この記事では、俳優の松下洸平さんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介していきたいと思います。
松下洸平さんの学生時代の経験、家族との絆、アーティストとして成功するまでのエピソードをたっぷりとお届けします。
松下洸平さんの軌跡を知ることで、松下洸平さんの魅力やその背景に迫りたいと思います
目次
松下洸平の家族構成!父親・母親・兄の4人家族
松下洸平さんの家族構成は「父親・母親・兄・本人」の4人です。
また、松下洸平さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
松下洸平の生い立ちや学歴!絵・歌手・ダンス、多才のルーツ
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- 名前(本名):松下洸平
- 生年月日:1987年(平成3年)3月6日
- 身長:175㎝
- 体重:57kg
- 血液型:A型
- 出身地:東京都八王子市
- 学歴:東京都八王子市立秋葉台小学校→東京都八王子市立甲ノ原中学校→東京都立片倉高校普通科造形美術コース(偏差値49)→東京ミュージックアンドメディアアーツ尚美ヴォーカル科※現在は尚美ミュージックカレッジ専門学校
松下洸平の幼少期は病弱?油絵を習い始める!
松下洸平さんは1987年3月6日生まれの東京都八王子市出身です。
松下洸平さんはクリスマスの思い出として、小さい頃、サンタクロースからプレゼントをもらったことがあり、そのプレゼントを近所の友達に見せて回ったことを2022年のクリスマスツリー点灯イベントで語っています。
このとき松下洸平さんは「ミュータント タートルズ」というキャラクターのおもちゃをもらったそうです。
「小さい頃にサンタさんから“ミュータント タートルズ”というキャラクターのおもちゃをもらったんです。うれしすぎて、25日は近所のピンポン押して近隣の友達とかに見せてまわっていました。朝から大迷惑ですよね(笑)」と笑顔で幼少期の思い出を明かしました。
【引用元:日テレNEWS】
なお松下洸平さんは母子家庭で、父親はおらず、母親に育てられました。
そして、母親は美術系の大学出身の画家であり、自宅にはアトリエがあることを過去のブログで明かしています。
アトリエは東京の僕の実家の3階にあります。 12畳のとってもコジンマリとした空間、1階は母のアトリエ兼リビング。
【引用元:松下洸平 official web】
そのため、松下洸平さんは幼少期から母親に油絵を習っていたそうです。
母親が描く絵に筆を走らせたり、母親の油絵の具を使って落書きのように遊んでいたとのことですが、母親からは一度も「絵をやりなさい」などは言われていないそうです。
また、母親は音楽も好きで、松下洸平さんは幼少期からソウルやヒップホップに親しんでいました。
そして、松下洸平さんは幼少期は体が丈夫ではなかったため、体の鍛錬のためか空手を習っていたそうです。
しかし、組手で勝ち上がれたことがなく、小学校を卒業するとすぐやめてしまったとのことです。
小学生の頃、体があまり強くなくて、母親が空手の道場に通わせてくれたんです。だけど組手では1回戦から勝ちあがれたことがない。だから小学校を卒業して、すぐにやめました(笑)
【引用元:Numero TOKYO】
ちなみに、松下洸平さんは幼い頃、家族でニューヨークに行ったことがあるそうです。
このとき、母親と兄とともに自由の女神を観に行きましたが、帰りの船で松下洸平さんは何故か不機嫌になり、母親を困らせたようです。
母親はなけなしのお金で松下洸平さんら兄弟をニューヨークに連れて行ってくれたそうで、今でもこの時不機嫌になったことを後悔していると松下洸平さんは自身のブログで語っています。
小さな頃ね、お兄ちゃんとお母さんと3人でNYに行った。(中略)何故かは覚えてないけれど僕は不機嫌になり駄々をこねて、母を困らせた。その事を今でも覚えてる。(中略)この歳になって、その事を凄く後悔している。(中略)またいつか、3人で自由の女神を見に行きたい。その時は、駄々こねず、家族でたくさん写真を撮りたい。それが僕の夢。母は、あの時駄々をこねた僕の事覚えてるかな》(2011年08月16日)
【引用元:文春オンライン】
松下洸平の小学時代の将来の夢は猿!朝ごはんにプロテイン!?
