石破茂の家族構成や生い立ち!妻(佳子)は美人で慶応大学!娘も早稲田と東京理科大!

石破茂のアイキャッチ画像

この記事では、政治家の石破茂さんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介していきたいと思います。

石破茂さんの学生時代のエピソードや家族との関係、そして政治家として国会議員になるまでや家族についてもたっぷりとお届けします。

石破茂さんの軌跡を知ることで、石破茂さんの魅力やその背景に迫りたいと思います。

インコちゃん
この記事では、そんな石破茂さんの家族にスポットライトを当ててみました!
宗じい
石破茂さんがどんな学生時代を送ってきたのか気になるの〜。ワシの飼ってるインコちゃんと共に面白い記事をお届けします。

石破茂の家族構成!妻・長女・次女の4人家族

石破茂の家族構成は「本人・妻・長女・次女」の4人です。

本人:石破茂
妻:石破佳子。慶應義塾大学で石破茂と出会う。丸紅に就職も結婚後は石破茂を支える
長女:1987年生まれ。早稲田大学卒。東京電力勤務のキャリアウーマン
次女:1990年生まれ。東京理科大学卒。製薬会社で働いている。

 

インコちゃん
ひとまず、石破茂さんの家族構成がわかりましたね!家族を深掘りするためにも、まずは石破茂さんの生い立ちを見ていきましょう。
宗じい
石破茂さんがどんな幼少期を送って来たのか気になるのぉ〜。

石破茂の生い立ちや学歴!一目惚れから結婚まで8年の大恋愛!

石破茂 幼稚園時代【出典:FRIDAY】
石破茂 幼稚園時代【出典:FRIDAY
  • 名前(本名):石破茂いしばしげる
  • 生年月日:1957年(昭和32年)2月4
  • 身長:178㎝
  • 体重:85kg
  • 血液型:B型
  • 出身地:鳥取県八頭町やずちょう
  • 学歴:鳥取大学附属小学校→鳥取大学附属中学校(偏差値52)→慶應義塾高校(偏差値75)→慶應義塾大学法学部法律学科(偏差値68)

石破茂と父親の歳の差は48歳!

石破茂さんは、1957年2月4日東京都千代田区で生まれました。

父親は石破二郎さん、母親は和子さんという名前で、石破茂さんは3人兄弟の末っ子として育ちました。

石破茂さんが生まれた時、父親の二郎さんは48歳でした。

現在ではこの年齢で子どもが生まれるのは特に珍しくありませんが、当時の日本社会では少し珍しいことでした。

そのため、父親の石破二郎さんは年齢を気にして、石破茂さんが生まれた時も病院にあまり行きたがらず、父親の秘書が代理で病院へ出かけていたため、病院の人からは父親の秘書が父親と間違われていたこともあったそうです。

私は、1957年(昭和32年)2月4日、東京都千代田区で、父・二朗、母・和子の長男として生まれました。上に姉が2人います。私が生まれた時、父は建設事務次官で48歳、母は39歳でした。父の秘書を務めていた高岩迪資氏によれば、自分が高齢だということで父はあまり病院へ行きたがらず、高岩氏が代理で病院へ出かけていたことが多かったので、病院の人々から高岩氏が私の父親と間違えられることがあったそうです(『回想録石破二朗 追想篇』から)。

【引用元:PRESIDENT Online

インコちゃん
右が父親の石破次郎さんで、真ん中が石破茂さん、左が母親の石破和子さんですね
宗じい
たしかにかなり歳の離れた父と子に見えるから、恥ずかしかった気持ちもわかるが、自分の子供くらい病院に見に行ってもいいと思うんじゃがのう。。。

石破茂の名前は「金太郎」になるところだった!?

石破茂さんはインタビューで、「茂」という名前の由来について明かしています。

石破茂さんの父親は男の子が生まれたら名前を「金太郎」と名付けるつもりだったようです。

しかし石破茂さんの母親から「金太郎」という名前のせいで将来いじめにあうかもしれないと反対され、結果、元総理大臣・吉田茂の「茂」から名付けられたそうです。

なぜ「茂」と名付けたかについては、母から聞いたことがあります。父は男の子ができたのが嬉しくて、名前は相当前から決めていたのですが、それがなんと「金太郎」だったのだそうです。あの鉞まさかり担いだ金太郎さんです。それを聞いた母が「子どもが幼稚園や小学校に行って『ヤーイ、金太郎』なんていじめられたらどうするんですか」と血相を変えていさめたら、父はがっかりして、もうどうでもいいやと、吉田茂の茂をもらってきたんだそうです。父は政治家としては、吉田茂、佐藤栄作系ですから、不思議はありません。私も「石破栄作」よりは良かったような気もします。

