この記事では、竜星涼さんの家族構成や幼少期のエピソード、そして俳優への道を歩み始めるまでの背景を紹介していきます。
どんなに輝かしい舞台に立っている俳優でも、その原点には家族や故郷との深い結びつきがあるものです。
竜星涼さんの家族や生い立ちを知ることで、これまでとは少し違った目線で竜星涼さんの魅力を感じられますので、ぜひ続きをご覧ください。
目次
竜星涼の家族構成!父親・母親の3人家族
竜星涼の家族構成は「父親・母親・本人」の3人です。
母親:ファッション関係の仕事。モデルやデザイナーの噂も。息子と二人暮らしで仲良し
長男:竜星涼本人
また、竜星涼さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
祖母:NHKの朝ドラファンだったが竜星涼がNHKの朝ドラに出演した2017年には他界
竜星涼の生い立ちや学歴!ハーフで韓国籍?本名は?
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- 名前:竜星 涼
- 本名:三上 竜星
- 生年月日:1993年3月24日
- 身長:183㎝
- 体重:非公表
- 血液型:A型
- 出身地:東京都武蔵野市(山形県新庄市生まれ)
- 学歴:東京都武蔵野市立第五小学校→武蔵野市立第五中学校→東京都立田無高等学校(偏差値50)
竜星涼はハーフ?国籍は韓国?本名は三上竜星!
竜星涼さんの関連検索ワードに、「竜星涼 ハーフ」「竜星涼 国籍」「竜星涼 本名」というものがあります。
これは竜星涼さんがハーフだと噂されており、さらに国籍が韓国ではないかという噂もあり、またそれに伴い本名も検索されているようですが、実際にこれらの噂は真偽はどうなんでしょうか。
結論からいいますと、竜星涼さんがハーフや国籍が韓国というのは誤報です。
この噂が出た原因は、竜星涼さんのスタイルが良く、顔も整っているところからK-POPアイドルのような見た目であることや、竜星という名字が韓国にありそうというところからだったようです。
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ではなぜ韓国籍でないということやハーフでないと言えるかというと、まず竜星涼さんの本名が三上竜星というところです。
竜星涼さんは本名の名前からつけた芸名で、名字は三上ですので、日本人の名字になります。
また母親が山形県出身で、父親も山形県出身と言われています。
さらに下述しますが、山形県生まれで、東京育ちになり、韓国に住んでいたことなどもないようです。
以上のことから、竜星涼さんがハーフだという噂や、国籍が韓国ではないかという噂は誤報といえます。
竜星涼の幼少期は優しい性格!母子家庭なの?
竜星涼さんの本名は上述のように三上竜星といい、1993年3月24日に山形県新庄市で生まれました。
その後、幼い頃に東京都武蔵野市に移住し、以降は東京で育ちました。
ただ、僕はほぼ東京育ちなので自分発信で山形弁は出ません。母親は家で僕と二人で会話するときは大分なまっているし、耳は覚えているので、相手の方言に乗っかることはできますけど。
【引用元:エンタメOVO】
家族構成は両親と竜星涼さんの3人家族で、兄弟はおらず一人っ子として育っています。
幼い頃は兄弟が欲しいと思ったこともあったようです。
そして、「母親が一人になってしまうから一人暮らしはしない」と発言されており、母子家庭ではないかといわれています。
竜星さんはブレークしたいまも、東京郊外にある実家にお母さんと2人で暮らしています。彼はお母さんととても仲がよく、ライブや映画にも一緒に出かけるほど。いまだに実家から仕事に通っているのは、『自分が家を出ると、母親がひとりになってしまう』と心配してのことだとか」(芸能関係者)
【引用元:NEWSポストセブン】
家庭では、母親が矢沢永吉さんの大ファンだった影響で、竜星涼さん自身も子どもの頃から矢沢永吉さんを好きになり、音楽に親しんでいました。
幼少期の竜星涼さんは穏やかで優しい性格で、ウサギのぬいぐるみと一緒に寝たりするような純朴な一面がありました。
映画のストーリーにちなみ、竜星さん自身が子供の頃に大切にしていたおもちゃについて聞くと「最初にもらったおもちゃは‟うさぎちゃん”でした。うさぎのぬいぐるみと一緒に寝たり、ずっと一緒にいたような気がしています」と教えてくれました。
【引用元:シネアナゴヤ】
竜星涼の小学生時代は運動神経抜群でサッカークラブ所属!
