Number Web

高橋藍さんの小学校時代の監督、片岡さん 撮影者:Noriko Yonemushi【出典:Number Web】
高橋藍さんの小学校時代の監督、片岡さん 撮影者:Noriko Yonemushi【出典:Number Web
インコちゃん
当時の監督である片岡さんは現在沖縄料理店を営んでいるそうです

そして監督は、バレーボールに興味がなかった高橋藍さんの関心を引こうと、バレーをやるんだったら、ポケモンカードをあげると言い、ポケモンカードで誘ったそうです

そして、高橋藍さんは、ポケモンカード欲しさに小学校2年生の時にバレーボールを始めたとのことです。

片岡がポケットからパラリ、パラリとカードを落としていくと、ポケモンカードに目がなかった藍は「うわ!」と声をあげて拾いながら、あとをついてくる。最後にコートの中に落としたカードに藍が飛びつくと、片岡は言った。「バレーやるんやったら、このカード全部あげるぞ」「バレーやる!」見事に釣られた。「ちょうど僕の息子がボケモンカードを集めていたんです。でももう飽きたからいらんと言うんで、『ほんなら全部くれ』と。かなりレアなカードがあったらしくて、うまく引っかかってくれました」と片岡は懐かしそうに笑う。

【引用元:Number Web

宗じい
ポケモンカードで釣られるとは小学生らしくて可愛いのう〜。宗じいを釣るにはお酒かお金じゃの

高橋藍は小学2年生からバレーボール三昧の毎日!?

そして、高橋藍さんは小学2年生の時は小柄だったため、最初はレシーバーとしてプレーしていたそうです。

藍は小柄だったため当時はレシーバー。小学生バレーはローテーションがないため、ひたすら後衛で拾いまくった。

【引用元:Number Web

また高橋藍さんは、クラブチームでの練習が終わった後も、兄の高橋塁さんといつも公園に行ってバレーボールをして遊び、兄がスパイクを打ち、高橋藍さんがそれを拾う形で練習を積んでいたとのことです。

「バレーを始めた時からレシーブが好きだったし、得意でした。小学生の時は身長が高かったわけではないので、レシーブをしなきゃいけなかったですし。ずっと塁が打って、僕が拾うという形でしたね。塁がバレーを好きすぎて、2人で遊ぶ時は常にボールを触っていた。練習が終わって家に帰ってからも、塁がうるさいぐらいに『藍、バレーしよう!』と言ってくるので、公園に行って自分たちでネットを作り、塁がスパイクを打って、自分はひたすらレシーブ(笑)。とにかく子供の頃から数多く取ってきたので、体に染み付いているのかなと思います」

【引用元:Number Web

そして小学校4年生の頃からレシーバーからスパイカーにポジションが変わったそうです。

小学生の頃は最初は基本、レシーブメインでレシーバーとして入っていて、小4くらいからスパイカーになり始めましたが、身長がそこまで大きくありませんでした。

【引用元:バレーボールマガジン

小学校5年生になると兄が中学校に進学し、兄と一緒にバレーボールをする機会が減ったため、バレーボールへのモチベーションが下がり、辞めたいと母親に訴えることもあったことをインタビューで明かしています。

最初は塁のバレー好きに引っ張られていたため、塁が卒業して藍が5年生になる頃、母に「バレーをやめたい」と言い出した。「兄がいるからバレーをしている、塁と一緒にやっているという感覚だったので、自分1人になった時に、やっている意味がわからなくなって。嫌いではなかったけど、こんなにしんどい思いをしてまでやりたくないなと。でもその時はやめさせてもらえませんでした。僕はゲームが好きだったから、たぶんバレーをやめたらゲーム漬けになって、ろくな生活を送れなかったと思うので(苦笑)。親としてはスポーツをやって欲しかったんだと思います」

【引用元:Number Web

しかし、その時、両親や当時の監督が支えてくれたおかげでバレーボールを続けることができたようです。

高橋藍さんは、両親から「スポーツは絶対にやりなさい」と強く背中を押されたそうで、次第にバレーボールにのめり込むようになったとのことです。

その時に親が「スポーツは絶対にやりなさい」と強く背中を押してくれたので、今バレーボールができているのも、その時に支えてくれたおかげだと思っています。そこが自分にとってはいちばんのバレーボールを続けられたきっかけであり、ターニングポイントだったのかなと思っています。

【引用元:バレーボールマガジン

そして高橋藍さんは、2020年の東京オリンピック開催が決まると、小学6年生の卒業文集で「7年後のオリンピックに出たい」と宣言しています。

高橋藍の小学校卒業文集(事務所提供)【出典:Number Web】
高橋藍の小学校卒業文集(事務所提供)【出典:Number Web

高橋藍さんは、ここから東京オリンピック出場を目標として頑張ることを決意したとのことです。

僕が小6の時に東京オリンピックが決定したので、その時からバレーボールをやっているということで、一番の目標がそこだと感じて、東京オリンピックに向けて頑張ろうという気持ちがあり、卒業文集に書きました。その時は7年後という、まだ遠い先のことだったので、書いてはいましたが、実感というか、本当に行けるかわからない状態でした。それでも、そこを目標にして、ずっと言葉に出し続けようと思っていたので、小6からオリンピックを目指して頑張っていました。

【引用元:バレーボールマガジン

宗じい
小学6年生にして目標を決めて頑張るのはえらいのう〜!

