この記事では、俳優の成田凌さんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介していきたいと思います。
成田凌さんの子ども時代のエピソードや家族との関係、そしてモデルデビューから俳優として成功するまでのエピソード、家族の素顔をたっぷりとお届けします。
成田凌さんやその家族の軌跡を知ることで、成田凌さんの魅力やその背景に迫りたいと思います。
目次
成田凌の家族構成!父親・母親・兄の4人家族
成田凌の家族構成は「父親・母親・兄・本人」の4人です。
成田凌の生い立ちや学歴!サッカー少年が美容師から俳優に
- 名前(本名):成田凌
- 生年月日:1993年(平成5年)11月22日
- 身長:181㎝
- 体重:54kg
- 血液型:O型
- 出身地:埼玉県与野市(現在のさいたま市)
- 学歴:埼玉県与野市立下落合小学校→埼玉県さいたま市立与野東中学校→埼玉県立南陵高校学科不明(偏差値53〜54)→日本美容専門学校
成田凌の幼少期:お兄ちゃん子でもらったチョコは20個!?
成田凌さんは1993年11月22日生まれで、埼玉県与野市(現在のさいたま市)出身です。
成田凌さんにとっての埼玉は特別田舎でもなく、何でも揃っているけれど、「何もない」と感じてしまう場所だと述べていますが、でもその「何もなさ」が成田凌さんにとっては落ち着くと語っています。
――成田さんの地元は埼玉県さいたま市。以前、地元について聞かれて「埼玉県はご当地感がない」とおっしゃっていましたね。
成田凌さん(以下、成田):ご当地感、ないですよね。日本で一番ないんじゃないですか。だからなのか、僕自身「埼玉出身です!」みたいな強い自負もありません。 埼玉って不思議ですよね。すごく田舎ってわけでもないし、ひと通り何でもそろっているのに「うちの地元、何もないんだよね」と、つい言ってしまう。でも、その何もなさが落ち着くんです。
【引用元:suumoタウン】
成田凌さんの家族構成は両親と兄の4人家族で、子供の頃の成田凌さんは、兄の後ろにくっついているような子供だったそうです。
──幼少期の成田 凌は?
兄貴の後ろにくっついて遊んでいる子供でした。
【引用元:MEN’S NON-NO WEB】
また、2017年2月10日の「大貧乏」(フジテレビ系)のスペシャル・ファンミーティングで、バレンタインデーの思い出として、幼稚園の頃、母親も含めてチョコレートを20個くらいもらったことがあることを話していました。
成田はチョコレートの思い出について「幼稚園のときが一番多かった。20個以上もらったかな。お母さんとかも入れてですけど」と笑いながら話した。
【引用元:産経新聞】
ちなみに、成田凌さんの実家の近所には団地があり、幼稚園の時にはその団地の集会所で英語を習っていたそうです。
また、団地の集会所ではクリスマス会をしたり、友達と団地の公園で遊んだり、好きな子とかくれんぼしたこともあり、その時の楽しい思い出が今でも心に残っているそうです。
実家の近所には団地があって、友達もたくさん住んでいたから、よく団地の公園で遊んだり、ケンカしたり(笑)。幼稚園のときには団地の集会所で英語を習っていて、クリスマス会をしたことも覚えています。好きな子とかくれんぼしたこともあるし、いろいろ思い出があります。
【引用元:UR都市機構】
また、2023年7月17日放送の「ぽかぽか」(フジテレビ系)で、幼い頃からお笑いが好きで、憧れの人は藤井隆さんだったことも明かしています。
「自分はずっと藤井隆さんに憧れてて。“ホット!ホット!”とか、将来の夢は藤井隆って子どもの頃言ってました。歌って踊って面白くて格好良くて」と憧れの存在だったと明かした。
【引用元:スポニチ】
なお、藤井隆さんが歌って踊っている人と勘違いしていたようで、「歌って踊れる職業につきたい」と母親に言っており、将来の夢はジャニーズJr.になりたいと言っていたとのことです。
その後、「いろんな勘違いが生まれて“歌って踊れる職業につきたい”って母親に言ったら、“それはジャニーズジュニア”だよって言われて、そこからジャニーズが何かも分からず“将来の夢はジャニーズジュニア”って子どもの頃言ってました」と語った。
【引用元:スポニチ】
成田凌の小学時代:ネタを書いて芸人に憧れるサッカー少年!
