この記事では、女優の綾瀬はるかさんについて、家族構成や生い立ちを詳しく紹介します。
綾瀬はるかさんがどのような家庭で育ち、どのようにして有名な女優になったのか、父親、母親、兄との関係やエピソードを通じて、綾瀬はるかさんの人柄や家族の絆についても知ることができます。
綾瀬はるかさんの魅力的な一面をぜひ発見してください。
目次
綾瀬はるかの家族構成!父・母・兄の4人家族
綾瀬はるかの家族構成は「父親・母親・兄・本人」の4人です。
母親:個人事務所の代表取締役。感謝の気持ちを忘れない人。投資トラブルにあう
長男:イケメンで電子電気系大学卒業後は実家の農業を継ぐ。結婚し子供2人いる
長女:綾瀬はるか本人
また、綾瀬はるかさんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
祖母:高齢で日々活動的に過ごす。孫に原爆の恐怖と戦争の教訓を伝える
綾瀬はるかの生い立ちや学歴!運動神経抜群な学生から有名女優へ!
- 名前:綾瀬はるか
- 本名:蓼丸綾
- 生年月日:1985年3月24日
- 身長:166㎝
- 体重:非公表
- 血液型:B型
- 出身地:広島県広島市
- 学歴:広島市立川内小学校→広島市立城南中学校→広島県立祇園北高等学校普通科(偏差値58)→高校2年から堀越高校普通科トレイトコース(偏差値38)→帝京大学短期大学国際コミュニケーション学科中退(現:人間文化学科・偏差値43〜44)
綾瀬はるかの本名は非常に稀な名字「蓼丸」!
綾瀬はるかさんは、1985年3月24日、広島県広島市生まれで、本名は蓼丸綾と言います。
この名字は、全国に約10人しかいない非常に稀な名字です。
この名前の「蓼」は、「蓼食う虫も好き好き」という言葉にも出てくる植物の名前です。
蓼という植物は独特な香りと強い辛みがあり、香辛料として古くから薬味などに使用されます。
◆「蓼食う虫も好き好き」の語源・由来 蓼とは「ヤナギタデ」という植物の一種で、独特な香りや強い辛みがあります。香辛料として古くから薬味などに使用されてきました。刺身のつまやタデ酢などにして食べられることもあります。
【引用元:Oggi.jp】
綾瀬はるかさんの家族構成は両親と1歳年上の兄、そして綾瀬はるかさんの4人家族です。
なお、実家は代々続く大きな農家で、近所の小学校から社会科見学に来るほどの規模だそうで、広島市の北部に位置する実家は、美味しいナスや広島菜を栽培することで有名でした。
綾瀬はるかの小学生時代は基本的に外で活動的に遊んでいた!?
綾瀬はるかさんは広島市立川内小学校に1991年に入学し、1997年に卒業しました。
綾瀬はるかさんの小学生の頃は男子と一緒に缶けりや警泥、かくれんぼを毎日楽しんでいたそうです。
毎日実家に友達が集まり、みんなで活発に遊んでいました。
そのため、いつもけがをして家に帰ることが多かったそうです。
また、いとこの兄と一緒に山に登ったりして、基本的には外で活動的に遊んでいたと振り返っていました。
幼少期していた遊びを聞かれた綾瀬は「小学校の頃は、男子と缶けりや警泥(ケイドロ)、かくれんぼを毎日して遊んでいました。毎日、実家に集まって結構そういう活発な感じで、みんなで遊んでいました。おてんばで、いつもけがをして家に帰るみたいな感じでした。いとこのお兄ちゃんと山に登ったり、基本は外で活動的に遊んでいました」と振り返った。
【引用元:マイナビニュース】
綾瀬はるかの小学生時代は学年で一番足が速かった!?
