志尊淳の家族構成や生い立ち!父親は司祭?母親はシンママ!兄弟は?姉は英語が得意?

志尊淳アイキャッチ画像

この記事では、俳優の 志尊淳さんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介していきたいと思います。

志尊淳さんの子ども時代のエピソードや家族との関係、そして高校生でデビューしてから俳優として成功するまでのエピソードをたっぷりとお届けします。

志尊淳さんの軌跡を知ることで、志尊淳さんの魅力やその背景に迫りたいと思います。

インコちゃん
この記事では、そんな志尊淳さんの家族にスポットライトを当ててみました!
宗じい
志尊淳さんが、どんな幼少期を送ってきたのか気になるの〜。ワシの飼ってるインコちゃんと共に面白い記事をお届けします。

志尊淳の家族構成!父親・母親・兄・姉の5人家族

志尊淳の家系図

志尊淳さんの家族構成は「父親・母親・兄・姉・本人」の5人です。

父親:苗字は「宮崎」で立教大学の司祭?作曲家?
母親:3人の子供を育て上げたしっかりもののシングルマザー
長男:既婚。志尊淳が家出をした際には殴る
長女:海外生活が長く、英語が得意?弟の芸能活動にあまり興味がない
次男:志尊淳本人

 

また、志尊淳さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?

祖父(父方):宮崎尚志、NHKの作曲家でコカコーラの初代CM曲を作曲
祖母(父方):中野慶子、「おかあさんといっしょ」の初代うたのお姉さん
祖母(母方):志尊淳は大のおばあちゃん子で2日に1回はLINE、週1回は電話
インコちゃん
ひとまず、志尊淳さんの家族構成がわかりましたね!家族を深掘りするためにも、まずは志尊淳さんの生い立ちを見ていきましょう。
宗じい
志尊淳さんがどんな幼少期を送って来たのか気になるのぉ〜。

志尊淳の生い立ちや学歴!ドカベンが−18kgでヒーローに!

  • 名前(本名):志尊淳しそんじゅん
  • 生年月日:1995年(平成7年)3月5日
  • 身長:178㎝
  • 体重:57kg
  • 血液型:A型
  • 出身地:東京都足立区
  • 学歴:東京都足立区立栗島小学校?→聖学園中学校(偏差値52)→聖学園高校(偏差値58)→日出高等学校通信制課程※現在の目黒日本大学高校

 

 

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志尊淳の幼少期:保育園の先生と映画デートでチュー!?

志尊淳さんの名前は本名です。

珍しい名前であるゆえに、芸名なのか本名なのか聞かれることもあるようです。

「デビューしても間もないとき、オーディションを受けにいったら、ある有名監督に“お前はさ、本名なの? 芸名なの?”って言われたんです。“本名です!”と言ったら、監督に“芸名だったらしばいてるからな!”と言われて」と告白した。

【引用元:日刊大衆

また、志尊淳さんはパッチリとした目やはっきりとした顔立ちから、フィリピン人とのハーフだという噂がありますが、実際には父親の姓が「宮崎」である可能性が高く、父親は日本人で、志尊淳さんの母親もフィリピン人ではなく、日本人です。

そして、志尊淳さんはXで、6歳の時にタイムカプセルに入れた書いた紙を紹介し、そこには「志尊淳」と書かれていたことから、本名も「志尊淳」であることが確認できます。

ちなみに、志尊淳さんは初恋が保育園時代の先生だったことを、2020年3月21日に放送の「あさイチ」(NHK)に出演した際、明かしています。

そして、保育園の先生が大好きで、いたずらばかりをして困らせることが多く「好き」となかなか伝えられなかったそうです。

ただ卒園が近づくにつれて、その先生と出かけたいと思い、実際に映画に誘い、映画中に、その先生のほっぺにキスをするという大胆な行動に出たエピソードを語っています。

初恋が保育園の先生だったと告白。「ぼくの一番の大恋愛」と懐かしそうに振り返り「本当に大好きだった先生がいて、いたずらばっかりしてた。好きって伝えられなくて…」と語った。いよいよ卒園が近づき、志尊は「一緒に出かけたいと思って、映画に誘った」と、保育園児としては驚きの行動に出る。そして2人きりで映画デートを実行するも「映画どころじゃなくて。ここに先生がいると思うと、ソワソワしちゃって。何を思ったかチューしちゃった。ほっぺに」と突然、隣に座る先生にチューしちゃったという。「なんでチューしちゃったんだ?」と動揺していたところ、なんと先生からも「チューを返された」といい「それが忘れられない!」と悶絶。

【引用元:デイリー

インコちゃん
ちなみに、その時観た映画は「コナン」だったとのことです
宗じい
誘った映画がコナンなのは可愛らしいんじゃが、保育園児がずいぶん大胆じゃのー!

志尊淳さんはまた、2024年1月31日に行われた「ペルソナ3リロード」の記者会見で、自分がどのような子供だったかを問われ、雨の日も風の日も雪の日も外で遊ぶ、わんぱくな子供だったと振り返っています。

泥だらけになって帰ってくることも多く、中学までは非常にアクティブな少年だったと話しています。

「どんな子供の頃を過ごしたか」問われ、「雨の日も風の日も雪の日も外で遊んで泥だらけになって帰ってくるわんぱく少年でした」と子供の頃を振り返った。「真っ黒でカサカサで子供らしかった。中学まではアクティブでした」と意外な一面を告白。

【引用元:スポニチ

志尊淳さんは5歳の時の将来の夢は芸能人になることだったそうで、Xでツイートしています。

しかし、この以下の作文を書いたのは小学生の時で、小学生の時にはもう芸能人になる気はなかったようです。

宗じい
今の志尊淳さんは色白で可愛らしい感じじゃが、昔はわんぱく少年だったんじゃの〜

志尊淳の小学時代:剣道区大会で優勝し、野球少年に!

志尊淳さんは、出身小学校を公表していませんが、東京都足立区出身だそうです

そして志尊淳さんと同じ小学校に通っていたことをツイートした方が、五反田駅近くが地元とツイートしているため、東京都足立区内の小学校出身の可能性が高いです。

インコちゃん
ネット上では足立区立栗島小学校ではないかという噂がありますが、真偽は不明です。

家族構成は両親と姉、兄の5人家族でしたが、志尊淳さんが小学生の時に両親は離婚しています。

それ以降、母子家庭で育ち、母親は朝は掃除の仕事、午後は派遣などの仕事をしながら、祖母のサポートを受けつつ志尊淳さんら兄弟を一人で育てたそうです。

小学校の時に両親が離婚。朝は清掃、午後は派遣の仕事など、祖母に支えてもらいながらも母親が女手一つで3人の子供たちを育てたという。

【引用元:TVer+

2020年8月20日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)で、志尊淳さんは「保育園や小学校の先生にはほぼ毎日呼び出されていましたね」と語り、いたずらが原因で母親が頻繁に学校に呼び出されていたことを明かしました。

黒柳から「18年間お母さんを悩ませてきたひどい“きかん坊”で、保育園の時から脱走してたらしいじゃない」と振られた志尊は、「保育園や小学校の先生にはほぼ毎日(母親が)呼び出されていましたね。いたずらとかそのレベルなんですけど……」と打ち明ける。