松下洸平さんの出身小学校は地元八王子市内の公立校、東京都八王子市立秋葉台小学校です。
小学生の頃の松下洸平さんは手のかかる子供だったと振り返っています。
家の中でゲームをするよりも外で遊ぶことが多く、家の近所の山で遊んで転んで血だらけになって帰ってきたこともあったそうです。
また、好奇心旺盛で、木登りでも高いところまで登って下りられなくなり、助けを呼んだこともあったとインタビューで語っています。
僕は、手のかかる子だったと思います。田舎育ちで、家の中でゲームをするよりも、外で遊ぶ方が多かったです。家の近所の山に遊びに行って転び、血だらけになって帰ってきたことも。好奇心旺盛だったので、木登りでも自分のポテンシャルを信じてものすごく高いところまで登って、下りられなくなって助けを呼んだこともありました(笑)。
【引用元:VERY】
ちなみに、松下洸平さんは小学生の頃、学校の勉強は得意ではなかったそうで、テストの点数を見て母親はひっくり返っていたとのことですが、母親は「自由になんでもやりなさい」という人だったため、子供の頃は、外で遊ぶか家で絵を描くかしていたようです。
また、木登りが好きだったため、小学校の卒業文集では将来の夢に「猿」と書いたとインタビューで語っています。
「子どもの頃はほんとに勉強が苦手だったんです。母親は、『自由になんでもやりなさい』っていう人だったので、外で遊んでいるか、家の中では絵を描いているか。一日中、めいっぱい遊んで、楽しい記憶しかない。小学校の卒業文集では、将来の夢に“猿”って書きました。とにかくめちゃくちゃ木登りが好きだったから、本気でなりたかったんです、あほでしょ(笑)。そのうち、母親も『そういえば、あなた勉強は?』って聞いてきて、ひどいテストの点数にひっくり返ってました」
【引用元:YAHOO!ニュース】
そして、階段を使わずに柱と壁を使って二階に上がる練習をしたり、友達と遊ぶことが好きだったことを2020年12月13日放送の「おしゃれイズム」(日本テレビ系)で明かしています。
さらに、小学生の頃は、田んぼでカモを見ているのも好きで、観察日記もつけていたようです。
小学生の時、友だちと遊ぶのが好きなのに、たまに誘いを断って田んぼでカモをぼーっと見ることが好きでしたから(笑)。観察日記もつけていましたよ。
【引用元:anan NEWS】
そんなやんちゃな松下洸平さんですが、小学生の時、家族で南の島に旅行に行き、イルカウォッチングをしたそうで、現地のダイバーやクルーが楽しそうにしているのを見て「大人になったらイルカウォッチングの人になる!」と本気で思ったこともあることをインタビューで語っています。
「小学生の頃、家族旅行で南の島に行った時にイルカウォッチングをしたんです。それがもう楽しくて楽しくて。現地のダイバーさんやクルーの人たちが最高に楽しそうで『大人になったらイルカウォッチングの人になる!』と本気で決めてました。音楽や芝居に出会っていなかったら、僕は今頃、南の島で『イルカウォッチングの人』になっていると思います」
【引用元:CLASSY.】
ちなみに、母親がボディービルダーであったため、子供の頃の朝ごはんは、ご飯と味噌汁と卵焼きとプロテインだったそうです。
「子どもの頃は、朝ごはんはごはんと味噌汁と卵焼きとプロテインでした」と振り返り、周囲を驚かせていた。
【引用元:WEBザテレビジョン】
松下洸平は中学時代にラブレターを出すも未だ返事なし?