成田凌さんは埼玉県与野市立下落合小学校(現在のさいたま市立下落合小学校)に通っていました。
成田凌さんは2歳年上のお兄さんとは幼い頃から仲が良く、非常に影響を受けていたそうで、その兄も父親もサッカーをしており、父親はコーチをしていたことをインタビューで明かしています。
そのため、成田凌さんは小学校1年生の時からサッカーを始めたそうです。
「父と兄がサッカーをやっていたので、自分も必然的にサッカー部に。小学生の頃は父がコーチで、いつもはのほほんとしているのにサッカーのときだけ怖かったことを覚えています。今でも正月は、地元の仲間とサッカーをします!」
【引用元:MEN’S NON-NO WEB】
また、成田凌さんは幼いころからお笑いが大好きで、芸人さんが使うコントのセットを見て喜ぶという生粋のお笑い好きだったそうで、小学生の頃は友達とネタを書いて、レクリエーションの時間にコントを披露していたそうです。
僕、元々ものすごくテレビっ子で。『笑う犬』だったりとか。子供の頃、わざわざフジテレビに行って。コントセットとか見て興奮していたような少年だったり。それこそ、『ゴッドタン』なんて小学生からしたらめちゃくちゃ夜遅くにやっているし。ネタ番組とかコント番組とか、多かったじゃないですか。僕、めちゃくちゃ見まくっていて。で、小学生の頃は友達とネタを書いて、コントとかレクリエーションの時間に披露をしていたんですけども。
【引用元:2021年5月30日放送のJ-WAVE『TOPPAN INNOVATION WORLD ERA』】
また、具体的にいつのエピソードかは分かりませんが、子どものころ、成田凌さんは母親と買い物に行ったパン屋の試食コーナーで試食をしていた際に、パンが美味しすぎて全て完食してしまったというエピソードがあります。
母親に怒られて気づくと、試食だと思って食べていたパンが商品であったという失敗談を明かしています。
成田は子ども時代に母親と訪れたパン屋の試食コーナーがおいしすぎてすべて完食。しかし、母親に怒られて気づくと実は「全部商品だった」という失敗談を明かす。「小ちゃい商品は試食だろう」と勘違いした成田に鶴瓶と中居が真剣にダメ出しする。
【引用元:ORICON NEWS】
成田凌の中学時代:小さかったから女子バスケ部がコワイ!?
成田凌さんは埼玉県さいたま市立与野東中学校に2006年に入学しています。
部活はサッカー部に所属し、ポジションはMFだったそうです。
さいたま市立与野東中学校サッカー部はさいたま市内でも強豪として知られており、成田凌さんが1年生だった2006年には第37回関東中学校サッカー大会で優勝しています。
この大会で成田凌さんはレギュラーとして活躍しました。
しかし、中学2年生の時には辛い経験もしたようです。
2018年10月20日の東京都内で開催された映画「ここは退屈迎えに来て」の舞台あいさつの際に、成田凌さんは「中学2年生のサッカーの県大会決勝戦」の時の写真を公開し、決勝戦で、成田凌さんは出場メンバーから外されてしまい、心が折れる寸前だったことを明かしています。
成田凌さんは当時のことを振り返り、ヘディングや人とぶつかるプレーが苦手だったため、監督がそれを許せず、試合に出られなかったと語っています。
「中学2年生のサッカーの県大会決勝戦」の時の写真を公開した成田さんは、「心が折れる寸前の写真で、決勝になって急に(試合に)出してもらえなくて……。サッカーは得意だったんですけど、痛いからヘディングも嫌いで、人と当たるのも嫌だったんで。監督はそれが許せなかったようで、試合に出られなくて」と当時を振り返り、周囲を笑わせていた。
【引用元:MANTANWEB】
また、中学校時代は身長が小さく、家に女子バスケ部の生徒が自転車を勝手に停めたりして怖かったのか、あまり女子には近づかなかったと2021年3月15日放送の「激レアさんを連れてきた」(テレビ朝日系)に出演した際に述べています。
お成田が、「めちゃくちゃちっちゃかったんで、僕」と当時を振り返り、「僕んちとかに、女子バスケット部の子が、ちょっと勝手にチャリンコとめたり…」と明かすと、スタジオでは「可愛い話」「なんか悲しい」と笑いが起きた。その上で、成田は、「もうあんま…女子に近づかなかったですね」と話した。
【引用元:exciteニュース】
成田凌の高校時代は部活に行事とキラキラな学校生活!