【引用元:TVer+

このやんちゃな行動の背景には、両親の離婚を受け入れるのに時間がかかり、反発心があったからだと話しています。

幼少期はやんちゃだったようで、親の離婚などもあり「反発精神と言いますか、受け入れるのに時間がかかって…」と母親が相談所に行くほどいたずらばかりをしていた時期があったと明かした。

【引用元:modelpress

宗じい
もともとヤンチャだったようじゃが、小学校低学年だと、父親のいない生活を受け入れるのは難しいじゃろうな。

しかし、小学校当時、小川先生という方が「愛があって、毎日目を見てちゃんとしかってくれた」と述べ、恩師には感謝を感じていることを語っています。

志尊は「毎日叱ってくれた小川先生」と紹介し、「小学校の頃なんですけど、手に負えないくらいいたずらっ子で。母親も毎日呼び出されて」と意外な過去を告白。「愛があって、毎回目を見てちゃんと叱ってくれたのが小川先生だった」と感謝するも、生瀬から「愛を感じたんなら、何で1回で(ちゃんと)できなかった?」とツッコミを受けると、「今思うと愛があったんですけど、そのときは理性が伴ってなかったんでしょうね」と苦笑いを浮かべた。

【引用元:modelpress

また小学校低学年の頃がいたずらがピークで、以降はだんだんと落ち着いていったとのことです。

「母が小学校低学年がエネルギー的にピークだねって(言っていた)。段々と落ち着いてきて、中学校のときには勉強が大好きになっていました」と振り返った。

【引用元:modelpress

ちなみに、志尊淳さんは子供の頃からスポーツ万能だったようで、野球・サッカー・総合格闘技を経験し、小学校時代には野球剣道をやっていたそうです。

子供の頃から野球・サッカー・水泳・総合格闘技を経験し、スポーツ万能。小学生の時には、剣道を始めてわずか2年で、区大会優勝するほどの腕前に。

【引用元:映画ランド

父親から「武道を通じて礼儀を学んでほしい」ということで剣道を始めましたが、実際には野球をやりたかったそうです。

そして野球をやるために、小学校3年生の時には剣道の区大会で優勝して、その後に野球を本格的に始めたと対談で語っています。

最初は父親に礼節を学ぶために武術を勧められて、剣道をやりました。野球をやりたいなと言ったら「金メダルを取ったらいいよ」と言われたんです。なので、剣道をめちゃくちゃ頑張って区大会で優勝して、金メダルをもらって、都大会には出ず、そのまま野球を始めました。小学3年生のときです。

【引用元:Sportsnavi

インコちゃん
剣道を始めてたった2年で区大会で優勝はすごいですね!

また、志尊淳さんの小学校時代の夢はプロ野球選手になることだったそうです。

志尊淳さんの叔父の影響で小学校2年生から野球に打ち込み、また、東京ドームでのジャイアンツ戦を観戦したことがきっかけでその夢をさらに強くしたことをインタビューで明かしています。

野球が好きだった叔父の影響から、小学校2年生からずっと野球に打ち込んでいて、当時はプロ野球選手になるのが夢でした。ある日、東京ドームのジャイアンツ戦に連れていってもらったときに、その気持ちは固まりました。

【引用元:明治安田生命

ちなみに志尊淳さんは外で全力を尽くすタイプで、子供の頃から外で遊びやスポーツを全力で楽しんだ後、家ではすぐに寝てしまうことが多かったそうです。

「僕、すぐ寝ちゃうんですよ(笑)子供の頃からなんですが、外で全力でやりきって帰ってくるタイプなんです。パワーを使い果たして帰ってくるから、家ではさっきまで喋っていたと思ったら寝てた、なんてことはしょっちゅう」

【引用元:Girls Channel

宗じい
ワシも散歩した後は昼寝するのが日課じゃ。散歩に行かない日も昼寝しとるけどの

志尊淳の中学時代はドカベンだった!?

志尊淳さんは、小学校卒業後、私立の男子校である聖学院中学校に進学しました。

この中学校には中学受験を経て入学しています。

小学校時代は剣道と野球をしていた志尊淳さんですが、中学入学後は野球部に入部し、野球一本に専念しました。

志尊淳 中学時代
志尊淳 中学時代

志尊淳さんは子供の頃から運動神経が非常に良く、中学時代も野球部でキャッチャーとして活躍し、さらに4番バッターとしてチームの主力選手だったとのことです。

そして部活の思い出として、学校帰りにコンビニやお惣菜屋さんで買い食いすることが楽しかったと語っています。

志尊は中学まで8年間野球を続け、4番でキャッチャーを務めた。部活の思い出を「学校の途中でコンビニやお総菜屋さんで買い食いして帰るのが楽しかった」

【引用元:デイリー

野球をやっていた頃は身長も低く、体重が73kgあったそうで、「ドカベン」のようだったそうです。

司会から「モテたでしょう?」と聞かれると、学生時代に8年間、野球部で捕手をしていたという志尊さんは「全くゼロです。体重が73キロあって、身長も今より10センチ低く“ドカベン”でした。やめてから(身長が)伸びたんです」と意外な過去を明かした。

【引用元:MANTANWEB

しかし、中学3年生の夏の大会で敗退し、野球部を引退した後、何かがきっかけで2キロ痩せ、そして本格的にダイエットに取り組むことにしたそうです。

この時、体重は72kgから2ヶ月で54kgまで減少し、18kg痩せたことをインタビューで明かしています。

― キャッチャーですか?体格から想像がつきません。

志尊:中3の夏の大会で負けて引退となり、中高一貫校だったので受験はなくて何もすることない中で、何かがきっかけで2キロ痩せたんです。そうして「痩せよう!」と思い、走って食べないという生活をしていたら2ヶ月で18キロ痩せました。

【引用元:modelpress

本格的にダイエットに取り組んだきっかけは母親から「1kg痩せたら1000円あげる」と言われたことだそうで、中学生だった志尊淳さんはお金が欲しいという思いで頑張ったそうです。

そして、その結果、18kg減量し、18000円をもらったとのことです。

「お母さんに『1キロ痩せたら1000円あげるよ』って言われたんですよ。中学生なんでバイトもできないですし、お金欲しいと思って18キロ、1万8000円貰いましたね」ときっかけを明かした。

【引用元:modelpress

しかし、このダイエット方法は非常に過酷で、ゼロカロリー飲料を飲んだり、ところてんを食べたり、ひたすら走るというもので、最終的には倒れて入院することになり、母親からもダイエットを止められたそうです。

― 2ヶ月で18キロもですか!?

志尊:はい。痩せることが楽しくなって、今考えるとかなり不健康ですが、ゼロカロリー飲料を飲んで、ところてんを食べて、走るといったストイックなことをしていました。さすがに親も心配しだして「いい加減にしなさい」と注意されるほどで、ついには倒れて、入院してしまいました(苦笑)。

【引用元:modelpress

宗じい
そんな過激なダイエットはダメじゃぞ!成長期に食べずに痩せるのはいかん!お母さんだってそれは心配するわい

そして、ダイエットをしたのは夏休み期間中で、夏休み明けに学校に戻ると、クラスメイトはその激変ぶりに驚き、「脂肪吸引をしたのか?」と聞かれるほどで、急に周りの女子が優しくなったとのことです。

夏休み中のことでしたが、夏休みが終わり学校に行くとみんなもびっくりしていて「お前、脂肪吸引したのか?」と言われるほどで(笑)。別人ぶりに心配もされましたが、急に周りの女子が優しくなりました(笑)。

【引用元:modelpress

宗じい
男子校なのに周りに女子がいるというのは、共学なのに周りに女子が1人もいなかった宗じいと大違いじゃな・・
インコちゃん
志尊淳さんは、このダイエット経験を通じて、体質が変わり、あまり太らなくなったそうです

志尊淳は中学時代猛勉強で成績を上げダイエットでモテモテに!

