この記事では、長濱ねるさんの生い立ちや家族構成について紹介しています。
長崎県で生まれ育った長濱ねるさんの、五島列島でのびのびと育った幼少期から、多くの転校を経験をした学生時代、アイドルで輝くまでのエピソードや両親・姉や兄まで詳しく深掘りします。
長濱ねるさんとその家族について詳しくわかること間違いなしです!
目次
長濱ねるの家族構成!父親・母親・姉・兄の5人家族
長濱ねるの家族構成は「父親・母親・姉・兄・本人」の5人です。
母親:職業は保健室の先生。「ねる」と名付け親。欅坂の最終審査を辞退させた?
長女:名前は「咲良」でとても優しく、長濱ねるより7歳年上
長男:長濱ねるより5歳年上で、寿司屋で働いている
また、長濱ねるさんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
長濱ねるの生い立ちや学歴!乃木坂46のファンから欅坂46のメンバーに
- 名前(本名):長濱ねる
- 生年月日:1998年9月4日
- 身長:159㎝
- 体重:非公開
- 血液型:O型
- 出身地:長崎県長崎市
- 学歴:新上五島町立奈良尾小学校→諫早市立喜々津小学校(転校)→諫早市立喜々津中学校→長崎県立長崎西高校(偏差値67)→八雲学園高校(偏差値56)(編入)→通信制大学
長濱ねるの幼少期:五島列島でやんちゃな性格の子に育つ!
長濱ねるさんは、1998年9月4日に長崎県長崎市で生まれました。
幼少期の長濱ねるさんはとても活発な子供で、やんちゃな性格だったことから、髪の毛を短く切られていたそうです。
また、長濱ねるさんは3歳の時に、家族と長崎市内から五島列島にある中通島の奈良尾というところに引っ越しました。
その後、新上五島町立奈良尾小学校に入学し、そこで、自然豊かな島の環境に囲まれて、7歳まで暮らしました。
――幼少期に住んでいた五島列島でも撮影されたそうですね。
3歳から7歳まで中通島の奈良尾というところに住んでいて、小学校2年生のときに長崎市内に引っ越しました。
【引用元:ORICON NEWS】
長濱ねるは小学校低学年の頃に川でカニを捕まえて素揚げにしていた!
長濱ねるさんは、小学校の遠足で地引網体験をしたそうです。
また、小学校の頃から、川でカニを捕まえ、それを素揚げにして食べていたり、砂場を使ってプールを作ろうとしたこともあるみたいです。
それから、誕生日になると、町に一軒だけあるケーキ屋でキャラクターのケーキを買ってもらうのが毎年の楽しみでした。
長濱ねるは小学校時代に「ねる」という名前が嫌いだった!
長濱ねるさんが小学2年生の時、親の仕事の都合で再び長崎市へ移り住むことになりました。
その後、長崎市からさらに諫早市多良見町に移り、諫早市立喜々津小学校に転校することになったそうです。
この新しい学校では、長濱ねるさんが「声がぶりっこしている」と言われることがあったそうです。
そして、長濱ねるさんは、それまでの五島列島での生活とは違い、街での暮らしには人間関係の複雑さがあり、周囲の視線や女子同士の嫉妬心に悩むようになってしまったみたいです。
さらに、無理に自分を出すと嫌われるのではないかという不安が募り、次第に心を閉ざし、自分の世界に引きこもることが多くなっていきました。
また、名前も悩みの一つで、「ねる」という珍しい名前について、転校するたびに必ず質問され、注目されるため、長濱ねるさんは幼い頃、自分の名前が好きになれませんでした。
長濱:“ねる”ってさ、名前から珍しいから、100%聞かれるの。「ねるって本名?」って
織田:そこは突くよね、絶対ね。大変そう
長濱:それがもう嫌で。転校きっかけで、最初の頃は自分の名前が嫌いっていうか・・・そうだったね
【引用元:ニッポン放送 NEWS NLINE】
長濱ねるは小学校時代にAKB48のファンになる!