【引用元:PRESIDENT Online

宗じい
石破金太郎も迫力ある名前じゃが、さすがに金太郎と名付けるのを反対する母親の気持ちもわかるわ

ちなみに、石破茂さんが生まれて間もなく、父親の石破二郎さんは鳥取県知事に就任し、これに伴って、家族は鳥取県に引っ越しています。

そのため、石破茂さんは東京都で生まれたものの、幼少期から鳥取県で生活を始めることになり、東京での幼少期の記憶はないそうです。

私が東京にいたのは1歳までで、記憶はありません。父が翌1958年に鳥取県知事に就任したので、鳥取県へ転居しました。

【引用元:PRESIDENT Online

石破茂の小学生時代は父の息子として勉強三昧!?

石破茂さんは、1963年4月に鳥取大学附属小学校(当時は鳥取大学学芸部附属小学校へ入学しました。

母親が教育熱心な家庭環境の中で育ち知事の子供として常に1番であること」を求められ、小学1年生の時から勉強をさせられたとインタビューで明かしています。

小学校は知事公邸から歩いて3分の鳥取大学学芸部附属小学校に通うことになりました。母の方針でしょう。教育意識の高い家庭の子供が多かったように思います。私に求められたのは「知事の子供として常に1番であること」です。1年生の時からとにかく勉強させられましたが、これはすごいプレッシャーでした。

【引用元:NEWS PICKS

小学生の頃には、特に偉人伝を好んで読んでおり、毎晩1時間ほどその朗読を続けていたといいます。

そのため学校生活では、石破茂さんは成績が非常に優秀だったようですが、学業だけでなく、興味の幅も広く、小学校時代からプラモデル作りが好きだったそうです。

大西:小さいころからそういう感じだったんですね。あと、プラモデルはご自分でもうずっと作って……。

石破:これは小学校のときからずっとやっていて、もうとにかく……。

【引用元:logmi Biz

石破茂の中学生時代は風紀委員長で嫌われる!?

石破茂さんは、1969年4月に鳥取大学附属中学校に入学しました。

インコちゃん
この中学校は1947年に開校した国立の中学校で、鳥取県内でもトップクラスの進学校として知られています

石破茂さんは、この中学校に進む前に系列の小学校に通っており、いわゆる「内部進学」で中学校に進学しました。

石破茂 中学時代【出典:西日本新聞】
石破茂 中学時代【出典:西日本新聞

当時の石破茂さんは、優等生として知られ、学級委員や生徒会の活動にも積極的に参加していました。

しかし、この時代は学生運動や安保闘争が盛んな時期でもあり、「反体制」のスローガンが流行していました。

石破茂さんの父親は当時鳥取県知事を務めており、石破茂さんに対する風当たりも強くなっていたようです。

それが影響したのか、石破茂さんが中学2年生のとき、生徒会副会長に立候補しましたが、残念ながら落選してしまったそうです。

ただ、中学2年の時に生徒会の副会長(会長は3年生)に立候補した時は、落選しました。当時は70年安保闘争、まだ学生運動が盛んな時代で、反権力的であることが格好いいという風潮がありました。知事という権力者の倅せがれということで疎まれたということもあったのかもしれません。

【引用元:PRESIDENT Online

宗じい
まさか将来の総理大臣が生徒会副会長に落選しているとは・・

さらに、石破茂さんは中学時代に風紀委員長も務めていましたが、その厳しい姿勢が原因で一部の同級生から反感を買うこともあったようです。

そこで別に居直ったわけではないのですが、風紀委員長というものになりました。これは志願した記憶はないので、割り当てだったんでしょうね。遅刻してはいけませんとか、下校時刻は守りましょうとか、ビシバシ取り締まる。それで横暴だとか言われると、クラスに乗り込んで行って、生徒会規則の条項を挙げて、こういう規則に違反するんだと滔々と述べる。ますます嫌われましたね。

【引用元:PRESIDENT Online

なお石破茂さんの母親は、「知事の息子が県立高校に通うのは好ましくない」という考えを持っていました。

母親自身が知事の娘として県立高校に通い、周囲から特別扱いされ、嫌な思いをした経験があったため、同じ境遇に息子を置きたくなかったとのことです。

そのため、高校の進学先として石破茂さんは県内の高校ではなく、東京の有名高校を考え始めます。

しかし、当時の規則では、親が首都圏に住んでいないと受験できない学校が多く、結局消去法で慶應義塾高校を選ぶことになったようです。

この決断に対して石破茂さんの父親はがっかりしたようですが、最終的には母親の意見が通り、15歳で東京に一人で出てくることになったことをインタビューで明かしています。

