この記事は、女優の小芝風花さんについて、家族のことや小芝風花さんの生い立ちを詳しく紹介しています。
小芝風花さんは、どのようにして今の女優としての道を歩むことになったのか、小芝風花さんの父親や母親、姉妹との関係についても触れていますので、この記事を通じて小芝風花さんの魅力をさらに深く知ることができるでしょう。
小芝風花さんの家族との絆や、それぞれのエピソードがどのように彼女の人生に影響を与えているのか、ぜひ読み進めてみてください。
目次
小芝風花の家族構成!父・母・姉・妹の5人家族
小芝風花の家族構成は「父親・母親・長女・本人・三女」の5人です。
母親:美容師?年齢は60歳(2024年現在)くらい。小芝風花のフイギュアスケートをサポート
長女:元読者モデルで結婚し娘がいる12歳年上のゆみさん。芸能界入りのきっかけを作る
また、小芝風花さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
祖母:訪問時アイスや麦茶を勧める優しさあり、ドラマ出演について語り合う
小芝風花の生い立ちや学歴!将来期待のスケーターから女優へ!
- 名前(本名):小芝風花
- 生年月日:1997年4月16日
- 身長:158㎝
- 体重:非公開
- 血液型:A型
- 出身地:大阪府堺市
- 学歴:堺市立浅香山小学校→堺市立浅香山中学校→中学2年で東京の日出中学校(現:目黒日本大学中学校)転校→日出高等学校(現:目黒日本大学高等学校)芸能コース(偏差値48)→高校2年で同高校の通信制課程に転科
小芝風花の幼少期はヤンチャだった!?
小芝風花さんは、1997年4月16日に大阪府堺市で生まれました。
家族構成は父親と母親と姉、妹の5人家族ですが、幼い頃に両親は離婚し、母親が一人で小芝風花さんたち姉妹を育てていました。
母親は教育熱心で厳しく、小芝風花さんは小さい頃から電車内でのマナーや食事のマナーをしっかりと教え込まれて育ち、このおかげか、小芝風花さんは反抗期が全くなかったそうです。
小芝風花さんの母親は、松山千春さんの「大空と大地の中で」という曲を聴き、その歌詞の「風」にヒントを得て、「風花」という名前を名付けました。
名前には「世間の冷たい風に吹かれても、小さくてもしっかりと根を張って生きてほしい」という願いが込められていたそうです。
お母さんが私を妊娠している頃、この曲をよく歌っているお友達がいたんだそうで、「生きる事がつらいとか苦しいだとかいう前に/野に育つ花ならば力の限り生きてやれ」という歌詞が心に残ったんですって。だから、〈世間の冷たい風に吹かれても小さくてもいいから、しっかり根を張って生きてほしい〉と、「風花」と名付けてくれて。も~う、自慢しまくりの大好きな名前です。
【引用元:サイゾーpremium】
ちなみに、小芝風花さんの母親の話では、2歳の時が一番ヤンチャだったそうです。
自分では覚えていないですが、母の話では2歳くらいが一番やんちゃだったようです。タンクトップとパンツ一丁で、キックボードをワーッて漕ぎ回るとか(笑)。
【引用元:CHANTO WEB】
小芝風花の小学校時代はフィギュアスケートを始め練習に集中!?