長濱ねるさんは小学生の頃から本を読むことが大好きで、ピアノも習っていました。
それから、小学校高学年になると、AKB48に興味を持つようになり、特にAKB48が出演していたドラマの「マジすか学園」やAKB48の楽曲の「ポニーテールとシュシュ」などに夢中になっていたそうです。
ちなみに、長濱ねるさんは小学生時代にパソコンクラブに所属していましたが、放課後は一人でパソコンの画面に向かい、ひたすらAKB48の動画を見て楽しんでいたみたいです。
また、長濱ねるさんの家族は教員住宅に住んでおり、隣にはALTのアシュリンとキャサリンという先生たちが暮らしていたため、ALTの先生たちとの交流を通じて、海外に興味をもったそうです。
長濱ねるは中学校時代にバドミントン部に所属していた!
長濱ねるさんは、諫早市立喜々津中学校に入学し、部活動はバドミントン部に所属していました。
中学時代はバドミントン部だった長濱さん。シャトルの拾い方が部活っぽいです!😳😳
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■セブンhttps://t.co/wM7ijnv02L#部活 #青春 #放課後 pic.twitter.com/h5DKpbKI5E— 長濱ねる1st写真集 ここから【公式】 (@neru_nagasaki) October 21, 2017
また、小学生の頃からピアノを習っていたこともあり、学校の合唱コンクールでは毎年伴奏を担当していたそうです。
それから、中学生の頃の長濱ねるさんは、性格的にとても気を遣うところがあり、友達と話をするときには、相手が喜ぶような返事を心がけて話すことを意識していたみたいです。
そんな長濱ねるさんですが、中学生の頃には反抗期を迎え、部屋の扉に「勝手に入らないで」と張り紙をしていたそうです。
長濱ねるは中学生時代に乃木坂46のファンになった!
長濱ねるさんは、中学1年生のときには韓国へ、そして中学2年生のときにはアメリカ・モンタナ州へホームステイを経験しました。
また、中学2年生の頃から乃木坂46に興味を持ち始めましたが、「おいでシャンプー」という楽曲がきっかけだったそうです。
当時は周囲に乃木坂46のファンが少なく、長濱ねるさんは「私だけが好き」と密にうぬぼれており、中でも伊藤万理華さんが好きで、アイドルを目指すきっかけにもなりました。
長濱がアイドルを目指すきっかけとなった乃木坂46の元メンバー、伊藤万理華からもメッセージが寄せられた。
【引用元:ORICON MUSIC】
高校受験の際には伊藤万理華さんのボールペンを使って勉強するほど憧れを持っていました。
そんな長濱ねるさんは、学業も熱心で、普段から1日10時間ほど勉強する習慣があり、テスト期間中はさらに集中して16時間も机に向かうことがあったそうです。
長濱ねるは高校時代に長崎の料理コンテストで佳作を受賞した!
長濱ねるさんは長崎県立長崎西高校に入学しました。
2018年に卒業した米谷奈々未さんと同様に、偏差値の高い長崎西高校に通っていたので“秀才コンビ”と呼ばれていました。
【引用元:日刊ゲンダイ】
部活は調理部に所属して、週に一度のゆるい活動に取り組んでいましたが、「長崎創作料理コンテスト」に出場し、佳作を受賞しました。
【欅坂46】長濱ねるが「料理コンテスト」に出てた時の激レア画像が発見される!ねるの手料理食いてえ https://t.co/xah2eHp0NV pic.twitter.com/W1pqD7RHdO
— エメマン (@morusokuhou) October 7, 2016
また、長濱ねるさんは高校時代、多くの男子生徒から好意を寄せられ、学校の「マドンナ」として注目される存在でもありました。
長濱ねるは高校時代に巫女アルバイトの衣装を焦がして弁償?