中学時代は野球に力を入れていたため、学校の成績はあまり良くなかったそうです。

しかし、後に猛勉強をして学年300人中180位から7位になるまで成績を上げたことをインタビューで語っています。

通っていた中学がかなり勉強に力を入れている学校だったので、テストの度に順位が張り出されるんです。クラス分けも成績順にされますし。入学以来、大好きな野球に没頭して部活が一番大事だったので、勉強の順位なんて気にせず、だいたい学年300人の中で180位くらいだったんです。ただ、何回もテストが続く中で、生徒の中でも「上位のヤツって、やっぱりスゴイよな」みたいな空気が出てくる。それが強くなってくると、僕の中で、そこで勝手に自分の全てを評価されているような感覚になって、それがおもしろくないなと。なので、だったら、順位を上げようと思って、1年間で7位までは上げました。

【引用元:YAHOO!ニュース

また勉強では特に英語に力を入れており、中学3年生の時には英検2級を取得したそうです。

「中学3年生のときに英検2級を取ることができました。周りの環境であったり、とにかく英語を喋れるようになりたいという一心で、3年間は英語しか勉強してないんじゃないかってくらい勉強しました」

【引用元:modelpress

インコちゃん
英検2級は高校卒業程度の英語力が必要なため、中学3年生で英検2級取得はすごいですね!

さらに、痩せた後の中学3年生の時は非常にモテたそうで、2019年放送の「櫻井・有吉THE夜会」(TBS系)に出演した際、月に30人の女子から告白されたこともあったり、バレンタインは県外からも女子生徒が殺到などのモテ伝説が紹介されています。

そして15歳のときに「今の人生の中では一番モテてたのかなと思います」というモテ期があったという志尊。同級生から寄せられた「月に30人から告白されていた」「バレンタインデーは県外からも女子生徒が殺到」などのモテ伝説が紹介されると、共演者たちからは「月30人?」「2月だったら溢れてる」と驚きの声が上がった。

【引用元:modelpress

ちなみにバレンタインでもらった最大のチョコレートの数は、友チョコを含めて40個くらいだそうです。

中学2年生の女子生徒は、「学生時代にチョコは最大どのくらいもらいましたか?」という直球の質問を投げかける。志尊が「友チョコを含めて40個です」と告白すると、中条は驚きのあまり体をのけぞらせ、小関も「すごいな……」と口あんぐり。

【引用元:映画.com

インコちゃん
月に30人から告白されるって、毎日告白されてるじゃないですか!月に30人にフラれる宗じいとは正反対ですね
宗じい
う、、、ワシは義理チョコすらないわい!ワシにも分けてくれ〜。それにしても男子校というのは本当か!?

志尊淳は高校時代に芸能界デビュー!!

志尊淳さんは、聖学院中学校を卒業後、2010年4月に聖学院高等学校に入学しています。

インコちゃん
聖学園高校は1903年に開校したプロテスタント系のミッションスクールで、中高一貫校のため志尊淳さんは高校受験をしていません

志尊淳さんはこの学校の出身であることを公表していませんが、聖学院中学校・高等学校のフェイスブックで志尊淳さんにエールが送られていました。

中学時代まで志尊淳さんは野球に夢中でしたが、高校では部活動をやらずに帰宅部でした。

志尊淳 高校1年生
志尊淳 高校1年生

そして、2010年の高校1年生のときに俳優養成所のワタナベエンターテインメントスクール(WES)に入校し、本格的に俳優を目指し始めたそうです

インコちゃん
ワタナベエンターテインメントスクールは、大手芸能事務所のワタナベエンターテインメントが経営する俳優養成所で、山田裕貴さんや中村昌也さんもこの養成所の出身者です。

志尊淳さんが俳優を目指したきっかけは、中学3年の終わり頃に芸能事務所から20回ほどスカウトを受けたそうで、可能性があるのかもしれないと思うようになったからだそうです。

志尊は「僕は街を歩いててスカウトしていただいたんですけども、そこで事務所には入らず、『あっ自分にもやれる可能性があるんなら』と思って養成所に入ったんですけど」とスカウトされたタイミングではなく、自分で養成所に入り芸能界デビューしたと振り返った。

嵐の櫻井翔が「スカウトってどこでされるの?」と質問。志尊は「1番最初は池袋のサンシャイン通りでされたんですけど」と返答し、さらに「最初はって何回されてんの?」と聞かれると、「20回(くらい)」と明かし、共演者たちは「マジで!?」と驚きの声をあげた。

【引用元:TALENTBANK

インコちゃん
20回もスカウトを受けたってすごいですね!
宗じい
めちゃくちゃ可愛い顔しとるのー!これはスカウトわんさかくるわい!

ただ、当時は「芸能界は怖い」というイメージがあり、電話をかけることができず、まずは養成所で演技やダンスを学ぶために養成所に入ったと2021年1月24日放送の「ボクらの時代」(フジテレビ系)に出演した際に語っています。

もともとは養成所に入る前にスカウトされていたものの、「スカウトって、名刺もらって、『興味あったら後日電話してください』と言われるじゃん。それが怖くて、電話できなくて養成所に入った。可能性があるなら学びたいなというところから、演技、ダンスを学ぼうと思って養成所に入って、今がある」と語った。

【引用元:エンタメRBB

そして、志尊淳さんは、まずは養成所の審査会で1位をとることを目指して頑張ったそうです。

その結果、審査会で1位になり、その後マネージャーに言われて受けたオーディションのミュージカル『テニスの王子様』に合格して、俳優としてデビューすることになったとのことです。

養成所の様子については「すごい人がいっぱいいて、ほかの人に負けたくないと思った。審査会という自己PRをする舞台があって、絶対1位を取ってやるという思いでがむしゃらにやっていた」と振り返った。週2回のレッスンとアルバイトの日々を経て、審査会で1位を取り、マネジャーに言われて受けた『テニスの王子様』のオーディションに合格。「次の月にはジャンプに名前が載っていた」という。

【引用元:エンタメRBB

インコちゃん
ちなみに志尊淳さんは養成所に入って、たった3ヶ月で審査会で1位を獲っています。すごいですね〜

ちなみに、志尊淳さんは芸能界に入る際に両親に相談したそうで、両親は驚いていたものの、志尊淳さんの本気でやりたいという決意を尊重してくれたことをインタビューで明かしています。

ご両親に相談は

それはもちろんしました。二人とも最初は、「まさか」という反応でしたけど、僕の本気の様子を見ると、「淳が本気なら」と認めてくれた。昔から僕は、何か一つこうと決めたら、それに対して探求してトコトン突き詰めたい性格なんです。一たび扉を開いて一歩足を踏み出したからには、しっかりと自分なりに歩いていきたい――、僕の眼のなかの「やる」という決意を両親は読み取ったんだと思います。

【引用元:モルゲンWEB

志尊淳は17歳の時に家出をして1人で涙を流した!?