松下洸平さんの出身中学校は、東京都八王子市立甲ノ原中学校です。
中学時代は帰宅部で、特に部活動には参加していなかったようです。
また、小学6年生の時に好きになった女の子と同じ中学に進み、告白して付き合うようになったことを2023年4月12日放送の「TOKIOカケル」(フジテレビ系)で明かしており、デートは、一緒にシャーペンを買いに行ったりしていたそうです。
「小学6年生のときに好きになった子と同じ中学へ進んで、『もう中学生なんだから』と自己暗示をかけて、放課後の階段に呼び出し、ストレートに『好きです』と伝えました」。結果、OKとなったそうで、春菜さんが「中1のデートってどういうことをするの?」と聞くと、「一緒にシャーペンを買いに行きました」と甘酸っぱい思い出を報告。
【引用元:めざましmedia】
また、2021年2月4日放送の「ぐるぐるナインティナイン」(日本テレビ系)に出演した際には、中学1年生の時にゆりえちゃんという女の子の下駄箱にラブレターを入れたが、3年間返事がなく、モヤモヤして過ごしたことを語っています。
「中学生の時にすっごいベタにラブレター書いて、すっごいベタに下駄箱に入れて返事を待ったことがありますね」と明かし、その時、返事はもらえなかったため、そこから中学校3年間をモヤモヤして過ごしたと打ち明けた。
【引用元:livedoor NEWS】
そして、後に松下洸平さんがテレビに出演するようになってから、インスタグラムにDMが届いたそうですが、しかし、それは中学1年生の時に好きだったゆりえちゃん本人ではなく、ゆりえちゃんの母親からの応援メッセージだったそうです。
ちなみに、ゆりえちゃんからの返事は未だにないようです。
やがて年月が経ち、テレビに出るようになってからのこと。ある時インスタグラムのDMで返事が来たという。松下は「ゆりえちゃんという子だったんですけど、(DMの内容は)『ゆりえの母です』と。『テレビ見てます、いつも応援しています』とDMの差出人が母親だったことを明かし、さらに松下は「いまだにゆりえちゃんからの返事もらえてない!」とオチをつけ、笑いを誘った。
【引用元:livedoor NEWS】
そんな少し切ないエピソードのある松下洸平さんですが、中学時代にストリートダンスを始めています。
ダンスを始めるきっかけとなったのは、「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系)で、岡村隆史さんが「ライオンキング」の舞台に立つ企画を見たことだそうです。
それを見て「カッコいい」と思った松下洸平さんは、母親に「ダンスをやりたい」と伝え、その後ダンススクールに通うことになり、今につながっていることをインタビューで語っています。
中学生の頃にダンスをやりたいと言いました。ダンスをやりたいと思ったきっかけは、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)で岡村(隆史)さんが「ライオンキング」の舞台に立つという企画を見たこと。あのときの岡村さんを見て、「カッコいい」と思って。すぐに親に「ダンスをやりたい」と言ったら、ダンススクールに通わせてくれて。そこから、音楽や表現にも興味を持ったり、今につながっていると思います。
【引用元:めざましmedia】
ちなみに松下洸平さんは中学時代も絵を描くことを続けており、当時からかなり絵が上手であることが伺えます。
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また、中学校卒業後には母親と一緒に再びニューヨークを訪れ、本物の芸術に触れる機会があったこともインタビューで語っています。
学校では絵画の技法から美術史までさまざまなことを学び、本物の芸術に接する機会も増えていきましたが、初めて“生”のアートにふれ、衝撃を受けたのは、高校入学前にニューヨークへ行った時のことです。短期間の滞在でしたが、MoMA(ニューヨーク近代美術館)やメトロポリタン美術館を訪れることができ、名だたる西洋絵画を前に、いたく感銘を受け、原画のもつ圧巻の迫力に息をのんだものです。
松下洸平の高校時代はヒップホップダンス同好会に女子80人殺到!
中学卒業後、松下洸平さんは東京都立片倉高校美術コースに進学しています。
母親が画家であった影響で、幼少期から油絵を始めており、画家になることを目指して進学したようです。
高校時代、松下洸平さんは髪を編み込み、ヒップホップの服装でスケートボードに乗って登校していたそうです。
当時の松下はヒップホップの格好をして「頭も編み込んでいた」そう。現在の松下の姿に同級生が「全然面白くない。お前はもっとふざけたやつだろ?」とコメントしたことも伝えられると、松下は頷きながらも「僕はもう大人になったんだ。あの頃の僕じゃないんだ、もう」と声を上げ、笑いを誘った。
【引用元:modelpress】
また、高校の同級生である新山光さんと共にヒップホップダンス同好会を高校時代に設立したことを2021年12月3日放送の「A-Studio+」(TBS系)で語っています。