小芝風花さんは、2004年4月に堺市立浅香山小学校に入学し、2010年3月に卒業しています。
小芝風花さんは、もともと2年間ほど器械体操を習っていました。
しかし、荒川静香さんが2006年のトリノ五輪で金メダルを獲得し、フィギュアスケートが話題になったとき、体操の練習を見に来てた他の母親から「風花ちゃんはフィギュアスケートに向いていそうだね」と小芝風花さんの母親が言われたそうです。
それをきっかけに、家族でスケートを滑りに行ってみたところ、小芝風花さんはスケートをとても楽しいと感じ、「体操よりもスケートを習いたい!」と母親にお願いしたそうです。
また、最初に習った先生がとても優しかったので、「先生と一緒に滑るのが楽しい」という気持ちが強く、その影響もあってフィギュアスケートを始めることになりました。
私はもともと器械体操を2年くらい習っていたんです。荒川静香さんが(2006年トリノ)オリンピックで金メダルを獲得されてフィギュアスケートが話題になったとき、子どもの体操の練習を見学していたお母さん方から「風花ちゃんはフィギュアスケートに向いてそうだよね」と私の母が言われたらしくて。それで、家族でスケートを滑りに行ってみたらすごく楽しくて、「体操よりもスケートを習いたい!」と母にお願いしたのがきっかけでした。最初に習った先生がすごく優しかったので、「先生と滑るのが楽しい」という感覚が強かったかもしれないです。
【引用元:MANTANWEB】
その後の小学校時代は、早朝のまだ暗い時間に家を出て、練習場である大阪府立臨海スポーツセンターに向かい、その後学校に通うという非常にハードな生活を送っていました。
練習は非常に厳しく、多い日には一日7時間も行うこともあったそうです。
また、小芝風花さんは小学校時代の経験を通じて、負けず嫌いで「内心メラメラ」と表現されるような強い意志を育んでいきました。
学校では男子と一緒にドッジボールや鬼ごっこを楽しんでいたそうです。
小芝風花の中学校時代は将来期待のフィギュアスケート選手へ!?
小芝風花さんは、2010年4月に堺市立浅香山中学校に入学しました。
中学校時代の小芝風花さんは、フィギュアスケートに本格的に打ち込んでおり、「臨海フィギュアスケートクラブ」に所属して練習を重ねていました。
当時の小芝風花さんは、3回転ジャンプを成功させるほどの技術を持ち、将来を期待されるフィギュアスケート選手でした。
私はジャンプが好きで、ジャンプばっかり練習していたんです(笑)。ジャンプって達成感がわかりやすいし、「3回転が飛べるようになった!」とか、嬉しいからどんどん練習する感じでした。
【引用元:CHANTO WEB】
ただ、成長期に練習をしすぎたため膝の痛みがあり、医師に成長期によるオスグット・シュラッター病で経過観察を勧められましたが、練習のために両膝を手術したそうです。
オスグッド・シュラッター病(スポーツに取り組む成長期の子どもに発生しやすい膝の疾患)を経験しました。すっごく痛くて。お医者さんには「手術をすれば傷が残るし、成長期が終わればよくなるんだよ」とアドバイスしてもらったんですが、「私はいま練習がしたいんです!」と、両膝の手術を選択しました。
【引用元:Sportiva】
その後、リハビリと練習を徐々に行いますが、取り残された感じが悔しく負けず嫌いな事もあり頑張ったそうです。
スケーティングから、徐々に徐々に回復する感じですね。同年代のライバルから取り残されたような感じで、一から上がっていかないといけない状況がすごく悔しくて…。けっこう負けず嫌いなので、頑張りました(笑)。 周りからは「無理だろう」と思われていたようですが、へこたれない性格だし、自分では割とすぐ元に戻って練習できるようになった印象です。
【引用元:CHANTO WEB】
そして、中学2年生の時、小芝風花さんは「第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会」でアイスダンスの種目に出場し、見事優勝を果たしています。
小・中学時代はフィギュアスケートに打ち込み、アイスダンス種目では2011年の第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会で優勝。
【引用元:Sportiva】
小芝風花は中学2年生でフィギュアスケートから芸能界へ!?