綾瀬はるかさんは勉強もスポーツもよくできる子供で、学年で一番足が速かったほどの運動神経の持ち主だったようです。
しかし、「若干、遅刻気味だった」と話すように、学校へは遅刻することもあったようで、その理由は、朝起きてから着替えるのがゆっくりだったとのことです。
綾瀬はるかさんは、友達が家に迎えに来ても「先行ってて!」と言って、一緒に登校することがほとんどなかったそうです。
最後には学校まで走ることになり、足が速いことを活かして登校していたそうで、振り返ると、「それで調子に乗っていた」と話してます。
当時、学年で1番足が速かったという綾瀬だが、苦手だったことを聞かれると「若干、遅刻気味だった」と告白。 その理由は「起きてから着替えるのがゆっくりで…」とし「いつも友達が家に迎えにくると“先行ってて!”って言って、大体一緒に行ったことがない」と明かした。さらに「最後(学校まで)走るっていう。(走りが速いから)それで調子に乗って…」と振り返っていた。
【引用元:スポニチ】
また、ピアノ、そろばん、習字、生け花、公文式、空手など多くの習い事をしており、小学校時代は非常に忙しかったようです。
綾瀬はるかの小学校当時の夢はナオミ・キャンベルのマネージャー!?
綾瀬はるかさんが出演したフジテレビ系「VS嵐」では、小学生時代に書いたタイムカプセルの手紙が自宅に届いたエピソードを話していました。
手紙には、当時の夢として「ナオミ・キャンベルさんのマネージャーになりたい」と書かれており、自分でも意外なその内容に「よくわかなんない。なんだ、コレ!?っつって」と笑わせました。
綾瀬は小学校の時に15年後の自分にという手紙を書いていたといい、「それが送られてきたんですよ。全然覚えてないんですけど、ナオミ・キャンベルさんのマネジャーになりたいって書いてたんです」と90年代を賑わせたスーパーモデルの名前を挙げた。ただ、自分でも意外な内容だったようで、「よくわかなんない。なんだ、コレ!?っつって」とツッコミを入れ、笑わせた。
【引用元:スポニチ】
綾瀬はるかの中学校時代はバスケのルールを理解せずにプレー?
綾瀬はるかさんは、広島市立城南中学校に1997年に入学し、2000年に卒業しています。
中学校時代、綾瀬はるかさんはバスケットボール部に所属し、ポジションはセンターを務めていました。
しかし、3年間バスケットボールのルールをほとんど理解せずにプレーしていたというエピソードがあります。
綾瀬はるかさんは「とりあえず落ちて来るボールを、シュートを打つ人にパスをするっていうことに使命感を持っていて、とにかくパスを渡すっていうのをやってたので、すごくルールに詳しくなくても、やっていけた」と話しています。
「綾瀬はるかさん。中学の3年間、ルールがよく分からないままバスケ部に所属されていたと聞きました」と暴露。会場が騒然とする中、彼女は、「簡単なルールしか分かっていなかったように思います」と回顧した。 その理由としてポジションがセンターだったことを挙げながら、「とりあえず落ちて来るボールを、シュートを打つ人にパスをするっていうことに使命感を持っていて、とにかくパスを渡すっていうのをやってたので、すごくルールに詳しくなくても、やっていけた」と笑顔で説明。「ルールを覚えようという気はなかった?」との質問に「そうですね。まぁまぁ知ってれば」と正直に答え、笑いを誘っていた。
【引用元:クランクイン】
また、綾瀬はるかさんは体育の成績は常に「10」で、非常に足が速く、運動神経抜群だったようです。
陸上部が中国大会に出場する際には、陸上部員ではなかったにもかかわらず急遽スカウトされてメンバー入りしていたそうです。
なお中学時代の綾瀬はるかさんは、芸能界に興味はなかったようで、夢は「コロコロ変わっていて。バスケットボールの選手だったり、パティシエになりたいと思ったり、 結構テレビに影響されていました」と振り返っています。
子どもの頃の夢を聞かれると綾瀬さんは、「コロコロ変わっていて。バスケットボールの選手だったり、パティシエになりたいと思ったり、 結構テレビに影響されていました」と振り返った。
【引用元:毎日キレイ】
綾瀬はるかは高校時代に遅刻しそうになり事故に遭う!?