高橋藍の中学時代は小柄も全国大会に出場!

高橋藍さんは、京都市立蜂ヶ岡中学校出身です。

京都市立蜂ヶ岡中学校は公立でありながら、男子バレーボール部が非常に強く、全国大会にもよく出場する学校として有名です。

高橋藍さんは京都市立蜂ヶ岡中学校の校区には住んでいませんでしたが、越境入学という形でこの学校に進学しました。

中学に入学すると同時に、高橋藍さんはバレーボール部に入部しています。

高橋藍 中学1年生(家族提供)【出典:日刊スポーツ】
高橋藍 中学1年生(家族提供)【出典:日刊スポーツ

当時の高橋藍さんの身長は158cmと小柄で、また、高橋藍さんが中学に入った時期には、兄の高橋塁さんともう一人のエースプレーヤーがいたため、監督の指示で高橋藍さんは最初の1年間、リベロのポジションを担当したそうです。

中学に入った時は兄ともう1人エースがいて、僕は158cmくらいしか身長がなかったので、監督から言われてリベロを1年間やりました。

【引用元:バレーボールマガジン

そして中学1年生の時、高橋藍さんは全国大会に出場しました。

この大会では、兄の高橋塁さんがエースとしてチームを引っ張り、高橋藍さんはリベロとして、レシーブばかりやっていたと振り返っています。

塁:当時、同じ中学校で全国大会に出たときは、アタッカーは僕ともう一人エースがいるくらいだったので“二人が決めるから、とにかく拾ってくれ”みたいな感じでしたね。

藍:確かに、レシーブばかりやっていた印象があります。

【引用元:SC・SPORT 

そして、兄の高橋塁さんが引退した後は、高橋藍さんがスパイカーの役割を引き継いだそうです。

1年生の時は兄の塁がエース、藍はリベロのポジションに入り、全国大会に出場した。塁は「僕が引退したあと、藍はスパイカーになりました。レシーブに磨きをかけて、高さがない分、攻撃でも小技を身につけていた印象があります」と語る。藍は兄の卒業後、スパイカーとしても全国大会に出場しているが、現在の彼の土台はこの時期に作られたようだ。

【引用元:Sportiva

中学生の間、高橋藍さんは3年連続で全国大会に出場しています。

高橋藍は中学時代から自分に厳しかった!?

京都市立蜂ヶ岡中学校で当時指導していた先生によると、高橋藍さんは中学時代から自分に厳しい性格だったとのことです。

中学3年の時にはチームのキャプテンに選ばれていますが、高橋藍さんの目標は日本一のバレーボール選手になることだったそうで、中学3年の時に出場した全国大会の決勝トーナメント初戦で敗退してしまい、悔し泣きしたことを明かしています。

またこの時に高橋藍さんは優秀選手にも全日本選抜にも選ばれず、とても悔しがっていたそうです。

中学時代から自分に厳しく、周りには優しい性格で、3年生のときには満場一致でキャプテンに就きました。本人がいつも目指していたのは「日本一のバレーボール選手になる」。中学では3年間、全国大会に出場しましたが、最後は決勝トーナメント初戦で敗れ、悔しくて泣いていました。ですが、次のステップにつなげるんだ、という思いでその後の練習に取り組んでいました。ただ、3年生の全国大会で優秀選手に選ばれず、最終的に全日本中学生選抜にも入れなかったときは、相当悔しがっていた姿を覚えています。

【引用元:月バレ.com

宗じい
どんだけ頑張っておっても、本人にはまだまだという気持ちが強かったんじゃろうのう。わしの中学時代は漫画をひたする読むという努力をしていたわい

高橋藍の高校時代は兄とエースの対角を組む!

高橋藍さんは、京都市にある東山高校トップアスリートコースの出身です。

インコちゃん
東山高校は、パスカルコース、クレセントコース、トップアスリートコースがあり、スポーツが非常に盛んで、バレーボール、バスケットボールなどの部活動が強豪です!

高橋藍さんはスポーツ推薦で東山高校に入学しています。

高校時代、高橋藍さんはバレーボール部に所属し、1年生の時には兄の高橋塁さんが2学年上に在籍していたため、兄とエースの対角を組んでいました。

そして、兄・塁の後を追って強豪・東山高校へ進むと、1年生でレギュラーを勝ち取り、エースだった塁とアウトサイドの対角を組んだ。

【引用元:Number Web

しかし、京都府内には1学年上の大塚達宣選手がいるバレーボール強豪校の洛南高校があり、なかなか勝つことができなかったようです。

 

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インコちゃん
大塚達宣選手は日本代表で現在高橋藍さんとチームメートです

特に1年生のときの春高予選で負けたとき、高橋藍さんは本当に悔しそうだったと当時の監督が振り返っています。

高橋藍さんは兄と同じ東山高校で、その兄にとって、高校最後の大会である春高に一緒に出場する夢が破れてしまったため、「お兄ちゃんを勝たせられなかった」と高橋藍さんがとても悔しがっていたとのことです。

