この記事では、俳優として活躍する坂東龍汰さんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介しています。
坂東龍汰さんはニューヨークで生まれ、3歳で北海道に移住したという独特の経験から、どんな影響を受けて現在の俳優としての道を歩んでいるのかが、また家族がどのような人たちなのかわかりますよ。
ぜひ、最後まで記事を読み進め、坂東龍汰さんの魅力をもっと知ってください!
目次
坂東龍汰の家族構成!父親・母親・姉・弟の5人家族
坂東龍汰の家族構成は「父親・母親・長女・本人・次男」の5人です。
母親:ニューヨークで陶芸の先生をしていた経歴があり、現在は夫と共にワイナリーを経営
次男:年が離れており、お年玉を渡すほど可愛がっている
また、坂東龍汰さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
坂東龍汰の生い立ちや学歴!NY生まれで学歴が特殊すぎる!
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- 名前(本名):坂東龍汰
- 生年月日:1997年5月24日
- 身長:175㎝
- 体重:58㎏
- 血液型:O型
- 出身地:ニューヨーク
- 学歴:北海道シュタイナー学園いずみの学校(小中高一貫:偏差値なし)
坂東龍汰の幼少期:ニューヨークで産まれ3歳で北海道に移住!
坂東龍汰さんは1997年5月24日にアメリカ合衆国のニューヨークで生まれました。
そんな坂東龍汰さんは3人姉弟の真ん中で、姉と弟がいます。
Q.兄弟はいますか?
3人兄弟で、僕は真ん中です。
【引用元:NYLON】
そして、3歳の頃、坂東龍汰さんは父親の提案で、ニューヨークから北海道に移住することになったそうです。
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その新しい生活の地は、北海道の海が目の前に広がる家で、その後、道内でもう一度引っ越しをしました。
NYには2〜3歳までいたんですけど、そこから、北海道の海の目の前の「海の家」に行って、その後、道内で引っ越して…。
【引用元:ザテレビジョン】
しかし、幼い頃の移住だったためか、坂東龍汰さんはニューヨークから北海道へ移住したこと自体は覚えていないと語っています。
――でも、NYという大都会から北海道の自然しかない土地に行くって、子どもながらにかなりのカルチャーショックだったのは?
全く覚えていないんですけど、もし物心ついていたらショックだと思います。だって、NYではマンハッタンのど真ん中に住んでいたらしいんですよ。セントラルパークが望めるマンションに。超都会に住んでいて、そこから突然、周りに何もない海の家へ。
【引用元:ザテレビジョン】
3歳でニューヨークから北海道へ移住した坂東龍汰さんは、18歳までを北海道で過ごており、現在も坂東龍汰さんの実家は北海道にあります。
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
北海道の実家の目の前にある海です、とっても綺麗な夕日だったので皆さんにも🌅 pic.twitter.com/3zhhZi1x3Z
— 坂東龍汰 Ryota Bando (@bando_ryota) January 1, 2020
坂東龍汰はシュタイナー教育が受けられる小中高一貫校に入学!
