この記事では、俳優の赤楚衛二さんの家族構成や生い立ちについて詳しく紹介していきたいと思います。
赤楚衛二さんの子ども時代のエピソードや家族との関係、そして大学を中退してから俳優として成功するまでのエピソードをたっぷりとお届けします。
赤楚衛二さんが大学を中退し上京してから俳優として成功するまでの軌跡を知ることで、赤楚衛二さんの魅力やその背景に迫りたいと思います。
目次
赤楚衛二の家族構成!父親・母親・弟の4人家族
赤楚衛二の家族構成は「父親・母親・本人・弟」の4人です。
母親:コンクールで受賞経験ありのピアノの先生
長男:本人
次男:大阪芸術大学卒業のCGクリエーター?
また、赤楚衛二さんの「祖父母」はどんな方なのでしょうか?
祖母:赤楚衛二さんにマッサージ機をプレゼントしたり関係は良好
赤楚衛二の生い立ちや学歴!大学中退からヒーローに!
- 名前:赤楚衛二
- 本名:不明(苗字は赤楚)
- 生年月日:1994年(平成6年)3月1日
- 身長:178㎝
- 体重:60kg
- 血液型:B型
- 出身地:愛知県名古屋市
- 学歴:名古屋市内の私立中学校→名古屋市立藤森中学校(?)→東邦高等学校(偏差値50〜61)→名古屋学院大学外国語学部英米語学科(偏差値43)中退
赤楚衛二の幼少期〜小学生:3歳までアメリカ在住で夢はヒーロー!
赤楚衛二さんは1994年3月1日に父親の地元である大阪府守口市で生まれ、3歳頃まで父親の仕事のためアメリカ・ウィスコンシン州で過ごしてました。
その後、再び父親の仕事の関係で引越し、愛知県名古屋市で育ちました。
幼少期のなりたい仕事は『ヒーローになること』だったそうです。
父親が言語学者であったため、幼少期から何度も学会へ足を運び、その影響で2、3歳の頃には海外にも行っていたそうです。
昔からハザードレベルは高かったんですよ。 pic.twitter.com/jyM9CHsULR
— 赤楚衛二 (@akasoeiji) August 8, 2018
赤楚衛二さんは3歳から中学まで母親からピアノを教わっており、さらに、水泳や剣道、公文、英会話など、複数の習い事を掛け持ちしていたそうです。
また、両親は非常に教育熱心で、しばしば両親から「勉強しなさい」と言われていたようです。
小学校はどこの小学校かは公表しておらず不明ですが、愛知県名古屋市内の公立小学校に通っていたようです。
小学5年生の時、父親から方程式を教わった際に「できない」と言ったところ、父親に叱られた経験もあるそうです。
赤楚は17年12月1日付の朝日新聞のインタビューで父親について「小学5年で方程式を教えてられて、『できない』と言ったら怒鳴られた」
【引用元:日刊ゲンダイ】
勉強には厳しい父親だったようですが、休日にはキャッチボールやごっこ遊びをしてくれることもあったり、月に1回は家族全員が揃って家で映画を観るという習慣があったそうです。
赤楚衛二さんは子供の頃、非常にわんぱくな少年でした。
好奇心が旺盛で、思い立ったらすぐに行動する子どもだったようで、「ここから飛び降りたらどうなるんだろう?」と考えて階段の一番上からジャンプし、結果的にケガをしてしまったこともあったそうです。
そのため、小中学校時代には頻繁に親や先生に叱られていたようです。
子どもの頃は、ものすごくわんぱくな少年でした。好奇心が抑えられず、思い立ったら即行動。「ここから飛び降りたら、どうなるんだろう?」と、階段の一番上からジャンプして、案の定ケガをしたり(笑)。小中学校時代は、しょっちゅう親や先生に叱られていました。
【引用元:婦人公論.jp】
赤楚衛二の中学時代:人気者から学年中の女子に嫌われる!?
