この記事では、人気声優である木村昴さんの家族について、詳しく紹介しています。
木村昴さんがどのような家庭で育ち、どのようにして今の位置にたどり着いたのか、また、木村昴さんの家族や生い立ちについても深く知ることができます。
興味深いエピソードや驚きの事実がたくさん詰まっていますので、ぜひ楽しみながら読んでくださいね。
目次
木村昴の家族構成!父・母・妹の4人家族
木村昴の家族構成は「父親・母親・本人・妹」の4人です。
母親:日本人の声楽家の木村克美、シングルマザーで木村昴と妹を育てた
長女:木村飛鳥。大きな事故から復活!ニューヨーク在住のミュージカル俳優
また、木村昴さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
祖母:母方の祖母が「昴」と名付け、現在90歳を超える
木村昴の生い立ちや学歴!ドイツで生まれた昴はジャイアン!
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- 名前:木村昴
- 本名:スバル・サミュエル・バーチュ(Subaru Samuel Bartsch)
- 生年月日:1990年6月29日
- 身長:183㎝
- 体重:73kg
- 血液型:O型
- 出身地:東ドイツ・マクデブルク県ブランケンブルク(東京都葛飾区育ち)
- 学歴:葛飾区立小松小学校→葛飾区立小松中学校→都立晴海総合高校(偏差値55)→亜細亜大学中退(偏差値45〜58)
本名はドイツ名でスバル・サミュエル・バーチュ!?
木村昴さんは、1990年6月29日に東ドイツのマクデブルク県ブランケンブルクで生まれました。
本名はスバル・サミュエル・バーチュ(Subaru Samuel Bartsch)、日本名は木村昴です。
木村昴さんの家族は、ドイツ人の父親と日本人の母親、そして6歳年下の妹の4人家族です。
この日、芸名の由来について話題に上ると木村は「僕は本名なんですけど、僕の場合ちょっとややこしくて」と切り出し、「本名はスバル・サミュエル・バーチュって言うんです」と告白。 和田アキ子ら共演者が「難しい」と反応すると、木村は「僕ドイツ人なんで。(木村昴は)日本の通称名」と父がドイツ人、母が日本人であることを明かした。
【引用元:モデルプレス】
ドイツで過ごした7年間は音楽と共に育ち、両親とも声楽家ということもあり、5歳の頃からバイオリンをしていました。
両親とも声楽家ということもあって、それに近いことはしたいなと。両親は僕にずっと楽器をやらせたかったみたいで、5歳の時からバイオリンもやっていました。
【引用元:FUN’S PROJECT】
しかし、時期は分かりませんが、両親は離婚されています。
木村昴の「昴」は谷村新司のヒット曲「昴」から名付けた!?
木村昴さんの名前「昴」は、祖母が谷村新司さんのヒット曲「昴」から取って付けたもので、木村昴さんもこの歌を大変気に入っており、「人生のテーマソング」にしています。
長渕剛の「ろくなもんじゃねえ」、ケツメイシの「トモダチ」と自身のベストソングを朗々と歌い上げた木村は、第1位として谷村新司の大ヒット曲「昴 -すばる-」をチョイス。木村によると、「私の人生のテーマソングとも言うべき曲でございます。私の祖母が、この歌をきっかけに私に名前を付けてくれたと聞いております」と同曲の題名が「昴」という命名の由来になったという。
【引用元:ABEMA TIMES】
小学校入学後、日本語の修得アイテムは「ドラえもん」!?