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坂東龍汰さんは小学生から高校までの間、北海道シュタイナー学園いずみの学校に通い、シュタイナー教育を受けました。
父の仕事の関係でニューヨークで生まれ、3歳で北海道に。そこから18歳までシュタイナー教育を受けたことが僕の人格形成に大きく影響しています。
【引用元:FIGARO・jp】
その通っていた北海道シュタイナー学園いずみの学校は、全校生徒が100人もいない小さな一貫校だったそうです。
僕は小学校から高校まで、全校生徒が100人もいない一貫校に通っていたのですが、狭いコミュニティの中で生きていたからか、人との距離感がバグってしまいました(笑)。
【引用元:ViVi】
この学校では、教科書やテストがなく、成績や順位で生徒を評価することもありませんでした。
そのため、それぞれの生徒が自分の興味や才能を追求できる環境で、勉強だけではなく、芸術的な活動に打ち込むことができたみたいです。
教科書やテストはなく、順位や点数で評価されることもありません。勉強を頑張る子もいれば、芸術的な分野に集中する子も。無理に学ばせることはなく、その子の潜在的に好きなこと、興味のあることを追求できる。
【引用元:FIGARO・jp】
しかし、シュタイナー教育の方針により、テレビやゲーム、インターネットに触れることが禁止されていたため、坂東龍汰さんがスマホなどインターネットに触れたのは高校卒業後のことだったそうです。
僕は小学校から高校までシュタイナー教育の学校に通っていたので、テレビやゲーム、インターネットに触れることを禁止されていたんです。
【引用元:CREA】
また、坂東龍汰さんは学生時代、猿のように裸足で自然の中を走り回る活発な子だったみたいです。
― 坂東くんはユニークな環境で生まれ育ったそうですね。 ニューヨーク生まれ、 北海道でシュタイナー教育を受けてた。 学生時代ってどんな子でした? 多感でしたね。 猿みたいな子供でした(笑)。 自然の中を裸足で走り回って。 田舎で育った子供をイメージしたまんまの感じです。
【引用元:CONDE NAST】
坂東龍汰は映画を観ることが学生時代の楽しみだった!
坂東龍汰さんの父親は映画が大好きで、「映画は例外だろう」と言い、シュタイナー教育を受けながらも中学2年生ぐらいからは、毎週末にレンタルビデオ屋で映画を1本借りて観ることが許されていました。
そのため、週末の映画鑑賞は、坂東龍汰さんにとって大きな楽しみとなっていたそうです。
父が無類の映画オタクで、「映画はいいんじゃないか」と中2ぐらいから、毎週土日はレンタルビデオ屋に行って、映画を1本借りて観ることが許されました。それが、すごい楽しみでしたね。
【引用元:CREA】
また、学生時代に坂東龍汰さんは野球を少しやっていたとのことです。
さらに、高校では体育の授業を通じて社交ダンスを学んだことをきかっけに社交ダンスを始め、北海道大会に出場した際には3位という成果を収めたこともあります。
――学生時代、スポーツは何かなさっていたのですか?
野球は少しやっていました。高校では社交ダンスも。体育の授業で習ったのがきっかけです。それまでダンスに全く触れてこなかったので、リズムに乗って体を動かす楽しさに惹かれました。表現力も豊かになりますし、将来のためにもなるかなと続けていました。北海道大会に出場して3位になったことも。ただ、出場していたのは5組でしたけど(笑)。
【引用元:CREA】
それから、シュタイナー教育の学校ではアートの授業が重視されており、週に2、3時間は絵を描いたり、木工をしたりする時間があったそうです。
そのため、絵が褒められるようになってくると、坂東龍汰さんは絵を描くことが好きになっていきました。
シュタイナー教育はアートの授業を重視していて、週に2、3時間ありました。絵を描いたり、木工をしたり。そのうち絵を褒められるようになって、余計に描くことが好きになりました。
【引用元:CREA】
坂東龍汰は高校時代に俳優になることを志す!
高校3年間、坂東龍汰さんは目立ちたがり屋で人前に立つことが好きだったそうです。
高校3年間は本当にすごい目立ちたがり屋で、 人前に立つことを好んでやっていたので。
【引用元:CONDE NAST】
また、小学生の頃から学校のカリキュラムの一環で演技を学んでいた坂東龍汰さんは、高校の卒業公演では主人公を演じました。
この経験を通じて、演じることの楽しさに目覚めた坂東龍汰さんは、高校3年生の時に俳優を志すようになったそうです。
そんな坂東さんが役者を志したのは、高校3年生の時。
シュタイナーのカリキュラムに「演劇」があって小学生の頃からお芝居はやっていたのですが、高校の卒業演劇でセリフの多い主役を演じることに。めちゃくちゃ大変だったけど、本番でお客さんの反応を感じたら、これまでにないほどエモーショナルでゾクゾクして、自分が誰かに影響を与えられるってすごい!コレしかない!と。
【引用元:FIGARO・jp】
しかし、俳優を目指すと決めた坂東龍汰さんに対して、父親は「東京に行っても俳優にはなれないだろう。でかい壁にぶち当たって、お前も畑を耕すんだ」と言ったそうです。
ただ、この言葉は坂東龍汰さんの気持ちを奮起させ、「絶対に俳優になってやる」と強い決意を抱くことになりました。
昔、破天荒な父から「東京に行っても役者になんかなれない。でかい壁にぶち当たって粉々になって、お前も畑を耕すんだ!」と言われたことがあって。この言葉はかなり大きかった。「絶対俳優になってやるわー!」と。
【引用元:ViVi】
そんな、坂東龍汰さんですが、高校生の時にニュージーランドへの留学をしたことがあるそうです。
坂東龍汰は住み込みバイトをして1年で100万円を貯めた!