赤楚衛二さんは中学受験を経て名古屋市内の私立中学校に入学しましたが、どこの私立中学校かは不明です。
中学校の部活では剣道部に所属していたようです。
スポーツは、中学までずっと剣道をやっていました。
【引用元:vivi】
しかし中学3年生の時に転校し、転校先は特定されていませんが、名古屋市立藤森中学校ではないかと噂されています。
転校したての、まだ同級生たちとなかなか仲良くなれなかった頃、国語の作文ができたことがすごくうれしくて、教室でスキップしていたら、ドアの上のほうに頭をぶつけてしまって、血がたくさん出てしまい、全校生徒の注目を浴びてしまったそうです。
「中学校3年生の頃に転校して、みんなと全然仲良くなかったんですけども」と切り出し、「国語の作文ができた喜びかなんか、うれしくて教室でスキップしてたんですね」「スキップしてたら、ドアの上のほうに頭バンッぶつけて、血ドバーッ出ちゃって…」と説明。
続けて、「『大丈夫か!?』とか『救急車!』とか」「全校の注目を浴びてしまったっていうのは、すごく恥ずかしかったです」と話した。
【引用元:livedoor News】
また、転校先の中学校では、学年中の女子生徒が見に来るほどの人気者で、ファンクラブもあったそうです。
しかし、ひとりの女子の挨拶を無視したことで学年中の女子から嫌われるようになりました。
これは故意ではなく、赤楚衛二さんが意図せず無視してしまったことが原因です。
さらに、女子と付き合った経験がないにもかかわらず、三股をかけているとの噂が広がり、ほとんど女子と目を合わすことができなくなったと2021年10月13日放送のバラエティ番組『突然ですが占ってもいいですか?』(フジテレビ系)に出演した際に語っています。
中3の頃、赤楚自身でも気付かないうちに、ある女子のあいさつを無視したような形になってしまったことがあったそうで「その出来事ひとつで学年中の女の子から嫌われました」と告白。その当時はつきあったことがないのにも関わらず「3股してる」「めちゃくちゃチャラいんだよ」などのうわさが立ってしまったと明かし、「だから女の子と目合わせられなかったりとかあったりしましたね」と振り返った。
【引用元:クランクイン!】
赤楚衛二の高校時代:1番のモテ期でモデルやタレント活動も!
中学校卒業後、赤楚衛二さんは名古屋市にある私立東邦高等学校に入学しました。
高校ではテニスの魅力に惹かれ、テニス部に入部しましたが、アルバイトが忙しくなり、両立が難しくなったため、結局半年でテニスをやめることなったそうです。
アルバイトでは商品の搬入などの肉体労働を行っていました。
高校時代の赤楚衛二さんは、明るく社交的な性格で、多くの友人と楽しい時間を過ごしていたようです。
特に高校2年生のクラスが一番楽しかったと語っており、修学旅行が高校時代の最も印象深い思い出だそうです。
僕は、高校で1番の思い出というと修学旅行ですね。高校2年生のクラスが1番好きで、今でもそのメンバーとは仲良いんです。何事にも全力で楽しむっていうのを一生懸命やってた人達が集まっていて、文化祭にしろサッカーの授業ですら、本気で怒って本気で楽しんでっていう感じだったんですよ。その仲が1番深まったのが、修学旅行だったので。…何をしたかっていうと、信号でクラウチングスタートとか(笑)。
また、赤楚衛二さんは高校生の頃が一番のモテ期だったそうで、文化祭では女の子たちが写真を撮るために列を作るほどだったようです。
高校の時はモテのピークだったかもしれないですね。それこそ文化祭の時に、女の子が僕と写真を撮るためにガーッと行列を作っていたこともありました
【引用元:non-no】
高校生の頃から赤楚衛二さんは名古屋にあるモデルエージェンシー、FORM JAPANに所属し、芸名『赤楚衛』でモデルやタレントとして活動していました。
高校2年生の2010年には、名古屋の男性グループ「IKEMEN☆NAGOYA」(後のBOYS AND MEN)として活動し、舞台出演やバラエティー番組にも出演しました。
このグループには元「King & Prince」の平野紫耀さんも在籍しており、共に活動していた期間は約1年ほどでした。
赤楚衛二の大学時代〜現在:大学中退も俳優として大ブレイク!