長濱ねるさんの高校の校則ではスマートフォンの使用が禁止されていましたが、持っていたのを先生に見つかってしまい、1か月間没収されてしまったことがあるそうです。
そして、その期間は部活動にも参加できなくなってしまったそうです。
また、高校1年生の時には、巫女のアルバイトをしていましたが、アルバイト中に衣装をストーブで焦がしてしまい、その弁償として給料から天引きされるという経験もあるみたいです。
「お正月は衣装を着て立つんですけど、机の下に電気ストーブがあって、赤い衣装をチリチリ燃やしちゃって給料から天引きされて、みんなより自分だけ低くくてショックでした」と失敗談も披露している。
【引用元:livedoor News】
長濱ねるは高校時代に高校生クイズで長崎県大会決勝まで進んだ!
長濱ねるさんは高校時代に1年間の留学も考えており、留学するための試験に合格するほどの実力がありましたが、留学すると高校を留年する必要があると知り、断念しました。
ちなみに、長濱ねるさんは超朝型の生活を心がけていて、毎朝4時には起きて勉強に取り組む日々を送っていました。
そんな長濱ねるさんは、高校2年生の時に同級生と共に日テレ系のクイズ番組「高校生クイズ」に参加し、長崎県大会の決勝まで進んだこともあります。
長濱は、長崎県の公立高校偏差値トップの進学校に通っていたことが知られていて、高校2年時には同級生と高校生クイズに出場して長崎県大会の決勝まで進んでいる実績があるほどです
【引用元:Asagei】
また、アイドルを目指す前の長濱ねるさんの将来の夢は、航空業界で働くグランドスタッフになることだったそうです。
長濱ねるは高校時代に欅坂46の1期生オーディションを最終で辞退?
長濱ねるさんは、16歳の時に初めて乃木坂46のライブ「真夏の全国ツアー2015」を見に行きました。
そして、その3ヶ月後に、乃木坂46の姉妹グループである欅坂46の1期生オーディションに挑戦することを決意します。
ちなみに、長濱ねるさんは、オーディションを受けることを両親に秘密にしていたそうです。
そのため、最初の一次審査に合格した時、合格通知が家に届き、両親にばれてしまいました。
次の二次審査は福岡で行われたため、長濱ねるさんは父親の車で現地に向かい、歌唱審査では「まりっか17」という曲を披露し、見事に二次審査も突破することができました。
両親は「受かるはずがない」と軽く考えていたオーディションでしたが、長濱は1次審査、2次審査を順調に突破。「自分にチャンスがあるなら、絶対にアイドルになりたい」という決意を胸に3次審査、最終オーディションのために東京へ向かいました。
【引用元:欅坂46 OFFICIAL WEB SITE 】
しかし、二次審査を通過したものの、母親がオーディションへの参加を強く反対したため、長濱ねるさんは三次審査に合格するも、最終審査を受けることができなくなり、参加を辞退して長崎の自宅に戻ることとなりました。
長濱の母は娘の決意を認めず、翌朝、長崎へ娘を連れ戻すために上京。長濱は有無を言わさず長崎に連れ戻され、最終オーディションを受けることができませんでした。
【引用元:欅坂46 OFFICIAL WEB SITE 】
その後、夢を諦めなければならなくなった長濱ねるさんは、自宅に戻された後、悲しみのあまり泣き続けていたそうです。
その時に改めて「アイドルになりたい」という思いを強く自覚した長濱。長崎の自宅に帰宅すると、悔しくて泣きじゃくります。
【引用元:欅坂46 OFFICIAL WEB SITE 】
そんな中、姉が長濱ねるさんを支え、両親にもう一度話し合うよう説得してくれました。
その結果、父親がオーディションの運営スタッフに連絡を取り、両親と長濱ねるさんは乃木坂46のライブに招待してもらえることになりました。
父が運営スタッフに相談。相談を受けたスタッフは長濱の両親と本人を福岡で行われていた乃木坂46のコンサートに招待しました。
【引用元:欅坂46 OFFICIAL WEB SITE 】
そのライブで、ステージ上で輝くアイドルたちの姿を間近で見た母親は、次第に考えが変わり、両親揃って運営に対してもう一度だけチャンスを与えてほしいと真剣にお願いしたそうです。
歌い踊るメンバーが輝いている姿を観て、両親は「娘を後押ししよう」と気持ちが変わっていきます。長濱の両親はコンサート終了後、「娘にもう一度チャンスをあげて欲しい」と申し出てた
【引用元:欅坂46 OFFICIAL WEB SITE 】
長濱ねるは当初「けやき坂46」として活動していた!
