この記事では、女子やり投げ日本代表選手である北口榛花さんの家族構成や生い立ち、また兄弟の有無について詳しく紹介していきたいと思います。
北口榛花さんのやり投げを始めたきっかけや家族との関係、そしてオリンピックで活躍するまでのエピソードをたっぷりとお届けします。
北口榛花さんの軌跡を知ることで、北口榛花さんの魅力やその背景に迫りたいと思います。
目次
北口榛花の家族構成!父親・母親の3人家族
北口榛花さんの家族構成は「父親・母親・本人」の3人です。
北口榛花の生い立ちや学歴!多才な少女がやり投げ世界一になるまで
- 名前(本名):北口榛花
- 生年月日:1998年(平成10年)3月16日
- 身長:179㎝
- 体重:86kg
- 血液型:A型
- 出身地:北海道旭川市
- 学歴:北海道教育大学附属旭川小学校→北海道教育大学附属旭川中学校(偏差値51)→北海道立旭川東高校(偏差値66)→日本大学スポーツ科学部競技スポーツ学科(偏差値43)
北口榛花は幼少期から水泳を始める!
北口榛花さんは1998年3月16日に北海道旭川市で生まれました。
家族は両親と北口榛花さんの3人家族で、ひとりっ子として育ちました。
3歳から水泳を始め、特に自由形が得意だったそうです。
北海道・旭川市に育ち、幼い頃からスイミングスクールに通い、特に自由形を得意としていた。
【引用元:月陸Online】
北口榛花の小学生時代は国立の小学校でスポーツも勉強も得意!
北口榛花さんは2004年4月に北海道教育大学附属旭川小学校に入学しています。
北口榛花さんは小学生時代には水泳、バドミントン、英会話、ピアノ、体操教室、塾など、多岐にわたる習い事をこなしていたそうです。
そのため、平日は夕方から夜まで予定がびっしりと詰まり、土日も大会などで忙しかったようです。
夏休みには水泳の朝練習を終えてから、すぐに塾での夏季講習に参加することもあったとのことです。
これらの習い事はすべて両親からの勧めで始めたもので、「学校の授業で困らないように」という理由からだったようです。
そのため、放課後に友達と遊ぶ時間はほとんどありませんでしたが、北口榛花さんはそれを苦に感じることは一度もなかったと言います。
「のめりこむタイプだったし、なにより負けず嫌いだった」という言葉からも、北口榛花さんの意欲と情熱がうかがえます。
小学生時代は「習い事から習い事のはしご」の生活だったという。水泳にバドミントン、英会話、ピアノ、体操教室、塾……。平日は夕方から夜までの予定がびっしりと埋まり、土日は大会。夏休みには水泳の朝練習を終え、髪を乾かすひまもなく塾での夏季講習に通ったこともあった。習い事はすべて両親からすすめられたもの。「学校の授業で困らないように」という理由だった。放課後に友達と遊んだ記憶はほとんどない。でも、苦に感じたことは一度もなかった。「のめりこむタイプだったし、なにより負けず嫌いだった」
【引用元:朝日新聞デジタル】
負けず嫌いだった北口榛花 「習い事をはしご」からやり投げ一本へhttps://t.co/SsMeNVuQHy
忙しくも、充実した幼少期。自らの経験を踏まえ、子どもたちにはこう呼びかける。「失敗は許される。いろいろなことにチャレンジして、たくさんの経験を積んで欲しい」
— 朝日新聞 パリ2024 (@asahi_olympics) July 13, 2024
さらに、小学6年生の時には全国小学生バドミントン選手権の団体戦で優勝を果たしています。
小学生なってからは並行してバドミントンも始め、小6の時には団体で全国優勝。
【引用元:月陸Online】
ちなみに2009年のバドミントンの全国大会シングルスで、同学年で後にオリンピック選手になる山口茜さんと対戦した経験もあるそうです。
当時の山口茜さんはすでに全国的な選手だったので、北口榛花さんは敗れたものの「点が取れたらすごく嬉しかった」と述べています。
番組では、北口が小学生時代、バドミントンの全国大会に出場したことを紹介。全国小学生バドミントン選手権の団体戦で優勝し、09年の全国小学生ABCバドミントン大会シングルス3回戦では、バドミントン東京五輪代表の山口茜(25=再春館製薬所)と対戦した。北口は、鮮明に覚えていると言い「その当時から山口選手は凄く有名な選手だったので、1点でも多く取れればと思って、点を取れたら凄くうれしかったです」と振り返っていた。
【引用元:スポニチ】
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北口榛花さんは小学校時代には投てき種目を行っていませんでしたが、体育祭のボール投げでは同級生から「次元が違った」と称賛されるほどの腕前を見せていたそうです。
また、勉強も得意で、学校の成績も優秀だったようです。
北口榛花の中学時代はバトミントンと水泳の二足のわらじ!