綾瀬はるかさんは、広島県立祇園北高等学校に2000年に入学し、2001年まで在籍していました。
綾瀬はるかさんの祇園北高校時代は陸上部に所属しており、運動神経の良さが際立っていました。
また、祇園北高校には自転車で通学していた綾瀬はるかさんは、遅刻しそうになり自転車を急いで走らせた結果、車と正面衝突したそうです。
幸いにも大きなケガはせず、左足の打撲だけで済んだそうです。
綾瀬はるかは高校1年生で部活サボるためオーディションへ!?
綾瀬はるかさんが高校1年生のとき、広島でホリプロのスカウトキャラバンがありました。
綾瀬はるかさんは、高校の友だちに「妹が受けるのでついて行くから一緒に行こうよ」と誘われ、部活をサボれるから行くか、という気軽な気持ちで3人で行ったそうです。
受付で「30秒の自己PRがオーディションだから、ぜひやってください」と言われて、綾瀬はるかさんは高校で流行っていたウサギの物マネをしたそうです。
高1のとき、広島でホリプロのスカウトキャラバンがあって、高校の友だちに「妹が受けるのについて行くから一緒に行こうよ」と誘われて、部活をサボれるから行くか、というノリで3人で行ったんです。そうしたら受付で「30秒の自己PRがオーディションだから、ぜひやってください」と言われて、高校で流行っていたウサギの物マネをしました。
【引用元:デイリー新潮】
そして、綾瀬はるかさんはその日のうちに4次、5次審査まで進み、広島会場の最後の2人に選ばれ、さらに全国の5人にも選ばれて東京に呼ばれることになりました。
家族も受かるとは思っていなかったので「行ってらっしゃい」と送り出しましたが、綾瀬はるかさんは審査員特別賞に選ばれ、ニュースになりました。
ただ高校のPTA会長だった父親はこのことに激怒しました。
厳しい校則の高校に通っていたので、高校に呼び出され、説教された父親は「管理不足だ」と母親を責めたそうです。
また、綾瀬はるかさん自身も学校を辞めて東京に行く準備ができていなかったため、他の受賞者2人はすぐに東京に行きましたが、綾瀬はるかさんは1年間広島で悩んだようです。
綾瀬:本当です。その日のうちに4次、5次審査まであって、広島会場の最後の2人に、次に全国の5人に選ばれて東京に呼ばれたんです。ちょうど夏休みだったし、家族も受かると思わないから「行ってらっしゃい」と。そうしたら審査員特別賞に選ばれ、それがニュースになって父が激怒したんです。校則が厳しい高校で、しかも父はPTA会長だったので、高校に呼び出されてお説教された父が「管理不足だ」と母を怒って。私も、学校を辞めて東京に行く準備もできてなくて、ほかの受賞者2人はすぐに東京に出たのに、私は広島で1年間悩んで、という感じでした。
【引用元:デイリー新潮】
その後、家族会議を重ねた結果、「とりあえず3年」という約束で、高校2年生の夏に上京しました。
そして、芸能人が多く通う堀越高等学校トレイトコース(偏差値38)に2001年に転校し、芸能活動を本格化させました。
「綾瀬はるか」という芸名は雑誌の公募で決まった!?
ホリプロスカウトキャラバンで審査員特別賞を受賞した後、綾瀬はるかさんは本名の蓼丸綾という名前でグラビア活動していました。
しかし、高校2年生の時に、蓼丸という苗字が難しく読みにくいため「ヤングジャンプ」誌上で芸名を募集し、「綾瀬はるか」が選ばれました。
「綾瀬」という苗字は、綾瀬はるかさんの本名の「綾」から取られ、「はるか」は綾瀬はるかさんの親友の名前から借りたといわれています。
ホリプロのスカウトキャラバンで審査委員特別賞を受賞し、当初は本名の「蓼丸綾(たでまる・あや)」でグラビア活動をしていた。 「ただ、さすがに『たでまる』は難しすぎたのか、名前のほうの『綾』を苗字に移動させ、広島時代の親友だった『はるか』を語呂の良さで拝借しています」(芸能ライター)
【引用元:アサジョ】
ただ、大林宣彦監督の映画「はるか、ノスタルジィ」の登場人物の名前からとられたという説もあります。
その由来としては、本名の“綾”が入っていること、大林宣彦監督の映画『はるか、ノスタルジィ』の登場人物からとられた、などの説が挙げられている。
【引用元:日刊大衆】
そして、堀越高校に転校後、綾瀬はるかさんは高校2年生だった2001年に日本テレビドラマ「金田一少年の事件簿」で女優デビューを果たしました。
綾瀬はるかは「ビューティコロシアム」に出ていた!?