成田凌さんは、2009年4月に埼玉県立南稜高等学校に入学しました。
この高校は埼玉県戸田市にあり、外国語教育に力を入れている公立校として知られています。
普通科と普通科外国語コースがありますが、成田凌さんがどちらの学科に在籍していたかは不明ですが、外国語コースは女子が多く、男子は3学年合わせても10名程度とのことなので、普通科に在籍していた可能性が高いと考えられます。
中学時代に引き続き、高校時代も成田凌さんはサッカー部に所属していました。
サッカー部の顧問の先生は非常に厳しく、練習もかなりハードだったそうです。
僕の場合はサッカー部で毎日、全員過呼吸になるぐらいダッシュさせられてました。
「15・45」といって、サッカーコートの端から端まで15秒で行って、45秒で帰るっていうのを延々とやるんですけど。
110メートルぐらいを15秒。50メートル走でいうと7秒ぐらいのペースでずっと走らないといけない。しかも全員そのタイムにおさまらないと「1本」にならないっていうのを、20本ぐらいやったりして。
【引用元:Buzz Feed】
また、成田凌さんは小学生の頃と同じく、面白いことや楽しいことが大好きで、高校時代にはレクレーションの時間にコントをしたり、文化祭でステージに上がったりしていたそうです。
学校ではレクリエーションの時間に友達とコントをやったり、文化祭でステージに上がったり、今と同じでおもしろいことや楽しいことをするのが大好きでしたね。
【引用元:MEN’S NON-NO WEB】
文化祭では女装をして、AKB48の「ヘビーローテーション」など4曲のダンスを披露した経験もあることを2019年12月28日放送の「拝啓 芸能人さま」(フジテレビ系)に出演した際に語っています。
AKB48の本当のオタクの人たちにも秋葉原から来てもらったそうで、自腹でサイリウムも配って観覧してもらったそうです。
高校時代の友人から成田宛ての手紙が届き、「文化祭でAKB48のダンスの発表で、センターで踊ってくれたね。誰よりも女装が似合って、『そのへんの女子よりもかわいい』と大勢の女子に囲まれていた」と記されていた。当時の成田が女装してミニスカートを履き、AKB48の『ヘビーローテーション』を踊った映像が紹介されると、成田本人は頭をかきむしって照れていた。だが、「4曲ぐらいやって、AKB48の本当のオタクさんに秋葉原から来てもらって、自腹でサイリウムを配った」と、本人も楽しんだことを回想していた。
【引用文;livedoor News】
成田凌さんのクラスは担任の先生が「面白そうなヤツをみんな集めた」というほど個性的なメンバーが集まっており、授業ができないほどの賑やかさだったそうです。
そして、高校3年生で部活動を引退した後は、それまでサッカーひとすじだった生活から一変し、友だちとの高校生活を楽しんだようです。
放課後に水鉄砲や水風船で近くの土手で遊んだり、震えながらおでんを食べたこともあったとインタビューで振り返っています。
「青春が訪れるタイミングも人それぞれだと思うんですよね。僕自身の青春は高校で部活を引退した後ですね。小学生の頃からサッカーのある生活が僕にとって、それこそ“普通”だったんですけど、辞めてからは制服のネクタイ緩めて、水鉄砲や水風船で近くの土手で友達と遊んだり。そんな、ザ・高校生の時間が楽しかったですね。あの時は、ブルブル震えながらコンビニでおでんを買ってました」
【引用元:anan NEWS】
さらに、昼に食べたうずらの卵を放課後まで噛んではいけない謎のゲームをするなど、青春を満喫していたそうです。
成田凌は高校時代1人の彼女と3年間付き合うも別の女性に憧れ!?