7歳の時、木村昴さんは父親、母親と妹と共に日本に移住し、1997年4月、東京都葛飾区立小松小学校に入学しました。
当時、木村昴さんはまだ日本語を話せませんでしたが、学校生活を通じて徐々に日本語を覚えていきました。
僕は、ドイツで生まれて7歳まで向こうにいました。7歳で日本に来た時に、日本語が全く喋れなくて。でも、インターナショナルスクールとかじゃなく、普通に地元の公立の小学校に入学したんです。そこで先生や同級生とコミュニケーションを取りながら日本語を覚えていきました。
【引用元:FUN’S PROJECT】
また、木村昴さんの家にはテレビがなかったため、「ドラえもん」の漫画を読んで日本語を覚えました。
「ドラえもん」は木村昴さんにとって、日本語の先生的な存在でした。
小学一年生というと、ちょうどドイツから日本に移住してきたタイミングです。公立の小学校に入学したはいいものの、当時の僕は日本語がまったく話せない状態。もちろん、クラスの友だちとも上手にコミュニケーションが取れずにいました。そんな僕の日本語修得の助けとなったのが、『ドラえもん』なんです。
【引用元:HugKumはぐくむ】
児童劇団を始め「ミニミニ羽賀研二」でテレビの世界へ!?
木村昴さんが演技を始めたきっかけは、「やりたいこと何かないかな?」と思っていた時に見た新聞広告でした。
そこには児童劇団の募集が載っていて、母親が「いいんじゃないの」と言ってくれたので、木村昴さんは「面白そうだな」と思い、入団オーディションを受けました。
児童劇団では、ダンスや歌、日本舞踊、タップダンス、ドラムなど、たくさんのレッスンがあり、お芝居のレッスンも含まれていて、木村昴さんはそれらを通じて日本語を覚えることもできると考えました。
「やりたいこと何かないかな?」と思っていた時に、新聞に児童劇団の募集の広告が入っていたんです。それを見て、母も「いいんじゃないの」と言ってくれて。単純に面白そうと思って入団オーディションを受けたのが演技のきっかけですね。 児童劇団っていうのはレッスンがいっぱいあるんですよ。ダンスや歌、日本舞踊、タップダンスとかドラムのレッスン、お芝居もある。 それをやりながら日本語を覚えるのもありじゃないって、母が思ってくれて入団したんですよね。
【引用元:FUN’S PROJECT】
そして11歳の時、木村昴さんは2001年に放送された子供向けの料理教育番組「モグモグGOMBO」に出演し、その時、タレントのヒロミさんから「むちゃくちゃ羽賀研二に似てるな」と言われました。
その一言がきっかけで、木村昴さんは日テレの番組「ものまねバトル」にレギュラーとして出演することになり、そこで「ミニミニ羽賀研二」という名前で、羽賀研二さんのものまねをしていました。
2001年に放送された子供向け料理教育番組「モグモグGOMBO」に出演した際、MCのタレント・ヒロミに「むちゃくちゃ羽賀研二に似てるな」と言われたのがきっかけ。 「声優になる前の子役時代に、ヒロミさんに“むちゃくちゃ羽賀研二に似てるな”って言われた。それがきっかけで、日テレの『ものまねバトル』って番組にレギュラーで、ミニミニ羽賀研二として出演してネタやってた。
【引用元:スポニチ】
#しゃべくり007 ミニミニ羽賀研二 pic.twitter.com/NQkdz9xzqj
— KawasakiberumaTV (@KawasakiberumaT) December 11, 2023
更に、木村昴さんは同じ2001年にテレビ東京系『おはスタ』に「おはキッズ」として出演していました。
それから約20年後に、当時「おはキッズ」だった木村昴さんが番組のMCになったことが話題になっています。
懐かしすぎる!!!!😆✨ pic.twitter.com/u3d9YQvX23
— 木村昴 (@GiantSUBAru) April 6, 2022
そして、2002年12歳の時には、ミュージカル「アニー」に出演するなど、子ども時代からすでに活躍していました。
母親に言われた言葉が悔しくて中学校では生徒会長を務めた!
