この記事では伊原六花さんの、幼少期からの多彩な活動や家族との絆など、魅力的なエピソードを紹介しています。
伊原六花さんがどのような家庭環境で育ち、どのような経験を経て現在の姿に至ったのかを詳しくし知ることができます。
幼少期や学生時代、家族との関係について知ることで、伊原六花さんの素顔や魅力に一緒に迫っていきましょう!
目次
伊原六花の家族構成!父・母・姉・妹の5人家族
伊原六花の家族構成は「父親・母親・姉・本人・妹」の5人です。
母親:伊原六花の憧れの存在で、芸能界入りを後押し。光GENJIのファン?
次女:伊原六花本人
また、伊原六花さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
祖父(母方):和歌山で梅を作っていて、南紀白浜に別荘を持つ
伊原六花の生い立ちや学歴!バブリーダンスがきっかけで芸能界へ!
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- 名前:伊原六花
- 本名(旧芸名):林 沙耶
- 生年月日:1999年6月2日
- 身長:160㎝
- 体重:非公開
- 血液型:A型
- 出身地:大阪府狭山市
- 学歴:小学校不明→大阪狭山市立第三中学校→大阪府登美丘高校(偏差値58)
伊原六花の幼少期:姉に負けじとバレエを始める!?
伊原六花さんは1999年6月2日に大阪府狭山市で生まれましたが、幼い頃は身体が弱く、ぜんそくもあったため、走るだけで呼吸が荒くなることがよくあったそうです。
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それでも、伊原六花さんは好奇心旺盛で負けず嫌いな性格をしており、4歳からバレエを始めました。
きっかけは2歳年上の姉がバレエを習い始めたことで、伊原六花さんは「お姉ちゃんがやっていることは自分もできる」と言って始めたそうです。
伊原がバレエを始めたのは、2歳年長の姉がきっかけだった。 「お姉ちゃんがやっていることは自分もできるもん! と思っていました」 大好きな姉に追いつこうと背伸びしていた幼い日を想い、彼女は恥ずかしそうに笑った。
【引用元:Web Sportiva】
この頃から伊原六花さんは色々な習い事を始めていて、水泳や軟式テニスなどにも挑戦しており、本を読んだりお芝居をすることも好きだったようです。
伊原六花の小学生時代:子役として本名「林沙耶」で活動!
伊原六花さんは2006年に大阪狭山市内の公立小学校に入学しましたが、校名はわかっていません。
伊原六花さんは小学校2年生の頃からダンスを始めることになりましたが、そのきっかけは小学校2年生の時に観た、友達の先輩が出演するミュージカルで、興味を持ったことでした。
ダンスの世界への入り口が姉なら、ミュージカルを知るきっかけは友だちの先輩が立つステージを見に行ったことである。
【引用元:Web Sportiva】
そして、9歳だった2008年より2012年まで「子供ミュージカル」でダンスやコーラスのレッスンを受けるようになり、その際に、今までの習い事を全てやめて、コーラスとダンスのレッスンに集中しました。
ちなみに、子供の頃は本名の林沙耶という名前で子役として活動していて、初めて出演したミュージカル「青い鳥」や、その後出演した「星の王子さま」の話が好きだったようです。
「子どものころは『青い鳥』が大好きでした。初めて演じたミュージカルだったということもあり、とても印象に残っています。そのあとだと『星の王子さま』が好きでした。
【引用元:Web Sportiva】
「星の王子さま」にて、作家であるサン=テグジュペリの投影と言われるキャラクター「僕」を演じた伊原六花さんは、「大切なことは、目に見えない」というセリフが特に大好きになったそうです。
それもミュージカルでやったんです。わたしが演じた役は、作家のサン=テグジュペリの投影だと言われる”僕”。ものすごく難しい作品ですが、作中の言葉が大好きなんです。『大切なことは、目に見えない』とか。
【引用元:Web Sportiva】
なお、ダンスが得意な伊原六花さんですが、意外にもスポーツは苦手で運動神経はあまり良くないそうです。
伊原六花の中学時代はレッスンに片道1時間半かけ大阪から兵庫へ!