赤楚衛二さんは東邦高等学校卒業後、名古屋学院大学外国語学部英米語学科に進学しました。
父親で言語学者の赤楚治之さんが当時名古屋学院大学の外国語学部の教授を務めていたことから、その縁で進学したそうです。
大学時代は外国語学部英米学科に在籍し、父親の講義を受けていたようです。
中高生時代は主に英語を教えてもらったといい、「その経験があったから、父と同じ大学で英米語を専攻した時も、単に語学としてではなく、学問として面白いと感じられたんだと思います。父の講義は、話術も内容もすごくて、父への見方が変わりましたね」と語っている。
【引用元:日刊ゲンダイ】
そして赤楚衛二さんは大学1年生だった2011年にグループ「BOYS AND MEN」を脱退し、その後は仕事が少なくなってしまったそうです。
しかし、大学2年生だった2013年にはバッグブランド「サマンサタバサ」のメンズモデルオーディションを受け、グランプリを獲得しました。
このオーディションを受けた際、赤楚衛二さんは半ば芸能活動を諦めかけていたことをインタビューで語っています。
「和臣は学生時代の自分にすごく似ているなって思っていて。当時、すでに芸能活動はしていたんですけど、なかなかお芝居をするチャンスがなくて、両親に『おまえ、仕事はどうするんだ?』みたいなことを聞かれたりして。半ばあきらめかけていた時、最後にオーディションで東京へ行けたんです。そのご縁がなかったら、なかなか一歩を踏み出せない和臣とまったく同じだったんだろうなと思います 」
【引用元:MOVIE WALKER】
2014年には俳優として活動するため上京し、名古屋学院大学を2年生で中退しました。
中退する際には父親に相談し、「やりたいことを見つけられたらいい」と背中を押してもらったそうです。
その後、赤楚衛二さんは事務所を俳優の小栗旬さんや田中圭さんが所属するトライストーンエンタテイメントに移籍し、さまざまなオーディションを受けましたが、仕事が思うように決まらなかったようです。
オーディションは100回以上落ちてしまったと2022年8月12日放送のTBS系バラエティー『A-Studio+』で語っています。
笑福亭鶴瓶から、現在までオーディションに落ちた回数を向けられると「数え切れないですね。もう100回は落ちています」と打ち明け、スタジオ内には驚きの声が上がった。
【引用元:ORICON NEWS】
また、仕事がほとんどない状態であったため、バーなどでアルバイトで生活をしていたようです。
「派遣でケータリングの仕事をしたり、バーや居酒屋で働いたりしました。とてもじゃないけれど、役者だなんて胸を張って言えない毎日。負い目でした」
【引用元:Precious.jp】
22歳だった2015年に芸名を「赤楚衛」から「赤楚衛二」に改名し、俳優としてのキャリアを再スタートさせました。
そして2015年、「表参道高校合唱部!」で初めてテレビドラマに出演しました。
2017年にはAmazonプライムビデオの「仮面ライダーアマゾンズ」で長瀬裕樹役として出演し、さらに同年、犬飼貴丈さんが主演した「仮面ライダービルド」に準主役の仮面ライダークローズ役として起用されました。
「幼少期に就きたいと思っていた仕事」を聞かれると、「ずっと『ヒーローになりたい』と言っていました」と告白し、「…で、ヒーローになりました」と笑顔。『仮面ライダービルド』に仮面ライダークローズ/万丈龍我役で出演したことに触れ、「悪と戦いたい、人を救いたいと思っていた。そういう仕事をやらせていただいて本当に感謝です」とし、「20年以上の前の自分に教えてあげたい」と感慨深く語った。
【引用元:ORICON NEWS】
2019年には「ねぇ先生、知らないの?」で連続ドラマに初めて主演として起用され、その後はさまざまなドラマに出演し、俳優として成長し、知名度も高くなっていきました。
特に「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」(通称:チェリまほ)への出演をきっかけに大ブレイクしました。
赤楚衛二の父親は大学学長で吉川晃司の大ファン!