木村昴さんは、2002年4月に東京都葛飾区にある小松中学校に入学し、中学時代には生徒会長を務めていました。
生徒会長を務めた理由は、母親から言われた「中学校の中でトップになれない奴が、芸能界でトップになれる訳が無い」という言葉に悔しさを感じたからと、話しています。
木村:あと、母に「中学校の中でトップに慣れない奴が、芸能界でトップになれる訳が無い」って言われたことが悔しくて悔しくて、生徒会長になってやりましたよ
【引用元:TBSラジオ】
母校が取り壊されてなくなってしまうとのことで、思い出の校舎に行ってきた
中坊のおれへ。未来まじ楽しいから pic.twitter.com/zlymhrWR9d— 木村昴 (@GiantSUBAru) July 31, 2017
なお、5歳の時から始めたバイオリンですが、木村昴さんは中学2年生まで英才教育を受けていました。
ただ、木村昴さんはバイオリンを演奏することが嫌いで、バイオリンケースを開けただけで失神してしまうほどクラシック音楽がトラウマになったと語っています。
「こと音楽になると両親の指導が厳しすぎて…。しまいには、バイオリンケースを開けただけで失神してしまうほどクラシック音楽がトラウマになりました!」
【引用元:zakzak夕刊フジ公式サイト】
そして、木村昴さんは中学時代からラップに興味を持ち、ラップを聴いたり、自分でラップをしたりして、その後、ラッパーとしても活動するようになりました。
14歳からの人生は「ドラえもん」を中心に生きていく!?
2005年、中学2年生の時、木村昴さんはテレビ朝日系『ドラえもん』のジャイアン役の声優に選ばれました。
木村昴の貫禄が中二じゃねえwww
当時は「へぇ……新しいジャイアン14s……14歳!?え!?14で声優ってできんの!?」ってなったなあ pic.twitter.com/dg1I2T2G7k
— ぱーぽー (@purple_dededede) July 6, 2018
実は「ドラえもん」のオーディションは、クラスでモテヒーローになるための記念受験のつもりだったと言っています。
ジャイアンデビューは、ぼくが中学生の時です。審査で「14才です」と言ったら「エェーーッ!?」とどよめきが(笑い)。実はぼく、声優志望だったわけではなくて、“『ドラえもん』のオーディションを受けたと言えば、クラスでモテてヒーローになれるかも”なーんて記念受験のつもりだったんです。
【引用元:NEWSポストセブン】
また、オーディションの2次審査と最終審査では、木村昴さん以外は全員大人だったそうで、木村昴さんは「合格するなんて全く思っていなかった」と感じていました。
しかし、諦め半分でオーディションに臨んだ結果、見事にジャイアン役を勝ち取ることができました。
2005年、中学2年生の時に『ドラえもん』(毎週土曜午後5時〜)のジャイアン役に抜擢された木村。「2次審査と最終(審査)は僕以外全員大人だった」「合格するなんて全く思ってなかった」と諦め半分でオーディションに臨んでいたという。
【引用元:モデルプレス】
まず、「これからの人生は全て『ドラえもん』を中心に生きてほしい」と言われ、特に、「女性のスキャンダルには気を付けてください」というアドバイスがありました。
また、木村昴さんは当時未成年だったため、「お酒やタバコは絶対にしないでください」と念を押されました。
弱冠14歳で見事その座を射止めた木村。合格した瞬間からスタッフに「とにかくスキャンダルに気をつけてくれ。これからの人生全てを『ドラえもん』中心に生きてほしい」と注意があったという。「特に女性のスキャンダルは気を付けてください」、また未成年だったこともあり「お酒・タバコも絶対にしないで!」と散々クギを刺されたという。
【引用元:スポニチ】
それ以来、木村昴さんは「誰かにずっと見られているんじゃないか」と感じるようになり、実際、中学生のとき、自転車のサドルにタバコの箱が置かれていたことがありました。
そのとき、木村昴さんは「これ、試されているな」と思い、「もしタバコの箱を取ったときに写真を撮られたら、吸っているように見えるかもしれない」と考えました。