伊原六花さんは2012年に大阪狭山市立第三中学校に入学しました。
伊原六花さんは中学時代、部活動には参加せずに帰宅部として過ごしましたが、ダンススクールに通いながら3年間ダンスに打ち込んでいました。
それから、12歳の頃、劇団四季の元メンバーがワークショップのため地元のミュージカル教室を訪れた際に、舞台よりのジャズダンスを見せてくれたことで、ジャズダンスに興味を持ち、伊原六花さんは「これがやりたい」と思ったそうです。
決定的だったのが、劇団四季の元メンバーがワークショップのため、地元のミュージカル教室を訪れた時。「ちょうどジャズダンスにハマっていた時期に、その方が舞台寄りのジャズを見せてくれたんです。『これ好きだ。わたしがやりたいのはこれだ!』と思って、そこから、その方がいらっしゃる兵庫県のミュージカルクラブに通い始めました」
【引用元:Web Sportive】
その後、伊原六花さんは、ジャズダンスを見せてくれた人がいる兵庫県のミュージカルクラブに通い始め、放課後になると、一人で電車に乗って片道1時間半かけてレッスンに通う日々を送っていました。
放課後に1時間半ほどかけて、ひとりで西宮まで電車で通う日々は3年間近く続く。恵まれた環境で王道ミュージカルに触れた彼女は、バレエや声楽、シアタージャズなどの新たな要素を、スポンジが水を吸うように吸収していった。
【引用元:Web Sportive】
また、2012年には劇団アークスのミュージカル「ズボン船長」のオーディションに合格し、2015年まで生徒役やジョジョの姉役として出演していました。
中学1年生で自分を変えてくれた恩師に出会う!?
伊原六花さんは中学生の頃に恩師と呼べる人に出会い、その恩師である「松川泰拡先生」は中学1年生の時の担任で、初対面の印象は「ザ・熱血体育教師」でした。
当時の伊原六花さんは思春期で、生意気な生徒だったと自身で語っています。
家からすぐの中学校に進み、1年生の担任として出会ったのが松川泰拡先生。第一印象は「ザ・熱血体育教師」でした。
当時の私は、いわゆる思春期で、やりたくないことはやらないし、やりたいことは反対されてもやる。良くも悪くも白黒はっきりしていて、生意気だったと思います。
【引用元:讀賣新聞オンライン】
学校行事が大好きで、学級委員にも立候補する一方で、スカートの丈を短くしたり、化粧をしたり禁止されていることもしていたそうです。
学校行事が大好きで、クラスをまとめたいと学級委員に立候補。その一方で、スカートの丈を短くしたり、化粧をしたりと禁止されていることをしてしまっていた
【引用元:讀賣新聞オンライン】
しかし、恩師である松川泰拡先生はただ怒るのではなく、自分で問題に気づくためのヒントを与えてくれて、中学2年生や3年生で担任ではなかったのにも関わらず、伊原六花さんが悩んでいる時にはいつも声をかけてくれました。
松川先生はとことん向き合って指導してくれました。 頭ごなしに怒るのではなく、「自分だけよくていいの? みんなのことも考えないと」や「好き勝手していたらみんなからはどう見えるかな」など、私自身が気付くためのヒントをくれました。 2、3年は担任ではなかったのですが、悩んでいるときにはいつも気付いて、声をかけてくれました。
【引用元:讀賣新聞オンライン】
この指導を受け、伊原六花さんは自分の学校生活を見つめ直して、クラスメートとの関係性も変化し、周りを見て行動する大切さを理解するようになったそうです。
ある日、「卒業式で答辞を読みたい」と伝えると、「みんなが納得する答辞を読むには、まずあなたが行動し、変わらないと」と言われ、はっとしました。自分の学校生活を見つめ直し、生活態度や服装を変えていくとクラスメートとの関係性も変化していき、周りを見て行動する大切さを実感しました。
【引用元:讀賣新聞オンライン】
担任の紹介で進学先をダンスで有名な登美丘高校へ!
伊原六花さんは姉が通っている高校に進学を考えていましたが、進路相談の際に担任の先生から「ダンスが盛んな高校がある」と紹介されたのが登美丘高校でした。
「もともとわたしは、違う高校への進学を考えていたんです。学区が違ったので登美丘高校のことはまったく知らなかったし、姉のいる高校などを考えていました。ところが進路相談している時に、担任の先生が『ダンスが盛んな高校があるけれど』と紹介してくれたのが登美丘高校だったんです。
【引用元:Web Sportive】
そして、YouTubeで高校を検索し、ダンス部の動画を見た伊原六花さんは、その魅力に惹かれ登美丘高校に進学を決意しましたが、進学したいと思った時点では学力が足りませんでした。
そこで調べてみたら、YouTubeにダンス部の動画が上がっていて、それを見たらヒップホップやロックではなくてミュージカルっぽいダンスだったので、『これだ!』と思ったんです。
【引用元:Web Sportive】
しかし、伊原六花さんはもちまえの負けず嫌いを発揮し、勉強に励み、受験に合格することができました。
私自身、登美丘高校に行きたいと思った中学時代、その時点では学力的には全然足りなかったんです。でもメチャメチャ勉強して受験に受かった。ダンス部に入ってからも、努力で変わって来れた部分があります。
【引用元:ダンスク!】
伊原六花の高校時代はダンス漬けの日々で1日5食!?