この時期の将来の夢は、大学までフィギュアスケートを続けインストラクターになりたいと考えていた小芝風花さんですが、同時に芸能界にも興味を持つようになります。
きっかけは、浅田真央さんが出演していたCMを見て「私もこんなCMに出たい」と感じたことでした。
この願いを聞いた姉がオーディション雑誌を購入し、小芝風花さんに勧めてくれました。
転機が訪れたのは、大会で優勝した年と同じ中学2年生の時です。浅田真央選手がテレビのCMにスケートをしながら出演されているのを偶然見て、「私もこんなCMに出てみたいな」と口にしたのを姉が聞いていて、オーディション雑誌を買ってきてくれたんです。
【引用元:大學新聞】
2011年、小芝風花さんは「ガールズオーディション2011」に応募し、全国から集まった約3万5000人の中から見事グランプリを獲得しました。
女優・武井咲(17)のお姉さん&妹キャラクターを決める『ガールズオーディション2011』全国大会が13日、埼玉・越谷のイオンレイクタウンにて開催され、グランプリに大阪府出身の小芝風花さん(14)が選ばれた。
【引用元:ORICON NEWS】
ただ、フィギュアスケートを続けるか、芸能界の道に進むかで悩んだ小芝風花さんは、オーディションに参加して審査が進むうちに、「たくさんの人の中から自分が選ばれている」という気持ちが少しずつ芽生えてきたそうです。
そのときは、目の前のことに全力で取り組むことで精一杯でしたが、芸能界での仕事を続ける中で、少しずつ「この世界でやっていきたい」と思うようになり、芸能への気持ちがだんだんと固まっていったと語っています。
でも一気に決断したというより、オーディションで審査が進むうち「たくさんの人のなかから、選んでいただいている」という気持ちが芽生えていました。目の前のことに精一杯の状態だけど、芸能界のお仕事に取り組むなかで少しずつ「この世界でやっていきたい」と、気持ちが固まった感じでしたね。
【引用元:CHANTO WEB】
ちなみに、小芝風花さんは芸能界デビューのため上京し、東京の日出中学校(現:目黒日本大学中学校)に2012年1月(中学2年生の終わり頃)転校しました。
小芝風花は中学校転校後、上京して大阪ホームシックに!?
上京後、小芝風花さんは母親と妹と一緒に3人で暮らし始めましたが、友達がいないことや慣れない東京での生活に戸惑い、「大阪に帰りたい」と何度も思ったそうです。
また、人見知りであった小芝風花さんは、インタビューを受けても何を話せばいいのかわからず、上京後の最初の1週間は毎晩「もうこんなのできない!」と泣いていたそうです。
母親、妹ともに大阪から上京してきた小芝だが、当初は「家族以外に知っている人や友達もいないし、頼れる人もいなくて、夜にマンションから東京の空を見ながら『大阪に帰りたいなぁ』と思っていたんです」と振り返る。 「私は人前に出るとか、学校の発表とかも苦手なタイプで、すごく人見知りだったんです。でも、自分から表に出ていかなきゃいけない仕事なので、最初はマネージャーさんに連れて行かれるがまま、言われるがままに歩くしかないという感じでしたね。取材を受けても何を話していいのか分からないし、レッスンにも慣れなくて、最初の1週間は『もうこんなのできない!』って言って毎日泣いてました(笑)」
【引用元:マイナビニュース】
それでも、小芝風花さんは芸能界での挑戦を続け、中学3年生の時にオスカープロモーションの先輩女優・武井咲さん主演のテレビドラマ「息もできない夏」で女優デビューを果たしました。
なお、小芝風花さんは2013年3月、日出中学校(現:目黒日本大学中学校)を卒業しました。
小芝風花の高校時代は芸能活動のため通信制課程に転科!?