北口榛花さんは、2010年4月に北海道教育大学附属旭川中学校に入学しています。
中学時代、北口榛花さんは水泳とバドミントンの両方に取り組んでおり、部活はバドミントン部だったそうです。
一応中学生までやってましたのでね…笑笑あんなに頑張ってたのに下手になったらショックです…水泳もバドミントンも #peing #質問箱 https://t.co/8h3b8vXgAx
— 北口榛花 harukaKitaguchi (@giant_babyparu) March 25, 2019
北口は、驚異的な成長につながる土台を持ち合わせていた。中学時代はバドミントン部。
【引用元:朝日新聞デジタル】
バスケットボールにも挑戦したことがあるそうですが、母親から才能がないと言われたと明かしています。
しかし、バスケットボール観戦が好きで、中学生の頃から「ENEOSサンフラワーズ」のタオルを愛用していたそうで、現在でも女子バスケットボールをプライベートで観戦するほどの大ファンとのことです。
ちなみに、バスケットボールにも挑戦したことがあるが、「母から才能がないと言われました」と笑う。今でも女子バスケットボールをプライベートで観戦するほど大ファンで、やり投を始める前の中学生の頃から今でも、試合では『ENEOSサンフラワーズ』のタオルを愛用している。
【引用元:月陸Online】
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北口榛花さんはまた、水泳でも優れた成績を収めており、中学校時代には全国大会に出場しました。
全国ジュニアオリンピック春季北海道予選会では、50メートル自由形と50メートルバタフライで優勝を果たしています。
北口榛花の高校時代はやり投げでも水泳でもインターハイ?
北口榛花さんは北海道教育大学附属旭川中学校を卒業後、系列の高校がないため、高校受験をして2013年4月に北海道旭川東高校へ進学しました。
北口榛花さんは一般受験でこの高校に入学したため、高い学力を持っていました。
水泳は高校1年生の頃まで続けており、高校1年生の時には水泳でインターハイにも出場しています。
しかし、北口榛花さんが陸上競技を始めたのは高校時代のことで、当時の旭川東高校の陸上部顧問である松橋昌巳先生の勧めがきっかけでした。
地元トップの進学校である旭川東高に進学した頃は競泳で全国大会を目指しながら「研究者にもなりたかった」北口。だが、当時・陸上部の顧問だった松橋昌巳先生から、「陸上をやらないか」と熱心に誘われる。
【引用元:月陸Online】
松橋昌巳先生は北口榛花さんを何度もスカウトしたそうで、「やり投げは投げる競技だけど(バドミントンの)スマッシュに近いよ」と話して、北口榛花さんに水泳との掛け持ちを条件に陸上部に入部することを提案したとのことです。
旭川東高校で、陸上部顧問だった松橋昌巳教諭にスカウトされて、やり投げを始めた。何度も誘われ、松橋氏に「やり投げは投げる競技だけどスマッシュに近いよ」と言われて、水泳との掛け持ちの条件に入部。
【引用元:スポニチ】
実は、北口榛花さんの中学時代のバドミントン部の先輩が松橋昌巳先生に「すごい子がいます」と紹介していたようです。
そのため、松橋昌巳先生から「陸上ならインターハイに行ける」と熱心に誘われ、北口榛花さんは「水泳も続けていいのであれば」と陸上部に入部したとのことです。
実は中学時代に同じバドミントン部で同校の陸上部マネージャーになっていた1つ上の先輩が松橋先生に「すごい子がいます」と伝えていたという。松橋先生からの「陸上ならインターハイに行ける」と先輩からの誘いで、「水泳も続けていいのであれば」と、陸上部に入部。
【引用元:月陸Online】
当初、北口榛花さんはやり投げという競技自体知らず、抵抗があったそうですが、現在では松橋昌巳先生に感謝しているそうです。
もし松橋昌巳先生に出会わなかったら、やり投げを始めていなかったと語っています。
練習環境は進学校らしく、強豪校のようなトレーニング環境ではありませんでしたが、練習で走ったり、リレーに出たり、偏った練習にならなかったことも良かったとインタビューで振り返っています。
「松橋先生に出会わなかったら、やり投は始めていませんでした。巡り合わせに感謝しています。進学校だったので、強豪校のような環境でのトレーニングではありませんでしたが、練習で走ったりリレーに出たり、偏った練習にならなかったこともよかった思います」
【引用元:月陸Online】
北口榛花はやり投げ経験2ヶ月で北海道で優勝!?