伊原六花さんは2015年に大阪府登美丘高校に進学し、振付師のakaneさんが指導するダンス部に所属しました。
伊原六花さんは中学校で部活に入っていなかったため、登美丘高校のダンス部の練習は非常に厳しく感じたと話しています。
さらに伊原六花さんは入学当初、akaneコーチとの関係も良くなかったため、コーチに嫌われているのではないかと思っていたそうですが、しっかり話し合うことで良い関係を築くことができたと言います。
私は中学で部活に入ってなかったから、やっぱり最初は厳しいなと感じましたね。上の代の先輩たちがスゴかったので、私たちの代は最初はダメだと言われていました。人数も少なかったし、個性も強くて、コーチのakaneさんにも最初は嫌われているんじゃないかって関係も良くなかったんです。でも、しっかり話し合って、良い関係を築いて指導していただけました。
【引用元:ダンスク!】
そして、伊原六花さんにとって高校生活はダンス漬けの日々で、朝7時に家を出て朝練をし、授業の合間に早めにお弁当を食べ、昼休みも放課後もひたすらダンスの練習に打ち込んでいました。
このような猛練習をしていたため、間食も含めて部活動をしていた時は1日5食食べていたそうです。
部活で動いていたから、太るということはなかったんです。高校時代は1日5食くらいの生活でした。
【引用元:日本農業新聞】
また、伊原六花さんは高校時代、かすうどん屋でアルバイトをしていたこともあって、かすうどんが大好きになり、よく食べていたと言います。
当時は部活でダンスをしていたこともあり、まかないでうどん2玉に全トッピングをのせたかすうどんを出してくれていたみたいです。
高校の頃に、かすうどん屋さんでアルバイトをしていたんです。シンプルに時給が高かったからという理由でその店を選んだんですけど、働いてみると、そこのかすうどんがすごくおいしくて。まかないでいつも作ってもらうくらい大好きになっちゃいました。当時は部活(ダンス部)をしていたので、まかないでは「おなかすいてるやろ」と2玉に全トッピングをのせて出してもらったりしました。
【引用元:日本農業新聞】
なお、伊原六花さんは、どんなに辛くても、暑くても、疲れていても「ネガティブ」な言葉は発しなかったそうで、部活が終わっても大阪市狭山市にある狭山池に行って1人で練習していたそうです。
狭山池は伊原六花さんにとって秘密基地であり、嫌なことがあった時には友達と泣きながら自転車で走って行ったこともありました。
大阪で好きな場所を司会者から聞かれると「狭山池は学生のころからお世話になった。自分の中で秘密基地みたいなところがあって、そこで1人でダンスしたり、嫌なことがあったら友達と泣きながら自転車で何周もしたり。今日も行ってきたんですけど、いいなと思いますね」と明かした。
【引用元:OSAKA STYLE】
加えて、部活と勉強だけでも大変な高校生活の中、伊原六花さんは2015年から2017年まで、沖縄発祥の舞台芸能「現代版組踊」にも取り組んでいました。
高校3年生でダンス部キャプテンに!赤点は部活動停止?!
高校3年生になるとダンス部のキャプテンを務め、リーダーとして大切なことは「全員の意識や目標を揃えること」だと話し、上手くできない子には「もっとできる」と励ますようにしていたそうです。
リーダーとして大事なこと
全員の意識や目標を揃えることですね。しっかりやってるコは、やってないコに不満を持つし、やってないコはやってる「つもり」でも、まわりに伝わってないだけかもしれない。
できないコには「もっとできるよ!」って励ますようにしてます。アカネさんも努力して変わったコには気づいてますし……。「やればできる!」って言葉は、本当なんですよ!
【引用元:ダンスク!】
伊原六花さん自身、経験者と言う理由で少し調子にのっていた時期もあったそうで、2016年のダンスアライブに出場し、オーディションに落ちたことから悔しいと思い努力を重ね、その結果、次のオーディションでは受かることができ、自分が変われたことで周りへの対応も変わっていったと言います。
私自身、経験者だからちょっと調子に乗っている時期があって、ダンスアライブ出場(2016年)のオーディションに落ちた時があったんです。本当に悔しくて、死ぬほど努力して、そして次のオーディションには受かった。自分が変われた気がしました。
【引用元:ダンスク!】
なお、登美丘高校はダンスの大会に出場できる人数が100人中35人だったため、高校3年生でキャプテンに選ばれてからは絶対に選ばれなければならないというプレッシャーもあったそうです。
しかし、登美丘高校ダンス部は選抜メンバーに選ばれたとしてもテストで赤点を取ったら部活に参加できないため、赤点で部活ができないことが、他の部員に迷惑をかけると思い、ダンスのために勉強も頑張っていました。
―部活と勉強はどう両立していましたか?