高校2年生の2011年に、舞台「テニスの王子様」で俳優デビューを果たしました。

ミュージカル「テニスの王子様」 志尊淳
ミュージカル「テニスの王子様」 志尊淳 【出典:テニミュ・モバイル

しかし、デビュー当時は非常に大変だったようで、舞台稽古について行くのに必死だったとインタビューで語っています。

デビューは大きな舞台でのミュージカルだったので、勉強したことも吹き飛ぶぐらいの大変さでした。演技だけでなく、ダンスあり、アクロバットありだったので稽古についていくのに必死で。そして、いざ舞台に立つと、想像以上に大きな舞台と多くのお客さまを目の当たりにして、責任を感じました。

【引用元:FromA

そして、芸能活動が徐々に忙しくなるにつれて、家族とのすれ違いが生まれるようになったそうです。

僕、17歳の時に家出をして、2年ほど一人で生活したんです。『テニミュ』への出演が発表されると、兄や姉は「“志尊”って、あなたの弟?」と聞かれたりしていたそうで、ストレスもあったと思います。けんかになることが増えてしまって……。

【引用元:婦人公論

志尊淳さんは家族に対して「俳優であることを隠してもらいたかったし、俳優の仕事をやっている時の時間のルーティンも理解してもらえない。夜も練習しているとうるさいと言われてしまう。」という不満があったとのことです。

そのようなことがあり、17歳の時に、ついに家出をしてしまったことを2020年8月20日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演した際に明かしています。

15歳でデビューした後、17歳の時に舞台に立たせてもらえるようになった志尊は、本名で活動していたことから家族と亀裂が入るように。「俳優であることを隠してもらいたかったし、俳優の仕事をやっている時の時間のルーティンも理解してもらえない、夜も練習しているとうるさいと言われてしまう。これはもう(実家を)出ようと思い、共演者の家に泊らせてもらって……」と家出したことを明かす。

【引用元:TVer+

そして家を出る際、たまたま祖母に見つかってしまい、祖母は顔面蒼白で涙を流しながら志尊淳さんにどこへ行くのかと尋ねましたが、しかし、志尊淳さんは祖母の顔を見ても何も答えられず、「ごめん」とだけ言って家を出たとのことです。

家を出る際、たまたま祖母に見つかってしまったと言い、「顔面蒼白で涙流して『淳、どこ行くの?』って言われたんですよ…。でも僕はそのおばあちゃんの顔を見て何も答えられなくて『ごめん』って家を出たんです」と説明した。

【引用元:modelpress

宗じい
つらいの、、、ワシだって、もう号泣じゃ。。。

ちなみに、家出期間中、志尊淳さんは朝はスーパーでアルバイトをしてから学校へ行き、授業が終わると舞台の稽古へ行き、夜帰宅してからは家の前の路地でラケットを使ってのダンスの練習をするなど、とてもハードな毎日を送っていたそうです。

当時は朝、スーパーでレジのバイトをしてから高校に行き、授業が終わるとすぐに稽古場に通う毎日でした。夜、帰宅して学校の宿題をした後は、家の前の路地で、イヤフォンで音楽を聴きながらダンスの練習。『テニミュ』はラケットを振り回すシーンが多くて、室内では練習できなかったんですよね。(笑)

【引用元:婦人公論

そして、引っ越し先を見つけ、住民票を移し、家族との連絡を一切断ってから一年後に志尊淳さんは兄から呼び出され、家族との話し合いのために実家に戻ったそうです。

その際には、母親も祖母は大号泣しており、兄からは「母親泣かせるってどういうことかわかってるんだろうな」と殴られ、姉からは「二度と帰ってくるな!」と怒られたことを明かしています。

志尊淳さんも後に引けずに、この話し合い後、家には戻りませんでしたが、芸能活動を覚悟を持ってやらなきゃだめだと決意し、生活費と学費を、アルバイトと俳優の仕事で工面していたことを語っています。

それで自立しなきゃと、自ら退路を断ったんです。住民票も移して、1年間は家族との連絡を一切絶ちました。1年経って家族に再会した時は、兄からは殴られ、姉からは「二度と帰ってくるな!」と怒られ、母と祖母は大号泣。それを見て苦しくてしかたがなかったけど、自分で決めたことだし、やらなきゃと。今はこの経験があってよかったと心から思っています。2年間、バイトをしながら学費や生活費を工面したことで家族の偉大さもわかりましたし、自分も成長できましたから。

【引用元:婦人公論

家を出た日の夜は、暗い部屋でパンを食べながら泣き、家族のことを思い出して「頑張るしかない」と決意したと振り返っています。

「そこから何年かは連絡も取らず。(家を出た日は)暗い部屋でパンを食べながら泣いていました。走馬灯のように家族のことを思い出して、頑張るしかないって思いました」と振り返った。

【引用元:TVer+

インコちゃん
志尊淳さんの家族の心配する気持ちと、志尊淳さんの自立したい気持ちがすれ違ってしまったのでしょうね
宗じい
お互いが大事だからこそこうなってしまったんじゃろうが、辛いの〜辛すぎるわい

志尊淳は芸能活動専念のため転校もオーディションに落ち続ける!

なお、高校時代の芸能活動は、高校2年生の7月にワタナベエンターテインメントの有望な若手俳優で結成された「D2」にも所属しています。

D2(志尊淳は前列右から2番目、左隣は山田裕貴)
D2(志尊淳は前列右から2番目、左隣は山田裕貴)

ただ、志尊淳さんは、ミュージカル「テニスの王子様」の後、オーディションになかなか受からなかったことをインタビューで語っています。

当時は、何かオーディションがあると事務所の同世代がみんな一斉に受けに行っていたんです。僕らは仲間でもあり、ライバルでもあった。そして、どのオーディションでも、やはり受かるのはドラマとか映画などの出演実績のある子だったんです。当時の僕のキャリアは、映像作品に関してはほぼゼロで。そのゼロを1にするために、何度もオーディションを受けに行っていたけど、まったく受からない。最終審査までは行くけど、結局受からないという日々が続いて、“どうすればいいんだろう!?”と、ずっと悩んでいました。

【引用元:Deview

ちなみに、志尊淳さんは、芸能活動に専念するために高校3年生の途中で聖学院高校を中退し、日出高等学校(現在の目黒日本大学高校)の通信制課程に編入しています。

日出高等学校通信制課程では、当時AKB48のメンバーだった川栄李奈さんと同級生でしたが、毎日顔を合わせることもなかったため、あまり話をしなかったそうです。

志尊が「同じクラスだよね?」と言うと、川栄も「同じクラスだった」と返答。ただ学校は通信制だったため、毎日顔を合わせるようなことがなかったのだとか

【引用元:エンタメRBB

高校生活の思い出としては、高校3年生の時に全学年・クラス対抗の球技大会があったそうで、志尊淳さんのクラスは団結して、バスケットボールで優勝したことだそうです。

また、志尊淳さん自身はMVPを獲得したとのことです。

高校3年生の時、バスケットボールで競った全学年・クラス対抗の球技大会が思い出だ。「クラスによって球技大会に臨むモチベーションはまちまちでしたが、僕らのクラスは団結して1番を目指しました。僕自身も『勝つ!』という強い気持ちを押し出して全力でプレーしました」結果は見事優勝。「クラス全員で成し遂げた達成感が心地よかった。実は、大会MVPを僕がいただきました」と笑う。

【引用元:高校生新聞ONLINE

そして、2014年3月、志尊淳さんは日出高等学校通信制課程を卒業しています。

インコちゃん
志尊淳さんは高校3年生の時に転校しているため、球技大会のエピソードが、聖学院高校か日出高校のどちらのエピソードかは不明です
宗じい
忙しい日々の中でも充実した学校生活もあったんじゃの〜。自力で高校に通い、卒業するのは偉いぞ!