竜星涼さんは、東京都武蔵野市にある武蔵野市立第五小学校に1999年4月に入学し、2005年3月に卒業しています。
毎年夏休みには祖父母(母方)が住む山形に里帰りし、従兄弟たちと自然の中で過ごす時間を楽しんでいたようです。
この頃のエピソードとして、9歳の時に祖母の家に帰省していた際、犬に顔を噛まれて大怪我を負ったという出来事もありました。
また、小学校時代は、足が長かったため「あしながおじさん」と呼ばれていたそうです。
そして、周囲の友人たちとは仲が良く、穏やかで明るい少年だったようです。
竜星涼さんは小学生時代から運動神経が抜群で、地元の「関前サッカークラブ」に所属し、サッカーに打ち込んでいました。
このチームには、のちに女子サッカー日本代表として活躍する岩渕真奈さんも所属しており、竜星涼さんとチームメイトでした。
岩渕真奈さんは当時から非常に上手な選手で、竜星涼さんは「ボロクソに負けていた」と振り返っています。
サッカー女子W杯スコットランド戦で先制ゴールを決めたFW岩渕真奈(26)と同じサッカーチームに所属していたことを明かした。映画のテーマに合わせ「再会したい人」を聞かれると竜星は「岩渕さんと小学生の時一緒にサッカーをやっていた」と明かし「ボロクソに負けていた。もう一回サッカーをやってみたい」と“再戦”を熱望した。
【引用元:スポーツ報知】
この経験からか、サッカー選手を目指す夢を諦めることになりました。
今朝、テレビに竜星涼さんが出ていて、小学校(中学?)時代、なでしこの岩渕選手と同じサッカーチームにいたと話していました。彼女を見てプロを目指すのは諦めたみたいなことを言ってました。
— 新津きよみ (@niikiyo5) November 10, 2019
竜星涼は小学校から視力が悪くコンタクトをつけて過ごす!
竜星涼さんは、小学校の頃から視力が悪く、朝起きてから寝るまでコンタクトレンズをつけて過ごしていたそうです。
竜星は空を写した綺麗な写真をメッセージ付きで投稿。「icl手術をして早3ヶ月。小学生の頃から起きて寝るまでコンタクトをつけて今まで生きてきましたが、手術をして、0.05から2.0の世界へ 起きてすぐにこの世界が待っているとは… こんなにも世界が変わるのか」と、術後の現在をファンへ報告した。
【引用元:クランクイン】
竜星涼の中学生時代はサッカー部所属も走り高跳びで優勝!?