運営は長濱ねるさんが二次審査までで高い評価を受けていたことを考慮し、最終審査を問題なく受けていれば合格していたと判断し、特例として、加入を認めました。
運営スタッフによる話し合いの結果、3次審査まで高い評価を得ていた長濱ねるを特例として欅坂46に加入させることが決定しました!
【引用元:欅坂46 OFFICIAL WEB SITE 】
ただし、オーディションで通過をしていなかったため、すぐに欅坂46のメンバーとして活動を開始するのは、既存のメンバーとの間に問題を生じさせる可能性があると判断されました。
そのため、新たなアンダーグループとして「けやき坂46(ひらがなけやき)」というグループが設立され、長濱ねるさんはそのメンバーとして活動をスタートすることになりました。
長濱ねるは地元を離れ都内の八雲学園高校に転校した!
長濱ねるさんは、活動を始めるために上京し、東京都内の八雲学園高校に転校しました。
さらに、上京と同時に欅坂46の寮に入り、一人暮らしを始めました。
編入した当時の女子校内ではトイレでクラシック音楽が流れ、ハンドドライヤーが設置されているなど、長濱ねるさんにとって地方の公立高校では考えられないことがたくさんあったそうです。
高校在学中に欅坂46での活動をスタートさせるために、生まれ育った長崎県から上京した長濱だが、編入先の都内の女子校は「トイレでクラシック(音楽)が流れていたり、(手を)乾かすハンドドライヤーみたいなのがあったりとかして…」と、地方の公立高校では考えられない学校環境であったと説明した。
【引用元:Asagei】
長濱ねるは欅坂46の5thシングルから「欅坂46」専任メンバーに!
高校3年生の4月、長濱ねるさんは欅坂46がリリースした「サイレントマジョリティー」でメジャーデビューを迎えました。
しかし、当初は「けやき坂46」(ひらがなけやき)として活動していたため、このデビュー曲の選抜メンバーには含まれませんでした。
それでも、同じ年の11月にリリースされた欅坂46の「二人セゾン」では、ついに欅坂46の選抜メンバーに選ばれました。
当時、長濱ねるさんは欅坂46とけやき坂46の両方で活動するという特殊な立場にありましたが、2017年の欅坂46の5thシングルから「けやき坂46」との兼任が解除され、欅坂46専属メンバーとしての活動に集中することとなりました。
その後、長濱ねるさんは人気メンバーとして活躍を続け、2018年にはラジオ番組「欅坂46こちら有楽町星空放送局」のメインパーソナリティに正式に就任しました。
長濱ねるは2019年に欅坂46を卒業!
2019年3月7日、長濱ねるさんは欅坂46を卒業することを正式に発表しました。
私は3月7日に、卒業を発表させていただきました。7月まで握手会がありまして、そのぐらいの時期を目処に卒業することを決めました。
【引用元:ニッポン放送 NEWS NLINE】
その後、2019年7月30日に幕張メッセで「ありがとうをめいっぱい伝える日」という卒業イベントが開催され、このイベントをもって長濱ねるさんは欅坂46を卒業しました。
アイドルグループ・欅坂46の長濱ねる(20)が30日、千葉・幕張メッセ 国際展示場ホール6で行われた卒業単独イベント『ありがとうをめいっぱい伝える日』をもってグループを卒業した。
【引用元:ORICON MUSIC】
欅坂46を卒業した後も、長濱ねるさんは芸能活動を続け、ドラマやテレビ番組、モデルなど多方面で活躍しています。
長濱ねるは欅坂46卒業後に通信制大学に進学した!
欅坂46卒業後の長濱ねるさんは、芸能活動と並行しながら通信制大学に進学し、学業にも力を注いでいます。
ちなみに、長濱ねるさんは、図書館司書の資格取得を目指して勉強に励んでいるそうです。
長濱ねるの父親の職業は数学教師で長濱ねると仲良し!
長濱ねるの父親の職業は数学教師!