知事の息子が県立高に行くのはあまりよくない、という思いが母にはあったらしい。彼女自身が知事の娘として県立高に行き、教師からも友人からも特別視され、嫌な思いをしたんだそうです。だから、自分の子には同じ目には遭わせたくないと思ったのでしょう。私も当時田舎の中学生ですから、灘だの麻布だのはよくわからない。過去問集を見ると難しそうだし、そういうところに行こうとは全く思わなかった。東京教育大(現・筑波大)附属駒場高校とか学芸大附属みたいなところを受けようかなと思ったら、当時は親が首都圏にいないと受けさせてもらえなかった。それで結局消去法で慶應くらいしか残らなかったんです。父はすごくがっかりしたようですが、まあ母の意見が通って15歳で東京に一人で出てくることになりました。

【引用元:現代ビジネス

宗じい
親からの期待も大きいし、知事の息子という目立つ立場もあって中学時代は大変だったんじゃろうのう。。。

石破茂の高校時代は慶應義塾高校に通うために東京に一人上京!

石破茂さんは1972年4月に慶應義塾高校に入学しました。

インコちゃん
この高校は1950年に開校し、慶應義塾大学の系列にあたる高校で、自由な校風で知られており、卒業生の多くがそのまま慶應義塾大学に進学します

同じ学年にはトヨタ自動車の会長である豊田章男さんがいましたが、当時はそのことを知らなかったそうです。

また、後輩には政治家の石原伸晃さん、同じクラスには作家でコラムニストの泉麻人さんという有名人がいました。

インコちゃん
泉麻人さんの本名は朝井泉さんですね。お二人は高校時代からお互い苗字で呼び捨てできる親しい間柄だったのでしょうね

また、泉麻人さんの父親が担任の先生で数学を教えていたそうですが、石破茂さん自身は理系科目はあまり得意ではなかったとのことです。

慶應義塾高校は、1学年900人もいるすごいマンモス校です。同級生全体を把握するのが難しいくらい。トヨタ自動車の豊田章男さんが同級生だったと後になって知りましたが、当時は全くわかりませんでした。石原伸晃さんが1年下にいて、泉麻人さんは同じクラスでした。担任の先生が泉さんのお父さんでしたね。数学の先生で。

【引用元:現代ビジネス

ちなみに部活動はゴルフ部に所属していたそうで、毎日ゴルフ部での練習に明け暮れ、授業中は寝て過ごすことが多かったようですが、怒られた記憶がないとのことです。

――塾高時代の学内文化で印象に残っていることはありますか。

当時の塾高は1クラス50人で、それが18クラスありました。もうとにかく日本で一番ひどい学校なんじゃないかと思うくらいの放任。特に体育会に入っている生徒なんかはほぼ放置で、私も体育会ゴルフ部に所属していて、日々練習ばっかり行って授業中はずっと寝ていたけど、怒られた記憶はない。ただ授業のレベル自体はとても高いから、その気になって受ければ楽しい。全てが自由な学校だから面白かったです。

【引用元:慶應塾生新聞

宗じい
宗じいは高校時代怒られた記憶しかないわい・・

石破茂の高校時代はキャンディーズの大ファン!

当時から石破茂さんはアイドルグループ「キャンディーズ」の大ファンだったようです。

特に藤村美樹さんがお気に入りで、キャンディーズが出ている車内吊り広告を失敬したこともあるようです。

キャンディーズ
キャンディーズ (左端が藤村美樹)【出典:ソニーミュージック

また、石破茂さんはキャンディーズの全シングル17曲の歌詞を覚えているそうで、歌詞も見ないで歌えると自信を持って話しています。

異性関係不毛の男子高校生にとってテレビで見る同年代の可愛い女の子は憧れでしたから。私の好みは、美人で控えめで芯の強そうなミキちゃん。もう時効だと思うので白状すると、同級生の悪童何人かで、キャンディーズが出ている広告の車内吊りを失敬したことがありました。家に持ち帰っていないので私は主犯格ではありません(笑)。彼女たちは青春の象徴ですね。同年代の議員仲間と年に2回ぐらいカラオケに行くと、歌うのはやはりキャンディーズが中心。私はシングル全曲をそらで歌えます。天国にいるスーちゃんも含め彼女たちに会えたら、「一緒に歌いましょうよ」と言いたいですね。

【引用元:NEWSポストセブン

勉強に関しては、石破茂さんは国語が得意で、特に漢文や古文では学年のトップを誇っていたようです。

その一方で、数学や物理などの理系科目は苦手だったそうです。

宗じい
ワシは得意な科目なんてないから、赤点だらけじゃったわい。。。

石破茂の大学時代は全日本学生法律討論会で1位!