竜星涼さんは、武蔵野市立第五中学校に2005年4月に入学し、2008年3月に卒業しています。
この頃も竜星涼さんの運動神経の良さは際立っており、本当はバスケットボール部に入りたかったものの、学校にバスケ部がなかったためサッカー部に所属しました。
「小学校から中学まではサッカーをやってました。バスケも凄く好きでやりたかったんですが、中学にバスケ部がなくて。それで中学でも小学校の延長でサッカーをやりました。
【引用元:+act.】
サッカー部では活躍していましたが、陸上部の顧問からの誘いを受け、走り高跳びの市の大会に代理で出場することになりました。
結果は見事優勝を果たし、さらに東京都大会にも出場しました。
中学3年生の時、僕はサッカー部だったんですが、走り高跳びが得意だったので陸上部の代わりに市の大会に出てくれと言われて。出場したら優勝してしまったんです。さらに東京都の大会に出ることになったんですが、みんなかっこいいユニフォームの中、僕だけ学校の体操着で(笑) でも、あと5cm跳べてたら、優勝か準優勝だったんですよ。
【引用元:キョウリュウジャー】
そして、竜星涼さんは中学3年生の頃には身長が180センチ近くまで成長しており、スポーツでの活躍はもちろん、周囲からもそのスタイルの良さが注目されるようになっていました。
竜星涼さんの中学時代は、スポーツだけでなく、明るくて目立つ性格で周りの友人たちに愛されていたようです。
竜星涼さん自身も「無敵だった中学時代に戻りたい」と語るほど充実した青春時代を過ごしていました。
今回の映画版で「トッキュウジャー」のメンバーが子どもの姿にされてしまうことから、「子ども時代に戻れるとしたら?」という質問が飛ぶと、竜星は「中学くらいに戻りたい。いろいろ無敵だったなって(笑)。何も知らないって強い。今の知識であの頃に戻りたいです」と懐かしんだ。
【引用元:映画.com】
竜星涼の高校時代はアルバイトをして学生生活を満喫!
竜星涼さんは、東京都西東京市の東京都立田無高等学校(偏差値50)に2008年4月に入学し、2011年3月に卒業しています。
しかし、竜星涼さんは高校で念願だったバスケットボール部に入部しましたが、厳しい練習に耐えられず途中で退部しています。
高校では念願のバスケ部に入ったんですが、続けることが出来なくて。楽しかったんですが、辞めてしまいました」
【引用元:+act.】
部活を辞めた後はコンビニでアルバイトをしていたそうです。
竜星涼さんは高校生の頃、「落ち着きがなく、いつも騒がしい明るい学生だった」と振り返っており、友人たちと冗談を言い合いながら楽しい学生生活を送っていたようです。
また、学校行事ではカッコつけて面倒くさい顔をしながらも、内心は非常に楽しんでいたそうです。
「おちゃめな高校生だったと思います(笑)。もともと明るい性格なので、そのままな感じです。静かではないタイプで、落ち着きがなくて騒がしかったと思います。誰よりも声が響くような、そんな高校生でした。でも、学校行事に関しては、なぜかカッコつけて“面倒くさい”っていう顔をしたりしていて。でも、心の中ではワクワクして楽しんでるという感じでした」
【引用元:ORICON NEWS】
そんな竜星涼さんですが、小学校からパティシエに憧れていたそうです。
そして、高校時代には将来パティシエになる夢を持っていて、専門学校に通ってフランス留学を目指すことも考えていました。
「ドラマ『アンティーク~西洋骨董洋菓子店~』の影響なんですけど、小学生の頃からパティシエに憧れていて、高校を卒業したらパティシエの専門学校に行こうと思ってました。でもケーキの美味しいさを追求するのではなく、見た目の美しさ、造形美に惹かれてました」
【引用元:+act.】
竜星涼は高校2年生で原宿でスカウトされる!