一般的には、やり投げを始めたばかりの頃には、やりを地面に刺すことは難しいのですが、北口榛花さんは最初から地面にやりを刺すことができたそうです。
そして、陸上部に入部してからわずか2ヶ月ほどでやり投げのインターハイ北海道予選で優勝を果たしました。
さらに、もともと水泳とバドミントンで鍛えられていた北口榛花さんは、2014年に高校2年生で出場したインターハイ(全国高等学校総合体育大会)の女子やり投で優勝しています。
その後も国内の高校生の大会で無敵の存在となりました。
インターハイの他、日本ユース選手権や国体でも優勝し、高校日本新記録も更新しました。
高校新出せました!!正直びっくりです
ビデオ見たら投げはヒドかった笑もーよくわかんないけれど、とっても嬉しいです!
応援してくれた方々に感謝です!! pic.twitter.com/QwmObsbC8B— 北口榛花 harukaKitaguchi (@giant_babyparu) October 16, 2015
2015年1月には日本陸上競技連盟のダイヤモンドアスリート第1期に認定されました。
また、2015年にはコロンビア・カリで開催された第8回世界ユース選手権で金メダルを獲得しました。
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なお北口榛花さんの住む地域では、冬の間は雪で覆われてグラウンドが使えませんでしたが、このことをハンデと感じることはありませんでした。
インタビューでは、「その間にもハンドボールを投げたりして。やりは投げられないけど、技術的な部分を見つめ直す機会になった」と話しています。
「広い場所でやりを投げたほうがいいことは当然あるが、北海道で冬に投げられなくても、それに替わることや、それに近いことはやろうと思えば山ほどできます。1年時の49m31が2年時には53m15まで伸びました。3年時には58m90(の高校新)。フィンランドに行ったり合宿に行ったりはしていますが、それは一時期でのこと。やり投げにつながる要素を道内でも地道にやれば、大きなハンデとは思わないですね」
【引用元:SPORTS BULL】
ちなみに、世界一を意識するようになったのは、2015年の世界ユースで優勝した時だそうです。
平尾 高2でインターハイで優勝し、高3で世界ユースを制しました。「世界一」を意識したのはいつですか。
北口 世界ユースの時ですね。同年代のヨーロッパ選手がこれから大きく伸びるとしても、自分も同じぐらい伸びることができれば、大人になってもまた1番になれる。そう思って、国際大会に出たいと思い始めました。
【引用元:読売新聞オンライン】
陸上の世界ユース選手権第2日、女子やり投で北口榛花選手が金メダルを獲得しました!この種目で日本勢が優勝するのは初めてとのことです。 #陸上 https://t.co/iDGu0A5VKq
— スポーツ・オリンピック関連 (@cobebovetuty) February 26, 2023
北口榛花の大学時代はケガや苦難の連続だった!