石破茂さんは、1975年4月に慶應義塾大学法学部法律学科に入学しました。

実は最初、石破茂さんは経済学部に進学したいと考えていたそうです。

しかし、数字を見ると頭が痛くなってしまうという理由から、経済学部では自分に向いていないと感じ、最終的に法学部を選んだそうです。

また、高校3年生の夏休みには進路に悩み、地元の鳥取に帰省した際に、たまたま書店で手に取った「法学セミナー」という雑誌がきっかけで、法学に強い興味を抱き、それも法学部への進学を後押ししたそうです。

経済学部に行ったとしても、数字を見ると頭が痛くなるのではどうしても長続きしないだろう。近代経済学にせよ数量経済学にせよ、数式や計算なしにはすまない、という感じでしたから。高3の夏休みに、結構進路に悩みまして、鳥取に帰った。本屋に寄ったら、たまたま司法試験の受験雑誌があった。今でもある「法学セミナー」というやつですが、その8月号が司法試験受験特集なので、その年の試験の解説みたいなのがあって、刑法の問題を読んでいるうちに、それが滅茶苦茶面白くなって、自分が生きる世界はこれだ、と思い、そこからは迷うことなく法学部法律学科を選びました。

【引用元:現代ビジネス

また、大学時代は勉学にも非常に熱心で、「律法会」という法律研究サークルに所属していました。

このサークル活動を通じて法律の勉強をさらに深め、弁護士になることも一時は考えていたようですが、最終的にはサラリーマン志望に進路を変更しました。

なお大学2年生の時、石破茂さんは全日本学生法律討論会で1位を獲得し、その討論能力が評価されました。

インコちゃん
すでにこの頃から、言葉を操る力が優れていたのですね

石破茂の大学時代はカレー三昧でキャンディーズの追っかけ?

慶應義塾大学では、4年間を通して石破茂さんはカレーを好んで食べ続けたそうです。

石破茂さん本人が「昭和はカレーとともにあった」というほど、カレーに対する強い愛着を持っていたことがうかがえます。

大学時代の4年間はほとんどカレーを食べ続けていたしね。昭和はカレーとともにありました。

【引用元:ENTAMEnext

また、大学時代には多趣味な一面もあり、プラモデル、アイドル、自動車、軍事、飛行機など、さまざまなことに興味を抱いていたようです。

石破茂さんは、特にアイドルではキャンディーズや河合奈保子さんの大ファンでした。

河合奈保子
河合奈保子 【出典:日本コロムビア

ちなみに石破茂さんはキャンディーズのファンクラブに入会し、バスツアーにも参加したことがあるほどの熱心さだったようです。

宗じい
宗じいもバスツアーに参加しとったから、石破さんと一緒にバスに乗っていた可能性もあるのぉ

石破茂の大学時代は佳子夫人に一目惚れ!?

大学時代のもう一つの大きな出来事として、後に結婚することになる佳子夫人との出会いがあります。

石破茂さんは、佳子夫人と同じドイツ語のクラスで出会い、共通の授業が多かったことから友人として親しくなったそうです。

図書館で初めて佳子夫人を見たとき、石破茂さんは「こんなに美しい女性がいるのか」と感じ、一目惚れしたそうです。

大学に入学したての頃、彼女はD組、私はF組で同じドイツ語クラス。必修であった憲法や民法の授業は、語学専攻ごとに分かれていましたので共通の授業がやたらと多かった。一目見て、こんなきれいな女性がいるのかと本気で思いました。それはもう、感動に近いものがありました。

【引用元:現代ビジネス

しかし、大学時代は友人関係にとどまり、特別な進展はありませんでした。

石破茂の大学時代は告白するも玉砕し銀行就職へ!

大学卒業の直前、1979年3月に行われた卒業謝恩会の帰り道、石破茂さんは佳子夫人に「結婚を前提に付き合ってほしい」と告白したそうです。

しかし、佳子夫人はこの時、石破茂さんの告白を断りました

その理由として、佳子夫人は石破茂さんが安定した道を選んで結婚を目指す姿勢を見せていたことがあり、石破茂さんにやりたいことを諦めてほしくないと感じたからだそうですが、大学卒業後、石破茂さんは三井銀行に就職しました。