綾瀬はるかさんは、高校3年生の時にフジテレビ系「ビューティーコロシアム」という番組に出演し、公開ダイエットに挑戦しました。
デビューから1年間で、仕事のストレスから7kgも太ってしまった綾瀬はるかさんは、番組出演時に「51kgまで痩せられなかったら、芸能界を辞めて田舎に帰る」と宣言しました。
そして、後半にはリバウンドに苦しむこともありましたが、1か月と3週間で8kg以上のダイエットに成功し、強い意志を見せました。
現在も綾瀬はるかさんは、そのままいいスタイルをキープし続けています。
また、同じ高校3年生の時にはフジテレビドラマ「僕の生きる道」で初の連続ドラマレギュラーを獲得しました。
綾瀬はるかの大学時代は帝京大学短期大学に進学も多忙で中退!
綾瀬はるかさんは、堀越高校を卒業後、帝京大学短期大学国際コミュニケーション学科(現在の人間文化学科)(偏差値43〜44)に2003年4月入学しました。
綾瀬はるかさんは短大在学中に11本のドラマに出演し、そのうち3本では主演を務めるという過密なスケジュールで、学業との両立が難しくなったようです。
結局、大学に通う時間も無く、短大は中退しています。
綾瀬はるかは大学中退後トップレベルの女優として活躍!
しかし、その後も綾瀬はるかさんの女優としてのキャリアは順調に進みました。
2004年にはTBSドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」でヒロインを演じ大ブレイクし、その後も「白夜行」や「JIN-仁-」など、多くの人気ドラマで主演やヒロインを演じました。
更に、2013年にはNHK大河ドラマ「八重の桜」で主演を務めるなど、綾瀬はるかさんは女優として有名になりました。
また、綾瀬はるかさんは映画やドラマだけでなく、多くのCMにも出演し、幅広い活躍を見せ、さらに、NHK紅白歌合戦で3度司会を務めるなど、その多才さを発揮しています。
第70回NHK紅白歌合戦が12月31日、東京・NHKホールで行われ、大団円に終わった。その盛り上がりを支えたのは、4年ぶり3回目となる紅組司会で女優の綾瀬はるか(34)だった。
【引用元:スポーツ報知】
綾瀬はるかの父親は67歳で他界も農家で厳しくも優しい人だった!?
綾瀬はるかの父親は厳しい反面、優しさ溢れる家族想いの人!?