そのため、木村昴さんは自転車を大きく揺らしてタバコの箱を振り落とし、自分のイメージを守るために慎重に行動していました。
それ以来、木村は「勝手にイメージ膨らんで、ずっとどこかで誰かに見られてるんじゃないかって」と被害妄想にとりつかれたようになった。実際中学生の時、止めていた自転車のサドルにタバコの箱が置いてあったことがあるといい「『これ、試されてるな?』と。『取った時にもし写真撮られたら、俺が吸ってるみたいに見えるな』」と感じ「自転車ガッシャーン!ってタバコ落として」振り払ったという。
【引用元:スポニチ】
ジャイアンの声優として木村昴さんが担当するようになってから、ジャイアンのテーマソングも木村昴さんが歌うようになりました。
なお木村昴さんは、ジャイアンの3代目の声優で、現在まで続けています。
ちなみにジャイアンの歴代声優について、初代のジャイアンの声優は肝付兼太さんで、1973年に日テレ版『ドラえもん』の1作目でその役を担当しました。
次に、2代目の声優はたてかべ和也さん、そして現在の3代目は木村昴さんです。
「ジャイアン(剛田武)」の歴代声優 【初代】肝付兼太 【2代目】たてかべ和也 【3代目】木村昴 【初代】肝付兼太(1973年) 1973年、日テレ版『ドラえもん』1作目で初代・ジャイアンの声優を務めたのは肝付兼太(きもつきかねた)さんです。 肝付さんといえば、『ドラえもん』では2代目・スネ夫の声優という印象が強いですが、1作目ではジャイアンを演じていたと知って驚く人も多いでしょう。
【引用元:マイナビニュース】
んでもってスネ夫役も肝付兼太は二代目(初代は八代駿)で関&木村は三代目でー。#声優総選挙 pic.twitter.com/ftufqk59Fw
— とこ (@szToKo) January 9, 2017
木村昴の高校に初代ジャイアンが文化祭で毎年リサイタル!?
木村昴さんは2006年4月に東京都立晴海総合高等学校に入学しました。
晴海総合高校では、英語以外にもフランス語、スペイン語、ドイツ語、中国語などの外国語の授業を選択することができ、木村昴さんはドイツ生まれで、ドイツ語や英語が話せるので、この学校を選んだのかもしれません。
木村昴さんは上述のように『ドラえもん』のジャイアン役を務めていたため、AO入試に応募し、一芸としてジャイアンの声を披露しました。
しかし、まさかの不合格となり、木村昴さんは1か月間必死に勉強し、一般受験で晴海総合高校に合格し、高校生活をスタートさせることができました。
僕、高校が特殊なところだったんで、AO入試という、推薦で入れるシステムがあったんですよ。そこで、一芸を披露する場があったんですけど、僕そこで思いっきりジャイアンをやったんですよ(笑)「俺ジャイアンだぜ!」感をめっちゃ出しまして。そしたらまさかの落ちたんですよ(笑)ジャイアンでお落ちるとは思ってなくて、、、そこから1ヶ月必死に勉強して、筆記で何とか入れましたね。
【引用元:エキサイトニュース】
高校時代、木村昴さんは声優としての活動が忙しく、部活動には参加していませんでしたが、文化祭には特別な思い出があります。
ジャイアンの初代声優であるたてかべ和也さんが毎年文化祭に遊びに来てくれたり、体育館でリサイタルを行ってくれ、木村昴さんにとって大変嬉しい出来事でした。
先代ジャイアンのたてかべ和也さんは当時67才で最年長。いつも気にかけてくださり、高校がたてかべさんの家のすぐ近くだったので、体育祭と文化祭に3年間来てくれました。 ある日、学食が騒がしいなと思ったら、たてかべさんがなぜかいて、「♪オ~レはジャイア~ン」ってリサイタルをして生徒からの喝采を浴びていたり(笑い)。おかげでめちゃめちゃ鼻が高かったです!
【引用元:NEWSポストセブン】
また、木村昴さんの実家には高校時代に初めてテレビが設置されました。
ちなみに中学に始めたラップは、高校時代には仲間たちとラップやダンスをして遊び、自らを「ラップ馬鹿」と称するほどラップに夢中になっていたそうです。
高校卒業後に「天才劇団バカバッカ」という劇団を旗揚げ!?