しかし、スケートボードで校舎を走り回る姿を見た先生から「リーダーには不向き」と判断され、1か月後には新山光さんが部長になったそうです。
松下がダンス部の部長を1ヶ月でクビになったことが暴露され、「その理由として、まず学校に制服着てこないし、スケボーで校舎グルグルしてるから、先生が『あいつだと誰もついてこないから部長辞めさせろ』って…」と部長を辞めさせられた理由が藤ヶ谷から明かされると、松下は苦笑い。
【引用元:modelpress】
また、2年生の時に新入生への部活紹介でパフォーマンスを行い、一気に80人の女子が入部したことをインタビューで明かしています。
「んー。実感としてモテた経験ってあんまり僕、ないんです。あ、でも高校時代に男2人でダンス同好会を作ったんですよ。ヒップホップなんですけど。で、2年生になった時に新入生への部活紹介をする機会があって、そこでパフォーマンスをしたら、部員が一気に80人増えたことがありました。しかも全員女の子。ちょっと怖かったです(笑)。それが最大のモテ期だったと思います」
【引用元:MORE】
その後、正式な部活として認められましたが、松下洸平さんは真剣にダンスに取り組んでおり、厳しい練習についていけない生徒が多く、最終的には20名が残ったそうです。
その成果もあり、後輩の代では全国大会で2位になったり、プロのダンサーになる生徒も現れたとのことです。
「でも真剣にダンスをやりたかったので、かなり本気でやっていたら、1人辞め、2人辞め、最終的には20人になりました(笑)。ただ、その子達は当時、高校生のダンスチームの日本一を決める大会で全国2位になったし、その中からプロのダンサーになっている子もたくさんいるんです。すごく嬉しかったですね」
【引用元:MORE】
ちなみに、高校時代の同級生の話として、松下洸平さんの人柄をツイートしています。
高校時代の友人の話
・高校時代すごくモテていた
・悩んでる人を見ると話を聞いて親身になってあげる。
・自分の事でも泣くし、人の事でも涙を流す。もう予想以上に素敵な人やん!✨
会う人会う人、みんな好きになってたんとちゃうの?!#松下洸平#あさイチ— 豆大福 (@ma_daifukuan7c) December 13, 2019
松下洸平さんは地元八王子の船森公園近くのダンススクールに通っていたそうで、船森公園でよくダンスの練習をしていたようです。
思い出深い公園があるといいます。それは京王八王子駅近くの『船森公園』。
映像を見た松下さんからは、「懐かしい~」と満面の笑みが。「この公園の近くに僕が通っていたダンススクールがあって、だからこの公園でずっとダンスの練習をしていました。鏡もないのによく練習できてたなと思って。ここは思い出ですね。」【引用元:TBS NEWS DIG】
美大進学をやめて歌手を目指すために音楽専門学校へ!
松下洸平さんは、高校を卒業した後、東京都文京区にある1926年創立の老舗専門学校、尚美ミュージックカレッジ専門学校ヴォーカル学科(当時は東京ミュージックアンドメディアアーツ尚美)に進学しました。
高校3年生の時に映画「天使にラブソングを2」を見て感動し、美大進学をやめて、歌手を目指すことに決めたことをインタビューで明かしています。
美術科の高校に通っていて、そのまま美大に進むつもりでいたんですけど、もう一つの可能性を探りたいなとモヤモヤしていて。そのときたまたまテレビで『天使にラブ・ソングを2』を見たんです。不良高校生たちがゴスペルのコンテストに挑み見事優勝する、というストーリーだったのですが、衝撃を受けて、涙が止まらなくて。翌朝母親に「美大はやめて歌手になる!」と宣言していました。母は怒って、その後しばらく口をきいてくれませんでしたけど(笑)。
【引用元:ViVi】
しかし、それまで美術をやってきていたため、この決断には母親の猛反対があり、しばらく口を聞いてくれなかったそうです。
高校時代に歌手を志すも「さすがに音楽をやりたいって言った時は(親に)めちゃくちゃ反対されました」と話した。
【引用元:modelpress】
しかし、最終的には母親からは「続けるのであれば、その仕事が嫌いになるまでやりなさい」との言葉と共に、受け入れてくれたとのことです。
最終的に許してもらったが、その時に「続けるんであれば、その仕事が嫌いになるまでやりなさい」との言葉を授かったのだという。
【引用元:Asa-Jo】
そして、専門学校で学んでいた時期、松下洸平さんはカフェやアパレル店でアルバイトをしながら音楽漬けの学生生活を送っていたそうです。
母親の影響で絵画に目覚めた松下少年だったが、中学でストリートダンスに傾倒し、高校卒業後は専門学校東京ミュージック&メディアアーツ尚美(現:尚美ミュージックカレッジ専門学校)ヴォーカル学科に進学。カフェやアパレル店でバイトをしながら、音楽漬けの学生時代を送った。
【引用元:文春オンライン】
この頃から作詞や作曲も始め、楽器が弾けなかった松下洸平さんは歌詞を書いて鼻歌で歌い、その曲を友人の菅野健太郎さんに聴かせて伴奏をつけてもらっていたそうです。