志尊淳のドラマ初出演から家族との和解、現在まで

高校卒業後は芸能活動に専念するために、大学には進学していません

そして、2014年、19歳の時にスーパー戦隊シリーズ「烈車戦隊トッキュウジャー」の主演である、ライト(トッキュウ1号)役でテレビドラマ初主演を果たします。

「烈車戦隊トッキュウジャー」(中央:志尊淳、右から2番目:横浜流星)
「烈車戦隊トッキュウジャー」(中央:志尊淳、右から2番目:横浜流星)【出典:ORICON

この作品以降、オファーが増え、オーディションでも役を獲得できるようになったそうです。

やっぱり『烈車戦隊トッキュウジャー』です。『トッキュウジャー』以前とそれ以降とでは、環境がガラリと変わりました。この作品以降、オファーというものをいただけるようになりましたし、それ以降に受けたオーディションではほぼ役をいただけるようになった。

【引用元:Deview

インコちゃん
この「トッキュウジャー」には、後に人気俳優となる横浜流星さんも出演していました

その翌年には連続ドラマ「表参道高校合唱部!」にもレギュラー出演し、以降は話題作の連続ドラマや映画に起用され、期待の若手俳優として人気が高まっていきます。

ちなみに、ドラマ「5→9〜私に恋したお坊さん〜」(フジテレビ系)で家族と対立する場面を演じることになった志尊淳さんは、現実の自分と家族との確執が重なり、涙がこらえきれなくなったそうです。

素直な天音の気持ちを家族にぶつけるシーンだったので、事前にあれこれ考えず、思いの丈をぶつけようとしました。台本には泣くとは書いていなかったけれど、自分の気持ちを素直に兄さんに届けられるといいなって思っていると、テストの段階からボロ泣きしてしまって。

【引用元:ORICON

そして、そのドラマのシーンを見た家族から「あの時、淳はこんな気持ちだったのか」と連絡が来て、久しぶりに家族に会い、改めて家族の大事さを感じて号泣したとのことです。

また、この連絡をきっかけに、家出から2年ぶりに志尊淳さんは実家に戻ったことを、2020年3月21日放送の「王様のブランチ」(TBS系)に出演した際に語っていました。

「僕がドラマで家族に対して泣きながら『こうだよ!』っていうシーンがあって、それを見た家族から連絡が来て『淳ってこういう気持ちだったのかもしれないな』みたいな連絡が来て。久しぶりに会って、僕も出たことによって家族の大事さっていうのをすごく感じて号泣で。これからもよろしくって形で」「今はめっちゃ仲良くなったんですけど」「その時期があって良かったなって凄く思います。今は」と語った。

【引用元:exciteニュース

インコちゃん
ケンカ別れをしても、心の底ではお互いに思い合っていたのでしょうね
宗じい
よかったの〜。お互いが歩み寄れるきっかけがあってよかった!!

その後も、TVドラマ「女子的生活」ではトランスジェンダーの役を演じ第73回文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門の放送個人賞を受賞しており、今後の活躍にも期待が寄せられています。

インコちゃん
ここからは、志尊淳さんの家族がどんな人なのかをそれぞれご紹介します。
宗じい
志尊淳さんは可愛い顔をしておるが、中身はずいぶん男前でしっかりておるんじゃな

志尊淳の父親は宮崎光?立教大学の司祭?作曲家!?

志尊淳 父親

志尊淳の父親は宮崎光?宮崎道?

志尊淳さんの両親は、志尊淳さんが小学生の時に離婚しています。

その後、志尊淳さんは母親に引き取られて育ったため、父親の詳細はあまり知られていません。

しかし、志尊淳さんには有名な家族おり、叔父が嵐の「ハダシノ未来」などの楽曲を手掛けたことがあるシンガーソングライターの宮崎歩さんであり、志尊淳さん自身も、2017年のTwitterでこのことを明かしています。

また、2020年5月には志尊淳さんと宮崎歩さんが一緒に楽曲制作を行うなど、親交が深いことが伺えます。

そして、志尊淳さんの祖父は作曲家の宮崎尚志さんで、宮崎尚志さんには3人の息子がおり、長男の宮崎光さんは立教大学の司祭で、次男の宮崎道さんは作曲家、三男の宮崎歩さんはシンガーソングライターです。

宮崎尚志さんの葬儀直後、宮崎光さん、宮崎道さん、宮崎歩さんの3人でCD「NAOSHISM」を制作しています。

CD『NAOSHISM』は父=ヨシュア宮崎尚志の逝去・葬儀を行った直後、2003年5月半ばに家族全員で会合をもち、製作を決定したものです。選曲に関してはほぼ長男・宮崎光司祭、次男・宮崎道(私)、三男・宮崎歩の3人を中心に一晩で決めました。

【引用元:NAOSHISM – 宮崎尚志の世界

このことから、志尊淳さんの父親が宮崎光さんまたは宮崎道さんである可能性があります

志尊淳の父親は立教大学で司祭!?

宮崎光さんはキリスト教と関わりが深く、司祭として立教大学に属しています

立教大学司祭 宮崎光
立教大学司祭 宮崎光【出典:立教大学オーガニスト・ギルド

立教大学オーガニスト・ギルドのウェブサイトには、宮崎光さんが2011年から母校で司祭として働いていることが記載されています。

宮崎光さんは、町の教会の牧師として20年間勤めた後、2011年4月から立教大学に戻り、現在は礼拝学を専門的に研究しています。

また、宮崎光さんは映画監督になる夢を持っていたこともあり、映像身体学科にも興味を持っているとのことです。

立教大学チャプレン(池袋) 宮崎 光 先生

立教大学在学中から、池袋チャペルに入り浸り、一応、オーガニストギルドにも所属していました。町の教会の牧師として20年を過ごし、2011年4月から、懐かしくて新しい母校に舞い戻りました。現在の『日本聖公会 聖歌集』編纂にも携わり、礼拝学(典礼学)を専門的関心領域としています。高校時代は8ミリフィルムの自主映画小僧で、映画監督になるのが夢でした。新座キャンパスの映像身体学科には興味津々です。

【引用元:立教大学オーガニスト・ギルド

志尊淳の父親は作曲家で聖歌作家!?

宮崎道さんは作曲家で、聖歌作家として活動しています。

宮崎道
宮崎道【出典:Peter宮崎 道の やけくそ聖歌作家

宮崎道さんの公式サイト「オンガクのミヤザキ」には、次のような情報が記載されています。

– 父親は昭和時代の日本のコマーシャル音楽の第一人者であった作曲家の宮﨑尚志さん。
– 母親はNHK初代「うたのおねえさん」だった歌手の中野慶子さん。
– 宮崎道さんは三兄弟の次男。

彼は1968年2月16日に東京で生まれた。彼の父は、作曲家・宮﨑尚志(Naoshi Miyazaki)、彼は日本のコマーシャル・ミュージックの第一人者だった。彼の母は、歌手・中野慶子(Keiko Nakano)、彼女はNHK(日本の国営TV)の初代“うたのおねえさん[Uta no Onesan]”(日本の国民的アイドルのような)だった。

【引用元:オンガクのミヤザキ

また、宮崎道さんの聖歌作家としてのサイト「Peter宮﨑 道のやけくそ聖歌作家」には、弟の宮崎歩さんと共に数多くのアマチュアバンドでステージ経験を積んだことが書かれています。

弟・宮崎 歩と共に幾多のアマチュアバンドでステージ経験を積み、1996年にクラシック・オーボエ奏者の堀江和夫と出会い、バンド“Elpis”(エルピス)を結成、教会を中心に、学校、大ホール、屋外など場所を選ばず演奏し、現在も不定期ながら演奏活動を行っている。

【引用元:Peter宮﨑 道のやけくそ聖歌作家

インコちゃん
志尊淳さんの父親が宮崎光さんか、宮崎道さんであるかどうかは確定していませんが、近しい存在であることは間違いありません
宗じい
父親も素晴らしい才能の持ち主の可能性があるのぉ。やはり宗じいとは住む世界が違う人々じゃ・・

志尊淳の母親の年齢は?名字は「志尊」で子供3人のシングルマザー!