2019年12月11日放送の「あいつ今何してる?」(テレビ朝日系)に出演した際に、高校3年間彼女がいたことと同時に、マドンナ的存在の女性に憧れていたことを明かしていました。
「当時自分は1年生から最後まで同じ彼女がいたんですよ」と高校時代は1人の女性と長く交際していたことを明かし、「その子が女の子と話してると猛烈に怒るから、ほとんど女の子としゃべらない高校3年間を過ごしてしまって…」と当時を回顧。今回名前を挙げた女性とも話す機会はほとんど無かったようで、同級生の男子たちと彼女の噂をする程度だったという。
【引用元:modelpress】
ちなみに当時憧れていたこの女子生徒は、番組内で現在の様子のVTRが公開され、現在は教師として小学校に勤務しており、すでに結婚していることが紹介されていました。
そんな淡い思い出のある成田凌さんですが、高校の卒業式はもう一回やりたくなって、友達3人と体育館でやり直したそうです。
卒業式がしんみりしていたようで、ふざけた感じのコントみたいな卒業式をしたくなり、走り回って、校長先生役、本人役と一通り2時間ほどかけて行ったとのことで、楽しい青春時代の思い出になったと語っています。
僕は高校の卒業式が終わったあとに、友達と3人だけで卒業式をもう一度やりました。
自主開催した理由は「なんだか卒業式がしんみりしていたので、もう1周全部ふざけてやるという、体育館で2時間くらいかけて、3人でもう一度卒業式をやりました」と照れつつ「走り回って、校長先生役、本人役…と一通りやりました。相当思い出深いので、今でも思い返します」と楽しい青春時代を語った。
【引用元:ORICON NEWS】
そして、成田凌さんは高校時代の友達とは卒業後も仲が良く、「メンズノンノ」のモデルに決まった際には、みんなで集まってお祝いをしてくれたそうです。
僕は『メンズノンノ』のモデルに受かって、高校の友達がサプライズでお祝いしてくれたときのこと。記念にもらったアルバムに、参加してくれた人もしていない人も含めてすごい人数の名前と電話番号が書いてあって、「何かあったらここに電話しなさい」と一言添えられていて。そのアルバムを渡しながら彼らが歌ってくれた曲がRIP SLYMEの「Remember」って曲で、今もみんなの主題歌みたいになっています。ちなみにそのころ帰り道もいつも一緒だった友人が今日のスタイリストさんです。
【引用元:女子SPA!】
ちなみに、成田凌さんの高校時代のファッションは、とりあえず目立ちたいと思っていたそうで、変なことをファッションとして取り入れたり、普段着も派手だったことを2022年5月20日の「ZIP!」に出演した際に明かしています。
「高校生の時に、とりあえず目立ちたいと思っていて、こんぐらい(ズボンを太ももまで)捲ったら人と違うだろうとか」「変なことをファッションとしてやりたいなと思ってて、普段着とかも派手な服を持ってたんですけど」「もう派手な服は着たくないなと、普段はね」
【引用元:TALENTBANK】
成田凌の専門学校時代:美容師の資格をとるも美容師にはならず・・
成田凌さんは、高校卒業後、2014年4月に日本美容専門学校に入学しました。
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日本美容専門学校 の パンフレット に 成田凌くん いた !!!
— たるそ (@_tawagoto_life) October 9, 2017
成田凌さんがこの学校を選んだのは、高校時代から普通の大学に進学するつもりはなく、大学進学を考えていなかったことと、仲の良い友人が美容師の学校に行くという影響が大きかったからだそうです。
将来のことは何も考えていなくて、高校を卒業後の進路は仲のいい友人が美容師の学校に行くと聞いて「じゃあ俺も行こうかな」みたいな感じでした。
【引用元:MEN’S NON-NO WEB】
専門学校に通っている頃の成田凌さんは、個性的な髪型をしており、専門学校時代は2週間に一度も髪色を変えたり、カットしたり、パーマを掛けたりしていたそうです。
また、在学中は熱心にカットの練習をして、コンテストで入賞したようです。
「美容学校にも通って、1年生のころはサロンに手伝いにも行きました。練習用の頭のマネキンとかめちゃめちゃ持ってて、かなり捨てても家にまだ30個くらいあります。パーマのときに使う紙とか消耗品も多くて、練習すればするほど必要になって。実は美容学生って結構お金がかかるんです(笑)」
【引用元:週刊女性PRIME】
そして、20歳で国家試験にも合格し、美容師の資格を取得しています。
しかし、美容師として就職活動をしているときに、このまま進むと簡単に夢が叶ってしまうと思ったことと、当時一緒に住んでいた友人が、自分と同じサロンで就職活動を行なっていたため、突然美容師の道を諦めています。
「就職活動をしているときに、このままでは簡単に夢が叶(かな)ってしまう気がして、それではつまらないと思ったんです。あと、当時一緒に住んでいた友人が自分と同じサロンを就活で受けると聞いたので、“もうやめた!”って。それでメンズノンノに応募して事務所に入りました」
【引用元:週刊女性PRIME】
そして、美容師になることをやめ、古着屋でアルバイトをしていました。