この選択も、佳子夫人との結婚を夢見てのことだったと後に語っています。

しかし、告白を断られたことで、その選択に一時は疑問を感じたこともあったとインタビューで振り返っています。

卒業年次の79年3月に卒業謝恩会なるものがあり、その帰り道に意を決して、おずおずと「結婚を前提につきあってもらえませんでしょうか」と告白しました。しかしこの時は、ものの見事に断られてしまったのです。実は、三井銀行を選んだ理由の一つは彼女と結婚することを夢に描いたからでもありました。安定した就職先だったら、いいと思ってもらえるんじゃないかと。だから交際を断られて、何のために三井銀行に入ったんだろう、と思ったりしたわけです。

【引用元:現代ビジネス

インコちゃん
石破茂さんの大学時代は、法律への情熱、さまざまな趣味、多くの出会いが詰まった充実した4年間だったことがうかがえますね

石破茂の入社当時は銀行入社もお札を数えるのすら苦手!?

石破茂さんは1979年3月に慶應義塾大学を卒業しました。

石破茂さんは当時、本を読むことや文章を書くことが好きで、ジャーナリストに憧れていたそうです。

ただ父親からは「ジャーナリストは人を批判するだけの仕事だ」として反対され、鉄道好きだった石破茂さんが国鉄での就職を提案すると、父親は「あれはそのうち潰れる」と一蹴したそうです。

そして結局、父親の薦めで石破茂さんは上述のように三井銀行(現在の三井住友銀行)に入社します。

卒業前に父から、政治家になるつもりはあるのか、と聞かれたことがあります。絶対にやらない、と答えた私に父はこう言いました。「そうだろうな。お前みたいに人のいい奴につとまる仕事じゃない。お前は、俺と違って、苦労していない。政治家になっても、大成しないだろうな」その頃の私は、新聞記者に憧れていました。本を読むのも、文章を書くのも好きだったからです。しかし、「ジャーナリストは人を批判してばかりいる仕事」と考えている父に猛反発を食らいます。それでは国鉄はどうか。鉄道好きだったのでそう言ってみると「あれは、そのうち潰れる」という理由で却下。結局、あれこれ話し合った結果、銀行を薦められました。

【引用元:デイリー新潮

石破茂さんは日本橋本町支店に配属され、当初はお札を数えることすら苦手だったといいます。

銀行での仕事を覚えるため、石破茂さんは毎朝7時半には出社し、夜遅くまで残業していたそうです。

時には午後11時を過ぎるまで働くこともあり、非常に忙しい日々を送っていたとのことです。

そんなことがあり、その年、私は三井銀行(当時)に入行し、日本橋本町支店に配属されます。入った当初は、お札の勘定すらおぼつかず、仕事を身につけるために朝7時半に職場に入り、夜は残業につぐ残業という日々でした。午後11時よりも早く帰った記憶がありません。

【引用元:デイリー新潮

石破茂は父親の死がきっかけで結婚と政治家の道へ?

就職してから約3年半後の1981年9月に、石破茂さんの父親が亡くなりました。

父親の死をきっかけに、田中角栄元首相から「おまえが(父の後を)継げ」と声をかけられ、石破茂さんは政界入りを決意します。

この時、石破茂さんは24歳でした。

また、父親の訃報をきっかけに、大学時代の友人である佳子さんとの連絡が復活し、その後結婚へとつながります。

佳子さんは石破茂さんの父の死を知って弔電を送り、それに対する感謝の電話がきっかけで再び親しくなったことを石破茂さんがインタビューで語っています。

彼女とはその後、連絡も途絶えていたのですが、不思議なことにこれも父の死がきっかけで復活したのです。父の訃報が新聞にも出て、それを知った彼女が弔電を送ってくれたんですね。それを機に彼女に「電報くれてありがとう」と電話したことからまたやりとりをするようになりました。

【引用元:現代ビジネス

1983年、石破茂さんは三井銀行を退職し、田中角栄元首相が率いる木曜クラブの事務局に勤務し、政治家としての道を歩み始めます。

そして同年の1983年9月、石破茂さんは佳子さんと結婚しました。

宗じい
一度は振られたが、そこから結婚できた石破さんは恋愛上手なんじゃな♪

この頃、石破茂にとって人生が大きく変わる2年間だったとインタビューで振り返っています。

田中先生に会って政治家への道を決意、三井銀行をやめ、政治家予備軍として木曜クラブの事務局入りしたのが83年3月、そしてその年の9月22日に結婚式を挙げることになりました。私の人生の中で運命が急転換する2年間だったと言えます。

【引用元:現代ビジネス

1986年、石破茂は第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取県全県区から出馬します。

得票数では4位、定数4の中では最下位でしたが、見事に初当選を果たしました。

この時、石破茂さんは29歳で、全国最年少の国会議員となりました。

その後、石破茂さんは一度自民党を離党して新進党に参加するものの、再び自民党に復党し、党内で要職を歴任していきました。

そして2024年9月、石破茂は自由民主党の総裁に選出され、総理大臣として活躍しています。

インコちゃん
ここからは、石破茂さんの家族がどんな人なのかをそれぞれご紹介します。
宗じい
なんだかんだあったも大恋愛で結婚できてよかったのう〜。あんな美人の奥さんいて、羨ましすぎるわい!