長濱ねるさんの父親は一般人であるため、年齢や名前などの詳しい情報はわかっていません。
長濱ねるさんの実家は、長崎県諫早市多良見町化屋にあり、長濱ねるさんの父親は数学教師として学校に勤めているそうです。
私の両親は、2人とも教師でした。
【引用元:frau the Earth】
部活の顧問も任されていた父親は、朝は6時に家をでて朝練、授業、放課後の部活と帰宅するのは夜9時頃で、土日も練習や試合があれば付き添っていました。
朝は6時ごろに家を出て部活の朝練、授業、放課後はまた部活、そして土日も練習や試合があればそれに付き添う。両親共に、帰宅するのは夜の9時ごろという毎日。
【引用元:frau the Earth】
長濱ねるの父親はジョジョの奇妙な冒険の大ファン!
父親は、髭が生えた強面な見た目をしているものの、長濱ねるさんによると、可愛らしい顔をしているそうです。
また、長濱ねるさんの父親は、「ジョジョの奇妙な冒険」の大ファンで、新刊が出る度に1巻から読み返すほどです。
長濱が「父が『ジョジョ』大好きなので。なんか父の教え……教えというか、父が新巻が出るたびに1巻から(読み返す)。実家にあるんですよ。実家の階段に段ごとに部数を分けて置いてあって」とコメント。
【引用元:livedoor News】
長濱ねると父親は2人旅をするほど仲が良い!
長濱ねるさんの父親はあまり多くを語る性格ではないものの、毎日のように長濱ねるさんと連絡を取り合うほど仲が良いです。
現在も長濱ねるさんは父親と2人旅をして、父親が買ってきてくれたガイドブックに付箋を貼ったり、お土産屋さんを決めたりして楽しんだそうです。
長濱ねるが「私も先日、父と2人旅をしたんですけれども、父がガイドブックを持ってきてくれて、一緒に付箋を貼ったり、お土産屋さんを決めたりしてとっても楽しかったです」とコメント。
【引用元:livedoor News】
また、長濱ねるさんは、父親の愛車である「フェアレディZのZ32系」を運転し、家族が大好きとInstagramに投稿していました。
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さらに、父親と長濱ねるさんは一緒に銭湯に行くこともあるみたいです。
長濱ねるは父の日に地元の芋焼酎「五島芋」をプレゼントした!
長濱ねるさんは父の日に、地元・五島列島の「五島芋」という芋焼酎をプレゼントし、父親を喜ばせたこともありました。
長濱は「先週、父の日だったので、父に芋焼酎を送りました。地元の五島列島の『五島芋』というお酒を送って連絡を取りました」と答え、父の反応を聞かれると「喜んでいましたね。飲みすぎないように気をつけるって言っていました(笑)」と嬉しそうに話した。
【引用元:NEWS CAFE】
また、長濱ねるさんが実家に帰った際、普段と同じように服をあまり着ないで過ごそうとしたところ、父親から「もうそんな年じゃないんだから」とたしなめられたというエピソードもあります。
長濱は「言われました、私も。実家に帰っていつも通り裸でいこうとしたら、お父さんに『ちょっとそんな年じゃないんだから、やめてくれ』って」と笑った。
【引用元:スポニチ】
ちなみに、長濱ねるさんが小学校に入学する際には、島にランドセルが売っておらず、父親はネットオークションで赤いランドセルを必死に落札して用意したそうです。
長濱は「私は島(育ち)だったので、お父さんが(ネット)オークションで落としてくれました、ランドセル。お店がないので……」と語る。ちなみに色は赤色だったとのことで、長濱は「なんかお父さん、気合い入って」と振り返った。
【引用元:livedoor News】
長濱ねるの父親は欅坂46・長濱ねるのキャッチコピーを考えた!