成田凌さんはお店のブログで度々登場すると、周囲からもかっこいい!と評判も良かったとのことです。
成田凌さんは、お店のスタッフとして表に出ていましたが、ファッション雑誌やヘアカタログ雑誌にも度々登場していたようです。
【スナップ】原宿の古着屋「dude」の成田 凌さん。Tシャツは彼がデザインしたものだそう。http://t.co/kohqXy4NcI pic.twitter.com/TjUjxAjGip
— FASHIONSNAP (@fashionsnap) September 30, 2013
成田凌の芸能界入り:メンズノンノのモデルから役者へ
専門学校2年生の頃に、洋服屋でアルバイトをしている際、現在のマネージャーから声を掛けられ、人前に出る仕事に興味を持ったそうです。
また、東京コレクションで有名人が優遇されているのを見て、自分も同じ舞台に立ちたいと決意したとのことです。
そして、目標を「MEN’S NON-NO」の専属モデルに定め、注目されれば事務所選びの選択肢も増えると考え、現マネージャーに相談したそうです。
すると、他の事務所に入っても応援すると言ってくれたそうで、今のマネージャーにお世話になることにしたとインタビューで語っています。
──メンズノンノモデルに応募した動機は。
専門学校生のときに、アルバイトをしていた洋服屋で今のマネージャーに声を掛けられました。話を聞くうち、人前に出る仕事もアリだなと思うようになって。それから東京コレクションのショー会場で、並んでいる僕らを尻目に有名人が「どうぞどうぞ」と優先的に案内されている様子を目撃した瞬間に「よし、自分も同じ土俵に立とう」と決めましたね。そのためには何がいいかと考えたら、“メンズノンノモデル”だと思ったんですよ。肩書きに箔が付く、というか世間的にまず注目されてから所属事務所を探せば、選択肢も多くなりそうだなと。そんな計画を現マネージャーにも相談したら「うちではない他の事務所に入ったとしても凌をずっと応援する」と言ってくれて。こんなに熱意を持ってくれる人はいないと思い、メンズノンノに合格した後にお世話になることにしました。
【引用元:MEN’S NON-NO WEB】
ちなみに、成田凌さんは、「MEN’S NON-NO」の専属モデルになることは通過点の一つであり、役者になるという夢があったそうで、オーディションのときに「役者になりたいので、手助けしてください」と言ったことを語っています。
オーディションに応募したきっかけについて成田は「僕は役者になりたいと思ったのが遅くて。だから一番大きい雑誌に出ておけばなんとかなると思ったんです。『役者になりたいんで手助けしてください』と言ったのを覚えています」と振り返る。
【引用元:映画ナタリー】
そして20歳の時に「MEN’S NON-NO」の専属モデルのオーディションに合格し、メンズノンノの専属モデルとなっています。
ちなみに、家族は芸能界入りを反対しており、特に母親が厳しい人だったことから、成田凌さんは「とりあえず2年もらっていいですか?2年で芽が出なかった辞めるから」と頼み込んでの方向転換だったことを2018年10月26日放送の「A-Studio」(TBS系)で明かしています。
厳しいという母親には「とりあえず2年もらっていいですか?2年で芽が出なかったらやめるから」と頼み込んでの方向転換だったというが、役者となった現在では「『明日仕事かあ』って、一秒も思ったことがない。うきうきが止まらない」と笑顔で語った。
【引用元:modelpress】
なお、お兄さんだけは家族で唯一、芸能界入りに賛同してくれたそうです。
「MEN’S NON-NO」の専属モデルとして仕事を始めた成田凌さんは、細身の体と端正なマスクが評判となり、すぐに人気モデルとなります。
メンズノンノでは同じく専属モデルで俳優の坂口健太郎さんと人気を二分するほどだったようです。
またメンズノンノの看板モデルだけあって、たびたび表紙を飾り、さらにモデルとしてファッションショーの「ガールズアワード」や「東京ガールズコレクション」のランウェイにも立っています。
さらにモデルデビューの1年後の2014年、21歳の時にNEXT smartオリジナルドラマ「FLASHBACK」にて主演で俳優デビューをしています。
その後も、2015年には映画『飛べないコトリとメリーゴーランド』でスクリーンデビューし、2018年、出演した映画『スマホを落としただけなのに』と『ビブリア古書堂の事件手帖』での演技が評価され、第42回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。
成田凌さんは同年代の役者の方たちと、「おじいちゃんになるまで役者を続けていられたらいいな」とインタビューで語っています。
キャリア関係なくそれぞれの良さがあって、個人のスタイルもどんどん構築されていっていると思うので、僕ら世代の役者達でこの先面白いことができたらいいなと。仲良しこよしをするつもりもないし、蹴落としたいという気持ちもないので、おじいちゃんになるまでみんなが役者を続けていられたらいいなと思っています。
【引用元:ORICON NEWS】
成田凌の父親の髪型はアフロで職業は大工!!