北口榛花さんは、2016年4月に日本大学スポーツ科学部競技スポーツ学科に進学しました。
北口榛花さんが日大を選んだ理由は、男子の強い選手たちと一緒に練習することで、自身の感覚や意識を女子のレベルではなく、より高い世界レベルに引き上げることができると考えたからだそうです。
北口は進学先に日大を選んだ。男子ではインカレ総合優勝争いの常連チームだが、女子のトップ選手はほとんど所属していない。インカレの対校得点争いをベースに競技生活を送るのではなく、世界だけを見て成長の歩みを進める道を選んだ。当時の日大コーチングスタッフのひとりは、「男子のなかで練習していれば、それは外国に行ってやっているようなものです。自分より強い選手たちと常に練習しているのですから、感覚も意識も女子レベルではなくなっていく」と話す。
【引用元:Sportiva】
北口榛花さんはこの大学には一般受験ではなくスポーツ推薦で進みました。
この選択について北口榛花さんは「この方法(スポーツ推薦)で入学するならやるしかない。だから、結果が出なかったとしても絶対に辞めない、と心に決めていました。どんなに気持ちが落ち込んでいてもグラウンドには足を運びました。つらい時期もたくさんありましたけど……。」とインタビューで話しています。
自分はやり投をするために大学に進学しました。この方法(スポーツ推薦)で入学するならやるしかない。だから、結果が出なかったとしても絶対に辞めない、と心に決めていました。どんなに気持ちが落ち込んでいてもグラウンドには足を運びました。つらい時期もたくさんありましたけど……。
【引用元:月陸Online】
もし競技を考えなければ、国立大学の筑波大学に進学したかったようです。
旭川東高では競泳で全国上位に入り、筑波大に進学したい。そう具体的に将来を描いていた。
【引用元:日刊スポーツ】
そして大学時代、北口榛花さんは体育会・陸上競技部に在籍して、競技に専念していました。
しかし、大学生活には多くの苦労もあったようです。
リオ五輪の参加標準記録に届かなかったことや、大学2、3年生の時には右ひじの怪我もあり、記録は思うように伸びませんでした。
平尾 世界を目指して日本大学へ進みましたが、けがもありましたね。
北口 右肘でした。1年の時、リオデジャネイロ五輪の参加標準記録まであと少しのところまで迫っていて。もっと投げなきゃと練習の本数が増えて、痛めたと思うんです。その時、「五輪って、たまたま出られるようなものじゃないんだ」と痛感しました。
【引用元:読売新聞オンライン】
大学2年生の時には日本学生陸上競技対校選手権で優勝しましたが、大学2年生の時に日大のやり投げのコーチが辞職してしまったことや、怪我の影響のなどもあり、大学3年生までは国際大会で良い成績を残せませんでした。
しかし、北口が大学2年の時、日大のやり投コーチが辞職してしまい、コーチ不在が北口の成績に影を落とす。北口自身にもケガや体重管理の失敗などの理由はあったが、2年時、3年時と自己記録を更新できなかった。
【引用元:Sportiva】
北口榛花の大学時代に海外に留学し日本記録樹立へ!
この現状を打破するため、北口榛花さんは大学3年生だった2019年2月にやり投げの強豪国であるチェコに短期留学しています。
北口榛花さんがチェコに留学することになった経緯は、けがから復帰した際にコーチがいなくなり、大学の先輩に練習を見てもらう状況が続いていたためです。
その中でフィンランドの国際講習会でチェコとポーランドのコーチ4人に出会い、彼らの練習動画を見せられたことがきっかけとなったそうです。
チェコ人恩師と挑むメダル 陸上女子やり投げ・北口榛花https://t.co/v7PHZS76v7
北口選手は高校時代から将来を期待されていましたが、大学進学後は苦難の日々が続きました。乗り越えたきっかけは、「やり投げ大国」のコーチとの出会いだったといいます。 #Tokyo2020 #やり投げ
— 毎日新聞 (@mainichi) August 3, 2021
そこでコーチがいないことを話すと、「ヨーロッパではどんなトップ選手もコーチがいる」「日本の五輪でメダルを取りたくないのか」とまで言われ、名刺をくれたコーチにメールで連絡を取ることにしたとのことです。
そして、現在のコーチであるデービッド・セケラックさんとのメールやり取りを経て、チェコでの生活について英語でやり取りをし、最終的にチェコに行くことを決意したとのことを明かしています。
平尾 それが、チェコのコーチの指導を受けに行くことにつながったのですか。
北口 けがから復帰したらコーチがいなくなり、大学の先輩に練習を見てもらっていたんですが申し訳なくて、自分でやろうと決意しました。3年の時、フィンランドの国際講習会の場で、チェコとポーランドのコーチ4人に呼ばれて、彼らの練習動画を見せられたのがきっかけです。