高校卒業後、坂東龍汰さんは俳優としての夢を追うために、お金を貯める必要があると考えたそうです。
そのため、坂東龍汰さんは住み込みで働ける旅館でアルバイトをし、1年間で100万円を貯めて上京しました。
高校卒業後は、俳優になると心に決めていたが、いったん旅館で住み込みのアルバイトをしてお金を貯めてから、上京した。
【引用元:CHANGE】
しかし、上京してすぐに俳優としての道が開けたわけではなく、多くの事務所のオーディションを受けたものの、なかなか採用されませんでした。
その間、坂東龍汰さんはスカウトされることを期待して、原宿の竹下通りで待ち続けたり、通りを走り回ったりしていたそうです。
高い授業料を払うだけ、とかそういうこともあるし、あぶないことも多いので。僕もダマされそうになったことありますし。半年間、いろんな事務所を受けてはダメで、スカウトされたくて原宿の竹下通りでずっと待ってたり、通りを走り回ったりしてました。
【引用元:CHANGE】
坂東龍汰は2017年に俳優デビュー!
俳優を目指していた時に、坂東龍汰さんは別の学校ではありますが、シュタイナー教育を受けていた俳優の村上虹郎から、純牛倶楽部という事務所を紹介してもらいました。
そのうち、学んだ学校は違うんですけど、同じシュタイナー教育を受けてて、会ったことのあった村上虹郎に“こういう事務所あるよ”って、今の事務所のことを教えてもらったんです
【引用元:CHANGE】
そして、坂東龍汰さんは2017年8月に純牛倶楽部に所属し、俳優デビューをしました。
それから、坂東龍汰さんはデビューした、わずか1年後にはドラマ「花へんろ 特別編 『春子の人形』~脚本家・早坂暁がうつくしむ人~」で主演を務めました。
また、2022年1月公開の映画「フタリノセカイ」ではW主演を果たしました。
そしてこの主演により、「第32回日本映画批評家大賞」の新人男優賞(南俊子賞)を受賞しました。
坂東龍汰さんは多くのドラマや映画、モデルとしても活躍しており、今後の芸能活動やアート活動も注目されています。
坂東龍汰の父親は破天荒なワイナリー経営者!
坂東龍汰の父親は破天荒でユニークな経歴をもつ坂東剛!
坂東龍汰さんの父親は一般人であるため、年齢などはわかっていません。
坂東龍汰さんの父親である坂東剛さんは、とても個性的で破天荒な性格です。
父はとにかくヤバイ、破天荒!
【引用元:ViVi】
坂東剛さんは、多彩な経歴を持っていて、大阪歯科学院専門学校を卒業しており、さらにパーマカルチャーデザインコースを受講していたそうです。
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しかし、19歳の時には映画監督になることを目指してカリフォルニアに渡りましたが、約2年でその夢を諦め、ニューヨークで歯科技工士として働く会社を立ち上げました。
19歳で映画監督を目指してカリフォルニアに行き、その後なぜか諦めてNYで技工士の会社を立ち上げた
【引用元:ViVi】
坂東龍汰の父親は自給自足のためにNYから北海道へ移住!
坂東剛さんは坂東龍汰さんが3歳の時に、家族と共に農業をするためにニューヨークから北海道に移住することを決めました。
驚くべきことに、坂東龍汰さんの父親はその新しい生活のための家を5年間かけて自分で建てたそうです。
――では、北海道で好きな所は?