小芝風花さんは、2013年4月に東京の私立日出高等学校(現在は目黒日本大学高等学校)芸能コースに入学しました。
高校1年の時、主役として映画デビューしましたが、撮影のために3か月ほど学校を休むことになり、修学旅行や体育祭、文化祭といった高校生活のイベントにはほとんど参加できず、部活動にも所属してませんでした。
高校2年生になると、小芝風花さんは芸能活動の忙しさから、通学が必要な全日制課程から、2週間に1回ほどの通学で済む通信制課程に転科したそうです。
中学校卒業後は、芸能コースのある高校に進学しました。1年生の時は全日制に通っていましたが、入学後すぐに映画「魔女の宅急便」の主演が決まり、夏休みも含む3カ月間ほど高校を休むことになりました。仕事と学業を両立させるために、高校2年生の時に全日制から通信制に移ることにしました。
【引用元:大學新聞】
また、仕事の現場に課題を持ち込み、撮影の合間に勉強を進めるという、非常にタフなスケジュールで日々を過ごしてたそうです。
そのため、友人と過ごす時間も限られていましたが、同じく通信制課程に転科していた女優の森高愛さんとは、たまに一緒に下校したり、ファーストフード店でおしゃべりしたり、楽しい時間を過ごしたそうです。
通信制は、2週間に一回ほど通学する形でしたので、仕事現場に勉強道具や課題を持ち込んで、仕事の合間に高校の勉強に取り組むという生活を送っていました。(中略)でも、通信制に移った際に、同じく全日制から通信制に移った女の子がいて、その子とはとても仲良くなりました。下校時に一度だけその子とファーストフード店に行っておしゃべりできた経験があり、それが高校時代の良い思い出として心に残っています。
【引用元:大學新聞】
ちなみに、小芝風花さんは得意科目は理科で、逆に国語の朗読が苦手だったと振り返り、高校時代は勉強に対してあまり興味を持っていなかったそうです。
また、撮影とテスト期間が重なることが多く、台本を覚えながら勉強もしなければならない状況で、頭がパンクしそうになることもありました。
それでも、小芝風花さんは目の前にある課題に一つずつ取り組むことで、この難しい状況を乗り越えていました。
そして、学校行事や友人との時間は限られていたものの、小芝風花さんは2016年3月に無事に高校を卒業しました。
小芝風花は高校在学中に映画主演デビュー!新人賞など受賞!
小芝風花さんの仕事面では、高校2年生の時に映画「魔女の宅急便」の主演としてスクリーンデビューを果たしました。
この映画での演技が評価され、小芝風花さんはブルーリボン賞や日本映画批評家大賞の新人賞を受賞しました。
それでも、高校3年生の時にはNHKの朝ドラ「あさが来た」でヒロインの娘役に起用され、ついに全国的な知名度を獲得しました。
このドラマでの演技がきっかけで、映像関係者からの評価も高まり、幅広い役柄のオファーが来るようになりました。
小芝風花さんは、自身のキャリアについて「バリバリお仕事をします」と高校卒業時に話しており、その言葉通り、大学進学を選ばずに女優業に専念する道を選びました。
インタビューでは「友だちは大学に進んだり、夢に向かって一歩を踏み出す時期になります。私はおばあちゃんになるまで女優でいたいと思っているので、まわりに流されることなく、与えられた役を一生懸命演じていきたい」と語り、女優に専念する強い意志を示しています。
はい。友だちは大学に進んだり、夢に向かって一歩を踏み出す時期になります。私はおばあちゃんになるまで女優でいたいと思っているので、まわりに流されることなく、与えられた役を一生懸命演じていきたいと思っています。
【引用元:ORICON NEWS】
小芝風花は大学進学せず本格的に女優業へ!
高校卒業後、小芝風花さんはさらに多くの映画やドラマに出演し、着実にキャリアを積み重ねていきました。
2019年にはNHKドラマ「トクサツガガガ」で連続ドラマの初主演を果たし、その後も2020年のテレビ朝日ドラマ「妖怪シェアハウス」で民放連続ドラマの主演を務めるなど、女優としてのキャリアを積んでいきました。
小芝風花さんは、その演技力と真摯な姿勢で共演者やスタッフからも愛される存在となり、多くの人々に支持されています。
小芝風花は子供の頃「いないいないばあ」に出演していた噂!?
小芝風花さんがNHKの子ども向け番組「いないいないばあ」に出演していたという噂がありますが、これは間違いです。
噂になった理由は、「いないいないばあ」に出演していた3代目のお姉さん「ふうかちゃん」と、小芝風花さんの名前が同じ「ふうか」であったことです。
3代目の「ふうかちゃん」は、2003年から2007年まで番組に出演していたため、「小芝風花さんもその時に出演していたのではないか?」と考えた人がいました。
しかし、小芝風花さんの公式プロフィールには、「いないいないばあ」に出演していたという記録は見つかりません。
また、実際に「いないいないばあ」に出演していた3代目のお姉さん「ふうかちゃん」は、原風佳さんという方でした。
原風佳さんは、小芝風花さんと同じオスカープロモーションに所属していて、年齢も1歳違い、出身地も同じ大阪府です。
そのため、さらに混乱が広がってしまったようです。
また、小芝風花さんと原風佳さんの顔立ちも少し似ているところがありました。
小芝風花さんが芸能界に入ったのは2011年で、「いないいないばあ」の「ふうかちゃん」が出演していた2003年から2007年の間、小芝風花さんはフィギュアスケートに打ち込んでいました。
そのため、「いないいないばあ」に出演していたという噂は事実ではないといえます。
小芝風花の父親は上海でラーメン屋を経営!母親とは離婚も娘を応援
小芝風花の父親は上海でラーメン屋を経営!母親とは離婚!