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そして、学校内のオーディションでは、自作のオリジナル曲で勝ち進み、最終的に外部のレコード会社や事務所の前で歌う機会を得られ、そこでのパフォーマンスが認められ、歌の世界に入ることが決定したとのことです。
松下洸平の歌手デビュー、そして俳優への道へ
専門学校を卒業すると同時に、2008年に松下洸平さんは「洸平」という芸名でメジャーデビューを果たしました。
「ペインティング・シンガーソングライター」として、前奏や間奏の間に絵を描き、歌うところでは曲に集中するという独自のスタイルで活動していたそうです。
デビューの際「君は絵がかけるんだから、絵を描きながら歌ったらいい」とプロデューサーに言われたため、イントロや間奏を、「マジック持ってうわ~っと描いて、自分で拍数数えながら、『よし、1番はじまるぞ』ってなったら画材を置いてマイクを持って…」というのを繰り返すというなんとも独特のスタイルでライブを行っていたそう。
【引用元:modelpress】
しかし、突然のメジャーデビューという状態で、ファンがいたわけではなかったため、セールス面では苦戦し、デビューイベントでは観客が一人だったことを2020年12月13日放送の「おしゃれイズム」(日本テレビ系)で明かしています。
もともとは、画家である母親の影響で幼い頃は画家を目指し、高校では音楽に目覚め音楽学校に進学したという。その後すぐに“洸平”の芸名でシンガーソングライターとしてメジャーデビュー。しかし順風満帆とはいかず、長くて厳しい下積み時代を語った。特に観客ゼロでライブを行う苦汁も味わったことを吐露すると「わ、ゴメンね……でもだっせ!」とつぶやいた上田に苦笑いする松下だった。
【引用元:TVer+】
そして、公演で地元の友人たちを招待しても、観客が友人しかいなかったようで、とても恥ずかしかったと振り返っています。
また、なかなか当初に思い描いていたようなアーティストとして結果が出ず、一度はアーティストの道を諦めかけたことをインタビューで語っています。
「デビューしてから、マジで本当に膝から崩れ落ちました。こんなはずじゃなかったって思って」と、厳しい現実に打ちひしがれたそう。当初行ったライブの昼公演には観客が1人しかおらず、夜公演に地元の友人を招待するも「バーンって出てったら、マジで僕の友達しか座ってなかったんで、猛烈に恥ずかしかったですよね。マジで恥ずかしかった」と回顧。「そっからがなんかこう“自分の思い描いていた未来には全然いないんだなゾーン”が始まる」と、一度はアーティストの道を断念したと明かした。
【引用元:modelpress】
そして、そんな時にミュージカル「GLORY DAYS」(2009年)のオーディションを受けて合格し、そこから俳優の道へと進んだそうです。
21歳のときにシンガーソングライターとしてデビューしたものの、「レコード会社との契約が2年間あったんですけど、最初の1年は全然結果が出なかったんです。残りの1年をどうしようかと悩んでいたときに、ミュージカルのオーディションを受けたことがきっかけで俳優の道に」。
【引用元:めざましmedia】
2010年からは音楽活動を休止し、俳優活動に専念するために、事務所を現在のキューブに移籍し、活動名も「松下洸平」に変更しました。
2012年には連続ドラマ「もう一度君に、プロポーズ」に初めて出演し、その後も、舞台やミュージカルを中心に多くの作品に出演し、2018年の舞台作品「母と暮せば」で第73回文化庁芸術祭演劇部門にて新人賞を獲得しています。
そして、それまで何度もオーディションに落選しており、諦めかけていた朝ドラのオーディションに合格し、NHK連続テレビ小説「スカーレット」で初出演を果たし、俳優として大ブレイクしました。
とくに朝ドラのオーディションは何度受けても書類審査で落ちる。諦めモードだったときに『スカーレット』で八郎役を得ることができたんです。
【引用元:ViVi】
そして現在は、俳優活動の傍ら、ライブを行ったり新曲を動画で配信しています。
2020年からはソロライブを開催し、音楽活動を再始動しており、2021年には「松下洸平」名義で初となるシングル「つよがり」を発売し、歌手として再デビューしました。
俳優としての活動がメインとなっていますが、松下洸平さんはライブを「ライフワーク」と述べ、今後も音楽活動を継続していくそうです。
松下洸平の父親はどんな人?くせ毛が父親譲り!?
松下洸平に父親はいなかったの?
松下洸平さんはこれまで、自身の父親について公表することはありませんでしたが、自身のブログでも「僕を一人で育ててくれた母に恩返しがしたいとよく思う。」と表現していることから、母子家庭で育ったことが伺えます。
僕を一人で育ててくれた母に恩返しがしたいとよく思う。小さな頃ね、お兄ちゃんとお母さんと3人でNYに行った。
【引用元:松下洸平オフィシャルブログ】
また母子家庭なのは、両親が離婚しているからか、死別しているからかも不明です。
そして、父親については一般人なのかも明かされておりません。
松下洸平の父親はくせ毛の持ち主!?