いくら選抜メンバーに選ばれていても、テストで赤点を取ったら部活に参加できませんでした。赤点で部活ができないことは一番悔しいし、穴を空けてしまうのは他の部員にとって迷惑になってしまいます。私はダンスをしたいがために勉強をしていました。
【引用元:高校生新聞ONLINE】
私は最初は部長のポジションだったんですけど、それがあまりうまくいかくて、途中でキャプテンのコと交代したんです。キャプテンはいわゆるダンスリーダーですね。交代する時はけっこう揉めたんですけど、しっかり話し合って、みんな納得して、私も覚悟を決めてキャプテンを続けることができました。
【引用元:ダンスク!】
日本高校ダンス部選手権で披露したバブリーダンスで一躍有名に!
伊原六花さんは当初、ダンス部には「かっこいいダンス」を目指して入部したそうですが、次第に「見ている人を楽しませたい」という思いが強くなったそうで、高校3年生だった2017年に出場した日本高校ダンス部選手権では「バブリーダンス」を披露しました。
結果、登美丘高校は惜しくも三連覇は逃しましたが、準優勝を勝ち取り、このバブリーダンスで全国的に有名になって、ミュージックステーションなど様々な番組にも出演しました。
いよいよ明日💨22日(金)🌙夜7時~😎
ミュージックステーションⓂ️スーパーライブ🎄4時間完全生放送🎤
荻野目洋子✖︎大阪府立・登美丘高校ダンス部の大人気バブリーダンス💃一緒に踊って盛り上がろう🎉#Mステ#カウントダウン 💓#登美丘高校ダンス部#新作ダンス初公開 pic.twitter.com/45X3pnE3kJ— music station (@Mst_com) December 21, 2017
準優勝をした当時の気持ちを伊原六花さんは「毎日優勝することを目標に練習を頑張ってきて、ダンススタジアムでも優勝したかったため、お世話になった方、先輩、家族に申し訳ない」と語りました。
しかし、その後、動画やSNSで話題となり、色々な世代の方からコメントをもらうことで救われたそうです。
やっぱり、毎日「優勝!優勝!」って目標で練習をがんばってきたし、ダンスタ三連覇もしたかったので、まずはお世話になった方や先輩や家族に申し訳ないなって気持ちで一杯でした。……でも、その後に動画やSNSで話題になって、いろんな世代の方のコメントを見るだけですごく救われたんです。「私たち間違ってなかったんだ!」って、後輩にも自分たちのスタイルを持つ大切さを伝えることができました。反響には、本当ビックリしてますが(笑)。
【引用元:ダンスク!】
広瀬アリスも所属する芸能事務所にスカウトを受ける!?
伊原六花さんは高校3年生の9月の時のインタビューで、高校卒業後はミュージカルやお芝居の仕事に挑戦したいと話していました。
今後
もともとミュージカルもやっていたし、お芝居が好きだから、将来的にそういうお仕事がやれればと思っています(注:2017年9月時のインタビュー)。
【引用元:ダンスク!】
すると、バブリーダンスで注目を浴びた伊原六花さんは高校3年生の12月にスカウトを受け、芸能事務所フォスターに所属しました。
その際に「やりたいことがはっきりしました」と話し、ダンスの次は芸能界で努力する決意をしました。
なんと、このスカウトの裏側には、現在伊原六花さんが所属している事務所の先輩である広瀬アリスさんが関わっていたそうです。
【マネージャー通信👩🏻🏫】
今夜23:00〜の「#アナザースカイ 」に #伊原六花 がゲスト出演✈︎故郷、兵庫・大阪へ!
母校登美丘高校に訪問&高校以前のルーツも探ってもらいました。スタジオ収録は先輩 #広瀬アリス がいることで安心の様子でした♪
伊原の故郷と歴史をぜひ一緒に旅してください💫 pic.twitter.com/D8wjyDc78b
— フォスター/フォスター・プラス (@foster_fplus) January 29, 2021
実は、事務所の社長から「この娘いいと思うのよ。どう思う?」と広瀬アリスさんにも相談があり、デビュー前の伊原六花さんの動画を広瀬アリスさんがチェックしたことがありました。
ダンス映像を見て伊原をスカウトしたのは同番組のMC・広瀬アリスの事務所で、広瀬は「うちの事務所の社長が目付けるの、まあ早かったんですよ」と説明。「この娘いいと思うのよ。どう思う?」と広瀬にも相談があり、広瀬がデビュー前の伊原の動画をチェックしたこともあったとか。
【引用元:ザテレビジョン】
それから、伊原六花さんが高校在学中に、大阪で広瀬アリスさんのNHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」の仕事があった際、一緒に滞在していた広瀬アリスさんのマネージャーが登美丘高校を訪問したこともあるそうです。
その事実を知り、伊原六花さんは「アリスさんが大阪で撮影してなかったら(芸能界入りも)なかったかもしれないです。大学受験のほうにいってたかも」と語っています。
さらに、伊原の高校在学中に同じ大阪で広瀬はドラマ撮影の仕事があり、広瀬のマネジャーが伊原の高校を訪問したという。そんな縁を明かしつつ、伊原は「アリスさんが大阪で撮影してなかったら(芸能界入りも)なかったかもしれないです。大学受験のほうにいってたかも」と、感慨深げに語っていた。
【引用元:ザテレビジョン】
また、元々伊原六花さんは芸能事務所へのスカウト前、進学を考えており、大学に通いながらオーディションを受けていこうと思っていました。
そして、将来はダンスに関わる仕事を目指し、入試の準備をしていたのですが、そんな中、部活の顧問から芸能事務所から話が来ていると聞き、「せっかくのチャンス、できるところまでやってみよう」と思い、事務所入りを決めたそうです。
「ダンスに関連するお仕事ができたらと思い、入試の準備を進めていました。でもそんな中で、部活の顧問の先生に芸能事務所からお話が来ていると聞いて『せっかくのチャンス、できるところまでやってみよう』と」
【引用元:マイナビ】
伊原六花の芸能界入り~現在:女優として大活躍!!