成田凌の父親は大工で年齢は50代!
成田凌さんの父親は、成田茂さんと言います。
成田凌さんが2022年5月24日に放送された「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ系)に出演した際に、父親の年齢が50代であることを明かしています。
父親の年齢について聞かれた成田さんは、「50真ん中くらいです」と回答。今年で50歳を迎える中居さんは、あまりの年齢の近さに驚きを隠しきれない様子でした。
【引用元:日テレNEWS】
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また、成田茂さんの職業は大工で、内装の仕事をしているそうです。
成田凌さんがテレビ台やキッチンの棚を父親に作ってもらうようにお願いした際には、成田茂さんが使いやすいものを作ってくれたとのことです。
そして、成田凌さんが一枚板を手に入れたときには、父親の成田茂さんがその一枚板に脚をつけてテーブルにしてくれたことをインタビューで語っています。
父は内装の仕事をしているので、テレビ台やキッチンの棚など細かく注文して使いやすいものを作ってもらいました。テーブルも、憧れの一枚板を手に入れたときに、父に脚をつけてもらいました。
【引用元:UR都市機構】
成田凌の父親の髪型はアフロで縦長が特徴!?
成田凌さんがお正月に実家に久しぶりに帰った際、父親が「縦長のアフロヘア」にしていたことを、2022年5月24日に放送された「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ系)に出演した際に語っています。
毎年、お正月は実家に帰っているという成田さん。久しぶりに父親と顔を合わせたところ、「なぜか “縦長のアフロヘア” にしていたんですよ」と、驚きの髪形に変身していたことを告白。するとMCの中居正広さんから、 “かぶりもの” ではないかとツッコまれた成田さんは、「地毛で。ただただ縦のアフロ」と身ぶり手ぶりを交えながら力説しました。
【引用元:日テレNEWS】
成田凌の父親は美容学校入りも芸能界入りも猛反対!?
成田凌さんが美容学校への進学を希望した時と芸能界入りを決断した時には、父親の成田茂さんから猛反対を受けていたそうです。
成田は「美容師になるときと、美容師をやめてこの業界に入るとき、2段階で反対されてます。一度も褒められたことはなく、兄は喜んでますが、親は基本的に反対です」と明かしている。
【引用元:SPICE】
そんな猛反対していた父親の成田茂さんですが、成田凌さんが出演する作品はほとんど観てくれているようです。
しかし、成田凌さんが映画で命を落とす役を演じたとき、成田茂さんはその映画を見ないことにしているとのことで、映画「ニワトリ★スター」は、成田凌さんが命を落とす役だったため、成田茂さんは見ていないとのことです。
また、両親は映画「カツベン!」を観て、初めて褒めてくれたことをインタビューで明かしています。
「初めて両親が褒めてくれました。ふたりとも“面白い!”って。これまでの作品も見てくれています。だから、うれしかったですね。あっ、父は『ニワトリ★スター』という映画だけは見てくれていないんですよ。理由を聞いたら“だって、凌、死ぬんでしょ”って。かわいいですよね(笑)」
【引用元;週刊女性PRIME】
成田凌の母親はねるとんに出演経験ありで料理上手!
成田凌の母親は「ねるとん紅鯨団」に出ており成田凌似!?