綾瀬はるかさんの父親は1952年生まれの広島県出身で、蓼丸良孝という名前です。
職業は農家で広島市内の実家で野菜を育てていました。
父親は元々、キッチンをデザインする仕事をしていましたが42、43歳で辞め、実家の農業を継いだようです。
和田:そういう実習は僕のときはなかったなあ。お父さんはずっと農家? 綾瀬:農家を継ぐためにキッチンのデザインをする仕事を42、43歳で辞めたんですが、農業が楽しくて仕方ないらしいです。
【引用元:デイリー新潮】
綾瀬はるかさんの父親は厳しさと優しさがある人物で、クリスマスにはサンタさんの長靴に入ったお菓子を買ってくれる優しい一面がある一方で、口答えをするとビンタをする厳しさもあったそうです。
また、地元の消防団に入るほど元気な方で、釣りが好きでお酒を飲むとよく話をされる人だったそうです。
そして、父親は還暦を迎えた時、赤い釣り用のベストを綾瀬はるかさんにプレゼントされ、とても喜んだとのことでした。
「綾瀬さんのお父さんは広島の実家で農業を営んでいて、地元の消防団に入るほど元気なかたでした。普段は寡黙だけど、お酒を飲んだらよくしゃべっていたね。釣りが好きで、還暦を迎えた際に、綾瀬さんから赤い釣り用のベストをプレゼントされてとても喜んでいました」(近隣住民)
【引用元:NEWSポストセブン】
なお父親は上述したように綾瀬はるかさんの芸能界入りに反対していましたが、その後は、出演作品を必ず観て感想を伝え、時にはダメ出しをしていたそうです。
また、綾瀬はるかさんから仕事の悩みについて電話があるたびに、父親は「気楽に頑張りなさい」と励ましたそうです。
そして綾瀬はるかさんは父の日には必ず「いつも支えてくれてありがとう」とメールを送っていたようです。
故郷・広島に住む両親と2才上の兄を慕い、これまで「自分のエネルギーの源は家族」と公言してきた。なかでも父親については、「煮詰まったときには『気楽に頑張りなさい』と言ってくれる」と明かし、父の日には「いつも支えてくれてありがとう」とメールを送っていたという。
【引用元:NEWSポストセブン】
綾瀬はるかの父は肺がんで闘病後一時回復したが67歳で他界
綾瀬はるかさんの父親は2019年6月(67歳)に肺がんで亡くなりました。
父親のがんが発覚したのは亡くなる約2年前で、がんが見つかってから、綾瀬はるかさんは東京で忙しい仕事を続けながらも、広島の実家に戻って父親の看病を続けていました。
綾瀬はるかさんは父親のことをごく一部の人にしか伝えず、仕事を続けていました。
「お父さんのがんがわかって、綾瀬さんはものすごくショックを受けました。それでも彼女はごく一部の人にしかお父さんの病気を伝えず、プロ意識を持って仕事を続けました。天然で知られる彼女ですが、実は芯の強い女性です。忙しい仕事の合間を縫っては広島に帰り、お父さんと向き合っていました」(芸能関係者)
【引用元:NEWSポストセブン】
なお綾瀬はるかさんの友人知人が「パパを死なせてはいけない」と最先端の治療を受けられる東京の病院を紹介したそうです。
そして、父親は新幹線で片道4時間かけて広島から東京に通い、綾瀬はるかさんも出来る限りの時間、父親の治療に付き添ったそうです。
「はるかちゃん(会話中は綾瀬の本名)の東京の友人知人が『パパを死なせてはいけない』と最先端の治療を受けられる東京の病院を紹介したんです。お父さんは新幹線で片道4時間かけて広島から上京して治療を受けるようになり、はるかちゃんも時間の許す限り、治療に付き添いました」(前出・綾瀬の親戚)
【引用元:NEWSポストセブン】
父親のがん発覚から約半年後、父親は治療に専念するため東京に移りました。
一時は回復して畑仕事ができるまでになりましたが、その後、病状が急変し父親は亡くなりました。
綾瀬はるかの母親の写真や年齢は?投資詐欺にあってた!?
綾瀬はるかさんの母親の顔写真や年齢は?ポジティブな考えの母?
綾瀬はるかさんの母親は、名前や年齢などは公表されていません。
母親はとても働き者で、野菜農家を手伝いながらも、毎朝早起きして床磨きをしているそうです。
その際には「今日も一日頑張ろう。働かせてもらってありがとうございます」と感謝の言葉を述べるそうで、綾瀬はるかさんも将来は母親のようになりたいと話しています。
例えば、「電車の席に座るときは、隣の人に会釈してから座るだけでも、お互い良い気持ちになれる。人間性ってそういうささやかなことに出るんだよ」と綾瀬はるかさんの母親は言っています。
また、「ヒマだからくよくよするのよ。感謝の気持ちをもって、まずカラダを動かしなさい!」という言葉もあり、前向きで実践的なアドバイスを綾瀬はるかさんに伝えています。
ちなみに、綾瀬はるかさんは女優業が忙しくなり、自分を大切にできなくなってしまった時期もあったそうです。
その際に母親に相談すると、「なんでそんなに自分に厳しいの? 本当の意味で自分を大切にできるのは自分しかいないんだよ」と言われ、自分を見つめ直すきっかけを作れたそうです。
この言葉をきっかけに、綾瀬はるかさんはリラックスすることを心がけるようになったようです。
そんな綾瀬さんを励ましてくれたのは、お母様の一言だったそう。「母に『なんでそんなに自分に厳しいの? 本当の意味で自分を大切にできるのは自分しかいないんだよ』って言われて、ハッとしました。自分を追いつめすぎていた気がします」と綾瀬さん。それからはリラックスすることを意識するように。
【引用元:JOSEISHI.NET】
綾瀬はるかの母親が地元税理士の投資詐欺に遭う!?