木村昴さんは高校卒業後、2009年4月東京にある亜細亜大学に進学しましたが、どの学部に入ったかは明かされていません。
ただ声優や俳優としての仕事が忙しく、大学との両立が難しくなったようで最終的には大学を中退しています。
一方、木村昴さんは高校卒業した翌日、「天才劇団バカバッカ」という劇団を旗揚げしました。
「すべては笑っていただきたい一心」という気持ちで、パワフルでドタバタコメディを上演している注目の劇団です。
なお木村昴さんは声優として『ドラえもん』のジャイアン役だけでなく、他の作品にも出演するようになり、2011年には『輪るピングドラム』で初めてジャイアン以外のキャラクターを演じました。
2019年からは「掌幻と昴」というユニットをラッパーの掌幻さんと結成し、ラッパーとしての活動も開始し、音楽活動でも多くのファンを魅了しています。
ラッパーの掌幻と共にこれから 掌幻と昴 として本格的に音楽活動をしていきます。ご注目いただければ幸いです。よろしくお願いします! pic.twitter.com/79Vx6zH0ar
— 木村昴 (@GiantSUBAru) March 23, 2019
木村昴の父親はドイツ人のオペラ歌手で親子共演あり!?
木村昴の父親はドイツ人のオペラ歌手!!
木村昴さんの父親はヨズア・バルチュ(Josua Bartsch)さんといいます。
1965年7月3日にドイツのライプチヒで生まれました。
もともと、ヨズア・バルチュさんはドイツでオペラ歌手として活躍していました。
ヨズア・バルチュさんは、ライプツィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ音楽大学を卒業し、その後「歌手国家試験」という難関試験に合格しました。
【学歴・取得学位】 1987~1991年 ライプツィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ音楽大学にて声楽・音楽史・歌唱発声法等を学び、同大学卒業。歌手国家試験に合格
【引用元:武蔵野音楽大学】
その後、木村昴さんの父親であるヨズア・バルチュさんはライプツィヒ歌劇場でオペラ歌手として活動し、さらに、オランダの放送局や中部ドイツ放送のラジオやテレビ番組にも出演しました。
木村昴と父親は親子共演したことがあった!?
1997年にヨズア・バルチュさんは日本に移り住み、その後、中央大学や早稲田大学、武蔵野音楽大学などの大学でドイツ語の講師として働くようになりました。
現在、ヨズア・バルチュさんは武蔵野音楽大学の准教授として、ドイツ語や発音法などを教えています。
また、NHKのテレビやラジオのドイツ語講座に講師や歌手として出演したこともあり、木村昴さんがナレーションを務める番組で、親子共演を果たしたこともあります。
この春からの新しいドイツ語講座でナレーションを担当させて頂いております!そしてなんと、スタジオの講師には父親のヨズアも出演をしています(笑) まさかの親子共演。良ければ是非見てください! pic.twitter.com/wLpC8UpCTu
— 木村昴 (@GiantSUBAru) April 8, 2013
木村昴の父親の愛車はポルシェとハーレー!!
木村昴さんの父親であるヨズア・バルチュさんは、とても豪快な性格の持ち主で、ロック音楽が大好きで、車やバイクにも熱中していました。
特にポルシェやハーレーダビッドソンに乗っていたそうで、木村昴さんも明るくて豪快な性格を持っていることから、父親の影響を受けているかもしれません。
木村昴の母親は木村克美で声楽家のシングルマザー!!
木村昴の母親は声楽家のシングルマザー!
木村昴さんの母親は日本人の木村克美さんといいます。
声楽家として活躍し、ドイツの聖トーマス教会でソリスト(独唱者)として歌っていました。
◡̈ HAPPY MOTHER’S DAY ◡̈
母の最強さを再確認する大切な日 pic.twitter.com/sc0xj44vvw— 木村昴 (@GiantSUBAru) May 10, 2015
木村昴さんの母親は、木村昴さんが4歳の時からバイオリンを習わせるなど、音楽教育にとても力を入れ、木村昴さんが新しいことを始めるときは応援し、背中を押してくれる存在でした。
上述のように、木村昴さんが7歳の時、日本に移住し、その後時期は不明ですが離婚し、シングルマザーとして二人の子供を育てました。
木村昴の母親は息子の一番の味方!!