平尾 「来い」という感じだったのですか。
北口 来いとは言われていません。でも、「私には今コーチがいない」と話したら、「ヨーロッパではどんなトップ選手もコーチがいる」「日本の五輪でメダルを取りたくないのか」とまで言われたので、名刺をくれたコーチにメールで連絡しました。
平尾 その4人は「やれば強くなる」との思いがあふれたのかもしれませんね。
北口 メールを送ったら、名刺とは別の方のインスタグラムのURLが送られてきました。その方がデービッド・セケラックコーチです。チェコでどう生活するのかなど、全部英語でやり取りをしました。でも行って初めて、コーチが実は英語を話せないことを知りました。メールは翻訳システムを使っていたみたいです(笑)。
【引用元:読売新聞Online】
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そして、この留学経験により、現地でコーチからのアドバイスを受け、記録が向上し、2019年5月に開催された木南道孝記念陸上大会では、従来の日本記録を50㎝も更新する64m36の日本新記録で優勝しました。
大学で学んだことについて北口榛花さんは、「言いたいことを言う〟ということです。自分がやりたいことがあるなら、ハッキリと行動しないといけません。私も最初は待っているだけでした。他人に任せるのは楽だしありがたいことですが、自分で何かをするというのは大変。それを大学で学びました。」と語っています。
「言いたいことを言う〟ということです。自分がやりたいことがあるなら、ハッキリと行動しないといけません。私も最初は待っているだけでした。他人に任せるのは楽だしありがたいことですが、自分で何かをするというのは大変。それを大学で学びました。」
【引用元:月陸Online】
北口榛花の大学卒業後はメダルラッシュ!
北口榛花さんは、大学を卒業後、日本航空にアスリート社員として入社しました。
大学卒業後も競技を続け、23歳の時に東京オリンピックに出場し、見事12位に入賞しました。
その後、2022年にオレゴンで開催された世界陸上では銅メダルを獲得しました。
この成果は、日本陸上女子フィールド種目において史上初となる世界選手権での表彰台でした。
そして、2023年のダイヤモンドリーグでは67m04を投げ、日本記録を更新しました。
これにより、北口榛花さんは日本人初のダイヤモンドリーグ優勝者となり、女子やり投で日本人初の世界陸上メダリストとなりました。
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さらに、2023年にブダペストで開催された世界陸上では、最終投てきで66m73を記録し、逆転優勝を果たしました。
この結果、日本女子フィールド種目では初の世界陸上金メダルを獲得し、パリ2024オリンピックの日本代表にも内定しました。
北口榛花のもぐもぐタイムはカステラとハイチュウ2個!
北口榛花さんは競技中にカステラとハイチュウ2個を食べることで知られています。
北口榛花選手おめでとう㊗️🥇👏
この時間までリアタイした甲斐あった🥹
カステラとハイチュウ2個のパワー…
凄げぇんだなwww#北口榛花 #世界陸上 #金メダル #最終投擲 #ビッグスロー pic.twitter.com/w0rzAyTxQF— Do9roman (@do9roman) August 25, 2023
カステラは、長崎県雲仙市の「千鶏カステラ本舗」が提供するスポーツカステラだそうです。
このスポーツカステラは、スポーツ選手のために特別に開発されたもので、社長の山下直喜さんが陸上選手が競技前にカステラを食べていることを知り、東京五輪を視野に入れて約1年かけて開発したそうです。
最近ではスポーツ選手に特化したカステラも登場。長崎県雲仙市の「千鶏カステラ本舗」では「スポーツカステラ」を販売している。社長の山下直喜さん(60)が2018年ごろ、陸上選手が競技前にカステラを食べていることを知り、20年に控えていた東京五輪も視野に約1年かけて開発した。糖類の一部を蜂蜜などに含まれる「パラチノース」に置き換えることで「糖の吸収が緩やかになり、長時間持続的にエネルギー補給ができる」という
【引用元:スポニチ】
他の選手は競技時間に間食を取ることが少ないようですが、北口榛花さんは競技時間が長いため、合間で栄養補給のために食べているとのことです。
なぜカステラなのかというと、最初に日本新記録を出した時にカステラを食べていたことがきっかけで、縁起を担いで食べるようになったそうです。
「カステラでいい記録出たからカステラ」
Q.北口さんで「カステラ」っていうのが凄く話題になってまして。カステラを食べた理由というのは?