最初に北海道で住んでいた所で、通称「海の家」です。本当に海の目の前にある家で、父親が一人で建てたんです。
【引用元:ザテレビジョン】
なんと、坂東龍汰さんが北海道に移住したのは、父親が自給自足の生活を求めたからであり、母親も父親ももともとは北海道出身ではないそうです。
――ご両親のどちらかが、北海道出身だったとか?
いや、どっちも違います。なのに、自給自足するために北海道に行ったんです。
【引用元:ザテレビジョン】
坂東龍汰の父親は経営者でワイナリーをしている!
坂東龍汰さんの父親は、現在「仲洞爺バイオダイナミックファーム」というワイナリーの経営者として、ワインの生産に取り組んでいます。
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坂東龍汰さんの父親は、ぶどうの栽培を自然農法とバイオダイナミック農法という特別な方法で行っています。
仲洞爺BDファームは 北海道洞爺湖の東側、湖畔を見下ろす高台にある小さな農場です。 自然栽培にビオディナミ農法を取り入れ丁寧に育てた葡萄を、岩見沢市の10Rワイナリーに委託。日本のワインを世界水準まで引き上げたアメリカ人醸造家、ブルース・ガットラブ氏の醸造による、オリジナルワイン『キムンカムイ』製造をしています。
【引用元:仲洞爺バイオダイナミックファームHP】
この独自の農法を用いることで、農薬や化学肥料を一切使わずに栽培を続けているみたいです。
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また、坂東龍汰さんの父親がこの農法を実践するためには、多くの時間と努力が必要だったそうです。
坂東龍汰さんの父親は、北海道に移住した後、バイオダイナミック農法を学び、実際にその農法を活かすために、洞爺湖のほとりにある4ヘクタールの土地を購入し、3年間にわたる試行錯誤を重ね、独自のワイン作りを成功させたとのことです。
坂東龍汰の父親は北海道シュタイナー学園いずみの学校創設に関わった!
坂東龍汰さんの父親は、ニューヨークにいた頃に出会ったシュタイナー教育に強い感銘を受けていたそうです。
そのため、父親は北海道移住後に「ひびきの村」というシュタイナー人智学共同体でボランティア活動を始め、その中でフリースクールを立ち上げました。
しかし、フリースクールは徐々に子どもたちの数が増えていき、より大きな施設が必要となりました。
その時、父親は仲間たちと、新たな校地と校舎を1から作り上げることを決意したそうです。
そして、器用で行動力に優れている父親は、仲間たちと協力し、北海道虻田郡豊浦町東雲町に「北海道シュタイナー学園いずみの学校」を創設しました。
【文化庁公演】16日は北海道豊浦町にある北海道シュタイナー学園いずみの学校にお邪魔いたしました。#kyophil#京フィル#豊浦町#文化庁 pic.twitter.com/OSmP6IMWRA
— 京都フィルハーモニー室内合奏団 (@kyophil) September 18, 2016
坂東龍汰の父親は映画好きで黒澤明の大ファン!
坂東龍汰さんの父親は、映画が大好きで、特に黒澤明さんの熱狂的なファンのようです。
そのため、父親は坂東龍汰さんに黒沢明さんの映画を強制的に観せていました。
――坂東さんが好きなものを観ていたのですか?
それともお父様が選ばれていた? 父のセレクトが多かったです。最初の頃は暴力的なシーンのないものなどを選んで観させてもらっていました。父は熱狂的な黒澤 明ファンなので、黒澤映画は強制的に全て観せられました(笑)。
【引用元:CREA】
そんな映画好きの父親は、坂東龍汰さんの俳優としての活躍を一番に喜んでくれているそうです。
また、坂東龍汰さんが主演を務めた作品が公開されると、父親はSNSを通じて宣伝を行い、息子の活動を応援しています。
それから、坂東龍汰さんが日本批評家大賞の新人男優賞を受賞した際も、父親はSNSを通じてその喜びを発信していました。
坂東龍汰の母親はニューヨークで陶芸の先生をしていた!