志尊淳 母親

志尊淳の母親の年齢は53歳で名字は志尊!

志尊淳さんの母親は一般人のため、詳しい情報は公表されていませんが、志尊淳さんは本名であるため、苗字は「志尊」です。

そして、2020年8月20日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に志尊淳さんが出演した際、その日は母親の50歳の誕生日であることを明かしました。

つまり、お母さんは1970年8月20日生まれで、志尊淳さんのお母さんは、25歳の時に志尊淳さんを出産したと思われ、現在は53歳(2024年6月現在)です。

志尊淳の母親はダブルワークで子供3人を育てる!

志尊淳さんが小学生の頃に両親は離婚し、志尊淳さんの母親は祖母に助けてもらいながら、ひとりで3人の子供を育てました

志尊淳さんの母親は、朝は清掃の仕事、午後は派遣の仕事をして生計を立てていたそうです。

小学校の時に両親が離婚。朝は清掃、午後は派遣の仕事など、祖母に支えてもらいながらも母親が女手一つで3人の子供たちを育てたという

【引用元:TVer+

なお、志尊淳さん自身は末っ子で一番手を焼かせる存在で、志尊淳さんが17歳の時に家出したときは、母親は非常に悲しんだとのことです。

末っ子の聞かん坊で一番手を焼かせた僕が勝手にいなくなり、シングルマザーだった母はすごく悲しんだみたいです。今は、「淳が突然いなくなったことで子離れができた」と言っていますけど。

【引用元:婦人公論

しかし、現在では志尊淳さんの活躍がお母さんの生きがいとなっているようです。

そして、志尊淳さんは母親への思いがとても強く、2020年8月20日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)で、お母さんが一生暮らせる家を建ててあげることが目標だと語っています。

苦労をかけた母と祖母への思いは格別で、「俳優をはじめて目標を聞かれるのですが、母が一生暮らせる家を建ててあげることが目標ですね」とコメント。

【引用元:TVer+

そんな素敵な志尊淳さんの母親は、小さい頃からずっと物事の筋を通すことの大切さを教えており、やりたいことは最後までやり通すようにと教えてきたそうです。

そのため、志尊淳さんは仕事でも何でも、妥協せずに突き詰めてやり通すようになったことをインタビューで述べています。

厳しい業界ですから、このお仕事をはじめたころは、周囲の人たちは成功する可能性は低いと思っていたかもしれません。それでも家族が僕のことを信じて味方になって応援してくれていたから、また背中を押してくれたから今の自分があると思っています。だから僕の人生は、家族の存在なしではありえません。母親からは、小さいころからずっと物事の筋を通すことに関しては口をすっぱく言われてきて、僕自身がやりたいと言ってはじめたことは最後までやり通しなさいと教わりました。僕は仕事でも何でも、気になることがあったら妥協をせずに突き詰めたいタイプなのですが、それは親の教育の賜物だと思っています」

【引用元:明治安田生命

インコちゃん
とてもしっかりとしたお母さんなのでしょうね

志尊淳は母親にメールで遺書を送り母親は涙止まらず!

志尊淳さんは、2021年3月に急性心筋炎を発症し、約1ヶ月休養し、治療を行なっていたことを2023年10月20日放送の「A -Studio+」に出演した際に明かしており、その時に、メールで母親に遺書を送っていたそうです。

その遺書を見て、母親は涙が止まらなくなったとのことです。

事前に志尊の母に取材していた鶴瓶は「お母さんにメールで遺書送ったんやな」と暴露。Kis-My-Ft2・藤ヶ谷太輔は「『入院って言っても最初は大丈夫だと思ってたけど、やっぱり遺書のLINEが届いて、えーっと思って見てたら涙が止まらなくなって』って」と母の心境を伝えた。志尊はICUに入った時に「意識がなくなったら人工心肺に切り替える」ことに同意する文書に署名しており「その署名した時に思い浮かんだのが、やっぱり家族で。家族に何か言葉を伝えたいと思って、送ったと思います」と「遺書」を送った思いを説明した。

【引用元:デイリー

そして、志尊淳さんの回復後に心労から今度は母親がくも膜下出血で倒れ、一時は命の危険まであったそうですが、奇跡的に後遺症なしで助かったことを話しています。

自身の回復後に心労が重なった母が「くも膜下出血で倒れちゃって」と告白。命の危険もあったが「奇跡的に後遺症ゼロ」だったという。

【引用元:デイリー

宗じい
二人とも助かって本当に良かったのぉ!

志尊淳と母親は大の仲良しで1時間以上の長電話をすることも!

志尊淳さんの母親はテレビのリモコン操作が得意ではなく、リモコンに動画アプリの起動ボタンがあらかじめ登録されていることが便利で喜んで使っていると、インタビューで志尊淳さんが明かしています。

うちの母はリモコンでどう検索したらいいかなどがあまりわからないので、リモコンに動画アプリの起動ボタンがあらかじめ登録されているのは便利で母や祖母がすごく喜んで使っています。

【引用元:SHARP

また、志尊淳さんは、母の日にはお母さんに電話をしたり実家に帰ったりするなど、お母さんとの仲が非常に良好であることがSNSでも語られています。

そして、1時間以上母親と長電話をすることもあるようです。

また、志尊淳さんのXでは、母親がサッカーの堂安選手と歌手の堂珍さんを間違えたエピソードなどをつぶやいています。

志尊淳の母親の顔画像をAIで想像してみた!

インコちゃん
志尊淳さんのお母さんの顔画像は公開されていないので、AIアプリでお母さんの現在の姿を想像して作ってみました。志尊淳さん似ver.です
AIアプリで作った想像の志尊淳の母親の顔
AIアプリで作った想像の志尊淳の母親の顔(※実在しない人物です)
あくまでも、AIアプリで志尊淳さんから想像して作った架空の顔画像ですので、実際の志尊淳さんのお母さんの顔画像ではありませんのでご注意ください。
インコちゃん
いろいろ苦労もありましたが、現在は志尊淳さんともとても仲良しなのですね
宗じい
志尊淳さんに似て、めちゃくちゃ美人なんじゃろな〜。ワシと再婚とかしてくれんかの〜♡

志尊淳の兄弟は父親がわりに怒ってくれる頼もしい兄!?