小芝風花さんの父親は、小芝風花さんが小学生の頃に母親と離婚して、その後、中国の上海に移住しました。
小芝さんのお父さんの店は上海かぁ。
旅行であっちにいったら行ってみたいなぁ!#小芝風花 pic.twitter.com/zz5qmSDMNQ— ワレモノ (@waremonosama) June 20, 2022
そして、小芝風花さんの父親は現在、上海で「神拉面」というラーメン屋を経営しています。
小芝風花さんの父親が上海でお店を始めたのは2014年頃で、「神拉面」はその後10年以上続いている人気のお店になっています。
小芝風花の父親は上海から娘を応援!!
小芝風花さんの父親は、日本から遠く離れた上海でも、小芝風花さんが日本で活躍する様子をとても誇りに思っているようです。
実際、店内には「娘は映画『魔女の宅急便』の主演女優です」と書かれた掲示があり、留学生や現地の人たちにもそのことを伝えています。
今日は、最高の日本食を見つけました✨
復旦大学の裏にある『神拉面』というお店
なんと店主の娘さんは、
魔女の宅急便で主演を務めた小芝風花さんらしい!
店内には家族写真やポスターがたくさん!
もちろん、料理も最高✨
本物の日本の味に、留学生一同感激しました😊
常連確定の名店でした👍 pic.twitter.com/gjVFiOzptK
— ゆうきの中国語 (@yuki_chinese) October 8, 2019
ただ、小芝風花さんの父親についての情報は多くはありません。
小芝風花さん自身、バラエティ番組に出演した際に「家族はみんな男運がない」と話しており、これは父親に関係しているのではないかと考えられています。
父親が上海でお店を経営していることはわかっていますが、なぜ離婚したのか、また現在の親子関係がどうなっているのかについては詳しいことは分かっていません。
小芝風花の父親の顔写真をAIで想像してみた!
小芝風花の母親は美容師?で娘のスケートの衣装を手作りしてた!
小芝風花の母親は美容師?器用でフィギュアスケート衣装を手作り!
小芝風花さんの母親は一般人のため、名前などの詳細情報は分かりませんが、下述しますが、現在は美容師をしている可能性があります。
なお年齢は2022年時点で58歳だったため、現在は60歳(2024年現在)くらいです。
鶴瓶が取材中に気になったのが、小芝の母が58歳にして美容師免許の取得に挑戦している点。収録までに試験の結果が発表されており見事合格したと明かされ、鶴瓶も胸をなでおろした。
【引用元:Sirabee】
そんな小芝風花さんの母親ですが、とても厳しくもありながら、娘を深く思う優しい母親だそうです。
小芝風花さんがフィギュアスケートを始めたとき、小芝風花さんの母親は「何か一つ打ち込めるものを見つけて、それに全力で取り組みなさい」という考えを持っていたそうです。
そのため、上述したように、娘のスケートを応援しており、毎日スケートリンクまで送り迎えをし、大会のための衣装もすべて手作りしていました。
実は、小芝風花さんが着る衣装はいつも母親の手作りで、曲のイメージに合わせてデザインを考えて作られていました。
小芝風花さんはこの母親の作る衣装がとても好きだったので、母親が「衣装を買おうか?」と提案したときも、「ママが作ったのがいい!」とお願いして、ずっと手作りの衣装を着続けていました。
小芝風花さんの母親は手先がとても器用で編み物が得意なこともあり、その衣装の完成度はとても高かったそうです。
小芝風花は母親から3つの言葉を教えてもらった!