高校3年生の12月にスカウトを受け、翌年2018年の2月には、センチュリー21の新イメージキャラクターである初代「センチュリー21ガール」に起用され、同年7月よりCMに出演しました。
その後、同年3月31日には「第26回東京ガールズコレクション2018SPRING/SUMMER」に出演し、ランウェイデビューし、同年6月には初の写真集「rikka」を発売して、7月には「チア☆ダン」でドラマデビューも果たしました。
さらに、2019年前期放送のNHK朝の連続ドラマ小説「なつぞら」にも出演し、大沢伸一プロデュースの「Wingbeats」では歌手デビューも果たしました。
そして2020年12月には、自身のYouTubeチャンネル「伊原六花のSTEP&GO」を開設し、その後も多くのテレビドラマや映画、舞台で活躍を続けています。
伊原六花の父親は夫婦仲がよく伊原六花の理想の男性!
伊原六花の父親は高収入な職業で実家はお金持ち!?
伊原六花さんの父親は一般人のため、名前など詳しい情報はわかっていません。
ただ伊原六花さんの父親の仕事は高収入で実家はお金持ちだという噂があります。
その理由は、伊原六花さんが幼少期からミュージカルやバレエなど数々の習い事をやってきており、同時期に姉もバレエを習っていたことです。
さらに、実家にDIYができるぐらいの広い裏庭がある家を持っているということもお金持ちと噂される理由の1つです。
また、伊原六花さんは2019年のインタビューで「相手の男性は何歳まで大丈夫か」と聞かれた際に「48歳まで大丈夫」「お父さんよりは下」と答えたことから、伊原六花さんの父親は2019年時点で48歳以上であると予想できます。
理想の男性のタイプを質問されると、「理想の男性のタイプは、私が憧れたり、尊敬できる部分がある人がすごく魅力的だなと思います」と告げ、「今の年齢だからかもしれませんが、年上の方に憧れます」と明かした。「何歳くらいまでOK?」と突っ込まれると、「具体的に言っちゃっていいのかな(笑)」と迷いつつ、「具体的に言っちゃって、『48歳まで大丈夫です』とは言っています」とにっこり。48歳という年齢については「特に意味はないです。お父さんよりは下です」と語っていた。
【引用元:モデルプレス】
伊原六花の父親と母親はとても仲がよく伊原六花の憧れの夫婦!
伊原六花さんの両親は仲がとても良く、休日には夫婦で一緒に出掛けたり、同じ曲をイヤホンを片耳ずつにして聞いたりすることもあるそうです。
また、料理をお互いに作って美味しいと食べあったりするなど、夫婦仲が良いことが分かります。
「片耳ずつイヤホンして同じ曲聴きながらウォーキングして 休みには2人で出かけて お互いの料理を美味しいって食べて 同じものを好きでいて 違うものを受け入れて 新しいことを共有して 両親を見てると こんな夫婦になりたいなと思います。
【引用元:ザテレビジョン】
そして、伊原六花さん自身も家族との関係を大切にしており、実家に毎日電話をするほど仲が良いようです。
伊原六花さんはそんな父親と母親に対してインスタグラムでも、「だいすき」と投稿しています。
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また、父親、母親、姉、2人の甥っ子と香川の小豆島へ家族旅行に行っており、非常に仲の良い家族であることがわかります。
伊原六花さんは家族旅行をすることが多く、母親と姉はプランを立てるのが好きで、父親は運転係、伊原六花さんはしおり係をするみたいです。
――普段はどんな旅をされていますか?