特に1年の春高予選で敗れた時の高橋は、本当に悔しそうだったと豊田監督は振り返る。高橋は2歳上の兄・塁の姿を見てバレーボールを始め、兄の背中を追って東山高に入った。その兄にとって高校最後の大会・春高の舞台で、一緒に戦う夢が打ち砕かれたからだ。「むちゃくちゃ仲のいい兄弟なので。その年、インターハイは勝って全国に行きましたけど、最後の春高だけ負けて行けなかったので、『お兄ちゃんを勝たせられなかった』って、それはもう悔しがっていました。そのあと、藍はグアーッと上がって行きましたね」と豊田監督。

【引用元:Number Web

しかし、高橋藍さんは高校2年生の時にインターハイの全国大会に出場し、ベスト4の成績を収めました。

2019年に高校3年生となった高橋藍さんはキャプテンに就任し、2020年には春高出場、そして優勝を果たし、最優秀賞を受賞して高校MVPとなりました。

インコちゃん
この後、2020年2月に東京五輪を控えた2020年度日本代表登録メンバーに選ばれましたが、新型コロナウイルスの影響で国際大会は中止され、東京五輪も1年延期となっています。

高橋藍の高校時代はライバルやコーチのおかげでうまくなった!

高校時代、高橋藍さんの成長には、石川祐希選手の育成に携わった松永理生コーチの指導が大きく影響しています。

インコちゃん
石川祐希選手もバレーボール日本代表選手で、高橋藍さんと人気を二分するスター選手です!

松永コーチからウエイトトレーニングや戦術の重要性を教わり、高橋藍さんはさらに大きく成長しました。

石川祐希選手は高橋藍さんの憧れの存在であり、同じ練習が高校でできたことが大きなモチベーションになり、自信にも繋がったそうです。

「いつかは石川祐希さんのような選手、石川さんを超えるような選手になって、自分も日本代表としてプレーしたい。石川さんが大学でやってた練習を自分は高校でできてるというのが、自信にも強みにもなりました」

【引用元:4years

松永理生コーチは、髙橋藍さんは、憧れの存在である石川選手に近づくため貪欲だったとのことで、高橋藍さんの向上心や探究心が石川祐希選手に似ていると感じたそうです。

「藍は、『石川さんってどんなことやってましたか? どういう練習してましたか?』と貪欲に聞いてきましたね。だから『こういうふうにブロックが3枚ついてもこんな決め方してたよ』とか『むしろ楽しんでやってたよ』、『勝負どころはギアがパーンと上がるよ』というような話をしたりして。藍も代表に入りたいと言っていたので、じゃあそういう選手にならないといけないよね?と求めたし、それを嫌がっていなかった。すごく向上心や探究心を持っている子で、そういう部分が石川と似ているなと感じました」

【引用元:Number Web

ちなみに、高橋藍さんは、中学くらいまでは友達と遊びたい気持ちの方が大きかったそうですが、高校ではバレーボールを楽しいと感じるようになったとのことです。

また、高橋藍さんは京都の洛南にどうしても勝ちたくて頑張ったとのことで、ライバルがいるのはありがたいことだとインタビューで語っています。

そしてインターハイでも長野県のバレーの強豪・松本国際に負けた後、勝つために必死に練習したおかげで強くなれたそうで、競い合った仲間やライバルに感謝しており、「ありがとう」という気持ちでいっぱいだと述べています。

「京都に洛南がいるから、絶対洛南に勝ちたいと思って僕たちは強くなれました。ライバルが同じ京都にいるということはとてもありがたいことだし、1枠しかないから何が何でも勝とうと頑張れる。それは全国に目を向けても同じで、インターハイで松本国際(長野)に負けてから、チームが本気で松本国際へ勝つために何をすべきか考えて、必死で練習してきました。そのおかげで僕らは強くなれたし、ともに切磋琢磨(せっさたくま)してきた仲間、ライバルの存在には感謝しかない。優勝できてうれしい気持ちもありますけど、同じぐらい『ありがとう』という気持ちでいっぱいです」

【引用元:4years

宗じい
ライバルがいてこそ成長し合えるとは、これぞ青春じゃのう〜。

高橋藍の大学時代は楽しいキャンパスライフとは無縁!?

高橋藍さんは高校を卒業した後、日本体育大学体育学科に進学しました。

インコちゃん
日本体育大学出身のアスリートには、北島康介(元競泳選手)、髙木美帆(スピードスケート選手)、高梨沙羅(スキージャンプ選手)、内村航平(元体操競技選手)などがいます

高橋藍さんは、兄の高橋塁さんがいる日本大学への進学も考えたそうですが、大学では兄弟対決をしてみたいことや、日本を代表する選手になるために知識や技術、体力を身に付けたいという理由で、日本体育大学を選んだそうです。