ネット上で、松下洸平さんが「くせ毛は父親譲り」と発言したという噂から、父親はくせ毛の持ち主なのかとの憶測がありました。
ただ、こちらの噂については、このころの松下洸平さんの髪型がパーマをかけていたようで、ピアニストの朴勝哲さん(パクさん)との写真をブログに掲載し、「パパの遺伝なんだ」と冗談めかして綴っており、このエピソードが進化して、「くせ毛が父親譲り」となったようです。
松下洸平の父親の顔画像をAIで想像してみた!
松下洸平の母親は画家で幼稚園教諭でボディビルダー!?
松下洸平の母親は油絵画家で幼稚園教諭!
松下洸平さんの母親は、松下洸平さんとお兄さんを一人で育ててきました。
松下洸平さんの父親とは離婚か死別かは不明ですが、松下洸平さんは母子家庭で育ち、母親に対して強い感謝の気持ちを持っています。
ブログでも「僕を一人で育ててくれた母に恩返しがしたい」と綴っています。
そして、母親は油絵画家として活動しており、実家にはアトリエがあるそうです。
アトリエは東京の僕の実家の3階にあります。
12畳のとってもコジンマリとした空間、1階は母のアトリエ兼リビング。【引用元:松下洸平オフィシャルブログ】
また、松下洸平さんの母親は幼稚園教諭として働いているそうで、週に一度、都内の老人ホームへ絵を教えに行っているそうです。
僕の母は幼稚園で働いてるんだけど、週に一度ですが都内の老人ホームへ絵を教えに行ってるんです
【引用元:松下洸平オフィシャルブログ】
ちなみに、母親は歌手のスティーヴィー・ワンダーやBoyz Ⅱ Menが好きだそうで、家の中でいつも音楽が流れており、松下洸平さんは物心ついた頃から音楽のある生活を送っていたため、今のアーティスト活動のルーツになっているようです。
母がスティーヴィー・ワンダーやBoyz Ⅱ Menが好きで、家の中でいつも音楽が流れていました。アメリカンな母親だったので、物心ついた頃から生活の中心に音楽があって、ソウルやR&Bは身近な存在でしたね。
【引用元:SPICE】
松下洸平の母親はボディビルダーで「背中が冷蔵庫」!?
2021年12月3日放送の「A-STUDIO+」(TBS系)に出演した際、松下洸平さんは母親が元ボディビルダーであることを明かしており、東京都の大会でチャンピオンになったこともあるそうです。
母が画家だったことから幼少期から絵に親しみ、得意だという松下。番組では母を取材、司会の笑福亭鶴瓶(69)から「お母さん、ボディビルダーやで」と振られると、松下は「元ですよ。元」と照れたように明かした。鶴瓶はさらに「元て。東京でチャンピオンになったこともあるんやで」と明かすと、「そうですね」と笑って見せた。
【引用元:スポニチ】
そのため、松下洸平さんは幼い頃、母親のボディビルの大会を見に行って、「背中が冷蔵庫!」と応援の掛け声をかけていたそうです。
松下は「僕が子供のころは母親の大会をよく見に行って。掛け声、かけてましたよ。『背中が冷蔵庫!』とか言ってましたよ。ガッチガチの背中を見て」と笑わせた。
【引用元:スポニチ】
なお、松下洸平さんの子供の頃の朝ごはんには、ご飯、お味噌汁、卵焼きに加えてプロテインが出ていたそうです。
「子どもの頃は、朝ごはんはごはんと味噌汁と卵焼きとプロテインでした」と振り返り、周囲を驚かせていた。
【引用元:WEBザテレビジョン】
松下洸平は母に体づくりを相談!母の憧れはアメリカのマッチョ俳優?