家族で旅行することが多いです。母と姉がプランを立てるのが好きで、どこに行くかはふたりが決めてくれます。父は運転係で、わたしは“しおり係”。画用紙にスケジュールや手描きのイラストを書いて冊子にしています。裏表紙はそのときの参加メンバーのイラスト。
【引用元:FO-CAL】
そんな仲良しの両親ですが、2021年9月に結婚25周年を迎えたそうで、伊原六花さんは父親のようなパートナーと出会い、母親みたいに生き、まさに両親のような結婚生活を送りたいと思っているそうです。
お母さんみたいに生きてお父さんみたいな人に出逢いたいです」と両親への憧れを明かした。
【引用元:ザテレビジョン】
伊原六花は父の日の青い花をプレゼントもクレカ使い過ぎで激怒?
父の日が近づくと、伊原六花さんは「贈り物を何にしようか迷っている」とラジオで話していました。
「父の日に何が欲しい?」とよく伊原六花さんのラジオを聴いているという父親に向かって呼びかけ、最終的には「青い花を贈ろうかな」と話していました。
父の日は「どうしようかな。何しようかな。何が欲しい!? 父親! 父親とか言うたことないけど。お父様!」とラジオから呼びかける。 伊原は両親がよく自分のラジオを聴いているから、呼びかけてみたと説明し、母の日に赤い花を贈ったから「父の日は青い花を贈ろうかな?」と語った。
【引用元:livedoor News】
そんな父親思いの伊原六花さんですが、上京したばかりの頃に、出前を注文しすぎてクレジットカードの明細が大変なことになった時に親が激怒したというエピソードがあります。
上京してから初めて出前をとったという伊原さんは、食事だけではなく、ドリンクやスイーツまですべて注文を続けていた。するとクレジットカードの明細が大変なことになり、親から激怒されたと失敗談を明かす。
【引用元:毎日キレイ】
伊原六花の父親の顔画像をAIで想像してみた!
伊原六花の母親は伊原六花の憧れの存在で芸能界入りを応援!
伊原六花の母親は伊原六花の憧れで芸能界入りを強く応援!
伊原六花さんの母親は一般人のため、名前や年齢などの詳しい情報はわかっていません。
伊原六花さんの母親は、伊原六花さんが芸能界に入ることを強く応援してくれた存在です。
実際に、伊原六花が芸能界入りを決める際には、「辞めたくなったら帰ってくればいい」という励ましの言葉をかけてくれました。
「スカウトされたとはいえ、果たして芸能界でやっていけるのかどうか、正直とても不安がありました。『働く』とはどういうことか、よく分かっていなかったし、家族や友達から離れるのも怖い気がしましたが、家族は自分よりももっと前向きに考えていたんです。特に母が『辞めたくなったら帰ってくればええよ。とりあえず飛び込んでみれば?』と言った時はちょっと驚きました」
【引用元:マイナビ】
また、伊原六花さんにとって母親はあこがれの存在で、「母みたいなお母さんになりたい」と話しています。
将来どんな母親になりたいかを聞かれると「私の母親」と明かし、「最近特に姉とも話したりするんですけど、『母さんみたいな母さんになりたいね』って言っている」と話した。
【引用元:毎日キレイ】
母親はいつも一緒に悩み、一緒に楽しんでくれるような人であり、伊原六花さんにたくさんの勇気を与えてくれる存在のようです。
「いい意味でお母さんらしくないというか、いつも同じ目線で、一緒に悩んでくれて、一緒に楽しんでくれて、子供より楽しんでるっていうのが私の母。そこからいっぱい勇気をもらえたこともある」と語り、「そういうお母さんになれたら」と笑顔を見せた。
【引用元:毎日キレイ】
伊原六花と母親は大の仲良しで光GENJIのファン!?
伊原六花さんと母親の関係性はとても良く、伊原六花さんは成人式の際、母親の振袖を着て出席し、「身が引き締まる思い出」と話していました。
昨日、成人式でした。
母の振袖を着て
改めて身が引き締まる思いでした。いろんな場所で
未熟さと壁に
ぶつかりますが、真っ直ぐ
楽しいことに進めるように
努力していきます。#成人式
#2020 pic.twitter.com/BvmKO2H07V— 伊原六花 (@rikka_ihara) January 13, 2020
また、母親と一緒にカラオケに行くこともあり、その際に伊原六花さんは母親が好きな光GENJIの歌を歌ってあげることがあるそうです。
そして、母の日に、伊原六花さんはカーネーションを贈り、その贈り物に母親はとても喜んでくれたみたいです。
伊原は母の日にはカーネーションを贈ってすごく喜んでくれていた
【引用元:livedoor News】
他にも、母親の誕生日には手作りケーキを作ってお祝いしたようで、伊原六花さんが家族を大切にしていることがわかります。
そんな、仲良し家族の伊原六花さんですが、実家の美味しい卵焼きが大好きで、母親は甘い卵焼き、父親はだし巻き卵を作ってくれるそうです。
今日は特に
よく眠れる気がする。あ、全然関係ないですが
家の卵焼きっておいしいよね。
私の家は甘い卵焼きです。
でも、お父さんの
だし巻き玉子も美味しいです。
懐かしい味って美味しい。— 伊原六花 (@rikka_ihara) September 20, 2019
伊原六花の母親の顔画像をAIで想像してみた!