坂東龍汰の母親はニューヨークで陶芸を教えていた!
坂東龍汰さんの母親は一般人であるため、名前や年齢などの詳細は分かっていません。
坂東龍汰さんの母親は、ニューヨークで坂東龍汰さんの父親である坂東剛さんと出会い、そこで結婚したそうです。
2人が出会った当時、坂東龍汰さんの母親はニューヨークの主に美術大学で陶芸を教えていました。
ちなみに、坂東龍汰さんの実家にはろくろや粘土があったそうで、坂東龍汰さんが子供の時はよく粘土で遊んでいたみたいです。
また、坂東龍汰さんの母親は、自分のやりたいことをしっかりと追求する性格のようです。
僕の家族は、なんか変なんです(笑)。みんな自分のやりたいことを追求する人たち
【引用元:ViVi】
現在、坂東龍汰さんの母親は、夫である坂東剛さんと一緒にワイナリーの仕事をしています。
坂東龍汰の母親は漆塗りの器を収集している!
坂東龍汰さんの母親は、漆塗りの器を収集しており、実家にはたくさんの漆塗りの器が保管されています。
実は、うちの母が漆塗りの器を収集していたので、実家に結構いっぱいあったんです。
【引用元:ウレぴあ総研】
お正月には、その特別な漆塗りの器におせち料理を盛りつけて食べるのが家族の習慣となっており、その器は坂東龍汰さんの母親にとって非常に大切なものであるため、食事が終わったらすぐに洗うようにと厳しく言われていたそうです。
お正月になるとそれを引っ張り出してきて、おせち料理とかを食べる習慣がありました。毎回、母から「私にとって大切なものだから、食べ終わったら放置しないですぐに洗って」と言われて。
【引用元:ウレぴあ総研】
さらに、その器をスポンジで洗うのは絶対に許されず、布のような柔らかいもので丁寧に洗い、洗い終わった後はすぐに水分を拭き取ることが徹底されていたみたいです。
スポンジじゃなくて、布みたいのでしか洗っちゃダメで、洗い終わったらすぐに水をふき取ることを徹底されられました(笑)。
【引用元:ウレぴあ総研】
坂東龍汰の姉は2歳年上で憧れの存在!
坂東龍汰の姉は2歳年上!
坂東龍汰さんの姉は一般人であるため、名前などの詳細はわかっていません。
坂東龍汰さんの姉は、坂東龍汰さんより2歳年上の29歳(2024年10月現在)くらいです。
坂東龍汰さんは、幼少期に姉と一緒に遊ぶときには、まるで着せ替え人形のようにされるがままに遊ばれていたそうです。
また、幼い頃は手作りのダチョウの操り人形を使って2人で遊んでいました。
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坂東龍汰の姉の存在は坂東龍汰が俳優を目指したきっかけの1つ!
坂東龍汰さんの姉は、少女漫画が大好きで、色々な作品を買って読んでいました。
この影響で、坂東龍汰さんも中学・高校生の頃には少年漫画よりも少女漫画を読むことが多かったそうです。
2歳上の姉がいろんな少女マンガを買って読んでいたので、僕も中学・高校生の頃は、少年マンガより少女マンガを読むことのほうが多かったかもしれないです(笑)。「NANA」や「ガラスの仮面」「ラブ★コン」とかを読んでいました。
【引用元:シネマトゥデイ】
さらに、坂東龍汰さんにとって姉は憧れの対象でもありました。
姉に対してはずっと憧れみたいな気持ちが根底にありますね。
【引用元:NYLON】
そして、坂東龍汰さんが芸能人を志すきっかけとなったのには、姉の影響で漫画を読んでいたことも関わっており、姉の存在が大きかったということをインタビューで語っています。
Q.お姉さんから影響を受けたことはありますか?
たくさんあります。姉の影響で『ガラスの仮面』や『NANA』を読んだり、実はこのお仕事を始めるきっかけのひとつにも姉の存在があって。
【引用元:NYLON】
坂東龍汰の弟の名前は坂東みちるで年が離れている!
坂東龍汰の弟の名前は坂東みちる!