北口選手:競技時間がそれなりに長かったり、時間がちょうどお昼ご飯とか、夜ご飯とかそういう時間があるので必ず捕食を持ってきてるんですけど、初めて日本記録を出したときに3投目の後にカステラを食べてて。それからできるだけカステラを食べようと思ってるんですけど。海外に来たりするとなかなかそれはできないこともあるんですけど、今回は家族もブダペストに来てくれたので、来るときに持ってきてもらいました。
【引用元:TBS NEWS DIG】
北口榛花の父親はホテルのパティシエでケーキで娘を後押し!
北口榛花の父親はホテルのパティシエで榛花の名付け親!
北口榛花さんの父親は北口幸平さんで、2024年現在で58歳です。
身長が182センチメートルと非常に高く、現在でもバスケットボールとバドミントンを続けているスポーツマンです。
バスケットボールは学生時代から続けており、バドミントンは北口榛花さんが小学生の頃から一緒に始めました。
北口幸平さんは北海道旭川市にあるアートホテル旭川で製菓料理長、つまりパティシエとして働いています。
なお北口榛花さんの「榛花」という名前は北口幸平さんが決めました。
「はるか」という読み方は最初から決まっていましたが、漢字を選ぶ際に「榛(はしばみ)」というヘーゼルナッツの和名から「榛花」という漢字が選ばれました。
この名前は北口幸平さんの職業であるお菓子作りに欠かせないヘーゼルナッツに由来しています。
榛花(はるか)という名前は菓子作りに欠かせないヘーゼルナッツの和名「榛(はしばみ)」に由来。名付けた父の幸平さんはパティシエとしてアートホテル旭川の製菓料理長を務めている。身長は182センチで、学生時代に始めたバスケットボールと、北口が小学生の頃から一緒に習いだしたバドミントンのどちらも現在なお継続中だという。
【引用元:日刊ゲンダイ】
お父さんがパティシエって羨ましいな。
北口榛花さんの名前の由来、ヘーゼルナッツなんだって!
お父さんの愛がすごい!!https://t.co/jlUNLQGjuo— よあ (@yoa_blog) August 26, 2023
北口榛花の父親はケーキやエクレアで娘を応援!!
北口榛花さんの父親の北口幸平さんは、北口榛花さんが誕生日を迎える時や、日本記録を更新した時、良い成績を収めた時などには、心のこもった手作りケーキでお祝いすることが多いです。
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2019年10月に北口榛花さんが日本新記録を更新した際、年末に帰省した時には「66」という数字の形をしたエクレアを載せたケーキを作ってお祝いしました。
この「66」という数字は、北口榛花さんが記録した「66メートル」にちなんでいます。
榛花さんは2019年10月、自身が持つ日本新記録を塗り替え、「66・00メートル」を出した。その年の暮れに帰省したときにお祝いとして出したのが、「66」の数字の形のエクレアをのせたケーキ。
【引用元:朝日新聞DIGITAL】
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また、北口榛花さんが小さい頃には、カスタードプリンを食べたいと言われることが多く、そのたびに北口幸平さんが作ってあげていました。
このカスタードプリンは、牛乳、卵、砂糖、バニラだけを使ったシンプルなレシピです。
さらに、北口幸平さんは北口榛花さんと一緒に誕生日ケーキを作ったこともあります。
大学に進学して東京で暮らすようになった北口榛花さんは、休日に食べたスイーツの写真を北口幸平さんに送ってくれることもあり、二人の仲の良さが伺えます。
北口幸平さんは「父親としてアピールできるのは、それしかないですから」と少し照れながらも、北口榛花さんとの思い出を大切にしています。
カスタードプリンは、牛乳、卵、砂糖、バニラだけを使ったシンプルなレシピだ。幸平さんが家で昔からよく出していたもので、「小さいころはよく、『食べたい』ってせがまれました」。プリンや誕生日のケーキを一緒に作ったこともあり、「父親としてアピールできるのは、それしかないですから」と照れる。大学に進んでから東京で暮らす榛花さんは、休日に食べたスイーツの写真をよく送ってきてくれるという。
【引用元:朝日新聞DIGITAL】
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北口榛花の母親は身長172cmのバスケ選手で笑顔の大切さを教える
北口榛花の母親は高身長のバスケ選手北口規子さん!