赤楚衛二の父親は名古屋学院大学学長で超エリート!!
赤楚衛二さんの父親・赤楚治之さんは1959年11月7日生まれで、現在64歳(2024年7月現在)です。
大阪府守口市出身で、同志社大学で学士号を取得し、その後、同志社大学大学院で英文学を学びました。
さらに、ノーベル賞受賞者を21名を輩出した名門校であるアメリカのウィスコンシン州立大学マディソン校で言語学を研究しました。
そんな赤楚治之さんは言語学の専門家で、1989年から名古屋学院大学で教え始め、1999年には教授になりました。
その後、外国語学部長、大学院外国語学研究科長、学生部長などを歴任し、現在は第13代の名古屋学院大学の学長を務めています。
多くの著書もあり、「現代の英語学」や「英検準1級・TOEICの総合演習」などがあります。
赤楚衛二の父親は教育熱心なパパも息子の芸能活動を応援!
赤楚衛二さんの父親・赤楚治之さんは家庭では勉強に対して非常に厳しく、赤楚衛二さんを2、3歳の頃から海外の学会に連れて行くなど、早くから英語に触れさせる教育を行っていました。
「赤楚くんのお父さんは、名古屋学院大学で学長を務める赤楚治之氏です。言語学の教授で、英会話の専門家です。赤楚くんが2〜3歳のころはアメリカに留学していたのですが、お父さんが彼を言語学学会に連れていったこともあるくらいなんですよ」学校の勉強には厳しく、帰国後は、赤楚が中高生のときまでみっちり教えていたという。
【引用元:女性自身】
しかし、大学教授としての赤楚治之さんは授業ではユーモアを交えるなど、生徒を楽しませており、そのギャップに赤楚衛二さんはとても驚いたそうです。
「大学の授業を見たことがあって、すごいオヤジギャグを言って、生徒を楽しませていたので、家と全く違ったのでびっくりしました」と語った。
【引用元:スポニチ】
ちなみに赤楚衛二さんがモデルやタレントとして活動を始める際、赤楚治之さんは反対せず、「お前がやりたいことを見つけたなら、それでいい」と背中を押してくれました。
本当は息子に言語学の教師になってほしいと思っていたようですが、赤楚衛二さんの選択を尊重しました。
《僕が「東京の事務所に入ります」と宣言したとき、父が言った言葉は「やりたいことを見つけたならいい」。最近知ったのですが、本当は、英語の先生や言語学の分野に進んでほしいと思っていたようです》(『朝日新聞』’17年12月1日付のインタビューより)
【引用元:女性自身】
赤楚衛二の父親は吉川晃司の大ファンも吉川晃司に会えず・・
赤楚衛二さんの父親・赤楚治之さんは、歌手で俳優の吉川晃司さんの大ファンです。
赤楚治之さんは吉川晃司さんのライブ映像を、赤楚衛二さんが子供の頃から一緒によく見ていました。
\放送決定‼️/
「KIKKAWA KOJI Premium Night 2023 “Guys and Dolls”」
TBSチャンネル1にて11月テレビ初独占放送❗️
⇒https://t.co/kgQ86i5oia#吉川晃司 さんが本日9月2日に日本武道館で開催するツアー最終公演の模様をお届けします。心揺さぶるサウンドと熱いパフォーマンスをぜひご覧ください。 pic.twitter.com/oUmfsN7hoA— TBSチャンネル (@tbschannel) September 2, 2023
特に、吉川晃司さんがステージでドラムのシンバルを蹴る「シンバルキック」を見て、「これがかっこいいんや!」と赤楚衛二さんに語っていたそうです。