綾瀬はるかさんの母親は、2019年に設立された綾瀬はるかさんの個人事務所「株式会社tapestry」の代表取締役も務めています。
母親はこの事務所の経営に詳しくないため、代々お世話になっている地元広島の税理士にお金の相談をしていました。
そして、その税理士から投資運用の話を持ちかけられ、1億円近くを投資したそうです。
「はるかちゃん(実際は綾瀬の本名)のお母さんは事務所の代表を務めていますが、会社の経営に詳しいわけではありません。だからお金に関する相談は、綾瀬家が代々お世話になっている地元の税理士さん(以下、A氏)にお願いしていました。そのA氏がお母さんに『この低金利時代に、現金を銀行に置いておくのはもったいない。運用してみたらどうですか』とすすめたそうです」(綾瀬家の知人)
【引用元:NEWSポストセブン】
その後、この投資はトラブルとなり、綾瀬はるかさんは、東京で以前からお世話になっている地元出身の顧問税理士に相談しました。
この相談した税理士は、実は地元広島の税理士の息子で、話を聞いた息子は、すぐに父親の地元広島の税理士を問い詰めました。
そして、綾瀬はるかさんの母親と投資グループの契約を解約し、返金を求めるようにしたそうです。
「はるかちゃんは、以前から東京でサポートしてもらっている地元出身の顧問税理士に相談しました。実はこの税理士は、A氏の息子なんです。話を聞いた息子は、すぐにA氏を問い詰めた。お母さんと投資グループの契約を解約して、返金を求めました」(前出・綾瀬家の知人)
【引用元:NEWSポストセブン】
なお、綾瀬はるかさんは母親を責めず、「大丈夫、お母さん、お金はいいから返らんかったら、返らんでええよ」と優しく声をかけ、気使っていました。
お金についても『返らんかったら、返らんでええよ』って。親が言うのもおかしいけど、すごく優しい子で、いつも元気に心配をさせないよう気を使ってくれています」
【引用元:NEWSポストセブン】
綾瀬はるかの兄はイケメンで大学は電気系も今は農家!?
綾瀬はるかの兄はイケメンで寂しくないように妹と同居!?
綾瀬はるかさんの兄は、蓼丸良平という名前で、綾瀬はるかさんより1歳年上のため1984年頃の生まれだと思われます。
綾瀬はるかさんの兄はとても優しく怒ることがほとんどない性格だそうです。
たとえ綾瀬はるかさんが兄の持ち物を取っても、怒らずに譲ってくれるほどだったそうです。
綾瀬はるかさんの兄は、綾瀬はるかさんが寂しくならないようにと、わざわざ東京の大学を選んで進学し、綾瀬はるかさんと一緒に住み、料理や洗濯などの家事も手伝っていたとのことです。
綾瀬は22歳まで1歳年上のお兄さんと同居していました。当時は仕事が多忙なことにかこつけて、食事や洗濯もやってもらっていたそうです。
【引用元:アサ芸プラス】
綾瀬はるかの兄は大学卒業後、広島に戻り農家を継ぐ!?