「海外に対する憧れはありましたけど、当時は『高校を卒業したら大学へ進むのが当たり前』という考えしかありませんでした。じゃあどこへ行くか、となって、二つ上の兄が日大だったので、日大へ行こうかとも思ったんです。でも子どもの頃からずっと兄とやってきたので、大学では兄と対戦してみたかった」「せっかく大学へ進むのならば、自分を高める場所へ行きたいと思ったので、スポーツに特化した日体大でこれから自分の将来に生かせることを学びたい、追い込める環境に自分を置きたいと思って日体大を選びました。入ってすぐ(日本)代表に選ばれるとは思っていなかったので最初はびっくりしましたけど、選ばれた以上はやるだけや、と。でも、振り返ればそこからいろんなことがものすごいスピードで変わっていきましたね」

【引用元:4years

バレーボールのスポーツ推薦で入学した高橋藍さんですが、2020年の入学当時は新型コロナウイルスの影響で入学式が8か月後に行われたそうです。

そして、新型コロナウイルスの影響で、大学1年生の時は学校にも行けず、部活もできず授業もオンラインで、さらにコロナが収まってからも日本代表合宿があり、キャンパスライフを満喫できなかったそうです。

「自分が大学1年生の時はコロナでいろいろストップしてしまったんです。学校にも行けない、部活もできない、授業もオンラインという状況だったから、大学生ライフを満喫していない。先輩からは大学入るといろいろ楽しいぞ、と聞いていたのに全然何もできなくて。コロナが収まってからはすぐ日本代表の合宿もあったので、ほんと、楽しいキャンパスライフとは程遠いんですよ(笑)」

【引用元:4years

宗じい
コロナの期間は世界中大変じゃったからのう。仕方ないとはいえ、楽しい思い出を作るチャンスが無くなったのは残念じゃ。。。

コロナ後に高橋藍の怒涛の活躍が始まった!

高橋藍さんは、大学1年生から試合に出場し、日本大学に進学した兄の高橋塁さんとは2020年の全日本インカレで兄弟対決も実現しました。

この大会では日本体育大学が準優勝し、高橋藍さんは準優勝に大きく貢献しました。

インコちゃん
ちなみに兄の所属していた日本大学は3位でした

そして高橋藍さんは、翌年の2021年のバレーボール男子日本代表に選出され、中国代表との国際親善試合で日本代表としてデビューしています。

この試合で高橋藍さんはアジア屈指の高さを誇る中国のブロックを何度も打ち破るスパイクを見せ、2日目の試合ではチーム最多得点19点を挙げ、その活躍ぶりが注目されました。

その後、ネーションズリーグ2021にも出場し、ほとんどの試合でスタメン出場しています。

また、オランダ戦では26得点を決め、その日のベストスコアラーに選ばれました。

そして東京オリンピックでは、日本代表のベスト8進出に貢献しました。

宗じい
8年前の卒業文集で書いた夢が実現したんじゃの!わしの楽して大金持ちになりたいという夢は未だ叶わずじゃが・・

東京オリンピック終了後にはアジア選手権にも出場し、チームの準優勝に貢献しています。

また、東京オリンピックから3ヶ月後の2021年11月に、イタリア・セリエAのパッラヴォーロ・パドヴァと契約し、2021-22シーズン終了までの期限付きの入団で、12月の全日本インカレ終了後に渡欧しました。

インコちゃん
イタリア・セリエAはイタリアのプロバレーボールリーグで世界でも屈指のレベルです!

高橋藍さんは高校を卒業した時から海外で挑戦したいという強い思いを持っていたそうです。

2022年は日本代表としてバレーボール男子世界選手権にも出場し、再びパッラヴォーロ・パドヴァとの契約を更新してプレーしました。

このシーズンは大学のリーグ戦や全日本インカレには出場せず、イタリアでのプレーに専念し、2022-23シーズンではレギュラーシーズン22試合に出場し、試合ごとに選ばれるMVPに3度も輝きました。

2023年6月には、セリエAのヴェッロ・バッレー・モンツァと契約しています。

高橋藍さんは日本体育大学に在学しながらイタリアでプレーし、2024年3月に日本体育大学を卒業しています。

当時、イタリアのモンツァに所属していた高橋藍さんはリーグ戦に出場していたため卒業式には参加できませんでしたが、後に大学は高橋藍さんのために個別の卒業式を行いました。

そして2024年7月からは兄の高橋塁さんと同じサントリーサンバーズに所属しています。

インコちゃん
ここからは、高橋藍さんの家族がどんな人なのかをそれぞれご紹介します。
宗じい
お兄さんやライバルたちと切磋琢磨して成長したんじゃの〜。それにしても大学入学後の活躍ぶりは目覚ましかったの!

高橋藍の父親の職業は?野球大好きの愛されキャラ!

高橋藍 父親

高橋藍の父親の職業は料理人?名前や年齢は?