石破茂の妻は石破佳子!美人で学歴もすごかった!

石破茂 妻

石破茂の妻は石破佳子でお嬢様育ちで慶應大学卒業!

石破茂さんの妻は、石破佳子よしこさんです。

インコちゃん
旧姓は中村佳子さんといいます

石破佳子さんは、1956年8月26日東京生まれの68歳(2024年10月現在)です。

石破茂の妻(佳子)30歳頃
石破茂の妻(佳子)30歳頃

石破佳子さんの父親は東京電力とその関連会社である昭和電工の取締役を務めており、恵まれた家庭環境で育ちました。

石破佳子さんは中学校と高校は名門の女子学院に通い、その後、慶應義塾大学法学部法律学科に進学しています。

インコちゃん
女子学院は偏差値69で、高校は生徒を募集していない完全中高一貫校の名門女子校です

大学ではディベートや法律研究会に参加するなど、学業だけでなく課外活動にも積極的に取り組んでいたそうです。

石破茂と妻のなれそめは慶應大学での出会いからも当時の印象は・・

石破茂さんと出会ったのは、この大学時代のことです。

二人は同じ学年で、大学1年生の時に出会ったそうです。


石破茂さんは佳子さんと仲良くなろうと、得意科目であった「刑法」で予想試験問題を作成し、佳子さんにも渡したそうですが、在学中はそれ以上に仲良くなることができなかったそうです。

妻の佳子さんはインタビューで、大学生時代に石破茂さんが開いていた試験対策のための勉強会サークルに参加し、石破茂さんと出会ったことを明かしていますが、当時はあまり印象が良くなかったことを明かしています。

「当時、夫は学期末試験対策の勉強会サークル『石破のヤマかけ講座』を開いていました。友人に誘われて、私がそこに参加したのが、最初に話をしたきっかけです。その時、私の出身高校を知っていて、“ぼくの2人の姉も同じ高校の出身だ”という話をされたのですが、言い方が気になって、あまり第一印象はよくなくて…(笑い)。

【引用元:NEWSポストセブン

石破茂は妻に一度交際を断られるも結婚へ!

大学卒業後、佳子さんは総合商社の丸紅に就職しました。

卒業式の謝恩会で、石破茂さんは佳子さんに結婚を前提とした交際を申し込んだものの、佳子さんは弁護士になるために法律学科に入ったのに、結婚したいからといって、やりたいことを諦めるのは、やめてほしいという気持ちから石破茂さんの申し出を断わったそうです。

「当時、彼は銀行への就職が決まっていました。告白されたとき、“学者や弁護士を目指していたけど、君と結婚するために、安定した道を選ぶよ”と言いたげな雰囲気を感じたんです。当時は女性への社会の門戸は狭く、就職しても一般職しかない時代。男性は何にでも挑戦できて羨ましかった。“結婚したいからといって、やりたいことを諦めるのは、やめてほしい”という気持ちから交際を断りました」

【引用元:NEWSポストセブン

この出来事をきっかけに、一時的に二人の関係は途絶えてしまいました。

ところが、約3年後、石破茂さんの父親が亡くなった時、佳子さんが弔電を送ったことがきっかけで再会し、そこから交際へ発展していったようです。

「駆け出しの銀行員だった彼は、『定期預金口座の新規開設』の営業ノルマがあったようなんです。それで私に“口座を作ってもらえないか”と連絡がきて、ランチをしました。今思い返せば、口実だったのかもしれません(笑い)。でも、学生時代から頼りになる人だったので、そうして会って仕事の悩みを話すうちに、打ち解けていきました」

【引用元:NEWSポストセブン

しかし、石破茂さん銀行を辞め政治家として出馬をすることになり、佳子さんに対して結婚の話は「辞めたければ辞めてくれてもいい」と言ったそうで、当時佳子さんはかなり困惑したことをインタビューで振り返っています。

「青天の霹靂でした。新聞に選挙の候補者として夫の名前が挙がり、銀行を辞めることになったんです。すぐに夫から説明の電話がありました。『そういうことになったけど、突然のことだし、結婚の話はやめたければやめてくれてもいいよ』と言われ…。政治のことはまるで知らなかったので、本当に悩みました」