北口榛花さんの母親、北口規子さんは、2024年現在で59歳であり、身長は172cmあります。
北口規子さんは、かつてバスケットボール選手として活躍していました。
現在のWリーグのENEOSサンフラワーズ、当時の「共同石油」に所属していたこともあります。
わたしのお母さんの若かりし頃と
バレーボールの長岡選手。 pic.twitter.com/V0RJIXRJit— 北口榛花 harukaKitaguchi (@giant_babyparu) October 6, 2016
北口榛花さんの現在の体格は、母親である北口規子さんから受け継いだもので、子どもの頃から背が高く、小学生の頃から常に背の順で一番後ろだったという経験があります。
小学6年生の時点で170cm、中学3年生で175cm、高校生の時には178cm、そして現在では179cmの身長に成長しました。
この高い身長は、スポーツの世界で大きな武器となり、特に金メダルを獲得する上で非常に有利でした。
しかし、北口榛花さんにとっては、成長期において悩みの一つでもありました。
たとえば、スーパーやレストランでじろじろ見られたり、「たばこは吸いますか?」と聞かれたりすることがあり、そういった経験は恥ずかしい思い出として残っています。
母規子さんは元バスケットボール選手で共同石油(現ENEOS)に所属していた。母譲りの恵まれたフィジカルは金メダル獲得の大きな武器となったが、実は悩みの1つだった。小学生の時から「ずっと背の順で一番後ろだった」。小学6年で170センチ、中学3年で175センチ、高校で178センチ、現在179センチ。ちょっぴり嫌そうな顔で「スーパーでもじろじろ見られるし、レストランで『たばこは吸いますか』って聞かれたり」と、恥ずかしそうに話していた。
【引用元:日刊スポーツ】
北口榛花の母親は娘に笑顔の大切さを教えた!
北口榛花さんの母親である北口規子さんは、いつも娘に笑顔の大切さを教えています。
北口規子さんは、「笑顔でいれば幸せなことや良いことが自然と引き寄せられる」と北口榛花さんに伝えてきました。
これは、どんなに辛いことがあっても、辛い顔をしていると本当につらくなってしまうため、常に笑顔を心がけることが大切だという教えです。
やり投げの北口榛花選手🎽笑顔が本当にステキです🥰#世界陸上 #やり投げ #北口榛花 #似顔絵 #イラスト pic.twitter.com/j2jhhzOFNl
— きたのやすこ (@yasuko_927) October 17, 2023
なお2023年10月に放送された日本テレビ系「しゃべくり007 2時間SP」で、北口榛花さんはその理由を話す機会がありました。
北口榛花さんは、「母からスポーツ選手は結果が悪かったり、いろいろなことを言われたりするけど、辛いことを辛い顔で乗り越えるのはさらに辛いから、常に笑顔でいることで幸せなことも一緒にやってくる」と教わったと語っています。
北口は笑顔のきっかけが母の助言であることを告白。「一つ言われているのは、母に“スポーツ選手だと結果が悪かったり、いろいろ言われたり、つらいこともたくさんもあるけど、つらいことをつらい顔でやっていたら、本当につらいから、常に笑顔でいれば、幸せなこともきっと一緒に来てくれるから”って」。
【引用元:スポニチ】
北口榛花の家族構成まとめ
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家族構成 | 説明 |
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父親 | 北口幸平。北海道旭川市のアートホテル旭川で製菓料理長として働くパティシエ。身長182cm。娘のために手作りケーキを作って応援し、北口榛花の名前を決めた。 |
母親 | 北口規子。共同石油(現ENEOSサンフラワーズ)に所属していた元バスケットボール選手。身長172cm。北口榛花に「笑顔でいれば幸せなことが訪れる」と教えた。 |
本人(北口榛花) | 1998年3月16日生まれ。北海道旭川市出身。やり投げのトップアスリート。幼少期から多才で負けず嫌い。日本大学スポーツ科学部卒業後、日本航空にアスリート社員として入社。 |