高橋藍さんの父親の名前は高橋政次まさつぐさんです。

高橋政次さんは1972年か1973年生まれといわれています。

宗じい
2024年現在52歳くらいじゃのぉ。宗じいに比べれば、ひよっこじゃな

高橋政次さんは一般人のため、職業は公表されていません。

インターネット上では産婦人科医や料理人では?という噂もありますが、産婦人科医というのは、高橋藍さんと家族が高橋藍さんが生まれた病院である足立病院を訪問した際のツイートから派生した噂のようです。

また、料理人というのは、高橋藍さんの父方祖父母が京都にある和食料理店を営んでいることから派生した噂のようです。

実際は産婦人科医でも、料理人でもないようで、職業は不明です。

インコちゃん
上段右端がお父さんの高橋政次さんですね
宗じい
写真では少しかがんでおるが、息子二人と同じくらいの身長がありそうじゃの!高橋藍が188cmじゃから、父親は185cmはあるのぉ。

高橋藍さんの顔が日本人離れしているイケメンのため、親は外国人という噂がありますが、高橋藍さんの父親は日本人です。

高橋藍の父親は大の野球好き!

高橋藍さんの父親の高橋政次さんは、「野球のことになると人が変わる」と家族から言われるほど野球が大好きだそうです。

高橋政次さんは、高校時代にはエースで4番を務め、巨人のスカウトが見にくるほどの有望な選手だったようです。

そして、高橋政次さんは子ども3人の名前を自ら名付けたとのことです。

長男の名前には一塁や二塁を意味する「塁」という漢字を使い、次男にはホームランを連想させる「藍(ラン)」という名前、長女は、リリーフから「莉々(リリ)」と名付けています。

高橋の父はかつて野球に打ち込み、高校時代はエースで4番。巨人のスカウトが見にくるほどの有望株だった。今でも、「野球のことになると人が変わる」と家族が口を揃えるほどの野球好きで、長男には一塁、二塁の“塁”、次男にはホームランの“藍(ラン)”と、野球にちなんだ名をつけた。

【引用元:Number Web

宗じい
子ども3人の名前が大喜利みたいになって面白いの〜。わしはスナック好きじゃから、息子の名前を砂九すなくにすれば良かったわい

高橋藍の父親はいじられキャラ!?

高橋藍さんの父親の高橋政次さんは、高橋藍さんや兄の高橋塁さんのXでよくいじられているようです。

宗じい
イタリアでお父さんがはしゃいでおる様子がよくわかるの〜

 

宗じい
めっちゃ仲ええやないか!ワシなんて家族LINEグループに入れてもらったことないわ。。。

インコちゃん
お父さんも化粧水をつけるようになったのでしょうか。。。

インコちゃん
お父さんは息子さんたちの活躍が本当に楽しみで嬉しいのでしょうね
宗じい
なんかすごくいい家族すぎて、ワシもここの家の子になりたかったわい。。。

高橋藍の母親は子育て上手のハーフ美人!

高橋藍 母親

高橋藍の母親はハーフ!ソフトテニス選手だった?

高橋藍さんの母親の名前は高橋小百合さんです。

高橋小百合さんは1974年生まれなので、50歳(2024年7月現在)くらいだと思われます。

高橋藍さんの父親の高橋政次さんとは2歳差の夫婦です。

高橋小百合さんの父親は、イギリスとドイツの血が混じっているアメリカ人で、母親が日本人です。

そのため、高橋小百合さんはハーフです。

 

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インコちゃん
母親の高橋小百合さんは写真中央ですね

高校時代、高橋小百合さんはソフトテニスで近畿大会に出場した経験を持っています。

しかし、怪我をしてしまい、その後ソフトテニスはやめています。

母も、怪我で競技は諦めたものの高校時代はソフトテニスで近畿大会に出場した経歴を持つ。

【引用元:Number Web

そして20代の頃は、高橋小百合さんは仕事をしながら子育てをしていましたが、当時はとても忙しく、記憶がないほど大変な日々を送っていたそうです。

「塁と藍、上は早生まれだから学年は2つ違いですけど、ほぼ間が空いていないんですよ。気づいたら2人授かって、どうやって育てていたのか覚えていない。とにかく大変でした」

小百合さんが20代の頃は、仕事をこなしながら子育てに奔走する毎日だった。大げさではなく「(当時の)記憶がない」と言うのも当然だった。

【引用元:Number Web

ちなみに高橋藍さんの名前について、高橋小百合さんはインタビューで語っています。

「塁」という字には“大きな砦”という意味があり、「強くたくましい子に育ってほしい」という願いが込められているそうです。

また、「藍」という字には「誰からも好かれる優しい子になってもらいたい」という願いが込められているようです。

さらに、高橋小百合さんの父親がアメリカ人で、欧米の血も入っているため、海外の人にも親しみやすい名前を選んだとのことです。

母によると、塁という字には“大きな砦”という意味もあるため、「強くたくましい子に育ってほしい」、藍の字には「誰からも好かれる優しい子になってもらいたい」という願いも込められているという。「それに、(母の父はアメリカ人で)欧米の血も入っているので、海外の人にも親しみやすい名前がいいかなと思って」

【引用元:Number Web

宗じい
父親が野球好きじゃから、完全に野球用語だけから名前を付けたと思っていたが、そうではなかったんじゃな・・

高橋藍の母親はバレーボールをさせたくなかった!?