小芝風花さんの母親は、フィギュアスケートを本気で取り組む小芝風花さんに対して、とても厳しく指導することもありました。
時には、練習の送り迎えの車の中で叱ったり、注意したりすることもあったそうです。
お金がかかるフィギュアだが、衣装は母親が全部作ってくれた。母は送り迎えもしてくれたが「なまけると帰りのクルマでえんえん説教」と厳しくしつけられた。
【引用元:Smart FLASH】
それでも、常に娘の夢を応援し、支えてくれた母親の存在が、小芝風花さんにとって、とても大切なものでした。
なお、小芝風花さんの母親は、「夢に向かって努力すること」「夢をあきらめないこと」「成功した自分を想像すること」という3つの大切な言葉を小芝風花さんに教えていました。
この言葉は、小芝風花さんが苦しいときや前が見えなくなったときに思い出す大切な言葉となっています。
母が昔、わたしが習い事をしている時に教えてくれた言葉で、「夢に向かって努力すること、夢に向かって諦めないこと、成功した自分を想像すること」っていう言葉をくれて。 この言葉って、スポーツでも勉強でも仕事でも、何か夢中になるものや夢がある人にとって、ずっと大事にしていていい言葉だなって思ったので、それを今でも大事にしています。
【引用元:FNNプライムオンライン】
ちなみに、お芝居の世界でもこの言葉が支えとなり、目標を持って取り組むことができていると、小芝風花さんは語っています。
また、小芝風花さんがフィギュアスケートを辞めて、女優になるために東京に行くと決めたときも、母親は「中途半端にしないで」とアドバイスし、娘と一緒に上京しました。
それでも、心が折れなかったのは「家族が一緒に上京してくれているし、自分で決めた道だから、“もうやるしかない!”という気持ちでした」という強い決意。その背景には「ずっとフィギュアスケートをやっていて、目標に向かってコツコツ頑張るということを鍛えられたんです。中途半端に辞めるような覚悟だと思われるのが嫌だから、『一度頑張ると決めたからやらなきゃ』という気持ちになれたんだと思います」と、スポーツの経験が生きていたようだ。
【引用元:マイナビニュース】
さらに、母親は芸能界の活動にもとても協力的で、女優としての仕事にも応援を惜しまず、時にはお芝居についてのアドバイスをすることもあるそうです。
小芝風花は母親に車をプレゼント!?妹の学費も援助!
小芝風花さんの母親は娘にフィギュアスケートを習わすために、たくさんのお金を使っていたようで、今度は小芝風花さんが母親に恩返しをしています。
本当に(母は)大阪の血なのか、高い物とか自分の物、全然買わない人なので、なんか買ってあげたいと思ってたんですけど、ちょうどその時に車を。
【引用元:スポニチアネックス】
例えば、小芝風花さんの妹の美容師学校の費用を援助したり、母親が新しい車をローンで購入しようとした際に、それを代わりに支払ったりするなど、母親への感謝の気持ちを表しています。
鶴瓶はさらに「凄いで。お母さんにも車買いに行ったら、お母さんローンやるって言ったら、(小芝が)“私、キャッシュで買う”って言うて」と小芝が母に車をプレゼントしたと証言。
【引用元:スポニチアネックス】
ちなみに当時の取材時(2022年)、小芝風花さんの母親は美容師免許の合否発表があり、合格した事を小芝風花さんが笑顔で伝えています。
鶴瓶は事前に小芝の母と姉、妹を取材したとし、この日は母の美容師免許の合否発表があると語った。小芝は「きょう朝9時に結果が出ました。合格しました」と笑顔。妹も美容師を目指して専門学校に通っているとしたが、鶴瓶は「男前やで。やっぱりね、お母さんが学校行ってはるから妹も行くやんか。(小芝が)“もうね、好きなとこ受け、私(学費を)出したるから”って言うて」と小芝が妹の授業料を援助していると明かした。
【引用元:スポニチアネックス】
また、小芝風花さんは母親のことを、ただの親ではなく「戦友」のように感じていると話し、お互いに強く支え合いながら歩んできた親子関係であり、これからもその絆は変わらないことようです。
小芝風花の母親の顔写真をAIで想像してみた!