【引用元:NEWSポストセブン

そして、政治の世界に全く馴染みのなかった佳子さんは、結婚について非常に迷ったそうです。

しかしその時、佳子さんの父親が「結婚相手を職業で選ぶのか、人物で選ぶのか」という言葉で背中を押してくれたことが、結婚を決意する大きな理由となったとのことです。

結婚すべきか、やめるべきか。悩む佳子さんに父親がこうアドバイスしたという。

「君は、結婚相手を『職業』で選ぶのか、『人物』で選ぶのか」

その一言で、佳子さんの気持ちは決まった。

【引用元:NEWSポストセブン

そして1983年9月、二人は結婚し、佳子さんは石破茂さんを支えるために丸紅を退職しました。

それからは、政治活動に専念する夫を陰から支える内助の功を果たしてきました。

結婚後、佳子さんは単に石破茂さんを支えるだけではなく、選挙活動や地元の住民との交流にも積極的に関わっています。

地元の人々からは、献身的な姿勢がとても評価されており、石破茂さん自身も、佳子さんに対して非常に感謝していることが伺えます。

石破茂は家庭内野党で妻には勝てず

しかし、ある時に、妻の佳子さんが石破茂さんに「あなたを政治家としては評価します。ですが、夫として父親としては評価できません」と言ったことがあるそうです。

私も妻と一緒になって37年になりますが、妻から「あなたは政治家としてはそれなりに評価しますけど、父親として、夫としてはまったく評価できません」とグサッと刺され、頭を抱えることもあります。

【引用元:婦人公論jp

これについて石破茂さんは、自分に全ての責任があると述べ、夫婦喧嘩では常に佳子さんの方が正しいと感じているそうです。

石破茂さんは、安全保障の専門家として「勝てない戦はしない」という考えを持っていますが、結婚生活においてもその哲学を生かし、夫婦の意見が食い違う時は早く仲直りするよう努めているそうです。

私は防衛大臣経験があり、安全保障は専門ですが、負ける戦はしてはいけません。妻と戦って勝てる確率は100%ありません。(笑)

中村 全面降伏ですね。

石破 それはやっぱり、家庭内紛争はないほうがいいですから。

【引用元:婦人公論.jp

石破茂の妻は「よっちゃん」で石破茂は政界一の愛妻家!?

石破茂さんの妻の佳子さんは、石破茂さんのことを「茂さん」と呼び、石破茂さんは妻の佳子さんのことを頼み事があるときだけ「よっちゃん」と呼んでいるそうです。

そして、石破茂さんは妻の佳子さんに「いつもありがとう」と声をかけてくれるとのことです、

「私は『茂さん』と呼び、夫は普段は私の名前を呼ぶことは少ないですが、何か頼みごとがあるときだけ『よっちゃん』と呼びます(笑い)。あまり会う時間がない分、何かあれば『いつもありがとう』と声もかけてくれます」

【引用元:NEWSポストセブン

また、石破茂さんは妻の佳子さんの誕生日や結婚記念日には、常にプレゼントを欠かさず渡しており、帰宅する前の連絡も欠かさず、休日はスーパーまで運転をしたりするそうです。

「夫は“外弁慶”なんでしょうね。外では厳しく言うこともありますが、家庭ではとにかく穏やかな人です。毎日、仕事帰りには“これから帰るよ”と電話をくれますし、休日はスーパーまで運転してくれ、私の誕生日にもプレゼントは欠かしません」

【引用元:NEWSポストセブン

妻の佳子さんについて、石破茂さんは「この人がいなければ、今の私はいない。」と話しています。

妻の佳子さんのこれまでの人生で見せてきたその献身的な姿勢は、今でも石破茂さんの大きな力となっているようです。

インコちゃん
石破茂さんはものすごい愛妻家なのですね!一目惚れしてから結婚に至るまでもドラマティックで素敵です!
宗じい
こんな美人で優しく気の利く奥様がいるなんて、羨ましすぎるわい。。。ワシも大恋愛して結婚したかったのう。。。

石破茂の娘(長女)は早稲田大卒で東京電力勤務!

石破茂 長女

石破茂の娘は2人で長女もエリートで早稲田卒!