長濱ねるさんが欅坂46のオーディションに内緒で挑戦し、一次審査を通過した際、父親はとても喜んだそうです。
そして、母親の反対があり、最終審査を辞退することになった時には、運営スタッフに「もしチャンスがあれば」と連絡を入れ、長濱ねるさんの夢を支えました。
長濱の様子を見かねた父が運営スタッフに相談。相談を受けたスタッフは長濱の両親と本人を福岡で行われていた乃木坂46のコンサートに招待しました。
【引用元:欅坂46 OFFICIAL WEB SITE 】
また、長濱ねるさんが使っていたキャッチコピー「ねるー、ねるらー、ねるれすと!今日もあなたの最上級、長濱ねるです!」を考えたのは父親だったみたいです。
長濱ねるの父親の顔写真をAIで想像してみた!
長濱ねるの母親は保健室の先生で「ねる」と名付け親!名前は?
長濱ねるの母親は保健室の先生で名前は?
長濱ねるさんの母親は、一般人であるため、残念ながら名前や年齢などの詳しい情報はわかっていませんが、母親の職業は保健室の先生です。
長濱ねるさんが小学1年生の時、その学校の保健室の先生が母親だったため、母親に会いたくなると保健室へ足を運ぶこともありました。
長濱ねるは、小学生時代の母との関係を語る。母が自分が通う小学校の保健室の教員だったといい、一年生の頃は「寂しくて」、保健室の母に会いに行っていたという。
【引用元:ザテレビジョン】
保健室の先生として働きながらも、長濱ねるさんの母親は、毎日子供達3人のためにお弁当を作ってくれていたそうです。
うちは私を含め子供が3人いたので、子育てもあり本当に大変だったと思います。母はそんな多忙の中でも、姉、兄、私、3人のために早朝からお弁当を作ってくれていました。
【引用元:frau the Earth】
また、幼い長濱ねるさんがマダニに噛まれてしまった時は、母親が怖がらせないよう「虫じゃないから大丈夫」と声をかけながらピンセットで取ろうとしました。
ただ取り除くことができず、一緒に夜間の皮膚科に駆け込んだというエピソードもあります。
長濱:マダニって知ってる? 私、それに噛まれたことがあって
守屋:え?
長濱:なんかチクチクするなって思って見たら、なんか(マダニの)足がピクピクってなってるの。え、これ何? と思って
守屋:いやぁ!
長濱:お風呂に入ってこすっても全然取れなくて、お母さん呼んだの。で、お母さんに「なんか虫が埋まってるんだけど」って言って
守屋:うわぁ~!
長濱:お母さんは、私が怖がるといけないと思って「虫じゃない」って言いながら、めっちゃピンセットで抜こうとして
守屋:マダニってそんなにくっつくんだ……
長濱:マダニって針があって、抜いたら針が残ってそこから毒が回るから、抜いちゃいけないらしいのね。その頃マダニがめっちゃ話題になってたから、お母さんに「これマダニの可能性あるよ。白状して! これ虫でしょ!」って言って。そしたら、お母さんも「うん、足見える」って・・・
守屋:あはは(笑)
長濱:2人で夜中皮膚科に行って治療してもらって、今も体に跡があるの
【引用元:ニッポン放送 NEWS NLINE】
長濱ねるの母親が「ねる」の名付け親!
長濱ねるさんの名前は、母親が考えたもので、「る」という響きを入れたかったこと、そして「考えを練る」という意味を込めて命名されました。
また、母親は本が大好きで、その影響もあり、長濱ねるさん自身も本に親しむことが多かったようです。
長濱:母がもともと本好きで。おうちに絵本や小説がたくさん入っている大きな本棚があって、生まれたときから本に触れてきた人生だったんです。絵本とかを実家に帰って読み返すと、本の裏表紙に「ねる2歳、本のページを食べて破る」とか全部書かれていて(笑)。「小さいころからこうやって本に親しませてもらってきたんだな」と改めて実感しました。
【引用元:J-WAVE NEWS】
母親は長濱ねるに最終審査を辞退させた!