志尊淳 兄

志尊淳さんの兄は一般人ですので、詳しい情報は公表されていません。

志尊淳さんがミュージカル「テニスの王子様」に出演するようになった頃、俳優の仕事をしていることで、志尊淳さんの兄や姉は「“志尊”って、あなたの弟?」と聞かれることが多くなったそうです。

宗じい
いつか宗じいも有名になって「宗じいって、あなたの兄?」と弟が聞かれるくらいになりたいのぉ。。

上述したように、それがお兄さんやお姉さんにはストレスになったようで、兄弟でケンカをすることが増え、志尊淳さんは2年間家出をしていました。

兄弟でのエピソードとしては、子供の頃、兄弟でテレビの取り合いをすることも多かったことをインタビューで語っています。

Q.子供のころ兄弟でテレビの取り合いをしていたとのことですが、子供の頃に好きだった番組は何ですか?

A.ドラマもバラエティもたくさん見てましたが、一番は野球中継を見ていました。それ以外だと、『さんまのからくりTV』とか、『学校へ行こう!』とか、『うたばん』などをよく見てました。

【引用元:SHARP

また、家出をしている期間に一度実家へ戻り話し合いをした際に、お兄さんに初めて殴られたそうですので、志尊淳さんのお兄さんは、父親がわりに真剣に怒ってくれる存在だったのかもしれません。

兄から連絡があり、家族で話し合うことに。母親は大号泣で、志尊は兄に「母親泣かすってどういうことかわかっているか」と初めて殴られたという。

【引用元:modelpress

ちなみに、志尊淳さんのお兄さんは2017年に結婚されたようで、志尊淳さんのお兄さんが結婚した際に、志尊淳さんはXで祝福しています。

また志尊淳さんはお兄さんのことを「優しくて頼もしくて素敵すぎる兄貴」と表現しています。

インコちゃん
志尊淳さんのお兄さんの顔画像は公開されていないので、AIアプリでお兄さんの現在の姿を想像して作ってみました。志尊淳さん似ver.です
AIアプリで作った想像の志尊淳の兄の顔
AIアプリで作った想像の志尊淳の兄の顔(※実在の人物ではありません)
あくまでも、AIアプリで志尊淳さんから想像して作った架空の顔画像ですので、実際の志尊淳さんのお兄さんの顔画像ではありませんのでご注意ください。
インコちゃん
AIアプリで作ったお兄さん、どことなく立教大学司祭の宮崎光さんに似ている気がします
宗じい
そうじゃな!よく見ると、目が似ておるの〜

志尊淳の姉も英語が得意?海外生活が長く弟の芸能活動に興味なし!?

志尊淳 姉

志尊淳さんの姉は一般人のため、詳しい情報は公表されていません。

2018年9月30日放送の「おしゃれイズム」(日本テレビ系)で、志尊淳さんは「お姉ちゃんが去年くらいまで海外にいたんです」と話しており、長期で海外留学、もしくは海外で生活していたようです。

インコちゃん
志尊淳さんも中学3年で英検2級をとっており、姉も海外が長いようなので、英語が堪能な可能性がありますね!!

そのため、志尊淳さんの俳優としての活躍をよく知らないそうです。

また、「お姉ちゃんの家にはテレビがない」と志尊淳さんが話しており、日本の芸能事情に疎いようです。

宗じい
宗じいは日本の芸能事情に興味しかないわい!

そして、2017年12月6日に行われた映画「覆面系ノイズ」の公開記念舞台挨拶では、志尊淳さんは姉があまり自分の出演作品を見ていないことを語っています。

志尊淳さんは「姉が僕の作品を全然観てくれない。ずっと海外にいたので、全然興味がなくて『あんた仕事何?』みたいな」と普段の様子を明かしていました。

そして、姉が日本に帰ってきた後に「覆面系ノイズ」を見てくれて、感想をもらったそうですが、その感想は「中条あやみちゃんかわいいね、小関裕太くんかっこいいね」と他の出演者に対するもので、志尊淳さんについては「唇青かった」と言われただけだったそうです。

志尊淳さんは「海のシーンのことだと思います。うれしいけれど、もう少し褒められるような感想をいただきたかった」と述べています。

志尊は「姉が僕の作品を全然観てくれない。ずっと海外にいたので、全然興味がなくて『あんた仕事何?』みたいな」と普段の様子を明かし、「日本に帰ってきて『覆面系ノイズ』を観てくれて、感想がきたんです。『中条あやみちゃんかわいいね、小関裕太くんかっこいいね』。順番的に次は俺についての感想だと思ったら、『あんた、唇青かった』って」と苦笑。「海のシーンのことだと思います。うれしいけれど、もう少し褒められるような感想をいただきたかった」と肩を落とした。

【引用元:ORICON

ちなみに、志尊淳さんはSNSでお姉さんとのやり取りをたびたび公開しています。

志尊淳さんのお姉さんが、志尊淳さんが出演のドラマ「ムチャブリ!わたしが社長になるなんて」のタイトルを「ブッチャケ」と間違えたり、「こないだ、一瞬見たよ、小さい男の子がお母さん誘拐されて泣いてた」と実際の展開と違うストーリーを話していたことを明かしていました。

志尊淳さんは「俺に興味ないとかそういうレベルでもない」「子供誘拐してブッチャケってどんなドラマやねん」とツッコミを入れていました。

その後、志尊淳さんはお姉さんとの会話をツイートしたことをLINEで報告しましたが、お姉さんは「なんて読むの?笑」と“さらした”の漢字が読めずに尋ねてきたりと、微笑ましいエピソードを明かしています。

その後、ストーリーズでは「晒した」と姉との会話をツイートしたことを本人に報告しているLINEを公開。しかし姉は「なんて読むの?笑」と“晒した”の漢字が読めずに志尊に尋ねるなどやり取りはなかなか噛み合わず、さらには“小さい男の子がお母さん誘拐されて泣いてた”ドラマは同局系の「真犯人フラグ」ではないかと予想するファンのコメントを受け「みんな真犯人フラグって言ってるけど、なんか流行りのフレーズなの?」と同作を知らなかったことを明かした。

【引用元:modelpress

インコちゃん
志尊淳さんのお姉さんの顔画像は公開されていないので、AIアプリでお姉さんの現在の姿を想像して作ってみました。
AIアプリで作った想像の志尊淳の姉の顔
AIアプリで作った想像の志尊淳の姉の顔(※実在しない人物です)

aside type=”warning”]あくまでも、AIアプリで志尊淳さんから想像して作った架空の顔画像ですので、実際の志尊淳さんのお姉さんの顔画像ではありませんのでご注意ください。[/aside]

インコちゃん
SNSでの志尊淳さんとのやりとりからは、とても仲が良いことが伝わってきますね
宗じい
AIお姉さん、美人じゃの〜!これで語学も堪能だとモテるんじゃろうなぁ

志尊淳の父方祖父母は芸能一家!母方祖母は「ちゃーちゃん」!