高校2年生の頃、竜星涼さんは進路に悩んでおり、その際に、母親が大ファンである矢沢永吉さんの自伝『成りあがり』を渡して、読んでみるよう勧めてくれました。
本を読んだ竜星涼さんは、矢沢永吉さんがどんな困難にも負けず夢を叶えた姿に感動し、「自分も何か輝けるものを見つけたい」と思うようになりました。
そして、その数日後、原宿の竹下通りで芸能事務所にスカウトされたそうです。
苦難の時期を支えたのは芸能界入りのきっかけをつくった母だった。「進路に悩んでいたとき、矢沢永吉さんの大ファンであるお母さんが、彼の自伝『成りあがり』を竜星さんに渡して鼓舞した。本を読んで『何か輝けるものを見つけたい』と考えていたところ、数日後に原宿で芸能事務所にスカウトされたそうです。
【引用元:NEWSポストセブン】
スカウトされた当初は芸能界にあまり興味がなかったそうですが、スカウトマンからもらった名刺の裏に記載されていた反町隆史さんや竹野内豊さんの名前に惹かれて「もしかしたら会えるかも」という軽い気持ちで事務所に連絡を取ったそうです。
スカウトして頂いた時も、正直に言うとそんなに興味がなかったんです。でも頂いた名刺を見てみたら、名刺の裏に所属タレントさんの名前が書いてあって。その中に反町隆史さんの名前が入っていたんです。僕、反町さんのファンだったので“おおおおおおーーー”と思って。更によく見たら竹野内豊さんのお名前も見つけて、“『ビーチボーイズ』か…”って(笑)。もしかして、反町さんや竹野内さんに会えるかもしれない! という気軽な気持ちで連絡をしたのがきっかけなんです。
【引用元:+act.】
この出来事をきっかけに竜星涼さんは芸能事務所「研音」に所属し、芸能活動をスタートすることになります。
竜星涼は高校生で俳優デビューし人生初キスを公表!?
高校3年生の2010年に、上野樹里さん主演のフジテレビのドラマ「素直になれなくて」で俳優デビューを果たしました。
当初は俳優業を軽く見ていた部分もありましたが、助監督から「これは君であって、その役ではない」と厳しい指摘を受けたことで悔しい気持ちを覚え、演技に真剣に取り組むようになりました。
はじめは「セリフを覚えて、言えばいいんでしょ?」とか、どこかナメてたところもあったと思うんです。それで助監督の方に「これは君であって、その役ではない」と言われたことで、悔しい気持ちがわいてきたのはハッキリと覚えています。
【引用元:CREA】
同じ年にはTBS系「ハンマーセッション」やテレビ朝日系「秘密」にも出演しました。
ちなみに、テレビ朝日系金曜ナイトドラマ「秘密」では志田未来さんとのキスシーンが話題になりました。
このキスシーンは竜星涼さんにとって、プライベートも含めて初めてのキスだったそうで、放送後は学校でクラスメイトから話題にされ、恥ずかしい思いをしたと語っています。
竜星の初めてのキスシーンは17歳の時、2010年金曜ナイトドラマ「秘密」(テレビ朝日系)においてだ。高校生役を演じた竜星は、理科室で相手役の女優・志田未来を後ろからハグして見つめ合った末にキスをするのだが、これが思わぬ事件を呼んだ。「放送後に学校に行くと、教室は竜星のキスシーンで持ちきり。キスシーンの動画を携帯電話に保存して来ているクラスメイトもおり、番組を観ていなかった同級生にまでキスシーンを観られてしまったとか。恥ずかしくてたまらなかったと告白しています」(芸能記者)しかもそのキスシーンは、竜星にとってプライベートにおいても初めてのキスだったという。
【引用元:アサジョ】
竜星涼は大学進学せず俳優業に専念!
高校卒業後、竜星涼さんは大学には進学せず、俳優業に専念することを決めました。
2013年にはテレビ朝日系「獣電戦隊キョウリュウジャー」で主演キョウリュウレッド桐生ダイゴ役に抜擢され、子どもや親世代を中心に大きな注目を集めるようになりました。
この出演が竜星涼さんの出世作となり、以降は俳優として着実にキャリアを築いていきます。
竜星涼さんは俳優としての活動だけでなく、モデルとしても活躍の幅を広げています。
2016年と2017年には、世界的なファッションショーであるパリ・コレクションに出演し、そのスタイルと存在感で注目を集めました。
パリコレのオーディションは自費で挑戦するという覚悟を持って臨み、現地では英語やフランス語もほとんど話せない中で奮闘したそうです。
パリコレデビューの経緯について「オーディションが海外であると聞いて、会社に言った。“事務所としては、受かるか受からないかわからないものに対してはお金を出せないし、決められない”と言われたので、じゃあ行きますと。自腹でパリに」と、自腹を切ってオーディションに臨んだという。
【引用元:スポニチアネックス】
そして、この経験が竜星涼さんにとって大きな刺激となり、俳優としての視野も広がる結果となりました。
また、2017年にはNHKの朝ドラ「ひよっこ」で主要キャストを務め、その演技が高く評価されました。
その後も、ドラマや映画で幅広い役柄に挑戦し、着実にキャリアを積み上げています。
竜星涼に父親はおらず母子家庭?父親とは離婚や死別?