坂東龍汰さんの弟は一般人であるため、年齢や現在などは不明です。
坂東龍汰さんの弟の名前は坂東みちるで、漢字表記は不明です。
坂東龍汰は弟を溺愛!
坂東龍汰さんの弟は上述のように年齢は不明ですが、年が離れていることはわかっており、高校卒業後に上京した坂東龍汰さんとはあまり長い時間を一緒に過ごせなかったそうです。
弟から見た僕はどうなんだろう……。「お兄ちゃん!」って感じではないですね。歳が結構離れていて、僕が早くに上京したので一緒に暮らしてた時間がそこまで長くないんです。
【引用元:NYLON】
しかし、坂東龍汰さんは弟をすごく可愛がっており、お年玉も渡しています。
会ったときには思いっきりかわいがります。今年はお年玉を渡しました!
【引用元:NYLON】
坂東龍汰の祖父母は坂東龍汰の大ファンでカメラをプレゼントした!
坂東龍汰の祖父は坂東龍汰の1番のファンだった!
坂東龍汰さんの祖父母は一般人であるため、名前や年齢などの詳しい情報はわかっていません。
坂東龍汰さんの祖父は、誰よりも坂東龍汰さんのファンだったそうです。
坂東龍汰さんの出演するテレビ番組は必ず視聴し、映画の公開日や雑誌の発売日も全て調べ、映画を見に行ったり、雑誌を買いに行ったりしていました。
お爺ちゃんは誰よりも僕のファンでした、テレビの出演番組、映画の公開日、雑誌の発売日、全て調べて、全て見て、全て買ってくれていました。
【引用元:坂東龍汰公式Instagram】
また、たまに電話で話すことがあり、坂東龍汰さんよりも仕事について詳しいほど情報を調べていたみたいです。
たまに電話で話すと、僕より僕の仕事について詳しかったのを覚えています。
【引用元:坂東龍汰公式Instagram】
坂東龍汰の祖父は坂東龍汰にカメラをプレゼントした!
坂東龍汰さんの祖父は2021年5月頃に亡くなっています。
坂東龍汰さんの祖父は亡くなる直前まで明後日のNHKのドラマを見ると張り切っており、放送日に亡くなりました。
決して多くを語る人ではなかったけど、いつも喜んでくれていました。亡くなる直前まで、明後日のNHKのドラマを見ると張り切っていて放送日に天国に旅立ちました。
【引用元:坂東龍汰公式Instagram】
また、坂東龍汰さんの祖父は亡くなる約1年前に坂東龍汰さんにカメラをあげており、そのカメラで坂東龍汰さんは生前の祖父を撮っています。
写真は去年の今頃、お爺ちゃんに貰ったカメラで撮ったお爺ちゃんです。
【引用元:坂東龍汰公式Instagram】
坂東龍汰の家族構成まとめ
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家族構成 | 説明 |
父親 | 映画好きで、映画監督を目指しカリフォルニアに渡るも夢を断念し、ニューヨークで技工士の会社を設立。その後、自給自足のため北海道へ移住し、現在はワイナリー経営者。学校創設にも関わる。 |
母親 | ニューヨークで陶芸を教えていた。芸術的な才能があり、実家では漆塗りの器を大切にしている。現在は父親と共にワイナリーで働いている。 |
長女 | 坂東龍汰より2歳年上。幼少期に坂東龍汰を着せ替え人形のようにして遊んでいたり、少女漫画を読ませるなど、姉弟仲がよく、影響を与えた存在。坂東龍汰が俳優を目指すきっかけにもなった。 |
長男(坂東龍汰) | 1997年5月24日、ニューヨーク生まれ。シュタイナー教育を受け、俳優を目指し高校卒業後に旅館でバイトして上京。映画やドラマで活躍している。 |
次男 | 年が離れており、坂東龍汰が早くに上京したため一緒に過ごす時間は少なかったが、坂東龍汰から可愛がられている。 |
祖父 | 坂東龍汰の一番のファンであり、出演番組や映画を全てチェックして応援していた。生前、坂東龍汰にカメラをプレゼントした。 |