小芝風花の姉は元読モで12歳年上!芸能界入りのきっかけは姉?
小芝風花の姉は元読者モデルで結婚し娘も!12歳年上の姉!
小芝風花さんには、ゆみさんという12歳年上の姉がおり、年齢は39歳くらい(2024年現在)だと思われます。
元々読者モデルをしていましたが、その頃の写真は残念ながら見つかりませんでした。
小芝風花さんの姉は、すでに結婚していて、2010年には娘を出産しています。
そして、姪っ子とも、とても仲が良い小芝風花さんは、姪っ子と一緒に凧揚げをしたり、一緒に遊んだりしている様子をSNSに投稿していました。
この投稿をInstagramで見る
小芝風花の姉が小芝風花の芸能界入りのきっかけ!
小芝風花さんが芸能界に入るきっかけを作ったのは、実はこの姉のゆみさんです。
上述したように、小芝風花さんが中学2年生のとき、テレビで浅田真央さんがスケートをしているCMを見て「私もCMに出てみたいな」と何気なく言ったのを、姉が聞いていました。
すると、姉はすぐに芸能オーディションの雑誌を買ってきてくれ、その中に掲載されていた「ガールズオーディション2011」に応募するよう勧めました。
中学2年の時、フィギュアスケート選手・浅田真央がテレビCMに出ている姿を見た姉に勧められたことをきっかけに、新人発掘オーディションを受けたという。
【引用元:クランクイン】
これがきっかけとなり、小芝風花さんはオーディションでグランプリを獲得し、芸能界入りを果たしました。
小芝風花さんの芸能界での成功の裏には、姉のゆみさんのサポートと背中を押してくれたことがあったのです。
小芝風花の妹は美容師?姉の芸能活動に興味ないも仲良し!
小芝風花の妹は美容師で現在22歳くらい!?
小芝風花さんには、5歳年下の妹、ゆめらさんがおり、年齢は22歳くらい(2024年現在)と思われます。
小芝風花さんの母親の情報で上述したように、2022年10月、小芝風花さんの妹は美容師の専門学校に通っており、現在は美容師として働いている可能性があります。
妹も美容師を目指して専門学校に通っているとしたが、鶴瓶は「男前やで。やっぱりね、お母さんが学校行ってはるから妹も行くやんか。(小芝が)“もうね、好きなとこ受け、私(学費を)出したるから”って言うて」と小芝が妹の授業料を援助していると明かした。
【引用元:スポニチアネックス】
ちなみに、小芝風花さんは、幼い頃からプロのフィギュアスケーターを目指して厳しい練習に取り組んでおり、小芝風花さんの妹が一番甘えたい年齢のときに、母親の時間をたくさん使ってしまったことを気にしていていました。
そしてある番組で妹に「申し訳なかった」と話していたそうです。
小芝風花の妹は姉の芸能活動には興味無い!?
小芝風花さんの妹は女優として活躍する小芝風花さんのドラマや出演作にはあまり興味を示さないそうで、感想をほとんど言わないことが多いそうです。
しかし、時折「良かったよ」と言ってくれることがあり、その一言が小芝風花さんにとってはとても大切で、妹の意見に喜んだり落ち込んだりすることもあると話しています。
また、二人はバレンタインにはお菓子を贈り合ったり、一緒にお買い物に行ったりするなど、普段から仲の良さが伺えるエピソードが多くあります。
この投稿をInstagramで見る
小芝風花さんは、妹が作ってくれたカップケーキをもらったり、ハートのチョコをプレゼントされたことを嬉しそうにブログに書いていました。
こんばんは~! 昨日… バレンタインでしたね…😂 皆さんはチョコ もらえましたかっ?? 私は妹ちゃんが カップケーキを作ってくれました😍 そして今日 ハートのチョコを頂きました😍
【引用元:小芝風花オフィシャルブログ】
小芝風花の祖父は孫にメールを送り祖母は飲み物をすすめてくれる人!