伊原六花の姉妹は姉は既婚で2児の母、妹はYouTubeに声で出演?
伊原六花の姉は6歳と3歳の男の子の母親!
伊原六花さんには2歳年上の姉と3歳年下の妹がいますが、一般人のため、名前などの詳しい情報は分かっていません。
伊原六花さんの姉は、伊原六花よりも先にバレエを始めており、伊原六花さんがバレエを始めたのは姉の影響からでした。
そして、伊原六花さんの姉は既に結婚していて、2024年4月時点で6歳と3歳の男の子がいます。
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また、インタビューによると、姉の旦那さんは育児に協力的で、伊原六花さんの母親も育児を助けているそうです。
私の姉に2人男の子がいるんです。今6歳と3歳で、子育ての大変さというのは割と身近に話を聞いていたので、全く未知の世界ではありませんでした。ただ、私の姉には旦那さんや母親など周りに助けてくれる人がいる
【引用元:マイナビニュース】
それから、伊原六花さんは毎日家族でテレビ電話をしているようで、ドラマで伊原六花さんが母親役を演じる時には、姉の家族の近況や育児の大変さを聞いており、少しは「母親」を理解できていると思うと話していました。
――母親を演じるにあたって役作りでしたことはありますか?
「身近なこととして、私の姉に5歳と3歳の男の子がいます。旦那さんは育児に協力してくれるタイプですが、それでも大変な時があるじゃないですか。毎日、テレビ電話をしているような家族関係なので、姉家族の近況や、育児で何が大変なのか、少しは理解できているんじゃないかなと思っています」
【引用元:iza】
しかし、最近姉の子供が伊原六花さんだけではなく、母親である姉にも保育園での出来事を話さなくなってしまったようで、皆で「なぜ話してくれないのだろう」と悩んでいたそうです。
そう言えば最近、急に保育園で何があったかしゃべらなくなったんですよ。雪山に登ってご飯を食べる「雪山遠足」というのがあったんですけど、それが楽しかったのかどうかも話してくれなくて。
――そんなハードなイベント、絶対報告したいはずじゃないですか。
私の姉にも報告しないので、姉自身も「こんなん初めてやねんけど、なんで言ってくれへんねやろ」って悩んでて。母親にも分からないことがあることもあるんだと思って、勉強になりました。
【引用元:マイナビニュース】
伊原六花の妹はYouTube撮影や役作りに協力的!
伊原六花さんは可愛い甥っ子たちのために、実家を改造して砂場を作ったことがあります。
実は、このDIYをする際に撮影してくれたのは伊原六花さんの妹で、作業の途中には伊原六花さんと妹の楽しいトークが繰り広げられていました。
また、姉は伊原六花さんが誕生日にプレゼントしたピアスをずっとつけていて、そのことを伊原六花さんはとても嬉しく思っているそうです。
姉に誕生日プレゼントを贈った時に、子供がいるので、ネックレスや長いピアスだと引っ張られるかもしれないと思い、小ぶりのピアスをプレゼントしました。姉はそれをずっと着けてくれていて。すごくうれしいです。
【引用元:毎日キレイ】
さらに、伊原六花さんは妹にも入学祝や卒業祝いを渡しているようです。
妹に入学祝いや卒業祝いを渡せるようにもなりました。身近な人にこそ、お礼を忘れないようにしたいです」と、家族思いの一面を見せる。
【引用元:毎日キレイ】
ちなみに、伊原六花さんが就活生の役を演じる時には、ちょうど就活時期だった妹が就活について答えてくれていたそうで、妹は伊原六花さんの役作りに協力してくれていたみたいです。
伊原六花の祖父母は南紀白浜に別荘所有!龍神村に住んでいた?
伊原六花さんの母方の祖父母は白浜に別荘を持っていた!
伊原六花さんの祖父母は一般人のため、名前や年齢などはわかっていません。
伊原六花さんの母方の祖父母は和歌山県に住んでおり、夏になると、家族やいとこたちと一緒に祖父が持っていた南紀白浜の別荘に集まっていました。
伊原 母方のおじいちゃんが南紀白浜に別宅を持っていて、夏になるとそこに家族やいとこで集まっていたんです。
【引用元:ENTAME next】
また、祖父は和歌山で梅を作っており、小学生の頃、伊原六花さんは遊びに行って梅を収穫するのを手伝ったり、梅干しやしそジュースを一緒に作ったりしていました。
母方の祖父は、和歌山で梅を作っていたんです。小学生の時に遊びに行って、取るのを手伝ったり、一緒に梅干しやしそジュースを作ったりしました。祖父から梅干しをもらって家に帰り、梅ジュースを寝かせていました。
【引用元:日本農業新聞】
それから、年末年始には屋台が出た時に、祖母から好きなものを買いなさいと千円札をもらったことがある伊原六花さんですが、そのお金で子供ながらに乾物の屋台に行き、900円くらいする干し梅を買った思い出もあると話しています。
年末年始に屋台が出た時に、祖母が好きなものを買いなさいと千円札をくれたんです。それで私は子どもながらに乾物の屋台に行って、900円くらいする干し梅を買いました。
【引用元:日本農業新聞】
伊原六花さんの父方の祖父はアクティブで明るい人!