木村昴さんが小学校の時、授業中ノートに絵を描いていたことで先生に怒られ、放課後、木村昴さんの母親が呼び出されました。
母親は呼び出された理由を伝えられ、木村昴さんは叱られると思っていましたが、母親は絵を見て「上手ね」と褒め、先生は拍子抜けしたそうです。
木村昴さんも「すごい救われた。ふっと心が軽くなって、味方でいてくれるというか」と言われています。
それは小学生の時に木村は「子供の頃から絵を描くのが好きで」と授業中にも関わらず、ノートには絵を描いていた。 また、その絵は「なぜか、おっぱいの絵ばかり描いていた」と明かした。これに教師からは「またか…」と怒られ、放課後に母親を呼び出されることになった。母親が学校に到着し、呼び出された理由を伝えられ、木村は叱られることを覚悟した。 だが、母親の第一声は「上手ね」と褒め言葉だった。この一言に教師も拍子抜けした様子。この一言に木村は「すごい救われた。ふっと心が軽くなって、味方でいてくれるというか」と振り返った。
【引用元:スポニチ】
またある日、木村昴さんは母親と妹と一緒に電車の座席に座っていて、電車が混んできた時、木村昴さんの前に立っていた男性が心ない言葉をかけてきました。
木村昴さんはその男性から「外国人のチビが何偉そうに座ってんだよ」と言われ、木村昴さんはうつむくことしかできませんでした。
しかし、木村昴さんの母親はその言葉が許せずにとても怒り、電車が駅に止まって扉が開いたときに、母親はその男性を引きずり降ろしました。
母親は、その男性が謝るまで絶対に許しませんでした。
特に印象に残っているエピソードとして、木村は、母と妹と3人で電車の座席に座っていたときのことを話した。「結構混みあってきて、その時に僕の前に立っていたおじちゃんが心ない言葉を掛けてくるわけですよ」と切り出した木村は、目の前に立っていた男性から「「外国人のチビがなに偉そうに座ってんだよ」と言われたと回顧。 この出来事に対し、木村はうつむくことしかできなかったが、「母親はそれが許せなかったみたいで激昂したんです」「電車が(駅で)止まって扉が開いたときに、そのおじちゃんを引きずり降ろして」と、当時の様子を語った。木村の母は、その男性の理不尽極まりない言葉を、相手が謝るまで絶対に許さなかったという。
【引用元:gooニュース】
木村昴の母親は息子の彼女の帰り際に塩をまいた?
木村昴さんの母親は木村昴さんの彼女に厳しいようで、ある日、初めて彼女を家に連れて行き、彼女が帰るとき木村昴さんは「シャーッ」という音が聞こえたそうです。
何だろうと思いつつ彼女を見送り、家に戻って玄関を開けると玄関が塩だらけで、あの音は母親が塩をまいている音だったのです。
木村は「僕の母の事なんですけど、彼女選びに厳しいというか、彼女に厳しくて…」と告白。 続けて「過去に彼女ができて家に初めて連れて行って、彼女が帰るとき『送ってくるわ』ってなったんですよ。それで玄関の扉を締めたら“シャーッ”って音が聞こえたんです。何かなとは思ったけどとりあえず彼女を見送った」と当時の状況を説明した。 しかし「帰って来て玄関開けたら塩まみれだった」といい、扉を締めた際に聞いた“謎の音”の正体は母が塩をまく音だったという。
【引用元:スポニチ】
そんな木村昴さんの彼女に厳しい母親ですが、とても豪快な人で、木村昴さんが小学6年生のときに3万円を渡し、「使い切るまで帰ってこなくていいよ」と言ったこともあります。
これは僕の持論なのですが、クラシックをやっている人は独特な世界観を持っている人が多いなと感じます。というのも、僕が小学校6年生の時、突然母から3万円渡されて「使い切るまで帰ってこなくていいよ」っていわれたこともありまして。
【引用元:マイナビニュース】
その渡されたお金で、電車に乗り、三浦半島に行き、ユースホステルに2泊3日でどうにか使い切ったとのことです。
結局そのお金は、電車で三浦半島に行ってユースホステルに2泊3日してどうにか使い切りましたね。本当は1泊で別のところにいくつもりでしたが、大学生のチアリーディング部が宿泊していたので、もう1泊しました(笑)
【引用元:マイナビニュース】
なお木村昴さんは、母親の木村克美さんについて「ジャイアンのお母さんを想像していただけたら」といい、「一番の味方でいてくれるお母さんでした」とも言っています。
自身の母親について「めっちゃ怒りますよ。めっちゃ怖かったですよ。ジャイアンのお母さんを想像していただけたら」としつつも「一番の味方でいてくれるお母さんでした」と振り返った。
【引用元:スポニチ】
木村昴の妹は木村飛鳥で年齢は?ニューヨークのミュージカル俳優?