松下洸平さんは体作りを始める際、母親に相談することが多いようです。
母親からは、身体を大きくしたいときはお腹を空かせてはいけないと言われたとのことで、おやつ用に大量にナッツやチーズを送ってきてくれたそうです。
僕は身体造りを始める時割と母に相談します。 すると、「身体を大きくしたいなら、腹を空かすな!」 とのお告げが。 そして話は戻り、今朝梱包された卵が届き、その箱の中に大量のナッツとチーズが。 メモにはこう書いてあった。
「チーズとナッツはプロテインが多いので、おやつに少しずつ食べるといいです。空腹はキン肉を減らすので注意!!」
【引用元:松下洸平オフィシャルブログ】
ちなみに、松下洸平さんは2022年に写真集を出しており、写真集のために4ヶ月ほど身体を鍛えたそうです。
そして出来上がった写真集を母親に写真集を見せたところ、鍛えた体を見て喜んでくれたようですが、「ステロイド打った?」と聞かれたというエピソードを2022年10月の写真集のお渡し会でのインタビューで語っています。
地道にトレーニングをして体を鍛えた松下洸平さんですが、ボディビルをやっている母親からすると、あるあるな反応だったようです。
周囲からの反響を問われると「母親が特に喜んでくれていまして。うちの母親はもともとボディビルをやっていまして。今は全然違うんですけど、結構体を鍛えるのが好きな人だったんですよ。写真集を見て僕の体を見て、『ステロイド打った?』って。使えないか(笑)。打ってないですよ。地道にトレーニングして結果がここに出ているんですけど、『あ、そういう反応になるんだな』と思ってびっくりしました」と報告。「うちの母親あるあるなので。体を鍛えると『ステロイド打った?』って聞いてくるんです」と母親のユーモア溢れる反応を明かした。
【引用元:modelpress】
さらに、松下洸平さんの母親は現在でも趣味でボディビルを続けており、アメリカのマッチョな俳優に憧れて自分もそうなりたいと頑張っているようで、ボディビルの大会が近づいてくると、サンオイルを風呂場で塗り出すそうです。
冒険心も旺盛で、行ったことのない場所へ行きたいという理由で、ひとりでアフリカへ行き、マサイ族と一緒に過ごした経験もあることを、2023年4月12日放送の「TOKIOカケル」(フジテレビ系)に松下洸平さんが出演した際に明かしています。
「母親は趣味でボディビルをやっています」と明かすと、一同ビックリ。「アメリカのマッチョな俳優さんが好きすぎて、『自分もこうなりたい』と言い出した。大会が近くなってくると、サンオイルを風呂場で塗り出します」。さらに「行ったところのない場所へ行きたいと、突然ひとりでアフリカへ行き、『今、マサイ族と一緒にいる』と連絡してきた」と驚きのエピソードが続出。
【引用元:めざましmedia】
松下洸平は母親からのサプライズ手紙に感動!
NHKの朝ドラ「スカーレット」に出演することが決まったとき、母親はとても喜んでくれたそうです。
母親は朝ドラが好きで、実家に帰るたびに「朝ドラに出ないの?」と聞いていたため、松下洸平さんは母親の喜ぶ姿を見て、「いい親孝行ができた」と感じたと語っています。
「実家に帰るたび、いつも朝ドラを見ている母から『朝ドラに出ないの?』と言われていた」といい、「ですので、朝ドラ出演の報告をしたときの母の喜びを見たときは、本当にいい親孝行をしたなと思いました」
【引用元:MANTANWEB】
また2021年3月25日に「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演した際には、母親からの手紙がサプライズで紹介されました。
手紙には、松下洸平さんが歌手になりたいと言い出した時のエピソードや、松下洸平さんが音楽の道に進むことを決めたとき、母親は最初反対したこと、しかし、松下洸平さんの「この若さで人生に保険をかけたくない」という言葉を聞いて反対するのをやめたことが明かされていました。
母親は音楽の道に進むことを認める際、反対と応援の気持ちが半々であったことを述べています。
そして、その後の成功を喜ぶ気持ちが綴られており、支えてくれる全ての方に感謝して精進するようにと応援の言葉が綴られていました。
――洸ちゃん『徹子の部屋』出演おめでとう。15年程前進路を決める頃、突然歌手になりたいと言いました。お風呂場での鼻歌や幼い頃の歌声、親の欲目で上手いと思ったにしても、それがプロとして通用するかと思えば疑問でした。なぜなら小学校からの音楽の成績はあまり良くなく、それが世間の正しい評価かもしれないと思ったからです。数日続く言い争い、それに伴う殺伐とした雰囲気……妥協案として、歌手として成功しなかった時のために何か資格を取得してからチャレンジしたらどうかと提案しました。そしたら「この若さで人生に保険をかけたくない」と言いました。その言葉で反対することは諦めましたが、世の中を嘗めるなよと頑張れの半々の気持ちでした。あれから十数年、今ではたくさんの番組に呼んでいただき、過ぎた年月は無駄ではなかったね。頑張ったね。これからも洸ちゃんを支えてくれる全ての方々に感謝しながら精進してください。楽しみにしています(原文)。
【引用元:TVer+】
このサプライズには松下洸平さんも感動し、「この景色、僕の母が書いた手紙を徹子さんが読んでくださるという、このことに今ちょっと胸がいっぱいで。あの、続けて良かったなと今思いました」とコメントしています。
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松下洸平の母親の顔画像をAIで想像してみた!