小芝風花の祖父は孫にメールをよく送る!
小芝風花さんの祖父母については公表されていないため詳しい情報は分かりません。
しかし、小芝風花さんは祖父母(父方か母方か不明)ととても仲が良く、祖父からよくメールが送られてくるそうです。
メールの内容は「ワンちゃんを散歩した今日の様子です」や「この作品見たよ」「CM見たよ」といったものが多いそうで、最近も「ドラマ見たよ」というメッセージを送ってくれたそうです。
その後、「肌荒れ気をつけてね」と健康のことを気遣う言葉も添えられていて、小芝風花さんはそのたびに「気をつけます!ごめんなさい!」と思わず笑顔になるそうです。
こうしたやり取りに対して「身内ならではだなぁ」と感じて、ニヤニヤしてしまうこともあると話していました。
CMにちなみ“実家”の思い出を聞かれると、「おじいちゃんからワンちゃんの写真がよく送られてくる」と言い、「その後に『肌荒れとか気を付けてね』って来て、『すみません!』と…(笑)」とほっこりしたやりとりを明かしつつ、「そういうメールを見て、思わずニヤっとしちゃうんです。身内ならではだなぁって…(笑)」とうれしそうに語った。
【引用元:ORICON NEWS】
小芝風花の祖母はすごく飲み物をすすめてくれる優しい人!
小芝風花さんの祖母(父方か母方か不明)もとても優しい人で、小芝風花さんが祖父母の家を訪れるたびに、たくさんの飲み物をすすめてくれるそうです。
「喉渇いてない?麦茶入ってんで」というふうに、いつもアイスや麦茶をたくさん勧めてくれていたことを懐かしく思い出しているようです。
小芝さんも幼い頃を振り返り「それこそ私も祖父母の家に行くと、祖母がすごく飲み物を勧めてくれるんですよ。“喉渇いてない?麦茶入ってんで”みたいな感じで。いつも勧めてくれていたな。アイスと麦茶をめっちゃ勧めてくれるんですよ」と懐かしみました。
【引用元:Yahoo!ニュース】
小芝風花さんはこのような祖母とのやり取りを「懐かしい」と感じ、祖父母の家で過ごした時間を大切な思い出として心に残しているようです。
さらに、小芝風花さんが飼っている犬のキャバリア「小太郎」は、もともと祖父母(父方か母方か不明)が飼っていた犬で、これも祖父母との絆を感じさせるエピソードの一つです。
小芝風花の家族構成まとめ
この投稿をInstagramで見る
家族構成 | 詳細 |
父親 | 小芝風花さんが小学生の頃に母親と離婚。現在は中国・上海でラーメン屋「神拉面」を経営。店内には小芝風花さんの映画ポスターや家族写真が飾られており、娘を応援している様子。 |
母親 | 現在60歳くらい。小芝風花さんがフィギュアスケートを始めた際には衣装を手作りし、練習の送り迎えもしていた。小芝風花さんに「夢に向かって努力すること」などの言葉を教え、女優になる時も支えた。美容師をしている可能性。 |
長女 | ゆみさん。小芝風花さんより12歳年上で、結婚し娘がいる。小芝風花さんが芸能界に入るきっかけを作った人物で、姉妹仲が非常に良く、一緒に過ごすことが多い。元読者モデル |
次女(本人) | 小芝風花さん。フィギュアスケート選手として活動した後、女優としての道を選び、数多くのドラマや映画に出演している。 |
三女 | ゆめらさん。小芝風花さんより5歳年下で、美容師として働いている可能性がある。姉妹仲が良く、一緒にお買い物をしたり、バレンタインにはお菓子を贈り合うなどしている。 |
祖父 | 小芝風花さんにメールをよく送る。ワンちゃんの散歩の様子や、ドラマの感想、健康を気遣うメッセージなどを送り、小芝風花さんとの温かい交流がある。 |
祖母 | 小芝風花さんが祖母の家を訪れるたびに、アイスや麦茶をたくさん勧める優しい人。小芝風花さんの出演しているドラマについて語り合うこともあり、孫との時間を大切にしている。 |