木村昴の妹は木村飛鳥で年齢は?交通事故にも負けず舞台で活動!
木村昴さんの妹は木村飛鳥さんといい、木村昴さんの6歳年下で1996年9月5日生まれの27歳(2024年7月現在)です。
It’s my birthday!!!🤩
たくさんの、本当に沢山のお祝いメッセージありがとうございます😊
24歳も自分らしく、ますます新しいことに挑戦して、そしてもっと自分を磨いていくぜー!!💫🤩 pic.twitter.com/GBPBcInyxs— Asuka Kimura/木村飛鳥 (@asuka_kimura_) September 5, 2020
妹の木村飛鳥さんは幼少期から子役劇団に入団し、木村昴さんの影響もあって演劇のレッスンを受け、高校も演劇が学べる東京芸能学園高等部に進学しました。
しかし高校卒業後に大きな事故に遭い、骨盤骨折で半年間入院することになりました。
医者からは歩けるようになるのが難しいと言われたそうですが、懸命なリハビリを続けて見事に復活しました。
車椅子乗れたぜイェ pic.twitter.com/vgMjm2TDGY
— 木村昴 (@GiantSUBAru) October 21, 2015
兄の木村昴さんは、妹が早く舞台に復帰できるように、自分が主宰する「天才劇団バカバッカ」の舞台で木村飛鳥さんが演じられる車椅子の役を作りました。
妹の木村飛鳥さんは、この経験を通じて、自分の居場所が舞台であると確信したそうです。
お兄ちゃん。
飛鳥の為に本当にいろいろありがとう。こんな事言うのは恥ずかしいけど、飛鳥のお兄ちゃんは最高のお兄ちゃんです✨
これからもよろしくね☺︎♪ pic.twitter.com/H9pwo3AnGy
— Asuka Kimura/木村飛鳥 (@asuka_kimura_) September 5, 2015
木村昴の妹はニューヨークに渡りミュージカル俳優に!
その後、木村飛鳥さんは「一度きりの人生、やりたいことをやりたい」という強い思いからニューヨークに渡り、現在はミュージカル俳優として活動しています。
また、木村飛鳥さんは日本で育ったため、平日の日中は語学学校で英語を勉強し、放課後にはボイスレッスンを受けています。
そして、歌手としても活動しており、2021年には自身で作曲した「PUZZLE」を公開しました。
PUZZLEが配信開始されました!
たくさんの人の背中が少しでも押せたら、そして自分への応援歌として書いた曲。
たくさんの人に聞いて頂きたいです!https://t.co/tRv5gMHPfg pic.twitter.com/AY0edLC9K6— Asuka Kimura/木村飛鳥 (@asuka_kimura_) December 10, 2021
木村昴と妹は仲良しでニューヨークに会いに行くことも!