一方、父方の祖父母は白浜町から車で1時間ほどの龍神村に住んでおり、龍神村は、伊原六花さんにとって子供の頃の思い出が詰まった大切な場所でした。
伊原六花さんは毎年遊びに行き、父方の祖父と一緒に梅干しを作ったり、川でバーベキューをしたりして、たくさん遊んでもらったそうです。
伊原:母方のおじいちゃんが白浜に。そこから車で1時間半ほど行ったところにある龍神村には、父方のおじいちゃんが住んでいました。どちらも、子どもの頃の思い出が詰まった大切な場所。毎年のように遊びに行っては、龍神村に住むおじいちゃんと梅干しを一緒に作ったり、川に行ってバーベキューをしたり、たくさん遊んでもらっていました。
【引用元:Real Sound】
また、大阪から和歌山へ車で向かう道中では、姉や妹と一緒にトンネルの間で息を止める遊びをして楽しんでいたみたいです。
――大阪から和歌山に毎年遊びに行っていたんですね。
いつも車で行っていて、その道中もすごく楽しかったです。山道になるとトンネルが多くなるので、トンネルの間、息を止めるという遊びを、姉と妹と3人でよくやっていました。今考えたらつまらないですけど、そのときはすごく楽しくて(笑)
【引用元:マイナビニュース】
それから、父方の祖父は明るい性格で、会うたびに「久しぶりー」と声をかけてくれる伊原六花さんにとって大好きな存在でした。
父方の祖父は家の柱にロープをくくりつけてブランコを作ってくれたり、「親には内緒ね」と言って姉や妹と一緒に棚を開けてお菓子を食べたりしたこともあったそうです。
――“おじいちゃんっ子”な子どもだったんですね。
伊原:はい。亡くなってしまった今も、ずっと大好きです。会うたびに「久しぶりー!」と声をかけてくれるような、明るい性格のおじいちゃんでした。家の柱にロープをくくりつけて、ブランコを作ってもらったこともあったなぁ。ロープが脆いから、こいではガンっと落ちまくっていたんですけど(笑)。あと「親には内緒ね」って、姉と妹とおじいちゃんの4人で、勝手に棚をあけてお菓子を食べた記憶もあります。
【引用元:Real Sound】
そんな大好きな祖父でしたが、龍神村から大阪に出てきて暮らしており、2021年前後に亡くなられたようです。
父方のおじいちゃんは数年前に龍神村を出て大阪で暮らしていたんですが、写真集を撮影する1年前に亡くなりました。
【引用元:ENTAMEnext】
伊原六花の家族構成まとめ
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家族構成 | 説明 |
父親 | 実家はお金持ちとの噂がある。妻と仲が良く、休日には一緒に出掛ける。伊原六花さんが上京後、出前を注文するのにクレジットカードを使いすぎたことで、激怒したというエピソードもある。 |
母親 | 芸能界入りを強く応援し、いつも一緒に悩み、楽しんでくれる存在。光GENJIのファンの歌が好きで、母の日には伊原六花さんからカーネーションが贈られて喜んでいた。 |
長女(姉) | 伊原六花さんの2歳年上で既に結婚しており、6歳と3歳の男の子の母親。伊原六花さんが誕生日に贈ったピアスを愛用しており、育児に協力的な旦那さんがいる。 |
次女(伊原六花) | 女優として活動。幼少期に姉の影響でバレエを始め、多くの習い事を経験。現在はテレビドラマや舞台で活躍し、YouTubeチャンネルも運営。家族との関係を大切にしている。 |
三女(妹) | 伊原六花さんの3歳年下。伊原六花さんのYouTube撮影や役作りに協力的。 |
祖父(父方) | 和歌山県龍神村に住んでいた。明るい性格で、会うたびに「久しぶり」と声をかけてくれる大好きな存在。柱にロープをくくりつけてブランコを作ってくれたこともある。2021年ごろに亡くなっている。 |
祖父母(母方) | 和歌山県に住んでおり、夏になると南紀白浜の別荘に家族やいとこたちと集まる。祖父は梅を作っており、梅干しやしそジュースを一緒に作った。 |