父が吉川晃司さんのファンで、子どもの頃からよく一緒にライブのDVDを拝見していたんです。足を高く上げてドラムのシンバルを蹴るステージ・アクション、シンバルキックも「これがかっこいいんや」って語っていて。
【引用元:Lmaga.jp】
なお、2020年、フジテレビ系列のドラマ「探偵・由利麟太郎」で赤楚衛二さんがなんと吉川晃司さんと共演することになり、赤楚治之さんは非常に喜んだとのことです。
そして赤楚衛二さんの父・赤楚治之さんは撮影現場に同行したいと考えていたそうです。
ただ赤楚衛二に断られてしまい、不満そうにしていましたが、赤楚治之さんはその後のテレビ放送を楽しみにしていたようです。
共演することを父に報告したら、「撮影現場の場所教えてくれ」と言われました。さすがに父親を連れてはいけないのでダメだと断りましたけど。「じゃあテレビで見るわ」と、不満そうにしていました(笑)
【引用元:Lmaga.jp】
赤楚衛二の父親は鶴瓶と話が合う!?
2022年に放送されたTBSの番組「A-Studio」では、赤楚治之さんがMCの笑福亭鶴瓶さんと対談しました。
赤楚衛二さんの父親・赤楚治之さんは非常に面白い人で、大阪出身の鶴瓶さんとも話がよく合ったといいます。
番組のロケが終了した後、赤楚治之さんは鶴瓶さんやスタッフにお土産を渡し、直筆の手紙も添えていました。
手紙にはスタッフ一人一人に異なるメッセージが書かれており、鶴瓶さんは「お父さんは感謝の気持ちを忘れない人」と評価していました。
赤楚衛二の母親はピアノの先生でコンクールで受賞経験あり
赤楚衛二の母親はコンクールで指導者賞受賞のやり手講師!?
赤楚衛二さんの母親は赤楚早苗さんです。
赤楚早苗さんは一般の方であるため、生年月日は公表されていません。
赤楚早苗さんは金城学院大学人間科学部芸術芸術療法学科(現在は文学部音楽芸術学科)を卒業しています。
また、金城学院大学人間科学部 芸術・芸術療法学科の第8期生OBグループ『Farbe』として各地で演奏会を行っていたようです。
(赤楚早苗さんは上段右端)
そして、現在はピアノの先生として活動しています。
2017年に開催された第8回グレンツェンピアノコンクール全国大会で、赤楚早苗さんは「指導者賞」を受賞しました。
赤楚衛二の母親は超スパルタピアノ講師!?
赤楚衛二さんはそんな母親の赤楚早苗さんからピアノを習い、その腕前を発表会で披露していたそうです。
赤楚衛二さんは、小学生の頃に発表会でラピュタの「君をのせて」を弾いたことを懐かしむツイートをしていました。
ラピュラと言えば
小学生の頃ピアノの発表会で
君をのせてを弾いたなぁ。
ずっとムスカの真似してたなぁ。
変な思い出に浸る。笑— 赤楚衛二 (@akasoeiji) September 29, 2017
ちなみに母親のピアノレッスンは特に2人の息子に対して厳しかったそうで、「スパルタ教育で厳しくて、僕は本当にやりたいことを押し込めていた時期がありました」と赤楚衛二さんが後に語っています。
赤楚衛二さんは3歳からピアノを習い始めましたが、中学校を卒業する頃にピアノをやめてしまいました。
その理由として、上述したように母親の指導が厳しく耐えられなかったという噂もあるようです。
そんな赤楚衛二さんの母親ですが、2011年に放送されたバラエティー番組『サタメン!!』では、赤楚衛二の母として登場し、家族が見守る中でショパンの『革命のエチュード』を披露しました。
クラシックの有名な楽曲などは、簡単に弾くことができるほどの実力があるそうです。
赤楚衛二の弟は兄と仲良しのCGクリエーター!?