松下洸平の兄は2歳年上で既婚!兄の披露宴で松下洸平は涙!
松下洸平の兄は2007年に結婚!披露宴では松下洸平は泣いた!
松下洸平さんには、2歳年上のお兄さんがいます。
お兄さんは一般人のため、詳細は公表されていません。
松下洸平さんのブログ記事によると、お兄さんは2007年に結婚したそうです。
その時、松下洸平さんは「ご報告☆笑」というタイトルで、お兄さんの結婚を発表しました。
「松下洸平の兄結婚 今日9月13日!! 実は!! 結婚しました!!! 僕のおにいちゃんが☆笑」という記事の中で、お兄さんが結婚したことを喜びと共に伝えています。
ちなみに、お兄さんの披露宴では、松下洸平さんが歌を歌い、感極まって泣いてしまったこともあるそうです。
松下洸平の兄は子供がいる?松下洸平はおじさん?
松下洸平さんのお兄さんには子供もいます。
2009年2月29日の朝に第一子である女の子が誕生しました。
この日はちょうどひな祭りの時期で、松下洸平さんは「僕の兄貴に第一子が産まれました☆ 実は今日ではなく、2月29日の朝でした。女の子ー♪産まれてすぐにひな祭りなわけです」とブログで報告しています。
僕の兄貴に第一子が産まれました☆実は今日ではなく、2月29日の朝でした。女の子ー♪産まれてすぐにひな祭りなわけです。
【引用元:松下洸平オフィシャルブログ】
また、松下洸平さんはオフの日にはお兄さんの家族と一緒に実家に遊びに行ったり、姪っ子と遊んだりしているようです。
今日は、稽古がオフになりましたので兄と兄の奥さんと、姪っ子と実家に里帰り。と、いうのも母が僕と兄の絵を描きたいと言う事でしたのでその協力も兼ねて。20年前に撮った僕らの写真。原っぱで兄が僕を軽くチョークスリーパーしてて、なぜか僕は満面の笑みでピースしてる。今その写真を見ながら母がせっせと絵を描いていて、もう一枚描きたいそうなんですけど、その写真と全く同じポースになって欲しいと。そうやって子どもの成長で遊ぶ親。笑この年になって兄にまた軽くチョークスリーパーされる日が来るとは、思いもよらなかったです。自分もいつか結婚し、子どもが生まれたら同じ事をしようと思いました。
【引用元:松下洸平オフィシャルブログ】
松下洸平の祖父は大学教授だった!3000冊以上の本を所蔵!
松下洸平さんの母方の祖父は大学教授で、教育学部で教鞭をとっていたそうです。
60歳の定年まで働き、その後も講演会を開いたり、教育に関する本を出版したりして活動的に過ごしていたようです。
そのため、祖父の家にはたくさんの本があり、書斎の壁全体が本棚で、廊下や階段にも本が山積みされ、その数はおよそ3000冊以上だったと言われています。
そんな祖父について松下洸平さんは、「本の匂いがする人」と表現しています。
ちなみに松下洸平さんが中学2年生のときに、祖父母の家に引っ越して一緒に住むことになったとのことです。
しかし、松下洸平さんが高校2年生のころ、祖父の白内障が悪化し、ほとんど目が見えなくなってしまったため、当時16歳だった松下洸平さんは、古本の処分を行ったそうです。
現在、90歳を超える祖父は、認知症が進行し、2023年の初めには松下洸平さんのこともわからなくなっていたそうですが、祖母と一緒に老人ホームで暮らしているとのことです。
松下洸平の家族構成まとめ
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家族構成 | 説明 |
---|---|
父親 | 詳細不明。くせ毛という噂あり。 |
母親 | シングルマザー。油絵画家、元ボディビルダーで東京大会チャンピオン、幼稚園教諭。 |
兄 | 松下洸平の2歳年上で既婚。2009年に女の子が誕生。 |
本人(松下洸平) | 1987年3月5日生まれ。東京都八王子市出身。俳優、歌手として活躍。 |
祖父(母方) | 元教育学部大学教授。蔵書は3000冊以上あった。現在老人ホームで暮らしている。 |
祖母(母方) | 松下洸平と同居していたが、現在は老人ホームで暮らしている。 |