竜星涼に父親はいない?離婚?死別?
竜星涼さんの父親については、非公表のため詳細不明です。
竜星涼さんはSNSやインタビューで母親の話はよくしますが、父親については一切触れていません。
上述のように竜星涼さんは「母親が一人になってしまうから一人暮らしはしない」と発言していることから、母子家庭と思われます。
なお父親が離婚や死別などでいないのではという噂がありますが、確かな情報は公表されていません。
さらに山形県出身とネット上で言われていますが、それに関しても根拠はないようです。
竜星涼の父親の顔写真をAIで想像してみた!
竜星涼の母親はファッションの仕事!モデルやデザイナー?顔画像は?
竜星涼の母親はファッション関係の仕事!モデルやデザイナー?
竜星涼さんの母親の職業はファッション関係の仕事をしていました。
ただ1980年代にファッションの仕事をしていたとも書いているので、現在は別の仕事をしていたり、働いていない可能性もあります。
もともと、母親が80年代にファッションの仕事をしていたので、いわゆるモード一家です(笑)。モデルに挑戦しているのは、母親の夢見ていた世界で活躍することが最大の親孝行になるかなという思いもあります。
【引用元:FIGARO】
なお竜星涼さんが2016年にパリコレデビューを果たした際、「自分以上にファッションに携わってきた母親が一番喜んでいる」とブログに書いており、母親が長年ファッション業界に関わっていたことがわかります。
また、竜星涼さんが日本テレビ系「メレンゲの気持ち」に出演した時、「母親もファッションが好きだったので、母の夢を一緒にかなえたといいますか」と話しています。
17日放送の日本テレビ系「メレンゲの気持ち」(土曜・正午)に、俳優・竜星涼(27)がゲスト出演した。スーパー戦隊シリーズ「獣電戦隊キョウリュウジャー」のキョウリュウレッド役でテレビドラマ初主演した竜星は183センチの長身。スタイルの良さを生かし、モデルとして世界的コレクションに参加する顔も持つ。参加のきっかけは、好きなブランドの店でモデルのオーディションがあることを知り、「自腹でパリにオーディションを受けにいった」こと。その結果、未経験ながら見事合格、2016年にパリコレデビューを果たした。「母親もファッションが好きだったので、母の夢を一緒にかなえたといいますか」と話し、世界的人気モデル、ナオミ・キャンベルと一緒に写した写真を披露した。
【引用元:スポーツ報知】
さらに、竜星涼さんの母親はしばしば海外に行くこともあるようで、2017年の母の日には「残念ながら今、母が日本にいない」とブログに書いていました。
そのため現在の仕事はわかりませんが、仕事での海外出張の可能性もあり、こうした背景から、現在は母親が国際的な仕事に関わっているのではないかという噂もありますが、現在の仕事の詳細は明らかにされていません。
竜星涼と母親の親子の絆は深い!
母親と竜星涼さんは非常に仲が良く、母の日や誕生日にはプレゼントを贈るなど親子の絆が深いことで知られています。
2017年には、母親が欲しがっていた長渕剛さんのライブDVDを贈り、一緒にライブに行ったエピソードもあります。
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竜星涼さんは「母親の愛に勝るものはない」と語り、母親への感謝をブログやSNSでたびたび表現しています。
また、上述したように、竜星涼さんが実家暮らしを続けているのも「母親を一人にさせたくない」という理由からで、母親思いの優しさが感じられます。
竜星さんはブレークしたいまも、東京郊外にある実家にお母さんと2人で暮らしています。彼はお母さんととても仲がよく、ライブや映画にも一緒に出かけるほど。いまだに実家から仕事に通っているのは、『自分が家を出ると、母親がひとりになってしまう』と心配してのことだとか」(芸能関係者)
【引用元:NEWSポストセブン】
竜星涼の母親の顔写真をAIで想像してみた!