成田凌さんの母親は成田美香さんです。
成田美香さんは一般人ですが、成田凌さんがテレビに出演した際に、成田美香さんが1987年12月に放送された「ねるとん紅鯨団」に出場していたことを明かしています。
成田美香さんは当時17歳だったので、1970年生まれの可能性が高いです。
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成田凌さんが1993年生まれなので、成田美香さんは23歳頃に成田凌さんを出産したことになります。
ちなみに、「ねるとん紅鯨団」は1980年代から1990年代までフジテレビ系列で放送されていた人気バラエティ番組で、とんねるずが司会を務め、1987年から1993年までバラエティ番組の年間平均視聴率ベスト5に入るほどの人気を誇りました。
若い男女が集まる合コンのような形式で、上手くいけばカップルが成立するという内容でした。
成田美香さんは1987年12月26日の放送回に出演し、好きなタイプは「明石家さんまさん」と答えていました。
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俳優・成田凌の母、ねるとん出場経験あり
「ねるとん紅鯨団」1987年12月26日 O.A. pic.twitter.com/xb2VrcDraC— てんつく(RNメイクィーン男爵🥔) (@tittitopoppo) June 15, 2017
そして、番組内で成田美香さんはカップル成立となりましたが、その相手は成田凌さんのお父さんではありませんでした。
成田凌さんのお父さんとは番組の約4年後には結婚していたため、番組内でカップルが成立した相手とは後に破局したようです。
成田凌の母親は料理が得意でイベントごとに豪華料理を振る舞う!
成田凌さんの母親・成田美香さんは料理が得意だそうで、成田凌さんが世の中で一番好きな食べ物はお母さんの作るお雑煮とのことです。
成田凌さんも何度か作ってみたけれど、うまくいかなかったとインタビューで話しています。
お雑煮にはにんじん、大根、鶏肉、椎茸、里芋が入っていて、焼いた餅と茹でた小松菜を最後に入れるそうですが、成田凌さんは自分でその味を再現することを諦め、最近ではお母さんに作ってもらうことをお願いしているとのことです。
世の中で一番好きな食べ物は、母のお雑煮。それを真似しようと何度もチャレンジしているんですが、失敗し続けています。にんじんと大根と鶏肉と椎茸と里芋が入った汁に、焼いた餅を入れて、食べる直前にゆでた小松菜を入れるんです。ああ、話していたら、食べたくなってしまいました(笑)。レシピを聞くのは意味がない気がして、最近は自分で作るのを諦めて、母がうちに来るときに「お雑煮を作って」とリクエストしています。
【引用元:UR都市機構】
また、クリスマスなどのイベントごとには成田凌さんの母親は豪華な料理をふるまうようです。
成田凌さんのお兄さんである成田健人さんのインスタグラムには、豪華な料理の写真も掲載されています。
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成田凌の兄弟の職業はアパレル会社COOで弟を溺愛!
成田凌の兄の職業はアパレルブランドのCOO!双子ではない!
成田凌さんの兄弟は兄1人で、2歳年上の成田健人さんと言います。
成田健人さんは一般人で、tiktokにはアパレルショップのウェブサイトが記載されており、現在アパレルブランド「Naritaya」のCOOをしているようです。
COOは“Chief Operating Officer”の略で、日本語では最高執行責任者と訳されます。執行責任者と言われるように、COOが責任を負うのは会社の業務に対してです。CEOが会社の経営方針を判断するとしたら、その判断に従っておこなう実務全般に責任を負う役職と言えるでしょう。
【引用元:indeed】
なお、成田凌さんと兄の成田健人さんは、顔が似ており一時期双子ではないかと言われていましたが、双子ではなく兄弟です。
成田凌の兄は成田凌を超大好きでほっぺにキス!?