志尊淳の父方祖父は名作曲家!!コカコーラの初代テレビCMを作曲

志尊淳さんの父方の祖父は宮崎尚志さんです。

志尊淳の祖父・宮崎尚志
志尊淳の祖父・宮崎尚志 【出典:NAOSHISM

宮崎尚志さんは1934年8月4日生まれの東京都出身で、NHKの作曲家で、コカ・コーラの初代テレビCMの作曲を手掛けた方です。

映画やドラマの音楽、プロ野球「広島カープ」の応援歌、学校の校歌など、非常に幅広いジャンルで作曲をしており、作曲した楽曲の数は1万曲を超えると言われています。

特に有名な楽曲には「スカッとさわやかコカコーラ」と「赤福餅のうた」があります。

なお、宮崎尚志さんは2023年に他界しています。

志尊淳の父方祖母は「おかあさんといっしょ」の初代うたのお姉さん

志尊淳さんの父方の祖母は中野慶子さんです。

志尊淳の祖母・中野慶子
志尊淳の祖母・中野慶子

中野慶子さんは1937年12月8日生まれで、おかあさんといっしょ」の初代うたのお姉さんです。

最近のおかあさんといっしょでは、うたのお姉さんは1人ですが、初代の時代には2人いたようで、「いぬのおまわりさん」を初めて歌い代表作になりました。

中野慶子さんはNHKで宮崎尚志さんと出会い、1964年に結婚しました。

その後もタレント活動を続けていたようです。

インコちゃん
父方の祖父母は有名な方だったんですね!
宗じい
ワシも犬のおまわりさんなら小さい頃に歌ったぞ!志尊淳さんのおばあちゃんは国民的な曲を歌った歌手だったんじゃな〜

志尊淳は母方祖母にLINEをブロックされた!?

志尊淳さんの母方の祖母は一般人のため、詳しい情報は公表されていません。

しかし、2024年3月4日放送の「DayDay.」(日本テレビ系)に志尊淳さんが出演した際に、母方祖母が70歳代であることを明かしています。

そして、母方の祖母と志尊淳さんとは非常に仲が良いようですが、2024年3月4日放送の「DayDay.」で、志尊淳さんが母方の祖母にLINEをブロックされてショックを受けたエピソードを披露しています。

志尊は「僕はおばあちゃんととても仲が良いのですが、おばあちゃんにあることをされて、とてもショックを受けたことがあります。それは一体なんでしょうか?」というクイズを出題した。答えは「LINEをブロックされたこと」。これには、スタジオの山里亮太も「めっちゃショック…」と同情。

【引用元:スポニチ

志尊淳さんは2日に1回、母方の祖母に生存確認も含めてLINEを送っていたのですが、何度送っても既読にならないことがあったようです。

志尊淳さんは、70代のおばあちゃんが携帯を使えないのだろうと思っていたそうですが、会ったときにLINEのメッセージが届いているか確認すると「届いていない」との答えが返ってきて、誤ってブロックされていたことが判明したそうです。

志尊は「おばあちゃんに2日に1回LINEを送るって、生存確認を含めてやってて。何回送っても全然既読にならないことがあって」と説明。「“もう70代だから携帯使えないんだろうな”って思ってて。で、会った時に俺のLINE見てる?って聞いたら“届いてないよ”って言うから見たらブロックされてたんですよ。間違ってブロックしちゃったんだと思います」と語っていた。

【引用元:スポニチ

インコちゃん
いつも連絡しているLINEが急に既読にならなくなったら、すごく心配になりますね。ただの間違いブロックだったようで安心です

また、志尊淳さんは“大のおばあちゃん子で、母方の祖母のことを「ちゃーちゃん」と呼んでいます。

志尊淳さんが2020年8月20日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演することを母方祖母に連絡すると、とても喜んでくれたそうです。

祖母には『徹子の部屋』に出演することを伝えると「めちゃくちゃ喜んでいました。今までで一番くらい」と話し、「チャーちゃんが楽しんでテレビを見られるように僕も頑張ります」と呼びかけた。

【引用元:TVer+

そして、志尊淳さんが出演した2020年8月20日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)では、仕事が忙しくなった今でも週に1度は電話をしてきてくれているという、母方の祖母からの手紙がサプライズで紹介されました。

手紙には、志尊淳さんが家出をした当時のことが綴られており、祖母が胸が張り裂けそうだったことや、志尊淳さんと再び連絡が取れるまで不安な気持ちで日々を過ごしていたことが書かれていたようです。

また、現在の志尊淳さんの活躍を喜ぶ一方で、遠くに行ってしまったような寂しい気持ちもあると述べられていました。

しかし、これからも謙虚な気持ちで体に気をつけて仕事を頑張ってほしいという温かいメッセージだったそうです。

祖母からの手紙では、志尊が家出をした当時を振り返り、「胸が張り裂けそうでした。淳を抱きしめ『淳ならできる、頑張れる』と言うのが精一杯で、あとは涙、涙で出ていく姿を見るのがとてもつらかったです」と志尊と連絡がとれるまでの日々を不安な気持ちで過ごしていた祖母の本音が。志尊の活躍を喜ぶ一方で、遠くに行ってしまったような寂しい気持ちもあるというが、「これからも謙虚な気持ちで体に気をつけてお仕事してください。私も作品を見せてもらい、少しでも長生きしていきたいと思います」と志尊への大きな愛が詰まったメッセージとなっていた。

【引用元:modelpress

志尊淳さんはこの手紙の内容に目を潤ませながら、おばあちゃんが志尊淳さんの作品を観ることが生き甲斐としてくれていることを明かし、家族のために頑張ることを語っています。

志尊は目を潤ませながら「びっくりした…。おばあちゃんってそういうことを僕に言ってくることはなく、温かく見守ってくれている」と祖母からの手紙に驚き。「いつもおばあちゃんは冗談で『いつ死ぬかわからないから』と言っているんですけど、生きがいを聞いたら『淳の作品を見ること』って言うんです。家族のために頑張ります」としみじみと語っていた。

【引用元:modelpress

母方の祖母とのやりとりはXにもよく投稿されており、「ちゃーちゃん日記」としてエピソードが紹介されています。

インコちゃん
玉木さんがサングラスずらしてたから面白いというおばあちゃんが面白いですね

また、志尊淳さんは、ドラマ「フェルマーの料理」(TBS系)に出演する際に受けた料理練習で、ナポリタンの作り方を覚えたそうで、祖母にナポリタンを作ってあげたとインタビューで語っています。

料理練習でナポリタンのつくり方を覚えた日、服部栄養専門学校の先生たちから余った食材をいただいて、祖母にナポリタンを振る舞いました。祖母はナポリタンが大好きなんです! それ以来、時間ができるとつくりに行っています。

【引用元:TBS

インコちゃん
志尊淳さんが自分でおばあちゃんっ子と言っていますが、おばあちゃんが大好きなことが伝わってきましたね
宗じい
ワシも志尊淳くんのナポリタンが食べたいのう。淳くんみたいにお金を稼いでくれる孫が欲しい!

志尊淳の家族構成まとめ

 

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家族構成 説明
父親 苗字は「宮崎」。立教大学の司祭である宮崎光氏、または作曲家の宮崎道氏である可能性がある。
母親 シングルマザーで、朝は清掃の仕事、午後は派遣の仕事をして志尊淳を含む3人の子供を育てた。
一般人。志尊淳の芸能活動初期に「淳ってあなたの弟?」と聞かれることがストレスだった。志尊淳が家出した際に真剣に怒ってくれた。2017年に結婚。
一般人。長期間海外で生活?志尊淳の活動にはあまり興味がない。
本人(志尊淳) 1995年3月5日生まれ。東京都足立区出身の俳優
祖父(父方) 宮崎尚志。NHKの作曲家で、「スカッとさわやかコカコーラ」など多くの名曲を手がけた。
祖母(父方) 中野慶子。NHK「おかあさんといっしょ」の初代うたのお姉さんとして知られる。
祖母(母方) 「ちゃーちゃん」と呼ばれる。志尊淳が家出した際に心配していたが、現在は志尊淳の活動を応援。



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