インタビューで高橋藍さんの母親の高橋小百合さんは、本当は兄弟で同じスポーツをすると、比べられてしまうため、本当は高橋藍さんにはバレーボールをしてほしくなかったことを語っています。

小百合さんは「(塁と藍には)ほんまは同じスポーツをやってほしくなかった」と本音を吐露する。

「比べられるやないですか。私も姉妹だったので、比べられるのが嫌やったんです」

【引用元:Number Web

しかし、その心配は要らなかったようで、高橋藍さんと高橋藍さんの兄の性格は違っており、それぞれの個性が、お互いを成長させてきたようです。

バレーボールが幼少期から大好きだった高橋藍さんの兄は、勝ち負けよりも楽しさを求め、高橋藍さんは筋金入りの負けず嫌いで勝負にこだわっていたそうです。

そして、高橋藍さんは運動能力が優れていても、バレーボールでは兄の背中を追いかけていたことや、高橋藍さんが試合に負けても、母親の高橋小百合さんがポジティブな性格であったため、兄弟が衝突することはなかったとのことです。

だが、それも杞憂に終わる。性格の違いが、2人の個性を活かした。とにかくバレーボールをやりたくて始めた塁は、勝ち負けよりも楽しさを求めた。幼少期から兄に負けじと過ごしてきた筋金入りの負けず嫌いの藍は勝負にこだわった。対照的な2人が衝突しなかった理由が2つある。運動能力は優れていても、バレーボールでは藍が常に塁の背中を追い続けていたこと。そして、たとえ0対21で負けようと「ええやん、こんな試合結果、なかなかないで」と笑ってくれるポジティブな母がいたこと。

【引用元:Number Web

ちなみに、高橋藍さんがイタリアに渡欧している間は、母親の高橋小百合さんは毎シーズン、イタリアを訪れ、高橋藍さんの生活のサポートをしてきたそうです。

渡欧して3年。小百合さんは毎シーズン、機会をつくってイタリアを訪れている。ホテルはとらず、実家にいる時と同じように現地の自宅で過ごす。練習に向かう藍を見送り、洗濯や料理をして、試合はもちろん、時間があれば練習にも足を運ぶ。バレーボールに関してはほぼ口出しせず「頑張れ」と送り出すのみだが、遠征が続く日本代表と海外生活と慌ただしい日々を過ごすからこそ、「できることはしてあげたい」と母の顔を覗かせる。

【引用元:Number Web

宗じい
母親は色々心配してしまうものじゃが、兄弟が衝突することなく育ったのは、母親の小百合さんが子育て上手だからじゃの〜

高橋藍の母親の作るハンバーグは勝負飯!

高橋藍さんの気合を入れる時の勝負飯は、お母さんの作るハンバーグだそうで、一番好きな食べ物とのことです。

――気合を入れる時の勝負飯があれば教えて下さい

「高校のときは、試合の前の日は緊張もあって、あまり食べれないこともあったんですけど、自分が好きな”お母さんの作るハンバーグ”をよく食べたりしていましたね。お母さんが作るハンバーグが一番美味しいですね(笑)」

【引用元:HONIMIS

ちなみに母親の高橋小百合さんが作るハンバーグは、食べ盛りの子供3人を育てていた当時、経済的な余裕がなかった中での「かさまし料理」だったそうです。

しかし、高橋藍さんは、「おいしい、おいしい」と食べてくれていたようで、その姿を見て母親の高橋小百合さんは、嬉しかったとのことです。

食費を節約するために工夫を凝らした“かさまし料理”も「おいしい、おいしい」と頬張った。母にとって、その姿を見るのが何より幸せだった。

「今でもたまに、藍が取材で『おかんのハンバーグが一番好き』と言ってくれているのを見ると、それだけで10年寿命が延びたと思うし、ありがとう、って。もっとああしてあげたかった、こうしてあげたかったって後悔ばかりですけど、その言葉だけで子育て成功だったって思えるんですよ」

【引用元:Number Web

インコちゃん
食べ盛りの子どもが3人いるといろいろ栄養も考えたり、量も必要になったりで、用意するのは大変だったのでしょうね
宗じい
ワシもハンバーグは大好きじゃ。栄養満点のハンバーグをわしも食べてみたいわい!

高橋藍の母親や家族は高橋藍の一生の味方!

高橋藍さんの母親は、東京オリンピックの時は無観客試合だったため、試合を直接観に行くことは叶いませんでしたが、パリオリンピックは、家族や友人と高橋藍さんの試合を応援しに行く予定だそうです。

夏になれば、パリ五輪が開幕する。東京では叶わなかったが、パリには家族や友人と応援に行く予定を立てている。

【引用元:Number Web

インタビューで高橋藍さんの母親は、周りの評価を気にすることなく、好きなように好きなバレーボールをやってほしい、家族は一生味方だと語っています。

願うのは、メダルや栄誉よりも、ケガなく好きなように、選手生活を楽しく続けられること。

「やりたいようにやってくれればいいんです。それこそまだだいぶ先でしょうけど、結婚相手だって、どんな人を連れて来たって構わない(笑)。いろんな道を切り拓いて、今までやったことがないことをどんどんやってほしいし、周りからどう評価されようと、藍も塁も、好きなように好きなバレーボールをやってほしい。家族は一生味方ですから」

【引用元:Number Web

インコちゃん
いつでも全力で応援してくれるお母さんは、とても素敵な人ですね
宗じい
ワシも心配されたり応援してくれるような暖かい家族がほしいのう。。。

高橋藍の兄はバレーボール選手の髙橋塁!