長濱ねるさんが欅坂46のオーディションを受ける際、母親は二次審査を通過した長濱ねるさんに対して、三次審査が終わったらその日の飛行機で帰るように伝え、受かっても辞退するように伝えていました。
長崎から上京する際、母親は長濱に「最終的には3次審査に落ちても受かってもその日の飛行機で帰って来なさい。もし受かっても辞退して帰って来なさい」と約束。
【引用元:欅坂46 OFFICIAL WEB SITE】
しかし、長濱ねるさんが三次審査を通過したことで、長濱ねるさんの中にアイドルになりたいという思いがさらに芽生え、そのまま最終審査を受ける決心をしました。
それに気づいた母親は「今から連れ戻しに行きます」とスタッフに連絡し、長崎から東京へ急ぎ、ホテルに泊まっていた長濱ねるさんを無理に連れ帰りました。
ところが、スタッフから招待された乃木坂46のライブを母親と父親と長濱ねるさんの3人で見に行った際、最終的に父親とともに母親も長濱ねるさんの意志を尊重し、スタッフに「もう一度チャンスをください」とお願いしました。
乃木坂46メンバーの父親のコメント映像を観てそれぞれの家庭でも悩みながら娘を送り出していることを知り、また歌い踊るメンバーが輝いている姿を観て、両親は「娘を後押ししよう」と気持ちが変わっていきます。長濱の両親はコンサート終了後、「娘にもう一度チャンスをあげて欲しい」と申し出て、運営スタッフによる話し合いの結果、3次審査まで高い評価を得ていた長濱ねるを特例として欅坂46に加入させることが決定しました!
【引用元:欅坂46 OFFICIAL WEB SITE】
そんな長濱ねるさんの成長を見守り続けた母親は、長濱ねるさんの節目となる20歳の誕生日に特別なお祝いを用意してくれたそうです。
長濱ねるの母親の顔写真をAIで想像してみた!
長濱ねるの姉は咲良で職業は養護教論!妹の7歳年上!
長濱ねるの姉の職業は養護教論で名前は咲良さん!
長濱ねるさんの姉は雑誌から取材を受けた経験があり、顔写真があります。
そして、長濱ねるさんの姉の名前は「咲良」で、長濱ねるさんよりも7歳年上で現在33歳(2024年現在)くらいと思われます。
長濱ねるさんの姉は母親と同じく、養護教論の仕事をしているそうです。
欅坂46まとめーしょん更新しました♡
【欅坂46】長濱ねるの姉とかいう謎情報・・・【長濱ねる】https://t.co/D5VLEiR3Vz#欅坂46 pic.twitter.com/VnhZPNWIoK
— 欅坂46まとめーしょん (@keyakimatome69) October 5, 2018
長濱ねるの姉はとても優しく頼もしい存在!
長濱ねるさんは、「咲良より優しい人に出会ったことがない」と語るほど、姉に深い信頼を寄せています。
そして、2人はとても仲が良く、長濱ねるさんが贈ったピアスを姉の咲良さんは身につけています。
【欅坂46】長濱ねるの姉がねるブログに登場!横顔が齋藤飛鳥に激似だと話題に https://t.co/ilKSFobZby pic.twitter.com/QINuhhD9Tr
— 乃木坂メンバ (@sardqh1) June 13, 2016
また、長濱ねるさんが欅坂46のオーディションの最終審査を受ける直前、母親が長濱ねるさんを長崎に連れ戻した際、姉が母親に対して「ねるにも最後までチャンスを与えるべきだったのでは?」と優しく助言をしてくれたそうです。
長濱ねる姉は結婚しており子どももいる!
長濱ねるさんの姉は、2019年に結婚しています。
そして、2020年には姉の咲良さんに第一子が誕生したそうです。
年始に実家に帰ったら、甥っ子(3)が「ペラ、回します」って言ってた🤣🎖️#舞いあがれ ! pic.twitter.com/0Pj0zQYifZ
— 長濱ねるSTAFF (@neru_and_staff) January 13, 2023
長濱ねるの兄は5歳年上!職業は寿司職人?スシロー勤務?
長濱ねるの兄は5歳年上で名前は大喜?