成田凌の兄の成田健人さんは、成田凌さんの大ファンで、2019年12月8日放送の「おしゃれイズム」にも一緒に出演していました。
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この番組で兄の成田健人さんは、成田凌さんと同じ髪型にして登場し、子供の頃から兄の成田健人さんが髪型を真似していることを明かしています。
今回、そんな成田の兄が実際にスタジオに登場。兄が成田とそっくりの髪型をしていることについて、成田は「子供の頃からそうですよ」と、成田の髪型を真似する兄の不思議な行動を明かした。
【引用元:sirabee】
また、番組内で成田凌さんは高校時代に満員電車の中で兄の成田健人さんからほっぺにキスをされたことがあると明かしており、番組MCの上田晋也さんは「それは気持ち悪いわ」とコメントし、観覧席からも悲鳴が上がっていたようです。
2つ上の兄がいるという成田。「昔から嫌いなんですよ。でも、兄貴は僕のことが大好きなんですよ」と強い口調で語り、「それが本当に嫌で」とキッパリ。高校時代、雨の日の満員電車で兄からほっぺにキスされたことがあるというエピソードを話すと、会場からは悲鳴があがる。
【引用元:WEBザテレビジョン】
そして、番組収録の日も兄の成田健人さんは成田凌さんの服を勝手に着ており、成田凌さんのことを自分の娘と同じくらい好きだと話しています。
スタジオに兄の成田健人さんがサプライズで登場!この日も成田凌さんの洋服を勝手に着ており、上田晋也さんから「お兄さんうぜえな」とツッコまれていました。そんな兄に上田晋也さんが「そんなに弟さんのこと好きなんですか」と改めて尋ねると、「大好きですね」と即答。自分の娘と同じくらい好きだといい、共演者を驚かせています。
【引用元:grape】
ちなみに、この共演がきっかけで、成田健人さんのInstagramのフォロワーは急増し、1万人近くになったようです。
また、成田健人さんはInstagramのプロフィールで「成田凌を使ってイイね増やすのが趣味」と公言しており、頻繁に成田凌さんとの写真を投稿しています。
一方的に成田凌さんを大好きな兄のようですが、成田凌さんは兄の影響を受けて育ったことを公言しています。
小さい頃から一緒のサッカーチームに所属し、今でも一緒に遊んだり飲んだりと親しい関係が続いていることをインタビューで語っています。
「僕、2つ離れた兄とめちゃくちゃ仲がいいんです。地元のサッカーチームが一緒で、遊んだりもするんですよ。飲みの席の兄貴はまさに“スター”。めっちゃ面白くて輝いてる(笑)。昔から兄貴のあとをずっとくっついて歩いていたので。意識はしてないけど、今でも憧れの気持ちがあるのかもしれません」
【引用元:週刊PRIME】
成田凌の兄の妻はモデルだった!!
成田健人さんは既婚者で、奥さんはモデルの岡田早紀さんです。
岡田早紀さんはZOZOTOWNの着衣モデルやカットモデルとして活躍しており、夫婦仲も非常に良いようです。
二人には女の子の子供がいて、家族での幸せな様子をSNSにアップしています。
成田凌さんも岡田早紀さんと交流があり、兄夫婦の結婚記念日を祝うために仕事帰りに駆けつけることもあったようです。
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成田凌の兄は成田凌の芸能界入りを応援でケンカもしたことがない!
成田健人さんは、成田凌さんの芸能界入りを家族で唯一応援したそうで、この応援が成田凌さんにとっても大きな励みになったそうです。
さらに、2019年11月12日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に成田凌さんが出演した際に、兄の成田健人さんとはケンカをしたことがないことを明かしています。
家族仲が良く、2歳上の兄とは喧嘩をしたことが無いという成田。
【引用元:テレ朝POST】
また兄の成田健人さんは成田凌さんが出演する映画を見て号泣していたことを語っています。
成田健人さんは、成田凌さんが映画の中で命を落としてしまうシーンがあり、それを見て辛くなったようです。
また家族仲が良く、2歳上の兄とは喧嘩をしたことが無いという成田。ある日、自分の映画を観た兄が号泣していたので理由を尋ねると、「凌が死んじゃう映画だろう」と映画と言えど弟が死んでしまうのは辛いと言われたそう。
【引用元:livedoor News】
成田凌の家族構成まとめ
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家族構成 | 説明 |
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父親 | 成田茂。大工として内装の仕事をしている。50代で、縦長アフロヘア。息子の成田凌が芸能界に入ることには反対していたが、現在は息子の出演作品をほとんど観ている。 |
母親 | 成田美香。料理が得意で、特にお雑煮が成田凌の大好物。1987年に「ねるとん紅鯨団」に出演経験あり。成田凌が芸能界に入る際には厳しく反対していたが、現在は応援している。 |
兄 | 成田健人。1991年生まれでアパレル会社COO。成田凌を溺愛しており、弟の影響を強く受けて育つ。既婚でモデルの岡田早紀と結婚し、娘がいる。成田凌の芸能界入りを応援した。 |
本人(成田凌) | 1993年11月22日生まれ。俳優であり、モデルとしても活躍。サッカー少年から美容師を目指し、その後「MEN’S NON-NO」のモデルオーディションに合格し、現在は俳優として成功している。 |