竜星涼の祖父母は山形県で農業をしていた!
竜星涼の祖父母は山形県で農業をしており農作業を手伝っていた!
竜星涼さんの祖父母(母方)は山形県で農業を営んでおり、竜星涼さんは幼い頃から夏休みに山形を訪れ、農作業を手伝いながらその姿を見て育ちました。
また、2020年の映画『リスタートはただいまのあとで』でも、田舎の青年役を祖父母の姿を思い浮かべながら演じたそうです。
田舎暮らしになじんでいるのも、祖父母との思い出があるからだと語っています。
俳優の竜星涼(27)が24日、大阪市内で開かれた映画「リスタートはただいまのあとで」(9月4日公開)のプレミア上映で舞台あいさつした。古川雄輝(32)とのダブル主演作。竜星は田舎暮らしの優しい青年役で、古川演じる都会生活に疲れ果てた男との純愛を描く。東京出身だが、「祖父母が山形出身で農家をやってるので、農作業手伝ったりして田舎にはなじみがある」と話した。
【引用元:スポニチアネックス】
竜星涼の祖母は亡くなるも山形が竜星涼の感性の原点!
なお、2017年のNHKドラマ『ひよっこ』出演時には「祖母がよく朝ドラを観ていたので、もっと早く出演できたらよかった」と話し、天国から見守ってくれていると感じていると明かしており、祖母は2017年時点で亡くなっているようです。
『ひよっこ』についていえば、オーディションからレギュラー出演を勝ち取った。(中略)「オーディションを受けたのは(今回で)3回目。出演が決まって、正直、うれしかったです。亡くなった祖母がよく観ていたので、もう少し早く出演できていたら…、という思いもありましたが、天国から見守ってくれていると思っています」。
さらに、竜星涼さんのセカンド写真集は祖母の故郷である山形で撮影され、「幼い頃に感性が育まれた原点」と語っています。
俳優・竜星涼のセカンド写真集が、3月24日に発売されることが決定した。竜星が生まれ育った東京、祖母の郷里である山形で撮影を行っており、肉体美をあらわにした大胆ショットも掲載。「今回は原点回帰ということで、幼い時に今の自分の感性の入り口を作ったとも言える、山形で撮影をしました」と説明している。
【引用元:映画.com】
竜星涼の家族構成まとめ
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家族構成 | 詳細 |
父親 | 詳細は非公表。SNSやインタビューでも父親に関する話題はなく、父親がいないのではという噂があるが、真相は不明。そのため母子家庭という噂も |
母親 | 山形県出身。ファッション関係の仕事をしていたとされ、デザイナーやモデルだったという噂も。竜星涼さんと非常に仲が良く、実家で2人暮らしをしている。母親が矢沢永吉さんと長渕剛さんの大ファン。 |
長男(本人) | 本名は三上竜星。ハーフや韓国籍という噂は誤報。1993年3月24日生まれ。東京都武蔵野市育ちで俳優・モデルとして活躍。高校2年生のときに原宿でスカウトされ、芸能界入り。。母親を一人にさせたくないという理由で実家暮らしを続けている。 |
祖父 | (母方)山形県で農業を営んでいた。竜星涼さんが子どもの頃、夏休みには祖父の家で農作業を手伝っていた。 |
祖母 | (母方)山形県で農業を営んでいた。竜星涼さんが幼少期に祖母と過ごした時間が感性の原点となった。2017年のNHK朝ドラ『ひよっこ』出演時にはすでに他界しており、竜星涼さんは「天国から見守ってくれている」と語っている。 |