赤楚衛二の弟は突き抜けた性格!?
赤楚衛二さんの弟は赤楚周平さんといい、1997年8月8日生まれです。
久々に弟と長電話しました。
元気にしてるらしいので安心、
大学生の自主制作映画「ウルトラユウスケ」アグレッサー星人役をやったらしい。
小さい頃ヒーローごっこして、いつも怪獣役をやらせてた甲斐がありましたね(笑)
謂わゆる英才教育と言うやつです。 pic.twitter.com/zHJlKdjyOy— 赤楚衛二 (@akasoeiji) May 7, 2017
赤楚衛二さんが日本テレビ系『はじめてのおつかい!新春 小さな大冒険スペシャル』(2023年1月7日放送)に出演した際、幼いころの兄弟関係について語りました。
赤楚衛二さんは「どちらかというと弟に遊んでもらっていた」と振り返り、ホラー映画を見た後、怖くてトイレに行けずに弟に付き添ってもらったという可愛らしいエピソードを明かしています。
赤楚さん自身は4歳差の弟がいて、「どちらかというと弟に遊んでもらっていた」と幼いころの兄弟関係を振り返り、「ホラー映画を見たあと、怖くてトイレに行けず弟についてきてもらった…」という可愛らしいエピソードを明かし、スタジオを沸かせました。
【引用元:日テレNEWS】
2020年8月25日のホットペッパービューティーのインタビューで、赤楚衛二さんは弟の赤楚周平さんを「突き抜けた性格」と評し、学生時代にはその性格をうらやましいと感じていたと話しています。
赤楚衛二さんは、自分が家族間でのバランスを取る役割を担っていた一方で、弟の赤楚周平さんは「やりたいことを貫く」姿勢を持っていたため、その自由さに憧れていたそうです。
和臣は、やりたいことを貫く兄と親の板ばさみみたいになっているんですけど、僕の場合は弟が『俺がやりたいことをやるんだ』ってことで突き抜けてたので(笑)、僕が家族間でのバランスを取るっていう役割だったんですよね。学生時代は、そんな弟に対する羨ましさみたいなのもずっと持っていて…。
赤楚衛二の弟は兄を倒すために柔道部へ!
2022年8月2日放送TBSの「A−Studio」では、赤楚衛二さんが弟の反抗期が長かったことを明かしています。
赤楚衛二さんはXで赤楚周平さんからLINEをブロックされていたことをツイートしています。
さて、今日は我が弟の誕生日だ(^-^)
LINEでおめでとメール送ったのに返事来ず、電話も出ず、多分ブロックされてるっぽい(笑)
いつまで反抗期は続くのやら、、、。今日も一日頑張りますか
— 赤楚衛二 (@akasoeiji) August 8, 2014
また、赤楚周平さんが高校生の時には「兄貴を倒すため」に柔道部に所属していたそうです。
赤楚衛二の弟はCGクリエイター!?ピアノ講師という噂も
赤楚周平さんは名古屋大谷高校卒業後、大阪芸術大学に進学しています。
ちなみに大阪芸術大学の学生が2016年冬~2017年春にかけて自主制作した自主制作特撮映画『ウルトラユウスケ』では、アグレッサー星人の中の人や助監督、殺陣も担当し、2017年の第9回全国自主怪獣映画選手権<京都大会NIGHT>で優勝しています。
また大阪芸術大学在学中の2017年に「東京国際プロジェクションマッピングアワード Vol.2」に大阪芸術大学チーム「駄菓子屋ph8.0」のメンバーとして参加しています。
そのほかにも、2018年にはテレビアニメ「ピアノの森」の第1シリーズ第2話「ショパンを弾くために」でCG制作に携わりました。
さらに、2020年に公開されたVRリズムゲーム「Re:a Rhythm(リアリズム)」の制作メンバーとしても活動しましたが、このゲームはバンタンゲームアカデミー大阪校の在校生作品であり、赤楚周平さんは大阪芸術大学卒業後にバンタンゲームアカデミーに入学した可能性があります。
現在は学歴などからCGクリエイターなどの職業に就いている可能性が高いですが、詳細は不明です。
また赤楚周平さんですが、兄の赤楚衛二さん同様に、母親の赤楚早苗さんからピアノを教わり、兄が中学でピアノを辞めた後も続けており、現在の職業もピアノ講師という噂もあります。
赤楚衛二抜きで赤楚衛二の誕生日会を開く弟!?