綾瀬はるかさんの兄は、大学では電気電子系の学問を学び、卒業後は家業を手伝うために広島に戻りました。
兄も大学を卒業して、「一回は社会に出ろ」と言われたんですけど、広島に帰って農業をやっています。こよなく農業を愛する一家なんです。
【引用元:デイリー新潮】
兄は現在、広島で農業を営んでおり、特に広島菜という野菜を育てています。
父親から「真面目で覚えが早く、仕事も丁寧」と評価されていました。
兄は農業に情熱を持ち、広島菜の品質を高めるために努力を惜しまず、地域の農業技術の向上にも取り組んでいます。
綾瀬はるかの兄は既婚で綾瀬はるかはおばさん?
なお、綾瀬はるかさんの兄は2014年に結婚し、2016年と2017年に娘さんが生まれています。
綾瀬はるかさんの兄は、子育てにも積極的に参加しており、奥様からも認められる「イクメン」だそうです。
また、兄は「農家は通勤時間や残業がないので、子育てに向いている」と語っています。
綾瀬はるかの祖父母は農家で高齢の祖母は毎日活動的!?
綾瀬はるかの祖父母は農家で孫にとって素敵な祖母!
綾瀬はるかさんの父方の祖父母は農家だったそうです。
綾瀬は、広島県出身で父方の祖父と祖母が農家だったという。
【引用元:スポーツ報知】
また、綾瀬はるかさんは2021年1月のインタビューで、広島の実家の祖母は94歳という高齢で、毎日とても活動的に過ごしていることを語っています。
広島菜の生産に励んでる蓼丸良平さん御一家
皆で広島菜食べましょう#綾瀬はるか #広島菜 pic.twitter.com/F1NLXwThVr— 雨音はショパン (@RainsoundChopin) November 10, 2019
綾瀬はるかさんは、祖母の一日のサイクルを見て、その生活で共に過ごすことで、自分の生活もすっかり変わったと語っています。
祖母は、日が暮れて暗くなると眠り、日中は少しもじっとせず、いつも体を動かしており、その姿がとても愛おしく、素敵だと綾瀬はるかさんは感じているようです。
「実家には94歳になるおばあちゃんがいるのですが、祖母の一日のサイクルを見て、共に過ごして、生活がすっかり変わりました。(中略) いつもちょこまかと体を動かしていて、そんな姿がとても愛おしく、素敵だなと感じました。
【引用元:FRaU】
綾瀬はるかの祖母は戦争の恐怖を伝える
なお、綾瀬はるかさんの祖母の姉は、1945年8月6日に広島に投下された原爆で亡くなっています。
祖母は、原爆の恐怖と戦争は起こさないことを綾瀬はるかさんに伝えていました。
「戦争なんか起こさんように、女性がしっかりせなダメなんよ。女性の力で戦争を起こさんいうことをせなダメよ」 一瞬にして多くの命を奪った原爆の恐怖、さらには命はとりとめても放射能で体をむしばまれ苦しむ人たちの姿を、綾瀬の祖母は亡き“お姉さん”の無念さとともに綾瀬に伝えたのだ。
【引用元:NEWSポストセブン】
綾瀬はるかの家族構成まとめ
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家族構成 | 詳細 |
父親 | 蓼丸良孝。1952年生まれ。元キッチンデザイナー。広島市内で野菜農家を営む。厳しくも優しい父親で、2019年に肺がんで他界。 |
母親 | 名前は非公表。実家の農家を手伝いながら、綾瀬はるかの個人事務所「株式会社tapestry」の代表取締役も務める。働き者で感謝の気持ちを忘れない人物。 |
長男 | 蓼丸良平。1984年頃の生まれ。東京の大学で電気電子系を学び、卒業後に家業の農業を継ぐ。2014年に結婚し、2人の子供がいる。 |
長女(綾瀬はるか本人) | 本名:蓼丸綾。1985年3月24日生まれ。広島市出身。女優として活躍中。 |
祖父 | 名前は非公表。広島で農業を営む。綾瀬はるかの父親の前に農業を継いでいた。 |
祖母 | 名前は非公表。94歳(2021年時点)で、日々活動的に過ごしている。朝早く起き、掃除や庭仕事を日課にしている。原爆の恐怖と戦争の教訓を孫に伝える。 |