高橋藍 兄

高橋藍の兄はバレーボール選手の高橋塁で2歳年上!

高橋藍さんの兄は高橋塁さんです。

高橋塁さんもバレーボール選手で、ポジションはアウトサイドヒッターです。

インコちゃん
アウトサイドヒッターは、コートの左右からスパイクを打つ選手のことです。

高橋塁さんは2000年1月14日生まれで、高橋藍さんよりも2歳年上の24歳(2024年8月現在)で、身長は186cmで、高橋藍さんより2cmほど低いです。

インコちゃん
左が高橋藍さんの兄・髙橋塁さんで、右が高橋藍さんです

高橋塁さんは、3歳から小学校6年生頃までピアノを習っていました。

また、水泳やそろばんなど、いろいろな習い事にも挑戦しており、高橋藍さんは、兄の高橋塁さんについていくことが多かったようです。

ピアノや水泳、そろばん。自分からやりたいものを見つけ、いろいろな習い事にチャレンジした塁選手に対し、弟は「とりあえず兄に付いていく」ばかりだった。

【引用元:毎日新聞

そして高橋塁さんは、女子バレーボール元日本代表の栗原恵さんに憧れ、小学校3年生の時に、京都のバレーボールクラブに通い始めました。

インコちゃん
栗原恵さんは元バレーボール日本代表選手です。

当時から、高橋藍さんと一緒に公園でバレーボールのパス練習をしており、高橋藍さんにとって、兄の高橋塁さんはいつも一緒に練習する大切な存在でした。

塁選手は、女子日本代表だった栗原恵さんに憧れ、小学3年で京都ヤングバレーボールクラブ(当時)に通い始めた。兄にとって、弟は貴重な練習相手だった。よく近くの公園に連れて行ってはパス練習をした。

【引用元:毎日新聞

高橋藍の兄は弟に嫉妬していたこともあった!?

高橋塁さんは、京都府京都市立常盤野小学校、京都府京都市蜂ヶ岡中学校を経て、高校は東山高校トップアスリートコースに進学しました。

高橋藍さんとは高校まで同じ学校に通っており、バレーボール部では一緒にエースの対角を務めていました。

しかし、高橋塁さんが高校3年生で、高橋藍さんが高校1年生だった時の春高バレーでは、全国大会に行くことができませんでした。

そして高校卒業後、高橋塁さんは日本大学に進学しました。

なお高橋藍さんが高校3年生の時に春高バレーで全国大会に進んだ時、高橋塁さんはスタンドからその試合を見守っていました。

インタビューで高橋塁さんは、母校が優勝したことや高橋藍さんが活躍したことを純粋に嬉しく思った一方で、自分が弟に「越された」と感じたことや、自分が膝を怪我していたことへの悔しさを語っています。

「あの時はいろんな感情がありました。僕が高3で藍が高1の時から、もう同じぐらいのレベルだったので、この先もっと化けて、バーッと行くやろなと思っていたんですけど、想像をはるかに超えて、春高優勝。純粋に母校が優勝したのは嬉しかったし、藍が活躍したのも嬉しかった。でも『越されたな』という悔しさもあったし、当時大学2年だった僕は膝を怪我していたので、『自分は何してんねん』という感情もあって、最後はなぜか泣いていました(苦笑)」

【引用元:Number Web

大学卒業後、高橋塁さんは2022年からVリーグのサントリーサンバーズに所属しています。

現在では、高橋藍さんに対する嫉妬はなくなり、日本代表として活躍する高橋藍さんを純粋に応援し、一緒にバレー界を盛り上げたいと話しています。

塁は日大を卒業後、Vリーグのサントリーサンバーズに入団した。

「藍が大学1年ぐらいまではちょっと嫉妬はありましたけど、今はまったくないですね。日本代表のあんなに上まで行っちゃったんで、頼もしいというか。純粋に応援しているし、一緒にバレー界を盛り上げたいな、と」

【引用元:Number Web

高橋藍の兄は高橋藍のヒーロー!!

高橋塁さんは、高橋藍さんが活躍し始めてから、「塁くん」と呼ばれるよりも「藍くんのお兄ちゃん」と言われることが増えました。

高橋塁さんは、自分がバレーボールで有名になったというよりも、弟の高橋藍さんの活躍で有名になったと感じており、そのため、自分ももっと頑張らなければならないというプレッシャーを感じていた時期がありました。

このため、バレーボールを楽しめなくなったこともありました。

しかし、そのとき所属先チームのサントリーの先輩が、「そのポジションはお前にしかできない」と言ってくれたことで、高橋塁さんは励まされました。

現在は、高橋藍さんが一生懸命頑張っている姿を見て、自分も頑張ろうと思えるようになったとのことです。

「藍が活躍し出してから、『塁くん』と言われるより、『藍くんのお兄ちゃん』と言われることが増えました。自分の場合はプレーで知名度が上がったというより、藍が活躍したことで知名度が上がったので、そこに自分のプレーを持っていかないといけないというプレッシャーもあって、昔みたいに『楽しい』という感じではバレーボールをできていない。でもそうやってちょっと悩んでいた時に、サントリーの先輩の喜入(祥充)さんが、『そのポジションはお前にしかできないし』という話をしてくれて、救われました。今は、藍が頑張っているから、僕も頑張れます」