長濱ねるの兄は一般人であるため、詳しい情報は分かっていません。
長濱ねるさんの兄は5歳年上で、名前は「大喜」という噂がありますが、公式に明かされているわけではありません。
幼い頃から兄妹の仲はとても良く、長濱ねるさんと兄はよく一緒にキャッチボールをして遊んでいたそうです。
また、長濱ねるさんの兄は妹思いの優しい性格みたいです。
長濱ねるの兄の職業は寿司職人?
2017年に長濱ねるさんが三次元マスクのCM発表会に出席した際、兄が寿司屋で働いていることに触れ、「兄にマスクを贈りたい」と語ったことから、長濱ねるさんの兄は寿司職人であると言われています。
長濱は寿司店で働く兄に、渡辺はおじいちゃんとおばあちゃんに、渡邉は家族に風邪予防のためマスクをプレゼントしたいと語った。
【引用元:音楽ナタリー】
なお回転寿司チェーン「スシロー」に勤務しているという噂がありますが、真偽は不明です。
長濱ねるの兄の顔写真をAIで想像してみた!
長濱ねるの祖母は相田みつをの詩が好きだった!
長濱ねるの祖母は相田みつをの「セトモノ」が好きだった!
長濱ねるさんの祖父母は一般人であるため、名前や年齢などの詳細は分かっていません。
長濱ねるさんの祖母は、相田みつをの「セトモノ」という詩がとても好きでした。
記憶を遡ると、私の祖母の好きだった相田みつをさんの『セトモノ』という詩に通じるんです。
【引用元:bis】
また、長濱ねるさんは一緒に住んでいた祖母と夏休みを過ごしており、甲子園の野球を一緒に観戦していたという思い出を語っています。
長濱:私はお婆ちゃんと一緒に甲子園を見ていた。みーちゃん(小池美波)は地元が甲子園に近いよね?
小池:私、見に行っていたよ
長濱:本当!? すごい。私はお婆ちゃんと一緒に住んでいたから、親が仕事に行って留守番している時に2人で見ていて
菅井:(地元の)長崎で見ていたんだね
【引用元:NEWS CAFE】
長濱ねると祖母は一緒にイタリア・ローマを旅行した!
長濱ねるさんは父方か母方か不明ですが、80歳ほどになる祖母とイタリアのローマを旅したことがあり、祖母と一緒にアイスを食べながら街を歩き回り、楽しんだそうです。
「基本的にいつも1人旅」だと話すが、思い出に残っている旅行について聞くと「イタリアのローマは初めて祖母と2人旅をして、80歳のおばあちゃんなんですけど、一緒にたくさんアイス食べながら歩いた思い出があります」と笑顔で振り返った。
【引用元:ORICON NEWS】
長濱ねるの家族構成まとめ
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家族構成 | 説明 |
父親 | 数学教師として勤務。長濱ねるがオーディションを辞退した後もチャンスを求めてスタッフに連絡してくれた。長濱ねるのキャッチコピーを考えた。ジョジョの奇妙な冒険の大ファンで、長濱ねると2人旅も楽しむほど仲良し。愛車はフェアレディZ(Z32系)。 |
母親 | 職業は保健室の先生。3人の子供のために毎日弁当を用意してくれていた。ねるの名前を「考えを練る」に由来して命名。欅坂46オーディションを一度反対するも、家族の後押しで考えを変え、支えた。 |
長女 | 長濱ねるより7歳年上で名前は「咲良」。職業は養護教諭。優しく頼もしい存在で、オーディション時も長濱ねるを支えた。長濱ねるからもらったピアスを身につけており、既婚で子供がいる。 |
長男 | 長濱ねるより5歳年上で、「大喜」という名前の噂がある。寿司屋で働いており、妹想いの性格をしている。小さい頃はキャッチボールを一緒にして遊ぶなど仲が良かった。 |
次女(長濱ねる) | 活発な幼少期を送り、AKB48や乃木坂46に憧れアイドルの道へ進む。欅坂46のメンバーとして活動し、卒業した現在も芸能活動を続けている。家族を大切にし、父親と2人旅や祖母との旅行も楽しむ。 |
祖母 | 相田みつをの「セトモノ」の詩が好き。長濱ねると甲子園観戦を一緒にしたりローマへの2人旅行などをしている。 |