木村飛鳥さんと木村昴さんはとても仲が良く、インスタグラムでは一緒に撮った写真を投稿したり、YouTubeではディズニーに行く様子を公開したりしています。
お兄ちゃんの誕生日ディズニー🐭 pic.twitter.com/IezzKiqxi7
— Asuka Kimura/木村飛鳥 (@asuka_kimura_) June 29, 2016
また、木村昴さんは、妹である木村飛鳥さんのことを非常に大切にしていて、仕事の合間を縫ってニューヨークに会いに行くこともあるそうです。
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木村飛鳥さんも、木村昴さんのことを「最大のライバルであり、最高の兄」とインタビューで話しています。
木村昴の父方の祖父は牧師で母方の祖母は「昴」の名付け親!
木村昴の父方の祖父は牧師!
木村昴さんの父方の祖父は牧師で「桃太郎よりも先にノアの箱舟や創世記を聞かされてきた」とのことで、キリスト教の考えを教えられたそうです。
そのような時に木村昴さんは日本の仏教の考え方を知り、価値観に衝撃を受けたといいます。
父方の祖父は牧師で、幼い頃から「桃太郎よりも先にノアの箱舟や創世記を聞かされてきた」。日本で仏教の価値観に触れ、衝撃を受けた。「キリスト教の考え方はわかりやすく言えば、いかに天国行きのチケットを手にするか。子ども心に『みんな天国に行っていたら、今めちゃくちゃ満員じゃね?』と思っていた。そんな時に仏教の輪廻転生という考え方を知って新鮮だった。次の人生もあると思えば、いま生きている間の心持ちにも余裕ができる」
【引用元:読売新聞】
木村昴の母方の祖父は大河ドラマファンで祖母は「昴」の名付け親!
木村昴さんが小学生の頃、祖父が大河ドラマが大好きで毎年欠かさず見ていて、祖父は関連書籍やその歴史の文献も並行して読みながら見ていたそうです。
大河ドラマへの思いを語ると、私が小学生の頃にさかのぼるんですけれども……。僕の祖父は大河ドラマが大好きだったんです。当然毎年欠かさず見ていましたし、関連書籍やその歴史の文献も並行して読みながら見るくらい、それはもう熱烈なファンだったんです。
【引用元:サライ.jp】
ちなみに、上述したように木村昴さんの「昴」を名付けたのは祖母です。
そして、木村昴さんのyoutubeに母方の祖母が出演して、この時、2022年6月で90歳とのことです。
#きむすばチャンネル 最新動画をアップしました!!リアルばあちゃん登場です!!
【すばるの部屋】 ゲストは初登場!本当のおばあちゃん https://t.co/Mdd8HKt1Jq @YouTubeより pic.twitter.com/FVjEVhsxAd
— 木村昴 (@GiantSUBAru) June 8, 2022
木村昴の家族構成まとめ
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家族 | 詳細 |
父親 | ドイツ人のオペラ歌手、ヨズア・バルチュ。ライプツィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ音楽大学卒業。現在は武蔵野音楽大学の准教授。 |
母親 | 日本人の声楽家、木村克美。ドイツの聖トーマス教会でソリストとして歌っていた。シングルマザーとして木村昴と妹を育てた。 |
本人 | 木村昴(スバル・サミュエル・バーチュ)。1990年6月29日生まれ。声優・俳優・ラッパー。14歳で『ドラえもん』のジャイアン役に抜擢。 |
妹 | 木村飛鳥。1996年9月5日生まれ。ニューヨーク在住のミュージカル俳優。幼少期から子役劇団に入団し、演劇を学ぶ。大きな事故から復活し、現在も舞台で活動。 |
父方の祖父 | 牧師。幼少期にノアの箱舟や創世記などキリスト教の考えを教えていた。 |
父方の祖母 | 情報なし |
母方の祖父 | 大河ドラマファンで、関連書籍や歴史文献を並行して読むほどの熱烈なファン。 |
母方の祖母 | 木村昴の「昴」を名付けた人物。2022年6月時点で90歳。木村昴のYouTubeに出演経験あり。 |