【引用元:Number Web

ちなみに、高橋藍さんはインタビューで、「ヒーローは誰ですか?」という問いに対して、兄の高橋塁さんと答えています。

高橋藍さんは、バレーボール選手として、ずっと追いかけてきた目標であり、追い越すべき存在として兄の高橋塁さんを挙げています。

【引用元:GQ

インコちゃん
2024年7月からは髙橋塁さんと髙橋藍さんは同じサントリーサンバーズでプレーしています!
宗じい
同じチームでプレーできて兄弟共に喜んでいるじゃろうな♪

【関連記事】

髙橋藍の兄と妹 家系図

高橋藍の妹はりりでバレーボール選手?兄妹仲良し!

高橋藍 妹

高橋藍の妹もバレーボール選手で高校までプレイ!!

高橋藍さんの妹の名前は高橋莉々りりさんで、2005年1月24日生まれ髙橋藍さんとは3歳差です。

高橋莉々さんの出身中学校は京都市立蜂ヶ丘中学校で、高校は京都両洋高校に進学しています。

中学と高校はバレーボール部に所属していたそうです。

高橋莉々さんが中学時代の試合前に兄・髙橋塁さんが、妹の髙橋莉々さんを応援するツイートをしています。

高橋藍と妹は仲良しで妹の現在は看護師を目指す?

しかし、高校を卒業後は看護学校に通っているとの噂があります。

インコちゃん
真ん中が妹の髙橋莉々さんです!
宗じい
妹の髙橋莉々さんスタイルめっちゃいいのぉ〜!

兄弟仲は良好で、髙橋藍さんの妹・莉々さんはXで髙橋藍さんに関するツイートをしています

インコちゃん
髙橋藍さんにとって妹は可愛いんでしょうね/voice]
宗じい
宗じいもスナックのママにかわいがられたいの・・・

高橋藍の祖父母は食事処を経営?アメリカ出身!?

高橋藍の父方の祖父は食事処「三久」を経営の料理人!

高橋藍さんの父方の祖父は、リーガロイヤルホテルの元シェフであり、現在は髙橋藍さんの祖母と一緒に京都で「三久」という食事処を経営しているそうです。

お店には高橋藍さんに関するさまざまな物が飾られており、髙橋藍さんの祖父が孫の活躍を自慢にしているとのことです。

ご主人がホテルのシェフ(たしかリーガロイヤルホテルだったような・・・)だったので味には不満なし。ただ、男性陣にはちと物足りない量だと思います。それにしても店内にはポスターやら、ユニフォームやら、色んなものが飾られています。バレーの選手でなかなかのイケメンです。聞けば高橋藍(たかはし・らん)選手といって、ご主人の自慢のお孫さんのようです。

【引用元:食べログ

高橋藍の母方の祖父は元シェフ!?アメリカ出身!?

高橋藍さんの母方の祖父はアメリカのフィラデルフィア出身だそうです。

高橋藍さんが「3ヶ月オフになったらどうしたいか?」というインタビューの質問に対して、世界旅行に行きたいと答えており、特にアメリカに行って1カ月暮らしてみたいと述べています。

さらに、母方の祖父がフィラデルフィア出身なので、近くにあるニューヨークにも訪れてみたいとのことです。

──3カ月オフになりました。

世界旅行に行きたいですね。アメリカに行って、そこで1カ月暮らしたりして。僕のおじいちゃんがフィラデルフィア出身なので、そこからも近いニューヨークに行ってみたいです。

【引用元:GQ

インコちゃん
髙橋藍さんの父方のおじいさんは、元ホテルのシェフということで、料理のプロだったのですね
宗じい
宗じいもチャーハンは得意じゃぞぃ!スナックに毎回差し入れで手作りチャーハンを持っていってるわい!

高橋藍の家族構成まとめ

家族構成 説明
父親 髙橋政次。野球好き、高校時代はエースで4番、巨人のスカウトが来るほどの有望選手だった。息子からイジられている。子ども3人の名前を命名。
母親 高橋小百合。アメリカと日本のハーフ、料理上手、育児上手、ポジティブな性格。
兄(髙橋塁) バレーボール選手、サントリーサンバーズ所属。ポジションはアウトサイドヒッター、髙橋藍とエースの対角を組んだこともある。
本人(高橋藍) 日本代表バレーボール選手、日本体育大学卒、現在サントリーサンバーズ所属、ポジションはアウトサイドヒッター。
髙橋莉々。中学高校でバレーボール部に所属、現在は看護学校に通学している可能性あり、兄妹仲が良い。
祖父(父方) リーガロイヤルホテルの元シェフ、現在は京都で食事処「三久」を経営、
祖父(母方) アメリカのフィラデルフィア出身。



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