赤楚衛二さんのSNSでは、弟の赤楚周平さんの話題が度々登場し、赤楚衛二さんの誕生日に幼少期の写真を送ってくれるなど、兄弟で仲が良いことがうかがえます。
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赤楚衛二の祖父母はどんな人?心配性で優しいおばあちゃん!
赤楚衛二さんの祖父母は一般人と思われ、顔画像や名前などの詳細は不明です。
ただ赤楚衛二さんのインタビューの内容から、祖母との関係性がうかがえます。
赤楚衛二さんは祖母からもらった欠かせないものについてインタビューで語っています。
毎日欠かせないものは祖母からもらった「足裏マッサージ機」だそうです。
学生の頃には「おじいちゃんおばあちゃんがやるやつだ」と思っていたそうですが、実際に使ってみたらとても気持ちよかったと話しています。
それから毎日のルーティンとして欠かせないものになったそうです。
欠かせないもの“足裏マッサージ機”ここ最近で言うと「足裏マッサージ機」です。毎日のルーティンとして欠かせないですね。祖母にもらった物なんですが、最近までずっと押し入れに入っていたんです。「どうしよう、捨てようかな」なんて思いつつ一度使ってみたら本当に気持ちよくて(笑)!そこから毎日やっています。学生の頃って「おじいちゃんおばあちゃんがやるやつだ」と思っていたんですが、この歳になってみたらその気持ちよさが分かってしまいました…。「おじいちゃんたちはこの気持ちよさを求めていたのか…」と(笑)。
【引用元:FAST】
また、赤楚衛二さんがXに投稿した内容からも、祖母との絆が感じられます。
2017年5月23日に「おばあちゃんと久々に電話しました」とツイートしています。
赤楚衛二さんが出演していた「アマゾンズ」を祖母が観てくれており、バイクに乗るシーンを見て心配してくれたそうです。
この投稿からも、赤楚衛二さんが祖母とのつながりを大切にし、祖母も赤楚衛二さんの活動を応援していることがわかります。
おばあちゃんと久々に電話しました。
アマゾンズ見てくれたって。
バイクは危ないから心配だって。笑
おばあちゃん、、、笑
— 赤楚衛二 (@akasoeiji) May 23, 2017
赤楚衛二の家族構成まとめ
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家族メンバー | 説明 |
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父親 | 赤楚浩之さん。大学教授で学長。英語学の専門家。厳しくも温かいサポートをする。吉川晃司の大ファン。 |
母親 | 赤楚早苗さん。ピアノの先生、第8回グレンツェンピアノコンクール全国大会で指導者賞を受賞。 |
本人 | 赤楚衛二さん。1994年3月1日生まれ、名古屋市出身。俳優として活躍。仮面ライダークローズ役で人気に。 |
弟 | 赤楚周平さん。1997年8月8日生まれ。大阪芸術大学卒業。現在はCGクリエーターやピアノ講師をしているという噂も。 |
祖母(父方か母方か不明) | 赤楚衛二さんと電話で連絡を取るなど親しい関係。足裏マッサージ機をプレゼント。 |