石破茂さんの長女は、1987年生まれで、2024年10月時点で36〜37歳くらいです。

名前は残念ながら非公開のため不明です。

石破茂さんの長女は、中学校と高校の時期には、女子御三家と呼ばれる名門校の一つである女子学院に通っていました。

インコちゃん
この学校は、母親の佳子夫人や石破茂さんの姉も卒業した由緒ある学校で、学業に非常に力を入れていることで知られています

その後、石破茂さんの長女は一浪して早稲田大学の政治経済学部にAO入試で合格しています。

インコちゃん
AO入試というのは、ただ学力試験の点数だけで決まるわけではなく、石破茂の長女が高校時代にどれだけ努力してきたか、成績や活動、小論文、面接で評価される入試の制度です

大学時代は、広告研究会というクラブに参加していて、このクラブでは学生が広告制作に関わり、創造力やチームワークを発揮できる場として知られています。

石破茂の長女は東京電力勤務で結婚は?

そして2011年3月に早稲田大学を卒業し、同年4月には東京電力に入社しました。

東京電力に入社したことについて、石破茂さんのコネではないかという噂もあったようですが、石破茂さん本人は「娘が自分で決めたことだ」と語っているようです。

また、石破茂さんは2020年時点のインタビューで、長女がまだ独身であり、家族と一緒に都内の3LDKで同居していることを話していました。

娘2人とは都内の3LDKで同居していまして、長女が32歳、次女が29歳、どちらも会社勤めの社会人です。

【引用元:婦人公論.jp

同居のため、長女からも父親・石破茂さんについて世の中の人がどう思っているか意見が出ることもあるそうです。

娘からは、「お父さん、世の中の人はこう言っているよ」「私のまわりはこう言っているよ」と意見が出ます。

【引用元:婦人公論.jp

インコちゃん
ご両親がエリートですが、娘さんもかなりのエリートなのですね

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石破茂の家系図

石破茂の娘(次女)は東京理科大卒の研究者?薬剤師?

石破茂 次女

石破茂の次女は東京理科大卒で薬の研究者?

1990年に生まれた石破茂さんの次女は、現在34歳です(2024年10月時点)。

石破茂さんの次女の名前も残念ながら非公表のため不明です。

そんな石破茂さんの次女は、豊島岡学園中学・高校を卒業しています。

インコちゃん
この学校は「女子御三家」に並ぶほどの名門校で、進学校としても知られ、中学の偏差値は非常に高く70です

豊島岡学園は、学力が高いだけでなく、礼儀や教養も重んじる校風で、生徒たちは質の高い教育を受けます。

この環境で、石破茂さんの次女も充実した中高時代を過ごしたと思われます。

その後、石破茂さんの次女は東京理科大学に進学しています。

インコちゃん
東京理科大学は理系の大学として有名で、難関大学です。

石破茂さんの次女は東京理科大学の薬学部で学び、薬剤師の資格をとっており、卒業研究では、新薬の開発に関する研究に携わり、その研究は学内外でも高く評価されたとのことです。

石破茂の次女はエーザイ勤務!結婚は?

また大学卒業後の進路については、エーザイという製薬会社に入社して、薬の開発に携わっているそうです。

宗じい
フジテレビに入ったという噂もあったが、誤報のようじゃのぉ
インコちゃん
石破茂さんは政治家として有名ですが、次女のキャリアに関しては、表立った報道が少ないため、不確かな情報も含まれていることがあります。

さらに支えになっているのが、佳子夫人との間に生まれた2人の娘だ。「共に都内の偏差値70は下らない有名私立高校、私立大学を卒業後、それぞれインフラ企業と、研究機関に就職したといいます。石破家では“人の役に立つ仕事を選びなさい”というのが教育方針だったそうです。

【引用元:NEWSポストセブン

2020年には、石破茂さんと次女が同居しているという報道がありました。

そのため、その時点では次女が未婚である可能性が高いと考えられていますが、2024年現在は不明です。

インコちゃん
石破茂さんの次女は、学歴や経歴においても優秀な方ですが、詳細な情報はあまり公開されておらず、プライベートに関しても大きく取り上げられることは少ないようですね
宗じい
一般人じゃから仕方ないじゃろうが、総理大臣の娘ともなるとこれから注目を集めるかもしれんの

石破茂の家族構成まとめ!

 

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家族構成 説明
石破茂 1957年生まれの政治家。鳥取県出身。慶應義塾大学卒。1986年に衆議院議員初当選。自由民主党の要職を歴任し、現在総理大臣。
石破佳子。1957年生まれ。東京電力や丸紅に勤務していたキャリアウーマン。慶應義塾大学で石破茂と出会い、1983年に結婚。美人である。
長女 1987年生まれ。女子学院から早稲田大学政治経済学部卒。東京電力に就職。優秀な学歴を持つキャリアウーマン。
次女 1990年生まれ。豊島岡学園中学・高校から東京理科大学卒業。薬学部卒で製薬会社のエーザイで働いている。



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